所謂日常的な物語 作:亀はん
027
──お主になら、貉も心を開くかも知れんの
亀姫は、様々な感情を混ぜたような顔で翼を見た後、そう言い残して姿を消した。彼女はきっと、ずっと、何年も……哀れな少年を救おうとしていたのだろう。
亀姫の背後にあった扉の施錠が無くなり、微かに隙間が見えていた。翼はゆっくりと立ち上がり、扉の前に立つ。
扉に向けて手を伸ばす。バチン! と拒絶するような強い静電気のようなものが起こり、翼は思わず尻餅をつく。
「……ッ」
苦痛に顔を歪ませながらも、翼は立ち上がり扉に触れる。何度も何度も。手が赤く染まり、肉の焦げる嫌な臭いがしようとも、諦めなかった。
「羽川!」
もう一度、手を伸ばそうとした翼の手を誰かが掴んだ。
「あ……阿良々木くん」
「お前……」
ようやく会えた翼を見てホッとした暦だったが、その傷ついた手を見て唇を噛み締めた後、扉から距離を取らせる。
「羽川さん、少し休んでいた方がいいわ。酷い怪我よ」
暦と共にやって来たひたぎも翼の手を見て心配そうにしている。
「良かった……二人とも、無事だったんだね」
「あぁ、運良く合流出来たからな。まぁ、僕らからすればお前の方が心配だよ」
真っ赤な手のひら、焦げた様な跡。痛みは治ることはなく、絶えず襲ってくる。少女の手に刻まれた酷い傷跡は誰もが目を背けたくなる。
「ううん。私は大丈夫」
「そんな、大丈夫なわけ──!」
誰が見ても酷いと思う怪我をしていようとも、羽川翼は笑みを見せた。それが強がりなんて事は誰が見ても明らかだった。
「大丈夫じゃないわ。阿良々木くん、ハンカチ」
「あぁ、持ってるよ」
有無を言わさぬ雰囲気でひたぎは自分の持っていたハンカチと、暦の物を使い、周囲に積もった雪を包むと、そのまま翼の手に巻きつけた。
「ごめんなさい。痛かったかしら」
「ううん。大丈夫だよ……ありがとう、戦場ヶ原さん」
不恰好だが、冷やしておくに越したことはない。暦が辺りを見渡すと、いつの間にか雪景色に変わっており、その中でポツンと佇む目の前の扉だけがやはり異質な雰囲気を醸し出していた。
「……まぁ、雪があって助かったな」
「少しも寒くないのが違和感を感じるけれど、雪自体は冷えているわね」
確かに、と暦はひたぎに言われて漸く違和感を感じた。雪が降っているのに、気温は全く下がっていない。天気予報で言えば過ごしやすい気温でしょうとキャスターが言っていてもおかしくないくらいだ。
「正直、ここまでの道中で色んな光景を見て来たせいでどれが現実か分からなくなるよ」
「そうかしら」
げんなりする暦と平常心のひたぎ。二人の違いは長壁貉との関わりの深さだろうか。
「阿良々木くんたちには、何があったの?」
「そうだな──」
暦がこれまでの事を掻い摘んで話すと翼は成程、と納得した。短くまとめたので端折った部分が多かったのだが、そこは流石羽川翼と言うべきだろう。
そして翼もまた、亀姫と話した内容を暦たちに伝えた。
「……成程、とにかく、此処が最終地点って訳だな」
暦の言葉に翼は頷いた。
「この扉の奥に、彼が居るのね。棒か何かあれば突き破れそうだけれど」
「やめろよ。警察の突入部隊じゃないんだから……それに、無理矢理こじ開けても、それは心を開いたって訳じゃない」
物騒な提案をする自身の彼女に額から一粒の汗を垂らしながら暦は止めた。
「手で触れば怪我をし、辺りに役立ちそうな物はない……仕方ないわね。阿良々木くん、手を頭の上まで真っ直ぐ伸ばして」
「え? こ、こうか?」
「ええ、バッチリよ」
ひたぎに言われた通りの格好をする。そういえば小さい頃妹たちのおままごとに付き合わされて木の役をやらされたような気がする。と暦は哀れな自分の思い出が脳裏に過ぎる。
「じゃあこれから貴方をあの扉にぶち当てるから、頑張って開けてちょうだい」
「僕は丸太か!? 無理に決まってんだろ!」
「吸血鬼と丸太はセットよ。広辞苑にも載っているわ」
「そんなわけあるか!」
何処の島の話だ。暦は真顔で言ってくるひたぎにツッコミ、丸太の真似をやめた。木の所為か、顔に熱が籠っている気がする。
「──やあ阿良々木くん。楽しそうだね」
「お、忍野!?」
扉の前でどうしようかと悩んでいた三人の前に現れたのは、亀姫に会って早々何処かへ行ってしまった忍野メメだった。彼はいつものように萎れたタバコを咥えている。
「いつから……」
「阿良々木くん、君は僕にこう言って欲しいのかい? 『ううん、今来たところ』って。残念ながらそれには応えられないよ。君が木の真似をしているところからさ」
