ディン共和国の郊外にある、『アースチェンジ』が所有する工場の正面玄関にて。
深夜、大きな爆発が起こった。鳴り響く警報。
音を聞いて正面玄関に駆け付ける警備員達ーーもとい、黒い外套を纏った鴉羽の暗殺者達。その数、50人以上はいるだろうか。
その人数を見て、煙から姿を表した男ーークラウスは、コキリと拳を鳴らした。
「想定より人数が多くなりそうだが……まぁ、問題ない」
そう呟き、ナイフと拳銃を構えるクラウス。それに反応して、鴉羽の暗殺者達が短刀を構えて、一斉にクラウスに襲いかかる。それは、まるで黒い大きな波が迫ってくるようだった。
「いいだろう……少しだけ、お前達と遊んでやる」
そう言って、クラウスは大きな波に向かって突っ込んでいった。
一方、その頃。正面玄関から離れた工場の東棟から潜入したリリィが、廊下を一直線に駆けていた。
「どうやら、先生が上手く中央に敵を引きつけてくれているみたいですね!」
「それは僥倖でござるな! その間に拙者達は爆弾を仕掛け回るでござるよ!」
リリィの言葉を受けて、先頭を駆けるハイドが答える。
ジキルの作戦はこうだ。
まず、正面玄関からクラウスが潜入し、大暴れする。それを聞き付けた鴉羽の暗殺者達をクラウスが押し留める。その間に、東、西、北の棟から残ったメンバーが工場を爆破するため、爆弾を仕掛けて行くというのだ。
「いやぁ、こんなゴリ押しの作戦、先生がいなかったら絶対出来ないですよねぇ。やっぱり持つべきものは世界一最強のスパイ! ですねっ」
あっはっはっは、と笑うリリィ。
最初は鴉羽の暗殺者がめちゃくちゃ恐ろしい存在だと聞いて、震え上がっていたが、なんて事はない。クラウスが正面玄関で鴉羽の暗殺者達を引きつけている間に自分達はコソコソと爆弾を設置して逃げてしまえばいいのだから!
「たしかに、与えられた役割は簡単かもしれないの……だけど」
リリィの隣を走る金髪の少女が、今度は口を開く。
「この担当振り分け、絶対嫌な予感しかしないのっ」
そう怒鳴ったのは『灯』の8人目の少女、エルナ。
コードネームは『愚人』。特技は事故、という少女だ。エルナに指摘されて、リリィが「だ、大丈夫ですよぉ」と、口を開く。
「東棟の担当は、近接戦闘最強のハイドちゃんに、頼れる『灯』のリーダーのリリィちゃん、『事故』のスペシャリストのエルナちゃん、ですよ? それに対して西棟はジビアちゃんとジキルくん、北棟はモニカちゃんとアネットちゃんだけなんですから!」
そう答えるリリィに、エルナはぶんぶんと大きく首を横に振った。
「絶対に他の担当の振り分けの方がマシなの! エルナ達のチームメンバー、大バカ、ポンコツ、トラブルメーカーしかいないの!」
「そ、そんな事言わないで下さいよぉ」
リリィも何となくそんな気がしてたようで、両耳を塞いだ。
「だ、大体、エルナちゃん。自分でトラブルメーカーとか言っちゃっていいんですか?」
「じ、事実だから仕方ないのっ」
「泣くぐらいなら言わなきゃいいのに……」
自分で言って傷ついたのか、エルナの目には涙が溜まっていた。
それを聞いていたハイドが首を傾げる。
「ふむ? トラブルメーカーはエルナ殿で、ポンコツは、まぁ、リリィ殿でござろうな……はて? 大バカとは誰の事でござるか?」
「ハイドしかいないの!」
「まぁまぁ、エルナちゃん落ち着いて。大丈夫ですって。逆にそんなに不安を口にしていたら本当に良くない事が起きまーー」
そうリリィが、エルナを宥めようとした時だった。「危ないの!」と、エルナが飛び跳ね、リリィに覆い被さる。少し遅れて外の窓ガラスを突き破って、鋭利な刀身が現れた。
「な、何で刀身が窓から突き出して……?」
そう怯えるリリィの頭上で黒い影が現れる。それは一本の短刀を構え、今まさにリリィ達に突き立てようと襲いかかってくる。咄嗟のことにリリィは動けない。
「やらせないでござるよっ」
ハイドがすんでのところで飛び出し、黒い影に飛び蹴りする。そのまま黒い影はごろごろと廊下を転がっていく。
「鴉羽の暗殺者でござるな……どうやら拙者達、囲まれたようでござる」
リリィが起き上がると、目の前には3人の黒い外套を纏った暗殺者が短刀を構えていた。リリィ達を取り囲むように立っている。
