すうっと心が冷えてゆく。
冷たい真冬の湖に浸かっているような感覚。身体の芯から凍えていき、全身の血管を蝕むような血氷。
寒冷を越え、そしてやがて何も感じなくなる。
眼から光が消えた。手から鉄の冷たさが消えた。足場が瓦解していく。泥沼のような闇がズブズブと自分を呑み込んで離さない。
そして、不気味なぐらいにああ、そうかと納得している自分がいた。
あの日から弟の事を考えない夜はない。
自分を忘れていると聞いても、不思議と愕然とした衝撃を受けていない自分に驚く。
いや、もう涙も涸れ果てたか。
「――次々と。地から湧く……」
弟とは思えない程冷たく高めの声音。ああ、まだ声変わりを迎えていないのね。
顔はあたしに似て美少年ね。女子って言っても通じるぐらい。まぁ当然ね。なんたってあたしの弟だもの。
眼の色は血を滲ませたような赤色。鮮やかで美しい。本人は嫌っていたけど、あたしはその瞳を見るのが大好きだった。あの子にしか見えない世界を理解したかった。
あたしとそう変わらない小柄な体躯。今年で確か十四歳だったはず。いつかあたしの身長も追い越すのかしら。
「で……貴女は?」
そう、問われる。
その言葉を聞いた瞬間、すっと胸に空っ風が吹いた気がした。何もない所をそっと風が撫でたような。
「忘れたの?」
だが、論ずるまでもなく答えは決まっている。
「――お姉ちゃんよ」
――――――――
「次に来る侵攻で桐葉で敵になって帰ってくる」
侵攻、およそ一か月前。
迅は同僚のレイジと烏丸と共にとあるラーメン屋で、ドッキリのように脈絡なく、小南が聞いたら暴れ回るような予知を告げた。
案の定、レイジはぶっと咽て、烏丸は咽る事はなかったが、怜悧な顔立ちを僅かに歪ませた。
「何の冗談だ、迅」
「冗談なんて言わないよレイジさん。桐葉の事で嘘を吐くなんて有り得ない」
「…………」
珍しく真面目な声音で嘘も冗談もないと告げる迅。レイジも迅の反応を見て、遊真ではないがつまらない嘘ではないと判断した。
「キリハってあれですか、あっちの世界に攫われた小南先輩の弟」
「そ。因みに小南にはまだ話してない」
「何故だ? あいつが一番欲しがってる情報だろう」
そう言われると、頭をかきながら迅は水を一口含んで飲み込んだ。
「いや、俺も最初は話そうと思ったんだけどね。そしたらさ……」
「――小南が死ぬ確率が増えた、か?」
「流石に勘が良いね、レイジさん」
その発言に桐葉と当時の小南を知らない烏丸が首を傾げる。
「どうしてですか? 小南先輩の弟の溺愛っぷりは知ってますが……それが何故先輩の死に繋がるんですか? とゆうか、桐葉はそんなに強いんですか?」
「通常トリガーで今の遊真と互角かな?」
「…………!
