所謂日常的な物語 作:亀はん
008
どれくらい頭が良いかと聞かれれば、そうだな、全国模試でもトップの成績を治めている。と言えば分かりやすいだろう。ぼくと暦の成績を足しても彼女には敵わない。ぼくが彼女に勝っているところを挙げるとしたら、身長ぐらいだろう。
そして彼女はとても優しく、善良な市民と聞いてぼくは真っ先に彼女の名前を挙げるほど品行方正な善人である。
「どうかしたの?」
いや、なんでも……。
ぼくは今そんな彼女と二人きりでお勉強をしている。はてさて、一体どうしてこうなったのか。経緯を少しだけ説明させていただこう。
事の発端はある日の放課後。いつものように暦と共に小テストの結果を言い合い、お互いに貶し合い、両者共に心に深いダメージを負っていた時。トントントンと軽い足音と共に羽川翼はやってきた。
「あれ? 何してるの? 二人とも」
「羽川か……いや、これはだな━━」
どんよりとした空気を纏う暦が羽川さんに説明をする。
「そうなの?」
少しばかり呆れたような声色の羽川さんがぼくに対してそう聞く。
うん……。
ぼくが頷くと羽川さんははぁ、と小さくため息を一つ。
「全く、だからと言って喧嘩しちゃだめでしょ?」
「でも……」
だって……
ぼくと暦は互いを見て弱々しく呟く。あいつがわるいもん、ぼくわるくないもん。
「二人とも」
めっ! 羽川さんはそう言った。
「はい、ごめんなさい……」
はい、ごめんなさい……
背中に天使の羽が見えてそうな、僅かに揺れたたわわな母性の塊を見てぼくらは同時にそう言った。
「よろしい!」
羽川さんは微笑んだ。
暦、ごめんな……。
「こちらこそ、悪かったな」
ぼくと暦は互いに握手をし、平和的に和解した━━
「━━ははははは。おや? どうして握手なのにこんなに力が強いんだ? 手を離してくれていいんだぞ」
━━ははははは。それはこちらの台詞さ。手を離してくれていいんだよ?
否。1ミリたりとも和解などしていなかった。ギリギリギリと手に血管が浮かぶくらい強く握りしめた手とヒクヒクと動く口元。今のぼくと暦はアシュラ男爵かのように笑顔と怒りの表情で真っ二つに別れている事だろう。
「そこの汚物二人組。廊下のど真ん中でイチャつかないでくれないかしら。邪魔よ」
今にも取っ組み合いが始まりそうなその時、新たな挑戦者が現れた!
戦 場 ヶ 原 参 戦
「あ、戦場ヶ原さん。こんにちは」
「ど、どうしたんだ戦場ヶ原?」
羽川さんはいつものように挨拶を。対して暦はどこかビクビクしながらも戦場ヶ原に話しかけた。
「どうした? ねぇ羽川さん。私の耳が遠くなってしまったのかしら? この男、今どうしたと言った?」
「え? うん。確かにそう言ったけれど……」
戦場ヶ原の眼光はドンドン鋭くなり、ぼくの手を握る暦の手の力がドンドン萎んでいくのを感じた。
「阿良々木くん。貴方言ったわよね? 今日は私と一緒に帰る、そしてテストの結果を一番に私に見せに来ると。まさかそれすら忘れてしまう程の鳥頭だったとは知らなかったわ」
「あ、はい……」
どうやら暦は戦場ヶ原に勉強を見てもらう前に現時点でどれくらいの実力があるか測るために、その結果を言いに行く約束をしていたらしい。それで、その約束を忘れていたと。
ははは、暦。終わったな。
ヘナヘナとアホ毛を垂れ下げる暦の肩に優しく手を置いて微笑んだ。
「何をヘラヘラ笑っているのかしら汚物二号。貴方にも責任があるのよ?」
はい?
「えぇそうよ。貴方が阿良々木くんに話しかけなければこんな事にはならなかった。だから貴方も悪いわ」
なんだその理不尽な言い分は!
戦場ヶ原があまりにも理不尽でぼくは反論しようする。
「私、男女問わず執着心が強いの」
カチカチカチ。何処からか取り出したカッターを鳴らし始める戦場ヶ原。おい、文具をまだ持ち歩いているのか!
「と、とりあえず謝っとけ!」
隣に居た暦がコソコソとぼくに耳打ちしてくる。
わかった、ぼくも悪かったよ戦場ヶ原━━
暦の意見に従い、謝ったぼくに対して返ってきたのはカッターナイフの投擲だった。
っっぶなっ!! おい戦場ヶ原! 当たってたら死ぬぞ!
