コサックウマ娘。かつてロシア帝国を大国へと押し上げ、数々の華々しい英雄譚を残しながらも、歴史の影に消えていったウマ娘達。

 彼らは何故故郷を奪ったロシアの為に戦ったのか?何の為に戦ってきたのか?


※この話はウマ娘プリティーダービーを原作としていますが原作要素は殆どありません。ウマ娘世界の歴史を書きたくなっただけの作者の自己満であり、グロ描写など、ウマ娘世界に合わない描写もあるので駄目な方はブラウザバックしてください。

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歴史には勝者と敗者、そしてただ踏み潰された弱者が存在する。


コサックウマ娘

■1919年 クバーニ

 

 クバーニ人民共和国首都、カテルィノダールの街には直ぐ目の前まで反ウマ娘を掲げるソヴィエト赤軍の牙が迫りつつあった。

 

 クバーニを故郷とする事を決め、ロシア帝国への義理を果たし、そして積年の夢である完全独立を目指したコサックウマ娘達の命運はパリ講和会議で裏切りにあった際に完全に潰えたと言えよう。

 

 そして、この日が最後の反抗となる。

 

 首都の広場に集まったウマ娘の数はたったの5000バ。攻め寄せる赤軍とは10倍、或いは数十倍もの差がある兵数は、ウマ娘の優れた身体能力を持ってしても覆す事のできない明確な大国との差であった。 

 

 今日、独立が終わる。

 

 握りしめた拳からはあまりある膂力故に血が吹き出し、歯を噛みしめた口からは嗚咽が漏れる。誰もが諦めてはいないが、楽観的にどうにかなると幻想を抱いているわけでもない。現実に踏み均された歴史の被害者が彼女らであった。

 

 そんな最後の軍団(ラスト・バタリオン)の前に彼女らの指導者(トレーナー)であるデニーキンが現れる。

 

 デニーキンの目的は最後の戦いに赴くウマ娘達への演説、死地へと送る彼女らへの精一杯の謝罪だ。

 

 「皆、ここに集まってくれた事を、その勇気に感謝する。

 我々コサックウマ娘は常にロシア帝国と共にあった。彼らと共に駆け、彼らと共に失い、彼らと共に笑う、良き隣人であった。

 しかし、彼らは良き隣人であったが良き為政者であったとは言えなかった。我らの自治権は常に狙われ続け、力無き我らは愛想の無い顔をしながら彼らに尻尾を振るしかなかった。

 ドイツと戦争が始まり、我らが戦地で泥沼の塹壕貴族を謳歌している間に、隣人ロシア帝国は社会主義の死毒に蝕まれた。皇帝一家は惨殺され、銀行強盗達が上に立ち、人間の為の国を作り始めた。

 ウマ娘排斥を掲げる彼らに対し我々は逃げるしか無かったが、私はその時同時にこうも思ったのだ。

 遂にロシア皇帝の軛を逃れる事ができる、と。

 コサック三国が独立し、共に赤軍と戦うことになった時、私は歓喜に震えた。ロシア中のウマ娘が手を取りあい真の家族になった事を。

 しかし、我々は裏切られた。家族だった筈の兄弟(ラーダ)は屈辱的な結果を手土産にしてきた。

 

 だが、再び手を取り合う事ができた。赤軍と言う共通の敵を前に我々は家族に戻れたのだ。

 

 もう、目の前まで赤軍は迫っている。我々は家族に戻れたが、家族の愛の力はソヴィエトの掲げる機械的社会に敗北するのだ。

 

 愛する家族達よ、すまない。独立を守れず、あまつさえ貴方達を死地に向かわせ、私はのうのうと逃げ延びる事になる。

 

 私が逃げ延びたところであるのはコサックの破滅だけだろう。ウマ娘ですら無い私にコサックの命運は守れない。

 

 貴方達の今を、未来を奪う私をどうか許して欲しい。」

 