「ああ。桐葉は今度の侵攻で
迅の誇張とも思える発言に、烏丸は緊張感が走ったように顔を引き締めた。
「迅さんの言葉を疑う訳じゃないすけど、今の小南先輩からは想像できないですね」
烏丸がボーダーに入隊したのおよそ三年前だ。当然、桐葉の事は話程度にしか聞いてない。その時は大分小南も落ち着いていたので、暴君っぷりは知らない。
烏丸が知っているのは戦闘時の隙のない動き、揶揄われて顔を紅潮させる姿、絶品のカレーだ。
「おれの予知通りなら那須隊、弓場隊、嵐山隊、んでメガネ君と千佳ちゃんがやられる」
「! 修と千佳が……」
「サイドエフェクトと相性最悪だからね。伝えるべきか否かちょっと悩んでるけど」
結果的に修が見抜き、風間隊もタダではやられず、嵐山隊は対敵せず、弓場隊は二人のお守りに成功したのだが。
「穏便に話し合いは出来ないのか」
「まあ無理だろうね。桐葉というか周りの連中が許さない感じ」
「それで? 俺達に何を?」
「玉狛第一総出で桐葉を止める」
「総出……。迅さんもですか?」
「いや、おれは別の要件があるから。
「…………?」
迅の発言は要領を得ないものだったが、箸を置いて「ご馳走」と話を切ったので、聞いても無駄だと判断して烏丸もレイジも聞くのをやめた。
「……どちらにしろ、俺達がやる事は変らない、という事だな」
迅はこくりと頷き、
「さ、小南のカレーをあいつに食わせるぞ」
――――――――
四年ぶりの姉に対しても、桐葉は少しだけ眉根を寄せただけで、殆ど無反応に等しかった。
「ああ、貴女が……」
何か思い立った桐葉はゴソゴソとマントの中に手を突っ込んで何かを探し始めた。
そして、手に取ったのは一つのロケットだった。
「これ、返すね」
「!」
ひゅっとロケットをそのまま小南に投げる。小南は受け取ると、中身を確認した。
「これは……」
楕円形のロケットに切り取られていたのは、小南姉弟のツーショット写真だ。桐葉が姉の隣で現在とは及びもつかない微笑みを浮かべている。
侵攻の三日前に撮影した写真だ。今までずっと持っていたか。
そう考えると、涙は浮かばず、より一層弟を連れ戻さなくてはという気持ちが高まる。
「どうしてこれを?」
「もう、それは『僕』じゃない」
桐葉はこれを持っていたから、姉を名乗る初対面の女子高生に対して困惑もせずに受け止めたのだろう。
一度小南はトリガー解除し、丁寧にロケットを服の中にしまった。そしてもう一度起動した。桐葉は態々待っている。
桐葉の言葉は無感動で、無感情だった。
しかし、僅かに人肌の残るペンダントは、彼に何を伝えたのだろうか。
「桐葉」
「なに?」
「帰りましょう。あたしたちの家に」
「――――…………」
小南が弟に手を差し出す。桐葉はそれを、無感動、というには流石に少しは表情を動かしていた。
それは困惑というよりは、微かな驚きのように思えた。憎まれていると思っていた相手から思わぬ好意を告げられたような。
どちらにせよ、小南の言いたい事は伝わっている筈だ。
もうやめましょう。これ以上は。
お家に帰りましょう。きっと皆迎えてくれる。
小南は言外にそう告げ、一歩、歩み寄り――、
「今更無理でしょう、それは」
ぶんっと小南のすぐ近くに黒い空間が浮かび、その中央にいる女性が小南の言葉を否定した。
無数の黒い棘が小南を襲うが、瞬時に反応し、後方へ下がった。
「あんた……! さっきのワープ女!」
「さっきぶりね、キリハの姉上」
掌の上に黒い球体を浮かべているワープ女、ミラは桐葉の近くに佇む。
「ミラ。エネドラは?」
「もう死んでるわ。とても残念ね、昔の彼だったらきっと自分の弱さもよくわかっていた筈なのに」
「そう……。じゃあ、僕も仕事をしないとね」
桐葉が
それを見てレイジが愛情と過去に訴えた交渉は不可能だと判断し、トリガー起動をする。
すると、何処からか、何かが落ちるような音がした。巨大な新型トリオン兵、ラービットが幾つもワープによって出現していた。
「
「ッ! 桐葉!!」
桐葉の号令により、五枚の羽が空を駆けて玉狛第一を強襲する。
ちらりと桐葉の方を見ると、隣に妙な女がいた。それを見ているだけでこめかみに青筋が浮かぶ。
小南は羽とラービットの攻撃を凌ぎつつ、最愛の弟と弟に群がる泥棒猫へ向けて叫んだ。
「いつの間に、妙な女侍らせるようになって……お姉ちゃんに紹介しなさいよ!!」
