藤丸立香は死に戻る   作:ららら

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なんか、お気に入りが爆増しているぞ!?


第十六話 そうして、藤丸立香は

「……マスター、それにドクター。少しだけ――待っていてください」

 

 それは、刹那の前触れだった。

 

 耳に届いた瞬間、レフがはっと我に返る。

 爆弾はすでに起動している。その爆発を抑えこもうとしているダ・ヴィンチは、いまやマシュの奇跡の復活に目を皿にし、レフを見ていない。どころか、その背中はがら空きと言っても過言ではなかった。

 この状況で、敵から意識を逸らすなど言語道断。

 この男さえ排除してしまえば、たとえ死んだはずの少女が蘇ろうと、たとえ自分が打ち倒されようと、この作戦は達成される――。

 

 ならば、レフが目の前の少女を警戒する必要などなかった。

 

 わずかコンマ1秒にも満たない思考。そこから導き出された思考の帰結に、レフは獰悪な笑みを浮かべ、腕を振りかぶった。

 たとえ誰が何をしようと、自分の勝利はもう目前まで迫っているのだ。

 これを覆せる者など、この場にはいない。

 

 そう思い、そう確信し、殺意が貫き手の形と成したその瞬間――。

 

 されど――その殺意は甲高い金属音によって防がれた。

 

「なに……っ!?」

 

「――させません、レフ教授」

 

 反応できなかった。

 察知することができなかった。

 肉眼でとらえることすら、できなかった。

 

 それほどまでの走力で、それほどまでの迅速さで、それほどまでの敏捷をもって、マシュ・キリエライトはそこに立っていた。

 

 一息の間に距離を潰し、半回転させた巨盾がレフの手を弾き飛ばす。加速と制動、そのどちらもが人の域を超え、ただ「守る」ためだけに研ぎ澄まされた軌道によって、レフの攻撃は阻まれたのだ。

 

 レフの攻撃は完璧に封殺され、空振りとなった手が虚空を切る。

 この瞬間――ダ・ヴィンチが抱え込んでいた爆弾が、爆ぜた。

 

 黄色の閃光。

 マシュの動きに気を取られていたダ・ヴィンチが、自身の抱える爆弾の異変に気付き、歯を食いしばって爆発を圧縮する。圧縮によって、爆発の奔流が彼女の小さな身体に食い込み、中央管制室を包むはずだった死の熱波が、みるみるとその小さな身に押さえつけられていった。

 

 このままでは、ダ・ヴィンチによって爆発をすべて無力化されてしまう。

 

 しかし、当のダ・ヴィンチを攻撃しようにも、その手段はあまりに遠い。マシュの妨害を受けながら、ダ・ヴィンチに攻撃を通すなど不可能なことだった。

 

 ならば、とレフは歯噛みし、焦燥の中で判断を切り替える。

 爆弾を抑えこまれたのなら、自身の手で直接破壊すればいいだけのこと。

 

 しかし――その判断すらも遅い。

 レフがコフィンに向けて手を伸ばすよりも早く、マシュは再び踏み込んでいた。

 

「はああああああッ!」

 

「ッ、この、小娘がァァァァ!!」

 

 レフの怒号を掻き消すように、巨盾が振るわれる。

 レフが撃ち放った空気の弾丸は、マシュの巨盾によって受け流され、爆音とともに壁面を抉るのみに留まった。

 

 そしてそのまま、巨盾が振り下ろされる。

 レフが一度の攻撃しか取れなかったのにかかわらず、彼女は二度の軌道を描いてみせた。

 

 ――決定的な速度の差。

 

 人の領域をはるかに凌ぐその身体能力は、もはや神が与えたとしか思えぬほど。

 そんな速さで打ち出された攻撃を、レフは当然かわすこともできず――。

 

 レフ・ライノールは、再び吹き飛ばされた。

 

「が……ぁッ⁉」

 

 胸部への直撃。

 急所こそ逸れていたが、肺へ走った衝撃に、呼吸が止まる。

 息が詰まり、身体は宙を舞う。重力すら追い付かぬほどの速度。

 空気の壁をいくつも貫通するかのごとく、数メートルにわたり床を削ったレフの肉体は、そのまま停止することなく壁へと叩きつけられた。

 

「敵性存在、沈黙を確認……もう、立ち上がらないでください……レフ教授……」

 

 天井が軋み、照明が砕け、強化ガラスに蜘蛛の巣のような亀裂が走る。

 瓦礫が舞い落ちる中――マシュの声が、風に溶けるように深く染み込んだ。

 風に揺られ、前髪に隠れいていた右目が露になる。

 彼女のその瞳には、戦いの高揚でも、勝利の歓喜でもない。ただ一縷の哀しみに似た、憐憫の色が伺えるのだった。

 

 

 

 1

 

 

「……やった、のか?」

 

 レフを殴り飛ばしたマシュの後方で、ロマニがぽつりと呟く。

 

「はは、それは見事な失敗フラグってやつだよ、ロマニ……でもまぁ、言いたくなる気持ちは分かるかな」

 

 続いて、爆弾の爆発を押さえ込んだダ・ヴィンチが、「あー、しんど」と脱力気味に地面に手をつき、カルデアスを見上げた。

 

 生きていた。

 死んだと思っていた少女が、たしかにそこに立っている。

 

 どんな形であれ、どんな姿であれ、それだけはダ・ヴィンチにとっても手放しで喜べる現実だった。たとえ、それが人道的、倫理的に間違っていたとしても。今はただ、マシュの生存を心から嬉しく思ってしまう。

 

