藤丸立香は死に戻る   作:ららら

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第十一話 光を目指す虫

「時間はかけるつもりはない。おまえのような下等な生物に割く時間もない――故に、手早く済ませるとしよう」

 

 凍てつく寒さのように低い声音で言って、レフは2歩前進する。

 立香を害すると決めた以上、レフにとってこれから行う営みは、近所の喫茶店に茶を飲みに行くよりも容易かった。男の仕草には欠片の緊張もなく、いっそ欠伸を噛み殺すような態度すら垣間見える。

 

 そんなレフに対し、立香は隙もなく身構える。

 

 依然として恐怖はある。膝は笑っているし、心の持ちようも重い。一瞬でも気を抜けば、次の瞬間には殺されているのではないか。漠然とした不安感が身を支配し、体の関節を固くさせている。

 

 だがそれに負けず劣らず、立香には怒りの感情もあった。

 

 目の前の男が諸悪の根源であることにいまだ変わりなく。多くのカルデアスタッフを――ひいては、無力な少女(マシュ)を何度も殺した事実は、立香の脳裏から消えてはくれない。

 ここで臆してしまえば、また彼女が死に目にあう。

 それだけではなく、この男が人を殺すことに何の抵抗も浮かべない外道であることを、立香は三巡目のときに、わが身をもって証明していた。

 

 であるならば。

 

 ぎゅっと握りしめた拳を前へと突き出し、立香は見様見真似のファイティングポーズをとる。

 

 それを見て、

 

「正気かね?」

 

 とレフは問うた。

 

 その疑問も当然だ。なにしろ立香は、喧嘩というものをあまりしてこなかった。人を本気で殴った経験なんて、片手の指で足りる程度の人生を歩んできた。ましてや、己に殺意をぶつけてくる相手と相対したことなぞ、彼の平凡な人生において見当たるはずもない。

 

 だが、それがこの場を退く理由になりえないのも、また事実であった。

 

「いやはや、人間とはかくに愚かな生物だと知っていたが、君ほどの愚昧な人間も、私はこれまで見たことがない。少しでも抵抗して時間を稼ぐつもりだけなら、もっと別の」

 

「はあああああ!」

 

 そうレフがあきれ返るのと同時、立香は渾身の右ストレートを放つ。不意打ちのくせに、感情の高ぶりのあまり、怒声が轟いた。

 遅い、とろい、鈍いの三拍子。人を打ち抜く強打というには、あまりにお粗末な攻撃であろう。それでも青年が放った拳には、明確な敵意が乗せられていた。

 

「ヒトの忠告は最後まで聞くものだよ、藤丸君」

 

 しかし、言ってしまえばそれだけの拳である。

 

 ノーモーションから放たれた空気の塊。杖の中央部分から射出されたのだろうそれが、立香の鼻先を正確に捉え返り討ちにする。

 続けて、側頭部、胸、腹と、まるで同時に打たれたような感覚が立香を襲った。激しく走る視界の隅では、杖を振りかぶったレフが映り込み、そこではじめて己は杖で殴打されたのだと悟る。

 

 たった一瞬の、瞬きをするような交わりだけで、立香の四肢は地につかされた。杖の直撃を受けた横隔膜は痙攣し、息を吸うことすら困難な状態に陥らされる。

 

「あ、がぁ、ぁ……!」

 

「無様だな。最初の威勢はどうした?」

 

 レフの軽口に呼応し、それでもと腹に力を入れた立香は、気合と火事場の馬鹿力だけで立ち上がり、横隔膜の痙攣を止める。

 見たまま素人の動きで吶喊し、獣のような唸り声をあげるも、レフの無慈悲な膝蹴りが、立香の突進を強制キャンセルさせた。

 

 涙と汗と血が入り混じった体液がタイルの上に飛び散る。レフはそれを「あぁ」と面倒くさそうに見つめたのち、肩口を容赦なく杖で粉砕してみせた。

 

「があああああっ」

 

 痛みのあまりうめき声が木霊する。が、それも煩わしいと思われたのか、レフは無造作に立香の顎を蹴り上げ黙らせた。

 いまだ歯が砕けていないのが不思議なくらいである。たらりと垂れた右腕は、あがりそうにもなかった。

 

