狂三が士道の下に飛ばされる十分ほど前。
きひひひひ、という悪魔のような高笑いが闇に木霊する。
黒の少女はただひたすらに、迫り来る敵を排除し、その時間を一年ほど強奪する。
「あらあら、随分と数が減ってきましてよ? 真那さんも、いつもより威勢が足りないのではなくて?」
「うるっせーですよ。黙って戦いやがれってんです。というか、この期に及んで天使を開放するとは……どうやら、本気みてーですね」
空に、二人の少女が向き合っていた。
崇宮真那と時崎狂三。因縁の二人が本気で殺し合う……その寸前まで、場の緊張は膨れ上がっている。
「ええ、まあ。本気とは言えば本気ですわね。こうして
真那の額から脂汗が流れる。
今まで戦ってきた〈ナイトメア〉とはまるで別人のようだった。
動きも、覇気も……そして、彼女から発せられる狂気も。
「〈
〈ナイトメア〉―――時崎狂三の背後に、その身の丈の倍はある巨大な時計塔が出現する。
そこから狂三が持つ歩兵銃に、時計の刻まれた『Ⅰ』の数字から影のような物が噴出、銃口に吸い寄せられていく。
思わず真那が身構えるが――――彼女はその銃口を、
その奇怪な行動に、真那は呆気に取られ――。
「きひひひ!」
響く銃声。
彼女は一切の迷いなく、むしろ狂気の笑みを浮かべ、引き金を引いた。
その瞬間、まるで瞬間移動のように彼女の姿が消失した。
突如消えた狂三に、真那が訝しんだ―――その一瞬の隙を突くように。
真那の背後から狂三が姿を見せ、彼女を叩き落とすように踵落としを放った。完全な不意打ちを頭の天辺から喰らい叩き落とされる。
迫る地面、コンクリート―――僅かに開く視界から状況を察した彼女は、咄嗟に身を
瞬間、巻き上げられる土煙。その中から、苦し気に顔を歪ませた真那が、頭を抑えながらゆっくりと立ち上がった。
「……やってくれやがりましたね。いきなり自分を撃つなんてイカれたことするもんだから、動揺して隙を見せちまいました。けど――」
「次はねーですよ……ですか?」
「――ッ⁉」
いつの間にか。
先程まで上空にいたはずの狂三は、真那のすぐ背後、ほぼゼロ距離まで接近していた。
咄嗟に振り返り、その手に持つ刃を水平に振るう。
狂三はまるで体操選手のように腰を折ってギリギリで斬撃を躱し、地面を蹴る力だけで後方転回しながら真那の顎に足の爪先を突き立てる。
迫る足蹴りを、真那は研ぎ澄まされた直感と動体視力で捉え、僅かに仰け反る形で回避する。
即座に狂三が迎撃のための牽制として銃撃を開始。真那はCR-ユニットの推進力に身を任せ、稲妻のように駆け銃撃を回避する。
ジグザグと攪乱するように動き回り、少しづつ狂三へと距離を詰める真那。それに対し、狂三の取った行動は至って単純。
「〈
背後の時計の文字『Ⅴ』と『Ⅶ』から影が噴出、狂三の持つ二丁の銃に吸い込まれていく。
しかし、真那は勝利を確信していた。今の工程の間に二人の距離は既に三メートル圏内。どれだけ狂三が早撃ちに長けていたとしても、銃口を自分の方向に向けるより先にその腕を斬り飛ばせる。
万が一自分に撃って、先程のような瞬間移動―――正体は分からないが、それをしようと打ち勝てる自信があった。
その力が天使の能力であることは間違いない。しかし、その動きを真那は既に見切っている。
狂三がどう打って出ようと、今の真那に死角はない……それ故、彼女は勝利を確信して揺らがなかった。
「きひひひ! 甘いですわ‼」
時崎狂三が選択したのは自身への銃撃。すなわち、あの瞬間移動――!