 だからダ・ヴィンチは、むき出しになった照明を眩しげに細めながら、ふっと微笑む。

 奇跡というものは、やはり、諦めない人間にこそふさわしいと感じながら。

 

「さて、気分はどうだい、マシュ? どこか悪いところはない?」

 

「あ、えっと……はい。体調は、そこまで悪くありません。その、想定外のことばかりで、私も混乱していますが……」

 

「だろうね。君の変化は、何より君自身が一番戸惑っているはずさ。でもね、今はそれを言うべきタイミングじゃない」

 

 マシュは、どこか恥じ入るように視線を斜め下へと落とすのに対し、ダ・ヴィンチは首を横に振った。

 そしてそのまま、ひとつ顎をしゃくる。

 

「ほら、彼が一番、君を心待ちにしているみたいだしさ」

 

「……!」

 

 マシュはその言葉に、すこし躊躇いを覚えてしまう。

 

 彼――ダ・ヴィンチがそう言った言葉が、誰を指し示しているかなんて考えなくても分かる。

 

 自分が命をかけて守りたいと思った人。

 だれよりも人間らしく、一緒にいるだけ自分の心が温かくなる人。

 

 だけれども、そんな大事な人だからこそ、どんな顔をすればいいのか分からなかった。

 さっきまでは、復活の高揚感と、感動の再開でうやむやにできていただけ。改めて顔を合わせるとなると、どんな風に声を掛ければいいのかも分からない。

 彼女のボキャブラリーは、決して少ないわけではないが、それでも、この感動的とも気まずいともいえる空気で、第一声にふさわしい気の利いた言葉なんて、ひとつも見つからなかった。

 

 でも、それでも。

 

 マシュは思い切って振り返る。

 そこに立つ人を、自分の目でたしかめるように。

 

 そうして、彼女の戸惑いは瞬時に消え失せた。

 だって振り返った先に立っていた人が、自分なんかよりも、ひどく泣きそうで、でもうれしくて溜まらないと言った目じりで、喜怒哀楽どれにもあてはまり、どれにもあてはまらなそうなしわくちゃな顔をしながら、そこに立っていたのだから。

 

「せ、先輩……?」

 

「………かった」

 

「……っ!」

 

「よかった……! マシュが無事で……本当によかった……!!」

 

 次の瞬間、世界が覆われた。

 思考よりも先に、温もりが飛び込んできた。

 抱きしめられていた。

 

「――――」

 

 思わず声にならない何かが漏れる。

 はたして、この胸の奥を満たしていく感情はなんなのか。

 

 言葉にしようにも、やっぱり見つからない。

 どんな辞書を引っ張り出そうとも、今後、この感情にふさわしい言葉は見つからないようにすら思えてしまう。

 ただ、満ちていた。

 ただ、温かかった。

 怖いくらいに愛しくて。怖いくらいに幸せに感じた。

 マシュは躊躇いまじりに、そっと、でもしがみつくように抱き返す。

 

 さっきまで迷っていた言葉が、次の瞬間には自然と口からこぼれだしていた。

 

「私も……私も、先輩が生きていて……本当に、よかった……」

 

 その言葉を聞いて、立香は目尻をくしゃくしゃにしながら、マシュの体温をたしかめるように抱きしめ続ける。

 マシュもまた、涙を浮かべながら、そのぬくもりを逃すまいとしっかり抱き返す。

 

 ぎゅっと抱けば、ぎゅっと返ってくる。

 ただ、それだけのことが――奇跡のように嬉しい。

 

 再会の言葉なんてものは、もう出てこない。

 なにか言おうとすれば、喉の奥が震えて、声にならない。

 でも、それでよかった。

 それがよかった。

 

 ようやく触れられたこの現実を、二人はただ、強く抱きしめたかったのだから。

 

 だが、その奇跡の時間に、無情にも現実が割って入る。

 

「……こほん」

 

 控えめな咳払い。

 遠慮がちとはいえ、明らかに間に割って入る意志を含んだ気配。

 ロマニ・アーキマンが、気まずげに小さく咳払いをしたのだ。

 

「ふたりとも? その、非常に感動的な場面ではあるんだけど……藤丸君は見てのとおり、重傷者だ。マシュも、さっきまで臨界状態だったことを忘れちゃいけない。医師として言えるのは……その情熱的な抱擁は、ちゃんと身体が治ってからにしよう、ってこと。いいね?」

 

 マシュがきょとんと首をかしげ、立香はぱちぱちと瞬きをする。

 ふたりともロマニの吐いた言葉の裏の意図に気づかなかったらしい。どちらも目を腫らしてきょとんとしている姿は、なんとも微笑ましくも不思議な光景だった。

 

 ロマニはそんなふたりの貞操観念に頭を抱えながら、重く、されど緊張感のない文句を垂れる。

 

「はぁああああ……最近の若者ってのは、そういうのにも疎いのかな……マシュの格好と言い、僕はそんな子に育てた覚えはないっていうのに……」

 

「まあまあ、そう嘆くことはないよ、ロマニ。若い者は青春を通じ、大人になるもの。年長者である私たちは、それを生暖かい目で見守ることしかできないってものさ」

 

「年長者って……僕と君を一緒にしないでほしいんだけど」

 

「む、それはどういう意味かな?」

  

 そうロマニとダ・ヴィンチが軽口を叩き合ったときだった。

 不意に――がこん、と暗闇が落ちた。

 

「なっ、停電!?」

 

 何も見えない。

 いきなり暗がりへと放り込まれれば、人間の視界というのは黒一色に塗りつぶされるもの。

 意識していなければなおのこと、その効果はすさまじく、サーヴァントでもない者であれば、なにも見えない暗闇へと落とされたに等しかった。

 

