最弱と言われた彼女は   作:こたれん

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投稿遅くなりました!すみません。



見たかった景色

「...いっちまったな。」

ウララを控え室から送り出して、俺は観客席へと向かった。

彼女に契約を断った理由を聞かれて、熱ってしまった頬を気にしながら歩いていると、見慣れた背中があった。

すこしだけ曲がっていて、それでいて大きな背中。

「...田辺さん。」

俺は、その背中に声をかけた。

彼は立ち止まって、俺に、おう、と返事をして振り返った。

軽く手をあげている田辺さんの表情は、以前よりも柔らかいものになっている気がした。12月ということもあり、彼はベンチコートを着ていた。それがあまり似合っていなくて、少しだけ可愛く見えた。

俺は彼に並んで観客席へと向かった。

「田辺さん、今日はトレーナー室からの観戦ではないんですか?」

手袋を外しながら、俺は田辺さんにそう質問した。

いつもならトレーナー室からレースを見て分析を行う彼だが、今日は観客席の方に行くそうだ。

それが田辺さんらしくなくて、俺は隣を歩きながら聞いた。

「..,まあ、たまには観客席からレースも観戦しようと思ってな。」

少しだけ間の空いたあと、彼はそう答えた。

「珍しいですね、田辺さんがそんなこと言うなんて。」

誰よりもデータを取りたがる彼らしくないその発言を、俺はさらに疑問に思った。

「...まあ、あれだ、ちょっとはその、声を届けたいというかなんというか...なんでもねーや。」

田辺さんはそう言うと早足に歩き出した。

...ははーん。

「なんすか、田辺さん、もしかして、あれですか?俺の声を届けたい的なあれですか?」

「う、うるせーよ!なんだよ!文句あんのか!?あ!?」

少しだけからかってみると田辺さんは声を荒げてそう言い、先に行くからなと観客席の方に行ってしまった。

...本当に、変わったなと思う。

結果だけを常に見ていた彼が、どんな出会いでそうなったのか、俺はそれを知らない。けれど、確かに彼は変わっている。

それがいい変化なのかどうかなんて分からない...けれど。

俺は、今の田辺さんが本当に自由に生きている気がした。

...それに

「俺も、俺の声を届けたくて行くんですよ、田辺さん。」

もう、見えなくなってしまったその背中に、俺はそっと語りかけた。

 

『さあ!ここ東京競馬場で間も無く始まるフェブラリーステークス!

有馬の残された枠をここにいるウマ娘達が取る可能性は充分にあるぞ!貴方のウマ娘が、私のウマ娘が、今このレースで決まるかもしれません!さあ!目が離せられないこのレース!間も無くスタートです!』

観客席に着くと怒涛の歓声が耳に届いた。

今思えば、初めてウララがここで走った時とは比べ物にならないほどの盛り上がりを見せている。

「あ!トレーナーさん!こっちこっち!」

長い耳をひょこひょこしながらライスが手招きをしていた。

俺はそれに軽く手をあげて彼女に近づいていった。

観客にもみくちゃにされそうな彼女を心配しながら早足に人をかき分けて彼女の隣にきた。

「と、トレーナーさん..ライス、怖かったよぉ〜。」

隣にくるなりライスは俺にしがみついてきた。

「あれ、ライスシャワーだよな。」

「ああ、間違いないぜ、あの長い耳はライスシャワーだよ。」

周りを見渡してみると、ライスに気がついた観客がひそひそと話していた。そしてその声に反応するようにライスは肩を震わせてしがみつく力を強くしていた。

ああ、なるほどな。

周りの声に何度も苦しんできた彼女だ。きっと、今のこの自分に向けられた声が、怖くて辛くてたまらないのだろう。

「.....うう。」

ライスは脅えながら、2本の耳を上から押さえつけて何も聞こえないようにしていた。

「 うっわ、どうしよ、俺、天皇賞からの大ファンなんだけど...」

「おい、お前サイン貰いにいけよ!」

「え、い、いやーでもなぁー、いざ声かけるってなるとなぁ〜、緊張がよ...。」

だから、この声がこんなにも暖かくて、自信に溢れるものであることを彼女は知らない。

...それは、良くないことだよな。

俺は耳を塞ぐライスの手を握って、そっと上に持ち上げた。

「!?と、トレーナー!何するの!」

「...まあ、いいから聞けって。」

しきりに手を振りほどいて耳を塞ごうとする彼女にそう声をかけた。

「い、嫌だ!また、怖い思いするかもしれないもん!ライスはもうあんな...」

ブーイングが少なくなったとはいえ、ライスに対しての言葉はあのレース以降も冷たいものが多かった。それから逃げるように、そして、その言葉達を否定するように、彼女はレースで勝ち続けた。そして、当たり前の事のようにしてレース場を去っていった。

