セーラームーン×モンスターハンター 月の兎は狩人となりて   作:Misma

120 / 189
BGM:鏖殺(おうさつ)の暴君



古傷という名の鎖④

 

『鏖魔』。

 

 

 かつてディアブロスの中で、そう呼ばれた個体がいた。

 三又に分かれた左角が特徴で、ハンターに折られた角が歪に再生した結果であると推測されている。

 そして彼は人間、とりわけハンターという存在に対して凄まじい怒気と殺意をもって(みなごろ)さんと襲い掛かった。

 彼に関わる逸話に、人が夢想しがちな幸せな結末(ハッピーエンド)などない。

 挑んだハンター、騎士、軍人のすべてが薙ぎ倒され、突き刺され、吹き飛ばされ、破壊された。

 とあるハンターが現れ激闘の末に討ち果たすまで、人間にとって彼に挑むことはまさしく『死』そのものを意味したのだ。

 

 折しも、いま砂原で佇む妖魔ディアブロスも異形の右角を持っていた。

 頭部が、翼が、内部の充血により赤黒くグロテスクに変色している。

 鏖魔よりは感情を表に出さないものの、それが余計に不気味さを助長する。

 唯一、炎のように複数の枝を伸ばす右角は、奥底に眠る黒く煮えたぎる感情が顔を覗かせたかのよう。

 事前に現地を視察したギルド派遣員の間では、密かにこう囁かれた。

 

「このまま行けば、鏖魔があの世から蘇ってくる」と。

 

──

 

 妖魔ディアブロスは、ねじれた角を凄まじい勢いで、何度もめくれ上がった地面へと突き立てる。

 その下にあるのは──かつて『主』だったモノだ。

 彼は、それが地盤に開いた穴のなかで、沈黙して煙となっていくのを確認する。

 いまこの時、彼を操ろうとする喧しい『主』は砂中へ葬られた。

 

 

「ギィャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッッッッ!!!!」

 

 

 妖魔ディアブロスは勝ち誇ったように叫ぶ。

 はるかとみちるはこの光景を、予想だにしなかった結末を見つめていた。

 

「デス・バスターズの支配を……自ら打ち破っただと!?」

 

 『主』を喪った妖魔、千刃竜セルレギオスは、すぐに身を翻して空の彼方へと消えていく。

 

「まさか……この機会をずっと待っていたというの?」

「そんなバカなことが……」

 

 ディアブロスが身体を低く構え、翼を広げて唸る。

 そこから、初めてまともに突進をぶつけてきた。

 はるかは盾で受け止め、みちるは横に転がって回避する。

 

 通過して折り返すと、そのまま突っ込んで来るかと思いきや、跳躍。

 

「ぐっ……」

 

 頭から突っ込んできた衝撃に、男性のように逞しいはるかの身体すらずり下がる。

 ディアブロスは身体ごと回転させ、角で地面を抉って潜っていった。

 

 一瞬の沈黙。

 

 2人が大地を警戒していると、やがて亀裂が彼女らの足元を走っていく。

 亀裂はそこに留まらず、次第に半径10m弱ほどにまで拡張。

 それだけではない。

 地響きと共に、白い蒸気が亀裂の間から噴き出す。

 何か巨大な力が地中で溜まり、今にも放出されようとしているようだった。

 そこに至るまでの時間、潜ってから僅か3秒。

 

「何か……まずい気がするっ」

 

 はるかの言葉を皮切りに、2人は初めて武器を背負い直し、ディアブロスに背を向けた。

 少しでも逃れようと砂を蹴る。

 彼女たちの顔は憔悴に満ちていた。

 

 背後で大地が爆発し、ディアブロスが螺旋を描いて飛び出した。

 血走った身体に黒い覇気と白い蒸気を纏わせたそれは高い山なりの軌道を描いて、2人目掛けぶっ飛んでくる。

 その勢いたるや、彼女らの走るスピードの比ではない。

 はるかは間に合わないと直感し、みちるの前で背から抜いた盾を構えた。

 