 そう言ってデニーキンは頭を下げた。ウマ娘達は愛する指導者(トレーナー)である彼が涙を流し頭を下げている様子に耐えられず、泣き崩れる者も多かった。

 

 まるで葬式の様相である。まだここに居るのは生者であるのに皆が現世を羨む亡者のようだった。

 

 そんな中、一人のウマ娘が声を上げて歌った。

 

「クバーニ、汝は我らが故郷!」

 

 ウマ娘達は『独立』した証である、誇りである国家のフレーズに、泣き顔を上げて無理やり笑顔を作り歌い始めた。

 

 降りしきる雪の中、その姿は終わりゆく者への礼拝、鎮魂歌(レクイエム)のようであった。

 

 

■□■

 

 

 ロシアコサックウマ娘がソヴィエト赤軍の暴虐と脅威に晒され、クバーニ人民共和国として独立宣言が出されたのは1918年の事だった。

 

 彼女らの事について語るには先ず、コサックと言うウマ娘の集団がどの様なものであったのかを語らねばなるまい。

 

 コサックウマ娘は15世紀後半にウクライナ中南部、「荒野」という実にウマ娘好みな草原地帯で発生した。コサックウマ娘はドニプロ川の中流、ザポロージャ地方とドン川の2つに別れ、その時代に多いウマ娘と人間混合の盗賊として根拠地を築き、また、イスラム勢力に対する東欧のキリスト尖兵であった。

 

 その頃の彼らは規模の大きい盗賊軍団でしかなく、しかし勢力は持っていた為、やがて正式な軍団として隣国に属するようになっていった。ザポロージャ・コサックウマ娘はポーランド・リトアニア共和国に属すようになり、ドン・コサックウマ娘はロシア・ツァーリ国に属するようになる。

 

 コサックウマ娘はウマ娘としては珍しく戦意の高い騎兵向きのウマ娘であったが、彼女らが真に不運なのは発生したその場所であったといえよう。

 

 ポーランド、ロシアという大国に挟まれたコサックウマ娘達は自治領として根拠地を保有していたが豊かな穀倉地帯である彼女らの土地を狙ってポーランド、ロシア両国は常にコサックウマ娘の自治権の縮小を行ってきた。その度に叛乱を繰り返し、味方である国と戦を繰り返した。

 

 そんな中で彼女達は戦いに疲れたのかいつしか独立を願うようになる。この美しいウクライナの草原で、ドン川の流域で何者にも邪魔されずに自由に走り回りたい、友と駆け、トレーナーと豊かに暮らしたい、そう願うのは悪であったのだろうか、願いに反し神はコサックウマ娘に常に悲劇を落とした。

 

 ドン・コサックウマ娘にとっての悲劇はラージンの乱であった。遂に独立を成し遂げたザポロージャ・コサックウマ娘に対し、ドン・コサックウマ娘は決定的な敗北を経験し、故郷の全てを奪われる事となる。

 

 独立を、美しきドン川の故郷の草原を取り戻す為にドン・コサックは幾度もロシアに対し戦を仕掛けたが、ザポロージャ・コサックウマ娘の独立が逆に契機となり強大化したロシアに敗北を繰り返し遂にドン・コサックウマ娘はロシアコサックウマ娘として吸収される事となってしまった。

 

 悲しきかな。その後、思わずしてロシアを守る壁となり強大化に寄与してしまった独立コサックウマ娘のザポロージャ・コサックウマ娘も18世紀末にロシアによって滅亡させられる事となる。

 

 19世紀となり、ロシア帝国への帰属が完成しコサックウマ娘達はコサックという階級(コサックとはそもそも共同体の名前であったが、それを階級とした。)を与えられ、兵役の義務を課された。他地域からも集められたコサックウマ娘はロシアにより十数の軍団に編成され、ロシア帝国の国境防備や治安維持に貢献する事となる。

 

 その中には後に独立をする事となるクバーニ・コサックウマ娘なども含まれていた。

 

