最弱と言われた彼女は   作:こたれん

11 / 21
約束

「うらぁぁぁあ!」

掛け声と共に、私は体をゴールにねじ込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、トレーナー、タイムは?」

「...1分17、ファルコ、今日はもう十分よ、タイムトライアルはまた明日に」

「ダメ!..この距離で、1分10以内で走れないんじゃ、勝負にならない。」

もう一本、私はそうトレーナーに言ってスタート地点へと歩いた。

JBCまでもう時間がない。11月の夕方はもう夜と変わらなくて、冷え込んでいた。その冷たい空気が、熱った体に心地いい。

1400メートルのこのダートコースは、本番の距離と同じ。前年度の優勝者のタイムは1分10秒13、今年はきっと、それを上回る戦いとなる。ウララちゃんだけじゃない、きっとスプリンターと呼ばれるものが必ず集うこのレース。それに、私は自分の距離を捨てて挑む。まったく、馬鹿げてる。でも、それでも、

もう一度、あの娘と走りたいから。

全てを出し尽くすような、そんな走りをもう一度、そして、今度こそ完全に勝利して、私はセンターに立つ。

「..っし、ファルコ、まだまだ行けちゃうんだから!」

自分を鼓舞するようにそう口にして、私は再びスタートを切った。

このレースで、もし有馬記念に出れなかったら終わりにするつもりだと、トレーナーにも話している。最後の最後、私はあの娘に全てをかけて挑む。

だから、気づいたらダメなんだ。

少しあった右足の違和感を、私は意識の中でかき消した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

JBCスプリンターの出走リストが決まった。中には当然スマートファルコンだけではなく、数々の強敵がいた。クラシックシリーズに転向したキングヘイロー、ダートレース、ターフレースで共に実績を残しているニシノフラワー、1200、1400、短距離レースで着々と頭角を表したファーストアロー、日本のスプリントウマ娘の最高峰が集結していた。

サクラバクシンオーはターフレースのスプリンターステークスに出るため出走リストにはなかった。

...今はそれだけでも救いか。

ウララの最終目標は有馬記念だ。しかし、その前にJBCスプリンター、フェブラリーステークス、この二つのG1レースで結果を出さなくては出走することさえ出来なくなる。ここから、ウララにとって本当の、最後の戦いが始まる。

それをおそらく彼女は理解している。今日のトレーニングでもいつものトレーニングに加えて、かなりハードな自主練を行なっていた。

そして、今の彼女の走りにはきっと、ライスの菊花賞の影響もあるのだろう、以前よりもさらにキレが加わっている。特に、第二コーナーを抜けて徐々に速度を上げて先頭に躍り出るタイミングは完璧に近いと言える。

けど、

「はぁ、はぁ、はぁ。」

1分20

ここのところ、ウララのタイムは上がるどころか停滞している。連続でレースに出る披露と、度重なる体の変化に体力が追いついていないのか、あるいはどこか精神面での問題か...。

「ウララー、もう今日は休め。」

俺はライトで照らされたダート場で1人走り込んでいる彼女に声をかけた。

「ま、まだ大丈夫だよ、トレー、ナー。あと、一本だけ、走らせて。」

しかし、彼女は練習をやめようとしない。焦りと、緊張と、興奮で、限度というものが理解できていないのだろう。

俺はそんな彼女の元に行き、頭を軽くチョップした。

「いた!...なにするのさ!トレーナー!」

彼女は痛くもないだろうに頭を押さえながら俺に対してギャンギャンと抗議している。

「馬鹿やろう。これ以上やってもなんも意味ねーだろ。どした?焦ってんのか?焦っても結果は変わらん。だから今日はもう休め。」

俺はそう言ってウララの手を握り、ダート場から引っ張り出そうとした。

「...お願い、もうちょっとだけ、走らせて欲しいの。」

それでも、ウララは動こうとしなかった。

「ライスちゃんの走り、凄かった。私なんかよりもずっと、ずっと凄かった。私は、全然たりてないんだって、その時気がついた。...きっと、今のまんまじゃファルコンちゃんに勝てない。みんなに勝てない。だから!」