 

 大地が怒り叫んだ。

 ディアブロスの身から放たれた強烈な圧力が周囲をドーム状に吹き飛ばし、少女たちの足を浮かせた。

 

 

 『水蒸気爆発』。

 常軌を逸した憤怒と興奮によって体温が上昇、自身の体液までもが()()し、爆発を起こす勢いで蒸発したのだ。

 

 蒸気が収束すると、巻き上げられた砂や石が落ちてくる。

 そのなか、半ば倒れかけていたはるかとみちるはよろめきつつも立ち上がる。

 そして、気づいた。

 

 殺意、憤怒、狂気、執念──

 言葉で言われずともありありとわかる。

 妖魔ディアブロスの赤い双眸はあらゆる激しい感情を凝縮し、吐露していた。

 そのすべてを、立ち昇る蒸気の中から2人に向けていた。

 

 そこで、はるかとみちるは初めてはっきりと自覚した。

 自分たちは、恐れている。

 この悪魔の前に、本能が一刻も早く逃げることを望んでいるのだ。

 

 その首が天を見上げ、喉が再び震え出す。

 反射的にみちるは肩を引き、はるかは彼女の前で盾を構える。

 

「ギィヤ゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアアアアアアアアア……ッッア゛ア゛ア゛アッッッッッッ!!!!!!!!」

 

 咆哮。

 それを途中で中断、睨んで身構え、尻尾を叩きつけ、突進。

 

 激突。

 

 盾からはるかの身体に凄まじい衝撃が伝わり、手の感覚が一瞬なくなる。

 彼女は攻撃を受け止めきれずに大きく仰け反り、無防備になった。

 

 その隙を目ざとく見つけ、妖魔は突進を折返す。

 

 それに気づいたみちるは、懐から取り出した閃光玉を投げ入れる。

 

「はるか、目を塞いで!」

 

 幸い読みは当たった。

 はるかに向かおうとした妖魔ディアブロスの目前で閃光が弾け、相手の視界を奪う。

 何とか突進を止めることに成功し、何も見えない彼は、忌々しげにその場で尻尾を振り回して暴れる。

 

 はるかは憔悴しきっていた。

 あちらは本気でこちらを始末しようとしている。もうそれしか頭の中にないのだ。

 自身の肉体を一切省みず、恐らくは死さえも厭わず──

 

「はるか、もうここから逃げて! それ以上使ったら、貴女の腕が……」

「いや」

 

 はるかの前方を向いた一言によって、みちるの視線もそこに戻された。

 

「……どうやら、逃げる暇すら与えてくれないようだ」

 

 妖魔ディアブロスは、無言で身を捩り、翼を広げ、片足を引いていた。

 角から蒸気が殺気を伴って立ち昇る。

 全く見たことのない構えだ。

 いま彼の目は眩まされているはずなのに、そこにはどこか確信めいた何かがある。

 

「はるか、貴女っ……」

「構うな、隠れろっ!!」

 

 はるかは苦悶の表情で再び盾を構えた。

 

 シュウウウッッと蒸気音が鳴った。

 

 角が地面に深く突き立てられる。

 大地はもはや、角を受け止めるには柔すぎた。

 

 そのまま、大渦を描く。

 

 僅か数秒間、角と尻尾が、地表をも容易く抉り飛ばす旋回が、彼女らを乱打の嵐へ叩き込む。

 

 はるかの盾を持つ手は遂に耐えられず、最後に突き上げられた異形の右角に脇腹を殴られた。

 彼女の身体は軽々と毬のように浮き、放物線を描き、地上を転ぶように吹っ飛ばされた。

 

「はるかっ!!」

 

 みちるは戦慄のあまり我を忘れ、その人の名を叫ぶ。

 視界を既に取り戻さなかった妖魔ディアブロスは、その瞬間を見逃さなかった。

 彼は地上に倒れるはるか目がけて、迷わず突進を仕掛けた。

 