 そんな危険な状況下で、さらに悪夢は続く。

 

『緊急事態発生、緊急事態発生。観測スタッフに警告。カルデアスの状態が変化しました。シバによる近未来観測データを書き換えます。近未来百年までの地球において、人類の痕跡は発見できません。人類の生存は確認できません。人類の未来は保証できません。繰り返します――』

 

「な、なんだよ、これぇ!? カルデアスが――――!」

 

「落ち着くんだ、ロマニ。まだ、下手に動かない方が――っ!!?」

 

 暗がりで、ロマニとダ・ヴィンチの声だけが轟く。

 しかし、それをかき消すかのように、けたたましいアラーム音が中央管制室内で鳴り響き、それすらも凌駕するボリュームでアナウンスによる警告が発し続ける。

 

「先輩! こちらへ! 視界が悪いですが、私の隣へ!」

 

「っ、待って、マシュ!! あそこに所長が、倒れたまま――!!」

 

『中央発電所の復旧――不可能。一時的なオーバーフローが原因だと考えられます。対策 考案 実行――10秒後、予備電源へと切り替えます。所定の職員は立ち位置に付き、原因の調査 復旧作業に取り掛かってください。切り替えまで、あと3、2,1――』

 

 

 アナウンスが「0」と告げた、その瞬間――中央管制室に光が戻った。

 いきなり暗闇へと落とされたのとは逆に、次は光の海へと溺れさせられたような感覚。

 

 所長を助けに行こうとしていた立香は、おもわずその光量に目が焼かれるように錯覚しながら、明るくなった中央管制室を見た。

 

 するとそこには。

 

 真っ赤に染め上げられたカルデアスと。

 

 その下に陳列するコフィンの近くで倒れた、ダ・ヴィンチの姿があった。

 

 

 

 2

 

 

「なんで……」

 

 思わず、立香の口からそんな情けない言葉が漏れた。

 

 爆弾は止めたはずだ。

 立香は一巡目のとき、カルデアスが燃え上がるように真っ赤に染めあがるのを実際に目にしている。

 それは、この中央管制室の爆破により、カルデアスが異常をきたしたからだと思っていた。

 

 けれど、違った。

 爆発は関係がない。停電が起きたと同時、アナウンスはカルデアスの異常を告げた。ならばあの時、ロマニが声をあげたときには何か変調の兆しが見えたということだろう。

 

 停電が起こる直前に、異変はなにも感じなかった。

 どころか、全てが終わった、そう安堵すらしていた。

 

 なのに蓋をあけてみれば、カルデアスは異常を見せ、何故かコフィンの近くではダ・ヴィンチが倒れている。

 

 なんだ? なにが起きたんだ?

 

 ぐるぐると頭に疑問が渦巻く中、しかし、それは当然ともいえる回答を立香の頭が下した。

 

「――っ、まさか……!」

 

 立香は誰よりも早く振り返る。

 そこにあるべきものは、さっきマシュが殴り飛ばしたレフが横たわっている光景。

 だが、そのあるべきものは、容易に裏切られることとなる。

 

「……ハハ……! ハ、ハハハハハッ!!」

 

 哄笑が響く。

 

 嘘だといってほしい。誰かに、今この目に映る異形の存在を否定してほしい。

 

 けれど現実とは残酷で、そこにあるものがなんら夢でも幻想でもないことをひしひしと感じ取れてしまう。

 骨が折れていようが、内臓が揺さぶられていようが関係ない。

 

 どころか。

 

 倒れていたはずのレフの姿は、あまりに異様な変貌を遂げていた。

 皮膚は煤のように黒ずみ、胸部には5つの真紅の目玉が蠢いている。髪は墨のような黒へと変色し、口元から覗く歯はまさに鋸のようだ。

 

「いやはや、実に愉快だ! この私としたことが、こんな初歩的な盲点を見落としていたとはね!」

 

「なんだ、その姿は……」

 

「我ながらほとほとあきれ返る……令呪が宿る。数合わせの一般人が魔術回路を開いている。その時点で、それらが持つべき意味を考えるべきだった」

 

「なんなんだよ、お前は……」

 

「どんな手を使ったか知らないが、無理やりパスをつなげ、マスターとなるとはね。認めるよ、藤丸立香! 君は心底、私をイラつかせる不快な子供だとね!」

 

「なんなんだよッ!!!!」

 

 怒声を上げる立香。

 だが、レフはそれすらも愉快そうにニヤリと笑う。

 そして胸部に生え揃った朱色の目玉たちが、一斉に瞳孔を立香へと集中させた。

 

 それらと目が合った瞬間、ぞわりと恐怖が再燃する。

 さっきまでは、マシュの死による怒りでアドレナリンが放出し、我も忘れていたが、目の前に立つ化け物を見て、死の恐怖が再び肌に染み入ってくる。

 

 いや、恐怖ではない。

 この場において、立香はもっとも考えてはいけないことを脳裏によぎらせてしまったのだ。

 

 それは――ここまで来て、勝てないのではないか。

 

 そんな漠然とした敗北が足にまとわりつき、呼吸が浅くなる。

 怒りも、意地も、覚悟も、すべてが削ぎ落されていくような感覚。

 

 いま目の前に立っているのは、もはや人間ではない。

 どんな手練手管を駆使してでも、自分たちを殺しにくる怪物。

 凶悪な殺人犯を前にした時とは違う。決定的に生物として異質な存在を目にしてしまえば、誰だってその足を竦ませてしまうことだろう。

 

 勝てないかもしれないと一瞬でも思ってしまえば、さっきまでのがすべて虚勢だったのではないかと思えるほど、たやすく剥がれ落ちていく。額にはじんわりと脂汗が滲み、息がどんどん荒くなり、忘れていた痛覚が、またもや立香の身体に死を連想させていく。

 

 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……!