「誰もそんなカップルみたいな会話を求めてない! というか見てないで声くらい掛けろよ!」
「ははあ、相変わらず元気だね阿良々木くん。それで、委員長ちゃんはどうして手に布なんか巻いているんだい?」
「え?」
忍野の言葉に翼は首を傾げる。血で染まったハンカチを見れば怪我をしている事くらい分かる筈だ。
「忍野、羽川はあの扉に触れて怪我をしたんだ。どうやら強い電気みたいなものが流れてるみたいでさ……どうしようかと相談していた所だ」
「怪我? ふーん、成程ねぇ……僕には
「は?」
もう一度、暦は翼の手を見た。するとどうだろうか、あれだけ傷付いていた筈の手は傷ひとつない綺麗な白いものへと変わっていた。その変化には翼も目を見開いていた。
「……!?」
「思い込みって言うのはとても重要な事だよ。特に、怪異を相手にする時はね。君は既に経験している筈だ」
そう言われ、暦が思い出すのは八九寺真宵の事。迷っていた子供を案内しようとしていた筈だが、実のところ迷っていたのは自分自身だった。といいうオチ。
「扉に触れれば怪我をする。単純で、明確なイメージだ。だから目の前でその現象を少しでも見せてしまえばそう思い込んでしまう。君たちはまた化かされたって事さ」
忍野はそう言いながら目の前の扉に向かって蹴りを入れた。すると、重々しい扉はあっけなく開いた。
「マジかよ」
扉の先には真っ暗な闇が広がっていた。光を一切受け入れず、一歩先に進めば落ちてしまうのではないかと錯覚してしまうほど、暗い。暦はごくりと唾を飲み込んだ後、ゆっくりと指先を伸ばす───
「なんだ、これ?」
指は間違いなく扉に触れている。だが、見えない壁の様なものでもあるのか、全く進めそうにない。
「何をやっているの阿良々木くん。行くならさっさとして頂戴」
「いや、違うんだよ。これ以上進めないんだって」
両手を伸ばしてみたが、やはり阻まれる。側から見ればパントマイムでもしている様だ。ひたぎは無言で扉の前にいた暦を退かし、何処からか取り出したホッチキスを扉の中へ投げ込んだ。
「……成程、阿良々木くんがふざけていた訳じゃ無かったのね」
ひたぎが投げたホッチキスは空中で音もなく静止し、カシャンと地面に落ちたのだ。暦は後ろの方でひたぎの躊躇の無さに顔を引き攣らせていた。
「委員長ちゃん。君も試して見なよ」
忍野はポケットに手を突っ込みながらそう言った。
「わ、分かりました」
おずおずと、羽川は扉の中へ手を伸ばす。指先が触れると波紋のように波打ち、翼の手はそのまま闇の中へと消え、翼は反射的に手を引っ込める。
「うん。どうやら、この先へは委員長ちゃんしか行けないみたいだね」
「なんで羽川だけ行けるんだ?」
忍野は納得したような顔つきで頷く。暦は忍野に問いかけたが、さあ? の一言で片付けられた。
「おい」
「阿良々木くん。僕は何でも知っている訳じゃあないんだよ。ましてや人の心なんてね」
委員長ちゃんは行けると思ったのは僕の勘だよ。忍野はそう言った。
「人の心の壁が、この扉で表されていた……そう言いたいのか?」
「簡単に言ってしまえばそうなるね。今まで君たちが見て、感じて来た景色は長壁貉の心の中を映し出したようなモノ。亀姫はそれを故意に現実に引っ張ってこれる。それが、今の力の限度って所かな」
忍野はなんて事のない様に話しているが、それを聞いた3人はその規模の大きさに驚くばかりだ。
「成程、つまりはこの扉は
「戦場ヶ原、すげー分かりやすい例えを出してくれたけどな、伏字が伏字になってねえよ」
「ガラスのように繊細ね、特に貴方のツッコミは」
「……いやすぐに分かんねえだろ! その台詞パロって来ても!」
暦とひたぎが話している他所に、じゃあこれを渡しておこうか。と忍野は懐から一枚の紙を取り出して翼に差し出す。何やら複雑な模様が描かれていたソレを受け取った翼は、何かを察したようだ。
「忍野さん、これって……」
「うん。封印の札だよ」
「お前の言っていた用事って言うのはこの札を用意してたのか?」
暦とひたぎも、翼の持つ札を興味深そうに覗く。
「……こんなモノを貼ったところで封印なんてできるのかしら? 相手は世界を書き換えるくらいの力何でしょう?」
「封印するくらいならその札で十分さ。最も、その札は僕らじゃ使っても意味はないよ」
「ただのお札ではない……という事ね。でも、私たちが使えないのなら誰が使うと言うの?」
ひたぎがそう聞くと忍野は不敵な笑みを浮かべこう言った。
「そりゃあ勿論、長壁くん本人だよ」