けど、それは見て見ぬふりをしていただけだった。

本当はずっと怖くて、怯えていたのだ。

だからこそ、聞いてほしかった。

「あ、あの!ライスシャワーさん!」

俺の手を振りほどこうとするライスに、1人の男が話しかけた。

「!?...はい。」

その男にライスは肩を一瞬震わせ、そして、諦めたように返事をした。

「あ、あの!俺!ら、ライスシャワーさんの!だ、大ファンです!」

「...へ?」

しかし、その予想だにしなかった一言に、彼女は素っ頓狂な返事をした。

「き、今日、このレース見に来たのもライスシャワーさんの親友であるハルウララさんの走りを1度見て見たくて来ました!あの!えっと、有馬記念!俺、ライスシャワーさんに投票するので!これからも頑張ってください!」

口早に男はそう言うと、失礼しますと言葉を残して俺たちの前から去っていった。

男が話している間、ライスは目をぱちくりしながら呆然としていた。

「...な、言ったろ?」

俺は少し自慢げにそう言うと、ライスに笑いかけた。

「...今の人、私の事応援してるって...」

「ああ、そうだな。」

「ファンだって...」

「ああ、言ってたな。」

「....っ!!」

言葉を続けるにつれて、次第に顔を真っ赤にしていく彼女を見ながら、俺はただただ相槌を打ち続けた。

「....ライス、良かったな。」

「うん...良かった。こんなに、こんなに嬉しいの...応援されるのって..少し、照れくさいけどね...」

少しだけ落ち着いた彼女にそう声をかけると、照れたようにほっぺをかきながら彼女はそう答えた。そして、前を向いて

「...でも、そうだよね。うん。私決めたよ。」

そう言葉にした彼女の目は

「私、私も有馬記念に出たい。...ウララちゃんが前を向くことを決めたみたいに、私も、私の背中を押してくれる人達に、私の全力で応えたい。...だから、だから、私」

何よりも真っ直ぐで

「貴方みたいに、誰かに背中を見ててもらいたい。私も..誰かの期待に、応えたい。」

どこまでも輝いていた。

レース開幕のファンファーレが、会場に鳴り響いた。

ライスが指した貴方とは、きっと彼女の事なのだろう。

この場でその震えているであろう足を、体を抑えながら、ゲートに入った彼女。

憧れを背負いながら、夢を託されながら、走り出す彼女。

それを、俺は見届ける事が出来る。

それがこんなにも幸せで、嬉しいことなのだと、今この静寂の中で、俺はようやく理解していた。

『さぁ、ゲートがいま...開きました!各ウマ娘一斉にスタートしていく!』

そして、その静寂を破る大歓声が、俺達を包み込んで行った。

「..いけ、ウララ。」

まだ遠くにいる、小さな彼女に、俺はそう小さく、けど様々な思いを込めて、呟いた。

 

ゲートが開いた瞬間、私は今までで1番ともいえるスタートをきることができた。

...きっと、田辺さんのトレーニングのおかげね。

彼のトレーニングは、自分でも驚くほどの反応速度を私に身につけさせていた。

自分が取りたい位置はあくまでウララさんをマークできる範囲。

案の定、ウララさんは中盤あたりで足を控えながら走っている。

...ここまでは、定石通りね。

『さぁ、先頭は5番パルロカウロに続いて2番ニシノフラワー、4番ゴルドルフ、2馬身ほど離れて...』

しかし、油断してはだめよ、キング。

安心しそうになる自分にそう言い聞かせて、私は集中力を上げる。

彼女の仕掛けを潰すタイミング、そして、レースの集団の動き、一瞬一瞬の判断の迷いが、命取りになる。だからこそ...

