藤丸立香は死に戻る   作:ららら

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第十二話 後輩の背中

 足が重い。

 垂れ下がった右腕は揺れる度に痛み、筋肉を繋ぐ関節からは骨を通して軋む音が聞こえてきた。

 

 まるで泥の中を引き摺りながら走っているかのようだ。

 

 呼吸は荒く、心臓が煩わしいほどに激しく脈打つ。走るたびに振り乱れる四肢は悲鳴をあげ、平衡感覚が異常をきたしているのか、足がもつれては転倒しかける。その度に、立香は大きく足を前に出し、なんとか堪えて走り抜けた。

 

「あ”あ”あああああ――――!!」

 

 痛みをごまかすべく絶叫する。彼の中で痛みはとっくに限界値に達していた。

 しかしそれでも、少年の心にあるのは、泣き言なんかではない。

 ただ救いたいと、そう願う純粋な願望だった。

 

 まだ間に合う、まだ取り返しがつく。一度は自身の無力さに打ちひしがれた少年は、再び死地へ舞い戻らんと駆けていく。

 汗と血が目に入り、視界もろくに開けやしないのに。それでも、記憶だけを頼りに中央管制室へのルートを外れることはしない。

 

 歯を食いしばりながら。

 肺が焼けるような思いをしながら。

 それでも、自己を省みず。

 たとえ、グッと飲み込んだ唾から血の味がしようとも。

 レフに付けられた多くの傷が、一斉に己の体を蝕もうとも。

 

 多くの人間が死に、絶望が蔓延する状況を打開するべく、藤丸立香だけは、走り続けなければならない。

 

 一切、緩まることのしらない走行。それどころか、中央管制室に近づくたび、その速度は加速する。

 彼が目指すのは、たった一つのHAPPY ENDという単純明瞭な答えのみだ。誰も彼もが命を落とさず、笑顔でこの苦難を乗り越える、そんな大団円のみを妄執する。

 

 そのためなら、どうなっても構わない。

 

 己のやることを全力でやり、その上で助けたいという願いを成就させるべく、今、藤丸立香は――――。

 

 

 

 

「――全員、コフィンから離れてください!!」

 

 中央管制室に、そのような怒声が轟いた。

 作業をしていたものは手を止め、談笑していた者は声を潜め、緊張に押しつぶされそうになっていた少女は、いきなりのことに忘我の境地へと至ったような顔をする。

 

 ファーストオーダー開始10分前のことである。

 

 そんな十人十色の反応を示すカルデアスタッフを尻目に、怒声を上げた張本人である立香は、乱れた呼吸を整え中央管制室内をぐるりと見渡した。

 

(っ、よかった……まだ乗ってない)

 

 立香が今にも泣きそうな顔で見たのは、メガネをかけた少女の姿であった。

 彼女も、いきなりの立香の行動に理解が及んでいないのか、驚愕や心配といった感情をないまぜにした表情で、立香を見ている。

 

 間に合った。

 立香は中央管制室の通用口に倒れ込みそうになる衝動をぐっと堪え、さらに中央管制室の様子を細かく見た。

 

 現在、コフィンに乗っていないと思われるマスター候補生は全員で12名。そのうち2人は、白髪のいかにもロックを聞いていそうな青年と、少し離れた位置で本を読みふけっている少女だった。

 2巡目のとき、声こそかけられなかったが、立香はしっかりと覚えている。どちらも、キリシュタリア達と共にいたAチームの人だ。

 

 立香はぐっと息を飲み直し、改めてオルガマリーの横にいたレフへと目線をやった。

 

「貴様……」

 

 レフがそう溢したことに、立香以外の人間は気づいていない。声のボリュームからして、誰にも聞かせないように囁かれたものであるし、立香が理解できたのも、たまたま彼と目があい、そしてそのように言われたのだろうと推測できたためである。

 

 そのため、中央管制室にいた他スタッフ一同が、レフの方を見ず、いきなり血みどろで入ってきた立香を見て、口々に声を漏らし始めた。

 

「あれ、誰?」

「知るかよ」

「レフ教授を睨んでるみたいだけど」

「あの制服って、マスター候補生か?」

「説明会の時も、ブリーフィングの時にもいなかったよね」

 

 こそこそといろんなスタッフが、立香を見て憶測を漏らしていく。誰も見覚えのない人間なのだから、当然、答えは出てこない。

 わかることは、決して誰も、藤丸立香という人間を歓迎していないことだった。

 