 19世紀のコサックウマ娘達はそれまでの戦の日々から変わらず常に戦地で槍を振るい剣を鳴らしたが安寧のときが訪れることはなかった。

 

 だが、1917年、転機が訪れる。

 

 ロシア革命。第一次世界大戦という未曾有の人造災害によりロシア国内で労働者の生活条件が悪化すると、労働運動の抑えが効かなくなってきていた。そしてそれは革命という最悪の形で噴出し、始まりは『パンをよこせ』という要求から発生する。

 

 『パンをよこせ』は次第に苛烈さを増し、やがて『戦争反対』『専制打倒(つまりは貴族や王族といった一部の人間が政治をする体制の打倒)』という要求へと変わり、皇帝(ツァーリ)は遂に軍に鎮圧を命じた。

 

 しかし、軍の兵士達は逆に労働者の味方となって反乱を起こし、皇帝一家の惨殺、戦争への不介入、二重権力による内乱という形でロシア帝国の歴史に幕を閉じる事となる。

 

 そして、その混乱に乗じて独立に動いたのがコサックウマ娘達だった。

 

 ウクライナ、ドン、クバーニにおいてコサック三国が立ち上がり、独立を宣言。

 

 ウクライナ、ドンの二国は自身の故郷たるロシア国境の東欧に国を起こした。

 

 クバーニコサックウマ娘達はクバーニ・ラーダ(議会)をクバーニにおける唯一の政府として立ち上がり、1918年の2月16日にクバーニ人民共和国としてロシアからの独立を宣言する。

 

 ラーダは指導者(トレーナー)によって組織され、クバーニには始めコサックウマ娘以外の勢力が存在し、クバーニソヴィエト共和国と名乗った非コサックと対立する事になる。

 

 赤軍となった非コサック達と戦線を拡大する内にクバーニ人民共和国内には不和が広がっていった。ウクライナと共に独立を目指すウクライナコサックウマ娘の『黒海衆』と大ロシア国家再建を目指すロシアコサックウマ娘の『防衛衆』とで不和が広がっていたのだ。

 

 コサックだけの国を目指すウクライナコサックウマ娘『黒海衆』と、ロシアに帰属し、ロシア国家の支配者となる事を目指したロシアコサックウマ娘『防衛線衆』では、あまりにもロシアへの思いが違ったのだ。

 

 アントーン・デニーキン将軍は白軍司令官として着任した。ラーダとの軋轢が決定的なものとなった瞬間であった。

 

 もしアントーン・デニーキンが融和派であったら、大ロシア主義を抱えようとも新たなロシア国家で重鎮になれることは無いとわかっていれば、コサックウマ娘の独立は成ったかも知れなかった。

 

 1919年のパリ講和会議に出席したクバーニ・ラーダ達はクバーニの独立を要求し、いくつかの国でそれを許可させる事に成功したが、デニーキンとロシアコサックウマ娘達を排除する事を宣言した。

 

 デニーキンはこの決定的な『裏切り』に激怒し、ラーダを拘束し、自らが指導者(トレーナー)となりロシア赤軍と戦った。しかし、デニーキンは敗北し、赤軍のクバーニへの大規模侵攻が確定すると、指導力は衰え、ウクライナコサックウマ娘はウクライナ人民共和国やグルジア民主共和国と手を組むことを画策した。

 

 しかし、時代の新たなスーパーパワーたるロシア帝国に勝利する事は無く、彼女らは故郷たるクバーニを追い出され、歴史の被害者として消え去る事になる。

 

 

 コサックウマ娘の歴史は敗者の歴史、教科書に残る大きな歴史ですらない。ただ、滅びた種族の悲しみの歴史である。

 

そして、故郷の大草原を自由に駆け回る事を夢見たコサックウマ娘達の運命は、常に流れる血を求め続ける。

 

 

 

■1945年 ドイツ第三帝国

 

 

 夢を見ていた。

 