怖いのよね、本当に。

思わず苦笑いしそうになるほどに掴めない彼女の走りに、内心で愚痴をこぼした。

本能で仕掛ける相手に、定石は通じない。

ここまでのレースで、痛いほど味わった事だ。

それは才能とも取れるし、無鉄砲な走りとも取れる。...けど、

今この場面で、これ以上ない程に恐ろしいのは、ウララさんの仕掛けであることに、変わりはない。

レースの乱れを、一瞬にして巻き起こす彼女の奇想天外な走り、それを潰さなくては、ついて行かなくては、勝負にならない。

『さあ、順位は変わらず第1コーナーを各ウマ娘達抜けたいき第2コーナーへ!1番人気ハルウララ、未だ動きを見せてはいません!この展開、細川さん、どう見られますか?』

『彼女の仕掛けは独特のタイミングですからね、彼女の動きに注目ですよ。』

ウララさんの動きにまだ変化はない。ならこのままのペースを維持しようと考えたその時、何かを感じた。

これは、なに?風?...

「!?」

私の意識が一瞬離れたとき、視界から彼女は居なくなっていた。

「...けど!」

それでも何とか加速して、先頭に行く彼女の背中を捉えた。

だが、僅かに差がある、このままいかれると.!.!

そんな悪いイメージを振り切るように、私は加速を繰り返す。

恐らく、さっきの追い風を彼女は好機とみたのとみたのだろう。

フェブリラリーステークス、ダートレースである上に緩い坂道が多いこのレース。最初に生まれた少しの差で、命取りになってしまう。

それだけは、させない!

「はぁぁぁぁぁあ!」

その差を、私は全力で何とか埋めることができた。

けど、まだ第2コーナーに入るほどしかレースは進んでいない。

...足を..使いすぎたわね...

もう既に、自身がオーバーペースであることは理解していた。

けど、それでもこうして走り続けていられるのは、彼とのトレーニングのおかげだ。...そして、私自身に貸した、責任のため。

そうだ、私はまだ、何も出来ていない。何も、返せていない。

その場に、立ててすらいない。...なら!

「こんなとこで、止まってられないのよ!」

加速して、ウララさんの背中に食らいつく。確実に先頭に近づいているその背中を、ただただ追い続けた。

...こんなにも純粋に走ったのは、いつ以来だろう。

仕掛けや、動揺、様々な攻防を一切放棄して、ただ前を追い続ける。

風が、音が、景色が、私の体をすり抜けていく。

その感覚が、心地いい。

ああ、そうか、私は今

...こんなにも、楽しんでいるのね。

苦しい、かなりのオーバーペースだと言うのに、自然と笑みが浮かんでしまう。

それは初めてのことで、不思議なことで...けど

この感覚は、嫌じゃなかった。

 

『さぁ!ここで動きを見せたハルウララ!それを追走していくキングヘイロー!しかし先頭は依然変わりません!そのまま集団は第2コーナーに入っていく!』

キングはハルウララの追走に出ていた。

普段なら早すぎるほどの仕掛けのタイミングだ。…けど、これはレースだ。レースにはどれほどの定石を持っていたとしても通用しない場面がある。それを判断するのは彼女自身だ。何より、それに対抗するために、あいつはあんなに努力したのだ。信じてやらなくて、どうするよ。

不安になりそうな自分にそう語りかけ、俺はその気持ちを見ないようにした。

「..キング...」

意味もなく、彼女の名を呼んだ。こんなにも不安なレースはいつぶりだろうか。そして...こんなにも胸が熱くなるレースは、いつぶりだろう。

『第2コーナーから第3コーナーまでの直線!ハルウララとキングヘイロー徐々に先頭におい縋っていく!しかしキングヘイロー少し苦しいか!段々と距離が空いていく!ここで先頭はニシノフラワー!まだまだ...』

キング...苦しいか、辛いか。

馬上適正を考えれば、キングが不利なのは誰が見てもわかる。

負けたっていいんだ。辞めたって構わない。

ターフとダートでは、走り方も、疲れ方も、何もかもが違う。

それでも、キングはこの道を選んだ。

...それはきっと、あいつなりの覚悟をもって決めていることで...

だから、俺も言い訳はやめよう。もう、見ないふりはやめると、決めたじゃないか。

なあ、キング...俺は

「勝て!キングヘイローぉおおおおお!勝て!いけ!勝てぇえええええええええええ!」

お前のその真っ直ぐな走りが、大好きだ。

『さあ!第四コーナーを抜けた最後の直線!先頭はハルウララ!そしてその隣に並ぶキングヘイロー!どうなる!ニシノフラワーも上がってきているぞ!並んだ!並んだ!いや、キングヘイロー僅かに前だ!キングヘイロー前だ!さあ!最後の直線!栄光の座は...』

声が枯れるまで、目の前をかけて行く彼女に声援を送った。

この声が届いたのか、それはわからない。...けど、

目の前を走った彼女の走りは、今までで1番力強かった。

「...強くなったな。キング。」

その走り去っていった背中に、枯らしてしまった声で、俺は小さく呟いた。

まだやまない歓声が、そんな俺の呟きをかき消すように、会場全体に鳴り響いていた。

その歓声に身を任せて、俺は静かに彼女の控え室へと向かったのだ。

 

 

第3コーナーに入っても、ウララさんのペースは乱れるどころかむしろその速度を上げていた。もう先頭との差はほぼなくなっていた。

....それでこそ!ウララさんです!