瞬間、真那の移動速度が更に上昇し、一気に狂三との距離を詰める。瞬時に手の中の刃を縦に振り下ろす――――と、
放たれた攻撃を狂三が横に跳んで回避した瞬間に、それを待っていたとばかりに軌道をLの形に変え、狂三の胴体を輪切りにしようとする。
取った――! 彼女がそう確信した瞬間――。
狂三の体が
「は――ッ⁉」
「
背後からの奇声。真那は振り返ろうとするも、背中に衝撃を受け―――。
次の瞬間、彼女は無様に地を舐めていた。
「……なっ⁉」
驚き、急いで起き上がろうとする……が、何故か体は動かない。
いや、理由はすぐに分かった。今の真那の体は、深刻なダメージを受けている。少し休めは回復するが、直ぐには治せない……そんなダメージを。
だとしても、いつの間に? そもそも、攻撃されたという感覚すらなかった。痛みだって、今になってようやく感覚に伝わっているほどだ。
グシャっ、と頭が圧力を受け、額が地面とキスをする。
悔し気に呻きながら、真那は吼える。
「……このままでは終わらねーですッ」
「不可能ですわ。貴女はもう、詰んでいるんです」
ガチャリ、と。
真那の脳天に付きつけられる歩兵銃。まさしく
それでも、真那は諦めない。空いている左手で地面を握り、戦闘の意志を見せつける。
まるで戦闘狂――もしくは、一昔前の軍人のような彼女の姿に、狂三は呆れたようにため息をつく。
「あらあらまったく、貴女と言い士道さんと言い、どうしてこうも諦めが悪いのでしょうか」
「……しどう、さん……?」
「おっと。貴女はまだ知らないのでしたわね。失礼、失言でしたわ」
まったく悪びれた様子もない謝罪をし、狂三はさらに銃口を真那の頭に押し付ける。
「わたくしはわたくしの目的が達せられればあとはどうでもいいので、正直ここで貴女を殺すのを躊躇う理由はないのですが……貴女の返答次第では、見逃して差し上げてもよろしくてよ」
「……何ですって?」
まさか、だ。
あの最悪の精霊が、自分が何度も殺し続けた精霊が、自分を見逃してもいいなどとほざいたのだ。
流石の真那も、冷静ではいられない。
「……何のつもりか知らねーですけど、調子に乗らねーでもらいましょうか。殺しますよ?」
「出来もしないことを語っても滑稽なだけでしてよ? ……
「何が――」
狂三の話に付き合っているのは別に彼女に共感しているわけではない。
今、真那は準備を整えているのだ。反撃のための一手……形勢逆転の為の行動の備えを。
それを悟られない為に狂三の戯言に付き合う……少なくとも、彼女はその程度の認識だった。
だから、彼女の口から語られた言葉を聞いて、思考が止まってしまった。
「まさか、貴女の体はDEM社に弄繰り回され、既に余命十数年程度しかないだなんて。本当に、本当に……悲しいですわァ」
わざとらしく泣き真似をし、雰囲気だけは悲しみに暮れる少女を演じる狂三。
しかし、真那はそんなことが気にならないほど動揺していた。
「な、にを……言って……?」
「あらあら、気づいていらっしゃらなかったんですか? そもそも、ただの人間が、CR-ユニットなんてものを担いだ程度で、精霊とまともに相対できるとお思いで?」
狂三は真那から戦意が失われるのを察知した。
この少女はもう立たないだろう。もう自分に歯向かうことはないだろう。
そう確信し、内心ほくそ笑みながら真那の頭から足を退ける。
ついで銃口も外してやるか、と善意でそう思った―――その瞬間。
真那の左手が僅かにブレて、狂三の両目に向かって砂粒が投げられた。
「⁉」
反撃はないだろうという油断からのこの事態。
狂三は咄嗟の判断で後方に下がり……すぐに失態を悟る。
そもそも、精霊の身である自分がたかが砂粒を恐れる理由などない。無論、目に入れば視力を奪われるだろうから回避するのは間違いではないが、それでもこれは大げさに過ぎた。
こんな大きく動いて避けなくても、ほんの僅かに身を捩れば済む話だ。つまり、これは狂三の失敗。
忌々し気に、狂三は真那を睨む。対し、彼女はしてやったりと言った表情で挑発的な笑みを浮かべている。
「はんっ、何を狙っていたのかは知らねーですが、当てが外れましたね。そんなくだらない妄言で、真那を騙せると思ってんですか?」
「……ハァ」
狂三は疲れたような息を吐き、やれやれと言った様子で肩をすくめる。
「盲信も度が過ぎると煩わしいですわ。……いい加減、その目を覚まして差し上げます‼」
「――っ」
「おいでなさい! 〈
狂三が天使を顕現させ……