 それも当然だ。ファーストオーダーが始まろうとしているこの一大事に、重傷者が押し入ってきて、コフィンから離れろと宣った。

 それだけで、十分、立香は不審人物である。

 

 が、それを理解したうえでなお、立香はデイビットから預かっていたバッグを担ぎ直し、堂々した歩調でオルガマリーとレフへ近づいていく。

 さっき中央管制室を見渡した結果、このタイミングで爆発されることはないだろうと踏んでいた。

 

 なぜなら、今オルガマリーの立っている場所は、爆心地から最も離れた通用口の傍なのだから。

 

 しかし、そんな立香の前にある人物が立ち塞がった。

 

「藤丸君!? どうしたんだい、その怪我!? 今すぐ、医務室に行って応急手当てしないと!」

 

「あ、あぁ、ドクター。忙しいところすみません。医務室に行くのは、あと少し待ってもらえますか? 終わらせないといけない用事があるので」

 

「用事って君……もしかして、例のやつが?」

 

 立香がこくりと頷けば、血相を変えとんできたロマニが押し黙る。

 その表情は、なんとも言い難いものであった。

 実際、ロマニはレフ・ライノールとは学友であったのだし、少なからず思うところがあるのだろう。

 

「そうか、だったら仕方ない……悪いけど、僕の方ではなんの確証も得られていない。力にはなれないと思ってくれ……」

 

 そうロマニは重く吐けば、おとなしく立香の前から立ち退いた。

 

 聞く人が聞けば、冷たい言葉かもしれない。

 ロマニは暗に、立香への肩入れはしないと告げていた。君とレフとのやり取りを見て、白黒はっきりさせると、そう言っているのだ。

 

 まだ彼の中で、レフが多くのカルデアスタッフを殺すテロリストという決定的証拠は掴めていないのだろう。立香がどれだけ満身創痍であったとしても、客観的事実が提示されていない以上、口出しするつもりはないのかもしれない。

 

 その言葉に立香は落胆なんてしない。

 期待していなかったというわけではなく、ただ純粋に仕方ないことだと、そう割り切れているだけだ。

 

 そのため、「十分です」と短く告げた立香は、ロマニの横を通り過ぎ、オルガマリーとレフの前に立ちはだかる。

 それを見ていたレフは立香へと歩み寄り、自分たちにしか聞こえない声のボリュームで、ぼそりとつぶやいた。

 

「驚いた。まさか、君の方が来るとは……素直に認めるよ、予想外だ。彼の愚鈍さは、この私も見抜けなかった」

 

「っ――――」

 

 立香のことを庇ってくれたデイビットを軽んじる発言に、思わず立香の血が沸騰したように駆け巡る。オルガマリーがすぐ後ろにいるというのに、レフは自身の悪辣さを隠そうともしない。

 

 しかし、それが立香のペースを乱すためのものというのは、分りきっていた。感情のまま流されれば、理屈で丸めこめられるだろうことは容易く想像できる。

 

 この勝負は、一手でも指し違えば、その時点で詰みとなる難戦だ。

 

 立香は己の激情を呼吸と共に肺へと押し込めて、ゆっくりと息として吐きだす。

 

 今、この場において、立香がやるべきことは、レフに恨み言を吐くことではない。泣きつく事でも、吊るし上げることでもない。

 

 ます、打つべき最初の一手。

 

 それは――――。

 

「マスター適応番号48、藤丸立香! 特務機関カルデア所長オルガマリー・アニムスフィアへ、この場を借りてお願い申し上げたいことがございます!」

 

「ひっ、わ、私!? この流れで!?」

 

 いきなり大声をあげた少年に、オルガマリーはびくついてしまうも、立香はそれを無視して続ける。

 

 立香は所長が、意外と一般的な少女であることを知っていた。悪いことにはきちんと罪悪感をもてる人間だし、相手がきちんと誠意を見せれば真摯な対応で返してくれる。

 2巡目の時、今以上に何も証拠がなく、何も裏付けを示せなかったにも関わらず、彼女は立香の言葉を飲み込んで、行動に移してくれた。

 

 その事実があるから……というわけではないが。

 それでも、立香はマシュだけでなく、所長も助けたい一心で、彼女を心から信頼し、頭を下げる。

 

「コフィン制御ディスプレイ下、その配線用ダクト内に危険物があります! おそらく爆発物の類であり、被害予想範囲は、この中央官制室全域! このまま爆発すれば、この場にいる全員が死亡するリスクがあります!」

