英雄に憧れる少年の英雄譚   作:葉振藩

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あなたみたいになってみたい

「いててて!」

 

「ほーら、動くんじゃない。手当がうまくできないだろう?」

 

 リンフーは上半身裸になって座りながら、シンフォから手当てを受けていた。

 

 ここは借り始めてまだ一日目である自宅。リーフォン戦での怪我の手当てを受けたいと思い、師であると同時に医師でもあるシンフォを待つために帰った。運が良いことに、帰ってくるとシンフォはすでに家にいた。事情を説明すると、呆れ笑いを浮かべながら手当てを始めてくれた。

 

 付き添いとして、チウシンも来ていた。彼女は一度リーフォンを追おうとしたが、すぐにやめた。かつて父親から「負けた男に優しくすると、かえって惨めになる」と言われたことを思い出したからだ。……慰めてしまったので、少し遅かったかもしれなかったが。

 

 椅子にちょこんと座るチウシンの見守る中、手当てはさくさくと進んでいく。

 

「ほいっ、これで終わりだ」

 

 ぺちん、とリンフーの背中を叩くシンフォ。

 

 大した怪我ではないものの、後で響かないためにと打ち身の膏薬を塗られ、なおかつシンフォ特製の丸薬を飲まされて処置を完了させた。

 

「あ、ありがとうシンフォさん」

 

「いいさ。弟子を手当てするのは当然のことだろう? それより……四年も鍛えたはずなのに、君の体は今なお肉付きが薄いなぁ」

 

 リンフーは頬をほんのり染めて我が身をかき抱いた。

 

「あ、あんまり見るなよ」

 

「ふふ、照れるな照れるな。私は君のちんちんも見ているんだぞ? 今更すぎるじゃないか」

 

「はぁ!? 何言って——は、はわわわっ!? な、何すんだよっ!?」

 

「背筋をなぞっただけだが? ふふふ、君は相変わらず肌が白くてすべすべだなぁ。そぉーれ」

 

「や、やめろってっ……うわわっ!」

 

 つつー、と背筋を指先でなぞってくるシンフォに、リンフーは顔を真っ赤にしながら身をぞわぞわ震わせた。

 

 チウシンは目元を両手で覆い、しかしその指の隙間からしっかりと二人のじゃれあいを凝視していた。ほんのり朱に染まった顔に好奇の笑みを浮かべながら、

 

「わ、わぁ……リンフー、まだ成人前なのに、成人してるわたしより進んでる……」

 

「違うからな!?」

 

 妙な勘違いをしているチウシンに突っ込みを入れてから、リンフーは朱色の上着を着直し、開いた窓の向こうに広がる空を見る。

 

 鉛のような曇天。

 

 時折、眩い光の明滅が起こり、ゴロゴロという遠雷の轟音が鳴り響く。

 

 リンフーは、曇天を見つめる瞳をさらに強めた。

 

 時折光を放つ雷。落ちている場所は遠いものの、音と光はそれでも聞こえてくる。

 

 リンフーはただただ、稲妻の輝きを見つめていた。

 

 チウシンが掛けていた席を立った。

 

「それじゃあリンフー、わたしそろそろお暇するね。シンフォさん、お邪魔しました」

 

「気にしなくていいさ。ここは元を正せば君達の家なんだから」

 

 シンフォは気さくな笑みを浮かべてそう言った。

 

 玄関の戸口を開け、外へ出ようとするチウシンを見送ろうとした、その時だった。

 

「おい、ケンカだぞ! あっちでケンカだ!」

 

 シンフォの借家が建っている通路から、慌ただしい声と足音が聞こえてきた。

 

 数人がまとまって、同じ方向へ走っているのが見えた。

 

 彼らは、口々に何かを話している。

 

「一対多数のケンカだよ! 南西の街道で、派手にやってるみたいだぜ?」

 

「それケンカっていうのか? やりあってるのはどの流派の奴らだよ」

 

「【奇踪拳(きそうけん)】の連中が、一人の武法士とケンカしてんだ! 理由は、その武法士が【奇踪拳】の門人にケンカ売ったかららしい」

 

「その武法士アホだろ? 【奇踪拳】って言ったら、この都有数の大流派だろうが。揉め事とか面倒臭いわ。で、どんな奴だ? そのアホは」

 

「なんでも、【吉剣鏢局(きっけんひょうきょく)】の次男坊らしいぞ」

 

「あいつか……前からやたら血の気が多い奴だと思ってたが、分別もなくすとはな。兄貴の方は優秀なのに、弟は狂犬ってか」

 

「それマズくないか? 下手すると、【吉剣鏢局】と【奇踪拳】、二勢力の争いになりかねんぞ」

 

「まぁとにかく、行って見てみようぜ」

 

 その会話の内容を聞いたチウシンは、顔を青くしていた。

 

 リンフーが恐る恐る尋ねてみる。

 

「なぁ、【吉剣鏢局】の次男坊って、まさか……」

 

「……うん。リーフォンのことだよ」

 

「なにやってんだあいつ……」

 

 リンフーは嘆息するように言った。

 

 だがチウシンは、唇を震わせながら押し黙っていた。

 

 かと思えば、必死の形相を浮かべ、走り出そうとした。

 

「どこへ行く気だい?」

 

 だがシンフォに呼び止められ、一度足を止め、振り返って言った。

 

「決まってます! リーフォンを助けに行かないと!」

 

「やめておきたまえ」

 

 強い語気でそう断ずるシンフォ。

 

 チウシンは耳を疑うように目を見開いた。それから、怒り半分焦り半分といった様子でまくし立てた。

 

「そんなっ! 放っておけないです! このままだと——」

 