その加速に何とかついていき、コーナーを曲がり切った。

もう、なぜ脚が動いているのかわからないほどに限界に近づいていた。

体の感覚が、消えかけるほどの走り。これが、私が憧れた走りの世界...

..こんなにも、過酷なものなのね...

そんな世界で、ずっとあがき続けていた、目の前を走る彼女に、素直に尊敬した。ああ、いつまでも、憧れは憧れなのだと、そう理解しようとして、辞めた。

違う。それは、違うのよ、キング。だって...決めたじゃない!

脚を振り絞る。第四コーナー、最後の直線、まだ、私は

「あなたに、背中を見せれていないですもの!」

前を行く彼女に並ぶ。風を切り裂いて、加速する。

フォームも、ピッチも、何も気にせずに、ただ前に、前に、前に

2人で先頭に立つ。呼吸が、止まりそうになる程苦しい。....なのに。

ああ、ウララさん、こんなにも貴方と走ることは...楽しいのですね。

苦しくて、つらくて、吐きそうなのに、貴方の隣で走ることは、こんなにも楽しい。楽しくて楽しくて、仕方がない。

...私は、ようやく、この舞台に立てたのね。

あの日、恋焦がれるほどに憧れた、届きたかった、ウララさんとの、先頭の景色。

それは何よりも楽しくて、美しい世界だった。

そしてこの楽しい世界は、もう終わってしまう。

...だって、まだ終わっていないから。

まだ、私は何も、貴方に返せていないから。

...ウララさん、あなたの走りは、こんなにも、こんなにも、

私を、強くしてくれるのよ。

「...っ、ぁぁぁぁぁぁぁあ!」

最後の直線、全ての力を振り絞ってウララさんの前に出た。最後の加速。私の、キングの名をかけたその全てを出し切って加速した。

きっと、ここで仕掛けて仕舞えば、もう最後まで脚は持たないのだと、自分で理解していた。

それでも、私は仕掛けないといけない。彼女の前に、立たなければならない。立ち続けなければならない。

それが、私自身の、走る理由だから。

そうしなければ、私は、貰ってばかりになってしまうから。

だから、前に出る。どんなに苦しくても、前に、前に...ただ、ひたすらに、前に!

足が、地面にとられそうになる。体が、心が、折れそうになる。

きっと、今までの私であれば、ここで終わってしまったのだと思う。

けど、今、私の足は、意思は、生きている。燃え尽きそうなほどに、全力で。

これは、きっと…あなたのおかげなのね。

後ろを走る彼女に、心の中でそっと語り掛けた。

...ねぇ、ウララさん。

私は、あの日から...いいえ、その前からずっと、あなたに憧れてました。...憧れて、いたのよ。

ずっと、あなたに追いつきたかった。ずっと、あなたの隣を走ってみたかった。

ねぇ、ウララさん。私ね...

あなたの走りで、強くなったの。

あなたの走りで、変われたの。

私は、あなたに、あなたの走りで変われたのだと、強くなれたのだと、証明したい。

だから…勝負よ。

「はぁぁぁぁぁぁぁあ!」

自己満足なのだと、わかっている。

この走りも、言葉も、全て自己完結してしまうものだと、わかっている。

それでも、私は、私なりの責任を果たしたかった。

恩を、返したかった。

強くなれたのだと、証明したかった。

残っている力を、全て脚に込めた。

意識が、朦朧としてくる。

残りの距離が、もうどれほど残っているのか分からない。

呼吸が苦しい、体が、ひどく重たい。

もう、視界を保つのだけでも精いっぱいだ。

…それでも、霞む視界に彼女の背中が見えていることだけは、確かで。

そこで、自分のレースが終わってしまったのだと、そう理解しようとする自分を、消し飛ばす。

なにを、考えているの!

何も、終わってない、だって、目の前に、その背中があるのだから。

追い越すと決めた、その背中があるのだから。

だったら、動きなさいよ。

私は、キングヘイロー、何物にも負けない、唯一のキング。

そうなるのだと、あの日、あの景色を見て、その背中を追い抜くと決めた。...そう誓った。

だから、動け、動かせ!私の、全てを使って!

