藤丸立香は死に戻る   作:ららら

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終章記念に描き溜めていたものを折角なので出します。
みなさん、これまでの旅は楽しかったですか?


第十七話 The sun in the Abyss

『――――だ。君は―――境界――』

 

 これは、夢だ。

 不思議と、そう実感できた。

 

『これまでの――は、――――――――』

 

 俺はこの光景を知らない。

 俺はこの会話に身に覚えはない。

 

『さようなら、僕の――。なんて――――――』

 

 走馬灯のように、忙しなく数多の声があふれかえってくる。

 一部はノイズが混じったような音がして、声を声と認識できないが、それでも、それがなにかの意味をはらんだ言葉だと理解できる。

 

『自分たち以上の存在が――になる事を、お前は――――のか!』

 

『じゃあね。負けんじゃないわよ』

 

『そっか。それはいい夢ね。ほんとう。うまくやれていれば、良かったけど』

 

 次第に声がクリアになっていく。

 声の主が、どんなものなのか、鮮明になってくる。

 

『誰かのため、でもない。自分のため、でもない。正義のためでもない』

 

 ああ、そうか。

 

『私はたぶん。何かひとつ裏切らないもののために』

 

 これはきっと、――――の。

 

 

 そうして、すべてを見終わった時。

 自分が、どんな顔をしているのかを自覚した。

 

 

 

 

 1

 

 

 目が覚めるという感覚は、深海から一気に水面へ顔を出す感覚に似ていると、立香は思う。

 あの圧迫感、耳鳴り、そして不意に満ちる呼吸。夢と現実の境目は、いつも唐突だ。なぜ人間という生き物は(いいや人間に限った話ではないのかもしれないが)、こうも夢から覚めるとき自発的に動けないのか、常々疑問だった。

 

 そもそも、気を失うのと寝ているのになんの差があろうか。

 科学を人並みにしか知らない立香には、それらを実証する知識もなければ、それほどまでの知的好奇心も持ち合わせていない。

 

 ただ分かるのは、己が目覚めるというもの。まるで明晰夢が終わりをつげ、いよいよ脳が活性化を始めている前兆を目ざとく感じ取れるだけのことだ。

 

「———フォウ、フォウフォウ」

 

 そうして、耳の奥で聞き慣れた鳴き声がくぐもって響く。

 その音が意識の底に残っていた眠気を一気に洗い流すように、ゆったりと瞼は開かれた。

 

「キュゥ、フォウ、フォウフォウ?」

 

 視界にまず飛び込んできたのは、ふわふわした白いリスのような生き物が、腹の上で首を傾げている光景だった。

 

 この光景を、自分は幾度見たことだろうか。

 回数自体は覚えている。いやでも記憶させられていると言った方が正しいのかもしれない。

 

 実に5回。

 片手の指と同じ回数も経験すれば、だんだんとリアクションというものも薄くなってしまうものらしい。

 寝ぼけ眼のまま、おぼつかない思考を回しながらフォウ君の頭を撫でる。すると彼はくすぐったそうに身じろぎしながらも、掌にすり寄ってきた。

 

 ――何を、見ていたんだっけ……。

 

 思ったよりもさらさらとした毛並みを堪能しながら、立香は思う。

 

 夢を見ていた、とは思う。

 それが悪夢だったのか、明晰夢だったのか、はたまた過去の整理だったのかは判然としない。

 ただ、無性に胸をかき乱されるような内容だったことだけが、心に残り火となって燻っている。

 

 あまり夢見は悪くない方だと思っていたため、不思議な感覚だった。

 

(それにしても……)

 

 意識が冴えるにつれ、違和感が浮かぶ。

 なにかが違う。

 今まで目覚めたとき、たしかにフォウくんが自分の腹部に乗り、鳴き声を漏らしていた。

 だが、その次の瞬間には掛けられていた声が、いくら待てども投げかけられてくる気配がない。

 

 そもそも、眠気が覚めてきたおかげで気が付いたが、頭の下の感触もちがければ、見覚えのある天井でもなくなっている気がする。自分は目が覚めるとき、こんな風に枕のようなふかふかした寝心地を堪能できていただろうか。

 

 そう疑問に思っていると、だ。

 

 がしゃん、と甲高い音が部屋の静けさを裂いた。

 

「――――?」

 

 視線を動かすと、そこには。

 

「せん、ぱい……?」

 

 驚きに目を見開いたマシュがいた。

 レフと戦った時とは違い、眼鏡をかけた、ここ最近で見慣れてきたと思う少女の姿がいた。

 

