所謂日常的な物語 作:亀はん
023
「はぁ……はぁ……」
雪がちらつく真っ白な無地な世界で僕らは息を切らしていた。終わりの見えない世界で行われる鬼ごっこは自分たちが思っている以上に精神と体力を擦り減らしていたらしい。亀姫が所々煽りをしてくる事も原因だろう。
「くっ……!」
戦場ヶ原も、徐々に余裕が無くなっていた。中学生時代に陸上部であったとはいえ、ブランクもあり元々は身体が強い方ではない彼女にとって、この鬼ごっこは辛いものらしい。
「……」
羽川は視界に僅かに映り込む亀姫の背中を見ながら何やら考え事をしているみたいで、あまり喋らない。
僕らが追いかければ亀姫は逃げ、僕らが休めば亀姫は僕らの視界に映るところで止まる。その繰り返しだ。
「おっそいの〜!」
「はぁ〜これだから人間は」
「ほれほれ、悔しいのう」
「こんなか弱い動物1匹も捕まえられんのか? 三人がかりでぇ?」
などと、僕らを煽るような事を言ってくる。
「……ダメだ、少し休もうぜ」
「そうね」
かれこれ数時間は続いているであろうこのゲームに僕の足は棒のようだ。
「ねぇ、阿良々木くん。戦場ヶ原さん」
屈伸などをしながら足を休ませていた僕らに、羽川は口を開く。
「なんで
「この鬼ごっこに意味があるって言うのか?」
「ううん。多分鬼ごっこに意味はないんだと思う。私たちとすること自体が目的かも」
「僕らとする事が?」
亀姫の目的は僕らを弄ぶ事だと、羽川は言った。
「こんな風に世界を塗り替えるくらいの力があって、彼女は阿良々木くんの事が嫌いだと言って、何故私たちに直接危害を加えなかったのかな?」
「それは……」
確かに、羽川の言う通りだ。こんな力があるなら嫌いな僕に直接手を下す事なんて容易いだろう。それをしない理由があるのか。
「その理由が、きっとあそこにあるんだよ」
羽川の見つめる視線の先には、3つの扉があった。
ドアノブしか付けられていない、まるでどこでもドアのようなデザインの扉がそこにはあった。
「この中に正解がある、とかか?」
扉はただそこに置いてあるだけで、表から見ても裏から見ても何処かに繋がっているとは思えない。
「阿良々木くん。私は真ん中だと思うわ」
「その理由は?」
「勘よ」
「勘かよ!? よくこの状況で勘を頼りにしようと思ったな!?」
「さぁ、いってちょうだい阿良々木くん。私と羽川さんはここで待っているから」
「それで納得していってきます、なんて言えるわけないだろ!」
僕は戦場ヶ原の奴隷か何かか? いや、この場合は戦場ヶ原に仕える兵士か。
「仕方がないわね。じゃあ阿良々木くん。この中で好きな色は?」
「この中で? なら、仰かな」
「なら仰はハズレね」
僕が答えると戦場ヶ原は間髪入れずにそう言った。
「なんでだよ」
「何故って、貴方は亀姫本人から言われたじゃない。阿良々木くんの事が嫌いだと。そんな彼女が貴方の好きな色を正解にするはずが無いわ」
「……」
私ならそうする。戦場ヶ原はそう締めくくる。
「ん? こんなのあったか?」
戦場ヶ原に言い返す言葉もなく、彼女から視線を逸らす。そこで僕が見つけたのは、先程まで無かった看板だった。
『三人それぞれが正解を選ばないと一生此処に閉じ込めます。がんばれ……笑』
アニメ調の亀姫のイラストに吹き出しを書いて、台詞が書いてあった。
「本当に鍋にしてやろうかしら」
看板を見た戦場ヶ原は僕の背後で恐ろしいことをボソリと呟いた。僕の耳にはそれがバッチリと聞こえていたが反応するのは恐ろしかった。
「でも待てよ? 此処には回数制限なんて書かれてないし、一通りやれば終わるんじゃないか?」
僕はこのゲームの穴を見つけた、と少し得意げに言う。
「そうだね。阿良々木くんの言う通り、一通り試せば終わると思うよ」
羽川はそんな僕を見ながら常識を説くようにそう言った。
「待ってちょうだい羽川さん。それが彼女の、亀姫の罠だったら?」
「それだったらもっと、ううん。初めから私たちを分断していたと思う。忍野さんは自分から離れて行ったけど、専門家のあの人が一緒に来ていた場合のデメリットを彼女が分からないわけがないよ」
「……そうね」