 

「い、いきなり入ってきて、何を言ってるの!? 爆発物……? 全員が死亡する……? は?え? ちょっと、頭が追いつきそうにないわ……というより、あなたのその怪我はなんなのよ!?」

 

 予想通りというべきか、オルガマリーの悪癖(ヒステリック)が顔を出し始めた。

 

 説明会をボイコットしたため、これが所長との初対面であることは、立香も重々承知している。それにより、2巡目の時と比べ、自分が所長にいい感情を抱かれていないだろうことも、立香は容易く想像できていた。

 オルガマリーは他人からの意見は聞き入れようとはするものの、それを素直に受け取るだけの器量がない人間だ。いきなり血みどろで出てきた部下の上奏なんて、そう簡単に受け入れられるわけがない。

 

 レフもそれを分かっていて、口をあまり挟まないでいるのだろう。どころか、失敗する様を見ようと余裕の笑みを漏らし佇んでいる。

 

 いくらここで立香がオルガマリーに取り入ろうとしても、限度がある。

 オルガマリーだけではない。

 突如、このような騒ぎを起こした人間に、カルデアスタッフ全員が良い感情を抱かないのは必然だ。証拠に、立香を遠目で見ているスタッフは皆、一様に立香へと白い目を向けていた。

 

「何、あの子。いきなり爆破とか騒いじゃって」

「ファーストオーダー前にストレスが限界値を超えたんだろ?」

「気が触れたってやつだな」

「正直、邪魔だから、誰かさっさと追い出してくれよ」

「いやよ。今あそこに行ったら、私たちまで所長にいびられるわよ?」

 

 ただでさえ、一般人と魔術師の感性は違うのもある。それだけではなく、年齢だって大きく離れているし、生まれ育った文化も違う。

 次第に中央官制室にいる立香こそが、この場において敵なのではないかという風潮ができつつあった。

 

 しかし、そんな空気に押し負けてなるものかと、立香は下げていた頭を上げる。

 はなから、お願いだけで事がうまく運ぶとは考えていない。頭を下げるだけで万事解決するのであれば、2巡目の時にコーヒーをぶっかけられる経験も必要なかった。

 

 周りからどれだけ白い目で見られようと。

 周りからどれだけ煙たがられようと。

 周りからどれだけ気が触れたと思われようと。

 

 それでも、藤丸立香の心に、退却の2文字は存在しなかった。

 

「所長、俺は別にファーストオーダーを中止してほしいとまでは言っていません。ただ、配線用ダクトを覗き、チェックしてほしいと言ってるんです」

 

「それに、何の意味があるって言うのよ。貴方が本当のことを言っているという確証もないし、今だって刻一刻と、貴方のせいで時間は奪われてるわ。これ以上、ファーストオーダーを遅らせると、私の監督不行届で時計塔や国連からも……」

 

 どうやらオルガマリーは時間に追われているらしく、忙しなく時間を見ている。その横でレフが、にたにたと気味の悪い笑みを浮かべていた。

 

 立香の誤算がここにある。

 

 最初にインパクトのある衝撃の事実をつきつけ、そのあとに、誰でもできる簡単なお願いごとをする。そうすれば、最初は拒否反応を示されるであろうが、本命のお願いは通りやすくなるのではないか。

 そう画策していた。

 けれど、思った以上にオルガマリーは追い詰められているらしく、どんな些細な問題ごとも、いまは持ち込みたくないようである。

 レフが「ああ、これ以上はマズいね」と言っている様子から察するに、この状況を作り上げたのもレフ自身なのであろう。

 幾度となくスケジュールをかき乱すことで、オルガマリーにファーストオーダー実施のことしか、頭に入れれないよう仕向けたのだ。

 

 してやられた、と気づいた時にはもう遅い。

 

 ここで矢継ぎ早に、次の提案ができなかったのが、立香の最大のミスだ。

 次の一手を考えつく前に、オルガマリーはふと何か思い至ったのか顔を上げた。

 

「……思い出したわ。48番、貴方は最後まで説明会もブリーフィングにも顔を出さなかったマスター候補生ね? 呆れた、私に何か恨みでもあるの? こんなくだらない嫌がらせまでしてきて。これ以上、私たちの邪魔をするって言うなら、タダじゃおかないわよ?」

 

