英雄に憧れる少年の英雄譚   作:葉振藩

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不老不死の探究者

 翌日の正午。

 

「おや? 誰かと思えば小僧ではないか」

 

 食材の買い出しを終えて家に帰っている最中、聞き覚えのある声が耳に届いた。幼くも威厳のある女の声。

 

「あ、フイミンさん……あれ?」

 

 リンフーはその声の主——范慧明(ファン・フイミン)の方へと振り向いたが、そこに真っ白な幼女の姿はなかった。

 

「ここにおるぞ」

 

「うわぁ!?」

 

 まるでポッと火がつくように、懐深くに突然フイミンの姿が生じた。

 

 リンフーは驚きのあまり飛び上がって、後退りした。

 

「わ、わざわざ【閃爍歩(せんしゃくほ)】使って驚かすなよっ! 心臓止まったらどうしてくれるんだ!?」

 

「すまぬすまぬ。少々悪戯心が湧いてきたのでなぁ。きゅふふふっ、おぬしはなんだか悪戯してやりたくなるような感じがするのぅ」

 

「どういう意味だよっ!?」

 

 圧倒的目上であることも忘れて強めに言い返す。ああもう、どうしてボクはこうも年上の女性にばかりからかわれるんだ。

 

「して、おぬしは何をしておったのじゃ? その抱えられた布袋の中の冷野菜や香辛料から察するに……飯の買い出しかのう」

 

「あ、はい。そんなところです」

 

 リンフーは買った物の入った布袋を掲げて肯定した。

 

 フイミンは納得したように頷いてから、話の方向を変えた。

 

「【槍海大擂台(そうかいだいらいたい)】は、あと一週間後じゃったな。どうじゃ? 鍛錬ははかどっておるかのう?」

 

「ボチボチです」

 

「頑張るのじゃぞ。武法の世界において、鍛錬はし過ぎるということがない。まして、【槍海大擂台】はなかなかの強豪揃いじゃ。優勝できずとも、おぬしの武法士としての成長の糧にはなる。じゃが自分のできる全てを尽くして臨まねば大した成長はできぬ。全力を尽くして挑むがよいぞ」

 

「あ、はいっ」

 

「きゅふふ、精進するがよいぞ、若人。若い頃の無謀は金塊を積んででもせよ、とのう」

 

 冗談か本気か分からない物騒なことを言う白い幼女に、リンフーは笑みを引きつらせる。

 

「まあ何にせよ、良い試合を見せてくれることを期待しておるよ。ここを発つ前の良い祭りになるであろうからな」

 

「え? ここを発つ、って? フイミンさん、いなくなってしまうんですか?」

 

「うむ。わしは基本的にこの煌国(こうこく)中を旅していて、何年かに一度【槍海商都(そうかいしょうと)】に戻ってくるのじゃ。【亜仙(あせん)】ゆえにこんなナリをしているが、わしはもういつくたばってもおかしくはない歳じゃ。その少ない余生の間、いろいろなもの見聞きしておきたいのじゃ」

 

「その、途中で死んじゃったりしたらどうするんですか?」

 

「それはそれで構わぬ。死ぬ場所にこだわりはないからのう。……おっと、若造にこんなしおれた話はするものではなかったのう。おぬしが考えるにはあまりにも早過ぎることじゃ」

 

 この話はこれにて終い、とばかりにフイミンは話題を変えた。

 

「ところで小僧、おぬしは【求真門(きゅうしんもん)】についてどこまで知っておる?」

 

「脈絡ないですね……」

 

「そんなことはないぞ? 最近、巷で勢力を拡大させつつある【求真門】という連中、ちょうど今言及していた【亜仙】とも多少関係がある組織なのじゃからのう」

 

 きゅっふっふっ、と笑声をこぼすフイミンは微笑こそ浮かべているが、なぜかその銀色の瞳が刃のように冷たく光っていた。

 

 【求真門】——この大陸で最大規模を誇る武法(ぶほう)結社(けっしゃ)

 

 とある武法の一派が前身となって結成された組織で、二〇〇年前の戦乱期から少しずつ勢力を伸ばしていき、今では数ある結社の中でも一、二を争う規模となった。

 

 目的は、本物の不老不死……すなわち【真仙(しんせん)】の探究。

 

 その理由はいまだに分からない。ただ一つだけ分かるのは、【真仙】などという神話の域を出ないようなシロモノを、【求真門】は本気で追い求めているということである。

 

 普通ではないのは、目的だけでなく、それを達成するための手段もであった。

 

 【求真門】は、【真仙】の研究材料を手に入れるために、数々の非道な行いに手を染めている。街や村に攻め入って財産や貴重な薬や植物を略奪したり、武法流派を襲ってその秘伝書を強奪したり、実験台を手に入れるための人間狩りを行ったり……積み重ねてきた悪行は数知れず。