耳元スレスレを飛び、背後にあった観葉植物に突き刺さるカッターナイフ。
「暴力と圧政が私のアイデンティティよ」
そんなアイデンティティは捨ててくれ!
「せ、戦場ヶ原さん。流石にそれは危ないよ」
あの羽川さんも困惑しながら戦場ヶ原に話しかける。
「ごめんなさい羽川さん。貴女が居なければもっと楽に始末出来たのだけれど」
「お前は暗殺者か何かか!?」
「汚物は消毒と私は教科書で習ったわ」
「……その教科書ってのは拳法の伝承者たちが出てくるヤツか?」
「憲法? そんなモノに私は屈したりはしないわ」
「屈しろよ、憲法には!」
「大丈夫よ阿良々木くん。貴方がもし死んでしまっても胸に刻まれるわ。物理的にね」
「戦場ヶ原。その台詞を少しばかり嬉しいと感じてしまった僕だが、間違っても胸にタトゥーを掘ろうなんて考えはやめてくれよ?」
「何を言っているのかしら。胸に刻まれるのは貴方の方よ」
「せめて死んでからは優しく弔って!!」
ツッコミ係の暦が戦場ヶ原の相手をしている隙にぼくは羽川さんの隣への移動する。
羽川さん、また後で話そう。戦場ヶ原が危険で危ないから。
「あの、長壁くん。少し近いよ?」
あ、ごめん羽川さん。
どうやら必死になりすぎて近づきすぎたらしい。羽川さんの嫌がる声を聞いてぼくは3歩後退した。
「あ、いや、別に嫌とかそういう訳じゃないんだけれど……」
いいや、そこから先は言わなくていいさ羽川さん。付き合っても居ない男女が接近していい理由なんて存在しないからね。今のはぼくが悪かったよ。
心優しい羽川さんならきっと気を遣ってくれるだろう。だが、そんな羽川さんに甘えるわけにはいかない。
ぼくが少し離れると、羽川さんはどこか残念そうな顔をしていた。……なんで?
「──我儘ね阿良々木くんは。ならこうしましょう。阿良々木くんの成績が長壁くんを上回ったら、私が阿良々木くんに一つ命令を。長壁くんが上回ったら羽川さんが一つ命令。どう?」
いつの間にか戦場ヶ原と暦は一つの結論に達していたらしい。その内容を飲み込んでいると、ある疑問が浮かび上がった。
「おい戦場ヶ原。それ僕とこいつにメリットが一つも無いように聞こえるんだが気のせいか?」
暦も同じ事を思ったようで戦場ヶ原にそう問う。
「あるじゃない二つも。かわいい女の子に勉強を教えてもらえて、成績も上がる。命令権は手間賃よ」
成程、確かに。天才か戦場ヶ原は。
メリットが二つもあった!
「お前に命令権を与える事でメリットが帳消しにされてる気がするんだが……」
おい暦、仮にも彼女なんだからそんな事言うなよ。戦場ヶ原がかわいそうだろうが!!
ぼくは幼なじみのあまりに浅はかで愚かで血の涙の無い言葉を放ったことに憤怒した。
「貴方に擁護されるのは不愉快だけれど、ひとまずこれで決まりね。羽川さんも良いかしら?」
「へっ? ……うん。良いよ?」
心なしか羽川さんがそわそわしている気がする。
「阿良々木くん。お勉強、楽しみね」
「あい……」
堂々と歩く戦場ヶ原の後ろを暦がトロトロとついて行く。
羽川さん、えっと……よろしく。
よくよく思えば羽川さんと二人きりでするんだよな、大丈夫だろうか。持つのか、ぼくの理性は。
そんな不安と少しの高揚感を覚えながらぼくたちは勉強会を開く事になり、テストの結果次第で何かを命令される事となった。
009
そんなこんなで冒頭からの続きである。現在、ぼくの家に1人の女の子が来ている。そう、あの羽川翼だ。もう説明は不用だろう。
「うん、合ってる。凄いよ長壁くん。少し教えただけなのに」
いやぁそれは羽川さんの教え方がうまかっただけだよ!
