所謂日常的な物語   作:亀はん

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9幕

 

 

020

 

 

 

突然だが、今回は僕──阿良々木暦が少しだけ、僕の幼馴染である長壁貉について語ろうと思う。

 

彼は僕が幼い頃──正確に覚えているわけではないが、およそ小学生くらいの時に、事情があって暫く預かる、とウチにやってきた。初めての出会いは、とても奇妙なものであった。

 

あいつは、ずっと笑っていた。にこにこと、口角を上げてまるで笑顔が標準かのように。そして、殆ど喋ることができなかった。緑がかった黒い髪、エメラルドグリーンの瞳。その容姿は例えるならば、人形。マリオネット。腹話術に使われるような人形。

 

おかね たくさん かみさま おねがい

 

あいつが話すことができた単語はこの四つだけ。僕と同い年だと言うのに。

 

そして、箸の持ち方も、フォークも、スプーンも、『いただきます』『ごちそうさま』も知らなかった。両親は複雑な事情があると言葉を濁していた。話してくれなかった。

 

「あいつ、変だよ。なんでウチに来たの?」

 

子供の素朴な疑問。両親はそれを聞くと悲しそうな顔をしていたのをよく覚えている。だからだろう、両親を悲しませる原因を作ったコイツ(長壁貉)が嫌いだと、僕は幼いながらに思ってしまった。

 

「あっちいけ! もうかえってくるな!」

 

そうして一方的に嫌いになり、一方的に遠ざけた。アイツは理解しているのか、していないのか分からないニコニコと笑顔のまま、僕が走り去っていくのを見ていた。

 

それから時間が経ち、夕方になり、夜になった。

 

あいつは帰ってこなかった。自分が言った事を守っているか? 僕はそんな考えがよぎり、親と共にあいつと別れた場所へと向かった。

 

「あ」

 

あいつはずっと立っていた。笑いながら。車があまり通らない道だったから良かったものの、初めて僕は長壁貉の異常性を認識した。いや、認識していたが、しようとしなかったというのが正しい。

 

薄暗いアスファルトの上で、あいつは笑っていた。僕はそれがどうしようもなく怖くて、母の手をずっと握っていた。母はあいつの頭を優しく撫でた後、僕と手を繋ぐ反対側の手をあいつと繋ぎ、家に帰った。

 

「お前、名前は」

 

今思えば、僕が宿していた感情は嫉妬なのだろう。元々放任主義だった親が、面倒を見ている。それを見て取られてしまったと感じていたのだろう。上の妹と下の妹も最初の頃、あまりあいつに近づこうとしなかった。……今では毎朝交互に叩き起こされるような仲だが。

 

かみさま?

 

「違う、名前」

 

おかね?

 

「違う、お前の名前」

 

こ……こよみ?

 

「それは僕の名前だ!」

 

こいつと分かり合うのは無理かもしれない。僕はそう思った。

 

次の日から、あいつは僕の周りをウロチョロとし始めた。観察している、とも言えた。

 

「やめろよ、鬱陶しい」

 

僕が拒絶しようが、ニコニコと笑いながら着いてくる様ははっきり言って異常だ。

 

「付いてくるのはいいけど、ちょっと離れて来いよ」

 

やがて根負けし、僕はそう言った。あいつは笑顔が更に笑顔になった気がする。……自分でも言っている意味が分からなくなりそうだけれど、多少はあいつの表情を読み取れるようになったのだろう。

 

休日になると、上の妹と下の妹の二人に遊ばれているあいつがいた。どうやら知らない間に遊ばれる程度には心を開いたらしい。中でも下の妹こと月火ちゃんはもっていた本を使ってあいつに文字を教えていたようだ。あいつは、スポンジが水を吸収するように言葉を覚え、徐々に普通の少年のように成長していった。

 

いつしか、あいつは僕らと同じように話すことが出来るようになり、偽物の笑顔を浮かべることも少なくなった。

 

それが、長壁貉と僕の幼少期の一幕である。

 

 

 

 

021

 

 

 

 

 

「やあ、よく来たね。阿良々木くん」

 

金髪にアロハシャツ、そして火のついていないタバコを口に咥えた胡散臭い男──忍野メメ。

 

そんな彼が居る学習塾跡。其処には僕含め三人が集められていた。阿良々木暦、戦場ヶ原ひたぎ、そして──羽川翼。

 

「何だよ、忍野。急に呼び出したりなんかして」

 

「せっかちだなぁ阿良々木くんは。こうして呼び出す理由なんて、一つしかないだろう」

 

「……怪異か?」

 

忍野メメは怪異の揉め事を解決する専門家のようなものであり、ここにいるのも調査の為、今は無き怪異の王がこの場所に訪れた為である。

 

「いやはや、もうこの地を出て行こうかと荷造りしていた所だったと言うのに、僕も焼きが回ったみたいだ」

 

忍野は髪の毛をボサボサと掻きながらため息を吐く。

 

「まさか──化かされている事にも気づけなかったとはね」

 

「化かされていた……? どういう事かしら」

 

隣に居た戦場ヶ原が口を開く。

 

「ん? どうしたもこうしたも、文字通りさ。僕らはずっと化かされていたんだよ。君たちの……阿良々木くんが最もよく知る人物にね」

 