「何故、そこまで私を敵視する? 何故、そこまで私を憎む? 君の原動力が全くの謎だ。私がしようとしていることを看破したところで、今日新任してきた君には関係のないことだろう」

 

「うる、さい……お前に教えることは、なにも、ない」

 

「ふむ、やはり吐く気はないか。つくづく面倒だな、君は」

 

 レフはそう言って、動けなくなった立香を蹴り飛ばした。衝撃のあと、床との摩擦熱が皮膚を通して伝わってくる。

 

 なにがあっても、レフに情報を与えるわけにはいかない。

 この場において、立香がレフにもっているアドバンテージは、唯一、得体の知れない気味の悪さのみである。

 それを易々と手放してしまえば、この均衡は簡単に崩れてしまう。

 

 レフは立香が何者か聞き出すまでは殺すつもりがないだろうことは、先の会話で分かっていた。

 今もまだ、立香が五体満足で生きられていることが何よりの証拠であろう。でなければ、レフはさっさと立香を殺し、この中央管制室から去っている。

 どれだけ相手が憎かろうとも、いま己が生き延びている理由が自身の奮闘によるものだとは、立香も到底思えなかった。

 

 さっきのカウンターで脳が揺れたのか、いま自身がどのような態勢でいるのかすら曖昧に感じる。脳内麻薬が分泌されているせいか、いつの間にか痛みだけは感じなくなっていた。

 しかし、それを踏まえても満身創痍であることに変わりない。

 

 勝算はゼロ。一矢報いる可能性すら万にひとつ。

 

 光明は、やはり誰かが助けに来てくれること。レフがここに来てどれだけの時間が経ったのか考えるも、その思考すら朧となる。

 これだけ派手にやっているのだから、なにかしらのシステムが働いてくれることを望むばかり、であるのだが。レフは立香の思惑をすべて見通しているような眼差しで、その剽軽な口を開いた。

 

「心配しなくとも、ここのシステムは一時的にストップしているよ。どれだけ暴れようと、なにかが作動することはない。……と言っても、それも残り5分の話だが」

 

「そう、ですか……だったら、あと5分、持ちこたえるとします」

 

 立香は己に気合を入れなおし、再びファイティングポーズをとる。

 が、一回目の時と違い、なんとも笑い種の構えだった。右腕はあがっておらず、顎先をガードするように出された左腕も痙攣してしまっている。

 どころか、相手を見据える目は、半ば薄れゆく意識に引っ張られているのか、焦点が合っていないようにすら思えた。

 

「勘違いさせたようだが、さっきまでの攻防は30秒といったところだよ。それを残り10回も耐えられるのか?」

 

「やってみないと、分からない、ですね」

 

 弱気な自分を押し殺し、立香は毅然とした態度を貫くように言ってみせた。

 しかし、内心では理解している。この男を足止めするのに5分。それは現実的に考えて、不可能な領域だと。

 

 レフも理解しているのか、呆れたように、そして蔑むように、首を横に振り杖で床をたたいた。

 

「はぁ……君が強情な男だということを私も認めよう。だが、もう満足しただろ? 私も少しは気分が晴れた。これ以上の戦闘は無用だ」

 

「ふざけ、るな……!」

 

「それはこちらのセリフだよ、藤丸君。ふざけるのも大概にしてもらいたいものだ。君のその愚かしさを尊重し、猶予を与える。何もかも取り返しのつかなくなった後、再び君の情報源とやらを聞き出すとしよう」

 

 マズい――――。

 そう思うも虚しく、立香の鳩尾に見えない砲丸のようものがめり込むのを感じた。立香からすれば、予備動作なしでの攻撃。されど、魔術を知っていれば、レフの行動すべてに意味があったのだと思わされる。

 

 前のめりに倒れこむ立香。

 意識は次第に薄れ、やがて息をのむ暇すら与えられることなく、彼の意識は完全に刈り取られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ピピピ、ピピピ。

 