「そのリーフォン君とやらが所属している鏢局と、【奇踪拳】一門との間で抗争が起きるかもしれない? ああ、そうかもしれないね。両者合意の上での私闘なら問題ないが、今回はそのリーフォン君が先に手を出してしまっているし、言い逃れのしようがない。……だが、それを分かっているのなら、君は尚更行くべきじゃない」

 

「どうしてっ!?」

 

「訊かずとも分かるだろう? 君がもしリーフォン君の味方をすれば、君の所属する【六合刮脚(りくごうかっきゃく)】まで敵視される可能性が高い。敵の味方は敵だからね。君一人の感情で、君の御父上と師兄弟を犠牲にする覚悟があるかな?」

 

 有無を言わさぬシンフォの言葉。

 

 チウシンは何か言い返したくても、その材料が思い浮かばず、返答に窮していた。

 

「武法の世界は、自己責任と連帯責任が混ざり合った混沌の世界だ。自分だけの力で道を切り開かなければならない時もあれば、自分の一存だけで動いてはいけない時もある。武法士には、それらを区別する能力が求められている。そのリーフォン君は、その区別を誤った。……それだけのことだ」

 

 冷厳な口調で言葉を並べるシンフォの顔は、目を閉じて何かに耐えているかのようだった。

 

 ——武法流派は、「同じ伝承」という名の鍋を囲った、一つの家族のようなものだ。

 

 片方の流派の人間が、もう片方の流派の人間に何かしらの危害を加えたとする。流派が家族とするなら、それは許されないことであるし、メンツを傷つける行為だ。争いの火種となるのは必定。

 

 だからこそ武法士は、師や師兄弟に迷惑がかからぬ範囲で、自分の意思で行動しなければならないのだ。

 

 リーフォンは、その判断を誤ったのだ。

 

 それを分かっているからこそ、チウシンは唇を噛み締めてうつむいた。

 

 リンフーは、そんな様子を端から見ていた。

 

(ふん、知るもんかあんな奴。自業自得だ)

 

 そう心中で吐き捨てる一方で、こうも思っていた。

 

 あいつは今、誰にも助けてもらえない。孤立無援だ。

 

 ——温泉街で追いかけられていた四年前の(・・・・)ボクと同じだ(・・・・・・)

 

 あの時、シンフォさんが助けに来てくれなかったら、ボクは一体どうなっていただろう?

 

 シンフォさんは間違いなくボクの英雄だった。あの時の恩は、今でも忘れない。

 

 ——武法の練習を覗くなんて馬鹿な真似をした馬鹿なボクを、シンフォさんは助けてくれたんだ。

 

 リーフォンも同じだ。魔が指して馬鹿なことをしでかして、それによって危機に瀕している。

 

 あいつには、英雄は現れないのか?

 

 自業自得なんて結末は、本当に正しいのか?

 

 ……そう思った途端、リーフォンに対して同情のようなものが生まれた。

 

 奇跡はそう何度も起こらない。何度も起こるほど奇跡は安くない。

 

 きっと、あいつを助けてくれる英雄は現れない。

 

 ——ボクが動か(・・・・・)ない限りは(・・・・・)

 

「……シンフォさんは、武法を使えないんだったよな?」

 

 不意に、リンフーはそんな質問をシンフォに投げかけた。

 

「そうだが。それがどうかしたのか?」

 

 いきなり何だ、と言いたげな顔で肯定したシンフォ。

 

 表情に驚きを表すチウシンを尻目に、リンフーはさらに言った。

 

「なら、こうしよう。——ボクは昔、通りすがりの謎の老人から【天鼓拳】を学んだ。老人はボクに【天鼓拳】の全伝を授けると、途端に姿を消した。つまりこの都に、【天鼓拳】の使用・伝承ができるのはボク一人である」

 

 それを聞いて、シンフォは目を見開いた。リンフーの真意に気づいたからだ。

 

「リンフー、君はまさか……」

 

「うん。——リーフォンの馬鹿野郎は、ボクが助けに行く」

 

 【天鼓拳】を使えるのはリンフーだけ。シンフォは武法が使えない。

 

 つまり実質、【天鼓拳】という流派の門人はリンフーだけということ。

 

 門人は一人しかいないため、リンフー以外の人間に迷惑は一切かからないということ。

 

 そういう「嘘」をつけば、リンフー以外傷付かずに済むということ。

 

 自分の身だけを白刃に晒すようなその決断に、保護者であり師でもあるシンフォは当然反対した。

 

「駄目だ! 私は許可しないぞ!」

 

「なら、あの馬鹿がどうなってもいいっていうのか?」

 

「そういうわけではない……だがっ、だからと言って君が犠牲になるというのも違うはずだ!」

 

「なら四年前、どうしてシンフォさんはボクを助けてくれたんだ?」

 

 シンフォは目を見開いた。

 

「……シンフォさんはあの日、自業自得で私刑にあいそうになっていたボクを助けてくれた。匿っていることがバレたら、自分も被害を受けるかもしれないのに。——シンフォさん、ボクは多くの武法の英雄を知ってるけど、その中には(・・・・・)あなたも(・・・・)入ってるんだ(・・・・・・)。あなたは、馬鹿なことをしたボクに救いの手を差し伸べてくれた英雄だ。だから、ボクもあなたみたいになってみたい。自業自得の馬鹿野郎でも、憐れんで助けてやれる英雄に」

 

 シンフォは目を見開いたまま動かない。

 

 驚いているのか、呆れ果てているのか、リンフーには分からない。

 

 だが、言いたいこと、言うべきことは全て言った。

 

 あとは、走るだけだ。

 

「それじゃ、行ってくるから。シンフォさん、【奇踪拳】の連中が来たらすっとぼけてくれよ。あと、チウシンはついて来るなよ!」

 

 そう押し付けるように言ってから、リンフーはその場を走り去った。

 


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