最弱と言われた彼女は   作:こたれん

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少し長めです!


もう1人の主人公

その日は一段と冷え込む朝だった。いつものように起床時刻の二時間前に起きて、私はダート場で走り込んでいた。

「...っし!」

掛け声と共に地面を蹴り出し、一気に加速する。短距離では私の逃げの速度をより上げて走らなければならない。それには、どれだけ早くに加速しきれるかが重要になる。第二コーナーまでの体感速度は十分だ。

ここからどれだけこのペースを保てるか。...なのに

「!?」

突然走った右膝の痛みに私は思わず減速していく。そのままよろけるようにコース上にこけてしまった。

「がはぁ!...いったたた。」

幸い、減速が間に合ったため骨折などはないと思う。膝を大きく擦り向いたが全然耐えれる痛みだ。後で消毒をしようと思い立ち上がろうとして、またもその激痛に、顔が強張る。

「...誰にも、見られてない、よね?」

周りを見て、誰もいないことを確認した私はひとまず安心した。普段学園生徒が使う練習場から少し離れた高等部近くのダート場で練習をしていたことが幸いだった。

「痛み止め、飲まないとね。」

前に薬局で見た痛み止めを買わないといけないなと、頭のメモ帳に記しておいた。

私は少しだけ休もうとコースを離れて痛む右膝を引きずりながらコース外にあるベンチに腰をかけた。

「...大丈夫。これぐらいなら、少し休めば。」

私はそう自分に言い聞かせて、焦る気持ちを抑え込んだ。

前から、足に痛みはあった。それでも、今まで走り切れてきたのだ。きっと大丈夫。...大丈夫じゃなきゃ、ダメなんだ。

焦りや怒りを、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて、沈めた。

しばらくして痛みが引いた私はまた走り込もうと立ち上がった。右膝の痛みは、もうこなかった。

「朝から精が出ているな、スマートファルコン。」

凛とするような声がして、コースの入り口を見た。

「エ、エアグルーヴちゃん!?」

そこには、高等部であり生徒会副会長、そして、女帝と恐れられる素質をもつウマ娘、エアグルーヴちゃんがいた。同じ高等部の彼女は普段なら寝ているはずなんだけど...

「エアグルーヴちゃんも朝練?」

屈伸運動を始めた彼女に私は怪我した箇所を手で隠しながら問いかけた。

「ああ、私もレースが近いのでな、少々本腰を入れねばならん。」

軽やかにその場で飛びながら、彼女はそう答えた。

「...その傷は、こけたときにできたものか?」

一通りの動きを終えて休んでいたエアグルーヴちゃんが、私にそう聞いてきた。

あのとき、膝を隠した私の仕草を、エアグルーヴちゃんは見逃してなかった。

「は、ははは、そーなの!ファルコ、さっきへましちゃって!」

だから私は大したことはないんだと彼女に笑って伝えた。

「....本当、だろうな?」

そんな私を彼女は訝しむように見つめて、一つため息をした。

「ちょっと、付き合え。」

彼女はそういうと、ダートコースを外れターフコースへと私を連れてきた。

「走ってみろ。」

彼女はそういうと腕組みをして有無を言わせない表情で私を見つめた。

私はその言葉に渋々わかったと頷き、スタート地点に向かった。

自分のタイミングで走れと言われたため、私は自分の中で落ち着くタイミングを待ち、地面を蹴り出した。

スタートの姿勢は低く、徐々に加速して、状態を上げすぎない。風の抵抗を減らすために、極力前傾姿勢を保つ。そのために膝に、負荷をかける。

「...!?」

また、あの痛みだ。間違いなく、あの時の違和感が痛みに変わっていた。私はそれでも脚を止めようとせずカーブにさしかかって、そして、

脚が、止まった。

「はぁ、はぁ、はぁ...なんで。」

頭では、動いていた。ちゃんと曲がろうとしていた、なのに、脚が動かない。体が、動くことを拒絶している。

「やはりな。本来、走ることにたけてるウマ娘、ましてやお前のような優れた素質を持つものが、走る時にこける確率など知れている.....ダートよりも負荷が小さいターフでこの有様だ。...スマートファルコン、この意味がわかるな?」

エアグルーヴちゃんが、そんな私に歩きながら声をかけてきた。

「ウマ娘にとって、怪我はつきものだ。なに、焦ることはない。今はゆっくり休め。」

彼女はそう言って、私を医務室へと連れて行こうと、地面に片膝をか変え込むように座っている私に手を伸ばした。

「...だめなんだよ、エアグルーヴちゃん。」

そんな彼女の手を、私は取らなかった。

「次のレース、私は絶対に走る。走らないとダメなの。」

まっすぐにエアグルーヴちゃんを見て、私は伝えた。

それに怯むことなく、彼女はすぐに私に語尾を強めて言葉を放った。

「...それを自分勝手というんだ。何をそんなに焦っている?そんなことでは、走れるものも走れなくなるぞ...そんなに焦る理由など..いや、まさか...契約期間が..。」

高等部となった彼女にも、その日が近づいているのだろう

私の考えを理解した彼女は、申し訳なさそうに目を伏せた。

「さすが、副会長だね。...うん、そう、私は今シーズンでどの道レースを終えなきゃいけない。...だから、次のレース、絶対出ないとダメなの。...ファルコ、まだ一度もウララちゃんに、勝ててないから。例え、この脚が千切れてでも、走りたいの。」

トレーナーとの契約は、今年の冬で切れることになっている。ウマ娘の契約期間は更新できる期間が決まっている。それは、私たちの体を守るためのもので、その期間をすぎてしまえば、もうレースに出ることは叶わない。契約期間を過ぎる前に故障で引退するウマ娘が多い中で、ここまで、怪我も何もなくレースに出続けていられた私は幸せ者だと、心からそう思う。