 彼女の足元には、手から滑り落ちたのだろう銀色のトレイが転がっている。どうやら、自分を見てそれを落としてしまったのだろうと気が付いた時には、なぜか頬を伝う熱いナニカを感じた。

 

 なるほど、この光景が夢でないのならば、きっとそれはとても幸福な出来事なのだろう。

 似ているようで、明らかに今までと違う目覚めの仕方。

 もし自分のことを見ている者がいるのであれば、まさに感動的場面だと万雷の喝采を送ってくれるに違いない。

 

 けれども、立香にとっては、目の前の光景がそんな仰々しいものとは思えなかった。

 彼はどこにでもいる平々凡々とした人間であり、ドラマチックな非日常よりも、ありふれた日常体形こそ追い求める。藤丸立香が求めていたのは、徹頭徹尾、劇的な英雄譚ではなく、誰もが想像するファンタジーなんかでもない。

 

 もっと身近にある、ごくごくありふれた平凡差し支えない日常の一幕こそ、彼が心から望んだエンディングだった。

 

 故に。だからこそ。

 

 そんなありふれたものを慈しむように。愛おしく恋焦がれるように走ってきた立香だからこそ。

 彼の口から出てくる言葉は、必ずしも感動的なものではなかった。

 

「……おはよう、マシュ」

 

「――――、はい! おはようございます、先輩!」

 

 こういう、誰もが口にするような言葉こそ、藤丸立香に最もふさわしいのかもしれない。

 

 

 

 

2

 

 

 絶対安静です、とはマシュの言葉である。

 どうやら立香は気を失ってから、三日三晩寝たきりになっていたらしい。自分の意識が暗転してから、ここに運び込まれるまでの経緯は聞かされず、当の少女はドクターを呼びに行くことを優先してか部屋をあとにした。

 

 必然、取り残された立香はベッドでひとり横たわる状態のまま放置される。いつの間にか、毛並みを撫でていたフォウくんもいなくなり、彼の寝ている部屋は、物音ひとつしない静寂に包まれていた。

 

 考えること、やらなければいけないことは、文字通り山ほどあるように思える。

 だというのに、体は依然としてベッドに横たわったまま。縫い付けられているのではないかと錯覚するほど、この場所から動く気力も湧かなければ、その意思も芽生えてはこない。

 ただただ空虚な時間が流れていく。

 目は覚めているはずなのに、どこか夢見心地のまま。

 気が付けば、立香はしっかりとした意識の中で、ぼうっと右手を眺めていた。

 

(このタトゥーみたいなの、まだあったんだ……)

 

 手の甲に刻まれた赤い文様を見ての感想は、なんとも平易なものであった。彫った覚えもなければ、彫られた覚えもない代物。いつの間にか刻まれていた、令呪と呼ばれるナニカ。

 これが魔術的、科学的にどのような価値を持つのかはしらない。これが刻まれたことによって、立香にどのような働きがあったのかも、今のところは知る由もない(そもそも、今は知ろうとすら思えないわけだが)。

 

 これのおかげでレフ教授の顔面に殴れたんだっけ?

 

 などと、どこか他人の偉業を話すかのような感想を浮かべながら、立香はまた手を降ろす。

 思考能力が、そこで止まってしまったのだ。

 

(終わった、のかな……)

 

 実感はない。最後に見た記憶は、マシュの腕の中で誰かが自分たちの前に立った瞬間だ。

 あそこからレフ教授はどうなったのかも。誰が生き残り、誰を失ってしまったのかも分からない。

 マシュが部屋に訪れたため彼女が無事なのは分かる。ドクターを呼びに行ったことから、きっと彼も無事であることも察せられる。

 けれど、それでようやく2人。2人だけしか、いま立香が安全だと言い切れる人間はいなかった。

 

 所長は無事であろうか。

 ダ・ヴィンチちゃんは生きているだろうか。

 管制室から動けないスタッフを誘導するため、我先にと飛び出してくれたダストンさんは?

 レフの使い魔を相手取るため、自分を先に行かせてくれたデイビットは?

