英雄に憧れる少年の英雄譚   作:葉振藩

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柔らかいご褒美

 それから三人で【槍海商都(そうかいしょうと)】を巡った。この都はとても広く、昨日リンフーが巡った場所はほんの一握りの場所である。他にもっと良い所がたくさんあるからと、チウシンとリーフォンに案内された。

 

 リンフーは田舎者根性を再び発揮させ、二人が見せる場所やモノに新たな感動と興奮を抱いた。

 

 正午に昼食をとり、休憩してから昼過ぎに再び都の散策と意気込んだリンフーだが、それに文字通りの意味で水を差すものが現れた。いつの間にか天を覆い尽くしていた暗雲から、叩くような雨が降り始めたのだ。雷というおまけ付きで。

 

 当分止む見込みがない雨と断定した三人は、解散して各々の家まで一直線に帰った。

 

 幸い、リンフーの家は休憩していた場所から距離が近かったため、さほど濡れることなくリンフーは家にたどり着けた。

 

「シンフォさーん、帰ったぞー」

 

 戸を開けて呼びかけるが、返事はない。どうやらシンフォはまだ帰宅していないようだ。

 

 まだ正午を少し過ぎた程度の時間だ。夕食を作るには早すぎる。なので自分の寝室へ行き、寝台で寝転がりながら、窓の向こうの景色を眺める事にした。

 

 リンフーは窓を開き、外の景色をあらわにする。

 

 桶をひっくり返したような雨が絶えず降り続けている。時折、閃光が瞬間的にまたたき、ギザギザの光芒が空を駆けた。数秒遅れで、耳をつんざくような轟音が響く。

 

 重厚な雷鳴が、リンフーの【基骨(きこつ)】をビリビリと揺さぶる。

 

 それ以降も、空に幾度も稲妻が走り、雷鳴が轟く。

 

 リンフーは、そんな空から目を離さず、見つめ続けていた。

 

 正確には、空を幾度も走る「雷」を見ていた。

 

 暇つぶしではない。

 

 これもまた、リンフーにとっての修行の一貫だった。

 

 ——武法の技には、体術だけでなく「意念(イメージ)」も必要とされる。

 

 意識は心の中だけで完結しない。必ず肉体に何らかの影響を与える。

 

 たとえば、凶暴で危険な猛獣がいきなり目の前に現れたとしよう。その時、よほど肝が据わっている人でない限り、必ず恐怖や警戒心を抱くはずだ。その時、そんな心理状態によって、肉体が強張ったり、背筋に寒いものが走ったりする。

 

 つまり、意識は肉体に影響を及ぼす。

 

 意識の力は、術力の生成にも利用される。体術や呼吸法だけでなく、意念の力を用いる事によって、その術力をより洗練させたり、術力の性質を変化させたりすることができる。

 

 だがそのためには、その意念の元となる光景を実際に見て、その光景を記憶に入れなければならない。人は、見たことのないものを正確に思い浮かべることができないからだ。……例を挙げる。蛇の動きを元にして作られた【蛇鞭掌(じゃべんしょう)】という流派。その流派では、蛇が地を這ったり獲物に食らいついたりする姿を自分の目で観察することで、術力を作るための意念を養う。

 

 【天鼓拳(てんこけん)】もまた、そういった意念を得る訓練をする。

 

 それが、今リンフーが行なっている「雷の観察」である。

 

 だが、ただ雷を見るだけではダメだ。普通の雷を思い浮かべても、【天鼓拳】の技には何ら変化はない。

 

 【天鼓拳】が、その真なる力を発揮できる意念とは——【逆さに昇る雷】。

 

 上から下へ落ちるのではなく、下から上へ昇る(・・・・・・・)雷である。

 

 この大陸で数年に一度見れるかどうかの、非常に稀な雷。リンフーは四年間、ずっとその雷を探していた。

 

 もしも【逆さに昇る雷】を目にし、その意念を獲得できれば、【天鼓拳】の術力は絶大な破壊力を得るのだという。

 

 だが、絶大すぎるがゆえに、実戦で使うには残虐すぎる。少し触っただけで簡単に命を奪ってしまうからだそうだ。触っただけで人を死なしめる、最凶の武法が誕生する。

 

 リンフーはそれを聞いた途端、【天鼓拳】を習うのが急に怖くなった。

 

 そんなリンフーをシンフォは優しく抱きしめ、言ってくれた。

 

『大丈夫。その「怖い」っていう気持ちを忘れない限り、君は絶対に悪用しない。私は君を信じているから』

 

 【逆さに昇る雷】の意念のことを教えてくれたのは、その後だった。もしリンフーが【天鼓拳】の真の力を聞いて喜んでいたら、一生教えてくれなかったかもしれない。

 

 ——おそらく、シンフォはその凶悪な技で、何か一生悔いるようなことをしでかしたのかもしれない。

 

 そう考えた瞬間、まるで図ったように玄関から開閉音がした。

 