 きっと睨むオルガマリーに、立香は当然の反応だなと申し訳なくなる。

 しかし、それも少しの間だけだ。

 確かに所長の時間を奪った自分に罪はあるのだろう。そこは悪いと思うし、素直に謝罪を入れるべきだと立香も思っている。

 けれど、こと爆発物を調べるか調べないかに関しては、全く別の話だ。

 

「ボイコットした件に関しては、本当にすみませんでした。……でも、みんなの命が掛かってるんです。どうか、最後にチェックをお願いします」

 

「意味がないって言ってるのよ。貴方のような不真面目なスタッフの言うことを誰が聞けって言うの? どうせ、その傷も嘘の信ぴょう性をもたせるために、自分でつけたんでしょ? まったく、馬鹿馬鹿しい」

 

「俺のことを信用できないのはわかります。でも、本当なんです。信じてください! ダクトを調べるのだって、一分も掛からないはずです!」

 

「その時間すら惜しいと言っているんです。……ああ、そう。そう言うこと。そんなにファーストオーダーに参加したくないなら、別に下山していただいて結構よ。人手は足りていますので。まぁ、帰りの便はありませんけど」

 

「所長!」

 

「っ、しつこいわね! 今はそれどころじゃないって――」

 

 口論のすえ、オルガマリーが手を振りかぶった時だ。

 

「オルガマリー所長」

 

 立香は失礼と分かっておきながらも、強制的にオルガマリーの言葉を遮る。

 そして、折れた腕すら鑑みず、ぼろぼろの体でありながら、地面や床にひざまずいて両手をつき、もう一度頭を下げた。

 

「俺は、確かに信頼も信用もないと思います。でも、これだけははっきりと言える。俺はオオカミ少年ではありません。決して、貴方に嘘をついて喜ぶ人間じゃない」

 

「っ――――――」

 

「所長は知らないと思いますが……俺は、あなたが本当に優しくて、優秀な人だと知っていますから」

 

 立香の言葉に、ついオルガマリーは黙り込んでしまった。振り上げていた腕も、自然と元の位置へと戻ってしまう。

 

 その言葉になんの意味があるのかは分からない。

 立香が吐いた言葉が、本音であるかどうかも定かではない。

 

 けれど、それと同時に。

 立香がここまで必死に懇願する様を、誰が嘘だと証明できるだろうか?

 

 オルガマリーに向けられる魔術師らしくない、まっすぐな目。

 彼女に向けられる瞳が、あまりにまっすぐで、綺麗で、裏表のないように思えてしまったから。そのあり方に、オルガマリーだけでなく、他のスタッフたちも思わず息を飲んで黙ってしまう。

 

「はぁ……やれやれ、君も懲りないね、藤丸君。マリー、気にしなくていい。この子は、かなりの虚言癖があるようでね。私もつい1時間前に手を焼かされたものだ」

 

 そんな時、とうとうレフが舞台へと上がってきた。

 これまでオルガマリーと立香の成り行きを見守っていたはずの黒幕が、自ら立香を舞台袖に下ろすべく壇上へと駆け上がってきたのである。

 

 立香は「嫌なタイミングで」と舌打ちしそうになる。

 結局のところ、この勝負はオルガマリーがレフを心酔しきっている時点で勝負にならないのだ。誰かがサイコロを振っても、そのどんぶりごとひっくり返されてしまえば、勝負が成立しないのと一緒で、レフというジョーカーが君臨してしまっては、たとえ誰が相手であろうと負けてしまう。

 

 それを分かっているから、立香は自身の傷をレフに付けられたと流言しなかったし。爆発物を仕掛けた人間がレフだということも伏せている。

 

 でなければ、立香の勝負は負けにしかならなかったのだから。

 爆発物があるかないかを論点にすれば、まだ信用の勝ちとりようもあったものの。それが途端、レフがカルデアの敵という論点に挿げ替えられれば、オルガマリーは頭ごなしに否定をするだろう。

 

 だから、徐々に追い詰める必要があった。

 

 されど、レフもそれを理解しているため、己という最終兵器を、この序盤で持ち出してきたのである。

 

「どういう、こと、レフ?」

 

「言葉の通りさ。この傷も私が付けてしまったものでね。どうやら彼は拉致紛いにカルデアへと連れてこられたことが、かなりストレスだったらしい……私に殴りかかってきたりして困っていたんだ。さっきまで医務室で寝かしていたんだが、脱走してきたんだろう。こうして私たちを困らせ、ファーストオーダーの邪魔をすることで復讐まがいのことをしているんじゃないかな」

