最弱と言われた彼女は   作:こたれん

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遅くなってしまって申し訳ありません。
今回が最終回の予定でしたが、どうしても続きを書きたくなったので変えさせていただきます。誠に申し訳ありません。
ライスの一人称を私と書いていますが、私(ライス)とよんでくださると助かります。





正直、あまり眠れてはいない。

それでも私は、体も精神も、集中し切れている。

お兄様が控え室に来るのは、先に断っておいた。

彼の甘い言葉で、今の闘争心が揺らぐのが嫌だったから。

私を応援してくれると言った、チームメイトだと言ってくれた、そんな優しいお兄様が、私は大好き。...だからこそ、今会いたくないんだ。

甘えようとする自分が、弱い自分が、お兄様の前では出てきてしまうから。そんな自分は...今は、必要ない。

お兄様がくれた頑張れがあるから、みんながくれた、頑張れがあるから。だからもう、これ以上甘えなくても、充分だ。

自分の呼吸を整えて、廊下に足を踏み出す。何人かは外に出ているようで、セイちゃんやスペシャルウィークさんなど、有力なウマ娘の娘達が、足並みを揃えて入場を待っていた。

私もその列に並んで、入場を待つ。

右側の扉が開いて、ウララちゃんが出てくるのを視界に捉えた。

その瞬間に、全身がざわめき出すのを、必死に抑える。

ああ、はやく、はやく走りたい。

これは、誰かのためにとか、そんな綺麗な感情じゃなくて...

ただ、ただ、私の限界を、ウララちゃんの限界を、試したいんだ。

会場へと続くゲートが、関係者の人達によって開かれた。

それとともに、私はゆっくりと、列に沿って歩みを進めていく。

ターフの上に立ち、一歩一歩を踏みしめて、ゲートの中に入った。

構えるわけでもなく、軽く呼吸を整える。

私は6枠出走、ウララちゃんは16枠からの出走になる。

 

...ああ、待ち遠しいな。

 

ゲートが開くその時を、ゆっくりと構えて待ち続ける。ラッパの音が会場に鳴り響いた。集中を邪魔されてしまうのが嫌だったけど、これでスタートが近いことが確実になった。はやる気持ちを、少しは抑えることができる。

物凄かった数の声援が、一斉に鳴り止んだ。

頭をリセットして、もう一度集中する。

焦る気持ちも、苛立つ気持ちも、恐怖心も、もう、何もなかった。

代わりにあるのは、勝利への執着のみ。

それを自覚して、肩の力を抜ききる。

そして、数秒後

 

ゲートが、開いた。

 

私はその瞬間、真っ先にゲートを飛び出した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ウララの控え室を訪れた後、ライスの控え室に行きたいきもちをなんとか抑えて、俺は応援先へと足を運んだ。

彼女には、控え室にはこないでほしいと、事前に連絡を受けていた。

一言だけで良いから声をかけたかったが、それで彼女の集中力が阻害されては元も子もない。

ライスに対しての考えを振り解いて、第四コーナーを抜けた、最後の直線を見れる、西側の観客席へと、足を運んでいく。

本来であれば最前線で見るべきなのだろうが、今日一緒に観覧する人の都合に合わせて、ちゃんと座れる場所で、俺は応援する事にした。

予約していた席に向かっていくと、俺の隣にはもう彼女達が腰をかけていた。

 

「あ、トレーナーさん!やっときた!」

「...ご無沙汰しております。トレーナーさん。」

 

目的の席に着くと、ファルコンと、桃色の髪をした1人の女性が、それぞれ順に、俺に声をかけていく。

俺は、軽くファルコに手を挙げて反応し、ファルコンの左隣に座る女性に、深く頭を下げる。

 

「...こちらこそ、ウララさんにお世話になっております。」

 

彼女は...ウララのお母様に当たる、ウマ娘の方だ。

俺は、ウララが、ここまで自分についていくことを許可してくれた事、その支援をしてくださった事、そして、ウララのレースを、身体が弱いのに、こうして見にきてくれた事に対しての感謝を含めて、彼女に挨拶をする。

大和さんもお母様の右隣に座っていて、俺は彼の隣に腰をかけた。

大和さんにも挨拶を済ませ、レースが始まるのを待つ。

 

「...ここに娘が立つなんて考えたら、それだけで私は泣きそうです。」

 

続々と席が埋まっていく中、大和さんがそっとつぶやいた。

お母様はファルコンと談笑しているため、その言葉には反応していなかった。

 

「大和さん...ええ、本当。実を言えば俺もそうなんです。あの娘が、この舞台に立つ。走ることができる、本当、それだけで充分すぎるほど嬉しいし、涙が出そうになる....だけど、泣いてなんかいられないですよ。」 

「...そうですよね、わかっています。あの娘の戦いは、これから始まるんですから。....ここに立つことが、あの娘のゴールじゃない。」

 

大和さんの言葉に、俺は無言で頷いた。

それからすぐに、続々とウマ娘達が入場を始めた。

すでに観客席は満席になっており、彼女達に向けた溢れんばかりの声援が、会場を埋め尽くす。

ウララとライスが入場するのを確認して、俺は大きな声で二人に声援を送った。

ファルコンとお母様も、ウララに向けて懸命に声援を送っている。 

大和さんは小さく拳を握って、小さく、頑張れ、そう呟いて、ウララを見つめていた。

その目は少しだけ赤みを帯びていて、潤んでいるのが伝わってくる。

俺も改めてターフに目を戻し、ゲートへと向かうウララの姿を見つめた。

...ついに、本当に、来たんだな。ウララ。

 

ここまでの彼女との思い出、言葉、様々なものが、今の景色を見ると蘇ってくる。そして、今この景色がどれほど素晴らしいものなのかと言うのを、俺に伝えてくる。

だから、涙がこぼれそうになる。

それを懸命に抑えて、俺は彼女達を見つめた。

16人のウマ娘。誰かの想いを、願いを背負って、彼女達は走る。

ラッパの音がなるとともに、今までとは比べものにならないほどの声援が、一気に止んだ。始まる。スタートが、切られるのだ。

本当に、2分にも満たない、僅かな静寂。

それが、永遠に感じるほどの緊迫感が、手に汗をかかせる。

小さく、拳を握った。

それと同時に、彼女達は駆け出す。

今、この瞬間、それぞれの物語が、幕を開けた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『さあ!始まりました!各ウマ娘一斉にかけていく!先頭に立ったのは5番セイウンスカイ!それを追うようにしてシンボルバギーがついていく!少し離れて9番エルコンドルパサー!第一先頭集団のペースを作っています!2馬身ほど離れて第二集団...』

 

スタートと同時に、私は内側ではなくて外側に自分の位置を置いた。

私のロングスプリントは、囲まれるとそれだけ加速するスペースを失ってしまう。だから、出来るだけ囲まれない位置を取らなくてはならない。しかし、外すぎるとそれはロスする距離が大幅に増えることになる。だから、自分が加速する最小限のスペースを維持して、ポジショニングを取ることを常に頭に入れていないといけない。

 

...セイちゃんが先頭か。

 

集団の遥か前、セイちゃんが前に立っていることを視界に捉えて、私ははあんな走りをする娘だったのかと、少しだけ驚いた。

彼女とは、一度しか言葉を交わしていないが、その話し方や考え方からして、もっとリスクが少ない走りをすると思った。だから、かなりのリスクが伴う大逃げという選択を取っていることに、少しだけ驚いたのだ。

ウララちゃんの姿は、外枠からスタートしたこともあって確認できてはいない。

 

もちろん、いつ仕掛けられても構わない。

 

誰にも、負けるわけにはいかないんだ。

 

『先頭は変わらずセイウンスカイ!後続を離そうとかかんに逃げています!少し離れて続くエルコンドルパサー!シンボルバギーやや後退している!後続集団の先頭にはグラスワンダーがたっている!第二コーナーをぬけ、第3コーナーへ!ウマ娘達がカーブへと入っていく!』

 

カーブに入ってから、私はスプリントを始めた。

集団が膨らみ、1番加速しやすくなるスペースが開くのが、この第3コーナーのカーブだ。徐々に順位をあげて、後続集団の先頭の横に入った。

第四コーナーに入る頃には、セイちゃんをいつでも捉えれる射程圏内へと入れることができた。

隣に一人、後ろに一人とマークされているけど、そんなのは関係ない。

一周を終えようとする頃に、私はトップギアに近い力を、足にこめた。

徐々に、徐々にスピードが乗っていく。

体の力を抜いて、余分なものを捨てる。

そう、捨てるんだ。

今この場所でだけ、私は捨てる。

友情も、情けも、恐れも

私が、ライスシャワーが、この有馬という舞台で、勝つために。

全部...捨てる!

 

『おっと!?ここでレースに意外な展開です!10番ライスシャワー!早くも順位を上げていきます!外から徐々に順位を上げていく!セイウンスカイこれに対応するように脚を早めている!しかしながら差は徐々にうまっています!先頭1000メートル通過は60秒前半です!ライスシャワー、ここから一気に仕留めるのか!?』

『これは..私も見たことがない作戦です。レース終盤までにまだかなりの距離があります。この走りで持つのでしょうか?ライスシャワーの走り、目が離せませんね』

 

一周目をセイちゃんや、先頭に近いウマ娘を風除けにして乗り切る。少しでも脚と体に余裕をもたせたかった。まだフル加速はしていない。残り1000メートル弱、大丈夫。必ず、もたせて見せる。

 

すぐにでもフル加速をしたい気持ちを必死に抑えて、私は二周目へと入っていった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

逃げのペースは悪くなかったはずだ。コース取りも、ペース配分も、正直、完璧と言っていい。

 

...セイちゃんの予定では、も〜ちょっと離せてるはずなんだけどね〜

 

会場の歓声、後ろからくるプレッシャー。それだけで、誰が背後に来ているのかが、容易にわかった。彼女がレースを変えることは分かりきっていたが、まさかここまで早くから仕掛けてくるとは。

 

ま、だからって簡単に先頭を譲るわけには、いかないんでね!