「っはぁぁぁぁあ!」

『キングヘイロー!追い縋る!追い縋る!ハルウララしかし以前先頭をキープし続けている。しかしその差はわずか!残り100メートルを切った!ハルウララ!先頭は...』

全力で、足掻いた。全力で、もがいた。

なのに...

その、僅かに前にある背中が、どこまでも遠く感じた。

 

控室にいく足が、こんなにも重たいものになるなんて、思いもしなかった。

きっと、これは、疲労だけのものではないんだと、私は理解している。

…本当に、情けないわね。

思わず、自嘲的な笑みが浮かんでしまう。

彼女にもらった物を返したい、彼女の走りが、私を変えたのだと、変われたのだと、そう証明したい。

そんな自分勝手な妄想すらかなえることができない自分の情けなさに、泣き出しそうになってしまう。

「…よ、お疲れさん。」

そんな時に、今一番顔を見られたくない、彼の声がした。

控室の隣の椅子に腰を掛けて、彼は軽く私に手を挙げていた。

私は彼の近くまで行き、隣に座った。

顔を、見ることができなかった。

もう、合わせる顔が、今の私にはなかった。

「…負けちまったな。」

「っ!?」

その言葉で、体の力が抜けてしまいそうになる。この場に、もういたくなくなってしまう。

「…田辺さん…私の走りで、また、あなたに敗北を味わせてしまったこと、謝ります。本当に…」

「いらねーよ、そんなの。」

苦し紛れの謝罪を、田辺さんは遮った。

「...キング、お前が、どんな思いで、どんな理由でこのレースに出たのか、俺は知らねー...けどな、覚悟を持っていたんだろ?決意をもって、挑んだんだろ?」

田辺さんは、私にそう問いかけてきた。どんな顔をしているのか見られたくなくて、うつむいたままその言葉に答えた。震える声を、形にするので精一杯だった。

「ええ、ええ、そうですわ!覚悟も!決意も!誰にも負けないほどしました!けど、それでも、私は、私、は…」

感情とともに、声があらぶる。けど、それはすぐに無力感に変わって、またも言い訳をしようとした自分に、嫌気がさした。

なにも言葉が続かない私に、田辺さんはゆっくりと近づいてきて、そして、

「…だったら、いつまでも下向いてるんじゃねーよ。」

そう言って、私の頭を撫でた。

それが、まるで同情のように感じて、私はすぐに手を振り解こうとした

けど...

「お前は、下を向くべきじゃない。」

そう語る田辺さんの、真っ直ぐな声と、優しく微笑んだ表情を前にして、私は動けなかった。

敗北をした、田辺さんが、1番嫌うはずのことをした、わがままで、彼の顔に泥を塗った。いつもの彼なら、きっと冷酷な顔をしているはずだ。

だというのに、彼は、まるで昔の、優しかったお父様の様な、そんな表情をしている。

「...やっと、俺の方、向いてくれたな。」

そう言って、田辺さんは再び乱暴に私の頭を撫で続けた。

「お前は、負けた。その事実は変わらない。」

そう語る田辺さん声は、どこか悲しみをふくんでいる様な気がした。

「..はい。私の情けな..」

「...けどな、それでもお前は、今のお前を否定しちゃダメだ。」

情けない走りのせいで、そう続けようとした私の言葉を、田辺さんは再び遮った。

「例え、お前が今どれだけ悔しくても、惨めでも、それでも、ここまでの頑張りを、俺はそばで見てきた、ずっと見てきた、だから、お前がお前を否定することを、俺は許さない。」

真っ直ぐな目で、田辺さんはそう言った。

それは、あまりに自分勝手ではないか。自分が認めたくないから、お前は自責の念に囚われるな、それは、価値観の押し付けだと感じた。

私は、そんな言いがかりに、思わず口調を荒げてしまった。

「!?なにを!何を今更!あなたは今まで、結果だけを見ていたくせに!今は悔しがるなって?自分を責めるなって?ふざけないで!意味ないのよ!負けたんじゃ、意味がないのよ...私は、また、何も残せなかった...なにも、伝えれなかった...なにも..」