僕が最もよく知る人物──いや、まさか。

 

「長壁くん……?」

 

羽川も僕と同じ人物を思い浮かべていたようで、恐る恐るその名を口にした。

 

「流石は委員長ちゃん」

 

「嘘だろ、忍野。だってあいつは何も変わってないだろ」

 

現に、今日だって普通に会話をしていたし。そう続けようとした僕を萎れたタバコで忍野は指す。

 

「何も? 違うな阿良々木くん。何もかも(・・・・)だ」

 

「何もかも?」

 

「そうさ。何もかも。名前、性格、容姿、産まれた瞬間……全部化かされていたんだよ、阿良々木くんも、ツンデレちゃんも、委員長ちゃんも、僕もね」

 

……思考が追いつかなかった。長年共にいた幼馴染が実は怪異に憑かれていたなんて、専門家の忍野さえも騙していたなんて。僕が混乱している間にも、時間は進む。

 

「長壁貉──長壁姫……いや、亀姫かな。この場合は」

 

忍野は顎を手で摩りながら呟く。

 

亀姫。聞き覚えのない名前を僕は噛み締めるように口にした。

 

「阿良々木くん、亀姫って言うのは長壁姫の妹とされている妖怪の事だよ」

 

羽川の言葉に僕はなるほど、と頷く。

 

「亀姫はね、貉の妖怪と同じ存在とも言われているんだよ」 

 

貉──狐や狸のように、人を化かす事ができると言う。狐の七変化、狸の八変化、貂の九化けといわれる様に狐や狸よりも化かす事が上手だとされている存在。

 

それが今、長壁貉に憑いている。

 

「なぁ、忍野……仮に、あいつが僕たちを化かしていたとして……何か害はあるのか」

 

「阿良々木くん。君は本当にバカだと思うくらい化かされてるね。彼はね、委員長ちゃんの障り猫のように、もう予想以上の力を得てしまっているんだよ」

 

忍野は言った。このままだと、障り猫の時の羽川のように存在が消えてしまうか、全て乗っ取られてしまうか。

 

「忍野さん。その言い方だと長壁くんの意識はあって、別に怪異としての人格があると言うことかしら」

 

「中々鋭い質問だね、ツンデレちゃん。君たちが今まで会話をしていたと思っていたのは、彼に憑いた亀姫だよ」

 

会話をしていたと思っていた(・・・・・・・・・・・・・)

 

「阿良々木くん。君は、(長壁貉)言葉(台詞)を喋って居るところを見たことがあるかい?」

 

「当たり前だろ、僕はあいつとよく────」

 

僕が喋っている途中、突然僕は顔をビンタされた。それは戦場ヶ原でも羽川でもなく、隅の方に座っていたゴーグルのついたヘルメットを被った幼女──忍野忍。

 

痛みで頬を抑え、文句でも言おうかと思った時、僕はパズルの欠けたピースがハマるような感覚を覚えた。

 

「──いや、僕はあいつが喋っているところを見たことが、無い……!」

 

長壁貉は台詞を喋らない。

 

それどころか、僕はあいつの声さえも覚えていない。そもそも喋っていないから当然である。会話をしていたのだって、恐らくその亀姫がテレパシーのようなもので話していたのだろう。それに違和感を感じる事ができなかった、というのが忍野の言う化かされていた。

 

「なぁ、忍野。あいつが産まれてきたときから化かされているって言ったよな? なら、僕らと出会ってから起きた出来事も全部……」

 

「結論から言うと全てが彼が仕組んだこと、なんて事はあり得ないね。其処までの力を亀姫は持っていない。精々、人に成りすまして社会に溶け込む程度のものさ、本来はね」

 

「それがさっき言っていた力を得た……って話か?」

 

「化かす力が増えた結果、あまり関わりのない人間の認知すら……この町全域を覆うくらいの力にまで発展した。人を化かす程度ならまだ悪戯や勘違いで済まされるかも知れないけどね、それが町、国、世界まで影響を及ぼした場合がどうなるか。まぁ、早い話さっさと芽は摘んでおこうって事さ」

 

それが僕の役割でもあるからね。忍野はそう締める。

 

「あの、忍野さん。その怪異を払った場合、長壁くんはどうなるんですか?」

 

羽川は何かを察したように、自分の考えが間違いであって欲しいと思いながら忍野へ問いかけた。

 

「うん? 元に戻るだけだよ。あぁ、委員長ちゃんは長壁くん自身の事を心配したのかい? 優しいねえ」

 

「どうなんだよ、忍野」

 

「ま、よくて廃人かな」 

 

忍野はあっけらかんと言った。

 

「廃人って……そんな、何とかできないのか」

 

僕がそう言うと忍野はわざとらしい大きなため息を吐く。

 

「阿良々木くん」

 

それは、何処か諭すような声色であった。

 

「もう彼は手遅れだよ」

 

黒に何を足しても変わらないように、長壁貉という存在は亀姫という怪異と混ざり合ってしまっている。無理矢理引き剥がすと言うことは、それは人の手足を引きちぎるのと変わらない。

 

 

 

僕は、阿良々木暦は言葉を失った。

 

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