 

 ここまで来て、ここまで追い込んで、ここまで奇跡を起こして、なおもう一度やり直させられるのか?

 

 これ以上、立香がレフを追い込むことはないだろう。

 マシュが奇跡の復活を遂げ、ダ・ヴィンチが爆弾を阻止し、デイヴィットが立香を信用して背を押してくれた。

 それなのに、まだ足りないというのか?

 この怪物を倒すには、まだ届ないというのか。

 

 一度、負の考えをしてしまえば、次々と悪い考えばかりが頭に流れ込んでいく。

 立香の中のなにかが、ぶつりと音を立てて折れそうになる。

 

 そのとき――。

 

「……っ!?」

 

 マシュが、立香の前へと滑り出るようにして立ちはだかった。

 

「下がっていてください、先輩……戦闘を再開します」

 

 静かに、けれど決意を込めて盾を構え直すその姿に、立香の胸が締め付けられる。

 

 だめだ、戦ってはいけない。

 さっきの戦いでは、たしかにマシュはレフを打ち倒した。けれど、それは“まだレフが人間の姿をしていた”頃の話だ。今、目の前にいるそれは、もはや人の形をしていない。理性も、倫理も、そして限界も超えた、ただの“怪物”だ。

 

 あんな化け物を目の当たりにしては、希望すらことごとくちっぽけなものに感じてしまう。

 そうでなくとも、勝機なんてものは実は錯覚で、今度こそマシュが本当に死んでしまうかもしれないのではないかと思い込んでしまう。

 

 そんなせいか、気が付けば立香は、前に出ようとするマシュの腕を掴んでいた。

 

「だめだっ、マシュ……! 戦っちゃ――」

 

「だいじょうぶです、先輩……私はあなたを守るために、この盾を握ったんですから」

 

 そう言った少女の笑みは、どこまでも儚げで、どこまでも色あせて見えた。

 

 その細い腕から伝わってくる小さな震えが、手のひらを通して彼女の恐怖を如実に物語っている。

 マシュもまた、恐れているのだ。勇気を纏って立ち向かおうとするその姿の裏で、彼女の内心は叫びをあげている。

 

 怖いのは、自分となんら変わらない。あれだけ強くなったマシュでさえ、ああなってしまったレフと対峙することを恐れている。

 それほどまでに、今のレフは異形で、異様で、異常だ。

 人間の姿を捨てた何か。そんな存在と向き合って、恐れない人間が、果たしてこの世にどれほどいるだろう。

 

「マスターも凡愚なら、そのサーヴァントも凡愚だな。マシュ……さっきの一撃が、君の本気だったのかい? 殺意がまるで感じられなかったよ。本当に私を止めたいのなら、殺すつもり殴らなければ。そうでなければ、貴様たち全員、死ぬことになる」

 

「……たしかに、あなたの言う通りかもしれません。私は、戦闘訓練でも万年補欠の研究員でした……それでも……それでも、だからといって逃げるわけにはいきません……!」

 

「虚勢はやめたまえ。どれだけ声を張っても、その手足の震えは隠せない。勇気とは、確固たる自信のうえに宿るものだ。今の君には、その根がない。戦闘をする資格があるない以前の問題だ。君はそもそも、戦いに向く子ではないだろう」

 

 レフの冷酷な言葉が降り注ぐ。

 彼の言う通り、マシュの震えは一向に収まる気配がない。武者震いとは違う、明らかな恐怖による体の異常だ。

 

 彼女は人を殴ったことはない。逆上がりもできない研究員と自称するだけのことはある。

 

 彼女の守りは鉄壁だとしても、攻撃となればおざなりだ。

 マシュ・キリエライトはどこまでいっても戦士ではなく、無垢な守り手である。ただひとりの人間を、自分が綺麗だと思ったものを守りたい。そんな願いによって立ち上がったからこそ、他人を害することを本気で願えない。本気で殺したいと心から思えない。

 

 けれど少女は、たったひとりの人間のために立ち上がり続ける。歩み続けようと努力する。

 

 なのに、自分はどうだ。

 

「……っ!!」

 

 情けない。

 一度、勝てないかもと思っただけで、あっさりと心が折れてしまった。

 死ぬのが怖くないと思っていたのに、死ぬのが嫌だと思わされてしまった。

 

 ――情けない。情けなくて、たまらなくなる。

 

 (思い出せ――)

 

 立香は、自らの内に呼びかける。

 

(思い出せ――これまでのことを)

 

 強く目を閉じ、胸の奥に焼きついた記憶のひとつひとつをたぐり寄せる。

 

 最初は、なにがなんだったか分からなかった。

 死ぬのが怖くて、他人が目の前でその命を散らすのが恐ろしくて、なにもできない自分がひどく惨めに感じていた。

 何度も自分の無力さを思い知らされた。

 何度も挫けそうになって、諦めてしまいたいと願った。

 

 けれど、そんな中で――多くの人が、言葉を、手を、希望を差し伸べてくれた。

 

 はみ出し者同士といって、丁寧にカルデアについて教えてくれたドクター。

 一般人出身だからと言って優しく励ましてくれたダストンさん。

 なんだかんだ言って、最終的には言葉も説明も足りなかった自分を信じてくれたオルガマリー所長。

 自分をもっとも人間らしいと称し、信じて送り出してくれたデイヴィット。

 顔も知らない、会ったこともないはずなのに。それでも味方をしてくれたダ・ヴィンチちゃん。

 