「だから、今は休め。」

俺は、ウララの言葉を優しく頭を撫でながら遮った。

「どんなに焦っても、走りたくても、今は休め。それもトレーニングの一環だ。...それに、腹減ってんじゃねーの?」

ウララは、トレーニングを開始して二時間、未だ水しか口にしていなかった。きっと空腹感をアドレナリンで誤魔化していたのだろうが、それでは持つものも持たなくなる。

「あははは、ほんとだ、私お腹減ってるや」

彼女も自分の体の異変に気がついたようで、集中力が切れたせいか笑っていた。

「トレーナー!私にんじんステーキ食べに行きたい!」

そう言った彼女は楽しそうに笑い、着替えてくるねと俺に言い残しロッカールームへと向かっていった。

そう、ウララはこれでいいのだ。最近、彼女の笑顔を俺は見ていなかった。どこか思い詰めたように、苦しそうに走っていたウララ。そんな彼女の久しぶりの元気な笑顔が見れたことに俺は安堵と少しの喜びを覚えた。

俺は、ストップウォッチをコーナーの横に置き忘れていたことを思い出し、ウララが着替え終わる前に取ってこようと駆け足でコース上を戻った。何かが足に引っかかって、俺はダート上にこけてしまった。

なんだと思い自分の足元を見て、それがウララの蹄鉄の後であることに気がついた時、俺は衝撃を覚えた。

地面を抉るほどの数の蹄鉄の跡が、コース上、ウララが走ったコース全てに残っていた。それは、ウララがどれほどの数のダッシュを繰り返してきたかを表しているもので...

「勝たせて、やりたいな。」

おもわず、そう言葉にしてしまった。俺は、彼女に何も返せてない。感動を与えてくれた、勇気を与えてくれた、俺の願いを肯定してくれた、そんな彼女の走りに、努力に、俺はまだ一度も応えることができていない。それが、不甲斐なくて、情けなくて仕方ない。だから...

絶対に、勝つんだ。

日本のスプリントを、彼女の走りで、努力で、想いで、とってみせる。

俺は立ち上がり、体についた砂埃をたたきはらって、思いっきりコースの上を走ってコーナーへと向かった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

目覚まし時計の音で、私は目を覚ました。同室のマチカネフクキタルちゃんを起こさないようにゆっくりと部屋を出る。

冬が近くなっていることもあって、早朝の外の空気はとても冷たく、体の芯から冷える感じがする。

練習前に、少しでも速くなりたい私はこうして朝、誰もいないダートコースとターフの上を両方走ることにしている。JBCで勝つため、そして有馬記念で勝つために、芝と土の両方の感覚を体に刻み込みたかった。

けれど、ここ最近はダートコースばかりを走っている。有馬記念に出るためには、次のレースで勝たないと意味がないからだ。だから、確実に勝ちたい。それに...ファルコンちゃんの全力に、私は応えたい。

彼女は、自分の距離を殺してまで私と走りたいと言ってくれた。それは、私にとってとても嬉しいことで...それと同じくらい、怖いことだった。トレーナーの前では一度も口にしたことはないけど、わたしはファルコンちゃんとまた走るのが怖い。走りたくないわけじゃない、むしろ何度でも走りたい。けど、負けるのは辛い。信頼を裏切ることが、努力を裏切ることが、怖くてつらくて仕方ない。それを、私はたくさん知ってる。だから、ファルコンちゃんと走るのは怖い。また、あの辛さを味わうことになるかもしれないから...だから。