「やめてっ!!」

 

 みちるはもはやいつもの冷静さを保っていられなかった。

 必死の形相で閃光玉を投げ入れ、それは何とか相手の視界を塞ぐ。

 

「はるか、返事をして! はるか!!」

 

 彼女は身軽なセーラーネプチューンの姿に変身して駆け寄り、我を忘れてはるかに呼びかける。

 やがて薄目を開けて「……ああ」と小さく返事をしたので、一気に安堵が少女の顔から漏れた。

 

「貴女、セーラー戦士の姿に変身できる?」

「なん……とか」

「ディアブロスの視界は奪ってあるわ。今のうちに遠くへ退避しましょう」

 

 幸い、はるかは相方の助けを借りて立つことができた。

 セーラー戦士になれば、狩人の状態よりは大幅に身軽になる。

 セーラーウラヌスに変身したはるかをネプチューンが支え、彼女たちは北に続く道へと真っすぐ向かった。

 

──

 

 エリア9。

 所々、風によって出来た小山がある砂漠地帯の奥に、深くまで地面を裂く谷が見える。

 それを横にして、崖に連なるように出来たアーチ状の岩陰に身を隠す。

 再び変身を解いたはるかは岩に背をもたれかけると、痛みに堪えるようにきつく目を瞑った。

 

「僕としたことが情けないな、こんな姿を晒してしまって……ぐっ」

「動かないで。回復の効果が薄くなるわ」

 

 みちるは回復薬グレートの瓶を開け、はるかに飲ませる。

 彼女は背後を振り返ったが、まだディアブロスの影は見えない。今頃は視界を回復し、こちらの存在を探っている頃だろう。

 地中移動の素早さからして、恐らくここに来るまでそれほど時間はかからない。

 

「……はるか。私はね、貴女にずっと笑っていてほしかったの」

 

 こんな時に何を言っているのかと、はるかの視線が動く。

 傾けていた瓶を一旦離してはるかの喉を休ませると共に、みちるは彼女のさらさらとした金髪を指の背でそっと撫でた。

 

「貴女は優しい人よ。もしせつなが告げた()()()()で使命を忠実に果たせば、きっと貴女の心に後悔という、死ぬまで治らない傷ができる」

「……それが本当の理由か。前にここに来た時、本来の使命を捨ててお団子の方に靡いたのは」

「だって、貴女が心の底から笑ってられない世界だなんて……護ったとしても意味がないじゃない」

「……」

 

 はるかは、今度は答えることはなかった。

 最後に受け取った回復薬を飲み干した彼女は、みちると見つめ合う。

 

「だから、うさぎを信じてみることにしたの。前の戦いで奇跡を起こした、あの子の愛と友情が成す力を」

 

 その時、岩が吹き飛んだ。

 超高熱の蒸気のなか、周囲にあったサボテンも、飛んでいた羽虫も燃え尽きた。

 爆心地の地面は溶け、黒い炭へと成り果てた。

 

 舞い落ちる礫に打たれた2人の鎧が音を立てる。

 彼女たちは顔を伏せ、その衝撃に無言で耐える。

 

 砂煙の向こうからゆっくりと這い出てくるは、ひたすらに激を募らす昏き眼光。

 全ては、この2人を破壊し尽くすために。

 覇者の名を返上し、自身のプライドを取り戻すために。

 

「……その結果を知ることは、ないかもな」

「……そうね」

 

 鎧を着た少女2人は、武器を背負って立ち上がる。

 妖魔ディアブロスは低く唸ると異形の角を振りかざし、はるかたちへ真っすぐ突進した。

 活力を取り戻した彼女たちは斜め前方へ走り抜けると、ディアブロスは砂塵を後方に撒きつつ脇を通過する。

 

「でも、私はこれで終わって構わないわ」

「どうして?」

 

 はるかたちは足を止め、背後へ走っていったディアブロスを目で追う。

 妖魔ディアブロスは案の定、囲い込むように折り返す。

 まるで、逃げ場を無くそうとするかのような計算的な動きだ。

 

