鋼鉄の鶯   作:近藤さん

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第一話 キリハ

 昔から、窓枠の景色以外を見たことがなかった。

 幼い頃から病弱な身体で、一日中ベッドの上での生活だった。やる事と言えば、四方に切り取られた景色を眺める事や、学校の宿題をやるぐらいだった。一度、花火を見たくてベッドから降りて、近くの窓まで歩こうとしたが、十歩も歩けずに倒れた。

 

 学校に殆ど出席した事がないのだから、見舞いに来てくれる友達なんて一人もいない。

 

『本当にごめんなさい』

 

 だが家族――姉だけは毎日のように、いや毎日病室へと足を運んでくれた。大変ならば無理しなくていいと伝えたが、「あたしがやりたいの」とさも当然のように実弟に献身した。

 

 いつもいつも、来る度に違う話をした――学校をサボる事もしばしばあった――。

 小さい身体で車椅子を一生懸命引いてくれた――知り合いの女性に手伝ってもらっていたが――。

 様々な極彩色に彩られた美しい四季を持ってきてくれた――ベッドの上で大量の葉っぱや雪をばらまき、回収が凄まじく手間だった――。

 

 姉は御転婆でやや高飛車だったが、大切な家族で、いつも鳥籠で一人泣いていた自分とは正反対の人物だった。

 

 そんな姉が、唐突にこんな話を持ってきた。

 

桐葉(きりは )! 見てこれ!」

 

 姉が持ってきたのは、日本刀の柄のようなものだった。

 ホッチキスかと訊くと、全然違うと言われた。

 

「これは新しく別の身体を作る『トリガー』っていうの! これがあれば桐葉も元気な身体で外を歩けるに違いないって言ってたわ!」

 

 病室の壁を見れば、顔だけは見知った人物が数名いた。当時の姉はよく理屈がわかってなかったので、説明が大雑把だったのだ。とは言え、説明されたとてわからなかっただろうが。

 ――今になって思えば、病弱な人間は、トリオン体による影響如何を調べる実験でもあったのだろう。

 姉が何を言っているのかわからず、取り敢えずトリガーとやらを起動させようとすると、後方で控えていた頭の悪そうな大人が止めた。姉は今すぐにでも弟を元気にしたかったのだろうが、「まだ影響が予測出来ていない」と窘められた。年相応に頬を膨らませて不服申し立てをしていたが、弟が焦ってもらわなくていいと伝えると、漸く落ち着いた。

 

「一緒に翼を探しましょう」

 

 もし自由になったら。そんな事は考えてもいなかったし、特に興味もなかった。自分にはこの窓枠の景色で十分だ。それ以上は望まない。

 だが、姉は一切諦めていなかった。自分は、その無償の愛情の根源が何処にあるのか分からなかった。

 

 まだ確定もしていない未来を語る。元気な身体になったら二人で何処へ出掛けよう、何を食べよう。

 

 紅葉を見に行きたい。この辺では見られないから県外へ出ましょう。どら焼きを食べたい。いいとこのどら焼きを知ってるわ、行きましょう。学校に行ってみたい。うん、そうね、きっと副も佐穂も―――――――

 

 

 

 三日後、空が黒く裂けた。

 

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 ――現攻撃手(アタッカー)二位である小南桐絵には三つ年下の弟がいる、というのは玉狛では珍しくない話だ。本部でも一定数広がっている。

 

 そして、近界民(ネイバー)に攫われたことも。

 

 弟の桐葉は自分の力では十歩も歩けない程に身体が弱く、近界民(ネイバー)に襲われたら一溜まりもない。三門から外に出す案も出されたが、ボーダーやトリガーの事を色々喋っているので(小南が)、今更無関係にも出来ない、それと弟に元気な身体で外で遊んで欲しかった小南の希望で、三門市に留まる事となった。

 

 桐葉が何故狙われたのか、トリオン能力が高かったのか、それとも単に運が悪かったのかはもう今更どうでもいい事だった。

 

 迅が桐葉の病室が倒壊する未来を見た時には、時すでに遅し。

 迅の予知通り、姉弟の写真も、思い出も何もかも残らず全て壊されていた。狙いすましたかのように桐葉の部屋だけ。

 

 別れを告げる事さえ叶わず、瞬く間に自分の『最愛』を奪われた。

 