 緑豊かなどこまでも広がる草原で、美しい川を眺めながら駆け回り、愛する伴侶(トレーナー)と共にニンジンを食べて過ごす安寧の日々を。

 

 「起きろ、ニーナ撤退だ!」

 

 美しき草原の夢から覚め、眼前に広がっていたのは泥と汗と血に塗れた同胞の姿、そして汚物と雨の匂いが漂う洞窟のような塹壕である。

 

 そうだった、ここは父と母の語った帰るべき故郷ではなく、地獄とこの世の狭間にある土の中だった。

 

 空腹の度を超え、既に音を発することも無くなった腹を抑えながら自身の小銃を肩に担ぎ、先行する同胞の後ろを駆けていく。

 

 ガラガラガラ、ドゴン、ヒュ〜〜。

 

 地下を出た外の塹壕では様々な音が鳴り響き、その度に土がひっくり返され衝撃を伴って体を揺らす。ウマ娘の人外の膂力といえど空腹の身と荒れ狂う泥の中では走る事もままならずただ身を屈めて死神の鎌に狙われないようにする事しかできなかった。

 

 「ニーナ、私達は生きて帰るんだ、生きて帰って、子供を産んで、故郷を語るんだ。

 いつか私達の子孫が故郷を取り戻す為に。

 私達の魂が故郷に帰るために。」

 

 そう言って、進む同胞は、目の前で短小銃に撃ち抜かれ、ドイツ人の言うヴァルハラへと旅立った。私は幸運にも彼女の死体が盾になって弾に当たらず、倒れ込んできた彼女の死体と重なったことで生き残った。

 

 友の死体を被り、血を浴びて泥に沈みながら空を見上げる。戦場にいても同じ空の下にいると語った母の言葉は、間違いだと思えるほどに淀んだ空だった。

 

 友の最後の言葉を思い出す。子供を産んで、魂の故郷に帰る。私には共感が出来ない言葉だった。

 

 魂の故郷、両親の語った美しきドン川の草原は夢に見れどついぞ見ることは叶わなかった。私達は親達に故郷を取り戻すように教えられ、この戦場に立ったが、私には同じ事を自分の子供に言えるとは思えなかった。

 

 両親は故郷を見てきた。幼い頃であったのか、大人になってからなのかは分からないが、いつかの光景に思いを馳せるのは仕方が無いことだと思う。だが、私は見たことが無い。見たことが無いものを、取り返せと言えるほど愛着が無かったのだ。

 

 私の故郷といえば生まれ育ったドイツの田舎である。私の魂が帰るとしたら、あの麦畑が良い。

 

 友よ、すまない。私は友の願いを叶えることは出来無さそうだ。お父さん、お母さん、私は二人の夢を継げない親不孝者だ。

 

 バリバリバリと雷のような音をたてる飛行機の嘶きを最後に、私は気を失った。

 

 

 

 

■□

 

 

 コサックウマ娘は第一次世界大戦後、様々な地域に散らばっていった。

 

 裕福なコサックウマ娘達は欧米諸国へ逃げ延びたが、残されたコサックウマ娘達は、ソヴィエトにより弾圧された。残されたコサックウマ娘の殆どが死刑や流刑、そしてホロドモールと呼ばれる計画的な飢饉により餓死した。

 

 彼女らは故郷を奪われるどころか、大好きなニンジンすら奪われ、やがて地獄の空腹の中で死んでいったのだ。

 

 生き残ったコサックウマ娘の残党は、復讐心か、ドイツへの恩義の為か、ドイツ第三帝国に味方し、ソヴィエトと戦った。

 

 しかしながら、ドイツ第三帝国は敗戦により崩壊し、コサックウマ娘達は運命を共にして遂にその反乱と独立闘争の歴史に幕を閉じたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

■19xx年 ???

