「……がッ⁉」
咳き込むと同時に、俺は目を覚ました。
起き上がり、目を擦りながら周囲の状況を把握する。
……俺の家か?
俺が寝ていたのは、間違いなく俺の自室のベッドだ。部屋も俺の部屋で、ここは間違いなく俺の家だった。
「……ちょっと待て、俺は――ッ⁉」
思い出していく。忘れていた記憶が徐々に掘り起こされていく。
そうだ。俺は……。
「二亜、二亜……!」
彼女を探さなくては。
そう思い、俺はベッドを降りようとする。
が、途端、凄まじい激痛が胸のあたりに走り、俺は転げ落ちてしまった。
これは……心臓を潰された痛みが残ってるのか……?
「くそっ、こんなモン……ん?」
机を支えに立ち上がると、その上に手紙のようなものが置いてあることに気づいた。
何となく俺はそれを拾い上げ、中身を確認する。
「……なっ」
差出人は――二亜だった。
俺は慌てて中身を黙読する。
『やっほー少年。定番ではあるけど、一応書いとくね。この手紙をキミが読んでいる頃には、あたしはもうDEMに連れ去られてると思うんだ。
〈
それで、少しでもキミがキミを好きになってくれたらいいんだけど、あたしにそれが出来るかは正直不安。
……でも、あたしはさ。本当にそれを望んでるの。自分を裏切らない存在を求めていたあたしだけど……それは、自分勝手な理想を押し付けていただけなんだって、キミが気づかせてくれた。
キミはあたしの理想の人間そのものだけど、それはとても……悲しい存在だって分かったから。
だからできる事なら、あたしはこれ以上キミの人生を他人の為に使うのはやめて欲しい。キミはきっと、一生をかけて、見ず知らずの誰かの為に全てを費やすだろうから。
こんなこと言ってもキミは聞かないかもしれないけどさ、場合によっては遺言になるかもしれないし、できれば聞いてほしいかな。二亜せんせーのありがたい忠告だぞ。
――誰のことも裏切らない、全てを背負い、全ての精霊を救うだろうキミへ。
どうか、キミが救われることを祈ります』
「……何だよ、これ……」
手が震える。
別に寒いわけでも、風邪を引いたわけでもないのに、俺の手はガタガタと震える。
俺は知っている、この震えの原因を。
恐怖だ。
怖い……何が怖いのかと言うなら、この手紙の真意を知ってしまったことだ。
二亜は自分がDEMに連れ去られることを予見していた。しかし、逃げも隠れもせず、
彼女は精霊だ。その気になればいくらでも逃げられたはずなのに。
それでも、俺を変えることを選んだ。
自分を犠牲に、他人を救う。
そんなことを、彼女は平然とやってのけたのだ。
では、彼女のその尊い行動に、俺が横やりを入れていいのだろうか……?
「……俺は、どうしたらいいんだ……ッ!」
彼女の望みは俺を救うこと。
俺の望みは無論、彼女を救うことだ。
二人とも同じ思いでいるがゆえに、決して相容れない。
俺は、彼女を救うために彼女の意思を尊重すべきなのか。それとも、彼女の意に反して助けに向かうべきなのか。
「おにーちゃん?」
悩み続ける俺のもとに、心配そうな顔をする琴里がやってきた。
声が漏れていたのだろうか。今は深夜だ、琴里が起きているなんてこと、普通はあり得ない。
「ど、どうした……? 兄ちゃんうるさかったか?」
「……ううん。心配だったから……あの黒い髪の人がおにーちゃんのこと連れてきて」
黒い髪? 日本人は基本的に黒髪だから誰かは分からない。
そう言えば思い出したが、俺が殺されそうになったのは二亜の部屋だ。ここじゃあない。つまり、誰かが俺をあの部屋から連れ去ってここまで運んだのか……?
「ねえ、おにーちゃん。またどこかに行っちゃうの?」
不安げに見上げてくる琴里に対し、俺は押し黙るしかない。
琴里がこんなに心配しているのに、俺はまた琴里を泣かせるのか? ならやっぱり、助けに行かない方がいいんじゃ……。
そうして浮かんだ思考を振り払うように、俺は首を振る。
しかし、琴里はその動作を否定と受け取ったのか、安堵の表情で胸を撫で下ろす。
「よかったぁ。あ、今日は……おにーちゃん?」
「……えっ」
「……ねえ、ホントのこと言って。どうなの……?」
琴里は再び泣きそうな顔で、同じ質問を繰り返す。
どういうことだ? 何故また同じことを……。
「おにーちゃん、誰かのとこに行きたいの……?」
「……行きたい」
よほど精神が追い詰められていたのか。
俺は、琴里の問いに、うっかり本心で答えてしまった。
慌てて言い直そうとするが、それより早く琴里が一言呟く。
「そっか」
「あ、いや……琴里、今のは……」
「いいの」
琴里はこちらに顔を見せないようにしながら歩き、俺のベッドに腰掛ける。
「おにーちゃんはいつも、私以外の人の為にも頑張るから。おにーちゃんは誰かを助ける正義の味方なんだって、もう分かってるから」
「……………」
「だから、ね?」
せめて、と。
そう言って、琴里は俺がプレゼントした花の髪飾りを付けながら、毅然と言い放った。
「絶対に帰ってきて。おにーちゃんが助けたいって人のとこ行って、その人も連れて帰ってきて。……ううん、帰ってきなさい」
いつもより強い命令形。
まるで司令官のような彼女の言葉に、思わず頬が緩む。
そうか……俺の知らない間に、琴里は逞しくなったんだな……。
「……なあ、琴里」
「なに?」
俺は部屋の入口に立ち、振り返らずに琴里に注文する。
「蹴っ飛ばしてくれ。俺が一歩を踏み出せるように――ッ!」
瞬間。
俺の背中に、稲妻のような激痛が走り、全身が前に押し出される。
琴里が放った無言のドロップキック。しかし、その一撃に悪意は一切ない。
俺は後ろを見てはいないが、不思議と彼女は笑っている気がした。
「行ってきなさい、
「――ッ!」
その言葉を背に、俺は走った。
ドタドタと我が家を騒がせながら、靴を履いて家を出る。
目指すは最寄りの空港だ――――!