分割した双月を持ってミラに突貫する。
ミラは再びワープホールを生み出し、小南を空中へと飛ばした。瞬間、鉄脚がしなり、小南を蹴り飛ばす。辛うじてシールドで受けて衝撃を殺したが、地上へ叩き付けられた。
「生き別れた姉弟の感動の再会を邪魔なんてしないわ。無粋じゃない」
「どの口で!! 誘拐犯が!!」
「攫ったのはアフトクラトルではないのだけど……。まあそこを貴女に話してもしょうがないわね。――キリハ、自分の責務は全うしなさい」
「わかってる」
上空から加速された踵落としが炸裂する。辛うじて躱したが、風を噴出して休む暇もなく連撃を重ねる。
「桐葉!」
小南が双月で連撃を弾き続けるが、ボーダーのトリガーでいう所のレイガストのスラスターを連続で攻撃されては耐えられない。
だが、既に『一手』は敷いてある。
小南と斬り合っていた桐葉がふと、何かを察してバッとその場から離脱した。後ろを見ると――、
「これは……さっきの爆撃」
先程まで小南と押し合っていた所、それより少し背中側に雪のようにスローの散弾が空間を敷き詰められていた。あのまま押されていたら爆発していただろう。レイジが巨大なトリオンキューブを片手に弾速を極限まで遅くした
数で覆い尽くして感知を馬鹿にする気か。これでは予測が上手くいかない。
(修の手を参考にさせてもらった)
成程。この散弾では
だが、この程度では足止めにもならない。
――飛べばいいだけだ。
滞空機能。足裏から風を噴出し、軽く上空へ飛び上がった。
見た目に反して
「よし」
しかし、それは予測されていた。
桐葉がトリオン反応に気付き、羽を一枚盾に使う。ほぼ同時に四つの衝撃音が響き、羽に穴が開き、一筋の弾丸が通ってくる。辛うじて回避したが、羽が一つダメになった。
「……!」
(羽を割った……?)
『剣の羽』はかなり強固なシールドだ。元々の強度に加え、更に桐葉のトリオンでそれは増長している。
つまり、四人の人間が同じ場所に順々に当てたのだ。
「狙撃兵か……。何処から?」
既に隠密したか、辺りを見渡しても影も形もない。既に姿をくらましたようだ。
レイジがそれを見て満足そうに頷く。
「そのまま圧力をかけてくれ。頼むぞ、当真。奈良坂」
――――――――
「了解、レイジさん」
通信を聞いた当真がにっと笑みを浮かべながらイーグレットのスコープを覗く。
「飛ぶ鳥を撃ち落とすゲームか。いいねぇ、中々面白いじゃねーの」
「訓練感覚で終わらせないでよ、当真さん」
「うーるせーな、ユズル。わかってるっての」
当真の隣には、彼の弟子(本人否認)の中学生
少し離れた場所には奈良坂と古寺の三輪隊
「羽が予想以上に硬いですね。レイガスト以上かもしれません」
「問題ない。俺達のアイビスで完全に抉じ開け、当真さんが狙い撃つ。あの程度ならば
№2
少年がこちらを見る。が、流石にここまで距離を置くと攻撃までは届かないらしい。
しかし大まかな位置は気付かれたようだ。
「気付かれましたよ、奈良坂先輩!」
「落ち着け章平。玉狛第一が奴をあそこに釘付けしている。例のワープ女にだけ気を付けて俺達はここから『羽』を撃ち落とせばいい。抑々ここまであのトリガーの射程は届かないんだろう。現に奴はこちらを見るだけで攻撃してこない」
予想通り、桐葉はちらりと見ただけで降下していった。
そして――再度、四人がもう一枚の羽を順々に狙撃した。
――――――――
「これで滞空は封じた。一気に叩くぞ」
「了解」
レイジがラービットをスラスターで加速した拳で吹き飛ばし、烏丸と小南に指示を出す。小南には聞こえていないようだが。
『桐葉はやはり
『ああ。桐葉の素のトリオンは確か11ぐらいだった筈だ。しかもあの角によって更に強化されているだろう。長期戦はこちらに完全に不利だ。――短期決戦で終わらせるぞ、京介』
『了解』
隊長からのお許しが出たので、烏丸は元々は桐葉用だったトリガー――『ガイスト』を起動させた。
『ガイスト
『
起動した途端、トリオンが戦闘体に流し込まれ、黒々とした無骨な見た目に変わった。
過剰なトリオンに戦闘体が不安定な形になり、桐葉の視界に炎のようにちらついた。
何だあのトリガーは、と警戒していると、凄まじい速度で烏丸が飛び出し、弧月の一振りでラービットの頭部を両断した。
(あれは……?)