 当時、弟が誘拐されたことに小南は激しく取り乱し、二週間以上真面に食事も摂らず、寝る事もなく「桐葉はいる、必ず生きてる」と文字通り血眼になって辺りを探し回った。当然、他の隊員も捜索に当たったが、弟の痕跡を微かに感じるだけで状況は何一つ進展しなかった。小南はトリオンが切れて戦闘体が解けようとも、構わず一人探し続けた。

 

 爪の皮が剝がれようと。美しい長髪が煤に汚れようと。寝る前も惜しんで愛する肉親を探し回った。

 

 迅から「桐葉の未来が見えなくなった」と、遠回りに死んだ可能性が高いと告げられた時は酷いものだった。普段おちょくられて怒る様子なんて比じゃない。小南は迅の顔面を殴って悲鳴に近い涙の絶叫を吐き散らし、もう一度ぶん殴ろうとした所で、気絶した。トリオン体の有無に関わらず、精神的に限界だったようだ。

 

 そして一週間程高熱で寝込み、外に出れるようになってから当然のように弟の捜索を開始した。

 

 以前、桐葉は行方不明のままだった。

 

 ──あの日から、小南は弟の捜索の手を緩めたことなどなかった。

 

 

 

 夢は願望を写すという。

 

 いつもいつも、夢を見る。

 

 弟の代わりに、自分が近界民(ネイバー)が攫われる夢だ。

 

「桐葉、桐葉」

 

 小南桐絵にとって弟は絶対的な家族だった。桐葉がしたい事は可能な限り何でもさせてあげたし、毎日毎日病室に訪れて終わらない話をした。

 

『姉さん』

 

 何故そこまでするのか、と。弟に一度問われたことがある。それに答えた。あたしが貴方の姉だからだと。

 それが当たり前だった。彼が自分よりも小さな赤子として母の腕に抱かれた日から、自分はお姉ちゃんになった。

 

 だから、弟を。

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 朝の光に瞼がノックされ、脳が覚醒した。

 懐かしい、暫く日常の向こう側に置き去りにしていた夢を見た。何故、今更。

 

「――桐葉」

 

 弟の名を呼ぶ。これはただのルーティン、確認だ。自分が弟を忘れていないと、まだ私は弟を愛せていると。そう、ただの確認。

 四年前。世界が割れた日、小南たち旧ボーダーは桐葉を救えた筈だった。迅は申し訳ないと小南に頭を下げ、謝罪した。自分のミスで桐葉は攫われた。そう言って謝罪した。

 その時の小南に迅の過失を責める余裕さえなかった。まだ生きているかもしれない、身体の弱いあの子は何処かで泣いているかもしれない。その一心で探し回った。

 

 その結果が、現在だ。

 

「…………必ず、今度は、必ず」

 

 カーテンを開け、朝の陽光を一身に浴びる。かつて弟は、この光景しか見れなかった。

 視線を斜めに落とし、タンスの上にいくつも飾られている写真立ての一つ、小南姉弟のツーショット写真を手に取った。

 弟は車椅子に座って春を思わせる花信風のように柔らかに微笑み、姉は弟の膝の上で温かな日だまりのような笑顔でダブルピースを決めている。

 侵攻、三日前に撮った写真だ。

 

「…………」

 

 かた、と写真立てを元に戻し、拳を握りしめる。

 その時の小南の顔は、新入りである玉狛第二のメンバーが見たらきっと驚愕するに違いない。

 

 

「――大丈夫よ、桐葉。お姉ちゃんが必ず救うわ」

 

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 

「ん……」

 

 眼を開けると、空には視界いっぱいに壮大な青が広がった。屋根の上、まだ青年とも呼べないような少年が寝転がっていた。

 

「……あ、んん」

 

 もう一度寝ようとすると、咎める声が聞こえた。以前、少年は無表情と抑揚の薄い声で応答する。

 

「主君の家の屋根で昼寝とは、いい御身分だな」

「…………ヒュース」

 

 友人のヒュースが声をかけてきた。漆黒の外套を羽織っており、既に戦闘体へと換装している。

 そうか、もうこんな時間だったか。

 

「招集だ。玄界(ミデン)へと侵攻する」

「……そうだったね。忘れてた」

「元々は玄界(ミデン)の民であったお前を連れていくという考えには、全く度し難いな。(ブラック)トリガーとは言え……。」

「ん……。知り合いがいるなら、相手の意識削減になるかもしれないって、ハイレイン隊長が……」

「相変わらずのやり方だ」

 