負けたくない。

準備運動を軽く終えて、私は30キロほどの速度で軽くコースを走り出した。

もう誰の期待も、信頼も..なにより、自分自身を、裏切らない。

ダートコースの上は普段よりも少し硬くて、蹄鉄を踏み込む感覚がいつもよりも強く感じれて、少し気持ちいい。二週目に入ると同時に、少しだけペースをあげた。目の前に、ファルコンちゃんの背中を、キングちゃんの背中を、私の前を走る沢山の背中をイメージした。今まで、どれだけ手を伸ばしてもその背中には手が届かなくて、みんなはやいなって、ただそう思ってた。...だけど、今は違う。

トレーナーと出会って、たくさん練習して、私は、その背中に追いつけてる気がするんだ。だから、

私は、前を走るたくさんの背中を、追い越して、先頭に立つ。

トレーナーと出会って、初めて知った先頭の景色、まだたくさん感じれてないけど、先頭はとても静かで、気持ちいいんだ。

加速して、加速して、私はそこで息をついた。上がった息を整えるために徐々にペースを落としていく。

加速もできてる、速度もあげれてる、それなのに...

「タイムが、伸びないんだよなぁー。」

立ち止まって空を仰ぎ、私は思わずそう口にこぼした。

朝練もして、メニューをこなした後に夜練もして、やれることはやってるはずなのに、タイムが伸びない。走る時のイメージも完璧なはずなのに。

何が、足りないんだろう。

足りないものの答えを見つけたくて、なんとなく私は空を見つめた。

だんだん太陽が出てきて、暗かった朝の空が照らされていく。

「あら、そんなところでぼーとされまして、どうされたのですか?」

「え!?キングちゃん!?」

私がしばらく空を見つめているとそこには練習着に着替えたキングちゃんがいた。いつもの緑色の勝負服とは違い、青と白のトレーナーを着ていてなんだか新鮮だ。

「キングちゃんも朝練?」

「ええ、そうですわ。...久しぶりのダートですもの、練習に練習を重ねても足りませんわ。」

キングちゃんは屈伸を済ませてその場で軽くジャンプした。綺麗に真上に上がるキングちゃんは、まるで足にバネが入っているかのように軽やかだった。

「すこし、並走に付き合ってくださいます?」

キングちゃんにそう言われて、私はうん!いいよ!と喜んで並走をした。誰かと走るのは久しぶりで、何気ない会話をしながらの並走はとても楽しかった。少しずつキングちゃんがペースを上げていくから、私もそれに合わせて速度を上げる。次第にお互いの中に会話はなくなって...

「はぁぁあ!」

キングちゃんが、スプリントを仕掛けた。私もそれに反応して加速する。追いつけそうで、追いつけない、そんなもどかしさを感じながら、私はキングちゃんとの並走を終えた。

お互い息があがっていたため、しばしの休息を入れることにした。

「キングちゃん、はやいねー」

私はまだ整わない息を落ち着かせながら、腰に手を当てて空を仰いでいるキングちゃんにそう声をかけた。

「あ、当たり前ですわ!おー、ほ、ほ、..げほ!げほ!はぁ、はぁ、流石に、全力スプリントの後に笑うのはきついですわね」

そんな私にキングちゃんはいつものように笑おうとしたけど、咳き込んでしまっていた。なんだかそれがおかしくて、私は笑ってしまった。

「あ!こら!笑わないでくださいます!?」

キングちゃんはそんな私をみて耳と尻尾をピンと立てて怒っていた。

顔を赤らめていて、照れているのがバレバレだった。

ごめんごめんと言いながら、私は一つの疑問を思い出した。

「キングちゃん、一つ質問いい?」

なんですの?と屈伸をしながら返したキングちゃんに、私はその疑問を口にした。

「なんで、スプリンターステークスじゃなくて、JBCスプリントに出走することにしたの?」

キングちゃんは、本来ターフの方が得意なはずだ。なのに、なんでわざわざダートレースを選んだのか、私はそれが、トレーナーから出走リストを聞いた時から気になっていた。

「...そうですわね。」

キングちゃんはそれ以上言葉を語らずにしばらく、さっきと同じように空を仰いでいた。私は何かまずいことを聞いたのかと思い、無理に話さなくてもいいよと言おうとした

「私、誰からも期待されてませんでしたの。」

その時、キングちゃんがそう口にした。

「母は長距離で無敗のウマ娘でしたわ。私もそんな母に憧れてこの世界を目指しましたの。...でも、長距離でも、中距離でも、結果は出ませんでしたわ。...家柄だけのウマ娘と、馬鹿にされたこともあります。」