 もっともっと、多くの命があそこにはあったはずだ。

 

 正直に言えば、マシュの腕を引き留め、状況説明してもらうことは可能だった。ドクターを呼びに行くことを優先したのは、なにもマシュだけじゃない。説明を聞くことを恐れ、彼女を止めなかった立香こそ、その状況説明から逃げ出した元凶である。

 

 ぐるぐると表明できそうにもない気持ちが身体を犯し、侵食する。

 

 怖い。

 怖いのだ。

 

 自分が気を失っている間に、誰か死んでいるかもしれない。

 自分が気を失っている間に、取り返しのつかないことになっているかもしれない。

 自分が気を失っている間に、また何かを失っているかもしれない。。

 

 想像するのも億劫で、考えることすら放棄したくなる。

 

 分かっている。これが逃げだということは。

 逃げたって現実はそこにあるし、事実は覆しようのないものだ。いつかは向き合わないといけないし、目を逸らしていたって自分の業が消えてくれるわけでもない。

 

 けれど、知ってしまえば、自分はどうしようもなく打ちのめされるだろうと、立香は気づいていた。

 なんであの時、もっと頑張らなかったんだと。やりようはいくらでもあったんじゃないかと。己を責め立てるだけの善良さと、平凡さを持ち合わせていた。

 

 だから、考えずにはいられない。

 

 最善を尽くした、なんてのはとてもじゃないが口にはできない。

 多くの失敗をした気がした。自分じゃなければ、もっとうまく立ち回れたんじゃないかと本気でそう思う。

 

 これは劣等感なんて生易しいものではなく、ただただ己の未熟さを知っているが故の無力感だ。

 

 どうしようもなかったと諦めるのは簡単だ。

 時間が経てば、きっといつかば前を向けるようになるという確信もある。

 どうしようもなく前向きなのは取り柄だという自覚はあるし、実際、そうでなければこの結果は得られなかっただろう。

 多くの人に助けられ、多くの人に背中を押され、多くの人に信頼してもらえた。

 かけがえのない結果だ。胸を誇れるような偉業だと言う人もいるかもしれない。

 

 でも、当の本人がそれは違うと思ってしまう。

 

 取りこぼしてしまったものに目を向けないほど、藤丸立香は合理的にできてはいない。犠牲を受け入れ、それを割り切れるほど希薄な人間でもない。

 抱えながら、取りこぼしながら、足を引きずってでも前を向く。

 そんな人間なら誰しもが持つ希望には、しっかりとした後悔がつきまとうと、立香はこの時、初めて知った。

 

 だからこそ、これは恐怖なのだ。

 

「…………こわい、なぁ」

 

 気が付けば、そのような言葉が唇から漏れていた。まるで締めたはずの蛇口から、ぽとりと雫が垂れたときのように、自然とこぼれ落ちていた。

 

 これなら、まだ死に戻りしていたと言われたほうがマシだった。

 今度は、さっきよりもうまくやってやると、逆に反骨精神すら芽生えていたかもしれない。

 証拠に、目が覚めた時はまだ少しだけ心が楽だった。

 あれだけ苦痛に感じていたリスタートが、今ではマシだと思えるほどだった。

 

 でも、ここに来てしまった今、下手な成功は逆に恐ろしいものだ。

 現実に目を向けるのが、怖くて怖くてたまらない。

 

 そんなことを考えていると、自動開閉扉が開く音がした。

 マシュでも戻ってきたのかもしれない。

 

 咄嗟に身構えてしまう。ぴくり、と体が条件反射に跳ねてしまう。

 本日二度目の来訪に、立香は恐る恐る頭だけ寝返りを打つ形で来客をその視界で捉える。

 

 しかし、そこにいたのは、自分の考えていたような人物ではなく。

 

「……デイ、ビット?」

 

「目が覚めたか」

 

 その来客は、あまり立香の予想した人物ではなかった。

 

 

 

 

 

3

 

 

 デイビットは部屋を訪れるなり、手ごろな椅子を見つけてそこに腰かけた。

 立香はそんな彼を、ぼうっと見つめる。

 体に傷はなさそうだ。カルデアの制服ではなく、分厚いコートなんかを着込んでいるせいで、たとえ体に傷があったとしても気づけないかもしれないが、それでも一見した限りでは、やはり人体に支障があるとは思えない。

 

 あれだけ、レフの使い魔に噛まれていたというのに、やはり魔術によるものだろうか。

 そんな無駄とも言える思考が、ずっと立香の頭にはびこる。ほかに考えなければいけないことが多くあるはずなのに、どうしてかそれらに思考がいこうとしない。

 

 生きていてよかった。そんな気の利いた言葉すら、今は出てきそうにもない。もしその言葉が発端となり、犠牲者の存在が露にでもなれば、とてもじゃないが耐えられないかもしれないから。

 

 これで3人目。

 それが、立香が生きていると確証を得られた人間の数だ。

 

 考えたくない。これ以上、考えたくない。

 それでよいのではないかと思う。デイビットは無事だし、マシュも元気そうだった。多分、患者を見に来れるということはドクターも生活に支障はきたしていないのだろう。

 

 それでいいじゃないか。

 

 失ったかもしれないとビクビクおびえるより、助かった命を慈しむ方が何倍も有意義だ。

 

 そう思い、そう念じ、何度も割り切ろうとして口を開こうとする。

 けれどやはり、寸前でそれらは言葉にならなかった。

 

 ――あれから、どうなった?