「ここで死ねば、もしうさぎたちが上手く行かなかったとしても──あの、私たちでも残虐でおぞましいとしか思えない使命を……罪を、背負わずに済むもの」

 

 みちるはその時だけはるかの瞳を覗き込んでいた。

 憑き物が取れたような、爽やかすら見える表情だった。

 しかし──

 

「言ってくれるじゃないか。だから、ここで一緒に死んでくれって?」

 

 はるかはそれに微笑んで答え、背にある武器に手を伸ばした。

 

「はるか?」

「僕から離れてくれ」

 

 次にみちるの視界に入った彼女の腕は、赤く腫れあがっていた。

 いくら回復薬を飲んだとはいえ、もはや攻撃を受け止めきることは難しいだろう。

 なのに、目の前の人は再び武器を持とうとしている。

 

「まさか……貴女」

 

 彼女は相方の言うことを聞かず、盾の上部にある鞘に剣を差し込んだ。

 盾は回転し、斧に変形する。

 それを後方に振り、構え、ビンのエネルギーを圧縮する。

 高出力属性解放斬りの動きだ。

 

「やめて。早く避け……」

 

 妖魔ディアブロスは次は正確に2人を狙い、直撃する寸前で身を捩った。

 

 鏖殺(おうさつ)の螺旋。

 

 必殺の連撃が、今度は突進による加速度をつけて飛んでくる。

 だが、それを目の前にしてもはるかは手を止めなかった。

 

 みちるは相方の身体が打ち砕かれる様を想像し、目を瞑った。

 凄まじい速度で地盤が抉られる音がした。

 がぁん、と金属に大きなものが連続でぶち当たる音も聞こえた。

 

 しかし、断末魔は聞こえてこない。

 

 恐る恐る目を開けると、はるかは健在な姿で盾を構えていた。

 そこから、エネルギーの奔流が溢れている。

 

 『属性強化』。

 

 ビンのエネルギーを盾斧の刀身に宿らせて漲らせ、防御力と攻撃力の上昇を並立する。

 これによって衝撃を軽減し、はるかは何とかこの連撃を耐えきってみせたのだ。

 攻撃を終えて角を引き抜いた妖魔ディアブロスは、未だ立っている人間たちに悔しげに唸っていた。

 

「ごめんよ、みちる。僕は、今だけは、このときだけは一緒に死ねない」

 

 はるかがみちるに見せた表情は、この死闘の場には似つかわしくなかった。

 それはあまりにも日常的で、穏やかなものだった。

 

「僕たちが死んだら、おチビちゃんたちが泣き喚いてお団子たちを困らせるだろう?」

 

 彼女はしばらく驚いたように息を詰まらせていたが、やがて。

 

「貴女のそういう言葉、ずっと待ってた気がするわ」

 

 彼女はそう答え、よろめきながらもスラッシュアックスを持ち直す。

 

 本格的な第三ラウンドが幕を開けた。

 

 妖魔ディアブロスは、真っ先に角で突き刺しにかかる。

 はるかは強化した盾で受け流し、みちるは横に転がって回避。

 彼女はそこから滑り込むようにして首から腹にかけてを斬り、剣に搭載されたビン内の薬液にエネルギーを溜める。

 みちるは脚を斧状態の剣斧で切り裂き、搭載された薬液を沸騰させる。

 

 2回目の突き刺し。

 先刻でのみちるの発見を生かし、焦らず足元で青みがかった甲殻を回転しつつ斬り払う。

 読み通り、勢いの乗った異形の角は頭上を通り過ぎた。

 はるかが視線をちらりと寄越すと、みちるは変形斬りを経て剣状態で斬りつけている最中だった。

 

 だが、ディアブロスもそれで終わらせない。

 頭を振り上げ、唸り、眼前の地面を双角で抉り飛ばす。

 

「くっ……」

 