そう語るキングちゃんの横顔は、どこか清々しい様子だった。

「そんな時に、田辺さんと...今のトレーナーと出会って、おまえは短距離に向いてるって言われましたの。最初は意地でも短距離を走るなんて言いませんでしたわ。だって、私悔しかったんですもの...馬鹿にされてたことも、期待されなかったことも、そして、一番になれなかったことも。」

悲しそうな表情を一瞬見せた彼女は、すぐに普段の凛々しい表情をとりもどして、だけど、っと続けた。

「私、私だけの一番を見つけましたの。」

そう言って、いつものような高飛車な笑い方じゃなくて、まるで少女のように微笑んだ彼女は、とても綺麗だった。

「ここですわ。」

そういって、キングちゃんは大きく手を広げた。

「距離、2000メートルにも満たない、この短くて、それなのに圧倒的なスピード感のあるレース...ここが、私が、私だけが輝ける場所、そう思っていましたの。」

そこでキングちゃんは空から目線を私に移して

「...ウララさん、あなたに出会うまではね。」

そう語るキングちゃんはどこか楽しそうに笑っていた。

「貴方のことは、眼中にもありませんでしたわ。短距離も中距離も長距離も全然ダメダメ。私の相手はサクラさんやニシノフラワーさん、もっと他にいると、そう思っていましたの。」

いきなり眼中にないと言われて少しショックを受けた私は、ええー!

と抗議をした。けれど、キングちゃんはそれを無視して、

「...ですが、貴方の成長は、私の予想を遥かに超えていました。周りの人も、みんな貴方に期待している。まだ数回しか勝っていない貴方に、みんな期待しているのです。」

これがどれだけ凄いことか、わかりますか?

そう聞いてきたキングちゃんはどこか寂しそうに微笑んでいた。

「..私は、貴方が羨ましい。結果で応えられなくても、笑顔で迎えてもらえる貴方が、羨ましい。...それと同じくらい、私は貴方の走りに嫉妬しているのです。」

キングちゃんは私の頭に手を置いて、優しく撫でてくれた。

「ウララさんのその真っ直ぐな走りが、心を震わせるような走りが、私は羨ましい。...だから、あなたとレースで、最高峰のスプリントレースで争ってみたかった。模擬レースをした時からずっと、そう思っていましたの。」

そう語ったキングちゃんは、田辺さんには無理を言って困らせてしまいましたけどと悪戯っぽく微笑んで、私の頭から手をそっと離した。

「..私がターフでなく、このダートレースを走る理由は、ウララさん、あなたに勝ちたいからです。...お互い、燃え尽きるような、そんな走りをしましょう。」

そう言うと、キングちゃんは右手を差し出した。私もそれに応えるように右手をだして

「うん、やろうね!すっごい走りをしようね!」

元気に笑って、彼女の手を握った。

予鈴の音がした。そろそろ戻って着替えないといけない。

「着替えましょうか。」

キングちゃんはそういって、私の前を歩き出した。私はその背中を見て、ああ、いつも追いかけてた背中だなと、少しだけ懐かしく感じた。私は、その背中を追い越して、彼女の横を歩いた。