 

 その一言がずっと発せられないでいる。

 

 数秒。いやもしかしたら数分。はたまた数十分か。

 時間間隔がおかしくなるほど、長い沈黙。

 デイビットは立香の部屋を訪れたというのに、口を開くことがなく、じっと黙っている。

 立香も物珍しく自分から口を開く気にもなれず、ただ静寂が流れるままに身を任せて、口を閉ざして見覚えのない天井を眺め続けていた。

 

 そんなとき、ようやくデイビットが口を開く。

 

「なにも聞かないのか」

 

 その問いかけに、立香は心臓が跳ねたような気がした。

 

「そう、ですね……とくに、なにも思いつきません……」

 

「そうか」

 

 デイビットは、立香の返しになにも思わなかったのか、それだけを短く返す。

 失望させてしまっただろうか。立香は一瞬だけそう思うも、やはりそれを口にする気にはなれなかった。

 

 代わりに、今思いついただけのことを口にしてみる。

 

「どうして、ここに?」

 

 その問いかけには何の意味もない。それは立香自身も分かっている。

 どういう理由であれ、デイビットがここに訪れたからには目的を達成するだろう。そこに立香の意思が介入する余地はない。

 心配しに視に来てくれたのなら、目覚めていることを確認した時点で目的は達成されているし。なにかを伝えに来たのなら、やはりそれもデイビットが一方的に伝えて終わることだ。

 なにを目的にしているにしても、なにを企んでいるにしても、デイビットが行動を起こした時点で、その目的は達成される。

 だからやはり、その質問に意味はなかった。

 

「入ってきた理由は簡単だ。君を看病していたキリエライトが、急いでこの部屋をあとにした。その時点で、君が目覚めたことは察せられる。彼女がなぜ通信機器での呼び出しをせず、自分の足で向かったのかも、ここに入って納得した」

 

「……?」

 

「疑問に思いながら、それを口にしないのか」

 

「あー……すみません。なんだか、頭がずーっとぼうっとしてて」

 

 嘘だ。

 頭はぼうっとしているが、意図的にさっきの疑問は口にしなかった。

 

 たぶんデイビットには、今の立香の心情を見抜かれているのだろう。

 耳を塞ぎ、うずくまり、必死でなにも見ないようにしている自分の弱さを、つまびらかに見抜かれている。

 

 その弱さを指摘されたくないから、立香は逃げた。

 立香は自分に嫌気がさし、意味もなくデイビットとは別方向に頭を倒れさせる。

 もう、彼の眼差しを感じることさえ、嫌になってきた。

 

「すみません、俺、ちょっと寝ます……」

 

 その言葉を聞いて、デイビットもまた黙り込んでしまう。

 しばらくして、「そうか」とだけ言い、背後から椅子を引く音が聞こえた。

 

 もう行ってしまうようだ。立香はそれを止めようとは思わない。

 かつん、かつん、とやけに厚底ブーツがタイルを弾く音が聞こえる。

 それが遠ざかるたびに、立香は顔に力が入るのが分かった。

 

 逃げている。

 逃げているだけだ。

 そんなのは嫌というほど理解できている。

 

 もしかしたら、自分が考えているような状況になっていないかもしれない。もしかしたら、誰も失っていないかもしれない。それでも、幾度となく死んで戻って繰り返して失敗してきた立香には、耐えがたいものがある。

 

 自分の心を防衛するためだけに他人を遠ざける。

 まったくもってバカバカしい防衛だ。泣けてくる。

 

 だが、部屋を出ていこうとしたデイビットが、入口のところで立ち止まるのが分かった。扉は開くが、一向に出ていく足音がしない。

 そして、さっきと変わらない様相でデイビットの声が立香の背後へと掛かった。

 

「今のお前からは、なにも聞く価値はないんだがな……」

 

「……」

 

「だから、これは俺の我儘(エゴ)なのかもしれない。正直、言う必要もない。お前のそれは時間が解決してくれる。聞き流してくれてかまわない、取るに足りない戯言だ」

 

 しかし、とデイビットは続けた。

 

