所謂日常的な物語 作:亀はん
028
「阿良々木くん。亀姫さんは私に言ったの。私になら長壁くんは心を開くかも知れない、って」
「あの亀姫が、か?」
思い出す様に呟いた翼の言葉に暦は怪訝な表情を浮かべながらもそう言われてどこか納得していた。そう……確か、翼が障り猫に遭った時、彼はこう言っていたからだ。
──気にするなよ、大丈夫さ。
「そんな格好でよくそんな呑気な事を言えるもんだな……」
ボロボロの雑巾のような格好で横たわる幼馴染を見て暦は言う。どうしてこんなになるまで一人で立ち向かったのか。
それは……『羽川さんが好き』だからね。
長壁貉は暦に向かって、キメ顔で言った。風が吹けば攫われてしまうような小さな声で。その言葉を発したのが亀姫なのか、長壁貉なのか。果たしてその『好き』が友人としてなのか、異性としてなのかは定かではない。その時は化かされている事すら知らなかった暦は呆れながら言った。
「お前、それは本人に言うべき事だろ?」
でも、お似合いだと思うぜ。口にこそしなかったが暦はそう思っていた。暦と比べて喋るクラスメイトも多く、成績も中の上。顔も本人には絶っ対言わないがイケメンの類。長年連れ添って居た人間だからこそ暦は羽川翼と付き合うなら素直に祝おうとしていた。先に彼女を作った者として。
暦の言葉を聞いた長壁貉は困ったような笑みを浮かべていた。
その心中を、阿良々木暦は測ることができなかった。当然だ。化かされていたのだから。そう言ってしまえれば楽だったろう。阿良々木暦の心には大きなしこりが残された。
029
翼は闇の中を歩いていた。ただ、真っ直ぐに。
この道が合っているのかとか、そもそも前に進んでいるのかとか、そんな事は考えておらず、ただ、長壁貉に会いたい。その想いを胸に。
──気持ちが悪い
不意に聞こえた、誰かの声。
──どうしてぼくは、生きているんだ?
それは、少年の独白であり、懺悔でもあった。
──ぼくは、幸せになんてなっちゃいけないんだ
自罰的な言葉は翼が一歩踏み出すたびに聞こえてきた。ぼくは、ぼくなんかが、ぼくのような存在が。
「そんな事ない」
翼は言葉が聞こえてくるたびに首を横に振る。
人は誰しも完璧ではない。いくら頭が良くて運動ができても、欠点は必ずある。誰だってそうだ。人は、足りないモノを補うように協力して生きていく。
慎重に進めていた足が止まった。
「長壁くん……?」
暗闇の中にポツンと街灯が立っていた。光は周期的に点滅しており、もうすぐ消えてしまいそうな程弱々しい。そんな街灯の下で、一人の少年が膝を抱えながら座っている。
翼が近づき、声をかけても反応はない。腰まで伸びている髪の毛はその顔も隠してしまっていて、どんな表情なのかも分からない。それが長壁貉であると認識するにはあまりにも別人すぎた。
…………。
「長壁くん」
反応はない。試しに肩に触れてみようと手を伸ばすと、見えない壁のようなものに阻まれた。触れる距離にいるのに触ることができない。
「初めまして、になるのかな? 羽川翼です」
貉の正面に正座をして、翼は自己紹介をした。当然ながら反応はない。
「亀姫さんから聞いたよ。キミの事」
亀姫の名を聞いた貉の顔は相変わらず隠れたままだったが、心なしか目線が翼に向いた気がした。
…………。
翼は何となくそれに気づき、優しく微笑む。
「何だか不思議な気分。今まで目で追ってきた人が、実は幻だった……なんて。私も怪異には少しだけ関わってきたし、体感して来たけど、それでも……うん、狐につままれるってこの事なのかな? まぁこの場合、貉につままれる……とでも言った方がいいかな、なんて」
翼の話は続く。
「初めて会った頃、変わった人だなって思ったの。人と関わりを持とうとしなかった阿良々木くんが唯一楽しそうに喋ってる人が貴方で、でも貴方は誰とでも関わりを持とうとしていた……幼馴染だから、と言ってしまえばそれまでだけれど、少なくとも第一印象はそんな感じ」
一つ、一つ、思い出す様に翼は語る。その横顔は何処までも優しいものだった。
「それから何となく目で追うようになって……春休みに吸血鬼の事があって……あはは、思い出すと、短い期間で色々な事があったね。きっと、私が知らないだけでキミは阿良々木くんと一緒にたくさんの人を助けたんでしょ?」
──ぼくは、何もしていない。
「──!」
脳内に語りかける様な声に翼は驚くが、それが隣にいる彼から発せられたものだと気づくのに時間はいらなかった。
──ぼくはただ、良いことをして罪を清算しようとしていただけだ。暦の様に正義感を持っていたわけじゃない。
「罪を……」
──ぼくのせいで、たくさんの人が不幸になった。藁にもすがるような想いで頼ってくれたのに、その人たちはみんな、みんな、不幸になった。