 

詰められた距離をさらに開けるように、私はギアを上げた。

最終直線、そこで後続集団に入って仕舞えば、私のパワーでどうにもすることができなくなる。それだけは避けたい。

であれば、必然的に先頭をキープする必要がある。

 

....こんな所で、譲るわけにはいかないんですよ。

 

後ろの、きっと先頭を狙っている彼女に伝えるようにして、私は足を進めていく。ペースを2段回あげて、加速。

 

『さあ!ウマ娘達は二周目はと入って行きます!先頭はセイウンスカイ!すぐ後ろに10番ライスシャワー、1馬身離れて続くイエローターボ、エルコンドルパサーもついていく!後続集団先頭は以前としてグラスワンダー、集団のペースが上がっているぞ!さらに続いて...』

 

きっと、私のペースが上がったことで集団のペースも上がっている。

それでいい。無理に私を追いかけてくれれば、作戦通り。それでグラスちゃん達の体力が崩れれば、万々歳。

 

今の私に、直線勝負をする能力は殆どない。

それでも、何度も走り込んできた。

それに見合うだけの、スタミナはついた。

だから逃げる。自分に出せる最大出力で、逃げ切ってみせる。

 

....私だって、かけてるもんがありますから!

 

『第二コーナーに入っていく所、依然として先頭は変わらない!逃げている!逃げているぞセイウンスカイ!それにぴったりとついていくライスシャワー!この二人の独走になるのか!?』

『集団のペースが心配ですね。あまり先頭を意識しすぎると、後半に持たなくなってしまいますから。』

 

上げても、上げても、ついてこられる。

どれだけ加速をしても、それを簡単に潰してくる。

 

...本当、面倒だな〜。

 

思わず内心で毒づくほどに、嫌気がさした。

もうこれ以上ペースを上げることなんてできない。

残り1000メートルを切った。まだ距離はある。

大丈夫、なんて、言い聞かせても無駄なのは、この時点で理解できた。

....だって、これは、本当に、私が出せる、限界のフルスロットルなんだ。

それなのに....

 

『第3コーナー正面!ライスシャワー先頭に出た!ここで出た!ライスシャワーぐんぐんとセイウンスカイを引き離していく!独走だ!漆黒のステイヤーが、いま先頭に立ちました!』

 

....本当、虚しくなるよ。

 

どれだけ足掻いても、踏み潰される虚無感。

圧倒的な走りを、見せつけられる悔しさ。

この世の全ての理不尽を、私はその時見た気がした。

....けど、それは一瞬で覆ることになる。

 

残り600メートルになった頃だ。会場が、妙に湧き出した。

歓声が、張り裂けんばかりに上がるのを耳で感じる。

また誰か上がってきたのか。グラスちゃんかな?いや、スペちゃんかもしれない。

私の、大好きで大嫌いな彼女達が、ここにくるんだ。

それに、私は置いていかれる。

 

足を緩めることなく、いずれくる彼女達の背中を待っていた。

しばらくして、スペちゃんと誰かが隣を駆け抜けて行った。それに食らいつこうとしたが、足がもたなかった。

すぐに私の前に二人が立った時、思わず声が漏れてしまった。

 

「....え?」

 

だって。見たことがなかったから。

その背中を、私は一度だって、見たことがなかったから。

だから、動揺が隠せない。

なんで、なんで?なんで?そこにいるの?

 

私が、いや、きっとここにいる誰もが思っていた。最弱の存在。

その彼女が今、はっきりと、この有馬という舞台で、スペちゃんの隣で走っているのが、私の目には映っていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

本当に、物凄い圧迫感だ。抜けようとしては壁にぶつかって、コースを塞がれて、一周を迎えた頃には、本当に限界に近かったんだと思う。

 

それでも、ちゃんと脚は動いた。

 

これまで走ってきた道のりが、ちゃんと私を支えてくれた。

限界が来そうになるたびに、歯を食いしばることができた。

 

一周目を終えて、二周目に入っていく。それからしばらくして、私がいた集団のペースは一気に上がった。釣られるようにして脚を動かす。

今まで体験したことがない、圧迫感。重圧。

まるで、泥の中を走っているように、足が重たくなるほどの、疲労。

それは、私の気力をゼロにするには、充分すぎるほどのものだった。

 

....なんで、こんな苦しいこと、してるんだろう。

 

意識が途絶えてきて、ふと、そんなことを思った。

脳が、体が、走ることを拒絶してるのが、わかる。

もうやめたい。やめればいい。苦しい、本当に、死ぬほど苦しい。

嘔吐感、疲労、その全てが体にのしかかって、私の脚を止めようとしてくる。それに、身を委ねたくなるほど、限界だった。

 

....けど、やめようって、もう無理だってなるたびに、聞こえてくる声がある。

 

私は、その声を知っている。

それは、この舞台を誰よりも夢見ていた、私を初めてライバルって言ってくれた、あの娘の声。

それは、プライドが高くて、それでも、とっても優しくて。最後の最後まで私に優しくしてくれた、あの娘の声。

それは、この舞台に立つことを許してくれた、私のことを強い娘だって言ってくれた、大好きな二人の声。

....それは、ずっと待ってくれてる、彼の声。

支えてくれた人達が、信じてくれた人達が、私に、言うんだ。

 

頑張れって。負けるなって。勝ててって。

 

その声が聞こえるたびに、止まりそうな脚が、体が、動き出す。

 

隙間が見えた。本当に、小さな隙間。それを縫うようにして、集団の外に出る。

そんな私の行動に、誰かがマークしてついてくる。けど、今の私には、それが誰なのかも、どんな行動なのかも、考える余裕がない。

 

ただ、応えたかった。

 

聞こえてくる声に、支えてくれる手のひらに、応えたかった。

 

.....ありがと。

 

これは、幻聴なのかもしれない。それでも、私はその声に、心の中で一言、返事をする。

 

そうだ。応えるんだ。

頑張れって声に、負けるなって声に、勝利を信じてくれる声に。

全部、全部、全部、壊れてでも、応えてみせる。

それが....私がハルウララとして、生まれて初めて持てた....

 

ウマ娘としての、プライドだ。

 

「うららぁぁぁあ、ごぉおおおお!」

 

気合を乗せて、叫んだ。全身の筋肉をつかって、加速する。

誰かがついてきた。関係ない。前を見る。まだ、ライスちゃんに追いついていない。ならあげろ、もっと、もっと、もっと、止まるな、走れ、走れ、走れ、一滴の後悔も残らないほどに、出し切るんだ!

 

『集団から二人抜け出した!....!?これは、ハルウララです!ハルウララとスペシャルウィーク、互いに一歩も譲らずに先頭に追いついてくる!残り600メートルで大番狂わせだ!ハルウララ!スペシャルウィーク!セイウンスカイを抜き去り、先頭に追いついていきます!』

『...これは、またしても意外な展開ですね。ハルウララが長距離をここまで走れるなんて、正直、信じられません。』

『解説の細田さんも圧巻の様子!どうなる有馬記念!まもなく400を通過していきます!』

 

全身が、沸騰するほどに熱い。苦しい。それでも、止めない。

ライスちゃんの真後ろについた。その瞬間に、加速される。

それに追いついて、離されて、追いついて....

 

本当に、ライスちゃんの走りは綺麗だ。

 

初めて全力の彼女を、間近で見た。綺麗な前傾姿勢で、速くて、強い。

この子の前に出るのなんて、不可能なんじゃないかって、そう思わせるような、強い走り。

 

だけど、それじゃあダメなんだ。

 

ファルコンちゃんがくれた蹄鉄を、ターフの上にもう一度、沈める。

膝を曲げて、更なる加速の準備をした。

 

....見ててね、トレーナー、皆んな。私ね....

 

ーーーーー勝つから!

 

心の中に浮かんだ、大好きな人達。そのみんなに宣言をすると共に、脚を踏み出す。筋肉の痙攣を無視するように、走る。

 

『さあまもなく大欅を超え第4コーナーを抜けるところ!ライスシャワー変わらず先頭!それにピッタリとつくようにしてハルウララ、スペシャルウィークと続いています!2馬身離れてグラスワンダー、セイウンスカイ...』

 

ここを抜ける前に、並ぶ。並ぶ、並べ、並ばないと、ダメなんだ!

 

『第四コーナーを抜け、各ウマ娘が直線へと入る!先頭に並びましたハルウララとスペシャルウィーク!いや、僅かにライスシャワー先頭!グラスワンダーも大外から上がってきた!外から外からグラスワンダー!伸びる伸びる!続いてテイエムオペラオーも上がってきたぞ!....』

 

トップギアに乗せて、先頭に並んだ。カーブを抜けるギリギリだったけど、並べた。最後だ、私が、ライスちゃんに勝てる、唯一の直線。

 

...ここで、出し切るんだぁぁぁあ!

 

歯を食いしばって、脚を動かす、限界のラストスプリント。

視界が、霞んでいる。それでも、前を見る。脚を出す。腕を振る。

 

約束したんだ。トレーナーに、プレゼントするって。

約束したんだ、ファルコンちゃんに、必ず有馬で勝つって。

キングちゃんに、お母さんに、お父さんに、みんなに、約束した。

 

だから、負けられない。負けない。負けない、絶対に!

 

『ぁぁぁぁぁあ!』

 

声と共に、さらに姿勢を低くし、加速をした。

これが、本当に、最後の加速。限界を超える、加速になる。

私の叫びは、ライスちゃんの咆哮と重なり、彼女も同時にスプリントを仕掛けた。

 

『さあ第四コーナーを抜けて最後の直線に入る!10番ライスシャワー、16番ハルウララ、1番スペシャルウィーク、依然として3人が並んで直線勝負を繰り広げています!中山の直線は短いぞ!誰が抜ける!誰が抜ける!ハルウララわずかに先行しているか!?いやしかし、抜けない!抜けれない!今並走する形で、3人のウマ娘が走り切りました!』

 

譲らない、譲らない、絶対に、一歩でも先へ、そう思い続けて、走り切った。

最後の最後、本当に苦しくて、辛くて、正直、どこでゴールをしたのかもわからない。

脚が痙攣して、立っていることすらできなくて、思わずターフの上に尻餅をついてしまった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ...」

 

歓声が、止んでいる。まだ、順位が出ていないのか...