 

 レフがそう言って、中央官制室にいるスタッフへと「ホームシックというやつさ」と笑いかける。他のスタッフたちもそれを聞いて、徐々に嘲笑を漏らし、はてには立香を罵倒するような言葉も聞こえてきた。

 

 ここで下手に焦りを出し、闇雲に否定してしまっては、レフの思う壺だ。ますます、図星をつかれて怒ったと思われても仕方がない。

 

 今は耐えるときである。

 どれだけ笑われようと、どれだけ馬鹿にされようと……みんなが助かるためなら、自分がどんな風に思われたって気にしてはいけない。

 

 最終的にはレフを排除しないと問題解決にはならないだろうが。爆発物さえ見つかれば、ひとまず皆の命だけは助けられる。

 一時の助命を、自身が泥を被るだけで叶えられるなら、立香は喜んで贄となるだろう。誰かがやってくれるのではなく、自分にしかできないことであるのなら、彼は必死に耐えて、それを全うしようとする強さを持ち合わせている。

 

 それが例え、救いたいと願った者に石を投げられる行いだとしても。

 

 ここは、じっと我慢するしか――――。

 

 

 

「先輩は……先輩はそんな人ではないと思います」

 

 

 

 そんな時、頭を下げる立香の前に立った少女がいた。

 

 会って少ししか経っていないというのに。言葉を交わした数だって、片手の指で足りる程度なのに。

 これまでの経験も、

 これまで築いてきた信頼も、

 最後に手を握ったことさえ覚えていないはずなのに。

 

 それなのに、

 

「先輩は私が会ってきた中で、もっとも人間らしい人です……うまく言葉にはできませんが、その、先輩なら、彼なら、他人のことを貶めるために嘘はつかないと思うんです」

 

「マ、シュ…………?」

 

 ああ、ダメだ、と立香は思った。

 

 こんなところにきて、こんな訳のわからないところまできて。

 しかも死に戻りなんていう、普通の人間とはかけ離れた超能力みたいなものまで体験させられて。

 

 誰にも相談できず、誰にも理解されず。

 みんなを救いたいって思ったのに、そのみんなに怪しまれて。顔色を窺わなければ、情報証拠を集めなければ、誰からも信用を勝ち取ることもできなかったというのに。

 

 それなのに、彼女は、マシュだけは――――。

 

 ただ、藤丸立香という人間性を見て、心の底から信頼してくれる。

 

「あ、あの! すみません、私もよく分かっていないのですが、口を出してしまって! ……でも、少しくらい、先輩の話を聞いてあげてもいいと思うんです!」

 

「マシュ……」

 

「本当にダクトを見るだけでもできませんか? もし、先輩の言うことが真実なら、ここにいる皆さんが危険なことに変わりありません」

 

「ましゅ……」

 

「私は、彼を信じたい。いえ、信じています! だから、どうか先輩の身を潔白にするためにも、お願いです! 先輩に時間をあげていただけないでしょうか!」

 

「マ、シュ――――」

 

 声が上擦り、喉が詰まり、次の言葉が出てこない。

 自分のために頭を下げてくれる後輩の背に、視界がぼやけるのを感じてしまう。

 

 鈴のような声。

 守りたいと思った、小さい小さい少女の後ろ姿。

 それが前にあるだけで、それが自身に寄り添ってくれるだけで、立香の内側にあったボロボロの堤防が修繕されていくのを感じる。

 

「そうですね。僕もマシュに賛成だ。所長、それにレフ顧問。彼の言動は確かに怪しいかもしれない。それでも、ここまで身をボロボロにして、駆けつけてくれた子供の、その勇気を讃え、一抹の不安があるのなら調査するべきじゃないですか?」

 

「ドクター……」

 

「僭越ながら、私もそう思います。藤丸候補生とは少し話した仲ですが、彼が根っからの虚言癖だとは思えません。配線用ダクトを調べる程度なら、1分ですみます。その程度の時間なら、私が巻いてみせますよ」

 

「ダストンさん、まで……」

 

 いつの間にか、立香の後ろに立っていたロマニとダストンまでもが、一堂に顔を見合わせ、オルガマリーに対し頭を下げた。

 それを見たオルガマリーも、出る言葉を失ってしまったのか、何か言いたそうにしながら、しかし言葉が見つからないと言った様子でしどろもどろになる。

 