忍野はやる事がある。と言って今回は離れたが、僕らと一緒に行動をしていた可能性も0ではない。忍野の強さは僕らは理解していたし、亀姫だって知っているはずだ。それをしなかった、となると……。
「初めから、この扉が目的地ってことか?」
真っ白な世界に設置された薄っぺらい扉3つ。
「扉を私たちそれぞれが潜る事。それがこの鬼ごっこのゴール。この扉まで誘導するための……」
羽川が赫の扉に触れると、一瞬だけ扉がブレたような気がした。
(気のせい……? いや、ここは亀姫の作った世界だ。何が起こっても不思議じゃないか)
些細な出来事は置いておき、僕もまた扉の前に立つ。羽川が赫、戦場ヶ原が仰、僕が喜。
「よし、せーので開けよう」
「せーの」
僕がそう言うと戦場ヶ原は間髪入れずに言って扉を開け、僕と羽川も釣られるように開けた。
「なんだ、ここ」
恐る恐る目を開けると、敷き詰められていた真っ白な雪景色は消え、独房のような場所へと移動していた。
「なぁ、これは……」
他の二人に声を掛けようとした僕だったが、その声は途切れる。
「戦場ヶ原? 羽川?」
僕の視界に二人の姿は無く、ただ無機質な壁が広がっていた。
024
「ここは……」
戦場ヶ原ひたぎもまた、阿良々木暦と同じように別の場所へと来ていた。最もそれは、阿良々木とは違い独房のような場所ではなくホラー映画やゲームに出てくるような怪しげな垂れ幕やマークが施された宗教の本拠地の様な場所。
「このマーク……」
壁に掛けられたマークは戦場ヶ原ひたぎにとって、あまりいい思い出は無いものだ。
戦場ヶ原ひたぎは、過去に宗教によって家庭崩壊まで引き起こす事態になった。原因は、娘を想う母親の愛。そこにつけ込まれた。
「……」
何故、この場所に自分が居るのか。ひたぎは考えた。
亀姫が自分の過去を見せている?
──いや、それは違う。自分はこのマークの事は知っていても、その現場に行った事は無いのだから。
母親の過去?
──彼と母親に接点があるとは思えない。
「まさか……ここは、長壁くんに関係する場所なのかしら」
この宗教と長壁貉が関係するならば、自分はそれを確かめなければならない。戦場ヶ原ひたぎは一度深呼吸をして、奥へと進み始めた。
「なに、これ」
ひたぎが初めに見たのは、机に置いてあるノートだった。タイトルは書いておらず、何処にでも売っている学生が買うようなものだ。手に取り、パラパラと捲る毎にひたぎの眉間にはシワが寄った。
「名前、売上、人数、優先順位……反吐が出るわね」
恐らくこれはこの宗教に救いを求めて、むしり取られた被害者たちの情報だろう。一般人と思われる名前から、有名人の名前まで多種多様な人物の情報が書かれており、ひたぎはあるページで手を止めた。
「……」
──母親の名前だった。過去の出来事だと受け入れてはいても、やはり気分が良いモノではない。そうしてまた、ページを捲り、背表紙を見た。
「著者……むじな」
この本に書かれていた文字は比較的綺麗で、読みやすいものだったが、最後の著者の名前だけ違和感がある。ひらがなで、文字を習いたての子供が描いたようなもので、使われた筆記用具もクレヨンみたいだ。
違和感を頭の片隅に、ひたぎはそのノートを手にとったまま、また歩き始める。薄暗い道はお化け屋敷の演出のようだ。
ある程度の距離を歩いた所でひたぎの耳に声が聞こえてきた。その場所へとゆっくりと近づきながら耳を澄ませる。
「はは、見ろ。こんなに儲かったぞ。君のおかげだ」
男の声だった。比較的若く、聞き覚えはない。
「ありがとうございます。これで私も報われます」
次に聞こえたのは女の声。こちらも若く、ひたぎに聞き覚えはない。
(
小さな窓をゆっくりと覗き込むと、彼らの姿が見えた。男の方はスーツを着用し、メガネを掛けたサラリーマン風。女の方はベージュのカーディガンに赤いロングスカート。至って普通の格好だ。
(両親……にしては若い。いえ、此処が過去を見せていると言うのならば多少若くても違和感はないわね)
冷静に分析をしていると、気になる会話を彼らはし始めた。
「アレは……神様のお役に立てていますか?」
「君の子供はとても役に立ってくれているよ。神様のね」
女の不安げな様子を見た男はにこやかに言う。
(神様……お母さんも、偶に口にしていたわね)