 暗い部屋の中で、電子音だけが響いていた。

 まどろみのように重たい瞼がぴくりと動き、その音だけを頼りにして、立香は意識の海より浮上する。

 

 覚醒してみれば、全身に残る痛みが駆け巡った。少しの間、それに悶絶し息を短く吐けば、口内に血の味が広がる。

 

 痛みを感じるということは、生きているということ。

 あの状況から自分は生き延びたのだと、立香はそこでようやく知ることとなった。

 

「っ―――時間、は……!」

 

 どれだけの間、眠っていたのか。

 どれだけの間、時間を無作為に浪費してしまったのか。

 

 その事実を知ることに、たまらなく恐ろしさを感じながらも、立香は自身の腕についていたはずの端末を見ようとする。

 が、しかし、肩口が粉砕されたせいで、自由に右腕を持ち上げることすらできないできない。

 

「くそっ……!」

 

 行き場のない怒りが声となって表れた。

 

 あの時、レフと対峙した瞬間。

 なんとかしようとする心づもりはあった。なんとかしなければという焦燥感があった。なんとかしたいという願いも嘘ではなかった。

 

 だというのに、

 

 レフを前にした藤丸立香は、何も果たすことはできなかった。

 

 故に、生き残ってしまった、と言う表現が正しいのかもしれない。

 あの場を切り抜けるために最善を尽くしたつもりだったが、思えば、一番どうにもならない手札を切ってしまったと後悔すら覚えてしまう。

 もう一度、死に戻る保証なんてないけれど、それでもあの時、レフに殺されておいてさえいれば、また違った未来を勝ち取ることができたのではないか。

 そんな嫌気のさす考えばかりが脳内にこびりつき、だんだんと立香は自分のことに暗い影を落とす。

 

「…………()つ」

 

 何もしていないのに、息をするだけでも、肺がひりひりと痛んだ。こっぴどくやられたものだと、自嘲する元気すら起こらなかった。

 

 拷問にしては生ぬるいが、一般人を再起不能にするだけであれば、十分な傷だろう。体のあちこちが打撲傷によって、ろくに動きそうにない。神経すらも麻痺しつつあるのか、体の末端に至っては、健常な時ほどの繊細な動きができそうになかった。

 

 レフは立香をここに監禁し、隙を見て、もう一度情報源を洗いにくるはずだ。

 何もかも取り返しがつかなくなった後――つまりは、カルデアスタッフを爆殺した後。今度こそ、自分の正体を知った原因を追求するために、立香の元を訪れるのだろう。

 

 爆発物を見つけはしたが、あの後、レフがどう動いたのかは予想ができない。立香を監禁する時間を鑑みると、場所を移す暇もなかっただろうし、なにより移す作業のほうがリスキーのはずだ。

 であれば、依然、中央管制室に爆発物は残ったまま。いや、気を失っていた時間によっては、もう爆破が起こってしまっているとも言える。

 

 またあの悲劇が繰り返されたのか。

 打ちのめされた立香には、そのようなネガティブな発想しかできなかった。確かめる手段こそないが、そのように考えると腑に落ちてしまう自分がいた。

 

「ごめん、みんな……俺の、せいだ……俺のせいで……」

 

 懺悔の言葉が粛々と呟かれる。

 自分のような無力な人間が、何かを成そうとしたところで、大局は変えられなかった。そんなこと、もうすでに理解させられたと知っていたはずなのに、なぜか涙は枯れてはくれない。

 

 悔しい。痛い。辛い。

 

 言葉を漏らすたびに、体の悲鳴が聞こえてくる。頬を伝う涙が傷を舐め、沁みるような鋭い痛みを脳に伝達させる。胸中に渦巻く負の感情は、身を焦がしにくるように、じりじりとつま先から頭のてっぺんまでを汚染していく。

 

 これでまた、みんな死んだ。

 

 マシュも、所長も、ダストンも、Aチームの人だって。みんな爆発に巻き込まれて死んでしまった。

 

 人が死んだ様を見た。

 人が死ぬ間際を見た。

 少女の体温が、熱量が、意識が奪われるその瞬間を、ただ黙って見ていることしかできない自分を呪った。

 

