でも、すぐに死んでしまいます。 果て無き庭に少女が一人、寂しい彼女はお花を植えてみました。 でも、すぐに枯れてしまいます。 寂しい彼女は後を追うように身を投げました。でも、死ぬことは出来ません。 彼女は既に死んでいたのです。 ————————Frederica Bernkastel
不思議なカケラ
さっきからずっと、苦い。
まだ六月だというのに響き渡るセミの声や、そんな合唱を包み込んでなお余る大きな森の木々、見慣れた合掌造りの家屋群が、視界に入っては一瞬で消えていく。
僕はそれほどの速度で、この雛見沢の上空を疾駆していた。乱れた呼吸を整えるべく、少しだけ速度を落として、ちょっとだけ大きめに、息を吸う。
とはいえ別に、疲れたから……という訳ではない。「ぁひゃっ! 苦いのです〜!」と一人で騒いでいたのが、ちょっと恥ずかしかったからでもない。
……だって僕は、ただの傍観者だから。飛び回って疲れるという当たり前の事象にすら、干渉したくなかった。
風を切るように雲の下を飛び抜けるが、僕に抵抗する風の存在も、音も無い。そんな、普通なら当たり前のように存在しているべきである感覚すら、僕はとうの昔に忘れてしまっていた。
最後に、風の流れを一身に浴びたのは、はたしてどのくらい昔の事だっただろう……? そんな過去を懐かしむ、ふわりとした感情に少しだけ酔いかけたが、別の、もっと不快感をくすぐる嫌な酔いで、すぐに現実に引き戻されるのだった。先程から続くこの感覚。苦くて、クラクラして、すぐに身体中が火照ってしまう。僕はこの感覚が大っ嫌いだ。
あぅあぅ……でもこの味は、いつも梨花が飲んでいるものと趣向とは違う気がするのだけれど。まあいい。どうせ何時ものように、窓辺で呑んだくれて、やさぐれているに違いないのだ。ああ見えて、梨花は優しい。周りでドタバタと暴れて根気勝負に持ち込めば、愚痴を言いながらも、甘いオレンジジュースで薄めてくれるに違いない。
ふっと息を止めて、一際大きな森を一気に抜ける。そして長い階段をひとっ飛びすれば、もう慣れ親しんだ古手神社の防災倉庫兼家屋は、すぐそこに見えていた。
「梨ぃ花ぁぁああ!! いい加減に飲み過ぎなのです! あうあうあうあうあうあうあう!」
窓から、などと律儀に人の世のルールなど守らない。勢いよく屋根から飛び込み、叫び、狂い、のたうち回るように暴れてやった。ドタバタドタバタあうあうあうあう〜☆
……あれ? よく考えたら、窓から侵入するのも結局のところ、人の世のルールから逸脱した発想なのでは……? まぁいっか! あぅあぅあぅあぅ〜!!
「…………あぅあぅ、梨花?」
すぐに気づく、その違和感。何かがおかしい。部屋はいつものように薄暗く、周りの状況が読み取りづらい。でも、それでも違和感を感じるには十分なほどに、この部屋からは何か大事なものが欠けている気がする。
ふと、梨花がいるはずだった窓辺に手を添える。僕は触れる事は出来ないから、その感触は分から無いけれど、レールの溝に積もった薄い埃の層が、ここ数日ほど人の手に触れられていない事を静かに語っていた。
というか、そんなことよりそんなことより! 梨花がいないのです! 確かにこの近辺で存在を感知している、それは間違いないのに。それでいつものようにやさぐれて、呑んだくれていたら、梨花がいる場所はこの窓辺と決まっているのに! いつもと違う状況に、段々と焦りが募ってきた……あぅあぅあぅ。
それでどうしていいのか分からず途方に暮れてあぅあぅしていたら、僕のよく知る元気な声が、窓を通して建物の下から聞こえてきたのだった。
「おじさまったら、さっきから飲み過ぎでしてよー!! お家を出る前、散歩の途中、そして今! よく考えたら、ずぅーっと飲んでるじゃありませんのー!?」
「んー? ええんね、別に。飲み過ぎたところで死ぬもんじゃなし!」
鉄平はそう言ってかっかと笑いながら、右手に持つ一升瓶を再び口にする。しかし、もう中身が無いのか瓶を二度ほど振り、それを見て呆れた沙都子と、ほぼ同時にため息を吐くのだった。
「そーんなだから、下のお肉が膨らむ一方なんですのよー!」
「そしてあと十年もしないうちに病気で倒れて、残された沙都子がかぁいそかぁいそなのです、にぱー☆」
梨花はそう言って、ニコニコと満面の笑顔で鉄平のお腹を撫でている。
「なんね、二人して! わぁった、飲むのは夜までやめるから、それでええんな?」
「結局また飲むんですのー!? それじゃ全く意味ないですのことよー!!」
再び襲い来る、激しい違和感。何かがおかしい。このカケラは、普通じゃない。違和感だらけで僕の頭の中は既にあぅあぅ状態だ! あうあうあうあう〜☆
……じゃなくて! 落ち着け、クールになれ、あうあうあう!