ラービットが一撃で斬られた事に驚愕を覚えつつ、一瞥しただけでガイストの機能を見抜いた。
トリオン体そのものにトリオンを過剰に流し込み、身体も武器の一つとして扱う。どちらかというとアフトクラトルに似た発想のトリガーだ。ただトリガー
だがこのままラービットを削られ続けても困る。先に処理しよう。
僅かに、ゆっくり後退。そして動きにギャップを作った所で、一気に加速。小南の脇を通り抜けて烏丸へと猛進する。
疾風のような速度で烏丸に肉迫し、速さに力を乗せて回し蹴りを放つ。
『
しかし、それはガイストを起動した時点で読まれていた。
ガッと跫音を響かせて小さく厚いシールドに蹴りが止められる。
そしてそこから更に脛から風の刃をシュパッと噴出する。シールドが切断面が綺麗に二つに割られたが、攻撃は本人まで届かなかった。
『
追撃を行う前に既にジグザグな軌道で範囲内から逃げ去った。
成程、如何やら幾つかの性能を特化させ、一時的に大幅な有利を取る事が出来るらしい。
更に、レイジがタタタタと機関銃を連射。三枚の羽で防ぎつつ、自分がとても不利な状況に追い込まれている事がわかった。
(姉が僕を抑えつつ、あのもさもさした人が攻撃、あの大男は一番トリオン能力が強いけど、あくまで二人のサポート。攻撃の隙を作らせてくれない。結構厄介だな。狙撃手も配置してる。ミラに上を片付けてもらうか? いや、この人達はかなり強いみたいだし、ここで殺そう)
彼等がかつての同胞であっても、同じ
――そうだ、僕は戦える。
何があろうと、例え姉が敵でも、僕は殺せる。
それが四年間の戦場で築き上げたもの。誰であっても躊躇わない。姉でも家族でも仲間でも親友でも殺す。
――じゃあ何を守るの?
ふと、耳の奥に響いた声。よく聞き慣れた少女の声。黒い髪、黒い眼、自分とは正反対の彼女。
とうの昔に死んだ彼女。僕の翼になってくれた彼女。
そう、そう、もう死んでいる。これは幻聴だ。
しかし、頭で分かっていても無視できない。頭の奥の奥から、魂の根底から彼女を求めている。
――それはもちろん、家族を。
――家族を殺して? そうしてまで、一体何が残るっていうの?
――
突如、桐葉がシールドが間に合わない速度で烏丸の腹に蹴りを打ち込んだ。体勢が崩れた烏丸の後頭部を掴み、もう一度膝蹴りを叩き込んだ。
烏丸が反応するより速く弧月の峰に手を置いて身体を緊密に接近し、ゼロ距離で脚を振り上げ、腕を切り飛ばした。
急に、速くなった――なんて考える暇もなく踵蹴りを顔面に喰らう。衝撃を殺せず、吹き飛ばされて無様にも地面に転がった。
「とりまる――ぐっ!」
妨害しようとしていた小南に、三枚の羽を飛ばして応戦する。小南は双月を用いて反撃するが、常にスラスター状態のレイガストと斬り合ってるも同然だ。決定打には至らない。
すると、桐葉が新しく二枚の『羽』を生成した。
(弧月やレイガストの要領で新しく作れるんだな。今このタイミングで作ったって事は、もう一度中距離攻撃が来る!)
『
それを見た烏丸が、辛うじて動ける脚で大きく踏み込んで桐葉に接近する。
弧月を桐葉の胴体へ振り被る――直前。
「いい反応だ」
――ドドッ。
「!!」
突如として上空から急降下した二枚の羽が烏丸を地面に串刺しにした。
弧月を持っていた腕と心臓部、同時に二つ貫かれ、弧月を振るう間もなくトリオン体にヒビが入り、崩壊していく。
(どういう事だ、上空は当真さんたちが封じている筈……!)
何が起こったかもわからず、唖然とする烏丸の顔面を蹴り飛ばして伝達脳を破壊した。
(手元に作った羽は俺を動かす為のフェイント。視界に入らない程の上空に常に羽を二枚待機させていたのか……!?)
