キミと双子の最後の戦場、あるいは正解を探す聖戦 作:ゆーえゆ
アーシャは
見下ろした鋼色の街並みから人々の悲鳴や狂騒が聞こえてくる気がして、ぎゅっと唇を噛んだ。
「——行きますか」
とん、と軽く床を蹴る。
ふわりと浮かんだ体を熱気が押し包み、夜の空へと射出した。空には道路も障害物もない。当然ながら車で向かうよりも遥かに早く到着することができる。
風を裂く心地良さに浸る余裕は今はなく、オーレルガン監獄塔へ急ぐこと約一分。
アーシャは現場の上空にたどり着いた。
地上を軽く眺める。
「ふむ。随分と野次馬が集まっていますね」
騒ぎを聞きつけた近隣住民と、おそらくは騒動を引き起こした者たち——帝国部隊が混じっているのだろう。
監獄から火災も発生していることもあり現場は混乱の極みにあった。常駐する鎮圧部隊や州の警務隊も統制の取れた動きができていない。
「本当に、どうやって国境を越えてきたのやら」
皇庁の国境の内に入るには星紋を晒さなければならず、星霊使いではない帝国兵が立ち入ることは不可能なはず。それを突破する手段を開発したのであれば今後も潜入される危険があり、急ぎ対策を用意しなければならない。
そして気になることはもう一つ。皇庁に侵入し、その上でなぜ
王女であるアーシャが分からないということは、皇庁でも上位の立場の人間、王家に属する誰かが裏切って帝国と内通していることを示している。
その陰謀の進む先にあるのは何か。
この騒ぎが、近い将来にくる本格的な戦いの序章に過ぎないのではないか。
「…………いや、今は考えるのをやめておきましょう。まずは今夜を乗り越えなければ」
アーシャはかぶりを振ってその不吉な予感を頭から追い出す。もうすぐアリスも到着するだろう。姉が来れば火災も止められるし、現場の指揮系統も復活する。アーシャはアーシャの仕事をしなければならない。
ふわふわと浮いたまま、目を閉じて集中する。
熱を操る彼女の星霊は付近の熱運動も敏感に感じ取る。しかも並の星霊使いや機械探知とは精度も範囲も別物であり、本気で意識を集中すれば数キロほどの広い範囲もカバー可能である。今回は炎が広がる中、大人数が集まる場所であるため、範囲を限定して精度を上げる。
脱獄した魔人の居場所を探すために。
人間が生命活動を続ける限り発している体温。たとえ星霊使いでもそれは変わらない。
建物の中か外か。部隊ではなく単独で行動する人間。まだ爆発からあまり時間は経っていない。そう遠くには行っていないはず。
「まあ、赤外線まで完全に隠蔽できる星霊があれば話は別ですが——————見つけました」
監獄の敷地内。火の手が上がる塔内から悠然と歩いて外に出ようとしている反応を捉える。火災への対応で慌ただしく走り回る人々とは明らかに異なる動き方だった。
アーシャは瞼を上げる。
「……星霊よ、しばし力を貸してください」
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「超越」の魔人サリンジャー。
若々しさと秀麗さを兼ね備えた彫りの深い顔立ちに、外見年齢に似合わない総白髪。上半身裸にロングコートという奇妙な出立ちをした青年。
口元に不敵な笑みを浮かべたその男は火の粉の舞い散る情景の中、建物の残骸を踏み越えて三十年ぶりの外の空気を吸い込む。
「ふん。天帝の飼い犬の言に乗ったとはいえ、つまらぬな。
自分を牢から出した女使徒聖は姿を見せない。騒ぎに乗じて逃げたか、あるいはこの混乱の中にまだ残っているか、もはやどうでも良いことではあるが。
今のサリンジャーにとって重要なのは自らの目的のみ。
星霊使いとしての高みへと至る。それが彼の目的。