 対して、それを見ていたレフは、誰にも気づかれないよう表情で、立香のことを非常に疎ましく見ていた。

 

 

 

 

 

「なるほど……」

 

 とレフは独り意味深に眉を顰めていた。

 デイビットがここに来ず、藤丸立香だけを中央管制室に向かわせた理由。

 それを今、理解できたのだろう。

 

 彼は知っていたのだ。藤丸立香だけでは、この問題ごとを解決をできないことを。

 それにより必ず、彼の周りには、彼を助けたいと願う者たちが集まり、その者たちと共に、苦難を乗り越えてしまうことを。

 

 全くもって忌々しい、とレフは内心で舌打ちする。

 

 この流れを無理やり断つのは簡単だ。ふざけるなと、そんな時間はないと、言ってしまえば終わりである。

 けれど、それは相手側に藤丸立香しかいない時にしか使えない強硬策だった。

 

 この状況を見て、半ば懐疑的であったであろうロマニも、ダストンも、藤丸立香という人間の味方をしている。

 ここでレフが無理やり話を白紙に戻そうとすれば、それこそ彼らの疑念は確信へと変わり、レフを敵だと断ずるに違いない

 

 未だ、マスター候補生は4分の1がコフィンに搭乗していない現状。そのうち、Aチームの半分が外に出てしまっていることを鑑みれば、カルデア幹部もほとんど爆殺できない距離にいる今、ここで爆発させるわけにはいかない。

 

 まだ詰んだというには生ぬるい状況であれば、いまここで事を起こすのは得策ではない。

 となれば、レフに残された手も、また一つしかなかった。

 

「レフ……?」

 

 横にいたオルガマリーが、レフへ助けを請うように見上げてくる。

 まったく腹が立つ。

 このような状況にあっても、まだ他人頼りなのか、と内心反吐がでるような思いをしながら、レフはため息をついた。

 

「いいだろう。では、私が調べる。時間も限られているんだ、さっさと済まそう」

 

「っ、ダメだ! レフ教授以外でお願いします!」

 

「おやおや、藤丸君。その言い方では、私に調べられるのが、まるで都合の悪いと言っているようだが? 何かあるのかな?」

 

「……言い方が逆じゃないんですか? あなたが調べないとまずい理由でもあるんですか?」

 

 まったく、ヒトの神経を逆なでるのがうまい。

 レフはいっそのこと爆破させてしまおうかと脳裏によぎるものの、今は状況として悪いのを思い出し、杖にぎゅっと力を入れるに留まった。

 最低でも、レフはオルガマリーとマスター候補生すべてを殺さないといけない。そこまでしなければ、次のステージでカルデアを詰ませることができないためだ。

 

 レフは自身の計画の立て直しを図りながら、立香へと向き直る。

 

「では、君は誰が適任というんだね? まさか、君自身という訳ではないだろう?」

 

「それは……」

 

 そこで立香は言葉を詰まらせてしまう。

 

 もしかせずとも、立香は自分が見に行くつもりであったのだろう。

 爆発物が仕掛けられていることに間違いはない。だとすれば、そこへ確認しに行く人間は、確実に爆発の射程距離に入るということだ。見に行った際、爆破されてしまえば、まず助かることはない。オルガマリーの肉片を残さず殺すためにも、それだけの爆薬を仕込んでいる。

 

 人間という生き物は、自分の考えた策でほかの誰かが死ぬことに抵抗を覚えると、レフは知っていた。ましてや、立香のような軟弱な生き物は、まさにそれだ。

 誰かを喜んで犠牲にできるタチではない。

 

 言い淀む立香を肴に、レフは刻一刻と時間が過ぎるのを待つ。

 立香がどれだけの情報を知りえているのかレフには分からないが、タイムオーバーもレフにとっては勝利条件のひとつである。

 

 しかし、そこに助け舟をだすものがいた。

 

「では、私に調べさせてくれないかい、レフ教授。私なら、どんな爆発にも耐えられるし、完全に白だと証明できる」

 

 その美しさを体現した声は、肉体の美しさもさることながら、まさしく美を追求した者の終着点といえるだろう。

 

 黒い髪を垂らし、手には身長と大差ない大きな杖を携えて。

 

「やあ、カルデアスタッフの諸君。大物は遅れて参上する。ルネサンスに誉れ高い万能の発明家。レオナルド・ダ・ヴィンチの登場だ」

 

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