電子掲示板を見ようとすると、ライスちゃんに後ろから、優しく抱きつかれた。

 

 

「わ!ど、どうしたのライスちゃん!」

「...本当、凄かったよ、ウララちゃん。本当に、凄かった。」

 

ライスちゃんの言葉が終わると同時に、大きな歓声が響いた。

首を動かして、掲示板を見る。そこに、私の全てが、乗っている。

 

....ああ、そっか。そうなんだ。

 

そして、その数字を見て、ようやくわかった。

この歓声が、誰に向けられたものなのか。何故、今ライスちゃんが震えているのか。...何故、私が、こんなにも、泣きそうになっているのか。

 

『いま!今出ました!やはり有馬を制したのはこのウマ娘!一番人気スペシャルウィーク!日本総大将の名を背負って今!有馬記念を制しました!』

 

本当に、全部を出し切った。やれることは、全部やった。

....けど、そっか。

私、負けちゃったんだ。

 

歓声が、スペちゃんに向けられた大きな歓声が、鳴り止まない。

悔しくて、申し訳なくて、叫びたいほどなのに、声が、出てこない。

 

ライスちゃんの、私を抱きしめる腕が、一層強く、震えている。

首筋に、冷たいものがあたる。

 

「....ウララちゃん...」

 

小くて、震える声で、ライスちゃんが私の名前を呼んだ。

歓声にかき消されてしまうその声が、今の私には誰よりもはっきりと聞こえた。

 

「負けるのって、負けるのって.....こんなに、悔しいんだね。」

 

泣きながら、彼女は言葉を紡ぐ。震えていて、小さくて、それでも、ライスちゃんがものすごく悔しがっているのが、私は誰よりもわかった。

だから、その震えを止めるように、私もライスちゃんを抱きしめる。

 

私は、知っているから、負ける悔しさを。

誰かの期待に応えられないことが、どれほど辛い物なのか、痛いほど知っているから。

 

「....うん、悔しい。悔しくて、苦しくて....それでも、ライスちゃん、私達はね.....」

 

だから、その悔しさを、大きく肯定する。肯定して、それでもなお、私はライスちゃんに伝えないといけない。

 

「泣いてちゃ、ダメなんだよ。前を向いてね、応援してくれた人にね、ちゃんと、ありがとうって、伝えないとダメなんだよ。だからね、ほら。」

 

ライスちゃんの手をとって、立ち上がる。

まだ、足は震えてるけど、涙が、溢れそうになるけど、それでも私は、笑顔でちゃんと言うんだ。

 

「....みんな!応援してくれて、ありがとぉ〜!私ね、とっても、とっても楽しかった!」

 

例え、この大きな歓声にかき消されても、誰も見てなくても、何処かで、私を応援してくれたすべての人に、感謝を伝える。

 

「....ふぅ....私を、応援してくれて、ありがとうございました!」

 

ライスちゃんも、大きく息を吸って、みんなに伝えていた。

そうやって、感謝して、もう控室に戻ろうと、足を進めようとした時だ。

誰かが、私達の名前を呼んでいた気がした。その声は、徐々に大きくなってきて、それで...

 

「ウララちゃん!」

「ウララ!ライス!」

 

最前列の観客の波を押しのけて、私が大好きな二人が、柵に手をかけて、名前を呼んでくれていた。

 

ライスちゃんも、私も、合わせる顔がなくて、それでも、二人の元に歩いていく。

二人とも、泣いてた。遠くから見てもわかるぐらい、泣いている。

二人に、なんて言えばいいんだろう。

そう思った瞬間に、前を見れなくなる。

信じてくれて、送り出してくれて、それで、この結果だ。

悔しくて、情けなくて、思わず震える唇を、噛み締める。

ちゃんと目を見るんだ、そう決めて、前を見る。

 

その瞬間、大声が聞こえてきた。トレーナーの、ファルコンちゃんの、大きな声だ。

 

「さいっこここここうの、走りだったぞぉおおお!お前らぁぁあ!」

「ウララちゃゃややん!ナイスランだった!本当に!すごかったヨォおおおおおおお!」

 

泣きながら、叫びながら、二人が私達に、叫んでくれる。

それが、嬉しくて、それでいて情けなくて、もう、感情がぐちゃぐちゃになる。それでも、今は二人の元に、走り込みたかった。

段々と歩みを早めて、トレーナーの元に飛びついた。

 

柵越しに、トレーナーが、私を抱きしめてくれる。

ライスちゃんもトレーナーの元に来て、抱きしめてもらってた。

 

「...本当に、よく頑張ったぞ、お前ら。」

 

トレーナーが、優しく呟いてくれた。

その言葉で、ずっと我慢してた涙が、溢れ出してくる。

 

ファルコンちゃんも抱きしめてくれて、4人で、

ただただ、泣き続ける。

力強く抱きしめてくれたトレーナーの体温は、汗で冷えた体にとても暖かくて、優しく感じた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

その走りを見て、結果を見て、泣きそうになる自分を堪えるので、必死だった。

二人の走りを見て、それがどれほど苦しいものなのかを、そばで見てきたから。本当に、感動した。

だから、笑顔で迎えるべきなんだと、涙を堪えて、迎えるつもりだった。

 

「...ねえ、トレーナーさん。」

 

そんな時だった、ふと、ウララのお母さんの声が、耳に届いた。

その声は震えていて、彼女がどんな表情をしているのかを、何となく俺に連想させるものだった。

 

「....はい。」

 

俺は、きっと怒られるのだろうと、彼女の元に立ち上がり、そばに向かった。そして、見てしまったのだ。

 

涙を流しながら、それでもなお、真っ直ぐにターフを見つめる彼女を。

震える声で、それでも尚明るく

 

「私の娘、めっっっちゃくちゃ、強いでしょ!」

 

そう語る、彼女の、ウララにそっくりな笑顔を、涙で汚れながら微笑む彼女を、見てしまったのだ。

その瞬間、必死に堪えていたものは、馬鹿みたいにこぼれ出して、止めることなんて、できなかった。

 

「..はい‼︎あなたの、娘は、ハルウララは、世界一強い、ウマ娘です!」

 

涙を拭こうともせずに、俺もぐちゃぐちゃになった笑顔で、彼女に答えた。

 

「...私、今からウララちゃんの所に行ってくる。」

 

彼女の隣に座るファルコンが、そう口にした。席を立ち、最前列へと早足にかけていく。

 

「....行ってあげてください。トレーナーさん。」

 

大和さんが、メガネを拭きながら、俺に優しく言ってくれた。

だから、俺もファルコンの後を追って、最前列へと駆け出す。

彼女達の名前を呼びながら、人混みの波をかき分けて、かき分けて、そして、ようやく、目の前にターフが広がった。

 

ウララとライスが、頭を下げて、そして、顔を上げて、観客席の方に手を振っているのが、目に見えた。歓声が鳴り響いていて、彼女達が何を言っていたのかは聞けなかった。

 

背を向けた彼女達に向けて、ありったけの大声で、もう一度名前を呼ぶ。ファルコンも、俺と同時に叫んでいた。この歓声に負けないぐらいの声を、二人で上げ続けた。

 

ウララもライスも俺たちに気がついたようで、顔を俯かせながら、真っ直ぐに歩いてきてくれた。

 

....そんな、顔をするなよ。

ウララに、ライスに、わかってほしかった。今日のお前達は、最高だったって事を、誰よりも凄かったんだぞって事を....

 

だから、叫んだ。

出せる限りの限界の声で、叫んだ

 

「さいっこここここうの、走りだったぞぉおおお!お前らぁぁあ!」

 

ウララと、目があった気がした。でも、ギリギリで叫んだから、正直目は開けられてなかった。泣きじゃくりながら、それでも、大声で、彼女達に伝えた。

 

ファルコンも、叫んでいる。彼女も、きっと前を向いてほしかったのだ。

 

ウララが、段々と駆け足になって、俺の元に抱きついてきた。

ライスも後に続いて、俺もただただ、二人を抱きしめる。

ファルコンもそれに続いて、抱きしめた。

もう一度、優しく、彼女達に俺は伝えた。

よく頑張ったと、心からの尊敬を込めて、彼女達に伝えた。

 

その言葉を聞いて、二人は泣いていた。俺は、そんな彼女達を見て、また涙が出てきてしまった。しばらく抱き合ったまま、ただただ、涙を流す。

 

ウララもライスも、ボロボロだった。それだけで、どれだけの死闘が行われてたのかが伝わってくる。

足が震え、嗚咽を漏らし、それでもなお、彼女達は挑み続けた。

それがどれほど難しくて、きつい事なのか、想像することすらおこがましいほどの、努力を、彼女達はしてきたのだ。

 

だから、誇ってほしい。

 

天才の壁に、本当の、本当に、後一歩で、こいつらは手が届いた。

それを実現する努力をした事を、その結果を、誇りに思って欲しい。

 

歓声が、再び鳴り始めた。ウィニングライブの前の、勝利者インタビューだ。スペシャルウィークが、壇上にあがっている。

 

「....私達、そろそろ準備しないと。」

 

名残惜しそうにして、ウララが、俺から離れる。ライスも同様に離れ、二人で控室へと向かっていった。その間、彼女達は俯かなかった。

どこまでも勇ましく、美しいその背中を俺は見えなくなるまで見つめ続ける。

 

「....トレーナーさんが見たい景色は、見れた?」

 

彼女達の背中を同様に見つめるファルコンが、俺にそう聞いてくる。

 

ウララが、努力で、天才に勝つ瞬間を見る。

それが、俺の見たい景色であり、夢だった。

それは、形としては見ることができなかった。彼女は確かに敗北して、涙を流し、光を浴びることが、できなかった。

 

「....そうだな、半分、見えたよ。そりゃーもう、絶景だったぜ。」

 

けど、それでも確かに見えたんだ。

後数センチ、本当に数センチで、変わる世界が。

そこに、ウララが届いたと言う事実が、見せてくれたんだ。

 