 念のため【(ちょう)】を使い、その人物の足が発する波を感知する。……歩調からして、間違いなくシンフォだった。

 

「おかえり、シンフォさん。雨、大丈夫だったか?」

 

 リンフーは自室から出て、師の帰宅を迎え入れた。思えば昨日の昼ごろ以来、ずっと言葉を交わしていなかった。

 

「ただいま。ははは、見ての通りだ」

 

 シンフォはその美貌に苦笑を浮かべて答えた。どうやら雨に降られてしまったようで、真っ黒な長い髪が濡れそぼっていた。

 

 手に大振りな酒甕が一つぶら下がっているのを見て、リンフーはため息をつきたくなった。また買ってきたのだろう。

 

「ちょっと待っててくれ。今、手拭いを持ってくるから」

 

 リンフーはそう言って、箪笥(たんす)から大きな手拭いを引っ張り出してきた。

 

 それでシンフォの髪やら体やらを拭こうとして、硬直。それから頬をほんのり赤く染めた。

 

 雨に濡れたシンフォの黒い婦人服は、その下にある素肌にぺったり張り付いていた。それによって彼女の魅惑の曲線美がいつもより明確に浮かび上がっていた。胸部に大きく形良く実った二房の肉果も例外ではなく、くっきりと谷間まで描き出されていた。彼女が少し動くだけで、その二房もふるんと微動する。

 

 濡れて乱れた長い黒髪がその大きな胸に気怠げに垂れ下がり、退廃的な色気を放つ。雨の匂いとシンフォの匂いが混ざって鼻腔をくすぐり、さらにリンフーの気持ちを騒がせた。

 

「いや、あの……やっぱり自分で拭いてくれ」

 

 赤い顔でそっぽを向きながら突き出されたリンフーの手拭い。

 

 シンフォは数秒きょとんとしていたが、やがてその理由に感付き、にんまぁ、っと意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

「んっふふふふー。なんだぁ? もしかして私に欲情しちゃったのかぁ? このむっつりめ。やっぱり可愛い顔して男だなぁ、君は」

 

「ち、違うっ! そんなんじゃない!」

 

「そうかぁ? なら、君に拭いて欲しいなぁ。ほらほら、欲情してないのなら拭けるだろぉ? ほらほらぁ」

 

 シンフォは両腕を胸の前で組み、わざとらしくその柔和な双丘を強調してくる。口元には艶美な微笑みと、熱っぽい息遣い。

 

「うっ…………うーーーーっ!! うーーーーっ!!」

 

 リンフーは真っ赤になり、涙目で唸りながら地団駄を踏んだ。

 

 シンフォはからからと笑いながら、

 

「すまないすまない。ちゃんと自分の部屋で服を脱いで体を拭くよ。……覗いちゃ駄目だぞっ?」

 

「さっさと行けーーーーっ!」

 

 リンフーは手拭いをぽふっとシンフォに投げつけ、真っ赤な顔で自室に逃げてしまった。

 

 もう知るもんかっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあそんなことがあったわけだが、すぐにリンフーの気持ちは落ち着いたし、何より、リンフーが食事を準備しなければシンフォの夕食は酒だけになってしまう。料理係として、彼女に不健康な生活はさせたくない。……酒を飲みまくっている時点で健康も何もないけれど。

 

 やがて夜になった。

 

 出来上がった夕食を師弟二人で囲い、完食した。

 

 リンフーが厨房で皿を洗っている間、シンフォは晩酌を楽しんでいた。新しく持ち帰ってきた酒甕から杯に注ぎ、何杯も呑みまくっていた。

 

「いやー、儲けた儲けた! 腰を悪くしてた酒屋の婆さまを治した後「お金以外の報酬でもいいか」と言われたから頷いたら、高い果実酒を貰ってしまってなぁ! あー、務めの後の一杯は格別だなぁ!」

 

 一杯どころじゃないだろ、とリンフーは心中で突っ込んだ。

 

「君も飲まないかー? 美味いぞ、これー!」

 

「無理だよっ」

 

 リンフーはとてつもない下戸だ。一杯飲んだだけで吐き気を催し、厠へ駆け込むほどである。

 

「勿体ない、勿体ない! この至上の甘露を味わえぬなど、君は人生の大半を損しているぞ! あっははははははは!」

 

「はいはい」

 

 酔っ払いの戯言を軽く受け流す。

 

 皿を洗い終え、片付けた後、リンフーは【槍海大擂台(そうかいだいらいたい)】参加について説明し忘れていたのを思い出し、シンフォに説明した。 

 

 するとシンフォは酒杯を勢いよく卓に置き、酒気で真っ赤な顔を嬉しそうに綻ばせながら言った。

 

「よくやった! さすが私の弟子だっ! 【槍海大擂台】は武法士にとって誉れと言える大舞台だ! そこへ参加できただけでも私は誇らしく思うっ! いやー、今日は吉報ばかりだなぁ! めでたい! さぁ乾杯しよう!」