もしかしたら、有馬記念に出られるかもしれない。きっと、ウララちゃんに会ってなかったら、そう信じてレースを棄権したと思う。無理して走ろうなんて、絶対にしなかった。

..だけど、有馬記念よりも、どんなステージよりも、私には譲れないものができた。

「エアグルーヴちゃん、ファルコが、有馬記念に出るのが夢なんだって言ってたの覚えてる?」

私は立ち上がって、エアグルーヴちゃんにそう聞いた。

有馬記念に出る時のためにと、エアグルーヴちゃんやスズカにはターフの練習に付き合ってもらった。その時、私は口癖のように、有馬記念にでる!そう口にしていた。

「...ああ、覚えているとも。お前が馬鹿の一つ覚えのようにそれを口にしていたことも...死ぬものぐるいで練習してたこともな。」

エアグルーヴちゃんは悲痛そうな表情を浮かべてそう応えた。そして、

「ファルコン、考え直せ。お前は、あんなに出たがっていたじゃないか、有馬記念に!ファン投票も今のお前なら獲得できるはずだ、何も、故障した脚で走ることはないだろ!」

私に、走るなと、普段の彼女では考えられないほど感情的になって、説得してくれた。だから私も、

「有馬記念よりも、大切なものができたの。」

その熱意に、まっすぐに応えた。

「例え、この脚が壊れても、有馬記念に出れなくても、私は、絶対に走る。...もう、次のレースで最後だから、最後の、あの娘とのレースだから。」

まだ、一度しか走っていない。それでも、あの燃え尽きるような走りを、体の芯から熱くなるような走りを、あの娘ともう一度、交わしたい。だって、その時見えた情景は、どんなライブの景色よりも、美しかったから。

「...ライバル、か。」

エアグルーブちゃんは、どこか懐かしいようにそう呟いた。

「私はトレセン学園の副会長だ。つまり、私には生徒を守る義務がある。...だから、これは私個人としての、1人の友人としての言葉だ。」

そこで言葉を区切り、エアグルーヴちゃんは私の肩に手を置いた。

「...頑張ってこい。必ず、勝ってこい。」

彼女はそういうと手を離して、練習に戻ると私に言い残して走り出した。

うん、ありがと。エアグルーヴちゃん。

短くて、少し乱暴なその言葉は、今の私の背中を力強く支えてくれた。

きっと、私はこのレースで最後になるんだと思う。まだ診察も何もしていないけど、なんとなく、体がそう言ってる。...だからこそ、

私は、負けられない。

ダートコースに向かって、私は軽く走り出した。右膝の痛みは少し残っていたけど、それでも、今は走ることを選んだ。ダート場に着くと見慣れた小さな少女が走っていた。桃色の尾を揺らす少女は、真剣な眼差しでダッシュを繰り返している。彼女の走りを見ると、私は胸の中が熱くなるのを感じる。今すぐに、走り出したかった。

「あ、ファルコンちゃん!」

ウララちゃんは私に気づくとすぐに、おーい!と笑顔で手を振っていた。

「あのね、今日は気分転換にこっちで走ることにしたの!」

中等部近くのダートコースでいつも走っている彼女はそう嬉しそうに笑いながらいうと、いちに!いちに!と準備運動を始めていた。

「あ!ファルコンちゃん!膝怪我してるよ!」 

走りたい気持ちでいっぱいで、私は自分の怪我のことを忘れてしまっていた。屈伸運動をしながら私の右膝の擦り傷に気づいた彼女は待っててね!と私に言い残してロッカールームの方にかけて行った。しばらくして絆創膏と消毒液を持った彼女は駆け足にこちらに戻ってきて、私の怪我を手当てしてくれた。

「これでも大丈夫!」

そうしてにこやかに彼女は微笑んだ。

「ありがとう、ウララちゃん。ファルコ、ドジしちゃって!」

そう言って私は出来るだけ元気に笑った。彼女も特にそれを訝しむことなく

「私もよくこけるんだー!だからね、絆創膏持ち歩いてるの!」

えらいでしょー!そう言って、彼女は楽しそうに笑っていた。

体操着から伸びた彼女の脚は確かに絆創膏が何枚か貼ってあった。 

笑顔を絶やさない彼女を見ていると、私は幸せになる。きっと、ウララちゃんには周りの人を笑顔にする才能があるのだと思う。まるで、本物のアイドルみたいだ。...彼女を見ながら、私は自然と笑みを浮かべていた。

「....ほんとに、どこまでもウララちゃんは、ファルコを超えていくんだなぁー。」

思わず、私はそう呟いていた。そんなわたしに彼女は、んー?と不思議そうに小首を傾げていた。私は、なんでもないよと彼女を見て微笑み、

「ファルコ、負けないからね。」

そう、宣言した。

「どんなことがあっても、ファルコは、絶対に負けない。ファルコの...私の全てで、ウララちゃんも、他のウマ娘を寄せ付けずに、私は1着になる。」

彼女は、先ほどまでの天真爛漫な笑みを消して、真剣な目で、私の話を聞いていた。それが、より私の気持ちに火をつける。

「...私もね、負けない。」

ウララちゃんは静かに、私につづけた。

「色んな人に約束したから。友達に、トレーナーに、お母さんに、お父さんに...だから、私は負けない。」

約束したから、そう言った彼女の意思は、明らかに前回よりも強いものになっていると、その言葉から感じ取った。

初めて勝ちたいと思った相手、そして、全力でそれに応えてくれる相手、私は、そんな恵まれた環境にいることを本当に幸せだと、そう心から感じた。それと同時に、やるせなさが、悔しさが、私を襲う。

走ろうかと考えていたが、思い直した。もしまた痛みがでて、ウララちゃんに万が一でも見られて仕舞えば、きっと彼女は走ることを選ばなくなる。誰よりも人に優しくする娘なのだ。...だから、絶対にバレたらダメだ。私はウララちゃんに、もう今日は上がるとこなんだと伝えて、学校に行かずに、診療所に行くことにした。

「あ、まって!ファルコンちゃん!」

私の背中を追うようにして、彼女は駆け足でこちらに向かってきた。

「あのね、あのね、私!」

そして、上がった息を少しだけ落ち着かせながら

「ファルコンちゃんとやりたいことがあるの!」

そうにこやかに微笑んで、手を伸ばしてきた。

「この前ね、キングちゃんと約束した時に握手したの!握手するとね、約束が強く結ばれた気がして、だから!握手!」

そういうと、半ば強引に私の手を取り、右手で握手を交わした。小さくて柔らかい彼女の手は、それでも力強く私の手を握りしめていた。そして、

「お互いに、全力で頑張ろうね!」

そう、彼女は満面の笑みで私に言ったのだ。

全力で、頑張ろう。それが、彼女が私と交わしたかった約束。...なんとも子供らしくて、可愛らしくて...すごく、勇気が出る約束。

だから私も、緩んでいた手に力を込めて、約束したのだ。

「..うん、約束!全力で、頑張ろ!」

その日交わした握手の温度を、私は忘れない。

握手をして、別れる時、私はロッカールームに向かう脚を止めて、ふとコースを振り返った。そこには、誰もいないダート場をただひたすらに駆け抜ける彼女の姿があって...