 直撃こそ受けなかったものの、飛ばされた土砂をはるかは盾で防いだ。

 それを払い取った時、ディアブロスの下腹部で水の爆発が起こった。

 武器に備わる薬品の揮発にしてはあまりに鮮やかで、はるかの頬にすら雫が飛ぶほどの派手なエネルギーの炸裂だ。

 あまりの衝撃のためか、不意の方向からの攻撃のためか、妖魔ディアブロスの巨体さえも大きく傾く。

 

「はるか!」

 

 属性開放突きを決めたばかりのみちるは、一時冷却のため蒸気を上げる剣斧を、斧状態へと変形させつつ叫んだ。

 

「うさぎたちは、守護星の力を武器に込めることで威力を上げていたわ。試してみる価値はあるかもしれなくってよ!」

「ああ、やってみる!」

 

 既に凛々しい表情を復活させた彼女が海面のように波打つ髪を生き生きと躍動させると、はるかも背中を押される。

 やる内容自体はシンプルだ。

 常時、狩人としての能力を補完するため纏わせているセーラーウラヌスのパワーを、その手に持つ剣に纏わせる。

 

 叩きつけられる尻尾をステップで躱しつつ、剣を盾に備えられた鞘に差し入れ『チャージ』。盾内部に搭載されたビンに、守護星である天王星から与えられた力を最大限注ぎ込む。

 エネルギーが超圧縮され保存されたことで、斧刃は金色の凄まじい勢いの稲光を帯びる。

 

「なるほど……こういうことか」

 

 剣で盾の鞘を深く突くことで、盾斧を斧状態に変形。

 次は角と尻尾を共に弧を描いてぶん回した相手に対し、氷牙竜の白くスマートな鎧を纏ったはるかは敢えて転がって突っ込む。

 元々の防具の形状に加え姿勢を低くしたことで、双角も尻尾も掠ることなく背後に陣取る。

 彼女はそこを、攻撃のチャンスと受け取った。

 

「ワールド・シェイキング!!」

 

 はるかは片手で盾斧を真上から大きく振りかぶり、真正面の大地に叩きつける。

 斧刃が接地した瞬間、ビンに蓄えられた力が解放される。

 大地を割るように、限界を超えた衝撃波の嵐が駆け巡る。

 

 属性強化状態でのみ繰り出せる大技、『超高出力属性解放斬り』。

 折しもその武器を振るう動きは、彼女の叫んだ技と瓜二つであった。

 

「ヴオ゛オ゛オ゛ッッッッッッ!?!?」

 

 広い範囲で爆発が連鎖的に巻き起こり、かなりの量の鱗と甲殻を吹き飛ばす。

 相手は明らかに苦しみ悶えた。確かな手応えを感じ、はるかはみちると頷きあう。

 

 しかし妖魔ディアブロスはすぐに、赤い瞳に殺意を上書きする。

 暴君は姿勢を立て直すと、迷うことなく突っ込んだ。

 角による薙ぎ払い。斧の形をした尻尾の叩きつけ。異形の角による、地盤に穴を穿つ3連撃。

 怒涛の連撃を2人めがけて叩き込む。

 

 もう、少女たちも怯まない。

 天王星の力を、海王星の力を、それぞれの武器に搭載されたビンに溜める。

 そして相手の攻撃を避け、受け流し、直後に力を解放し爆発させる。

 

 砂原において、彼らのいる砂漠地帯だけが異様な雰囲気を放っていた。

 彼ら以外の生物は既にどこか遠くに逃れていた。誰もいない砂原において、その一帯だけは嵐が舞っていた。

 

 しかし、そこにもある変化が訪れる。

 黒い雲のようなものが天を覆い尽くしていくのだ。

 傾きかけた太陽が隠され、まるで夜のように暗くなる。

 それに真っ先に気づいたのは、みちるだった。

 

「空が黒く……?」

 