努力は、想いは、壁を越える力を持つものだと。

走り続けた先に、必ず未来が待っているのだと、証明してくれた。

 

それは、まだ未知のもので、勝った先に何があるのかは、残りの半分を見てみないとわからない。

 

けど、それでも俺が今日見た景色は、どんなレースよりも、美しかった。

 

だから、ファルコンに笑顔で、それを伝える。

 

「ふーん、よかった!トレーナーさんが全部見れたなんて言ったら、ファルコ、怒っちゃう所だったよ☆」

 

「おう。そりゃー、大問題だな。」

 

ピースサインをして戯けるファルコンに、おれも便乗して応えた。その返答に彼女も楽しそうに頷いて、そして、再びターフに目を向けた。

 

「....私もね、まだ見れてないんだ。ウララちゃんがね、あそこに立ってる姿。」

 

スペシャルウィークが立っている、その壇上を見ながら、ファルコンは語る。

 

「本当、これ以上ないぐらい、凄い走りだった。物凄く努力したんだって、伝わった。.....それでも、負ける世界があるんだってことも、よくわかった。」

 

小さく拳を握らながら俯き、ファルコンは悔しそうに言葉を口にする。

 

「....だけどね、終わりじゃないの。」

 

そして、今度は顔をあげて、真っ直ぐな目で俺を見つめながら

 

「まだ、ウララちゃんは走り続けるから。」

 

確固たる声で、そう、口にする。

 

「あの娘が走り続ける限り、きっと、この舞台にまた帰ってくる。そしたら、その時に見えるんだよ。ウララちゃんが、有馬記念っていう舞台で、私の蹄鉄をつけて、1番になる所が。みんなの何かを背負って、一番になれるところが、きっと見れる。....だから、全部なんて、死んでも言ってあげない。また死ぬものぐらいで努力して、ここに帰ってきてもらわなきゃ!頼んだよ!トレーナーさん☆」

 

最後は笑顔でそう言って、俺に人差し指をビシ!っと差した。

 

「ったりめーよ!.....また連れてくるさ、この舞台に。」

 

俺もそんな彼女に精一杯微笑んで、親指を立てた。

そこに拳を合わせるようにして、ファルコンが手を伸ばす。

そして互いの拳が触れ合った時、電気が消え、ステージが露わになる。

 

「....ウィニングライブ、始まるね。」

「ああ....始まるな。」

 

会場の声援が、先ほどと同じぐらい大きくなる。

俺達はその歓声に包まれながら、静かに、彼女達のライブを、見届けたのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ウィニングライブを、結果3着だった私はやりきって、ゆっくりと控え室に帰ってきた。それまでの足取りは驚くぐらい軽くて、まるで現実味がない、宙に浮いている感覚だった。

 

....負け、たんだよね。

 

頭では、理解しているつもりだ。それでも、体が、感情が、受け入れてくれない。

 

控え室に入って、着替えることもせずに椅子に座った。

 

「...沢山、褒められたなー」

 

ウィニングライブの後、インタビューで、沢山褒められた。

よくここまでの走りをしたって、感動したって、凄かったって

みんな、たくさんの人が褒めてくれて、それで、それなのに...

 

「勝てなきゃ、意味、ないよ。....意味ないもん!」

 

インタビューされている間、ずっと我慢していた言葉を、私は吐き出した。

たくさんの人に認められる走りができた、感動させた走りをした。

普段なら、絶対嬉しく思うし、今だって、そう思うべきなんだって、わかってる、けど

....そんなの、今の私にとってはどうでもいい。

証明できなかった、期待に、応えられなかった。

約束を守れなかった、ずっと待たせてるのに、また裏切った。

 

罪悪感、情けなさ、その感情が、身体中を埋め尽くしている。

 

ノックの音がする。誰だろう。トレーナーかな?

 

「...ごめん、トレーナー、今は、その、誰とも会いたくないんだ。」

 

ドアの方に行って、外にいるであろう彼に、そう呟いた。

今は、特にトレーナーには、会いたくなかった。

こんなに情けない姿を、見て欲しくない。

 

「....あら、折角応援に来たのに、失礼なこと言うのね。」

 

けど、扉の向こうから聞こえてくる声は、トレーナーのものではなかった。それは、私がよく知っている声で...

 

それが誰なのかを確信させるように、扉が開いた。

 

「!?キングちゃん!?」

 

まさか見に来てくれてるとは思ってなくて、思わず大きな声を出してしまった。そんな私を見て、キングちゃんは軽く微笑むと、優しく私の頭を撫でて、中に入ってきた。

 

「ウィニングライブ、素敵だったわ。ウララさん..ほんとに、立派になったわね。」

 

二つある椅子の一つに座って、キングちゃんは優しく微笑んで私にそう言った。私もキングちゃんの隣に座って、笑みを浮かべて頷く。

 

「うん!あのね!たくさん褒められたの!凄かったって!感動したって!ほんとにね...ほんとに、嬉しかった。」

 

最後、ほんとに最後、出てきそうになった感情を抑えて、私はそうキングちゃんに伝えた。その言葉を聞いて、キングちゃんは誇らしそうに微笑んで

 

「ええ、私も聞いてたわ...ほんと、誇らしい友人よ。」

 

そう言って、オーホッホッホ、と、高らかに笑ってくれた。

いつもなら、キングちゃんと話す時は、心から嬉しいはずなのに、今日はずっと心が痛い。

優しく微笑んで、私と話してくれるくれるキングちゃん。その顔は、本当に優しくて、それでいて、あまりに汚れてしまっていた。

 

....きっと、泣いてたんだよね。

 

目の当たりが赤くなっていて、化粧が崩れてしまっているのがわかる。

それを実感して、自分がまた情けなくなる。

しばらく私の頭を撫でた後、キングちゃんは手を離して、カバンの中から色んなものを部屋の机に置いていく。

 

「ほら、疲れてるでしょ。これ、飲みなさい。エナジードリンク、アミノ酸入りよ!疲れた体ににぴったりよ!それから、ほら、補給食でサンドイッチも作ってきたのよ!一流の手料理食を、存分に味わうといいわ!お腹減ったら食べなさい!あとは...」

 

キングちゃんは、明るく、元気にいろんなものを取っては置いて、嬉しそうにしてくれていた。私もそれに、自分の感情を抑えて、元気に応える。

 

せめて、キングちゃんの前では、笑っていたかった。

 

「....レース、惜しかったわね。」

 

ひとしきりものを出しを終えて、キングちゃんがそうポツリとつぶやいた。

その顔には、一つの曇った表情がなくて、スッキリとしているように見えた。

 

「うん!惜しかったよ!あと少しでね!勝てたんだ!ほんとに...あと、少しだったんだよ....あと...ちょっと...だったんだよ...。」

 

だから私も、やり切ったって、頑張ったんだよって、応援してくれてありがとうって、そう伝えたくて、元気に言葉を出したつもりだった。

なのに、口にする度に、言葉に力が入らなくなる。

震えて、何も言えなくなってしまう。我慢してたのが、流れ出しそうになる。

 

「ええ。知ってるわ。...見てたんだから。たくさん大声で応援したのよ?聞こえてたかしら?」

 

そんな私の様子を気にせずに、キングちゃんは優しく笑ってそう言った。

 

「...うん!き、きこえてた!わた、私ね!聞こえてたよ!みんなの声、ちゃんと、ちゃんと聞こえてね、それでね...けど、ううん、全然ダメ。私、ちっとも強くなれてなんてなかった。出し切って、けど、それなのに....届かなかった。」

 

震える声で、なんとか応えようと、言葉を振り絞った。ありがとうを伝えたくて、音をなんとか繋ぎ合わせて、言葉を紡いだ。けど....出てくる言葉は、ずっと我慢していた、自分への侮辱だった。

 

「ウララさん。貴方は、立派だったわ。」

 

そんな私の目を見て、キングちゃんはそう断言する。

 

「...有馬という舞台に立ち、誰もが震えるような、そんな走りをした。それは、誇るべきことであって、俯くべきことじゃない。」

 

真っ直ぐに、私の今の感情を真っ向から否定して、キングちゃんは言った。そんか彼女を見て、今の私に、どうしようもない怒りが込み上げてくる。

 

「...でも、負けたんだよ。...私、誰にも、応えることができなかった、私、また大切なところで負けちゃったんだよ!なのに、なんで、なんでそんなことが言えるの!意味ないじゃん!勝てなかったら、意味ないじゃん!全部私がダメにした!お母さんの言葉も、トレーナーとの約束も、ファルコンちゃんの思いも、キングちゃんの信頼も!全部!全部!私が....ダメにしたんだもん!なのに!どうやったらそんな風に思えるの!?もう、無理だよ!私は...」

 

「いいから胸を張りなさい!このへっぽこ!」

 

その言葉を受け入れられなくて、私は感情をぶつけた。意味もなく、キングちゃんに当たった。それをキングちゃんは、また真っ向から否定した。強引な言葉で、私の言葉を、塞いでくれた。

 

「ええそうよ!あなたは負けた、勝つという約束を果たせなかった。信頼に応えられなかった!だからなに!それだけのことで貴方は今日の走りを否定するの!?私は許さない!例えそれが、貴方の言葉であってもよ!」 

 

言葉を強めて、大きな声で、キングちゃんは私にそう言うと、拳を握りしめて俯いた。

 

「...私もね、自分の情けなさで、その時の、自分の最高だった走りを、否定してた時があったわ。...けど、それが間違ってるって、教えてくれた人がいるの。その人が教えてくれたわ。最高の走りを否定するって言うことは、これまでの自分自身の努力を、過程を、否定することなんだって。....私は、あなたのこれまでを知っているわ。どれだけ努力して、苦しんできたかを知っている。....そんな貴方のこれまでを、否定してほしくないの。」

 

キングちゃんの言葉は真っ直ぐで、直接的で..だから、こんなにも胸に響くんだと、この時にそう強く感じた。

 