「あぁ、神様は言っていたよ。『神子をくれてありがとう』とね」
男は紳士的な態度で女に接していた。怪しげな場所と男の態度は胡散臭いとしか言いようがない。
(
ひたぎがある中年の姿を思い出していた一瞬の間に、場所が変わる。
「……!」
ひたぎはいつの間にか椅子のような場所に座らされており、周囲には怪しげなマークが描かれた布を頭につけた人々。
彼らはある方向に視線を送っており、手をあわせて拝む者が多かった。
「なに、あれ……」
ひたぎ彼らの見ているものを見て言葉を失った。其処には、にこにこと笑みを浮かべる小さな子供が居たからだ。どう見ても、小学校低学年……いや、それ以下かも知れない。それくらいの年齢の子供が宗教団体の中枢部と思われる場所に座らされていたのだ。
「皆様、どうも。本日は貴重な神子さまより御言葉があります」
子供の側には先ほどのメガネを掛けた男。変わったのは、スーツから神主のような格好になっている。
男は子供の側に近寄り、何やら神妙な面持ちで頷く。子供はニコニコと笑みを浮かべ、左右に小さく揺れている。
「んん! 神子さまは今回も神様よりお言葉を賜ったようです。内容は──」
それから続くのは、幸せになる鏡だの、壺だの、怪しげなグッズを買うためのセールストーク。
「三文芝居も良い所ね」
ひたぎは周囲から聞こえてくる「買います!」「ください!」「全部買わせていただきます!」と、信者たちの声に不快感が拭いきれなかった。
そうしてまた、ひたぎが瞬きをした時。場所が変わっていた。周りには壁、そして檻。監獄、と言うよりかは動物園の飼育場所のようだ。
「今度は何かしら」
不可思議な現象も何度も目の前で起こると耐性ができる。ひたぎは慣れてきたのか場所を移動した事に特に驚きは無く、どんどん深層へと潜っていく感覚だった。
「……戦場ヶ原?」
コツコツと足を進めていると、聞き慣れた男の声がひたぎの耳に入ってきた。
「あら、そんな所で何をしているのかしら阿良々木くん。ようやく飼われる様になったのね」
何処か疲れた顔の阿良々木暦が其処には居た。
「ようやくってなんだよ。僕はそこまで歪んだ欲望は持っていないぞ!」
「ごめんなさい、私には動物の言葉は分からないわ……」
「お前には今の僕の言葉が全部わんわんにゃんにゃんに聞こえるのか!?」
「……」
「捨て犬を見るような目で見るな! というか、
ひたぎは暦の言葉を聞いて少し考える。目の前の人物が本物の阿良々木暦なのか、と。
「そんな事より」
「檻に閉じ込められた事をそんな事で片付けるな」
「阿良々木くん。私は今貴方が本物の阿良々木暦なのか疑っているわ」
ひたぎがそう口にすると、暦もまた怪訝な面持ちになる。
「……実を言うと、僕もお前が本物の戦場ヶ原ひたぎなのかと疑っていたんだ」
「あら、奇遇ね。ならこうしましょう。今から貴方に
「なるほど、それを僕が答えればいいんだな?」
「えぇ」
ひたぎはすぅ、と小さく深呼吸をした後、口を開く。
「貴方に見せた私の宝物、答えられるかしら」
戦場ヶ原ひたぎの宝物。それは阿良々木暦にしか見せていない、言っていないモノだ。
「あぁ、覚えているよ……小さい頃に親御さんと見た星空、だろ?」
暦の答えを聞いたひたぎはフッ、と小さな笑みを浮かべる。
「どうやら本物のようね」
「あぁ、僕もお前が本物だと言う確証が持てたよ。あのデートの事、あいつに言ってなかったからな」
少し恥ずかしそうに頬を指で掻く暦はその後、ひたぎに鍵を探して欲しいと言った。
「あったわ」
初めから出ることが想定されていたようで、暦が入っていた檻の鍵は、すぐ側の壁に吊るされていた。少し錆びた金の鍵を檻に差し込むと、金属の擦れる音と共に扉が開いた。
「はぁ……助かったよ、戦場ヶ原。ずっとあの場所に閉じ込められてたんだ」
暦は大きく伸びをして、ため息を吐いた。檻に閉じ込められると言うのは中々堪えるものだったらしい。
「私はずっと、過去を見ていたわ」
「過去?」
「
「……そうか」
「情報を共有しましょうか。阿良々木くん、貴方の話も聞かせて欲しいわ」
「あぁ、わかった。僕が扉を潜った後──」
暦は語り始める。閉じ込められていた間、何があったのかを。