藤丸立香は死に戻る 作:ららら
ああ……これはもうダメだ……。
それが目の前で寝転がる少女を見つけた時の感想だった。
瓦礫に下半身を潰された小さな体。素人目で判断できるほど、彼女の体はひどく損傷している。
出血多量で死ぬか、それとも激痛に耐えかね死んでしまうのか。死因なんて分からない。
しかし、それでも目の前の女の子が死ぬことだけは悟ることができた。
「………………、あ」
か細い息で吐き出されたその声とも思えない言葉に、思わず足がすくむ。初めて見る人の死に際。少しでも息を吹き掛ければ消えてしまうのではないか。そう錯覚してしまうほど、その命の灯火は、小さく、儚い。
「はやく、逃げて……」
死が直前に迫っているはずなのに、その少女は他人を気にかけるための言葉を発した。
痛いはずだ。体が瓦礫に押し潰されているのだから、肺には血が溜まっている。溺れかけている状態で、彼女は命乞いをするためではなく、他人の人命を優先して息を吐き出した。
それがどれだけ辛いことなのか、そんなものは分からなかった。ただ見ていてとても辛そうで、とても痛いとしか思えない。そんな己の無力さに思わず拳が固く握られる。
気がつけば少年は、瓦礫を持ち上げるために、火で焼かれた土塊を手に持っていた。じゅぅと皮と肉が焼ける音がする。瞬間、少年の手には幾本もの針で刺された時のような痛みが走った。
置いていけない……こんなところに置いていけるわけがない。
自然と少年の脳内はそれだけで満たされていた。持ち上げられる保証なんてない。手は痛みに支配され、力を入れている感覚すら無くなってきた。いやそもそも、人力ではどう見ても彼女の上に乗った瓦礫は持ち上げられないだろう。
しかしそんな絶望的な状況でも、男は少しも力を緩めようとはしなかった。
「う……めて。もう、やめて……」
「嫌だ――――!!!」
頭の中ではとうに理解できている。この瓦礫を持ち上げても、少女は這いずって出てくる力なんて残されていない。だって下半身は既に潰されているのだから。地面に伝わって流れる血の量が、それを確かに物語っている。
であれば、彼女の言う通り今は逃げるべきなのだろう。この燃え盛る中央管制室はもうすぐ閉鎖される。閉じ込められては煙で自分も死んでしまうかもしれない。
けれどその考えを男は殴り捨てた。知ったことかと、それがどうしたんだと、脳内から甘えを一蹴した。
だって目の前にいるこの娘に死んでほしくないから。自分のことをすらも顧みず、他人を思いやれる優しいこの娘を、男は見捨てようとは思えないのだから。
『——中央隔壁を閉鎖します。室内にいるマスター候補生は準備をしてください』
そんなアナウンスが管制室に響き渡る。
はっとなって後ろを見れば、先ほど入ってきた通用口にシャッターが降りるのが見えた。
これではもう誰も外に出ることなどできない。彼女を瓦礫から引きずり出せたとしても、既に男と少女の死は決定した。
「……すみません、私のせいです」
震えた声で少女は言う。
わなわなと彼女の方へ振り向けば、少女は静かにすすり泣いていた。
なんで、こんな時まで他人のことを……。
男は持ち上げようとしていた瓦礫から手を離し、ぱたりとその場に座り込んだ。酷使した手のひらを見れば、見たこともない重度の火傷を負っている。真皮すらも貫通し、肉すらも焼けているだろう手。こんなになるまで気がつかなかったのは、本当に死に物狂いで力を込めていた証拠なのだろう。
「……そんなことないよ。きっと、なんとかなるから」
男はふっと息を漏らし調子を整える。自分まで悲観的な表情を見せれば、きっと彼女は死ぬその瞬間まで罪悪感に押し潰されてしまうと思ったから。
それだけはあってはならない。自分の我欲を押し通した結果、彼女の罪悪感を煽るだけの結果だったというのを男は許せなかった。
「マシュは、大丈夫?」
平然を装いながら問いかけてみる。
今から死ぬことは怖いが、それ以上に目の前の女の子の心の安静が気になった。
気休め程度の問いかけに、何の意味もないかもしれない。それでも、彼女は最期くらい自分のことを気にかけてやるべきだと、少年はありきたりな善性をもって判断した。
「せんぱ……い……ここは、ちっとも……空が……見え……」
「――――っ」
大分、聴力もやられてきたのか、少女はあまり喋れなくなり始めた声でそう言う。
頬に伝う涙は火のせいで枯れてしまったのか、もう一筋も見えない。
青空が好きだと語っていた少女。
いつか本物の空を見てみたいと夢見ていた少女。
そんな彼女が今日ここで死ぬ。
男はそのやるせなさに、先ほどまで我慢していた激情が湧き出しそうになった。
「っ、そうだね……ここは吹雪ばっかりだから、いつかはマシュに青空を見せてやりたいな」
男は訳もわからないままそう呟いていた。
きちんといつもの調子で喋れているだろうか。
自分は彼女に笑顔を向けられているだろうか。
いくつもの不安が胸中に渦巻いては、消えて再燃する。
少しだけ夢見てしまった、彼女と見る青空。太陽が燦々と輝いて、暖かな陽光はきっと彼女をどこまでも幸福に照らし——――そんな、誰もが享受できる当たり前な幸せを、少年は夢見てしまった。
「すみません、先輩……。手を……」
そこまで考えると、少女が手を差し出してきた。さっきまで他人のことばかり気にして、一つも願いを言わなかった少女が、少年へ最期のお願いをしたのだ。
だから少年は何も言わずその手を握ってやる。人体の温もりなどほとんど感じない柔らかな手をそっと包み込んでやる。己の温かさを少しでも分け与えられるようにと願いながら。
しかし―――、
「マ、シュ……?」
すっと握った手から、力が抜け落ちるのを感じた。
かすかに動いた指先が、自分の手に引っかかりもせず離れていくような――そんな感覚がした。
『全工程完了。ファーストオーダー開——』
ゴォン!!!
そんなアナウンスが流れ落ちる寸前。少年が居た管制室がさらに崩落した。
降り落ちるものは遍く人に死を招く災害。当たれば即死するのは間違いない凶器たちである。
「あ……」
不可避の現実。今からどのように行動しても、それを避けることなど男にはできない。
迫り来る等身大以上の瓦礫を目前に、少年——藤丸立香は、その日を持って命を落とした。