キングちゃんが、優しく微笑んで私の頬を撫でてくれる。無意識に流れていた涙が、キングちゃんの指に触れた。

細くて長いその指は、火照った頬にちょうどいい冷たさで、ここちいい。

 

キングちゃんの目線が、そっと下に落ちる。

その目線の先には、キングちゃんの靴があった。あの日、私に預けてくれた、赤色のレースシューズ。たった一回しか履いてないのに、芝と土でかなり汚れてしまったその靴を愛でるように、キングちゃんは腰をかがめてその靴を撫でて、軽く微笑で

 

「泣いてもいいわ。悔しがってもいい。....けど、勝たなきゃ意味ないなんて、口にしないでちょうだい。....私の靴で、この舞台を走ってくれて、ありがとう。」

 

そう言うと、ゆっくりと立ち上がって、今度は、優しく私の頭を撫でてくれた。

 

体、冷やしすぎないようにね。

 

最後にそう言い残して、キングちゃんは控え室から出て行った。

 

立ち上がっていた体を、ゆっくりと椅子に沈めた。もう足が浮いている感覚はなくて、ちゃんとこれが現実なんだって、受け入れている自分がいることに気がついた。

 

....私は、有馬で負けた。

 

その結果は変えられないし、たくさんの人に、涙を流させてしまった。それは許せないことだし、本当に悔しい。

...けど、うん。そうだよね、キングちゃん。

 

もうここにはいなくなってしまった彼女に、そっと語りかける。

負けて、傷ついて、悔しくて...それでも、全力でぶつかった。

全力を出して、最高の走りをして、負けた。

それでも、ここまでの過程を、みんなの言葉を、自分の努力を、否定したくなかった。

 

....だってそれは、私が1番大切にしてる、思い出だから

 

だから、今の自分を、全力で走れた自分を、誇りに思おう。

 

これまでの自分を、否定しないために。今日の自分を、許せる覚悟を持とう。悔しさも、悲しみも、全部、受け入れて、それで...

 

この誇り高い私で、次は勝つんだ。

 

拳を握る。一呼吸ついてから、椅子から立ち上がってほっぺを軽く、二、三回たたいた。小気味の良い音が、控え室に鳴り響く。

 

「よし!次は....次こそは、負けないもんね!」

 

鏡に向けて、笑顔で宣言した。

 

目が腫れて、髪が乱れた、鏡に映るボロボロの自分。

そんな自分に、宣言したのだ。

もう、過去の私には負けないって。

前を向こう。下を向くな。精一杯努力して、私はまた、ここに立つ。

 

「...ウララ、入っても良いか?」

 

声がした。トレーナーの声だ。

 

私は、元気な声で、良いよ!と大きく返事をした。

扉が開く。トレーナーとライスちゃんが、二人で入ってきた。ライスちゃんは服をもう着替えてて、私が着替えるのを、二人で待ってたみたいだ。

 

「ウララ、その、レースのことなんだけどな...お前は、その、本当に」

「私ね、諦めないよ!」

 

 

慰めようとしてくれるトレーナーに、私は大きな声でそう言った。

 

「全部出してね、それで、スペちゃんに、ライスちゃんにね、負けた。....それはね、ものすごく悔しくて、やり直せるんだったら何度だってやり直したい。.....けどね、もうそれはできないって、わかってる。今まで、何度もそんな思いをしてきたから、この現実がどれだけ変え難いものなのかっていうのも、わかってるんだ。」

 

勝てないという事実が、どれだけ覆るのが難しいのかを、私は知っている。その現実が、自分という存在にとって、どれだけの脅威なのかも、理解している。

....だからこそ、前を見よう。

「だからね、諦めないよ。もういっかい、ううん、何百回も、何千回も、私が走れる限りね、全力で努力する!全力で、全部を走ることにかけて、それでね、もういっかい!ここに立つの!そこでね、絶対ね、渡すから!」

 

そして私は、トレーナーの目を見つめて、距離を縮めながら、笑顔でこう宣言するんだ。

 

「有馬の1着、トレーナーにあげる、私からのクリスマスプレゼント!」

 

もしかしたら、もうこの舞台に呼ばれないのかもしれない。その可能性が高いことは、よくわかっている。だから、私のこの発言は、きっとあまりにも現実味がなくて、不確定で、笑えるような発言なのかもしれない。それでも、それでも私は....

 

トレーナーとなら、そんな未来を変えれるって、信じてる。

 

「....強くなったな、ウララ。」

 

優しく微笑んで、トレーナーはそういうと、私に、拳を突き出す。

 

「んじゃよ、俺にくれや!そのクリスマスプレゼント!待ってるからな!」

 

にかっと、明るく微笑んで、彼は私にそう言った。

 

「私もね、負けないから!だから、その時は勝負だよ!ウララちゃん!」

 

ライスちゃんも、トレーナーの隣から、その小さな拳を突き出して、にこりと微笑んでいる。

 

「...うん!うん!私もね、絶対負けないから!」

 

私も、その二人に拳を突き合わせて、明るく笑った。

 

とても大切なレースに負けた。それでも、前を向く覚悟ができた。

それを証明するかのように、私達の間に、大きな笑い声が響き渡る。

 

....もう、涙は流れなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ウィニングライブを見終わり、ウララの控室へと、足を進めた。彼女の扉の前まで行き、ウララの控え室の扉を開けようとすると、中からキングの声が聞こえてきた。ライスの控え室の扉からも、ミホノブルボンの声が聞こえていた。

 

...こりゃー、しばらく待機だな。

 

廊下を少しだけ進み、自動販売機でホットの缶コーヒーを買った。ファルコンも控え室に呼びたかったのだが、今のウララの心境を考えて会いに行くことを彼女は選ばなかった。

 

壁にもたれながら、ちびちびと、たいしてうまくもないコーヒーをすすりながら、あの光景を思い出す。

 

ウララが、ライスとスペシャルウィークに並んだ、あの光景を。

 

そして、思い出すたびに、鳥肌が立ってくる。

本当に、痺れる走りだった。

 

それでも届かない、超えることができない、敗北という壁。

 

「...ほんとに、厄介だな。」

 

苦笑いとともに、愚痴がこぼれた。

あれだけやっても、届かない世界がある。

あれだけの走りをしても、届かない世界がある。

わかっていたことだ、けど、それでも

 

「...悔しいな、くっそ....。」

 

叫びたい衝動を懸命に抑えて、小さく毒づいた。

 

「おや、君ならハルウララのところにいると思っていたんだがな。」

 

不意に、誰かの声がした。その方を見ることなく、俺は無言を突き通す。その反応を楽しむかのように、その声の主は廊下をゆっくりと進みながら、俺の方に近づき、何をいうまでもなく、俺と同様に隣に立ち、壁にもたれた。

 

「...観戦、しててくれたんですね。シンボリルドルフさん。」

 

大人びた私服に身を包んで、それでも尚、強者のオーラを保った皇帝に、俺は声をかける。

 

「君と私の中だ、ルドルフで構わない。...ああ、観戦していたさ。...本当に、惜しかったよ。」

 

小さな笑みを、悲しげに浮かべて彼女はそう言うと、自動販売機に向かい、俺と同じ缶コーヒーを買った。

 

惜しかったよ、そう呟いた彼女に、俺は何もいうことなく、ただただ、缶コーヒーをゆっくりと飲み続けた。彼女もそれを気にすることなく、再び俺の隣にいき、コーヒーを口にしていた。

 

「...それ、まずいでしょ?シンボリルドルフさん。」

「まあ、美味とは言えないな....それにしても、君はブレないな。」

 

ルドルフと呼ばなかったことに対して、彼女は苦笑いで済ませ、再びコーヒーを口にする。

 

「ウララの走りは、貴方に何を見せましたか?」

 

そんな彼女に、俺は形のない質問をした。

抽象的で難しい質問だが、彼女なら理解してくれると、なんとなくそう思ったからだ。

 

「ふふ、中々に抽象的な質問だな...そうだな、彼女が私に見せたもの...か。」

 

彼女は少しだけ考え込むように顎に手をやり、目を閉じた。

彼女が見たいと言っていた景色を、ウララは見せることができたのだろうか。才能の壁にぶつかるその様を見て、彼女は落胆したのだろうか。

不安と疑問が、彼女の言葉を聞くまで、頭の中を駆け巡る。

 

「ふむ、そうだな、一言で言うなら...私が見えた、とでも言おうか。」

 

しばらくして、彼女はそう口にして、俺の方を横目で見た。

 

「シンボリルドルフさん自身が、見えたのですか。」

「いや、正確には照らし合わせたと言うのが正しいのかもしれないが...あの一瞬、ハルウララが、スペシャルウィークとライスシャワーと共に先頭に並んだ時...私は、不覚にもそこに照らし合わせてしまったんだ。

サンタアニタ競馬場、サンルイレイステークス。アメリカでの大敗をした、私自身をね。」

 

苦笑い混じりに彼女はそう言って、一口、コーヒーを口にする。

彼女のコーヒー缶はまだ熱を持っているようで、その飲み口から、湯気が立っているのが目に入った。

 

「...恥ずかしながら、涙が出てきたよ。ああ、私は、あそこに並ぶことができたかもしれないと、そんな未来が、あったのかもしれないと、ハルウララが、そう思わせてくれた。そこに並ぶ景色を、彼女は見せてくれたんだ...本当に、感謝しているよ。」

 

ずっと遠くを見ている、そんな表情を浮かべながら、彼女はゆっくりと俺にそう語った。それを見ながら、俺は自分の残り少ないコーヒーを飲み干した。

 

「...それは、あなたが見たい景色でしたか?」

 

どこか悲しげな表情を浮かべる彼女に、俺はもう一度質問をする。

 

「....いいや、私の見たい景色は、もっと先にあるよ、トレーナー君。」

 

その質問に、彼女は首を振ってそういい、肩をすくめて笑った。

 

「無論、それは君も同じだろう?」

 

そして、彼女はいたずらな表情を浮かべてそう言うと、俺と同様に、缶コーヒーを飲み干した。

 

「..ええ、僕も同じですよ。」

 

その言葉が何を意味しているのか、口にしなくとも、明白に理解できた。だから、俺も小さく、そう返事をする。

 