「ありがとう、藤丸立香。君のおかげで、彼らも、俺も……誰も死なずに済んだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、立香はこらえ切れない涙があふれだしていた。

 

 ずっと聞くのをためらっていた事実が、不意に耳を刺した。

 誰も死なずに済んだ。もしかしたら、ただの気休めの言葉なのかもしれないが、その一言が、なによりも立香の心をかき乱してくる。

 

 肩が震え、嗚咽が混じり、手がわなわなと震える。どれだけ拭おうとも、どれだけ目に力を入れようとも、まるでその源泉は底を知らないかのように、あふれて、流れて、とめどなく伝っていく。

 

「あぁ……良かった……ほんとうに、よかったよぉ……」

 

 一度、決壊してしまえばそれはもう止まることを知らない。

 これを狙っていたのだとすれば、デイビットは悪い男だ。

 聞きたくないと耳を塞いでいた少年に、強制的にそんな嬉しい言葉を投げかけるなんてのは。

 

 そんな時、立香の嗚咽交じりの鳴き声に混ざって、どたばたと複数の足音が近づいてきた。

 

「先輩、ドクターを連れてきました! どこか悪いところはありませんか!? って、先輩!!?」

 

「藤丸君! 目を覚ましたんだって!? 大丈夫か――って、うええい!? ゼム・ヴォイド!? それに、なんで藤丸君が泣いて!? なにをしたんだい、君!?」

 

 マシュとドクターの声が、部屋の中に転がり込んでくる。

 

「俺は何もしていない」

 

「なにもしていないわけないだろう!? あー、もう君だって重傷なんだから、さっさと部屋に戻った!戻った!」

 

「先輩、だいじょうぶですか!? 水を飲んで落ち着きましょう!」

 

 マシュに起き上がるのを手伝ってもらい、背中をさすってもらいながら、立香はわんわんと泣いた。

 これだけ泣いたのなんて、母親から生まれ落ちたとき以来かもしれないくらい泣いた。

 

 終わったのだ。

 なにもかも、やり遂げられていたのだ。

 

 頑張ったなんて安っぽい言葉では片づけられないほど、まさに死に物狂いでここまで走ってきた。

 多くの挫折を知り、その度に自分を奮い立たせてようやく勝てた。

 

「よかった、マシュも、ドクターも、デイビットも、みんな生きてて、よかったぁ……!」

 

 立香は自分を支えてくれていた後輩を抱きしめる。彼女は少し困惑した姿を見せるが、それでも抱きしめ返してくれた。

 泣き腫らしているせいで、まるで洪水のような視界の中では、ロマニとデイビットが取っ組み合いをしていたのに、こちらをぽかんと眺めている。

 その光景がまた嬉しくて、幸せで、満たされていて。

 言葉にできないくらい、いっぱいの感謝が芽生えてきて。

 

「お疲れ様です、先輩。生きていてくれて……私も、嬉しい……!」

 

 そう言った後輩の言葉に、とどめをさされてしまった。

 

 二度目になるが、立香はどこにでもいる平々凡々とした人間であり、ドラマチックな非日常よりも、ありふれた日常体系こそ似合うものだ。藤丸立香が求めていたのは、徹頭徹尾、劇的な英雄譚ではない。そんな誰もが想像するファンタジーなんかではなく、もっと身近にある、ごくごくありふれた平凡差し支えない日常の一幕である。

 

 そんなありふれたものを慈しむように、愛おしく恋焦がれるように走ってきたからこそ。

 だからこそ、彼の言葉から出てくる言葉は、必ずしも感動的なものでなくていい。

 

 ただ赤子のように、ただどこにでもいる普通の人間らしく。

 

 毅然としてなくても、どれだけ無様に泣き叫ぼうとも。

 それでも誰かの生存を、心の底から「よかった」と喜び泣けることこそ、彼にとっては非常に重要だった。




長いのでエピローグは分割。
一旦、ここで一区切り。
もしかしたら今晩に出すかもしれませんし、年内には出して終わらせたいね。
立香が気を失った後のこととか、レフがどうなったのかもそこで描きます。

この藤丸立香が死に戻りしている理由は、気づく人はこれまでの気づくかもしれないし、明かすところまで書くかもちょっと怪しい。
ので、お好きに考えてくださいな!


いやー、本当にみなさん、レイドとかも含めてお疲れ様でした!!
終章で情緒をやられた人も、まだ見てないよって人も、含めて、ただただ感謝を!!


感想欄に終章のレイド決戦以降のネタバレはなるべくおやめくださいね。
ひどいものは見つけ次第、即座に削除しますよ、あの道満が。
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