仕掛けが今更わかっても意味はない。為す術なくトリオン供給機関と伝達脳を断ち切られ、烏丸は呆気なく
驚愕するレイジと小南を置いて、矢張り無気力そうな赤い瞳を今度はレイジに向けた。
「じゃあ、次」
――――――――
ぼふっとベッドに落下して本部に帰投した烏丸は、混乱する頭を押さえながら、まず真っ先にオペレーターに謝罪した。
「すいません……。――ゆりさん」
淑やかな妙齢の女性、林藤ゆりがマイクをつけてオペレーターとして、そこに座っていた。
本来、スカウト旅で県外に出向いていた彼女は、迅の命で片桐隊・草壁隊と共に既に三門市へ帰還していた。
ゆりは烏丸の方に振り向いて「大丈夫」と言った。
「桐葉を倒せませんでした、今はレイジさんと小南先輩だけです。本当にすいません」
「いいのよ、京介君は仕事はしてくれたわ。後はレイジ君と桐絵ちゃんが上手くやってくれる。それに……もうすぐ嵐山くんも到着する」
「嵐山さんが……?」
嵐山隊、ではなく嵐山、と言った彼女の発言に妙な引っ掛かりを覚えつつ、未だかつての家族と鎬を削る二人を見守った。
――――――――
――烏丸が撃破された。
同僚が
自分はお姉ちゃんだ。いつだって弟の前を行き、手を引いて進まなければならない。
身体の弱く、小さな弟を導びかなければだめなのだ。だってあたしはお姉ちゃんだから。
それなのに、結果はどうだ。
姉の仲間をいとも容易く切断し、遠慮なくかつての故郷の踏み潰す。微塵の躊躇いも迷いもなく人を攻撃し、破壊と暴虐を尽くせる子になってしまった。
そう、それは紛れもなく弟を救えなかった自分の責任だ。
清算するのだ。あの日の後悔を。
「桐葉――――――!!」
小南は手斧を振りかぶって最後の羽を破壊した。
次いで、レイジを襲っている桐葉を横から攻撃した。桐葉を羽で身を守りながらレイジから後退し、羽を飛ばして迎撃する。
小南はそれ等をレイジの支援と共に搔い潜り、鉄の脚に噛みついた。脛から鎌鼬が射出されるが、それを躱して追撃するが躱される。
「桐葉! 戻ってきなさい!! あなたはあたしの弟よ! あたしたちの家族よ!」
「だから、覚えてないんだよ」
ふわりと宙に浮き、冷たく突き放す桐葉。
しかしそんなものは些末だとばかりに言い返す。
「だったら何よ! そんなの関係ないわ! 迅も、ゆりさんも、レイジさんも、ボスも、陽太郎も、瑠花も、クローニンも皆桐葉に帰ってほしいって思ってる! あなたの居場所はここにあるのよ!」
「……そうかもしれない」
「!」
意外にも――諭している立場としては何だが――肯定するような返答だった。
桐葉は先程より少し沈んだような、昏い瞳を自分の足元――いや脚に落とした。
「故郷である
「じゃあ――」
「でも、僕は僕なりに義理がある。ヒュースや隊長、ミラに。クロードに。それが終わるまで戦う」
そう言うや否や、踵からトリオンを噴出して宙を駆けだす。――小南の横を通り過ぎ、レイジの方へと。
「! レイジさん!」
角度をつけて踵落としを放つ。シールドモードのレイガストで衝撃を辛うじて防ぎ、蹴りを受けた状態のまま、スラスターで僅かに後退。桐葉の体勢を崩す。
ガクッと脚が地面に振り下ろされ、完全に受け身の姿勢になった桐葉に、レイジはもう片方のレイガストのスラスターで顔面に拳を叩き込んだ。
顔を大きく強打し、しかし桐葉は風を噴射して曲芸のように空中でバック転し、衝撃を殺した。
「メテオラ!」
仰け反った状態の桐葉を待っていたのは小南の
煙幕。一瞬桐葉の姿が視界から消え――、しまった、と思った時にはもう遅かった。
――ピッ。
風の刃が煙幕を裂いてレイジのレイガストを一撃で鮮やかに割った。展開したシールドごと、二枚とも。