ようやく梨花を見つけたのです。どうやら沙都子、そして意味がわからないけれど、鉄平とも一緒にいるらしい。でも、そんなことは僕にとってあまり関係のないこと。とにかくとにかく、梨花とコンタクトを取って、いち早く状況を整理しないと。
窓枠を潜り抜け階下を見る。三人で楽しそうに歓談している梨花達が、丁度僕の真下を離れてゆく所だった。そこへ目掛けて突進する!
「梨花ッー! これは一体どういう事なのですか!? あぅあぅ!」
「みー。沙都子、ボクはそろそろお家に戻りますです。お夕飯の準備をしないといけませんです」
「……あぅぅ、梨花?」
「あら、もうそんな時間ですの? それじゃあ、わたくしも今日のタイムセールに備えて準備ですわよー!」
「みー、今日もどこかで安売りなのですか?」
「今日はお豆腐が安いんでしてよー! なんと、脅威の七割引ですのことよー! 六時までには並ばないと、売り切れ必至ですわ!」
「じゃあ、ボクも一緒にお豆腐を買いますです。富田のお家に急ぎましょうです」
「梨ぃぃぃいい花ぁぁぁぁあぅあうあぅあう」
「というわけで、おじさまは先に戻っていらしてよー!」
「きぃつけんと、まだ日が落ちるのが早いんね」
「二人で一緒なら、何処にいても無敵なのですよ。にぱー☆」
「あうあうあうあうあうあうあうあう! 梨花ー!! 待つのですよー!」
無視されている、とはまた違っていた。まるで見えていないかのような、この扱い。これは一体どういう事なのだろうか。
ん、いや……いま確かに、梨花と目が合った。けれど、やはり僕なんていないかのように振る舞うのだ。
混乱してあうあうする僕を置いてけぼりに、さっさと二人で行ってしまった梨花を、僕は慌てて追いかけた。
——今にして思えば、あの時の僕は全く聞いていなかったし、気づくことも出来なかったのです。さっきから感じていた僕の嫌いな酔いや、違和感の答えが、すぐそこにあった事も……僕は気づけなかった。梨花は、やさぐれてお酒なんて、飲んではいなかった。飲んでいたのは、鉄平だった。でも、そんなの気付けるわけがなかったのです! だってだって、僕はただの傍観者で……いつもよりずっと不思議なカケラだって事も正直言って、どうでもよくて。僕はただ、梨花とお話がしたかったから。梨花が壊れないように、また次へと立ち上がれるように、けれどもその足が勇みすぎて、転んでしまわないように。もし仮にそうなっても、また立ち上がれるように。ただ側にいてあげる事だけが、僕の役割だったから。
だから、鉄平の事なんて見向きもしていなかったのです。右手に持っていた、もう殆ど中身の無い一升瓶を、諦め悪く今一度口にしながら、鉄平は”僕に向かって”言っていたのです。
「諦めるには、まだ早いんね。…………なあ、羽入」
昭和五十八年六月、綿流しのお祭りまで、あと一週間。何度も繰り返したその日の夕暮れは、今日も変わることもなく、ひぐらしの鳴き声と共に影を落とすのだった。
ひぐらし業を見終わった友達が、繰り返す者となった鉄平を見たいと呟いていたので書いてみました。
なるべく原作に寄せたキャラ作りを意識してますが、羽入、鉄平共にちょっと難しいキャラなので、違和感等あるかもしれません。ご容赦ください。