 そして――いま、目の前で、自分のために恐怖に抗い、立ち向かおうとしてくれているマシュ。

 

 最初は「間違ってる」と思った。ただマシュに死んでほしくなくて、あの結末を否定したくて走り出した。

 

 立香はぎりぎりと奥歯を噛みしめる。

 憎しみと怒りが恐怖で事切れたのなら、今度は自分も、ただ己の信念をもとに戦ってみよう。

 原点を回帰しろ。

 自分が心から望んだことを思い出せ。

 

 誰かに勝ちたいだとか。

 マシュを殺した犯人に仕返しがしてやりたいだとか。

 そんなことのために、ここまで走ってきてはいないはずだ。

 そんなことのために、血反吐を吐いたわけではないはずだ。

 

 もとより、人間の怒りの動力源などたかが知れている。立香は怒りに任せて拳を振るうタイプではない。そんなのは、間違った力の使い方だ。

 

 ――だから、覚悟を決めろ。

 

 命を投げ出してでも、相手を殺す覚悟ではない。

 

 死にたくないのなら。

 死んでほしくないのなら。

 もうあの光景を繰り返したくないのなら。

 

 ――覚悟を、決めろ。

 

 失いたくない。

 生きたい。生きていてほしい。

 

 そう願うのなら――。

 

 

 

 この手で、未来を引き寄せる覚悟を決めろ。

 

 

 

「あああああああああッ!!!」

 

 乾いた音が空気を裂く。

 立香が、自分の頬を叩いたのだ。

 唐突なその行動に、レフは目を細め、マシュは驚いたように振り返る。

 

「せ、先輩……?」

 

「……ごめん。目が覚めた。もう、大丈夫。俺はもう、立ち止まらないから」

 

 頬を叩きすぎたのか、唇の端から血が一筋、つっと垂れた。

 でもそれが良かった。痛みが余計な思考をかき消してくれる。

 

 戻りたくない。

 死にたくない。

 誰も、死んでほしくない。

 

 当たり前で、ありふれていて、誰もが持つ願いだからこそ、それはひときわ強い原動力になる。

 ぎゅっと握りこんだ拳に、もはや怒りはない。恐怖もない。

 勝つか負けるかなんてものはどうでもいい。

 

 ――なにがなんでも、皆で生き延びる。

 

 それだけを握り拳に込めて、立香はマシュの横に並び立つ。

 

「情けないけど、マシュは俺より強い。だから……俺はマシュに守ってほしい」

 

 怖い。怖い。怖い。――怖くて、今でも身体が震える。足が逃げ出そうとしている。

 

 だけど、それでいい。そんなのは当たり前だ。

 

 立香はレフに殺されている。ここに来る前だって、手も足も出ずに体をぼろ雑巾のように痛めつけられたし、一巡前は軟禁の末、背後から体を貫かれ殺害された。

 そんな相手を前にして、恐怖がないわけがない。

 どれだけ戦おうと、たとえ幾度、死線を潜ろうとも。この恐怖は、生涯、立香の足にまとわりついて離れないだろう。

 

 それでも。

 

 もし、自分と同じように、戦うことを怖がっている誰かがいるなら。

 ――もしマシュもまた、恐れを抱きながら、それでも前に進もうとしてくれるのなら。

 

「その代わり、そんなマシュを、俺が守るから――」

 

 どんなに惨めでも、自分もまた――歩みを止めないでいこう。

 ともに歩んでいこう。

 

「だから一緒に戦って、マシュ!! 俺と、ふたりで!!」

 

 その声に、マシュの瞳が揺れた。

 けれど、すぐにその奥底に、凛とした光が宿る。

 

「――はいっ! 不束者ですが、よろしくお願いします、先輩!」

 

 二人の決意に、ようやく我に返ったのは、後ろでレフの異形化に唖然としていたロマニだった。

 

「――はっ!? あまりの、レフ教授のナンセンスな変身に言葉を失ってたけど……ちょっと待ってくれ、藤丸君、マシュ! 僕はまだ、君たちが動くことにすら――」

 

「だいじょうぶですよ、ドクター。あの時は、俺なんかの命で、とか言ってすみませんでした。でも、もう無茶はしません。ちゃんと生きるために、戦いますから」

 

「はい。それが、先輩らしさです。私たちは私たちらしく、皆さんを救ってみせます。だからドクターは、ダ・ヴィンチちゃんをお願いします」

 

「~~~っ……あー! もう、分かった! 分かったよ! 君たち、本当に今日会ったばかりなんだよね!? なんでそんな息ぴったりなの!? もはや熟年夫婦のノリじゃないか!!」

 

「だって、私は先輩のサーヴァントですので」

 

「なに、そのマウントを取るみたいな言い方!?」

 

 ロマニは、頭をガシガシと掻きながら息を吐いた。

 

「……はぁぁぁ。ふたりとも決して無茶はしてくれるなよ。僕もレオナルドをたたき起こしたら、すぐに加勢できるようにするから。戦闘能力はないけれど、それでも無いよりはましだろぅ! それまで、絶対にどちらも死なないように! 命優先で立ち回ること!! いいね!?」

 

「「はい!!」」

 

 マシュと立香が重なった。ロマニはそれに頷くと、倒れているダ・ヴィンチの元へと駆け出していった。

 

 そんな彼の行動を嘲笑しながら、レフはすぐに目の前に立つマシュと立香へと視線を戻す。

 

「片や瀕死の一般人に、片や人を本気で殺せぬ出来損ないのサーヴァント。そんな出来損ないどもで、どう私を倒す?」

 