「...綺麗だな。」

思わずそう呟いていた。洗練されたフォームとはかけ離れている。けれども、確実に丁寧になってきているその走りは、愚直に、真っ直ぐに走る彼女の姿は、何度見ても美しくて、力強かった。

私は再び控え室に向けて歩き出した。その時の足取りは、何故だかとても軽くなっていた気がした。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

「スマートファルコンさんの膝の痛み、これはおそらく腸脛靱帯炎によるものですね。」

診察をうけ、私は担当してくれたお医者さんからそう言われた。

「別名ランナー膝とも呼ばれているのですが...まあ、簡単に言いますと膝が走る速度や衝撃に耐えることが出来なくなって炎症が起きている状態になります。痛み止めを出しておきますので一日3回、必ず服用してください。...それから、大変申し上げにくいのですが、次のJBCの出場は控えられた方がいいかと思います。ウマ娘の走りでかかる膝への負担は相当なものです。下手に痛みを庇うような走りをすれば、水が溜まる、半月板が損傷する、ヒビが入るなどウマ娘にとって致命的な怪我につながりかねません。」

膝に痛み止めの注射を打たれたのち、レースにはでるな、そう言われて私は診察室を出た。

注射の痛みは相当なものであったが、その効果は凄くて、歩くなどの日常的な行為をしていても、痛みは起きなかった。ただ、走り出すのとしばらくして、膝に激しい痛みが駆け抜けた。

それでも前のように継続的に続くことはなくて、私はそれを誤魔化すようにトレーニングに参加した。痛み止めを飲んでいれば多少違和感があるが前のように走ることもできた。

「...よし、これなら!」

私は、もしかしたらレースも本調子で走れるんじゃないか、そう考え出した。練習時間も調整すれば、その後の痛みもだいぶ楽になってくる。

練習を終えて、診察を定期的に受けて、注射を打ってもらう。この注射の痛みだけは、どうしても慣れなかった。

「ファルコンさん、貴方、また走り込んでますね?」

膝の診察をしながら、何度目かの注意かわからないその言葉を、お医者さんがいつもよりも少し怒気を含ませて聞いてきた。

「!?い、いえ!?別に、そんな、少しだけですよ...。」

お医者さんが鋭い目で私を見てくる。その目線が気まずくて、わたしはもじもじとしながらそう答えた。

「...まあ、貴方自身の体のことですから、最終的な判断は自分でしてください。...本当に、このまま炎症が続けばいずれ走れなくなります。怪我も増えるでしょう。再三注意喚起はしました。...どうなっても私たちは責任を負いませんので。」

そう冷たく言われて、私は今日の診察を終えた。

どうなっても責任を負わない。そう口にされたと言うことは、きっと何かがいずれ起こるということで...。

けど、そんなことは、初めから分かっていたことだ。

痛みがでてきて、それでもレースを走る。そう決めた時から、怪我が出ることも、走れなくなってしまうことも、そんなことはずっとわかっていた。...なのに。

それなのに、どうしてだろうか。

走れない未来が、走れなくなってしまう未来が、くることが怖い。

そうか...私は、走ることが、大好きなんだ。

その気持ちに気がつくと、もう抑えることはできなくて、

泣きそうな目を必死に押さえつけて、私は病院を後にした。

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JBCまで残り二週間となっていた。ウララのタイムは以前よりも更に縮まっていた。何があったのかは知らないが、きっと内面的に変化するような出来事があったのだろう。加えて、ウララにはひと月前ほどから、一つ注文をしている。それは、前回姿勢を更に強めて走ると言うオーダーだ。

短距離はスピードが命。であるから、当然、風の影響を極力減らして走らなくてはならない。トップスピードに入った時に、いかにしてその姿勢を保てるかがポイントとなる。

「うぅううう!トレーナー!この姿勢で走るのきついよぉおお!」

以前よりも意識的に低い姿勢を保たせてコースを走らせているため、ウララには当然前よりも負荷がかかる。

「つべこべ言うなー。はい、あともーいっぽん!」

文句を言うウララに俺は喝を入れて、もう一本本来の本数にプラスでコースを走らせた。文句を言いながらもウララは言われた通りに走り出し、フラフラな状態で帰ってきた。

「ウララちゃん、お疲れ様」

「...らいす、ちゃーん...。」

ライスが、優しい笑みを浮かべながらダート上で死んでいるウララに水を渡しに行く。俺はそんな光景を見ながら、手元の計測ノートを見た。

今日、ウララはベストタイムを二度更新している。確かに、JBCで戦うにはもう少しだけ縮めなければならないだろうが...おそらく、今現時点での限界はここだ。...本当に、ここまでよく仕上げたと思う。

「...必ず、勝たせてやるからな。」

ノートを見ながら、俺は誰に言うわけでもなくつぶやいた。

これだけ努力しているのだ。黙ってはいるが、ウララが隠れて練習していることも知っている。一人で、朝早くから練習しているのも、夜に居残りで練習しているのも、俺はこの目で見てきた。...そんな子が、報われないなんて、そんな現実、俺はもう見たくない。

その日、ウララの練習を終えて、ダート場に忘れ物をしてないかの確認をしに行った時だった。誰もいないはずのダート場を、一人のウマ娘が駆けていた。ツインテールをなびかせながら、力強く駆け抜けるその姿を、俺は間違えるはずがなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ...っし!」