 

「だから飲まないっての」

 

 リンフーの拒否を聞いて「ぶー」と残念そうに唇を尖らせるシンフォ。

 

 もう何杯目か分からない一杯をぐいっと飲み干すと、シンフォは急に手招きしてきた。

 

「リンフー、リンフー、ちょっとこっちへおいでおいで」

 

「ん? なんだよ? 改まって」

 

「いいからいいから」

 

 リンフーは座っていた席を立ち、シンフォの席へと歩み寄る。

 

「そこにしゃがんでおくれ」

 

「はぁ。一体何を——ふもっ」

 

 しゃがみ込んだリンフーの顔を、恐ろしく柔和な感触が左右から挟み込んだ。シンフォの胸部から豊かに盛り上がる二山の谷間に、リンフーの頭が深々と埋没していた。

 

 さらに、頭部をゆっくり撫で回される。

 

「よーし、よーし、よく頑張ったなぁ。えらいぞー。うふふふ」

 

「ちょっ、シンフォさん、何やってんだよっ!?」

 

 真っ赤な顔で抗議するリンフー。果実酒の匂いとシンフォの匂いが混ざった蠱惑的な香りが、リンフーの鼓動を爆発的に早めた。

 

「えー? 何って、決まってるだろぉ? 良い子にご褒美をあげてるんだ」

 

「いいってば! は、離してくれって!」

 

「えー? 嫌かぁ? 私のおっぱい、気持ちいいだろぉ? ほらほら、もっと堪能しとけー」

 

「ああもぉ、完全に酔っ払ってるなっ!?」

 

「酔っ払ってませぇん」

 

「酔っ払いほどそう言うんだよっ」

 

「でもー、ねぎらいたいという気持ちに嘘はないぞぉ? いつも美味しいご飯を作ってくれて、いつも家事を率先してやってくれて、いつも酔い潰れた私を寝床まで運んでくれて、おまけに武法士としても着実に立派になってる。…………私みたいなロクデナシが育てたにしては出来すぎた弟子だぁ。おーよしよし、私の可愛いリンフーや」

 

 また頭を撫で回される。宝物を愛でるように。

 

 リンフーは暴れなかった。褒められているのは本当であるみたいだし。

 

 それに、自分を卑下する発言をするシンフォに、なんだか胸が痛んだからだ。

 

 拗ねたような、少し怒ったような口調でリンフーは言った。

 

「……シンフォさんは、ロクデナシなんかじゃない。ボクにとって、かけがえのない大事な人だ。もしあなたをロクデナシなんて言う奴がいたら、ボクが許さない。……たとえそれが、あなた自身でもだ(・・・・・・・・)

 

 撫でる手が止まる。

 

 細い両腕がリンフーの後頭部にするりと回され、優しい力で深く抱き寄せた。

 

「私の罪の意識は、君のその優しい言葉だけでは到底薄れるものではない。でも、そう言ってくれるだけでも私は嬉しいよ。ありがとう、リンフー……優しい弟子を持てて、私は幸せだよ」

 

「……ん」

 

 今なおシンフォの胸に顔を埋めたままのリンフーは、大人しくそう頷いた。

 

 先ほどまでの羞恥の気持ちは、不思議と失せていた。代わりに胸中を満たしているのは、安心感。

 

 穏やかな口調、優しい手つき、顔を柔和に挟む柔らかさ、それらの要素がリンフーの心を大人しくさせていた。小さい頃、母親に抱きしめられていた感覚に似ていた。

 

 昔ある人が言っていた。男はいくつになっても母親を求めるものだと。男らしさ、勇ましさに強いこだわりを持っていた幼い自分はそれを「軟弱だ」と否定したが、こうして大人しくさせられていることを考えると、あの言葉はあながち嘘でもないと思った。

 

 けれど——この苦しくも甘酸っぱい胸の高鳴りだけは、母に対して抱くソレではなかった。

 

「そういえばリンフー、その【槍海大擂台】とやらには、どうやって選ばれたんだい? 何か抽選でもあったのか?」

 

 さらさらとリンフーの髪を撫でながら、シンフォが穏やかに訊いてきた。

 

「フイミンさん……【白幻頑童(はくげんがんどう)】に少しでもいいから傷をつけること、だったらしい」

 

 リンフーがその言葉を口にしたのを最後に、シンフォからの返答が一切なくなった。

 

「シンフォさん? ……って、うおぁっ?」

 

 かと思えば、シンフォの重みが急に手前へ傾いてきた。リンフーは抱くように支えた。

 

 シンフォの頭が左肩に乗っかり、

 

「すぅ……すぅ……」

 

 規則正しい寝息で左耳をくすぐってきた。

 

 散々飲みまくっていたから、一気に睡魔が襲ってきたのだろう。

 

 リンフーは苦笑した。

 

「本当に、仕方がない人だ」

 

 爆睡した師を寝室まで抱えて行った後、リンフーは後片付けを始めたのだった。

 


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