「てっきり、笑われると思ってました。才能には勝てないじゃないかって、あれだけの言葉を言って、敗北という結果を彼女に与えた俺を、笑うんじゃないかって、そう思ってました。」

 

缶のゴミを彼女から受け取り、ゴミ箱にそれを捨てに行きながら、俺はなんとなく思っていた事を、口にした。

 

「笑う?....ああ、確かに、君の言動や行動を省みると少々情けなくはあるかもしれないな...しかし、確かにあの走りは、奇跡に限りなく近い景色を、私達に見せてくれた。それを笑うと言うのは、無粋だろう?」 

「...ま、しっかり俺は今しがた笑われましたけどね。」

 

小馬鹿にされた仕返しに、俺は彼女にそう返した。彼女はそれに小さく笑い、自身の腕時計を見た。

 

「...もっとゆっくり話していたいのだが、私も予定があるのでね。これで失礼するよ、トレーナー君。....またいつか、ここに彼女が立つことを、そして、私に完成したその景色を見せてくれることを、信じているよ。」

 

小さな笑みを浮かべて彼女はそういうと、出口の方に向けて、綺麗な足取りで歩みを始めた。その後ろ姿は大人びていて、本当に自分よりも年下なのかと疑いたくなる。

 

「....ああ。いつかきっと、あんたに見せるよ。...またウララがここに立つことを、そんな未来を、信じてくれて、ありがとう...ルドルフ。」

 

彼女の、その小さくなった背中にそう呟き、ベンチから腰を上げる。

皇帝、レースの全てを知っている彼女が、不確定な未来を、信じてくれると、そう口にしてくれた。

それが、どれほど勇気が出る言葉かは、言うまでもないだろう。

思わず熱がこもった体の力をゆっくり抜きながら、彼女たちの控え室へと足を進めていったのだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

願いを背負って負けることの痛みを、初めて知った。

この痛みは、誰かからの罵声よりも、ブーイングよりも痛くて

怒りが、後悔が、涙が、止まらなかった。

ウララちゃんと、何も会話することなくお互いの控え室に向かった。

いや、しなかったんじゃない、できなかった。

もう、声を出す余力がないぐらい、泣いていたから。

控え室について、力が抜けたように、椅子の上に座った。

座ってしまうと、もう二度と立たないんじゃないのかと思うくらいに、身体が疲労しているのがわかった。

項垂れるように下を見たあと、目の前の机に置いてあったペットボトルの水を、一気に飲み干す。

 

「...私が、また皆んなを、不幸にしたんだ。」

 

応援してくれた人のために、前を向かないといけない、ウララちゃんがそう言ってくれて、そうしようって決めたのに。

その事実を口にしてしまうと、感情を抑えることができなかった。

 

「なんで、なんでなんで!なんでいつも私は!大切な時に、全部ダメにしちゃうの!せっかく応援してくれたのに、せっかく信じてもらえたのに、なのに、なのに...!」

 

自分に対しての怒りが、どこにもぶつけようのない悔しさが、言葉とともに溢れては、虚しく消えていく。泣いたって仕方がないのに、また涙が出てくる。

 

「...ライスさん、今よろしいですか?」

 

そうやってしばらく泣いていると、聞き覚えのある声がした。

その声に、私は小さく返事をした。

相変わらず機械みたいに無機質で、静かな声...それなのにどことなく暖かい声音で一言

 

「ありがとうございます、入りますね。」

 

そう言って彼女は、控室の扉を開けて、中にゆっくりと入って来た。

断ろうとは、微塵も思わなかった。だって、今の私にそんな権利なんて、ひとつもないんだから。

 

部屋に入って来たブルボンさんは、手に小さな花束と手紙を持っていて、それを私の前にある、丸い机の上に置いた。

 

「...これは?」

「ライスさんのファンの皆様が、ライスさんに渡して欲しいと、控え室に向かう私に預けた代物です。手紙は、レース直後に書かれたようです。」

 

私の疑問に、ブルボンさんは少しだけ笑みを浮かべてそう言うと、私の反対側の椅子に腰をかけた。

ブルボンさんの座った姿はとても綺麗で、本当に機械人形のように感じてしまうほど、凛としていた。

 

「最後の直線、惜しかったですね。...本当に。」

 

そんな姿に見惚れていると、唐突に、ブルボンさんが私に語りかけた。

その言葉は、心の底から絞り出しているような声音で、それだけで、ブルボンさんが自分のことを応援してくれていたんだって、気がつけてしまう。

 

「...うん、あと、ちょっとだったね...でもライス、全然ダメだった。」

 

そんなブルボンさんに合わせる顔がなくて、俯きながら、私は自己嫌悪をあらわにした。

 

「頑張れって言われて、初めてたくさんの人に応援されて、やれることは全部やったのに...結局、私はダメな子なんだよ。周りのみんなに何も返せない...私は...」

「そうやって自分を否定して、逃げているつもりですか?」

 

止まらなくなった自己嫌悪を続けていると、ブルボンさんのその言葉に、私の言葉は遮られた。

 

「自分はダメな子なんだ。そうやって自分を攻めて、痛みに耐えて、その先に何があるんですか?負けた事実だけを見て、下を向いて、そこにどんな成長があるんですか?....敗北を見つめているふりをして、何になるんですか。」

 

その声音は、あまりにも厳しくて、尖っていて、そして

...あまりにも、自分勝手な言葉に、聞こえた。

 

「見つめてるふり?下を向いて何があるか?何でそんな風に言えるの!ブルボンさんに何がわかるの!わからないくせに!私の気持ちなんて、一つもわかってない!敗北を受け止めて、自分を責めて、なんでそれで逃げてるなんていうの!何からも逃げてない!私は、私は!」

 

怒りで、いつもでは考えられないほどの声量が、私の口からでていた。

机をだたいて、目の前のブルボンさんの目を睨みつけた。けど、彼女は一つも動じずに、そして、何故か優しく微笑んで、こう言った。

 

「...応援してた人達の声から、逃げてるんですよ、ライスさんは。」

 

それは、見ないようにしていたもので、無視しようとしていたもので

....今1番、怖いものだった。

 

「ここにある、数枚の手紙、今、読んでみてください。」

 

ブルボンがそう言って、そのうちの一枚を、私に手紙を差し出した。それを震える手で受け取って、丁寧に開封した。

文章を、今の自分に言い聞かせるように、ゆっくりと読んでいく。

 

「...なに、これ。」

 

その思いを受けて、自然と声が漏れた。

 

「こんなの、私知らない、だって、私は、私は..負けたのに、なんで!」

「...けれど、それがあなたの見せた景色なんですよ、ライスさん。」

思わず叫んだ私の頬に、ブルボンさんが、優しく手を差し伸べた。

 

手紙に書いてあった言葉。『感動しました。』『これからも応援してます!』『本当に、すごい走りでした』...それから

 

『俺たちの想いを背負って走ってくれて、ありがとうございました。』

 

その言葉の一つ一つを読むたびに、込み上げてくるものが抑えられなくて、嗚咽と共に溢れ出してくる。それを、ブルボンさんは優しく拭き取ってくれた。前の席から移動して、私を後ろから、優しく抱きしめてくれる。

 

「ライスさん、貴方は確かに負けた、その事実は変わりません。...けれど、確かに今日貴方は、誰かを幸せにしたんです。その名の通り、幸運を与えたのです。...私も、その幸せを貴方から受けとりました。」

 

後ろから抱きつかれているから、表情は見えない。けれど、不思議と笑っていふような、そんな気がするほどの、温かい声音で、ブルボンさんはそう続けた。

涙と嗚咽で、私は何も言えなかった。何も言えずに、それでも、手紙を大切に握りしめて、生まれたばかりの赤子のように、泣きじゃくった。

その間、ブルボンさんはずっと私を抱きしめてくれていて、やっぱりこの人は優しいなと、心からそう思った。

 

「私、また走ってもいいの?」

「ええ。貴方が走らないと、私が困ります。」

「...また、負けるかもしれないんだよ?」

「構いません、レースとはそういうものです。全力を出して負けたなら、そこからまた這い上がればいい。」

「....またみんなの期待を、裏切るかもしれないんだよ?」

「例え誰かの期待を裏切ろうと、誰かが傷つこうと、貴方は走らなくてはいけないんです。.....何故ならね、ライス。」

 

震える声で、何度もブルボンさんに質問した。もう走る資格がないんじゃないのかって、そんなふうに思っている自分を、ブルボンさんは優しい言葉と共に、壊してくれた。そして、その日初めて私を呼び捨てにした彼女は、こう続けたのだった。

 

「貴方が、貴方の走りが、私達の希望だからです。」

 

いつもとは違う、本当にあったかい声音で放たれたその言葉は、私の心にスッと入って、そして、固まっていた恐怖心を、溶かしてくれた。

 

「...私が、希望?」

「ええ、そうです。その手紙を書いた、貴方のファンの方々。...そして、私自身。貴方の走りを見ると、勇気が出るんです。力が出るんです。....それは、貴方にしかできないんですよ?ライス。」

 

抱きしめていてくれた体をスッと離して、ブルボンさんはそう言い終えると、再び私の前の席に座った。

 

「...そうですね、ライスにとっておきの魔法をかけてあげましょう。」

 

しばらく無言で何かを考えていた彼女は、何かを思いついたように耳を張って、私にそういうと、人差し指をピント張って、ひとつ、咳払いをした。

 

「....しのごの言わずに走りなさい!ライス。」

 

どんな魔法なんだろうと、内心ワクワクしていると、ブルボンさんが突然大声で、私にそう叫んだ。

びっくりして、思わず変な声が出てしまう。

 

「...どうですか?ライス。」

 

そんな私を見つめながら、彼女は不安そうに首を傾げ、下から私を覗き込んできた。

 

「...ぷっ、あははは!」

 

そんな、何もかもが普段とは違う彼女を見て、私は思わず吹き出してしまう。不安そうにしている彼女が、あまりにも可愛くて、急に叫んだ事が、あまりにも面白くて、言葉がストレートすぎるのも、またツボだった。