 陰湿な上官に嫌そうな顔で鼻を鳴らすヒュース。確かに故郷には彼の家族がまだ生きている可能性が高いのだ。その感情を利用しようとは、味方にしても賞賛出来る策ではないのだろう。

 集合まで暫く時間がある。ヒュースは隣に座って雑談を始めた。 

 

(ブラック)トリガーはどうだ」

「もう一年だからね。随分馴染んできたよ。きっと空も飛べるはず」

「何だその言い方……」

 

 す、と腰のホルダーにしまっていた、一部隙間が空いている鉄の輪型の(ブラック)トリガーをさする。

 漆黒に塗られたトリガーをこつんと叩くと、軽く弾いてきた。

 

 

「キリハ」

「ん」

「――お前が嫌ならば今回の侵攻は欠席するか?」

「!」

 

 端整な顔立ちを変えずに、非難されるような事を涼しく言い放つ。

 

「もし本当に貴様の家族が生きていて、牙が鈍るような事があれば手間だ。リターンよりリスクの方が大きい。それに今回は例が少ない規模だ、失敗だけならばまだしも、玄界(ミデン)(ブラック)トリガーを奪われてマイナスになるのは避けねばならん」

「…………」

 

 それは一つの道理でもあった。

 (ブラック)トリガーは一つで戦争を揺るがす絶対的な力を持つ。いくら(ホーン)トリガーが開発されているとは言え、どれだけ雛鳥を捕まえてもそれはマイナスだろう。

 そして、他人の情緒にも自分の機微にも疎い桐葉であるが、それが友人なりの気遣いだど、気付かぬ程鈍重でも、それを指摘する程無恥でもなかった。

 

「ヒュース」

「何だ」

 

 青い、青すぎる空を見ていると、昔は自分が一人では外を歩くことさえ出来なかった頃を、少しだけ思い出す。

 ――いや。一人じゃ歩く事も出来ないのは、今も変わらないか。

 

「僕ね、昔本当に身体が弱かったんだ。こうして屋根で昼寝も出来ないぐらいに」

「…………知っている。それと、昼寝はまずするな」

「うん、ごめん。――それで、僕は病院の中でいつもぼんやりと暮らしていたんだ。でも、姉がいたから寂しくなかったよ。あの人が僕の事をいつも起こしてくれたんだ」

「もう何度も聞いた。お前の肉親の溺愛っぷりは聞いてて辟易する」

 

 そっか、ごめんね、と。特に感情を込めない声で謝罪する。

 

「だから、かな。玄界(ミデン)に行くのが、少し怖い。街も民も夢も何もかも変わっているだろうけど、僕の事を覚えてる人がいたら、きっと『裏切り者』って言われるんだろうなって」

「姉になんて言われるのか、恐れているのか?」

「うん。多分ね。でもハイレイン隊長には恩がある。ヒュースやミラ、ヴィザ翁には、良くしてもらったし、強い人と戦うのは楽しかった。戦いは躊躇わないよ。攻撃も容赦しない。任務も完璧に遂行するよ。うん、今決めた」

「そうか。…………いや結局お前は何が言いたかったんだ」

 

 最初から最後まで完璧に雑談だった。しかも最初の部分は何度も聞いた々話だ。

 ちゃんと付き合ってくれたヒュースに感謝しつつ、すくりと少年は立ちあがった。

 

「そうだね、何が言いたかったっていうと……。仮に姉が僕の前に立ち塞がっても――」

 

「…………」

 

 少し間を空けて、ヒュースに安心させるように言い放った。

 姉の決意とは、真逆の想いを。

 

 

「――ちゃんと、倒すよ。だから、大丈夫」

 

 

 そうか、とヒュースは応答した。桐葉の言葉に彼が何を感じたかは不明だ。

 

「行こう。そろそろミラに怒られる」

「ああ……。『言う事聞かないと釘に刺される』はアフトクラトルの慣用句になりつつあるからな……」

「普通に戦えば勝てる筈なのに……、何で負けちゃうんだろう……」

「老若男女問わず誰もが怯えているからな、トリオンという法則を超えている何かがあるに違いない」

「――へえ、それは是非知りたいものね」

「「あ」」

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 ――一週間後。アフトクラトルは玄界(ミデン)へ侵攻していた。

