トレーナーじゃない学生の話   作:白玉善哉

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弟のポケモン飼ってくれ運動①

「やだああああああ!! かって! かってッ! かってぇぇぇっ!!」

 

 ヤマブキシティ某所にある我が家は賃貸である。父親も籍を置く大きな会社がある町のため非常に栄えている。学生の身分としては通学もしやすい立地にある。家賃と物価は高いがとても賑やかで夜も明るい。単身赴任の出張でジョウトに居る父親も週末にはリニアで気軽に帰ってくる。それが我が家だ。

 

「あ゛ああああ……うああああああ!!」

 

 防音機能のない俺の耳で絶叫に無視を続けるのも限界がある。

 園児である弟はタマムシにある学校から俺が帰るとここ数日この調子である。嘘泣きをするポケモンがいるそうだが、どう見ても今の弟はガチ泣きだし、控えめに言ってハイパーボイスだ。隣の家のロコンが興奮したのか弟の泣き声に輪唱してコンコンと吠え始める。壁は薄くはないが防音でないので非常に宜しくない。

 

 なぜ、こんな事になってしまったのか…。同じ幼稚園の友達がポケモンデビューをしたとかで自分も欲しくなってしまったクチである。

 

「先生、大先生……いらっしゃったら弟に向けて催眠術をお願いします」

 

 ニシシと笑い声を上げて壁をすり抜けてきた黒いガス。近場のどこかに生息しているらしい野生個体のゴースである。基本的には臆病で此方に害をなす訳でない。出会いは弟が言うことを聞かない時に怖い顔でたしなめてくれた育児のヘルパー……まさに野生の先生と呼ぶべき存在である。俺の顔を横目で見て笑うと弟の真正面にゴースはふよふよと飛んでいった。

 

「ひっ……」

 

 小さく悲鳴を挙げて弟は後ずさる。この前夜のニュースでフワンテが子供を連れ去ろうと空を飛んでしまった事件があったばかりな為かゴーストタイプが怖いらしかった。しかし、我が家の末っ子は生意気だ。すぐに目を吊り上げてゴースを涙目で睨みつける。

 ゴースの瞳が妖しく光って揺らぐ。その瞳を真正面から見てしまった弟は1、2のバタンで眠りに落ちた。これで朝まで眠気覚まし抜きにノンストップ睡眠は確定だ。かくして、ヤマブキの夜の静けさは守られたのである。

 

「また、あの子すり抜けて来てるの?」

 

 そう声をかけるのは母である。大人のお姉さんだったのも今は昔、すっかり専業主婦である。そして、大黒柱の父がいない現在困った事があると「お兄ちゃんに頼みなさい」を早々に切り出すため、俺は非常に迷惑をしている。

 

「のろわれボディならシオンで有名な祈祷師を呼ばなきゃだけどさ、単に浮遊してるだけっぽいし……良いんじゃない?」

 

「だって、大きな生き物だって技も使わずに二秒で倒しちゃうんでしょ?」

 

 博士のポケモン講座でやってたわと呟きながらゴースを見る目は少し複雑そうだ。しかし、幼いとはいえ子供をたしなめる事ができずに俺に丸投げしている時点で、批判の類はお門違いと俺は思う。そんな母親を無視して、冷蔵庫から冷えたモモンの実を切り分けた皿を取り出す。甘く瑞々しいが癖のない味でポケモンも人間にも好ましい味で、俺の分の夕飯のデザートだったものだ。こんな事もあろうかと……などとご都合主義的な話でなく、タマムシの大盛り食堂で食べ過ぎて夕飯もろとも手を付けられなかった為にそのままになっていた。

 

「先生、お疲れ様でした……此方をお召し上がりください」

「ニシシシっ」

 

 毒消しでもあるモモンを毒タイプに与えて平気か最初は迷ったが、案外平気なのである。ゴース先生は更に付着した果汁まで丁寧に舌で舐めると楽しそうに俺にまとわりついてから窓ガラスをすり抜けて行った。

 

 ゴースのガスの名残なのかゾクゾクとした寒気が背中を走る。今日は追い焚きをして風呂に入った方が良さそうだ。

 

 

 

 


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