「分かりません……負けるかもしれない。勝てないかもしれない……。それでも私は、先輩と一緒に、前へと進みます……!」

 

 そう言ってマシュが膝を折り曲げる。

 

「くだらぬ感傷だ。奇跡だの絆だの、そんな幻想に縋って何になる。このカルデアもろとも、お前たちも死ぬがいい!」

 

「――マシュ・キリエライト、前に出ます!」

 

 その言葉と共に、マシュの身体が躍動する。タイルを砕きながら、盾を構え前へ。

 

 レフはそんな突進をさもつまらないと言うように見ながら両手を前に出した。かろうじて残っていた裾部分が破け、胸部と同じく、腕にも生えていた赤色の瞳たちが、ぎょろりとマシュを見やる。

 

 そしてそこから、灼熱の光線が放たれ、床を抉るようにしてマシュへと向けられた。

 

 狙いはサーヴァントと一体化したマシュひとり。立香の身体はとうに限界を迎えており、そうでなくともレフを殺し切ることはできない雑兵だ。

 マスターを殺せば、サーヴァントも消えるが。デミ・サーヴァントであるマシュが、本当の意味で消失するかは分からない。

 

 であれば、サーヴァントのアキレス腱とも呼べるマスターだけを狙うより、マシュに力を裂きつつ、余力で立香を殺しに行ったほうが堅実的だ。

 

 そう考えたからこそ、レフはマシュを狙い、間接的に立香を殺すような手段をとった。

 しかし、マシュは即座に盾を構え、余力分である立香を殺そうとした攻撃まで、自身の盾で防ぐ。わざわざ同じ射線上に入ってくれたことを確認したレフは、再度、あまたの光線を放った。

 

「く……あっ……!」

 

 盾越しに伝わる熱量に、息が詰まる。

 さっきよりも攻撃が重い。並みの魔術師では発動しえない威力の魔術。サーヴァントであるマシュを苦しめるほどの威力をどうして実現させられているのかは、マシュにも分からない。

 けれど、わかることはただひとつ。

 レフの攻撃は、自身のマスターである立香を一撃で殺すに足るものだということ。

 だから、一瞬の気のゆるみも許されない。神経をすり減らすように意識を蜘蛛の巣のように張り巡らせながら、マシュは魔力を盾で弾き飛ばし、またもや直線的に飛ぶ。

 

 盾を前方に構え、それで自分の身を隠すような突進。

 射線上に立香をいれることで、自身が弾き飛ばされない限りは攻撃できないようにしかける。

 

 しかし――。

 

「視界を己の盾で塞ぐとは、とんだ愚行だな!」

 

 レフは腕を振り上げて、マシュを打ち抜くために、熱線を繰り出した。

 それらは直線的に撃ちだされたものばかりではない。ときには曲線の射線を描き、ときには蛇のように曲がる射線を描く。それらは総じてマシュの盾に吸い込まれるのではなく、その後ろにいる彼女の身体へと吸い込まれるようにして、軌道を奔らせた。

 

「――っ!!」

 

 全方向から降り注ぐ殺意に対し、マシュは盾を打ち下ろし、身体を逆立ちさせて回転する。

 そのまま盾を旋回させ、襲い来る熱線をすべて弾いた。

 

 そうして着地と同時、宝石のような目が、レフを捕らえる。

 

 残り、わずか5メートル。

 

 そんなもの、サーヴァントであれば一足で潰せる距離だ。

 

「――――!!」

 

 ダン、と再び床のタイルを踏み抜く音がしたと同時、マシュの身体が弾丸のように前進する。

 前に突き出される盾。狙いは、レフの鼻っ面。

 

 だが、レフは笑う。

 盾での突進による攻撃。だがやはり、その攻撃には殺意がないからだ。

 どれだけの技としてのキレがあろうとも、相手を終わらせてやるという気概が感じ取れない攻撃に意味はない。

 

 対して、レフは違う。

 本気で相手を殺す。本気で相手を害する。そう言った攻撃は何倍も悪辣で、だからこそ強いのだ。

 

「残念だよ、マシュ――君を二度も殺すことになるとは」

 

 レフの腹から、なにか触手のようなものが伸びる。

 それはマシュが前に突き出している盾を回り込み、彼女の身体へと穴を穿つために走った。

 その強度は、たとえサーヴァントの硬度を誇るマシュであったとしても、容易に貫くだろうもの。暗闇に乗じ、ダ・ヴィンチを刺し穿ったのも、これによる攻撃だ。

 

 もろに受けてしまえば、ただでは済まない。

 どころか、戦闘不能へと一発で陥らされてしまう。

 

 だが――甘い。

 

「……ええ、私のほうこそ残念です、レフ教授。あなたは、優しい人だった……」

 

 そんな小細工すら、彼女の守りを侵すほどのものではなかった。

 触手のようなものを、マシュは身を回転させることで躱し、盾で地面に縫い留めたのだ。

 

 たしかにレフの攻撃は、悪辣とも呼べる不意打ちだった。

 意識していなければなおのこと、それは必殺に足りる小細工であっただろうことは言うまでもない。

 

 しかし、それでも防がれた。

 が、それはマシュから攻撃手段を奪ったこととも同義である。

 

 唯一の武器である盾で殴っても、レフは沈まない。それはマシュに、本当の殺意や敵意がないから。

 そんな彼女が盾を手放し、拳で殴りかかったとしても、レフは微動だにしないだろう。

 

 お互いに攻撃手段を奪われたに等しい。

 そんな両者に待つのは均衡――

 

 ――のはずだった。

 

「きさ、ま――――!!」

 

 マシュが殴れないなら。

 マシュがレフを、本気で傷つけられないのなら。

 