 桐葉は遠征艇の中でリンゴをシャリシャリ包丁で剥いている。特に意味はなく、ただの暇つぶしだ。もう玄界(ミデン)には到着しているが、まだ出撃命令が下っていない桐葉は暇そうにしていた。「うさぎ」「はいはい」「犬はないのか」。大変暇そうである。

 

「ミラ。キリハを転送しろ」

 

 ハイレインにそう呼びかけられる。名前を呼ばれた途端、桐葉の空気が一新し、犬の顔の形に彫っていたリンゴ剥きを中断した。

 

「おっ、漸くかぁ!」

「いや、行くのはキリハだけだ」

「あぁ!?」

 

 エネドラに適当にデザインしたリンゴの一つ(八個ぐらい作っていた)を投げつけ、ハイレインの話を傾聴する。

 

「出撃ですか」

「ああ。玄界(ミデン)の本拠を中心に、数キロ離れた箇所から円を描くように敵を殲滅しろ」

「捕縛、ではなく? というか僕一人で?」

「そうだ」

 

 当たり前だが、アフトクラトルの目的は雛鳥を多く捉える事だ。猛者は即ちトリオン能力が高い事を示唆する。トリオンと技術は比例しないが、トリオンが低くて強いものなどそうはいない。

 武官というより文官であるハイレインが言うのだから、それは意味のある事なのだろう。

 

「お前の役目は『玄界(ミデン)の主要戦力の排除』だ。雛鳥を回収する際、必ず厄介になる達眼の士が複数いる筈だ。お前は連中を蹴散らせ。キューブにするか否かはお前の判断に任せよう」

「何故その配置なんですか?」

「お前は(ブラック)トリガーだ。暴れていれば十中八九猛将がお前を討伐しに来る。そうでなくとも外側から攻撃していけば『中』に押し込む事も出来る。ラービットも数体連れて行け」

「好きにしていいんですね」

「ああ。後で全員行くが」

「了解」

 

 立ち上がり、(ブラック)トリガーを取り出す。右脚に装着した。

 

「転送開始」

 

 闇のように黒い大きな『窓』が開き、迷わず一歩踏み出した。

 桐葉の姿が完全に闇に溶けて窓が消えた後、ハイレインがミラに声をかけた。

 

「ミラ。一つくれ」

「? 珍しいですね」

 

 大口を開けてリンゴを齧っていたランバネインは無視し、彼の前に置かれたリンゴを差し出す。

 それを受け取り、ハイレインはしゃくりと犬の模様に彫ったそれを一口齧る。

 

「……なに」

 

 ――これが最後かもしれないと思うと、少し惜しくてな。

 その言葉は、果物と共に喉の奥へ飲み干した。

 

 

 

 ――――――――

 

 

 

 可笑しい。

 

 C級隊員を避難させつつ、周囲を警戒していた那須隊は、妙に胸のしこりに引っ掛かるような違和感を感じた。

 十数分前、防衛機関ボーダーは近界(ネイバーフッド)からの襲撃を受けた。定期的な出現を繰り返すトリオン兵ではなく、新型のラービットも加えられた大規模な侵攻である。

 現在、人型近界民(ネイバー)(ブラック)トリガーも確認されておらず、順調とは言えずとも想定内ではある。

 それ故に、不自然。

 

 上手くいき過ぎている、というわけではない。被害は確実に出ているし、戦力もまだ足りない。しかし――

 

(……敵が少な過ぎる……)

 

 そう。那須の不安はそこであった。

 先程まで新型のラービットがC級をキューブに変えていった。新型のラービットはいくつか撃破した。しかし、全体的に見れば戦力的にこの場はどう考えても一番『浮いている』。今現在この場にいるのは那須隊の三名だけである。それも、狙撃手(スナイパー)である日浦は少し離れた場所にいる。

 C級を捕らえるならば恰好の的である。

 つい先程までトリオン兵がいくつも襲ってきた。だが、いつの間にか兵が近くから退いていた。何故ここまで兵が少ない。

  

「妙ね」

「何が?」

 

 隣にいる熊谷が那須に反応する。

 

 それに自分の考察を告げようとするが――、那須の言葉は続かない。

 

「玲?」

 

 ――熊谷の身体が右肩から左腰まで斜めにズレて、音もなく二つに両断されたからだ。

 