とは言ったものの。
今の時刻は深夜を回っている。こんな時間帯で交通機関がまともに動いているはずがない。
自転車を拾うタイミングを逃したので、俺は走るしかないわけだが、どう考えても間に合う気がしない。
携帯で地図を見てそう判断した俺は、それでも走った。
琴里に背中を蹴っ飛ばしてもらったのに、今更立ち止まるなんてできない。
「あらあら、勇ましい事ですこと。ですが、それは無謀と言うのですわよ?」
……誰かが、俺の背後にいた。
腰のあたりに銃口のようなものが押し付けられ、俺は足を止めさせられた。
「……誰だ?」
「誰、と言われましても……貴方を助けたものとしか答えられませんわ」
なっ――⁉
俺は拳銃を押し付けられていることも忘れ、凄まじい勢いで振り返る。
「……お、前は……」
「初めまして。
その言葉に、俺は心臓が止まるかと思った。
彼女が発した今の言葉は、俺の事情を知っていなければ間違いなく出てくるはずがないモノだ。
そして、彼女には〈
これらの情報を組み合わせた俺の推論は、探偵でなくても分かる簡単なものだった。
「俺を連れてきたのがお前なら、その時に俺の記憶を見たんだな?」
俺は疑問と言うより、確認の意味を込めて彼女に問いかけた。
時崎狂三は
「ええ、ええ! 本当に……大当たりでしたわ! 貴方のお陰で、私の計画の最後の欠点も、その修正の為に必要な物も、全て知ることが出来たのですから!」
彼女の知りたいことと言えば、やはり始原の精霊のことだろう。
時崎狂三の目的は、三十年前に跳び始原の精霊を殺すことだ。
しかし、時崎狂三の実力では始原の精霊には逆立ちしたって勝てない。そもそも、彼女の力を生み出したのも始原の精霊である以上、対抗はできても勝利はできないのは当然だ。
原作の彼女は始原の精霊の誕生を阻止するという形に計画を変更した。尤も、過去を変えるというのは非常に難しい上、下手に干渉したところで世界に修正される可能性もある。
それでもなお、彼女は自分の罪に決着を付けたいのだろう。
だが、俺には関係ない。
「頼む、手を貸してくれ」
「……へえ」
俺は時崎狂三に頭を下げて助力を乞う。
「俺は……俺は二亜を助けたい。
「ええ、いいですわよ」
「……分かった、お前の望むことなら……えっ?」
「だから、いいと言っているではありませんの」
……えっ、嘘だろ? あの時崎狂三が? 何の条件もなく? 俺の要求を呑んでくれる?
「……お前本物なの?」
「失礼ですわね、ぶちころしますわよ」
「すいません」
笑顔で殺気を放つ狂三の怒りを抑えようと、流れるように土下座をする。
「まったく……強いて言うなら、わたくしは既に前金を頂いているので」
「前金……? 俺の寿命でも盗ったのか?」
「違いますわ。盗ったのは情報の話です」
ああ、そっちの話か。
「……とにかく、二亜さんのもとへ向かうのでしょう? 破格の情報料に答えるために、こちらも手厚くサポートして差し上げますわ」
「……それは、助かるな」
純粋な意見だった。
彼女の戦闘能力は作中でも上位であるし、先ほども言ったが始原の精霊に唯一対抗できる精霊でもある。
そんな彼女が全面バックアップしてくれるというのだから、心強い事この上ないだろう。
「……頼む、時崎狂三。俺に力を貸してくれ」
「
その呼び方は正直……まだそこまで仲いいわけじゃないし、せめて時崎で、と俺がお願いすると、彼女は渋々だが受け入れてくれた。
「ハァ……では、参りましょうか」
すると、彼女の足元から影のような物が、染みのように領域を広げていく。
〈時喰みの城〉。
影を踏んでいる人間の時間を吸い上げる、時崎の〈
また、内部は異空間になっており自らそこに潜伏したり、特定の存在を引きずり込んで捕食、または保護が可能となり、これを利用してどんな場所にも行き来することも可能である。
一見すれば、俺を喰らおうとしているのかもしれないが、俺には精霊一人分の霊力しかないうえ、自分以外の全ての精霊の霊力を封印させた後に俺を殺す方がずっと効率が良いはずだ。
だから、彼女はこのタイミングで俺を殺すことはない。俺は抵抗せず、時崎の影に呑み込まれた。
やっぱり王道もしゅきぃ……