「あとは任せました――先輩」

 

 誰よりもレフの悪辣さを知り、誰よりも死の恐怖を知り、誰よりも生きたいと、生きてほしいと願う者にこそ、その攻撃はふさわしい。

 

 マシュがわざわざ、後ろにいる彼と射線が被るように走ったのは何のためか。

 自分の視界を塞ぐ覚悟で、盾を前に突き出し、レフから対角線上を隠すようにして突進し続けたのは何のためか。

 

 それは、この一撃、この瞬間のための布石のため。

 

「藤、丸ゥアアアアアアアッ!!!」

 

 マシュの影から、藤丸立香が躍り出る。

 

 人間のくせに。

 ただの子供のくせに。

 

 それなのに、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も。

 

 苦しめようとも、絶望させようとも。

 その度に惨めったらしく立ち上がっては、目障りに視界に映りこんでくる存在。

 

 レフは怨敵を睨むように、目を引ん剝く。

 そんな状況下であっても、冷静に、されど心を熱く燃やしながら、立香は右手に宿した令呪を光らせ、残りの一画を溶けるようにして消失させた。

 

「はあああああああああああああっ!!!」

 

 マシュが視線を走らせるよりも早く、レフが防御を固めるよりも早く――

 

 拳は、迷いなく振り抜かれた。

 

 その一撃が、レフ・ライノールの顔面を打ち抜く。

 

 拳の皮が剥げ、礼装がはじけ、拳を放った立香の腕から鮮血が噴き出す。

 それでも止まらない。

 まるで大気を砕くかのような衝撃が、空気を裂いた。

 

 

 

 3

 

 

 

 

 ――打ち抜いた。

 骨を砕く鈍い衝撃が、拳から肘へ、背骨の奥まで響く。掌は裂け、感覚は焼けるように痺れている。指の関節が悲鳴をあげ、体内の血流までもが揺らぐようだ。

 

 視界は血に染まり、世界の輪郭が滲む。

 そんな立香の視界の中で――レフ・ライノールの顔が、大きくのけぞったのが見えた。

 

 一瞬、中央管制室にある音がすべて遠のく。

 立香の拳は血まみれで、皮膚は裂け、指の感覚すらもう残っていない。力のすべてを出し切ったのか、四つん這いになり、息を荒げている。眼球からはどくどくと血が流れ、血管という血管がもろくも破裂してしまっていた。

 

 恐怖はないが、痛みはある。

 けれどそんな満身創痍の立香とは違い、レフの身体が崩れ落ちることはなかった。

 

「………………」

 

 静寂。

 レフは沈黙したまま、わずかに首を傾げる。

 その表情に、苦痛は見られなかった。むしろ僅かな興味と、皮肉な笑みさえ浮かべている。

 

「クク……クハハハハハ!! なるほど。よくもまぁ、そんなものが通じると思ったなぁ、人間。この私に、たかだか、強化の魔術を使った攻撃など」

 

 だがその瞬間だった。

 ガクリと、レフの膝が一度、落ちる。

 

 「……っ、何……?」

 

 脳が揺れていた。視界が僅かに歪み、音がこもる。時間の流れが不明瞭になる。

 脳震盪。

 完全な非人間へと変生し切れていないがゆえに、残っていた「脳」という器官が、立香の拳によって強制的に揺さぶられていたのだ。

 

「――っ、先輩!!」

 

 マシュはその変化を見逃さず、倒れた立香を抱えて後ろへ跳ぶ。

 追撃、という考えは頭によぎらなかった。

 たとえマシュがさらに殴りかかったとしても、レフを完璧に排除するまでには至らない。

 だからこそ、この場で限界を迎えてしまった立香を戦場から切り離すことを第一に考えての行動だった。

 

 ある意味、その選択は最善である。

 

「ッ、この、忌々しい……! この私が、人間の……ガキ一匹に、頭を揺らされるなど――!」

 

 レフは怒りをあらわに、ろくに機能しない脳を切り離し、全方位に熱線を乱射する。

 もしマシュの反応があと一瞬でも遅れていれば、その光に焼かれて立香は死に絶えていたことだろう。

 

「殺す……殺す殺す殺す! 貴様ら全員、皆殺しだあああああ!!!」

 

 レフが身体を掻きむしり、どうしようもない憎悪を滾らせ喉を振るわせる。軋む骨、歪む肉体。人間離れした異形へと変貌を遂げようとする兆候。

 

 ――倒し切れるとは、最初から思っていなかった。

 それでも、せめて時間を稼ぐくらいになれば。レフを倒す一助くらいになればと振るわれた拳。

 

 それらをすべて台無しにしようとするレフを、立香はマシュの腕の中で眺める。

 ああ、まだ底ではなかったんだ。

 そんな楽観的な感想と、まだやらなければという思いが沸き起こる。

 さっきの一撃が無駄だというのなら、もう一度、もう一発。レフがその身を完全に崩すまで、何度でも攻撃しよう。

 だが、そんな意気込みに反して、立香の身体は指先ひとつに至るまで、ぴくりとも動いてはくれはしない。どころか、傷みすらもだんだんと遠ざかり、四肢からは温かさも抜け落ちて行っているようにさえ思えてしまう。

 

 マシュがなにかを叫んでいる。

 レフが目を剥き、異形の顔でこちらを睨んでいる。

 

 なにもかもが遠い。なにもかもが霞む。

 今自分が起きているのか、寝ているのか。そもそも生きているのか、死んでいるのかすらあやふやな状態で。

 

 されど、その声は立香の鼓膜を打った。

 

 

 

「――天は巡らず」

 

 

 