 しかし、妖魔ディアブロスはそんな環境の変化に全く構うことはない。

 夜のような暗闇のなかを、彼は紅い眼光と黒い覇気を引いて駆け巡る。それで、彼の現在位置はありありと分かる。

 彼が視線で追うのは目の前にいる2人の人間、それだけだ。

 

「どうやら、気にしてる暇はなさそうだ」

「そのようね」

 

 はるかの言葉にみちるは気を取り直し、剣斧を再び正面に向ける。

 雨が降ろうと、槍が降ろうと。はたまた、爆発と共に岩が降ってこようと。

 彼女たちは既にこの強敵に立ち向かう決心が出来ていた。

 

 妖魔ディアブロスは息を吸い、前屈み、翼を大地につけ、脚に力を籠めた。

 突進の合図である。

 

 『いつでも来い』と、はるかとみちるは武器を構えて示す。

 『ああ、今から行ってやる』と、砂漠の暴君は地を蹴り出す。

 

 妖魔ディアブロスは、その背から蒸気を噴き出し始めていた。

 水蒸気爆発の前兆だ。

 我が身を削って繰り出される必殺の一撃だ。

 それに最大限の力を持って抗わんと、少女たちも盾斧を、剣斧を手放さず真っすぐに睨んでいた。

 

 己の生死を賭けた彼らの命は、暗闇のなかで燦然と輝いていた。

 相手を追い越し、勝利を追い、それを鷲掴まんとしていた。

 彼らのみの空間が放つ熱気は、生命力の放出は、いま、最高潮を迎えていた。

 

 急速に縮まっては離れていく、彼我の距離。

 異形の暴君が突進を折り返すたび、蒸気の量は増えていく。

 3回目にはるかたちへと振り向いた時、彼の覇気はこれ以上ないほどの勢いを見せていた。

 

 恐らく、この一手で溜まった蒸気を爆発させるつもりだろう。

 突進する異形の双角は、今こそこの人間どもを葬らんと疾駆し、迫った──

 

 

 

 

 その時眩い輝きが、上空の闇を掻き分けた。

 

 

 

 

 暴君の首を、純白に光る腕から伸びる漆黒の爪が押さえつける。

 何かをへし折る音がした。

 

「グオッ」

 

 驚いたような短い悲鳴が響き。

 それきり、妖魔ディアブロスは地に伏した。

 

「……え」

 

 彼らだけの時間は突如として終わった。

 代わりに、倒れ伏したそれの上に、純白の外套が閃いていた。

 その下に黒い角と──

 橙色の瞳があった。

 

 それを認識した瞬間、頭上から殴りつけられ、ひれ伏せられるような重圧が彼女たちを襲った。

 

 守護星を持つ戦士として目に見えぬ力を感じ取る者としても、直感として感じたその生物の気配は明らかに異常だった。

 

 なにか、見てはいけないものを見てしまったような。

 その姿を見ることすら、禁忌であり罪であると感じさせられるような。

 

 一方の光り輝く龍は、こちらを一瞥すらしなかった。

 明らかにその龍の視界に、はるかとみちるの姿は入っているのだ。

 しかし、まったく興味を示さない。

 

 『もう用は済んだ』、そう言わんばかりにそれは純白の外套を広げた。

 先ほど爪を生やした腕と思っていたものは、その外套を支える『翼』であった。

 天を見上げ、一瞬だけ見えた本来の前脚に力を込めると、それは舞うようにして上空へと飛翔する。

 一帯を覆う闇のなか、その龍だけが浄光を地上に煌めかせ、そしていつの間にか闇のなかへと消えた。

 

 彼女たちは、立ったまましばらく動けなかった。

 かつて異形の暴君による突進を待っていたその場所から、呆然と、その輝く存在を眺めるしかなかった。

 

 

「まさか、あれが『金の竜』……いえ、『金の(ドラゴン)』」

「天廻龍シャガルマガラ……」

 

 

 その名を呟いた直後、黒い霧があっという間に晴れていく。

 陽はいつの間にか傾きかけていた。

 見慣れた砂漠の風景に戻ったところで、2人はやっと気づく。

 