笑っている私を見て、ブルボンさんはどうして笑っているのかわからないと言った様子で、ひたすらに不思議そうにしていた。

 

しばらく笑って、今日初めて、心から笑顔になれたんだと、その時気がついた。

ずっと、自分にかかっていたモヤが、晴れていくのを感じた

 

「...うん、とってもね、元気が出たよ。」

 

しばらく笑った後に、私は彼女にそう伝えた。

私の返事を聞いて、ブルボンさんは嬉しそうな表情をして、

「よかった」と、そう小さく、呟いていた。

 

小さく拳を握って、私は言葉を続ける。

 

「...それからね、私決めた。私、走るよ。」

 

それは、彼女の魔法の言葉によって、決めれた事なのかもしれない。

誰かの希望になれるなんて、正直信じられない。

今日の走りで感動してくれた人達がいた事が、嬉しくて仕方ない。仕方ないからこそ、もっと負けた自分が、許せない。

敗北が怖い。期待を裏切るのが怖い。....けど、彼女が言ってくれた。

 

しのごの言わずに、走ればいいと。

 

「負ける恐怖も、期待も、何もかも背負って、私は走る。どんなに苦しくてもね、逃げたくなっても...この足がある限り、走り続けるよ。」

 

真っ直ぐな目を見て、彼女に伝える。もう、逃げたりなんてしないと、固い決意を持って、そう伝えた。

 

まだ、恐怖はある。期待なんてされたく無いって、思う自分もいる。

けど、それでも私は、走るんだ。

その全てを薙ぎ払えるまで、走り続ける。

 

ブルボンさんは、本当に嬉しそうに、私の話を聞いてくれていた。

彼女の表情がこんなにも変わるのは、後にも先にも、今日が最後かもしれないなと、その時に感じた。

...だから最後に、照れる彼女を見たくて、私はこう聞いてみたんだ。

 

「...それからね、ブルボンさん....もしよかったら、ブルボンちゃんって、呼んでもいい?」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「はい!ウララちゃん!メリークリスマス!」

「おおお!ライスちゃん!なにこれ可愛い!お花の栞?」

「えへへ、そうなの、これはマリーゴールドって言ってね...」

 

 

有馬記念の翌日、今、俺達はチーム内のメンバーで(キングやファルコン、ミホノブルボンも含めるが)トレーナー室の中で行われる、ささやかなクリスマスパーティーを楽しんでいた。

敗北の悲しみや悔しさはきっと残っているだろうが、それでも今は彼女達は心から楽しんでいると、俺は側から見てそう感じている。

 

「ライス、これをどうぞ、メリークリスマスです。」

「え!私にプレゼント!?嬉しい!えへへ、なんだろうなぁー」

「単四電池です。」

「....え?」

「いえ、冗談です。可愛らしいハンカチがあったのでそれをプレゼントとして入れてあります。」

「だ、だよね!冗談だよね!」

 

なにやら冗談には聞こえないミホノブルボンの冗談に動揺するライス。

...あれ?今ミホノブルボンがライスを呼び捨てにしてたような...

 

「キングちゃん!あのね!朝ね!キングちゃんそっくりのサンタさんに会ったの!キングちゃんも起こそうとしたんだけどその時いなくて...会って欲しかったなー」

「お、オホホホホ!キングにその必要はないわ!な、なぜなら私は、サンタさんの連絡先を持っているのですから!いつでも連絡が取れるのよ!」

「ええ!凄い!流石キングちゃん!」

「ファルコもそのキングちゃんにそっくりなサンタさんに会いたいなー☆」

「え、えええ!もちろんですとも、ぜひファルコンさんもご一緒に」

 

こっちはこっちで、ウララとキングと、そのキングをいじっているファルコンが楽しそうに話しているのが視界に入った。

 

...キング、良いやつだよなー。

 

最近になって、ウララの交友関係上、キングの事を少しずつ知ってきたのだが、その好感度の上がり方に戸惑っている自分がいる。

 

「ねえ、トレーナーさん、ピザ取ろうよピザ!私ピザ食べたい!」

「おにぃ...私も、ピザ食べたいなー!トレーナーさん!」

 

そんなキングに対しての感情を抱いていると、ライスとウララが俺にピザを取りたいとせがんでくる。

ライスがお兄様、なんて、みんなの前で言わなくて本当に良かったと心から安心しながら、俺はその提案を速攻で了承した。

 

「おう、任せろや、ピザでもチキンでも、お前たちが欲しいもんならなんでも買ってやるぜ。金なら任せろ、最悪、アコムから借りればなんとかなるわ。」

「...貴方、ウララさんの前でアコムなんて言葉、二度と吐かないで。」

 

キングからの割とマジトーンな言葉をスルーして、俺はウララとライスが食べたがってるピザを注文した。無難にマルゲリータと、プルコギポテトと呼ばれる二種類のピザだ。

 

「でもこういうのって、チラシで見るのと、実際の商品が結構違う時あるよなー。」

 

頼んだチラシを見ながらソファーに座り、しれっとライスがついでくれたコーヒーをすする。....なんか異常にしょっぱいけど、口にはしないでおこう。

 

「こら!トレーナーさん、それ禁句だよ禁句!写真で見た時と実際の顔見た時の違いを指摘するぐらいナンセンスなんだからね!ま、ファルコは両方かわいいけど☆」

 

しょっぱいコーヒーを机に置き、なんとなくチラシを眺めていると、後ろからファルコンが俺に、中々生々しい例えで注意をしてきた。

 

「おま...現実的な例えしてくるねー....出会い系とか、してないよな?」

「してないよ!...え?ちょ、してないからね!してないんだから!」

 

なんだか怪しい匂いがするファルコンを尻目に、俺は再びピザのチラシに目を移す。

 

「ねね!出会い系、ってなに?」

「こら!ウララさん!そんなこと気にしなくていいの!」

 

「...ライス、出会い系、とはなんですか?」

「えっと、多分たくさんの人達と友達になれるアプリ?じゃないかな?」

 

チラシをぼーっと眺めていると、周りからそんな会話が聞こえて来きた。....マジで発言には気をつけよ。

 

彼女達の純粋さに、改めて自身への改善を強めたところで、キングが、何かみんなでゲームをする事を提案した。

 

「いいね!でも、なんのゲームするの?」

「そうね....みんなでできるものだから、複雑すぎてもダメ!けど、簡単すぎても面白みが欠けるわ!そこで、一流のキングが思いついたのはこのゲーム!その名も、大富豪よ!」

 

高らかな笑いと共にキングはそう宣言し、俺の前にあるソファーに腰をかけた。ライスが俺の隣へと座り、その横にブルボン、キングの隣にウララとファルコンが順に並ぶ形になり、みんなが着席したところでキングがルール説明を始めた。

 

「いい!まずはこのトランプゲームは2が最も強くて、3が最も弱い、それ以外のカードは基本的に数が上のもの、もしくは同じものを相手が出したトランプの次に置いていくというルールね!ただし、役職があるの、今日使うルールは、11バックと、8切り、7渡しよ!11バックは、Jのカード以降、出した次の数の強さが逆転するっていう役職ね、例えば、普通は4よりも5のカードが強いけど、その強さが逆転するの。8切りは、出た時にその場を切ることができる効果よ!11バックが出ている場面が嫌な時はこれでリセットすることができるわ!7渡しは次の順番の相手に7を出した枚数だけ手札を渡せるという効果よ!どう?一流の説明は?完璧でしょ?オーホッホッホ!」

 

説明を終えて、高らかに笑うキング。しかしながら、その隣にいるウララはなにも理解している顔をしておらず、窓の雲をみてぽかーっとしている。隣のライスも、ふん、ふんと必死に頷いていたが、説明が終わってから硬直してしまった。ミホノブルボンは、「機能、テイシ」と言いながらウララと同様に、雲を眺めている。

 

....はぁーまあ、そうなるよなぁー

 

わかってはいたことだが、骨が折れるぞと思いつつ、やりながら彼女達に説明をしていく覚悟を決めて、ゲームがスタートした。

何度か試しにゲームを行い、ウララとライス、ミホノブルボンもルールを把握したようなので、ピザの枚数をかけた大富豪が始まった。

 

「オーホッホッホ!さあ!ウララさん!出してみなさい!ジョーカー1枚重ねの上にくる2!さあ!何か出せるものなら出してみなさい!」

「よ、よーし!諦めないもん!えっと、えっと...なにも、だせない...」

「あ!いえ!違いますの!ウララさん、その、ごめんなさい、私、貴方をそこまで傷つけるつもりはなくて...」

「えー、ファルコも出せないじゃんか!パスで☆...きゃ、パスしてるファルコも可愛い!」

 

.......。

 

「え、えい!8切り!こ、これで、えい!7渡し!ブルボンちゃん、これ、あげるね」

「...ライス、このカード、貴方の切り札に近い存在のはずですが...よろしいのですか?」

「う、うん!ブルボンちゃんに、幸せになって欲しいから...」

「...未知の感覚を確認、データを分析中、分析中...」

 

........。

案の定カオスが繰り広げられたが、ピザが来るまでの時間はあっという間だった。結果は、俺の圧勝、キングが、ウララが悲しそうにした以降、役職がついたカードを出す事を躊躇ったり、わざと負けるなどして惨敗、ライスがその次に負けたという形になった。

 

「意外とトレーナーさん、強かったねー。」

 

ファルコンが意外だというように、ピザを食べながら俺に声をかけた。

 

「まあ、一応この手のゲームはやってきたからな、それなりにはできるぞ。」

「へぇー、案外知的なんだね☆」

「そりゃあー、まあ、一応トレセン学園のトレーナーですから。」

ファルコンに褒められることに若干照れつつも、俺はそう返事をしてピザを手に取った。プルコギポテト味とは想像できなかったが、口に入れるとなるほど、人気なわけだ、肉の旨みとポテトの塩辛さ絶妙に合う。これは...ビールが欲しくなるな。まあ、コーラで我慢するけど。

 