もう、追いかけるんじゃない。私は、追い抜くんだ。

高飛車に笑いながらいつもの調子で話し出したキングちゃんの声を聞きながら、私はそう決意した。

キングちゃんとの、約束を果たすためにも、私は、全力で勝つ。

風が吹いた。冷たいその風は、私たちの熱った体を冷ますのにはとてもいい温度で、けれど、この胸の熱意は冷めることはなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は、娘のレース日前の3週間、冬季休暇を使って東京に来ていた。今、私は長い間会えていなかったが、手術のために東京の診療所へと移動した妻に会いに来ている。

少しアルコール臭い廊下を歩き、302号室の前に来た。軽くノックをして、中からどーぞーと言う妻の暢気な声を聞き、思わず笑みが溢れた。優しく扉を開けて、中に入った。

「...元気に、してたか?」

「ええ、それはもう元気元気よ!」

少し痩せた妻はそれでも元気そうで、腕に力拳を作って明るく笑った。

笑った顔は娘そっくりで、少し薄くなり出したピンク色の毛並みも何もかもが久しぶりで、愛おしく感じた。

ふと足元を見た。妻の足は固定されたままで、ギブスがつけられていた。

「これねー、まだ取れないのよねー。ほんと、困っちゃうわ!」

妻は私の目線に気がついたのかギブスのところをコンコンとたたき、しかもめっちゃ硬いの!と楽しそうに笑っていた。

妻の足には二つの怪我がある。一つは腕節炎、右足の膝の炎症で、普通の炎症とは違い歩行困難な状態になるほどの痛みを伴う。もう一つは裂蹄。これは人間で言うつま先部分の骨が砕けかけている状態をさす。当然ながら、もう妻は走ることも、歩くことすら難しい。

「...あの子、またレースに出るんでしょ?」

何気ない会話を楽しんでしばらくした時、妻が、ふとテレビを見ながら呟いた。テレビにはレースとはなんの関係もない、普通のバライティー番組が映っており、エキストラが楽しそうに笑っていた。それをどこか悲しそうに、妻は見つめていた。

「また、見てあげないのか?」

私はそんな妻に、そう問いかけた。彼女はトレセン学園にウララが入ってデビュー戦で負けた以降、娘のレースを一度も見ていない。

娘の電話やメールで結果だけは知っているようだが...

「ええ、私は見ないわ。..見ないんじゃなくて、見れないもの。」

妻はそう呟いてテレビを消した。私はそんな妻に見なさいと強要するようなことはせず、そうか、と応えただけだった。

妻が娘のレースを見れなくなったのは、あの娘が敗北して号泣しているのを見た後からだった。妻からレースを見ない理由を直接聞いたわけではなかった、けれど、きっと何か明確な理由があって見れないはずだ。そんな彼女に、無理を強いるのは良くない。

だから、代わりに私は一つの動画を妻に見せた。

それは、スマートファルコンというウマ娘のレースだ。ウララと一度レースで競い、ウララに勝利したウマ娘。

妻は私の携帯に映しているその動画を黙って見ていた。

「...この娘、はやいわね。」

そして、一言そう呟いた。

「...あの娘は、こんな子たちと戦い続けてるのね。」

妻は窓の外を見つめ、そう続けた。

「この娘は、以前一度ウララと競ったウマ娘だ。」

私は妻に、以前、ウララと激戦を繰り広げたのはこのウマ娘なんだと伝えた。しかし、妻は何も言わない。無言のまま、外を見つめている。

「そして、ウララは負けた。」

その言葉に、妻は肩をピクリと、小さく揺らした。

それはまるで怯えているかのようで、私は少し気まずく思いながらも続けた。

「...僅差で、負けたんだ。」

「...それでも、結果は結果よ。あの娘は負けた。それが事実。」

私の言葉に、妻は外を見つめたまま冷たく返した。

「確かに、負けたのは事実だ。...だからといって、あの子の頑張りから、目を逸らしていい理由にはならない。...私たちは、最後まであの娘を見届けなくちゃいけないんだよ。わかるだろ、君も同じウマ娘なら」