何度も、何度もそのウマ娘はダッシュを繰り返す。まるで、何かに取り憑かれているかのように。

「...そろそろ、コースのライト消えると思うから、早めに切り上げなよ。」

ダッシュを終えて膝に手をつき休んでいる彼女に、俺はコース外のベンチから声をかけた。

「はぁ、はぁ、はぁ、ウララちゃんの、トレーナーさんか...なに?ファルコの練習時間を減らず作戦?」

息を乱しながらも、そう悪戯に微笑んだ彼女はもう一度スタート地点に戻った。

低い姿勢をとり、前傾姿勢のまま加速していく、砂を力強く蹴り上げながら、真っ直ぐに、真っ直ぐに走る彼女は、やはり速くて美しい走りをしていた。その光景に見惚れていたから、気が付かなかった。彼女が、膝を押さえて地面に蹲っているその光景に、それを、現実のものであると認識するのは、あまりにも信じられない光景で。

「...!おい!どうした!?」

すぐに彼女の元に俺は駆け寄った。

手をかそうとしたが、それを彼女は大丈夫、大丈夫だからと拒み、自分で起き上がった。

「いやー!ファルコ最近よく、ヘマしちゃうんだよねー...ウマドルとして、ちゃんとしないとね!」

そう言って元気に微笑んだ彼女の笑みは、明らかに引き攣っていた。

「...なにか、故障があるのか?」

俺は、ファルコンに極めて冷静に聞いた。もし、故障があるのであれば、JBCへの出走は取り消されているはずだ、なのに、現段階でまだ彼女の名は出走リストに入っている。...まさか

「..私の担当には言わないでね..絶対に。」

口にしようとした疑問が、彼女の言葉で確信へと変わった。彼女は、自分の怪我のことを、担当トレーナーに話してはいない。

「いや、そうは言ってもだな、その状態で走るのは..」

「いいから!お願い!お願い、だから...。」

やめといたほうがいい、そう続けようとしたが、ファルコンの、初めて聞いた大声で、何も言えなくなった。

「...本当に、これが最初で最後のわがままなの。だから..お願い。」

そして、祈るように、ファルコンは俺につぶやいた。

静寂が、俺たちを包んだ。俺はどう声をかけるべきか分からず、黙って下を向くファルコンを見つめていた。コース場に、風が吹き付ける。

ただでさえ寒い夜風が、その時はいっそう寒く感じた。

「...ファルコ、初めてだったんだ。レースが楽しいって感じたの。」

しばらくして、ポツリと、彼女は口を開いた。

「今まで、センターに立ちたくて、センターで輝くために走ってた。それだけがファルコにとって価値があることで、レースは付属品みたいなものだったの。...でもね、ウララちゃんと、まだ、一回しか走れてないけどね、あの時、一緒に走って、走って、全てを絞り出してね...ああ、この時間がずっと続けばいいのにって、苦しいのに、そんなこと思っちゃってさ...ファルコね、ウララちゃんと走るのが好きなの。ウララちゃんともっと走りたい、ウララちゃんに勝ちたい...変だよね、だって、この気持ちは..有馬記念のウィニングライブに出たい気持ちよりも、何倍も大きいんだよ?」

おかしいよね、そう続けた彼女は楽しそうに笑っていた。

「...でもね、もうファルコには時間がないんだ。」

時間がない、その言葉で十分に俺は理解できた。それは怪我で走れなくなってしまうからあるいは..契約が途切れてしまうかのいずれかを指していると。

「これが、ファルコにとって...私にとって、ウララちゃんと走れる最後の舞台なの。だからお願い。邪魔をしないで。」

そう言い残して、彼女はコース場を後にした。

全てを投げ打ってまで、ウララと走ることを選んだ彼女、コース場をさっていくその背中を見ながら、俺は何も言えずに、ただ立っていることしか、できなかったのだ。

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彼女のトレーナーに確認してみたところ、やはり契約期間が今年で終わるそうだった。それはつまり、ウララと走れる最後のレースがJBCになるということだ。

帰り道を歩きながら、俺の頭の中は、ファルコンの言葉でいっぱいだった。残りの時間を、有馬記念に出たいという思いよりもウララと共に走ることを選んだ彼女。その迷いのない言葉に、声に、俺は止めるべきかどうか分からないでいた。いや、トレーナーであれば止めるべきなのであろう。...けれど、誰が、止めれるというのだろう。あれほどの決意を、熱意を目の当たりにして、痛みを堪えて走っているその姿を見て、どうして、諦めろ、そんなことが言えるだろうか。...俺には、無理だ。

「..あ!トレーナーさん!」

自責の念に苛まれながら学園を出ようとすると聞き覚えのある、優しくて、明るい声が聞こえてきた。

「..ライス!?おま、門限は大丈夫なのか?」

「えへへ..大丈夫じゃないかもね!」

本来生徒はもう門限を守らないといけない時間であるはずなのにライスは何故か校門のそばに立っていた。

「..いや、そもそも何で練習着きてるの?」

ライスのメニューはとっくに終わっているはずで、本来なら私服か制服になっているのだが..ライスは何故か、スポーツウェアを着ていた。

「いや、ええーと、あははは、な、何でもないよぉー」

明らかに何かありそうな誤魔化し方をしながらライスは俺から目を離した。俺は訝しくおもい、ライスをじーっと見つめる。

「..!そ、そんなに見つめても、な、内緒の特訓だから!ぜ、絶対に言わないもん!」

ほほう、どうやらライスは内緒の特訓とやらを誰かと行うらしい。

俺は観念しろとばかりにライスに質問をしようとしたが

「ぜぇ!ぜぇ!ぜぇ!はぁぁあ!うぅうう...もう、駄目。」

ライスと俺の目の前で倒れたその少女をみて、俺は何も言えなくなった。

「!?う、ウララ!?お前なにしてんの!?さっきまでトレーニングしてたよな!?」

「え、ええとね、トレーナーさん!怒らないで聞いてほしいんだけど..」

ライスが申し訳なさそうに、ことの詳細を説明してくれた。なんでも、JBCの三週間前ほどからウララはトレーニングの後にライスとこうして外周を走っていたそうだ。そして、いつもライスが先にゴールするためこうしてウララを待っているらしい。今日はいつもよりも長めのコースを走ったためゴールするのに時間がかかり、こんな遅くになっているということらしい。それに対して俺は

「馬鹿野郎!オーバーワークだろ!もっと自分の体を、お前達は大切にしろ!せめて俺に言え!そーすれば考えてやるってのに!」

トレーナー室で、ライスとウララにしっかりと説教をした。

「で、でもでも、トレーナーさん、遅くまで仕事してるし..迷惑かなって..」

「そーだよ!それに、私達だけでもちゃんとできるもん!」

ねー、とウララはライスに微笑んでライスもう、うん!と頷いている。

あーもう、本当にこいつらわ...