 その声が聞こえた瞬間、今にも変貌を遂げようとしていたレフの身体が硬直した。

 文字通り、体が凍らされたように指先が止まり、目を見開いたまま、時間が止まったかのように停止する。

 

 瞬間、レフの身体に極光が奔る。

 まるで胸を貫くように、その一筋が、おおきくレフの身体をくねらせた。

 

「きさ、ま……っ、なぜ……っ!?」

 

「オフェリア」

 

「ええ――事象・照準固定――私は、それが輝くさまを視ない(lch will es niemals )

 

 続けて、どくり、とレフの身体が真の意味で硬直する。

 

 その緩慢とした動きのまま、レフは目玉だけを動かして、さっきまで睨んでいたマシュや立香とは違う――自身が破壊しようとしていたコフィンのほうを見た。

 

 そこにあるものが、理解できなかったのだろう。

 レフの目にはあり得ない未来が映っている。起こるはずのない可能性がそこに存在している。

 

 立香も遅れてコフィンのほうへと目をやれば、そこにはさっきまで中央管制室にいなかった人影が視界に映りこんだ。

 

「ははは、訳が分からないって顔だね、レフ教授」

 

 そう言って笑ったのは、誰なのか。

 ろくに見えなくなった視界の中でも、その美しさだけは捉えることができた。

 停電から復帰したと同時、コフィン近くで倒れていたダ・ヴィンチ。彼が、コンソール台にもたれかかかりながら、してやったりといった表情で、レフをあざ笑っていたのだ。

 

「っ、お前の仕業かあ、レオナルド・ダ・ヴィンチィィィィィィィィ!!!」

 

「半分正解……でも半分は不正解だ。叶うことなら、手取り足取り、タネの説明をしてあげたいところだけど、残念ながら、今の私にそこまでの余裕もないし。君にだって、そこまでの余裕を与えるつもりはない……ロマニ!!」

 

「分かってる、よ!!!」

 

 ダ・ヴィンチがそう呼びかければ、その隣でドクターがさらにコフィンを解錠する。

 白い煙が立ち上り、その中から降りてくる影。

 やがて煙を払い、新しくその場に立った計四人の男女が、レフをきっと睨んだ。

 

「おいおい、どうなってんだよ、こりゃあ? ってか、なんだあのマシュの姿ぁ!?」

 

「緊張感を持って、ベリル。私の魔眼で敵の行動は未然に防いでるけど、まだ安心できる状況じゃないの」

 

「あー、もうやーね。そう言う、オフェリアこそ肩の力を抜きなさい。というか、誰もレフ教授の姿にツッコまないわけ!?」

 

 それぞれが勝手に、思いのままに、そうやって言葉を交わす。

 それを見ていたマシュも、レフと同様に顔を驚愕に染めあげた。

 

「みな、さん……どうして……?」

 

「遅くなって済まない、キリエライト。それに、カルデアのために身を張ってくれた君」

 

 そう言って、マシュと立香に歩み寄ってきた男。

 ブロンドの髪をたなびかせ、いかにも貴族然としたその男は、ふたりを庇うようにして前に立つ。

 

「安直になってしまうが、言わせてくれないか。君たちを助けに来た――参戦の口上としてはいささか及第点だろうか?」

 

「キリ、シュタリア……さん……」

 

 二巡目のとき、そう名乗っていた男を立香は知っている。

 Aチームのメンバーとして、マシュを除いてはじめて言葉をかわし、名を交わし合った彼。

 

 おかしい。なにもかもが、おかしすぎる。

 コフィンに搭乗していた彼らが、今ここにいる。それだけで状況は逸していた。

 レフの言う通り、コフィンに搭乗していたはずの男がここに立っているのはおかしい。それこそ、なんの準備もなしに、一瞬でコフィンから降りてきていること自体が不可解だ。

 

 立香はおぼろげな目をコフィンのほうへとやれば、そこにはデイヴィットに渡されていたバッグが開かれ、見たこともない機器類が散乱していることに気が付いた。

 

(ああ……なるほど……)

 

 またやられた――そう思いながらも、胸には妙な高揚感が芽生える。

 

 言葉を交わした回数はごくごくわずかだが、立香にもなんとなくデイヴィットという人間が、どういう人なのかは分かる。

 たぶんあの男は、爆弾処理のための道具を集めると言っておきながら、立香を囮にしてこの状況を見越し、準備をしていたのだろう。でなければ、爆弾を解体する道具を立香に持たせたところで、あまり意味はない。

 

 それが分かると、また騙されたという気持ちと、それでもデイヴィットへの感謝の気持ちが胸から沸き起こる。

 と同時、抱えられていたマシュの腕の中で、立香は眠気に誘われるように、後ろ髪をひかれる気分になった。

 

(ああ、やっとこれからだっていうのに、下手したらまた終わりか……)

 

 だが、まあ、たとえそうであったとしても、自分はまたここに立つだろう。

 何度でも、何度でも、何度でも。

 

 この状況の、この先の未来を勝ち取るために。

 

「せんぱ……い……先輩――――!?」

 

「……ごめん、マシュ……」

 

 すこしだけ、待っていて。

 そう呟こうとした瞬間、立香の視界はぷつりと暗転した。




ながいっ、一話が長すぎるっ
途中で区切ろうかとも思いましたが、もはや大盤振る舞い一挙に投稿です。


真っ赤に染まったカルデアス。
魔神柱としての片鱗を見せるレフ・ライノール。

しかし、デイヴィットにより用意されたコフィンからの瞬時降機で、コフィンから出てきたAチームメンバー。

そうしてその中で、立香は意識を手放す。

勝負の行方は……。
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