 許せないと憤っても、自分にはこの程度。藤丸立香という人間は、どこまでいっても無力であり、どれだけ努力しても届かない頂というものは必ず存在する。

 

 努力は人を裏切らない。

 

 ふざけるな、と吐き捨てたくなった。そんな言葉は努力すれば叶うことしかやってこなかった人間の戯言だ。この世には、何をしても不可能という不条理がたくさんある。

 

 もう聞きたくもない。

 もう見たくもない。

 

 そう願ったはずなのに、自分だけがのうのうと生き延びてしまった事実に耐え切れなくなり、とうとう立香にくすぶっていたナニカが堰を切った。

 

「あ”あ”ぁ”…………!!」

 

 言葉にもならない汚濁な嘆きを口にして、地面に頬を擦り合わせて叫ぶ。

 手足が動かないことが疎ましかった。何もかもを台無しにするレフが恐ろしかった。幾度となくチャンスを与えられて、その全てを無為にしてきた自分が悍ましかった。

 

「俺なんか、が、俺なんかのせいで……!!」

 

 もはや、吐き出す言葉に意味はない。全てを打ち砕かれた少年は、ただひたすらに、自分を責め立てるようなことを口走る。喉を枯らすこと以外、この向けようのない怒りを発散する術を持ち合わせていなかった。

 

 もう誰も生きていない――そう思った時、

 

 

「また何か叫んでいるのか」

 

 

 暗い空間に、声がかけられた。

 ずっと来ないと思っていた奇跡。それが目の前で起きた。

 

 部屋の中に誰かが入ってくる。その男はいとも容易く、まるで隣人の部屋を訪ねてくるような気軽さで、それを吐いた。

 

 立香が見上げると、特徴的なブーツとコートが目に入る。栗色の髪が男の歩調に合わせてなびき、鋭い眼光は立香を決して見下すようなものではなく。

 

 その男は立香の目の前まで歩み寄ると、落ち着いた動作で腰を落とした。

 

「デイ、ビットさん?」

 

「それ以外なにに見える」

 

 デイビットは相変わらず表情の読めない面貌で、満身創痍の立香を見た。

 

 

 

 

 

 

 彼は、生き残ったのだろうか。

 立香はその事実だけで、少しだけ報われたような気がした。

 全員死んでしまったと思った直後、生き残りがひとりでもいてくれた事実が、たまらなく嬉しかった。

 

 もしかしたら、ほかにも生き残りがいるのかもしれない。

 いいや、そもそも誰も死んでいないのかもしれない。

 

 その希望に縋るべく、立香は芋虫のように体を這いずり、デイビットの足元へと近づく。

 

「みんな、は……? ほかの人は、無事なんですか……?」

 

 立香の問いかけに、デイビットは沈黙で返した。

 

 なぜ、なにも言ってくれないのか。

 その理由を考えようとして、途中でシャットアウトする。

 デイビットの口から真実を告げられるまでは、まだ分からないと、そう己に言い聞かせて耐え忍んだ。

 

 しかし、その心の逡巡も、やはり1秒も満たず。

 

 

「残念だが」

 

 

 そう告げられたことにより、立香の希望が瓦解した。

 

 否定して欲しかった。まだみんな生きていると、デイビットの口から発してほしかった。そう言われるだけで、どれだけ救われたことか。

 

 けれど返ってきた言葉は、無慈悲なもの。デイビットは立香の予想の反応をことごとく裏切り、ただ哀切と痛ましさをないまぜにした瞳で立香を見てくるのみだった。

 

「嘘、でしょ……嘘だと言ってくださいよ」

 

「……」

 

「沈黙なんて、しないで、くださいよ。何か言ってくださいよ……でないと、本当に、誰も生きてないって。みんな殺されたって」

 

「……」

 

「俺、頑張ったんですよ……? ちゃんと、爆発物も見つけたんです……だから、だからだからだから! お願いだから、誰も死んでないって、一言でいいから、言ってくださいよ!」

 