桐葉が両手を地面に置いて、前足側の膝を立て、後ろ脚の膝を地面に置いた。――こちらの世界で言う所の、『クラウチングスタート』だ。
キィンと何かを溜めこむような音がして――刹那、桐葉はシールドも援護も間に合わない速度、疾風の弾丸となり、飛び蹴りにてレイジの胴体を粉砕した。
「なっ――」
『トリオン供給機関破損。
ビキビキとトリオン体に罅割れて崩壊していく。――最後にレイジは。
「桐葉……!」
何を思ったか、彼の名を一言呼び、そして
――レイジさんがやられた。
――桐葉が、やったのだ。
それを知覚した小南がまず感じたのは、単純な『怒り』であった。
いくら最愛の弟であろうと、いやだからこそ
「桐葉、今誰を倒したのか分かってるの?」
「貴女の仲間?」
「違う、桐葉の家族よ」
「…………覚えて、いないんだよ」
僅かに躊躇うような気配だったが、そう言い切った。
「一人になったけど、まだやる?」
「やる、やるわよ。いつまででも。――負けられない戦いってのはあるの」
ズキ、とその言葉を聞いて脳裏に罅が入ったような痛みがした。自分に似た顔立ちの彼女のその台詞に、何かを想起させられる。
そうか、これは――既視感だ。
両手の指では足りない人を殺し、弔う地面が足りない程に仲間を見送った、最後に残ったキリハ。
目の前にいたのは、かつての自分だった。
一人になって戦う――いや一人に僕がした。
僕が彼女を、一人にした。
かつて自分がさせられた事を、今度は自分がしている。それも、家族に。記憶を失くしても尚必死に手を伸ばしてくる姉に。
「そうか。じゃあ……止められないな」
グッと身を沈め、再びレイジを屠った一撃の姿勢を構える。
小南はふわりと
――――――――
『からだが治ったらなにしたい?』
『うーん、そうだなー。色々あるけど……、あっ、でも、あれだ、紅葉を見たい』
『この辺では見られないから県外へ出ましょう』
『あの林藤さんが食べてたどら焼きを食べたい』
『いいとこのどら焼きを知ってるわ、行きましょう』
『あ、そうそう、学校にも行きたいな。准たちと同じ所』
『うん、そうね、きっと副も佐穂も喜んでくれるわ』
『姉さんは何かないの?』
『あたし? そうね、あたしは……』
『なに?』
『桐葉を一人にしないわ。迷子にならないようにずっと一緒にいる。ずっと手を繋いでいるわ』
『それがやりたい事?』
『ええ、そうよ。それだけでいいの』
『そっか、ありがとう、姉さん』
『あたしは桐葉のお姉ちゃんだから、当然よ!』
『じゃあ、僕も姉さんを一人にはしないよ』
――――――――
――ありがとう、桐葉。
桐葉が腰を落とし、漆黒のブーツからキィィィンと甲高い音が鳴る。真面に受ければ小南の双月とて子供が作った砂の城のように容易く粉砕するだろう。
そう、小南一人ならば倒せない。
烏丸とレイジ。二人がいたからこそここまで桐葉を消耗出来た。二人がいなかったら弟の足元に為す術なく崩れ落ちていた筈だ。
――桐葉のお陰で、あたしは一人じゃない。
ドッ、と。
地を抉るような踏み込み、大きく脚を振りかぶり、正確に小南の首を切断しようと肉薄する。
迫る。迫る。迫る。
彼我の距離があと数メートルになった所で――
『ここよ。准』
桐葉が何かに気付いたようにハッと左方へと視線を向けた。
だがもう遅い。回路のような斬撃の線が建物を颶風が如く通過し――、
――風刃の遠隔斬撃が、桐葉の身体を幾重にも分断した。
「…………!!」
羽を盾にする暇もなく、紙を裂くように下半身がズダズダに断ち切られ、身体が宙に舞った。
桐葉の視界には映らないが、七百メートル程先、小南の従弟である嵐山が風刃を構えていた。
これは……
そして、目の前にいるのは
「――桐葉」
二つの双月を一つに接続し、巨大な大斧とし、勢いよく真上から振るった。