「え?」

「えっ――」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 攻撃を受けた筈の熊谷でさえ、何が起こったかわからず、光の爆風に包まれて流星のように本部へと飛ばされた。

 

 ――目の前でB級隊員がやられた。

 それも、何が原因かわからず、何も出来ずに。

 

 那須はその事実に愕然とし、足元から地面が崩壊するような気配がした。

 

 

「初めまして」

 

 

 ――そこで、戦場とは思えない気の抜けた声が響いた。

 反射的にそちらに目を向けると、漆黒の外套を羽織った、同輩の日浦とそう年齢の変わらないであろう少年が建物の屋根に座っていた。体格はかなり小柄で、茜より少し高いくらいか。

 明るい茶色の髪、赤い瞳。

 

 

玄界(ミデン)の女傑」

 

 

 ――桐絵ちゃん? 

 

 那須が少年を見た感想は、およそ戦場には相応しくない言葉だった。

 中性的で愛らしさを感じる顔立ちと、一目を引く明るい髪は共通している。

 しかし、髪は肩の辺りで切り揃えられているし、何より感情豊かな小南とは及びもつかない程にその顔には無関心さが漂っている。瞳の色も血赤だ。

 他人の空似か、と思うと同時、黒い鉄のようなブーツ型のトリガーが目に入る。植物の模様が彫られてあり、膝まで覆っている。

 

 (ブラック)トリガーだと、確信する。見知った顔だったので気が緩みかけたが、極度の緊張感と絶望感に苛まれる。

 

「人型近界民(ネイバー)……」

『な、那須先輩……!? 熊谷先輩が緊急脱出(ベイルアウト)してきたんですが!? 何が起こってるんですか!?』

「聞いての通りよ、多分、(ブラック)トリガーが来たわ」

『ッ!?』

 

 通信の向こうからオペレーターの小夜子の緊張と恐怖が伝わってきた。指と声の震えが通信越しでもわかる。

 戦場に出ていない非戦闘員の小夜子が怯えるのも無理はない。那須の推測でしかないとは言え――、相手は国を揺るがす冠絶した『力』そのものだ。

 

 いくら年下で、友人に似た顔の少年とは言え、この少年は那須よりも格上の存在なのだ。彼の無関心そうな空虚な瞳がそれを物語っている。

 たかだか変化弾(バイパー)に長けただけの小娘など、一も二もなく蹂躙されるだろう。

 

『小夜ちゃん』

『はい! すぐに本部とA級部隊に連絡を取ります!』

『ええ。お願いね』

 

 即座に自分の限界を知り、少年に照準を向ける。

 相変わらずぼーっとした表情で、特に攻撃の意思を感じない。矢張り友人の小南の面影など微塵もない。

 

「…………ねえ、貴方は(ブラック)トリガー使い?」

「そうだよ」

 

 さらりと肯定した。

 

「人型は貴方だけ?」

「いいや、後からまだまだ来るよ。僕はただの斥候」

(この子、聞いたら何でも答えてくれそう)

 

 くあ、と眠そうに欠伸を嚙み殺す少年。本当に何なんだろう。

 今のうちに合成弾でも――と思っている処。

 

『キリハ――遊んでないで仕事をしなさい』

 

 何処からか、生真面目そうな女性の声が聞こえた。無論、那須の知っているオペレーターの声ではない。

 それを聞き、少年は、

 

「んん……。怒られちゃうし、仕方ない。やろうか」

「!!」

 

 ふわっと漆黒のマントが風を孕んで浮かぶ。とんっと地面に着地し、ブーツがキィィィィィと風を切るような音を鳴らす。

 

「『嵐の塔(オルトロス)』」

 

 そう呟いた瞬間、彼の目の前に、一つの『羽』が浮かんだ。

 形は鳥の羽、というよりも飛行機のそれに近い。最も、スマートな形状をしており、かなり細長い。飛行機のように飛ぶための補助具ではなく、勝手に自立しているようだ。

 それも、一つではなかった。羽は如何やら重ねっていたようだ。まるで少年を守るように、一羽から全部で十の羽が広がる。一枚一枚が極度に薄く、殺傷能力が高いように思われる。

 ボーダーにおける弾トリガーのような役目を果たしているのだろうか。

 

(だとしたら、あの黒いブーツはなに?)