それは恐らく、長壁貉がいたあの宗教団体の話だろう。無垢な子供を神として祭り上げ、信者から金を巻き取っていた悪質な詐欺集団。
「それは違うよ。貴方が悪い訳じゃない」
彼は悪い人間に利用されただけだ。善悪を教えられる前にそれが正しい行いだと刷り込まれた子供に何の責任があると言うのか。
──違う? はっ……違わない。戦場ヶ原だってそうだ。彼女の家庭を壊したのはぼくなんだよ。ぼくが居なければ、彼女は幸せな家庭のまま暮らせていた。陸上の選手にだってなっていたかもしれない。
チカ、チカと電灯が点滅する。辺りが一層暗くなったのを見て翼は頭上に点滅するあの電灯が長壁貉の精神状態を現しているのではないかと悟った。
──亀姫は言ってくれた。悪いことをしたならばそれ以上に良い事をすればいい。それを手伝ってやろう、って。
「そっか……だから、色々な人と関係を築こうとしていたんだね」
それが自分勝手な贖罪の為だったとしても、その行いで救われた人は居た。羽川翼もまた、その一人である。
──何度も、何度も、人助けをしてみた。でも、ぼくの心は晴れるどころか罪悪感が沸いて出た。こんな偽善をいくら繰り返そうが、ぼくが壊した人たちの人生が帰ってくるわけじゃないのに……って。
「貴方は、死のうとしてたんだよね? 亀姫さんと一緒に」
──何を、根拠に。
「忍野さんだよ」
………。
「貴方はわざと亀姫さんと一緒に自分たちは害を成す存在だと思わせたかった。だから今回の事に巻き込んで忍野さんに……」
翼はそれ以上口にしなかった。
──あぁ、そうだよ。ぼくは死にたかった。こんなぼくに、生きてる意味なんてないと思っていたから。
死にたかった、思っていた。自身の思いを過去形で語る長壁貉は自分自身でも自覚出来ていなかったが、心のどこかで未練があったのだろう。
──本当は忍野メメだけこの空間に入れて、ぼくたちを殺してもらうつもりだった。でも、なんでだろうね。君たちも巻き込んでしまった。
「長壁くん……」
──考えてしまうんだ。見てきただけだったのに、悲しませてしまうのだろうかって。
長壁貉もきっと、止めて欲しかったのだろう。キミは生きていてもいいと、誰かに……自分たちに言って欲しかったのだろう。
「ねぇ……長壁くん。前に、阿良々木くんとテストの点数で競い合った事があったよね?」
──それが、なに?
「あの時の命令権。まだ残ってるなって思い出したの」
翼は貉に指差し、保留にしていた命令を言った。
「──自分を、赦してあげて。これが私からの命令です」
──それ、は…………
「それでも死にたい……一人じゃ寂しい、って言うなら──私も一緒に死んであげる」
羽川翼は笑顔でそう言った。
「私は、相手のために死ねないのなら、その人の事を友達とは呼べないと思うから」
──なんだよ、それ……
「ふふ、誰かさん達はいっつも身体を張って、傷ついて、不平等でしょ? だから私も身体を張ろうと思っただけ」
──とんだお節介だな、君は。
「そんな人たちに助けられたからね。憧れちゃってるのかも」
翼はフフッと悪戯っぽく笑う。そして、ポケットから一枚の札を取り出した。この札を渡された時、忍野に言われたことが脳裏に浮かぶ。
『そのお札はね、怪異としての力を引き剥がして封印する事ができる便利な効果がある。でもね、それは本人が望んでやらないと意味がなくなる。考えてごらん? 自分の持つ力を他人に無理矢理引き剥がされる、なんて誰でも拒否してしまうだろう? だからこれは賭けになるね。委員長ちゃんが長壁くんを説得できるかね──』
「このお札を貼れば、亀姫さんを封印出来る……って忍野さんが言ってた。でもこれは、貴方が貼らないと効果が無いらしいの」
──そっか。
貉はそれを受け取ると、ジッと見つめて何かを考えている様だった。
「話は纏まったか?」
「亀姫さん……」
「世話になったようじゃな。まぁ、お主ならこれくらいはやってのけると思うとったが」
童子の姿ではなく、成人の女性に近い姿で現れた亀姫は小さな溜息を吐いた。
「貉よ。お前の決心はついたようじゃな」
こくり、と亀姫の言葉に頷いた貉は亀姫の前まで歩いて行く。痩せ細った身体で一歩一歩真っ暗な地面を踏み締めて。
「……長かったのう。小さな赤子から、ここまで育つのに」
──うん。
「今思えば、やはり阿良々木暦を参考にしたのは間違いじゃったの。いくら人間の真似をする為に必要じゃった事とはいえ、彼奴を普通の
あの宗教団体から保護され、引受人となった人間が警察というある程度信用できる身分の者たちだったので亀姫は貉と共について行き、そこに住む人間たちから知識を蓄えようと画策した。
──間違って無かったよ。阿良々木家に来たのは。ぼくは貴女と、暦たちと過ごした日々が楽しかった。
「まぁ、お前がそこまで言うのなら妾はもう何も言わんが……」