「え、えぇ……エルナちゃんが悪い事ばっかり言うからですよぉ」
「え、エルナのせいじゃないの!?」
「2人とも、無駄話をしてる場合じゃないでござるよっ」
ハイドが両足を大きく開き、姿勢を低くして、短刀を構える。
それに合わせて暗殺者3人が同時にハイドに向かって短刀を突き出す。「させませんっ」と、リリィが声を上げると、胸元から毒ガスを吹き出す。
まともに毒ガスを受けた暗殺者達は体が痺れて、そのまま膝をつく。
「リリィちゃんお得意の麻痺毒ですっ」
そう自慢気に口を開き、エルナの手を引いてその場から逃走を図るリリィ。
リリィは特異体質によって毒物が効かない。側にいたハイドとエルナも事前に対毒用の薬を服用しており、麻痺毒は効かなかった。
「ナイスでござるっ、リリィ殿!」
麻痺毒で動きが止まった暗殺者達の首をハイドは躊躇なく切り裂いた。
3つの血飛沫が上がる。
「え? は、ハイドちゃん? 別に殺す必要はーー」
「リリィお姉ちゃん、躊躇っちゃダメなの! 相手は鴉羽の暗殺者。ここで殺しておかないと、エルナ達が殺される可能性もあるの」
エルナの言葉に、リリィは「そ、そうですよね」と、躊躇いながらも割り切る事にする。
ジキルも言っていたではないか。鴉羽の暗殺者とまともにやり合ったら、死ぬのは自分達なのだ。ならば、生き残るために殺すしかない。
「ーー怯える必要はないでござるよ」
気付けば、隣で駆けるハイドが笑顔を作っていた。グッと力強く親指を立てる。
「拙者、特技は暗殺ゆえ。殺しなら拙者に任せるでござるよ」
「ーーーーっ。ありがとう、ハイドちゃん」
リリィが一瞬だけ苦痛に顔を歪めて、無理矢理に笑顔を作る。
ハイドにそんな事を言わせたいわけじゃなかったのに、とリリィは自分の弱さを呪う。自分よりも年下の女の子だけに、手を汚す事を強要させるなんて。
パチンと、リリィは両頬を平手で打った。何事かと隣で駆けるハイドとエルナが驚く。
「気合い、入れ直しましたっ。さぁ、ハイドちゃん、エルナちゃん! 鴉羽の暗殺者なんかチャチャっと片付けて、爆弾設置して、こんな物騒なところから逃げますよっ」
リリィが改めてそう宣言した時、エルナがギュッとリリィの腕を引っ張った。突然の事で、つい滑りそうになる。
「ど、どうしたんですか? エルナちゃん?」
立ち止まったエルナの顔を覗き込んで、リリィはぎょっと驚く。今までにないぐらいエルナが怯えて、震えていたからだ。
「や、やばいヤツがいるの……」
「え? ヤバいやつってーー」
その時、カツンという軍靴を打ち鳴らす音が聞こえた。
そしてそれは先の廊下の曲がり角から姿を表すーー黒衣の暗殺者。
一目で分かった。この暗殺者は、先程の鴉羽の暗殺者とは格が違う。先程、ハイドが殺した暗殺者はジキルの言っていた『指』と呼ばれる暗殺者なのだろう。だとしたら、こいつは。
「鴉羽の暗殺者……おぬしは、『目』でござるな?」
そう問いかけるハイドの顔には、いつもの能天気な表情は無い。
それは、死を覚悟した人間の顔だった。
暗殺者が口を開く。
「ーー成る程。私達、鴉羽の近辺を探っている不届き者が居ると聞いていたが……その短刀、その構え。まさか、生き残っている裏切り者がいたとはな」
ハイドの問いの返答とばかりそう答えた暗殺者の言葉に、リリィは動揺する。ハイドが鴉羽の裏切り者?
確かに、共通点はあった。鴉羽の暗殺者が使用する短刀と同じ形状の短刀。刃を下に向け、短刀を持つ手を突き出し、両足を大きく開くといった、独特の構え方。
ーーそれは、つまり。ハイドは鴉羽の暗殺者だった?
「貴様、暗号名は何だ? 鴉羽にいた頃に与えられていたものがあったはずだろう」
「……さぁ? 何の事だか、拙者にはさっぱりでござるな」
「……フン。ふざけた口調で喋る小娘だ。お前を殺し損ねた『目』を見つけ出さねばと思っていたが……まぁ、いい。それはお前の首に聞けばいい事だ」
どこからか二振りの短刀を取り出した暗殺者が構える。
「裏切りなどあってはならない。お前は私達、鴉羽の汚点だ。生きているだけで大罪人にも等しい。だから……疾く死ね、小娘」
「お断りでござるっ」
そして、『目』の暗殺者とハイドは互いに、構えた短刀を首目掛けて突き出した。