その様子に、真那はニヤニヤとしながら挑発する。
「どうしたんです? お得意の天使は使わねーんですか?」
「……真那さん、貴女……気づいてますわね?」
「そりゃ、そんなに堂々とヒント出されりゃ、誰だって気付くでしょーよ。……時間を操る、そう言う能力……当たっていやがりますか?」
「……先ほどから
時間を操る天使。
真那がこれまで身を以て体感した不可思議現象と、天使の発動の際に必ず現れる時計。それらを組み合わせた推論だったが……狂三の発言で確信を得ていた。
時計の数字からエネルギーを吸い出している様子と、発現する能力が異なることから、数字に対応し複数の能力があると推測できる。
そこまではいい。問題は、どの数字がどんな能力を持つのかがイマイチ掴めないことだ。
だが、どんな
「天使の破壊……すぐに再生するでしょうけど、それまでは天使の行使はできなくなる」
「無粋な方ですこと。しかし、実に合理的ですわね……ならば、敢えて貴女の策略に乗って差し上げますわ!」
狂三は真那の戦法を理解し……その上で、彼女の土俵で戦うと宣言。
その言葉通り、彼女の背後に時計……〈
「悪ぃーですけど。こっちは別に、貴様との決着とかどーでもいいんです」
「?」
突然、真那がそんなことを言い出した。
脈略の無い発言に、狂三が訝しむが。
直後に、まさか、と思い振り返り、〈
「間に合ったようですね」
いた。
ノルディックブロンドの長髪。CR-ユニット〈ペンドラゴン〉を身に纏った最強の魔術師。
エレン・ミラ・メイザース。
女性は魔王の如く佇み、無言で〈
「なっ⁉」
「遅いですよ」
自身の天使がいとも容易く破壊されたことに驚愕する狂三。
そんなことはどうでもいいとばかりに、エレンは彼女の傍に迫り、刃を下から振るった。
光り輝く切っ先が狂三の細腕を捉え、弾き飛ばす。余りにも綺麗な傷口……だがそれ以上に、自身の霊装すら簡単に切り裂く力。
狂三は瞬時に己の不利を悟る。よくよく見れば、いつの間にか自身の分身たちは活動時間が切れた、もしくは倒されて消えている。
彼女は即座に影に潜伏。そこで〈
腕が再生したことを確認し、彼女は再び地上に
「やってくださいましたわね。ですが、次はこうはいきませんわよ」
「出やがりましたね、今度は逃がさねーです‼」
瞬時に対応した真那の攻撃。肩の機構が変形し、細い六閃のレーザーのような物が射出され、狂三の心臓を含めた致命的な部位を正確無比に狙う。
たまらず、狂三は舌打ちしながら影の中から脱出。真那の攻撃を回避する……しかし、自動追尾機能でもあるのか。彼女の攻撃は逃げた後も狂三を追い続ける。
いや、よく見れば、真那の手の動きに連動してレーザー軌道を変えている。つまり、この攻撃は彼女が手動で操作しているのだ。
素早い動きで、影を出た後も自身を追尾するレーザーを避け続ける。手に連動しているのなら、その動きから攻撃先を予測するのは容易いことだ。
だが、忘れてはならない。敵は真那一人ではないことを。
「不注意です」
「⁉ っ――!」
速い――!
気が付けば自身のすぐ近くにやってきているエレンに、狂三は背筋がゾッとするのを感じた。
最強の魔術師と呼ばれるだけのことはある。その動きに対応し、完璧にサポートする真那も流石だ。
これと、自分は戦わなければならないと思うと、気が滅入ってしまいそうだ。
だが。
(
銃声銃声銃声銃声銃声銃声。
発砲音が喧しく反響する。連続して放たれた弾丸は、正確無比にエレンの眉間と両手両足の関節、心臓を狙う。
だが、彼女はその全てをほぼ同時にすべて叩き払った。恐るべきことに、それらの動作を剣一本で、一秒も経たずにやってのけたのだ。
怪物というのは、彼女のためにある言葉だろう。少なくとも、狂三はそう思った。……尤も、同時に、
「覚悟‼」
「〈
ギリギリで、迫る斬撃を左の銃で受け、空いたほうの銃で能力を込めた弾丸を発射。まともに受けたエレンの体が、石造のように停止する。
危なかった。もし攻撃を停止させなければ、銃は簡単に折られ、自身の
しかし、攻撃の残り香のような圧力と重さが、狂三の華奢な体を冗談のように吹き飛ばした。
土煙を巻き上げながら飛ばされる彼女の体は、凄まじいスピードで飛行機の内部に吸い込まれるように入っていった。
直後に、何かに叩きつけられるような衝撃が狂三の背を襲い、口から鮮血が吐き出される。
「なっ、時崎⁉」
これが、狂三の今までの戦い。
ここからは、視点を変えてみよう。
次回、漸く状況が動きます