 何度も何度も頭を打ち付けて、懺悔する立香。

 レフに見つかるヘマをしなければ、今頃、みんな生きていたのではないか。爆発物を早急に見つけてさえいれば、みんな死なずに済んだのではないか。

 

 感情が制御できないでいた。

 一度爆発したそれは堰を切ったように溢れ出し、これまで虚勢を張り続けた臆病者の顔を涙で盛大に汚していく。

 

 涙が止まらない。鼻水が垂れてくる。口の中にわけのわからない液体が溢れ返り、嗚咽まじりの立香の泣き声をさらに聞き苦しいものへと変える。

 

 すべて自分のせいだと、そう思い、ふさぎ込む彼の姿を、デイビットは不思議な眼差しのまま見つめ続けていた。

 

「お前は、なぜそれほど悔いる」

 

「なぜって」

 

 なぜこのような問いかけをされているのか、立香には分からなかった。

 聞き返してみても、デイビットの本意を見抜くことはできそうにもない。

 

 いっそのこと、デイビットが口汚く罵ってくれた方が楽になれると言うのに。それでも、彼は何も救えなかったと自暴自棄になる立香に、あえて冷静に問いかけ続ける。

 

「見たところ、体の損傷はかなり酷い。無理をすれば、何かしらの障害を残すだろう。そんなリスクを犯してまで得られた対価は何だ? お前が本当に目指している終着点はどこにある?」

 

「……分か、りません、そんなこと。なんでとか、どうしてとか、どこを目指すとか、そんな理由知りませんよっ!」

 

 だから、立香も困惑した頭のまま、絶望に陥った精神のまま、がむしゃらに思いの丈をぶつける。

 

「ただ救いたいって思ったんです! 自分にしか、できないからじゃない、ただ救える可能性が一ミリでも残っているのなら、俺はそれを切り捨てたくないし、見捨てたくもない! 諦めたくないっ!」

 

「それが己を殺す選択肢だとしてもか?」

 

「ええ、そうですよ! 悪い、ですか!? 死にたくなんてないですよ、どれだけ死んだとしても、死ぬことに慣れるなんて一生ないでしょうね! 他の誰かが救ってくれるなら、喜んで任せたいですよ!」

 

「だったら」

 

「でも、それでも……最期に、あの子の願いを聞いてしまったんです……青空を見たいって……ただの女の子みたいな願いを、俺は聞いてしまったんです……。だったら、もう、あんな顔のまま、見たいものも見れず死ぬなんて、それこそ間違ってると、否定するしかないじゃないですか……」

 

 藤丸立香の中に、高尚な願いなんてものは存在しない。

 ただ、一人の女の子が吐いた願いを叶えたいがために、そのためだけに邁進して。そのためだけに痛い経験も、辛い気持ちも押し殺して頑張ってきた。どれだけ茨の道であろうと、あの子が死ぬ未来を否定してやりたいと、そう思っただけの、人並みな願いしか、藤丸立香は持ち合わせていない。

 

 そこに損得勘定なんてものは存在しないのだろう。善悪が介入する余地すらないのだろう。

 

 ただ一人の少年として。

 どこにでもいる平凡な男として。

 ただ自分のことよりも他人のことを気遣ってしまう心優しい少女の幸福を、心から願うひとりの人間として。

 

 

 藤丸立香は、ここまでひたむきに走り抜けてきた。

 

 

 その結果に打ちひしがれようとも。

 例え、どれだけ困難な道であろうとも。

 ただ、それだけのために、彼はここまで頑張ってきた。

 

 

 だが、それを聞いたデイビットは告げる。

 

 

「――まるで光を目指す虫だな」

 

 

 冷徹な声音で漏らされた一言は、立香の激情を煽るには十分なものだった。

 

「っ――――!!」

 

 刹那、立香はろくに動きそうになかった体を、ばっと起き上がらせ、不自由な腕で彼の胸倉をつかみ取ろうとする。

 が、体は言うことを聞かず、その努力も地面へ再びダイブするという徒労に終わった。

 

 デイビットはそんな無様な立香を見下ろす。

 

「何が、分かるって言うんですか……! まだ一度も死んでないくせに、お前に何が分かるって――――」

 

「ああ、俺には分からない。だが今の問答で確信は得た。お前は信頼できる人間だと」

 

「ふざけ――……え?」

 

 いきなりのセリフに、再び起き上がろうとしていた立香の動作が止まってしまう。

 デイビットは、なんと言った?