「あ!の!なぁ!お前らのトレーニング見るのが俺の仕事なの!残業精神なめるなよ!いくらでも付き合うわ!この量は自主練の領域超えてる量してるんだよ!自主練したいならすればいいけど、それ以上のことしようとするなら俺に言え!メニュー考えるからよ!ほれ、遠慮せずにこれからはじゃんじゃん頼みこんでこい!」

「でも迷惑かけるの嫌だもん!」

それでもウララもライスも俺に迷惑をかけると譲らない..あーもう、こーなったら

「あーもう!わかった!俺が!お前達の練習に付き合いたいの!楽しいの!わかったか!?次から絶対誘えよ!」

半ば強引だが、俺が楽しい、誘って欲しいと言えば

「わかったー!ウララ、たくさん頼むからね!」

「ラ、ライスも!」

予想通りウララもライスも二つ返事で声をかけてくれると約束してくれた。

説教をしていたはずが仕事を増やす社畜行為をしている気がしてきたがまあそんなことはいい。ウララもライスもきちんと理解してくれたことが何よりも安心だ。...ところで、

「...ウララ、なんで夜中に走り込み、それもスタミナ強化の練習をしてたんだ?」

JBCは短距離戦だ、補充で練習するなら当然スピードをメインとしたトレーニングを行うべきなのだが...

「んーとね、理由はね、たくさんあるよ!お父さんと、お母さんに勝つぞー!って約束したし、キングちゃんとファルコンちゃんとはね、燃え尽きる走りをしようね、って約束もした!あと...ファルコンちゃんに、次は勝つって決めてるから。それから...ううん!これは秘密!とにかく、いろんな約束を達成するためにはスタミナが必要なんだー!」

そういうとウララは、にへへへ、と元気に微笑んで、

「今度からトレーニング付き合ってね!」

そう俺に言った。俺は、いまいちしっくり来てないものの、何か目的を持って彼女が取り組んでいるのであれば文句はなかった。

だから、ウララに、ああ、と返事をして、もう寝るように寮に帰した。

帰り道を送ろうかどうか考えたが、寮は学園の中にあるため別にその必要はないなと考え、彼女達に別れを告げて、学園をでた。

帰り道、俺はウララの走る理由を考えていた。スマートファルコンは、ウララと走ることだけを考えていた、けれども、ウララはいろんな人との約束のために走ろうとしている...それが、少しだけ胸に引っかかって、苦しい。別に、ウララが悪いわけではない。彼女には彼女の生活があって、周りの人達に囲まれて、いろんな人から想いを託されて、だからこそレースにでられる。だから、それに応えようとする彼女の努力は何も否定することはできないし、素晴らしいことだ。...けど、それじゃあ、あまりに、報われないではないか。

痛みに耐えて、歯を食いしばって、ウララのことだけを思って走り続けるあの子の走りが、まるで空回りしているようで、どうしようも無くいたたまらない気持ちに苛まれる。

「!?」

駅へと向かう道を何とも言えない気持ちで歩いていると、ふと背中をたたかれた。

「...あ、田辺さん!お疲れ様です。」

「おう、おつかれさん。」

恐る恐る振り向くと、いつものようにニカっと微笑んだ田辺さんがそこにはいた。田辺さんは俺の横に並び、歩きながら一つ伸びをした。

「いやー、こんな時間までよくやるよな、お疲れさんだぜ。」

「それを言うなら田辺さんこそ、珍しいじゃないですか、こんな時間まで残って仕事するなんて。」

俺のことを労ってくれた田辺さんの横顔は普段よりも疲れて見えた。きっと、彼もこのレースに力を入れているのだろう。

「..まあ、高飛車のうちのお嬢様があれだけ頭下げてきたんだ...勝たせてやらんと、いかんわなぁー。」

「キングヘイローの、ことですか?」

「ああ、..ほんとに、驚いたぜ、あいつがダートレースに出たいなんて言い出したことも...それを許した俺自身にもな。」

田辺さんはそう言うと、少し困ったように頬をかいていた。

「..失礼ですが、なぜキングヘイローをダートレースに出走させるんですか?田辺さんのチームなら他にも適正があるウマ娘がいたと思うんですけど..。」

俺は、何故キングヘイローがこのレースに出るのか、何故それを許したのか、田辺さんの考えが知りたくて、そう質問した。その質問に田辺さんはしばしの沈黙の後、絶対に笑うなよと前置きして、俺にこう答えた。

「...まあ、あれだ、キングの想いに、応えてやりたかったんだよな。」

頭の後ろに手を照れ臭そうに回しながら、田辺さんは続ける。

「初めてだったんだよ。あいつが自分から俺にあんなに頭下げてきたのも、レースに出させてくれって志願してきたのも。...きっと、ハルウララの走りってやつは相当なんだぜ、なんせ、周りの奴らの考え丸ごと変えちまうんだからな。」

そう言って、田辺さんは楽しそうに笑っていた。

「...変わりましたね。田辺さん。」

そんな彼をみて、俺はそう思った。レースで勝つことのみを考えていた田辺さんが、今はこうしてウマ娘の意思を尊重してレースに出走させている。昔の彼からは、信じられないことだった。