「……おい、まさか、噓だろ」

 

 みちるは一言も言えず口を押えていた。

 先ほどまではるかたちをまともに動けなくなるまで追い詰め。

 いよいよこれからとどめを刺さんとしていた強大な宿敵が。

 

 

 妖魔ディアブロスが、息を引き取っていた。

 

 

 目は見開かれたままだった。

 恐らく、彼自身何が起こったのか分からなかったのだろう。

 憤怒も、殺意も、狂気も、最初からなかったかのように消え去っていた。

 唯一破壊されつくした大地が、彼がかつて持っていた力を物語っているだけだった。

 

 はるかは、その場にふらふらと膝から崩れ落ちた。

 押し寄せる身体の疲労と精神に受けた衝撃に耐え切れず、視界が歪む。

 

「今の今まで……全力で攻撃を叩き込んで、それでも勝てるか勝てないかってところだったのに……」

 

 立ち向かおうと決意した。

 宿敵と戦うなかで成長を遂げた。

 大切な人と共に死ぬことをも覚悟した。

 それでも勇気を振り絞り、命ある限り抗おうとした。

 

 そのはずなのに。

 ここまで地道に積み重ねたというのに。

 もう少しで、この因縁に決定的な決着がつくはずだったのに。

 それなのに。

 

「まるでアレは、赤児の手でもひねるように……」

 

 悲壮なまでの覚悟は、敵を凌駕する存在によっていとも容易く踏みにじられた。

 何という皮肉だろうか。

 それは、もはや戦いですらなかった。

 あの龍は近くを通りがかったついでに、気に障るモノを処理したに過ぎなかったのだ。

 

 彼女たちとディアブロスの死闘は、彼にとって見れば『遊戯』だった。

 いや、遊戯ですらない。

 普段なら注目にすら値しない、ただの塵同士の揺らめき。

 有象無象の、取るに足らないざわめき。

 

「いま、感覚で理解できた。古龍と呼ばれる者たちが、いったいどんな存在なのか」

 

 無力感のあまり立つことができないのは、はるかだけではない。

 

「彼らは、彼らの持つ力は、人が作った御伽噺などではなかったのね」

 

 みちるも、剣斧で辛うじて倒れようとする自身の身体を支えていた。

 

「異界より来たる災いが王国の未来を喰らい尽くす。せつなの言っていた『最悪の未来』は、誇張ではなかったのだわ」

「だが、彼女の予測は一部間違っていた。デス・バスターズにこの世界を支配することなどできやしない」

 

 はるかは、砂と血が滲む肩を、腕を、手を震わせた。

 

 

「本当の脅威は……破滅の未来をもたらすのは……」

 

 

 その先は言えなかった。

 彼女は言葉を噛み締め、目を見開き、盾斧を思い切り投げ捨て、拳を熱砂に打ち付けた。

 それからしばらく、何も言えず嘆くように地に伏せていた。

 虚しく砂が舞い、散っていく。

 みちるは現実に耐え切れないように口を押え、目を背ける。

 

「……みちる。僕はこれから、一生後悔する道を選ぶ。もう、僕たちの世界を護る方法はその道しか残されていない」

 

 もはやみちるにさえ、そう静かに告げたはるかを止める術も勇気もない。

 ただ、俯いて、屈みこんで、唇を噛み締めることしかできなかった。

 

「チャチャ、カヤンバ」

 

 地に向かって呟くはるかの声は掠れていた。

 彼女は呆然と、すっかり元通りに青くなった晴天を見上げた。

 

「やはり僕たちは……君たちの憧れるような人ではいられない」

 

 はるかの目端から、一滴の涙が頬を伝った。




人を恐れさす魔をも一瞬にして屠った『金の龍』。
2人の使命帯びし少女はある真実を教えられ、絶望する。

4編もいよいよ最終局面に入ります。
次回は、1話だけ物語の視点がこの世界から離れます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。