 人を侮辱するような発言をしていたと思ったら、いきなり「お前は信頼できる人間」などと吐きこぼした。

 

 いきなりの手のひら返しに、立香は不意打ちを食らったように呆然とする。

 

「すまない、言葉の順序が逆だったな」

 

「え、いや、どういう……」

 

「……ある男が言っていたんだ。人間の定義とは、誰からも教わる事なく、善いことをしたがるものだと。それは、虫が光を目指すようなものだと。お前はその尺度から見てみれば、最も人間らしいと言える」

 

 先程まで感情が薄いように見えていた彼の表情から、いくばくかの寂しさがあるように立香は思えた。

 

 されど、それも一瞬のこと。泡沫のようにデイビットの顔から寂しさが霧散すると、次には初めてあった時と変わらない、何を考えているのか読み取れない表情へと移り変わっていた。

 

「真意が見えなかったからな、多少荒いがこうして聞き出す必要があった。なぜ一般人のお前が、レフ・ライノールの所業を知っているのかと。それを知って何を為すつもりなのかと、試す必要があった」

 

「いや、あの、どういう意味ですか?」

 

「俺からみてみれば、お前もレフ・ライノールと共犯の可能性は捨てきれなかった。そうでなくとも、魔術による催眠も視野に入れていた。俺が白だと断言できる人間は、誰もいなかったというわけだ」

 

 デイビットの説明に、立香は初めて遭遇したときのことを思い返す。

 たしかにいろいろとデイビットに説明はしたものの、それを十全に信頼できるとは言い難いものだった。ましてや、デイビットから見てみれば、なんの魔術耐性もないはずの立香が、自分と同じく今日起きるであろう未曾有の出来事に備えている。

 それだけでも、十分警戒に値すると思われても不思議ではない。

 

「だが、それも杞憂だったな。先の問答で確信した。お前はただ善いことをするために全力だった人間だと」

 

「デイビットさん……でも、今更信用してもらえたところで、もうどうしようも……」

 

 みんな死んでしまったのだから、そう告げるのすら憚られる。

 

 しかし、デイビットは軽く口角をあげると、立香を起き上がらせる。よろめきながらも立香は己の二足で地に踏みとどまり、砕かれた肩口を庇うようにして立った。

 苦虫を噛んだような顔をする立香を見て、デイビットは「あまり動けなさそうだな」と短く言う。

 

「先に言っておく、まだレフによる爆破は起きていない。ファーストオーダーもまだだ」

 

「え……? でもさっき、『残念ながら』って……」

 

「そう思い込んでいるようだったので、利用させてもらった。厳密には、あと20分でファーストオーダーが開始される。まだ誰も死んでいない」

 

「っ!!?」

 

 まだ、みんな生きている。

 そのいきなりの真実に、立香の心が暴発しそうになった。

 

 生きている、生きている、生きている。

 何度も繰り返し頭の中で復唱し、その実感が芽生えてくれば、言葉にしがたい震えが全身を駆け巡る。

 枯れ果てたと思っていた眦は熱くなり、自然と涙が零れそうになった。けれどまた泣いてなるものかと、息を吐き、袖で拭ってみせる。

 

 すぐに頭を切り替えた。

 

「じゃあ、早く爆発物を処理しないと、ですね」

 

「ああ。だが、レフ・ライノールの警戒心も上がったようだ。ドクター・ロマニも、今は仕事に忙殺されている。ファースト・オーダー遂行のための仕事を与え、下手なことをさせないつもりだろう」

 

「やっぱり、そうですか……俺が協力を仰いだ人も、レフ教授に妨害をくらったようで――――って、あれ? デイビットさんは何もされてない?」

 

「姿を眩ませているからな。ヤツからすれば、俺はステルス生命体というわけだ」

 

「ステルス生命体って……そんな、透明人間でもあるまいし。一体どうやって?」

 