「わかるわよ!」

言葉をつづけようとしたその時、妻の大声で何も言えなくなった。

「わかるわよ!わかってるわよ!あの娘が頑張ってること、強くなってること、全部、全部わかってる!」

「なら、尚更見てやらないと」

「だから見れないんでしょ!」

そう言って妻は外から目線を私に向けた。妻は、泣いていた。溢れんばかりの涙を流しながら、声を震わしながら続けた。

「あの娘が、どれだけ頑張っても、それでも勝てるわけないの。...だって、私の娘だから。」

妻はそういうとうつむき、震えながら、悔しそうに唇を噛んでいた。

「あの娘がどれだけ頑張っても!努力しても!勝てないの!私が..私が、あの娘を、産んだせいで、あの娘は、何度も何度も傷ついて...私は...あの娘に、何もあげられなかった。」

叫び声は次第に弱まっていき、まるで贖罪をするかのように妻は続けた。包帯で巻かれた足を見つめながら、まるで自分に言い聞かせるかのように。

「強い脚を持つ娘に、産んであげられなくてごめんなさい。」

涙を流しながら、声を震わしながら、妻は謝り続ける。

「大きな体に産んであげられなくてごめんなさい。」

そして...

「...レースで勝たせてあげられなくて、ごめんなさい」

妻はそれ以上何も言わずに、ただただ泣き続けた。

きっと、妻はウララがレースで負けるたびに、責任を感じていたのだ。

レースで勝てないのは、努力が報われないのは、全部、自分のせいだと、自分が弱いせいであの娘を苦しめているのだと、己自身を責め続けて、自責の念でいっぱいだったんだ。だから、レースを見ることが怖くて、辛くてたまらなかった。そんな妻を、どうして責めることができる。私は、妻を優しく抱きしめて、何も言わずに彼女が落ち着くのを待った。

しばらくして、妻は落ち着いたようで、もう大丈夫だからと体を離した。私は涙で濡れた頬を優しく手で撫でた後、妻の頭を撫でた。

彼女は嬉しそうに耳を立てて尻尾を振っていた。

「昔もよく、君が泣いた時はこうして頭を撫でたな。」

私はトレーナー時代のとき、彼女が泣き虫であったこと、それをこうして慰めていたことを思い出して、ふと笑ってしまった。

「ほんとに、あなたってそうやって誤魔化すのよね。」

妻も少し恥ずかしいのか照れた様子で、だけど手をどかそうとはしなかった。 

「....ウララは、君が思っているほど弱い娘じゃないんだ。」

しばらく頭を撫でて、私は妻に語った。

妻は何も言わずに、黙って私の話を聞いている。俯いた表情は窺えない。

「確かに、あの娘は負け続けてる。勝ちは圧倒的に少ない。...それでも、もうあの娘は、1人じゃないんだよ。」

ずっと、みんなの背中を追うことしか出来なかった娘。けど、あの娘はいま、その背中に並ぼうとしている。沢山の人の優しさに、期待に、想いに囲まれながら。

「君に私がいたように、あの娘にもトレーナーさんがついてくれた。」

こうして頭を撫でてくれているかもしれないと、私は妻に続けた。

その発言に、妻は、ええ、そうかもね。と優しく微笑んだ。

「きっと、彼は1人だったウララをたくさん支えてくれている。それにな、あの娘にはライバルができたんだ。強くて速い、そんなライバルだ。凄いだろ?ウララが、初めて誰かに勝ちたいって思って走ってるんだ。」

周りの人の笑顔、それが娘の原動力であり、走る理由だった。けど、今はそれだけじゃない。きっと娘は周りのウマ娘達に、勝ちたくて勝ちたくてしょうがないんだ。だからこんなにも、あの娘は走り続ける。