「...いや、変わっちゃいねーよ。根本的なものは変わらない。キングならこのレースでも、JBCでも勝てる。そう判断したから俺は許可しただけだ。...だから、何も変わっちゃいない。」

しかし、田辺さんはそれを否定して、俺よりも少し前で立ち止まった。

「前に、言ったよな、俺は俺なりのやり方でお前を否定するって。」

それは、あの時田辺さんが俺に言った言葉だった。変わってしまった自分のやり方で、観測的な、願望的な俺のやり方を否定すると、俺はそれを、しっかりと覚えている。

「次のレースで、それを証明するさ。...天才が持つ圧倒的な才をな。どれだけ足掻いても追いつけない、努力だけじゃ追いつけない、そんな世界をお前に、あの子にぶつけて、失望させてやる。」

田辺さんはそう言うと俺に振り向き、少し悔しそうに笑った。

「...なんて、言おうと思ってたんだけどな、やっぱり俺も変わっちまったらしい。...ただ、俺は単純に、キングに勝たせてやりてーのさ。あいつがあれだけ走りたいって言ったレースを、必死に足掻いてる姿見て、走る姿見て、そう思っちまったんだよ。勝てる確信があるわけでもない、負ける確率の方が適性を考えれば大きい...それでも、俺は信じてみたいんだよ。...お前のように、俺も。」

そう言った田辺さんの顔は、いつもよりもどこか優しかった。

「...変わりますよ、人は。」

「ああ、そうみたいだな。」

俺はそんな田辺さんに歩みを並べて隣に再び並んだ。

「...田辺さん、もし、自分の担当してるウマ娘が怪我してたとして、そのウマ娘がライバルと走れるレースは後一回しかない、でも怪我をかかえたまま出なきゃいけないって状態だって時、田辺さんならどうしますか?」

田辺さんはそんな質問をする俺になにも聞かずに、ただ黙って考えていてくれた。その気遣いが、今の俺にはとてもありがたかった。

「まあ、端的に言えば走らせるわけにはいかんな。」

しばらくして、田辺さんはそう口を開いた。

「故障を抱えた状態でレースを走る。それは...その子の命にかかわることだ。」

レースの最中で、自分の担当していたウマ娘を亡くした田辺さんのその言葉は、どんな言葉よりも厚くて、重みがあった。

「...だから、俺がその立場であれば例えどんなにその子がわめこうと、そのレースに想いを持っていたとしても、絶対に棄権させる。」

そう断言した田辺さんは歩く足を再び止めた。もう駅はすぐそこだった。残業帰りの会社員が駅までの帰り道にちらほらと現れては、ホームに消えていく。そんな光景を見ながら、けれど、と田辺さんは続けた。

「それで、その子の努力が、全部無駄になっちまうのは...心苦しいよな。」

「...そう、ですよね。」

悲しく微笑んだ田辺さんに、俺は俯いて同意した。

駅での会話はそれっきり起こらなかった。

お互いに改札を抜けて、それぞれの電車に乗った。帰りの電車は俺と田辺さんは違う。それぞれのホームで、電車を待った。

努力が、全て無駄になる。

田辺さんの言葉の通り、もしスマートファルコンがJBCに出れなければ、彼女の努力は、信念は、全て無駄になってしまう。...それが、彼女にとってどれだけ辛くて、残酷なことなのか、俺には想像できない。

俺が選手だった時、もしも故障していたとしても出たい試合があって、それを棄権すればもう一生出られないものであるとするなら...ライバルと呼べるものと戦える、最後のチャンスなのだとしたら...俺は、きっと出ていたと思う。

「...どーすりゃ、いいんだよ。」

吐き捨てるように、そう呟いた。

結局、答えは出ないまま、静かに、時が過ぎて行った。

 

ーーーーーーーーーーーー

「トレーナーさん、怒ってたねー」

「うん、でも次からは誘ってって言われたからぜーったい誘わないとね!トレーナーも私たちと練習するの好きなんだー」

私はそのことが嬉しくて、ついついいつもの歌を口ずさんでしまう。

トレーナーに秘密の練習が見つかって、私達は怒られた後にトレーナー室を後にした。トレーナーはまだやることがあるとのことでトレーナー室に残っていた。

「トレーナーさん、まだお仕事あるんだね。大変なんだなぁー。」

「...ほんとに、大変だよね。」

ライスちゃんの呟きに、私も同意した。それと同時にくる、自責の念。

これだけ迷惑をかけてるのに、私はまだ何も返せてない。負けてばっかで...だから、私は

「あ、そうだウララちゃん、さっきの秘密、ってなんなの?」

思いにふけていると、ライスちゃんが思い出したかのようにそう聞いてきた。私が特訓をしていた理由の一つを、トレーナーには秘密と言って黙たことを、ライスちゃんも不思議に感じたらしい。

「えへへ、気になる?ライスちゃん?」

「うん!うん!ライス、気になる!」

いたずらっぽく笑ってみると、ライスちゃんは首を縦に2回大きく振った。...そんなに期待されると、少し照れてしまう。

「えっとねー...そ、そんなにみられると恥ずかしいよぉ〜!」

「え、あ!ごめん!」

ライスちゃんの目線に耐えれなくて、私は顔を背けてそう言った。

顔のほてりを収めて、今度はきちんとライスちゃんに向き直って、その理由を、伝える。トレーナーには内緒だよ、そう前置きして

「...有馬記念で、1着をとって、トレーナーを日本一のトレーナーにする。..それが、私が隠した特訓の理由。」

ライスちゃんは、ポカンと口を開けて、しかし、次第に笑顔になっていき

「うん!うん!いいね!それ!ウララちゃん!ライスも!ライスもそうしたい!」

「えへへー!でしょー!」

ライスちゃんの怒涛の共感に、私も嬉しくて胸を張ってしまう。

「...今まで負け続けてた私がね、こうしていろんなレースで活躍できるようになりだしたのって、トレーナーのおかげなの。トレーニングから栄養面から、いろんなところで支えてくれて..なのに、私はまだこれっぽっちも返せてない。...だからね、決めたんだ。有馬記念、絶対に選ばれる。選ばれて、走って、走って、全部の力を振り絞って走って..そこで勝つ。1番になったら、きっと、トレーナーはたくさんの笑顔で喜んでくれると思うの。...私は、そんなトレーナーを見たい。」 