「ヤツの監視方法は腕型の携帯端末だ。そこから音を拾い、居場所を特定する。それを外してさえいれば、問題ない」

 

 そう言って、デイビットはずっと鳴っていた電子音の発信源を探す。暗がりの奥、なにか棚の下にでも入り込んでいたのか、それを拾い上げて、立香へと見せた。

 

 その正体は――立香へと預けていた腕輪の携帯端末だった。

 

「へー、そうだった――――」

 

 と、そこで立香は固まった。

 

 レフが監視していたのは、最初から藤丸立香ではなくデイビットなのではないだろうか。だから、立香がデイビットと接触した段階での会話を盗み聞きしていた。

 そう思えば、すべてがつじつまが合う。

 レフがいきなり中央管制室に現れたのも。

 デイビットがフリーで動けている理由も。

 なにより、レフの動きが異常に素早かったことも。

 

「もしかして、俺を囮にしました?」

 

「? もしかしなくとも、囮にしたが。言った通り、お前はレフ教授との共犯の可能性もあった」

 

「…………」

 

 そうして今更ながらにして、デイビットは立香の腕の拘束をとくと、ついでに端末を横取りし、自分のと合わせて踏み壊す。

 

 すごく今更な気がするんだけど、と思った立香であったが、わざわざ口に出したりはしない。デイビットの顔からは、今この瞬間で破壊することこそ最善だったと思わせるだけの凄みがあったためだ。

 

「いや、今はそれについてはいいです。いや、よくはないんですけど……てか、やばいんじゃ!? さっきまでの会話、レフ教授に聞かれてるってことですよね!?」

 

「そういうことになるな」

 

「そういうことになるなって、それじゃやばいでしょ!?」

 

「どのみち、この部屋に俺が押し入ったことは既にバレている。その上で、レフ教授は何もできない。というより、もう何かをする余裕がないということだ。中央管制室には俺たち2人以外の全スタッフが集結している。それらを爆殺できれば、ヤツの勝ちだ」

 

「――――!?」

 

「ヤツは今頃、俺たちの動きを感知し、早く爆破させるタイミングを見計らっているだろう。だが、どのように動くか分からない敵より、どのように動くか分かっている敵のほうが御しやすい」

 

 そう言って、デイビットは置いていたバッグを立香へと押し付けるように渡す。片腕しか使えない立香であったが、かろうじて重量10キロにも満たないだろうそれを持つ。

 中身を見てみるが、立香には分からない器具がはいっているだけのようだ。爆発物を解体するための道具……だろう。たしかめる術はないが、いまはこれの用途を聞くのも口惜しい。

 

 デイビットも一秒たりとも無駄にしないタチなのか、無用な言葉は吐かずに続ける。

 

「ヤツが狙う爆破タイミングは、マスター候補生がコフィンに入っている時だ。でなければ、誰かしらの妨害にあう。それまでに、お前が中央管制室へと飛び込み、レフ・ライノールの排除・爆発物の処理を同時進行しろ」

 

「そんな無茶苦茶な……それより、デイビットさんは来ないんですか? 俺だけじゃ、どうしようもないと思うんですけど……」

 

 立香がそう言えば、デイビットは押し黙ってしまう。

 しばらくして、その鋭いまなざしが暗がりの部屋の奥を見た。

 

「さっき、レフ教授が何もできないと言ったが、あれは言葉の綾だ。正確にはレフ教授自身は何もできない」

 

「え? っ――――」

 

 なにか含みを持たせた言い方に立香が首をひねると、デイビットが容赦のない突き飛ばしをした。

 

 身体が五体満足とは言えない立香は、重い荷物を持たされていたのもあって、抵抗する暇もなく後ろへと倒れこむ。お尻を床に強打させるが、後ろに倒れたことで、部屋の外へと出られたことが分かった。

 

 そしてデイビットは続けて、立香へと背を向ける。

 

「ヤツ自身が来なくとも、妨害手段は既に用意されている。それが魔術師というものだ」

 