「あの娘は、成長してるんだ。例えどれだけ負けても、挫けても、あの娘は走り続ける。...だからこそ、その責任を、辛さを、覚悟を、君が背を向けてはいけないんだ。それじゃあ、あの娘が報われない。」

私は、言葉を強くする覚悟で、妻に続けた。

「怖いのも、辛いのも、それは私も同じなんだ。きっと君の方がずっと辛いんだろう。けど、それでも私達は、この娘の成長を、走りを、見続けないとダメなんだよ。...それが、親の責任なんだ。」

妻が辛いことも、苦しい方もわかった。それでも、それでも私たちはウララの、ハルウララの親なんだ。だったら、娘の走りを見ないで、責任を、怖さを、辛さを、痛みを、その小さな体一身に抱え込もうとしている彼女の走りを、見ないでどうするというんだ。

着信音と共に、妻の携帯が振動した。その数分後に、私の携帯も振動した。

そして、メッセージの相手を見て、私は妻に携帯を見るように伝えた。

それは、ウララからの動画だった。

『おかーさん!見えてる?あのね!今ね!練習前の控え室にいるの!ここから動画撮ってまーす!んーとね、何言うんだっけ...あ!そうそう!私!今度JBCっていうすっごい大きなレースに出るんだ!速いウマ娘の子達がね、いっぱい来るんだって!私楽しみだなー!』

ウララはそう言って、体を揺すっていた。映像の中の娘はいつも通りで、妻も私も思わず笑みが溢れる。

『...私ね、お母さんに言いたいことがあるの。』

左右の動きを止めて、少し照れたような表情をした彼女は、しばしの間無言になり、意を決したように、カメラに向かって

『お母さん、私を、産んでくれてありがとう!』

そう、大きな声で伝えてくれた。

『私、トレーナーと出会って、いろんな人と走って、いっぱい負けて、それでも沢山強くなれて、今ね、苦しいけど、その分楽しくて楽しくて仕方ない。...それは全部、お母さんが私を産んでくれたからなんだって、気がついた。だからね、私お母さんにね、沢山喜んで欲しい。』

そういうとウララは人差し指をピンと立てて、その腕を上に思いっきり

伸ばした。1番を取った時にとるポーズなんだと、よく私たちに娘が幼い時にしていた、あのポーズだ。

『このレースで勝って、次のフェブラリーステークスも勝って、それから...有馬記念で勝ってね、お母さんの娘は、ハルウララは強いんだぞって、みんなに教えてあげるの!お母さんは凄いんだぞって...だから、お母さん、ちょっとの間、待っててね。』

ほんとうは直接会って伝えたいんだけど、練習でなかなか時間なくて

そうウララは申し訳なさそうに言って、行ってきます、そう言い残して動画は終わった。

私達は、泣いていた。涙が止まらなかった。娘の言葉が、胸に沁みた。

妻は、動画を見ている間、時折、ウララの言葉に頷きながら泣き続けていた。

「...娘にこんなこと言われたら、もう見るしかないじゃない。」

口調は嫌そうだが、妻はどこか嬉しそうに微笑み、そう呟いた。

「ああ、見よう。この娘の走りを、一緒に。」

俺は妻の手を取り、真っ直ぐ目を見て伝えた。

「...ええ。私も、もう逃げるのはやめる。」

妻は私の目を同じように真っ直ぐに見て、そう返した。

きっと、妻はまだ怖い。長年の恐怖は、罪悪感はそう簡単に消えるものでも、楽になるものでもない。それでも、妻は逃げないことを選んだ。

それはとても勇気のある選択で、やっぱり

君はあの子の、ウララの母親だよ。

携帯の動画を再び再生した妻の横顔は、どこまでも優しく、どこまでも美しかった。

 

 

 

 

 




フェブラリーステークスの開催日期日と異なります!
両親のストーリーとかも完全に妄想なので気に入らなかったごめんなさい。続きも頑張って書きます!お待ちください!
同室の設定も変えてます!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。