 

 あからさまな程に危険を主調している漆黒の長靴。

『脚』を警戒させ、遠距離戦を誘っているのだろうか。いや、この距離ならば先程の熊谷を斬り裂いた斬撃を放った方がいい。どちらにせよ、接近戦なら勝ち目はない。

 

(手を出してこないのは……多分こっちの手数を知りたいから)

 

 那須の、というよりボーダーのトリガーを知りたいのか。

 ボーダー隊員のトリガーは性能が一定である。組み合わせや応用はあってもあくまで技術の範疇を出ない。彼は恐らく出来るだけトリガーの情報を欲している。

 いっそ、侮ってくれた方が良いのだが。

 

「――変化弾(バイパー)

 

 だが、やるしかない。

 トリオンキューブを細かくして数十発の弾丸を放つ。狙うはトリオン供給機関。一点突破だ。

 しかし、焦げ茶色の二枚の羽が凄まじい速度で回転して弾丸を弾いた。

 

「!!」

 

 残りの数枚の羽が雨のように那須に降り注ぐ。シールドで守りながら滑るように回避した――が、一瞬遅れて羽が三枚、那須の両脚を直撃した。

 

「ッ……」

 

 辛うじて被害は右足だけで済んだが、これでは自由な軌道は不可能だ。その場から出来るだけ動かず、弾丸を降らせる判断を下した。

 先程までとは違い、炸裂弾(メテオラ)を広く『面』に集中して正面に放つ。

 空飛ぶ剣のように羽が容易く弾丸を弾き――、

 

「!」

 

 羽にぶつかり、炸裂した弾が煙幕のように少年の周囲に撒かれる。

 そして、頭上から変化弾(バイパー)が降り注ぐ。既に炸裂弾(メテオラ)を放った瞬間、上空に打ち上げていたのだ。

 しかし、読まれていたかのようにそれも別の羽が飛んできてカバーした。

 更に――ボッと。

 

「!?」

「えっ」

 

 離れた場所からの、()()()()()()()()()()()

 一度も、狙撃手の方を見る事もなく。ライトニングの一撃を。

 茜の通信の向こうで唖然とした顔色がありありと想像できる。

 

(そんな……! 攻撃が予測されて――いや待って)

 

 彼はるで未来でも見ているかのように防御している。少年は一度も茜の方を見ていない。つまり、絶対に見つかってはいないのだ。少年が気付いたのは攻撃の瞬間だけ。レーダーのようなものを確認した様子もない。しかも、彼は狙撃の前に既に羽を盾にしていた。

 その上、那須の炸裂弾(メテオラ)変化弾(バイパー)の対応も少し不自然だ。彼は一度も上空を見なかった。ただ興味の無さそうな顔でぼんやりと那須を見ていただけだ。

 それなのに何故弾丸の軌道がわかった? それに、頭上からの弾も炸裂弾(メテオラ)の可能性もあるのだ。そうやって羽で受けるのは少し違和感を覚えた。

 

「…………終わり?」

 

 相変わらず友人とは似ても似つかない表情で那須を見下ろす――見下す。

 鳥の色合いに似た羽が、那須の周囲を舞う。

 

「――貴方は、もしかして」

 

 那須が言葉を口に出す前に――剣羽が細い体躯を地面に串刺しにした。

 

 

  

 ――――――――

 

 

 

『トリオン供給機関、一部損傷』

 

 

『神経組織へトリオン供給。モデル:レプリカに設定』

 

 

『戦闘体自律活動開始まで、およそ二時間後』

 

 




キリハ 十四歳。小南弟。姉と似ているかと言われると実はそうでもない。アホ毛はある。目は赤色。

ヒュース キリハの親友枠。キリハの監視役として押し付けられた。何だかんだで良いポジション。

ミラ キリハの監視役兼お世話係。それなりに情は移っている。

くま 大した台詞もなく特に意味もなく秒で斬られたイケメン女子。ベアトリス三秒ベイルアウト。

那須 最初に誰と桐葉を絡ませようかと悩み、姉の友人と殺し合わせた。サイドエフェクトを見抜きかけた。女傑呼ばわりされた事が不服。

茜 背後からの完全な奇襲をあっさり防がれ若干自信喪失。

小夜子 「先輩が一分くらいで全滅した」

小南 全力でお姉ちゃんを遂行できなかった。
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