ライスちゃんは、真剣に私の話を聞いてくれている。その目が、この言葉を口にする勇気を、くれた。

「私、弱いから。...自分でも悔しいんだけど、周りの子達よりも才能がないって、自分でも、わかってるんだ。...それでもね、私、私は..トレーナーにもらった、全部を、それ以上にして返したい。..きっと、私が勝てば、トレーナーは凄く有名になれる。だってさ...」

私は、そこで言葉を区切って、少し伏せていた目を、今度はきちんと、ライスちゃんに合わせた。

「最弱のウマ娘だった私が、有馬記念で勝つんだよ?...そんなの、奇跡以外の何者でもなくて...だけどね、私、起こすよ。奇跡。」

「...うん、絶対できるよ。ウララちゃんなら。」

「...へへへ、なんか、照れくさいね。」

ライスちゃんは、笑わなかった。長距離の厳しさを、何よりも知ってる彼女からしたら、きっと私の話は夢物語に聞こえていたと思う。それでも、笑わずに、真剣に、最後まで聞いていてくれた。その紫色の瞳で、真っ直ぐに私を見つめて...それが、どれだけ私を励ましてくれることか。それを改めて理解して、心強くなって、なんだか照れ臭くなって、いろんな感情が一気に生まれてしまった。

有馬記念にでる。..けど、その前にするべきことがある。

私は、エルムステークスの最後の直線を思い出した。最後の最後、鼻先で負けたあのレース。全てを出し尽くした、あのレース。震えるような、そんな走り。...それができることが、楽しみで、楽しみで、けれどそれと同時に来る、敗北という恐怖心で、心に整理がつかなかった。

けど、お母さんに約束をして、今日、初めてライスちゃんに..私の親友に、胸の内を告げて、言葉にしてみて、ようやく、実感が湧いた。

私は、勝たなくちゃいけない。何がなんでも、絶対に。

みててね、トレーナー。

寮の門限を過ぎてしまって、寮長の先輩にキツく起こられてしまった。

特別に許されてお風呂に入った後、先輩の本気の怒りのお言葉を受けて、耳も尻尾もプルプルと震えた。怖かったけど、ライスちゃんと初めて門限を破って、一緒に怒られて、それだけで、ちょっとだけ楽しく感じてしまう。

その日の夜、私の心は、確実に軽くなっていた。

「ウララちゃん、今日は怒られてばかりだね。」

別れ際に、ライスちゃんがそう言って、おかしそうに笑っていた。

「...うん!そうだね!でも、ライスちゃんと一緒だったから、なんだか楽しかったや」

私がそう言うと、なにそれと、再び彼女は笑い出した。

「ウララちゃんにね、私、勝って欲しい。」

ひとしきり笑った後に、ライスちゃんはそう言った。

それ以上語ろうとせずに、ライスちゃんは私の返事を待つ。

きっと、ライスちゃんは、JBCで勝て、そう言ってるんじゃない。これから、勝ち続けていってほしい、そう言ってるんだと、私は自分勝手にそう思った。...だけど、彼女の目が、そう言ってる気がするのだ。

だから、私も、自分の持てる最大の気持ちをこめて、ライスちゃんに応えた。

「勝つよ、私。...絶対に、勝つから。」

ライスちゃんは、うん、信じてる、そう私に言い残して寮に戻っていった。

その背中を見送って、私は部屋に行くために、誰もいない寮の廊下を歩いた。足がもうへとへとで、なかなか前に進まなかった。

次は勝つ、そう何度も自分に言い聞かせてきた。けど、何度も負けて、負けて、負け続けて...それでも、私は信じている。いつか、いつの日かきっと、あの日のように、皆んなを笑顔にできる日が来るのだと。

「...見ててね、トレーナー。」

トレーナーを、いつか笑顔にできる。その日が来るまで、私は、全力で走り続ける。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

明日のレースに備えて、夕方、私は病院に来ていた。もう何度目かわからない膝の注射をうちに、診察室に向かう。

「...本当に、明日のレースには出られるんですね。」

お医者さんの、心配とも呆れとも取れるその表情を見ながら、私も迷うことなく返事をした。

「はい。私は出ます。例え、出た先で走れなくなる未来があるのだとしても。」

「...そうですか。その事実を受け入れる覚悟があるのであれば、もう私からはなにも言いません。」

お医者さんはそれ以上何も言わずに、私にいつものように施術を施してくれた。相変わらずこの痛みだけは耐えられない。

膝に走る痛みになんとか耐えて、軽く症状の説明を受けた。

現段階で、炎症は悪化しているが、今日午前と午後に分けて打った注射はいつものよりも効果が強いものだそうで、明日のレースの痛みを最大限に抑えてくれるそうだ。可能な限り走れるようにしてくれたことに、私は感謝の言葉を伝えた。

「..本当ならば、私は止めるべきなんでしょうけどね..,」

「心苦しい思いをさせてしまい、申し訳ありません。」

苦しそうな表情のお医者さんに、私は頭を下げた。

こちらこそ、痛みを止めることしか出来なくて、不甲斐ないです、そうお医者さんは言って、一言

「頑張ってください。..応援、してます。」

そう言ってくれた。応援してる、その言葉を聞くだけで、私は何倍も強くなれる気がした。

診察室を後にして、受付に呼ばれるのを待っている時、ふと見覚えのある後ろ姿を見つけた。車椅子に乗っているその女性は、まるでウララちゃんのような、綺麗な桃色の髪の毛をしていて、おっとりとした雰囲気の女性で、後ろにいる眼鏡をかけた男性と楽しそうに話していた。