ぼくは初めて知った。女の子が家に来るだけで質素な部屋がこんなにも華やかな部屋になる事を。月火ちゃん? 火憐? あいつらは別である。我が物顔で居座り、寛ぐ姿はとてもじゃないが華やかではない。あの2人はぼくの家を秘密基地か、二つ目の家として考えている節がある。
「んっ……少し休憩しよっか」
羽川さんがグッと身体を伸ばす。その際に主張されるある部分からぼくは目を逸らした。
目を逸らした先にあった時計の時刻を確認してみると、勉強を始めてから1時間が経過しようとしていた。
「何事にも息抜きは必要だよね」
確かに、学校での授業の様に少しの休憩は必要である。授業を真面目に受けているのか? と言われれば素直に首を縦に振れないのだが。
「長壁くん、部屋の掃除とかきちんとするタイプだったんだね。少し意外かも」
そう言って、羽川さんは少し部屋を見渡す。
そりゃあ(羽川さんが来るんだから必死に)掃除くらいするさ。
カッコの中身が本音だが悟られない様にぼくは言う。異性を汚い部屋に招き入れるなど、ぼくには到底考えられない。
「部屋を掃除すると運気が上がるってよく言うよね」
あー、確か神道がどうとか、風水がどうとかだっけ?
「そうそう。後は断捨離だね。部屋の片付けをする事が一番運気が上がるって言うのは有名みたい」
運気かぁ……。
むしろ今の状況こそその運気が上がった証拠なのではなかろうか。自分から羽川さんを家に、それも自室に招き入れることなんて無いだろうし。
「ふふっ……」
頬杖をした羽川さんはぼくを見て微笑んだ。何に対して彼女が微笑んだのかはわからないが、その笑顔を見て、ぼくの胸が高鳴ったのは言うまでもない。
「ごめんね、急に。でも、こういうのいいなぁ……ってずっと思ってたから」
彼女の家庭事情があまり良くない、というのは風の噂で聞いたことがある。悪意のある噂か、事実なのか。それを確かめる術は一つしか無い。が、ぼくにそれを試す勇気は無かった。
人の家庭の事情に踏み込んで、その人の全てを背負う覚悟がぼくにはまだ無かったから。
鶴は千年亀は万年。羽川さんが噂の真偽を話してくれる時が来たならばぼくは全てを受け入れるだろう。それくらい信頼している数少ない友人なのだ。
「じゃ、勉強再開しよっか?」
おっけー。
カリカリとシャープペンシルを走らせる音と、時計の針を刻む音だけが部屋に響いていた。
そうして勉強に励むことはや数時間。羽川さんが帰る頃には夕日が沈みかけていた。
「うん、これでバッチリだと思うよ」
トントン、と教科書を揃えながら羽川さんは言った。
羽川さんに大丈夫だって言われたらそれはもう完璧って事だね。
何せぼくと暦の成績を足しても敵わない相手である。
「あはは、流石にそれは私のことを買い被りすぎだよ」
むしろ学校で習うより分かりやすかったんだが。流石全国模試で上位を取るだけはある。
頭が良いと教えるのも上手なんだなぁ……。
ふと、ぼくの脳裏にある光景が浮かんできた。
夕日が差し込める放課後の教室。向かい合わせになった机、そして制服ではなくスーツ姿の羽川さん。何処とは言わないが強調される部分と、細い腰回り。こんな教師がいたらぼくは━━
「長壁くん?」
妄想から現実に戻される。目の前にはジト目でこちらを見る羽川さんがいた。当然、スーツ姿ではない。
はははは……。
何とも気まずい雰囲気のまま時間がすぎ、羽川さんは家に帰る時間となった。
「じゃあ、また学校で」
女の子を家から見送るのは(ファイアーシスターズを除けば)初めてである。彼女がいたらこんな事を毎日できるのか、暦のやつ許せん。
あー……お、送って行こうか? 夜道は危ないし。
少し体温が上がるのを感じながらぼくは羽川さんにそう言った。いつもなら特に何も感じることなく、紳士的に提案できた筈なのだが、どこか照れくさかった。
「ううん、大丈夫。ありがとう、長壁くん」
羽川さんは微笑みながらやんわりと断った。
そっか。じゃあね、羽川さん!
互いに手を振り合い、徐々に遠くなる彼女の背中を見つめる。
夕陽に照らされ、影がぼくの足先まで伸びる頃。ぼくの携帯に一通のメールが届いた。
『今日ウチでご飯食べなよ〜
お兄ちゃんは用事があるから遅くなるって言うし。むーくんも暇でしょ?
あ、暇じゃなかったね。女の人と二人きりでナニかしてたもんね? そこら辺の話、火憐ちゃんも興味あるんだって〜
じゃあまた後で! 来れるならメールに返信モトム』