 

 特に力を入れているのが、武法の略奪と研究だった。武法には【亜仙】という不老長寿を生み出した実例が存在するからだ。そこに【真仙】の鍵があると【求真門】は考えているのである。

 

 それゆえ、武法士はみな【求真門】を不倶(ふぐ)戴天(たいてん)の敵とみなし、その活動を注視している。

 

「奴らは実に大胆不敵じゃ。もう何十年も前の話じゃが……奴らめ、天下の【黄林寺(こうりんじ)】にまで殴り込んで、秘伝書をまとめて掻っ攫おうとしたのじゃ」

 

「秘伝書、ですか?」

 

「うむ。しかも、記されているのはいずれもヤバすぎる秘法ばかりだそうじゃ。一つでも身につければひ弱な小童でも化け物並みに強くなれるほどの、のう。まぁ【黄林寺】の連中が許すはずもなく、盗っ人は討伐され、秘伝書はすぐに奪還できたそうじゃ。——一冊を除いて、のう」

 

「一冊?」

 

 そうじゃ、とフイミンが頷いた。

 

「【黄林寺】が【求真門】の者どもと戦っている最中、その場所の下で流れていた濁流の中にその一冊を落としてしまったようでのう。【黄林寺】の連中は血眼になって探したらしいが、結局見つからなんだそうじゃ。……【黄林寺】最高師範のクソジジイめ、技の詳細こそ教えてくれなんだが、【御雷拳籍(ごらいけんせき)】という題名だけは教えてくれたよ」

 

「【御雷拳籍】……」

 

 リンフーはその単語を呟いた。

 

 不思議だった。その単語は初めて聞くはずなのに、妙に心に馴染む感じがした。

 

 だがその感覚を上から塗りつぶすかのように、リンフーの脳裏にある疑問が蘇った。

 

「脈絡がないことを聞きますけど、いいですか?」

 

「ん? なんぞや? 言うてみよ」

 

「フイミンさん……前に言ってましたよね? ボクの技に見覚えがあるって。ボクの【天鼓拳】について、何かご存知なんですか?」

 

 フイミンは記憶を辿る仕草を一瞬見せてから、思い出したように頷きながら答えた。

 

「ああ、そのことか。そうじゃのう……最初は、かつてわしと決闘して引き分けたある武法士と同じ技に見えたのじゃが、よく見ると随分と違っておったわい。体捌きもそうじゃが、術力の質がその武法士のソレよりも随分優しかった。おぬしの術力は確かに他の流派に比べて強大だが、そやつの術力は強いとか弱いとかそのような次元ではなかった。ただただ禍々しく……そして凶悪じゃった。もう二十年以上も前のことじゃが、わしは今でもよく覚えておるよ」

 

 フイミンをしてそこまで言わしめる人物に、リンフーは興味が湧いた。

 

 だが同時に、不安にもなった。

 

 【天鼓拳(てんこけん)】がその人物の技に似ている——その言葉から、その人物とはシンフォのことではないかと思ったからだ。

 

「その武法士って、なんて名前だったんですか?」

 

 リンフーは緊張を隠しながら訊く。

 

 シンフォの名前が出てきたら大変だ。二人が鉢合わせた場合、また決闘などという話になるかもしれない。今のシンフォは武法を使えないのだ。

 

 フイミンの小さな唇が動き出す。リンフーはそれを固唾を飲んで見守る。

 

田麗洌(ティエン・リーリエ)——あやつはそう名乗っておったわい」

 

 リンフーの緊張が一気に消えた。氷が溶けるように脱力した。

 

「決闘が引き分けに終わった後、あやつはわしの前から姿をくらましおった。わしはもう一度やり合いたいと思って大陸中を探してみたのじゃが、誰もリーリエなどという名前を聞いたことがないそうなのじゃ。あれほどの使い手が、知られておらぬのじゃぞ? 面白いものじゃなぁ。もし生きていたらまた会いたいのぅ。……ん? どうしたリンフーよ? 気の抜けた顔をして」

 

「いえ……別に」

 

 よかった。本当に良かった。

 

 シンフォとフイミンの間には、何も繋がりも因縁も存在しないのだ。

 

 これで枕を高くして眠れそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一週間、リンフーは特訓に精を出した。

 

 一人で稽古するのはもちろんのこと、暇があればチウシンやリーフォンの手を借りて対人練習も積んだ。シンフォは武法が使えないので、対人練習ができない。喜んで練習に付き合ってくれた二人には感謝の言葉もない、

 

 リンフーにはすでに四年間鍛錬を積み重ねてきた技がある。あと足りないのは実戦経験のみだ。なので、それを補う訓練に力を入れた。

 

 あっという間に準備期間は過ぎていき、やがて、「その時」が訪れた。

 


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