そんな女性に見惚れていると、長く見つめ過ぎていたのか、目があってしまった。

「あら....貴方は。」

女性は後ろにいる男性に一声かけると、車椅子を漕ぎながら、椅子に座っている私の元にきた。

「初めまして〜。」

目元も、口元までウララちゃんにそっくりなその人は私の横の席の近くに車椅子を止めて、私に話しかけてきた。

「あ、あの、どこかでお会いしましたか?」

そんな彼女を不思議に思って、私は思わずそう聞いてしまった。

「いえいえ!私が一方的に知ってるだけですので、お気になさらないでください。」

そう言うと、その女性は楽しそうに微笑んでいた。

「..どこか、悪いんですか?」

私の膝を見て、その女性は心配そうにそう聞いた。

「え、ええ。...少しだけ、膝を痛めてまして。」

「そうですか...それは、残念です。」

何故か、本当に悔しそうにその女性は俯いた。もしかしたら私のファンの方なのかな?そんな疑問が頭をよぎった。

「...私の娘が、明日のレースに出るんです。」

その疑問を、その一言が打ち砕いた。

「...スマートファルコンさんのような、強いウマ娘の方からしたら、本当にどうでもいいことなのでしょうけど...あの子、本気で貴方と走れることを楽しみにしてて..メールや電話で、毎日のようにファルコンちゃんは凄いんだよって聞かされてまして...ですから、その、怪我をしてしまっていると聞いて、少々、勝手ながら傷ついてしまいまして...。」

その女性は、申し訳ありませんねと困ったように笑い、そして困惑していた。

「!?あら、ど、どーしましょ、えっと、ごめんなさい!私、何か、してしまいましたか!?」

取り乱している女性の前で、私は泣き続けた。涙が、止まらなかった。

嬉しかった。ウララちゃんが、私と走ることを楽しみにしていることが、ウララちゃんが、私のことを、ウララちゃんの大切な人に伝えてくれたことが。

きっと、ウララちゃんには、私と走ることなんかよりも大切なことがある。そんなことはわかっていた。それでも、それでも、こうして言葉で伝えられることは、私と走りたいと言ってくれた事実は、何よりも私の心を、強く、強く揺さぶった。

「ち、違うんです....とても、嬉しくて...すみません。」

ようやく涙がおさまってきて、私は目の前でおろおろする女性に謝罪をした。幸い声を殺してないていた為、あまり人目にはついてなかった。

「...ウララちゃんは、貴方の娘さんは、強いですよ。」

「!?え、ちょ、なんでそれを!」

目の前の女性は...ウララちゃんのお母さんは、とても困惑した様子で、なんだか可愛いらしかった。

「...ファルコは..私は、ウララちゃんに勝ちたくて、全力を出すんです。

...もう一度、ウララちゃんと勝負がしたい。..だから、私は走るんです。

ですから、心配しなくても大丈夫です。私は、出ますよ。絶対に。」

ウララちゃんのような彼女は、何故自分にウララちゃんの話をしているのか、何故母親とバレているのか、色んなことを疑問に思い、口にして、そして...少し落ち着いた様子になった彼女は、私を見て微笑んだ後に、

「...そうですか、娘を、そんな風に思ってくれて...私は、とても嬉しいです。」

そう、嬉しそうに語った。そして..

「頑張ってください。」

そう彼女が私に言ったところで、名前を呼ばれてしまった。もっと、たくさんのことを話したかった。けれど...それは、今じゃない気がする。いつか、もっと、全てが終わった後でもう一度、感謝を伝えよう。

そう胸に決めて、私はウララちゃんのお母さんに、こう応えた。

「はい!全力で、ファルコは走ります!」

受付を終えてさっきいた席を見ると、もう彼女はいなかった。

多くは語れなかった。それでも、たくさんの勇気をもらえた。

病院の外にでて、冷たい空気を、目一杯吸い込む。肺に酸素が行き渡る感覚が心地よい。

「...がんばるぞ!ファルコ!」

自分にそう言い聞かせて、学園に向かった。自然と、笑顔が溢れてきた。

その日、私は久しぶりに笑えたきがする。

ーーーーーーーーーーーー

 

痛み止めを控え室でのんで、一通りのアップを済ませた。膝に違和感はなかった。前傾姿勢も、加速もできる。トレーナーにも、いい仕上がりだと褒めてもらえた。迷うことは、何もなかった。

控え室を静かに出て、レース場へと続く廊下を、ただひたすらに歩いた。その日の廊下は、今までで、1番静かで、1番長く感じた。

「...あ!ファルコンちゃん!」

その時、廊下の後ろの方から、凛となるような声が聞こえた。

私が、大好きで、嫉妬して、負けたくない、彼女の声だ。

その声に振り向くと、勝負服を着た彼女が、そこに立っていた。まじまじと彼女の勝負服を見るのは初めてで、似合っているなと、素直にそう思った。

「服、似合ってるね。」

「えへへ!いいでしょ!これね!トレーナーがくれたんだ!」

ウララちゃんはそう自慢すると得意げにターンをしていた。その様子が愛らしくて、少しだけ緊張が解けた。

「...私ね、たくさん頑張ってきたよ。」

おどけるのを辞めて、彼女は真剣な声で私に続けた。

「走って、走って、たくさん走って...だからね、私、全力で走れるよ。」

あの時の朝、交わした約束、それが今果たされようとしている。

「...ファルコも、だせるよ、全力。...今までで、1番凄い全力なんだから!!

そう言って、私は自慢げに胸を張った。

「あ!私だってスーパーウララゴーだもん!もっと凄い全力だもん!」

ウララちゃんも負けじと胸を張り、そして..お互いに、笑い合った。

レース前、こんなに楽しくてどうするんだと思ったけど、それがこの子との最後のレースには相応しいなって、そう思った。

「..私さ、楽しみだったんだ。ファルコンちゃんとまた走れるの。」

隣を歩く小さな彼女が、そう呟いた。

その言葉は、私の心にとても優しく響いて、また泣き出しそうになる自分を懸命に抑え込んだ。

「...私も、楽しみだったよ。ずっと。」

代わりに、とびっきりの笑顔で、私も応える。

それっきり交わす言葉はなくて、お互いに、土の香りが立ちこもる、砂上の上に立った。

たくさんの歓声が、響いている。それを一身に受けながら、私達は

それぞれの想いを胸に、走り抜けるのだ。

JBCが、始まる。

 




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