騒乱に包まれた監獄塔を睥睨し呟く。
「しかし、この俺が凱旋するというのに拍手喝采のひとつもないとはな。諸手を挙げて迎えるのが礼儀であろうに」
「————生憎とわたしを含め、ここにいる者たちは罪人を歓迎するような礼儀は持ち合わせてはおりませんので、それについてはご容赦願いたいですね」
「む?」
周囲の炎がまるで生きているかのように形を変えて壁となり、彼の視界を遮った。自然にはありえない挙動。星霊術によるものだろう。
魔人をここから逃すまいと張られた結界にも動じず、サリンジャーは声を上げる。
「鎮圧部隊の者か。奴らが動くまではまだ時間がかかると見ていたが……
返事はなく。
代わりに炎の壁が揺らめき、主人の道を敷くかのように隙間を開く。
そして、金髪の少女が舞台に足を踏み入れた。
白地に蒼と銀を交えた色合いのドレス。燃え盛る炎の中であっても誰もが動きを留めて見惚れる静寂の美しさ。
「初めまして。魔人サリンジャー」
「貴様——!」
「鎮圧部隊に無駄に血を流させる訳にもいきません。脱獄して間もなくのことで申し訳ありませんが、あなたにはここで負けて牢に戻って頂きます」
少女にとっては初めて生で見る、皇庁でも未曾有の大犯罪者の姿。
しかし脱獄者にとってはそうではなかった。
「貴様、ミラベアか!」
「……? ああ、そういえば、あなたを捕らえたのが
その言葉に、サリンジャーは目の前の少女が自分の知る女王ではないことを理解する。
「……風の噂で、
「如何にも。ネビュリス八世が三女、名をアーシアニアと申します。以後お見知り置きを」
とはいえ顔を合わせるのはこれが最後でしょうけれど、と付け加えて、第三王女は魔人に対峙した。
「ふ、余興としては面白い。まさかあの女王の娘とはな。
どれ、中央州への手土産代わりに貴様からも『徴収』してやろう。
「あなたはここから何処にも行けませんし、わたしから何ひとつとして奪うことはできませんよ。他者の星霊を簒奪する盗人さん?」
その言葉にサリンジャーはにやりと笑い、右手を掲げる。
その掌には、彼の星紋がうっすらと光を放っていた。
『水鏡』の星紋。その力は他者の星紋に触れることでその星霊を奪い取るもの。女王の星霊を奪うために彼女に挑んだが故に彼は捕らえられた、と言われている。
「『気高きは血筋にあらず、理念に宿る』。王たる俺を盗人と呼ぶその不遜がどこまで通じるか、試してみるがいい!」
アーシャも無言で構えた。相手の星霊のことは聞いているが、それでどんな星霊を奪って保持しているのかまでは知らない。何をしてくるのか分からない以上油断はできない。
先に仕掛けたのは魔人だった。
「稲妻よ、
「っ!」
掲げた右手が輝き、凄まじい雷光がアーシャに降り注ぐ。「雷」の星霊による一撃。
身に纏うドレスは特注の戦闘用ではあるが、あくまでアーシャは生身の少女。強力な星霊術に打ち据えられればひとたまりもない。
しかし、その雷撃が彼女に届くことはなかった。
彼女の周囲に浮かび上がった炎の玉が彼女を守るように展開し、それに触れたサリンジャーの星霊術が霧散する。
発動の早い雷の星霊に劣らない速さ。それは強大な星霊が持つ自動防御。
一瞬の攻防の末、少女は無傷だった。
「ふむ。炎の星霊か? いや違うな。単なる炎塊ではああも雷が消えることはあるまい」
「応える必要は、無いですね」
次はこちらの番、とばかりにアーシャは背中の星紋を輝かせる。
彼女の手のひらに集まった炎が、矢となって魔人に襲いかかった。
「『叫喚せよ。流星は我が手にあり』」
アーシャの探知能力は特に人間に対してよく反応します。
原作8巻の「こだま」の星霊についての会話を参照。