 

 

 私は故郷のドイツであの大戦を生き残ったウマ娘として、静かに暮らしていた。祖国は西と東に分けられ、悲しい時代を過ごしたが、遂に冷戦は終わり、緩やかな時代が帰ってきたのである。

 

 西ドイツにて息子夫婦と孫娘達と静かに暮らしていた私だが、ふと、平和になった世界を考えると、いつか夢に見た草原を探したくなった。

 

 「着きましたよ、お母様。」

 

 長い間列車に揺られ、弱ってきた身体は目的地につくまで眠り続けていたようだ。義娘に静かに起こされ、目を開いた私の視界に、列車の車窓から光が飛び込んできた。

 

 そこはまるで天国だった。どこまでも美しい青々とした草原が広がり、澄み渡った空と妖精の口笛のような風が私の肌を撫でた。

 

 「わぁ!すごいすごい!」

 

 孫娘達は興奮して立ち上がり、息子夫婦に宥められるがそれでも冷めやらぬ、というふうだった。かくいう私もその景色から目を離せずじっと静かに見つめていた。

 

 軈て列車は駅に到着し、孫娘達はこらえきれずに駆け出す。小さいと言えどウマ娘として生まれた彼女達の足の速さは成人の男であっても追いつくのは難しく、息子が焦ったように追いかけていった。

 

 私は義娘に押されながら車椅子で列車を降りた。草の匂いと土の香りが風に乗って私に覆いかぶさり、思わず立ち上がりかける。

 

 「お母様、危ないですよ。」

 

 足を悪くしてしばらくだ。それを分かっている義娘は苦笑しながらもウマ娘の性質を分かっているのか、注意と肩に手を乗せる程度だった。

 

 車椅子から浮ついた私の背中を、ぶわっと風が押した。

 

 「お母様?!」

 

 義娘よ、すまないがもう止まれない。

 

 私は細くなり立ち上がることも困難だった足のことも忘れて草原へと駆け出した。小さかった頃のような、前を走る孫娘達のような速度で走る事はできない。しかし、今の私はまるで風になったようだった。

 

 ああ、ここに居たのか、私の魂よ。

 

 友はここを帰るべき故郷だと言ったがそれは間違いだった。

 

 私の魂は、もとより故郷にあったのだ。

 

 足がもつれて草原に倒れ込む。あははと笑いながら仰向けになり、空を見上げた。向こうからは義娘が焦った顔で駆けてくるのが分かる。

 

 「ああ、友よ、父よ、母よ、ご先祖様よ。

 

 私はやっと会うことができました。

 

 私の魂に、コサックウマ娘の故郷の風に。」

 

 

 故郷の風が、すうっと私の頬を撫でた。

 

 

 

■□

 

 ソヴィエト連邦崩壊後、ウクライナやロシアの市民団体はコサックウマ娘達の復帰運動を行っている。

 

 アメリカやロシアなど世界の各地でコサック軍と名乗るいくつかの組織達は文化振興や支援など多岐に渡って活動している。

 

 特にウクライナはコサックウマ娘を積極的に受け入れ、また、彼女らの故郷としてその文化や遺産を多く引き継いでいる。

 

 第二次世界大戦を生き残り、冷戦を見守ったコサックウマ娘の子孫達は、美しきウクライナの草原で高らかに駆けているのだとか。

 

 

 




 コサックウマ娘を含む全世界に存在した騎兵ウマ娘達。彼女らは時にはローマの礎となり、世界帝国モンゴルを築き上げ、常に世界の中心であった。
 騎兵ウマ娘は常に戦場の華であったが、武器の進歩と共にその価値は薄れていく事となる。
 彼女らが最後を痛感した戦争は日露戦争であったとも、第一次世界大戦であったとも語られる。
 戦場をかけ、風となり敵を蹂躙したウマ娘達は機関銃の鉄の雨に打たれて消えていったのだ。

 だが、戦地から離れたことでウマ娘は平和な時代において先祖代々の夢であった自由に駆けるという夢を叶えられたのかも知れない。

 今日もファンファーレが鳴り響く。

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