 そこまでデイビットが言うと、暗がりの中から形容しがたい怪物のようなものが複数体現れた。

 現実に存在するとは思えない個体も複数混じっているように見える。あまり動物に詳しくない立香でも、目の前にいる生物が、なにかしらマズイものだということは察することができた。

 

「え……な、なんですかこれ?」

 

「レフ・ライノールの使い魔だろう。ここはカルデアスタッフもほとんど寄り付かない場所だ。人目を気にせず、こういうのも設置できる」

 

 短くデイビットが告げると、斥侯として飛び出してきた犬の姿をし、蝙蝠の羽が生えたなような生き物の頭を打ち抜く。

 

 それは、銃だった。

 

 立香の出身国ではまず見ることのない、平和とは対義語のような存在、それをデイビットは扱いなれたように構え、レフの使い魔へと発砲した。

 暗がりの中に黄色い閃光が三度またたき、次に耳をつんざくような銃声が轟く。打ち抜かれた生物は醜い獣の声をあげ、ぐたりと力なく倒れてしまった。

 

 硝煙の匂いをまき散らせながら、デイビットは平時のような落ち着きようで立香へと振り返る。

 

「見た通りだ。俺がこいつらの相手をする。お前が中央管制室に向かえ。でなければ、全員死ぬ。あの爆発物はカルデアスを破壊することはできずとも、それだけの危険を孕んでいるものだ」

 

「でも、デイビットさんが危ないですよ! まだ二人でなんとかしたほうが――」

 

「俺の方は自力でなんとかできる。しかし、これを躱しながらだと時間が足りない。今日はもう一分しかない。だから、お前だけが向かえ」

 

 二の句を継がせずにデイビットが言い切ると、動向を見守っていた獣たちだが、一斉に吠えはじめた。どうやら、立香だけが逃げようとするのを察知したらしい。

 ここからは誰も逃がすことは許さない。

 そのような鬼気迫る面貌の獣たちを前にして、なおもデイビットは落ち着きを払ってリロードした。そして装填の直後、またもや見事な射撃術で使い魔の頭を撃ちぬいていく。

 

 鳴り響く銃声。

 

 が、数の暴力というものか、うち一体がデイビットの足へと嚙みついた。

 デイビットは即座に足蹴りをし、床に使い魔を縫い付けると、心臓があろう部位へと発砲。

 しかし、その隙を利用した獣たちが殺到し、デイビットへと飛び掛かる。複数体の使い魔が、デイビットの体へと食らいついた。

 

「――――、デイビットさん!」

 

 立香はそれを見て、咄嗟に腰を浮かし、部屋へ舞い戻ろうとする。

 けれど、その行動をデイビットは諌めた。

 

「藤丸」

 

「なんですか!?」

 

 踏み出そうとした直後に呼び止められたものだから、転倒しそうになった立香が返答する。

 そんな姿を見ようともせず、けれど、使い魔たちを引き離そうとするデイビットは告げた。

 

「前にも言ったが、俺のことはデイビットだけでいい。あと、丁寧な口調も不要だ。お前はそれで30秒も時間を無駄にした」

 

 それだけを言い残すと、デイビットは入口にあったのだろう電子パネルを撃ちぬいた。それにより、扉が強制的に閉められてしまう。

 徐々に閉ざされる部屋の入口。

 その奥には、少年のような笑みを浮かべたデイビットが静かに立っていた。

 

 

 

 完全に締まり切った扉の前に立ち、立香は呆然とする。

 再び、この部屋へ入ることはかなわない。完全な防音にでもなっているのか、中がどのような状況なのかも伺い知る術はない。

 

 これで前を向くしかできなくなった。

 

 最後の最後にデイビットがなぜ笑っていたのかは分からない。あの少年のような笑みの裏には、なにが秘められていたのかも想像できない。

 けれど、それでも、デイビットが最後、立香に対し何が言いたかったのかは分かるような気がした。

 

『あとは任せた』

 

 そう短い言葉がかけられたような気がして、立香は中央管制室へと一歩踏み出す。

 

「――――ありがとう、デイビット」

 

 もう後ろは振り向かない。

 今は心強い仲間がいる。

 それだけで、立香の足は少し軽くなった。

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