悔しくて、情けなくて、涙が出そうになってくる。それを、必死に我慢した。

こんな私を、見て欲しくなかった。

ずっと側で支えてくれた彼に、こんな姿を、見て欲しくなかった。

「...お前が、何を伝えようとしたのか、何のために走ったのか、もう一度言うが、俺はそれを知らないし、知るつもりもない。」

震える私に、田辺さんはそう語りかける。

「俺が今まで、結果だけでお前達を評価していたことも、否定はしない。今だって、結果でお前達を見ているし、それはきっと変わらない。変えようがないんだ。」

私の、失礼極まりない発言を、田辺さんは肯定した。

それはあまりに淡々といていて、開き直っているようにすら感じるほどだった。

「....けどな。」

しばらくの無言の後、彼は口を開いた。

それは、あまりに予想してなかった言葉で、あまりに、優しく響いて、だから、私はすぐに、反応することができなかった。

「けどな、キング、お前の今日の走りは、最高だった。」

田辺さんはそういって、私の頭から手を離した。

真っ直ぐに目を見て、彼は続ける。

「後悔してもいい。悔しがってもいい。けどな、誰にも、今日のお前の走りを否定する権利はない。...例え、お前自身であってもな。あれだけ全力で走って、覚悟を決めて挑んで、そうやって色んなものを背負って生まれた走りが、今日のお前の走りなんだよ。今日までのお前の全てが、あの走りなんだよ。...だから、それを否定するな。だって、そうだろ。」

言葉を区切り、田辺さんは優しく微笑んで

「それを否定するってことは、お前の走った意思も、これまでの日々も、努力も、全部否定するってことになるんだぜ?...それは、ダメだろ。」

そう、子供に語りかける様に、私に言った。

なんて、優しい声音なのだろうか。

言葉の一つ一つが、胸に入り込んできて、ずっと我慢していたものが、こみ上げてきそうになる。

それに気がつかない様に、私は黙って彼の言葉に頷いた。

「ああ、それとな、キング。契約の話なんだけどよ。」

「....、ええ、分かっていますわ。」

俯いていた私に、田辺さんはあの時の契約の話を自然に持ち出した。

本当に、躊躇がないなと思う。

けど、今はそれぐらいあっさりとされる方がかえっていい。

...だって、その方が踏ん切りがつくもの。

取り繕う言葉も、慰めも、今は要らない。

「来シーズン、私がレースで走ることはありません。これは契約ですもの、きちんと守ります。」

田辺さんの目を、まっすぐに見て、私はそう伝えた。

「お前は、本当に、それでいいのか?言っちゃなんだが、ただの口約束だ。なんもなかった事にだって出来るし、連敗規定数を越えないように、勝てるレースに出走すればいい。お前にはそういう選択肢がある。...それを踏まえてだ、キング、お前は、どうしたい?」

私の言葉を受けて、優しい声音で、田辺さんが聞いてきた。

けど、もうその答えは出ている。

だから私は、迷わずに答えれた。

「それでも、私は契約を守ります。その覚悟を持ってレースに挑んだのです...その自分を、裏切るようなことはしたくない。それに...勝てるレースだけ出るなんて、私らしくないですもの。」

来シーズンのレース。勝てるレースだけ出ていれば、連敗規定数を超えることもなく、ある程度の戦績で終えることが出来るだろう。

けど...それは、キングヘイローじゃない。

「田辺さんも、わかっていますでしょ?私は、キングヘイローです。常に壁に挑み続け、どんな強敵も抜き去っていく、最強のキングが、私なのです。...その名に恥じるようなことを、私はしません。」

真っ直ぐに、彼の目を見て、そう答えた。

「...キング、お前は...強いウマ娘だよ。」

彼はそう言って私の肩に手を置いて、ベンチから立ち上がった。

先に車で待ってる、そう言い残して、彼は歩いていった。

目の前の廊下を、レースに出走していったウマ娘達が徐々に歩いていた。どうやら、ウララさんのウィナーズサークルが終わったようだ。

「私も、帰らないとね。」

控え室に入って、制服をカバンから取り出そうとした。

そして、その手に何かが落ちてきた。

この冷たいものは、なんだ。

とめどなく、溢れ出てくる。

涙が鬱陶しい。煩わしい。...それ以上に、悔しかった。

悔しくて悔しくて、耐えきれなかった。

その場にうずくまって、感情に身を任せて、私は泣いた。

普段よりも風が強かった冬の日

己の全てを使って敗北する悔しさを、私は知った。

 

 

 

 

 

 




キングちゃんの走りでウララちゃんが感じた事は次の話で書きます!
とりあえず大学のレポートを終わらせないとなので一旦ここで投稿することにしました!
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