「キングちゃん!ライスちゃん!ブルボンちゃん!見てみて!チーズがね、びよーんって!」

「あ、こら!食べ物で遊ばないの!」

「ウララちゃん、凄いねー!チーズってそんなに伸びるんだ!」

「....ビヨーン」

「ミホノブルボンさんも!やめてください!」

 

向かい側のソファーでは、チーズを伸ばして遊ぶ彼女達と、それを叱るキングというなんとも微笑ましい光景が広がっており、それはそれは大変素晴らしいものだった。

 

「....なんだかさ、悪くないよね。こういうの。」

 

そんな光景を見ながら、ファルコンがポツリとつぶやいた。

 

「...ま、賑やかすぎるのも困るけどな。」

「ふふ、そう言いながらも、トレーナーさん、結構楽しんでるでしょ?」

「うるせ。」

 

からかってくふファルコンを無視して、俺はピザを口に運んで、一気にコーラで、それを流し込んだ。口の中の脂が、炭酸によって流される爽快感で、溶けていく。

 

そういえば、レース以外の何かのイベントを、こうして彼女達と過ごすのは物凄く新鮮な気がする。互いが互いと笑い合い、遊んで、話して、そうやって、あったかい思い出を、共有していく時間。

それは、レースという残酷なものが繋ぎ合わせた、限りなく勝つことには不要な時間で、非効率的な時間とも言える。

 

....けどまあ、うん、そうだな、たまには

「....たまには、こういうのも、アリだな。」

 

「へへー!やっぱり☆トレーナーさんだって楽しんでんじゃん!素直じゃないなーもう!」

「...たまにはだぞ、たまには」

「はいはい、たまにはね、わかってますよー☆」

 

完全にファルコンは俺をからかって楽しんでいるが、もうどうしようもないので今日は諦めることにした。

口にするんじゃなかったという後悔と共に、楽しくて幸せな時間は、すぎていった。気がつけばもうすっかり夜で、それぞれの部屋に戻らなくてはいけない時間となった。

 

「またね!トレーナーさん、みんな!今日は本当に楽しかった!」

「今日はご馳走様でした...貴方、ウララさん達の前で、変な言葉だけは吐かないようにね。」

「本日はありがとうございました。楽しい時間、思い出のフォルダに保存しておきます。」

 

 

三者三様の反応を見せながら、ウララとライスを部屋に残して、彼女達は自分の部屋へと帰っていった。

 

「ウララ、ライス、待たせてごめんな。少しだけ、話がしたくてさ。」

 

俺は、二人に少しだけ時間をくれるように頼み、この部屋に残ってもらった。ソファーに彼女達を座らせ、俺も対面のソファーに腰掛ける。

 

「ううん!トレーナーとのおしゃべり好きだから!私は全然いいよ!」

「うん!私も!トレーナーさんとのおしゃべりは、大好きだよ!」

 

明るく、恥ずかしいこと恥ずかしげもなく伝えて来る彼女達に戸惑いそうになる自分を押し殺して、俺はありがとうと軽く応えた。

 

「...有馬記念が終わって、これからしばらくの休暇がウララとライスには入る。その休暇が開いた次のシーズン。つまり、3月、4月に出るレースをいくつかピックアップしといたんだ。今のうちに確認して、決まり次第教えてくれ。」

 

俺は二人にレースの予定表を渡し、「少し早すぎたな」と軽く謝っておいた。

 

「ううん、私も、レースのことで頭いっぱいだったから、ちょうど良いよ!おにい...トレーナーさん!」

「うん!私もね、次のレースのことでいっぱいだった!だから、助かるよー!」

 

ライスとウララはそう言って、自分のレースの日程を確認している。

 

...次のレースのこと、か。

 

もう、彼女達は本当に前を向いているのだと、その言葉から確信した。

まだ子供の彼女達が、敗北から前を向くまでに、どれほどの涙を流したのかを、俺は知っている。

だから、ものすごく勇気がもらえるのだ。

無意識に、膝の上に乗せた拳を、小さく握りしめていた。

 

「...ねね、トレーナー、私のレース、長距離と中距離それも、ターフのレースばっかりなんだね!私ね、ターフも好きだけど、ダートも好きだよ?」

 

ウララは、自分のレースの予定表を見て俺にそう言った。

ウララの出走さるレースは、前シーズンとかなり変わっている。

ターフのものを中心にしており、距離も伸ばしている。

 

「ああ、お前がダートが好きなのはわかってるさ。気分転換で出たい時は出させるよ....ただな、俺は可能性を見たんだよ。ウララ、お前のターフを走る姿に。」

 

可能性?、そう口にして首を傾げるウララに、俺は頷く。

そう、ウララには、可能性がある。

ここから伸びない状況は、正直に言えば、大いにあり得る。

この日程を組んだことで、ウララにまた敗北の日々が重なる可能性も、大いにある。

 

...だからなんだ。

 

それを覆してきたのが、ハルウララなんだ。1%を現実にするのが、ハルウララの走りだ。

だから、俺はウララにかける。

そして、ターフという舞台で、何度だって、ウララを勝たせると、有馬の敗北から、決めたんだ。

 

「ライスは、6月からが本番だ。宝塚記念、新シーズンになって初のG1レースの舞台が、そこになる。」

 

俺は、ウララの隣で紙を凝視しているライスに話を振った。

 

「うん、そこまではG2までだもんね...よーし、頑張るぞ〜!」

 

ライスもやる気に満ち溢れた様子をみせ、拳を上に突き出した。

 

宝塚記念、芝、中距離。2200メートル。それは、ライスには短い距離だと言える。今回の有馬も同様に、後300メートルあれば、ライスが先頭に立っていただろう。極端なステイヤーというスタンスを、中距離で完璧に通用させるには、有馬よりもさらに短いこの舞台で、勝利を挙げておく必要がある。

 

「...ライス、本来お前は3000に近い距離でたたかうのが適正だと思う。それでも、俺はお前が有馬にかけてる思いを感じたからこの構成にしたんだが...どうする?お前は、どうしたい?勝てる距離をとるか、もう一回、有馬のチャンスに賭けるか。」

「そんなの、決まってるよ。私は、有馬に出る。もう一回ウララちゃん達に挑戦して...今度こそ、期待に応えてみせる。」

 

俺の疑問に対して、ライスは即答した。

 

「...そっか。ん、ならよかった。」

 

その圧に、俺は少しだけ押されながら、それでも目を逸らすことなく、彼女に微笑んだ。

 

ライスも、ウララも、それだけかけていたんだ。

 

...うん、それがわかればもう、充分だよな。

有馬に、俺たちは敗れた。それぞれの使命を、果たすことが出来なかった。

 

それでも、前を向いている。

誰ももう、下を向いてなんかいない。

..!だからこそ、恥ずかしげもなく、無責任に、それでいて、確信的な心を持って、この言葉を口にできるんだ。

 

「ウララ、ライス...勝つぞ、有馬で。」

 

その言葉をうけて、彼女達も大きく頷いて、こういうのだ。

 

「うん!勝つよ!トレーナー!」

「私も!絶対、勝つから!お兄様!」

 

真っ直ぐな声で、瞳で、俺にその意思を、伝えてくれた。

 

「...ライスちゃん?お兄様って?」

「あ、いや!ちが、ウララちゃん!違うの!」

「ええ!凄い!二人って兄妹だったの!?ええー!!全然似てないね!」

「.....はぁー。」

 

...まあ、ライスがとんでもない爆弾を落としていったのだが、それもまあ幸せの一興だろう。

 

 

出れるかわからない、勝てるかわからない。不確定な未来。

そこに向けて、俺たちはもう一度、走り出した。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ライスはあの後すぐに帰ったのだが、ウララはまだ残りたいと言って俺の部屋に残っていた。有馬のこともあったからか、延長の申し出を寮長のフジキセキにすると、案外すぐに了承してくれた。

 

「...私、昨日ね、久しぶりに家族3人で過ごしたの。」

 

今日の思い出話をしばらくした後に、彼女がポツリと、そう呟いた。

有馬の後、学校まで送ったときに、ウララは学校には帰らずに、ウララ達の両親が泊まっているホテルへと向かっていた。

久しぶりのお母様の退院もあって、3人で過ごす時間は、彼女にとってはとても幸せなものだったんだろうと、容易に想像できた。

 

「よかったのか?今日、俺たちと過ごして。」

 

だからこそ、気になった。そんな、久しぶりに再開できた家族と、クリスマスを過ごさなくてよかったのか。彼女は俺の質問に、笑顔で頷いた。

 

「うん...私ね、お母さんとお父さんの事、大好きだよ。....けどね、今日はみんなで過ごしたかったんだ。....お母さん達と同じぐらい、ここが私にとって大切な場所だから。」

 

まるで、ここから消えてしまうのでは無いのか、そんな想像をさせる、儚くて、美しい横顔をした彼女は、大事そうにライスからもらったプレゼントを握っていた。

 

「ありがとね。トレーナー、私に、この場所をくれて。」

 

そして、儚げな少女は俺の目を見つめてそう言うと、今度はゆっくりと、肩に頭を乗せてきた。

 

「...約束、守れなくてごめん。」

 

そして、小さく震えながら、彼女は言葉を紡ぎ続ける。

 

「みんなの期待を裏切ってごめん。トレーナーの夢を叶えられなくてごめん。応援に来てくれたのに応えられなくて...ごめん。ごめんなさい。」

 

俺に対して、そして、ここにいない、ウララを応援していた全ての人に対して、彼女は謝り続けていた。

俺は、そんな彼女に何か言葉をかけようとして、やめた。

俺の言葉で、彼女の罪の意識は、軽くならないから。

期待を裏切る辛さをずっと背負って、それでも前を向き続けたのは、他でも無い彼女自身だから。

だから、俺はただ黙って、泣きじゃくる彼女の頭を、そっと撫でた。

 

ずっとかかえていたんだろう。ずっと、傷ついてきたんだろう。

彼女の涙の一粒一粒が、今の俺には、棘のように痛く感じたのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 




本当に、予定を変更して申し訳ありません。
更新頻度が遅いことも申し訳ないです。
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