貉が亀姫の前に立つ。後は札を貼るだけだが……これが最後の別れになると理解していた貉は中々その一歩が踏み出せずにいた。
「しゃんとせい。男の子じゃろう。お前は封印されただけで妾の事を忘れてしまう様な薄情者ではないだろう?」
優しく、諭すような声色に貉は知らず知らずのうちに涙を流していた。
震える手で、貉は手を伸ばし亀姫の額にペタリと札が貼られた。
「さようなら、
長壁貉は産まれて初めて言葉を口にした。心の底から溢れ出た、感謝の言葉を。
それを聞いた亀姫は目を見開いた後、穏やかな笑みを浮かべ二人の前から消えていく。
「風邪、引くんじゃないぞ、
「あっ……!」
貉は咄嗟に手を伸ばした──だが、その手は空を切った。
亀姫の姿が完全に消えてしまうと同時に世界に掛けていた力が解けて、キラキラと光が舞い落ちる。ふと、空を見上げると辺りは星が瞬く夜だった。
「……帰ろっか。阿良々木くんたちも待ってるよ」
羽川翼は手を差し伸べる。長壁貉はその言葉に頷き、涙を拭った後ゆっくりとその手を握りしめた。
「おーい! 羽川、そっちに居るのか?」
不意に、声が聞こえてくる。それは貉たちがよく聴いていた阿良々木暦の声だった。
相変わらず心配性だと、二人は笑う。
「羽川さん……ぼくは、好きみたいだ。君のことが」
一歩、踏み出した少年は隠そうとしていた想いを口にした。
「奇遇だね。私も、貴方のことが大好きだよ」
030
後日談──というか、僕らのその後。
長壁貉の化物語は幕を閉じた。その事について知っているのは僕と戦場ヶ原、忍野、そして羽川だろう。
亀姫の力は完全に消えた……という訳では無いらしく、少しだけ、世界にはその名残がある。
まず、僕らが幼馴染という関係性は変わっていないが、性格が八方美人な同級生から大人しい性格の同級生に変わったくらいだろう。そもそも後者があいつの本来の、長壁貉の性格なのだから。
亀姫は、自分が消えてしまってもあいつが人間の友達を作れるように、と前座を作るために誰にでも話しかける八方美人な性格を演じていた。これは終わった後に羽川から聞いた事だ。
世界に力の残滓があるからなのか、あいつも化かす力をまだ使えるらしい。言うならば僕の吸血鬼もどきと同じようなモノ。その力こそ世界を塗り替えるなんてモノとは比べものにはならないが、身体が少し頑丈なのと、少しだけ化かせる力がある人間になった訳だ。
人間関係は相変わらず、月火ちゃんと火憐ちゃんは最初違和感を覚えていたみたいだが、今はいつも通りあいつの家を秘密基地代わりにして屯していたりする。迷惑だから辞めろと言ったところで「むーくんは嫌がってないじゃん」と呆れながら返される事だろう。
……そういえば一つだけ、非常に大きな変化があったな。うん、これは言っておかないと色々驚かせそうだ。
色々察する人も多いかも知れないが、長壁貉と羽川翼は交際を始めた。両思いだったらしいからそうなるのは自然な事だが、やはりあの羽川翼と交際を始めるというニュースは聞いた人全員を驚かせる程の事柄だ。
「あ、兄ちゃん起きてるじゃん」
カーテンを開けて窓の外を見ていたら、いつの間にか部屋に入ってきていた妹に声を掛けられた。
「おはよう、火憐ちゃん。月火ちゃんは?」
僕がそう言うと火憐ちゃんは僕が居る窓とは反対側に位置している場所を指差す。
「むーくん起こしに行った」
「そっか……いつも通りだな」
「んー、いつも通りっていうか、最近気合い入れて起こしに行く事が多いんだけど、兄ちゃん何か知らない?」
……知っている。何となく勘付いていた事だが、月火ちゃんはあいつに恋しちゃってるんだろう。思い返してみればそれらしい行動をよくしていた。一緒に寝ようとしたり、バレンタインチョコに力を入れていたり、用もないのに家に入り浸ったり……月火ちゃんも結構行動派な部分が多く、あいつに羽川という魔王級の彼女が出来た事で焦っているのかもしれない。幼馴染、妹、浴衣という強力な属性を持つ月火ちゃんでも優等生、メガネ、
「……さぁ、特には聞いてないな」
しかし、月火ちゃんは何処からあいつと羽川が付き合い始めたと言う話を聞いたのだろうか。いや、ビッグニュースだし風の噂で聞いたのかもしれないな。
『こら〜! 起きなさーい!』
窓を開けていたからか、隣の家から大きな声が響いてきた。その声は僕が聞き慣れた下の妹の声だった。
「やれやれ……気合い入りすぎだぜ、月火ちゃん」
確かにこれは気合いが入ってなきゃできない声量だ。それを食らった幼馴染に同情しつつも僕は思った──日常的に
ふと視界に入った長壁家の庭の片隅には、小さな墓石が置かれており、そこには長壁亀姫、と書かれていた。
一応これにて第一部完結となります。約4年ほどお付き合い頂きありがとうございました!アンケート設置したのでその中のどれかをやる予定です