一閃。
――――――――
『命中したわ。お疲れ様、嵐山くん』
「はい。ありがとうございました。ゆりさん」
ゆりからの報告を受け、後は従兄妹に任せようと、嵐山はトリガー解除した。
風刃を片手に、ゆりから報告を受ける。
「桐葉は……」
『桐絵ちゃんがもう倒したわ。大丈夫』
「……そうですか。良かった」
嵐山は桐葉が攫われた話を聞き、ボーダーへの入隊を決意した。
今になって思えば、何て自分は遅すぎたのだろうと後悔ばかり募る。桐葉の危機に自分は助けるどころかその場にいもしなかった。
桐絵の言葉にならない怒号を聞いたのは後にも先にもあの日だけだ。
こうして贖罪と救済の機会がやってきたのは奇跡か必然か。
「頼むぞ――桐絵」
――あとはあの姉弟に任せるしかない。
――――――――
戦闘体が解除され、崩れ落ちる桐葉を両腕いっぱいに抱き留める。
『トリオン露出過多』
「トリガー
トリオンが限界だったか、
さらりとした明るい茶色の髪。小柄な体躯、愛らしい顔。
ああ――間違いなく桐葉だ。あたしの最愛の弟だ。
髪を撫でながら頬を寄せる。もう抵抗する気はないのか、されるがままになっている。
「どうして……僕は負けたのかな」
「桐葉がいたからよ」
弟の問いに断言する小南。
「あたしが一人じゃないのも、強くなれたのも、それは桐葉がいたからよ。桐葉がいたからいつでも明日に希望を持てた。止まない雨も、降ってる時はすごく痛かったけど、ずっと我慢出来た。――全部、桐葉がいたからよ」
「…………」
桐葉の心にはもう残ってない時間を、きっと求めていた。忘れた事も忘れたような記憶に何故かずっと焦がれていた気がする。
戦った。戦い続けた。身も心も摩耗して、それ以上に仲間が死に続けても、武器を執った。
そうすれば『誰か』が助けてくれると信じて。ただ自分には姉がいるらしいという曖昧な記憶を頼りに。
……そっか。
僕が強くなれたのは、姉さんがいたからなのか。
何故か、意味もわからないのに、つうと涙が零れた。
「あたしだけじゃない。みんな、桐葉が生きてると信じて戦って来た。もう……何人も死んじゃったけど。桐葉は必ず幸せになるわ。みんなが守ってくれたこの世界で幸せになれないなんて嘘よ」
「…………」
返答もせずに、沈黙を保つ桐葉に、小南は言った。
「――桐葉。帰ってきていいのよ」
「…………!」
その言葉に、はっと眼を見開いて姉の顔を見据える。
小南はすっと弟の頬に触れ、端正な顔立ちに微笑を浮かべた。
立ち上がり、弟に手を差し伸べて、あの時は邪魔されて聞けなかった答えを聴く。
「帰りましょう。あたしたちの家に」
──そうか。
──僕は、こんなにも愛されていたのか。
四年間、行方を眩ましていても、それでも信じていた。ずっと彼女はその手を弟に伸ばし続けていた。
その手を見つめて、そして、自らの手を伸ばした。
「こふっ」
そして、小南を中心にパッと血の花が咲く。
視界が血赤に染まり、びちゃびちゃっと桐葉の身体中に血が飛び散り、まだ生温い鮮血で服を染め上げた。
それが、姉から吹き上がった血だと気付くのに、数秒有した。
「──え」
さっきまで当たり前に喋っていた彼女が、今や口から愛の言葉ではなく痛々しい程の『赤』を吐いている。
姉が、糸の切れた人形のように崩れ落ち、桐葉にもたれかかった。
「え、え?」
わからない、わからない。わかりたくない。
呆然と姉を抱き止める桐葉の耳に、よく聞きなれた声が届いた。
「キリハ。もう撤収よ」
背後から、黒いワープから小柄な身体を見せながら、ミラが言った。
『
トリオン 41
攻撃 21
防御・援護 15
機動 21
技術 9
射程 5
指揮 4
特殊戦術 4
トータル 120