「あともう1本!ラストのカーブにある坂路を走る時、ストライドよりもピッチを意識することを保て!」
俺とウララは今高知の競馬場にきていた。彼女の生まれが高知であったことと、ダート場が設備されていること、フェブラリーSにでるためにまず必要なG3のレースプロキオンSに出場するための実績、そしてファン数をここで行われるレースで確保できるメリットを考え、俺は高知にウララと共に拠点を移した。トレセン学園からは遠隔で授業を受ける条件で承諾を得ることができた。これがトウカイテイオウやシンドリルドルフ、エアグルーヴなどのウマ娘ならそうはいかないだろうが、選考会、開幕戦で結果を残せなかった彼女にはトレセン学園に留めておくメリットがないと考えたのだろう。
1400メートルのダート場を懸命に走る彼女。
俺はそんな彼女を見ながら考えていた。
あの敗北の後、トレセン学園に残り、東京で20回、高知に来て15回レースに出たが、4着、2着、5着、4着、3着という風に続いている。確実に強くはなっているものの、結果は正直、一度も出せてはいない。試合で負けるたび、彼女は何度も涙を流し、けれども次の日にはけろりとして練習に参加している。その心情は正直わからない。何度も同じ思いをして、それでも笑っていられる彼女は、どこまでが本心で笑っているのか、どこまでが無理をして笑っているのか、どこまで、今の彼女の心はすりへってしまっているのか、俺にはまだそれがわからなかった。
田辺さんの言葉が、試合で彼女が負けるたびに、涙を流すたびに、俺の頭の中に響く。
『あの子はいくら頑張ってもトゥインクルシリーズで勝つことはできない。その劣等感に、努力しても報われない現状に、周りの人間においていかれる焦燥に、彼女は勝てると思うかい?君は、これ以上伸び代がない彼女が、レースに勝てると、そう言うのい?』
土煙を上げながら全力で走る彼女は一度もまだ弱音を吐いていない。勝てない焦燥に、劣等感に、まだ負けていない。だけど、いや、
彼女なら、絶対にそんなことは考えない。
俺は雑念を頭から振り払うように、最後の直線に入ったウララに檄を飛ばすのだった。
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プロキオンSまで残り1ヶ月。4月を抜け5月に入り、寒さの残った季節がだんだんと暑さを増してきた。俺は今日のウララのトレーニングを終え、彼女の走りのタイムや最終調整に必要なメニューを考えるために高知競馬場の隣にある小さな公園で軽くパソコンを操作していた。
G1フェブラリーSに出場するには重賞ウマ娘、つまり、G2.G3で賞をとり、S級ウマ娘にならなくてはならない。そして、それらのレースに出るにはダートレースOPでの連勝、もしくは上位入賞、そしてファン数の獲得が必要だ。
ウララは未だ連敗続きながらも確実にファンの数を増やしていた。高知新聞にも取り上げられ、『勇気のもらえるウマ娘』として紹介されていた。[諦めない走りに元気をもらえるんです] [どんな順位でも笑顔なところがいいですよね!]その記事にはファンの声が数々載っており、ウララの頑張る姿に関するコメントがたくさん寄せられていた。
その記事をウララはみるなり、
「えへへー、私、勇気のもらえるウマ娘なんだって!凄いでしょ!」と嬉しそうに語っていた。G2レース、根岸フェブラリーSに出る資格は連勝記録こそ取れなかったが、徐々に増えたファン数と、着々と伸ばしている順位のおかげで獲得することができた。
けれど、G2レースで3着以内になれなければ、彼女と俺の夢は終わる。
....勝たせてやれない。
彼女の頑張りに、努力に、見合った結果を、俺はまだ一度も彼女に与えれていない。そんな自分に、現実に俺は、どうしようもない怒りを覚えた。ーそしてー
「...ごめん。」
自然とそう、呟いていた。
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私は久々に帰ってきた地元に、安心感を覚えていた。トレセン学園に進学したくて東京まででて、楽しく過ごせていたのは事実だけど、地元のみんなと離れた寂しさがそれでなくなったわけじゃなかった。トレーナーとプロキオンステークス、やっと名前を覚えたこのレースに向けてたくさん練習した帰りは必ず、ここの商店街を通ることにしている。
高知競馬場から軽く走って10分ぐらいのところにある私の大好きなこの街。私がここに住んでた時にあったお店がいくつかなくなってて少し寂しい気もするけど、でも、ここの居心地の良さは変わらなかった。何となしに商店街をあるき、私は小さい時からよく通ってたコロッケ屋さんの前にきた。
「あら!ウララちゃん!今日もお疲れ様!いつものでいいかい?」
「うん!いつものにんじん入りコロッケひとつ!」
「あら?今日は一つでいいのかい?なんなら、もひとつサービスするよ?」
いつもは二つ以上頼む私が一つしか頼まなかったことを怪訝に思ったおばさんは私にコロッケをもう一つ追加で渡そうとする。
「ううん!本当はね、私も食べたいんだけど.....」
レースが近く、体重を落とさないといけないことを伝えるとおばさんは、あら、そりゃ悪いことしたねぇーと笑ってコロッケを一つだけ渡してくれた。コロッケをかじりながら懐かしい商店街を抜けて、私は家に着いた。
初めて東京から実家に帰った時、母は病院に入院しているため家にはおらず、父は大阪に職場があるため、祖母しかいなかった。
「たっだいまぁー!」
元気に扉を開け、中に入ると祖母の声はしなかった。いつもは出迎えてくれるからきっと買い物に行っているのだろうと思い、玄関で靴を脱ぎ、リビングに向かう。
「おかえり。」
リビングにいくと、少し白髪が増えた父がいた。
「え!お父さん!?帰ってたの!?」
父は、高知の本部にまた戻されたのだと私に伝え、それっきり何も言わずにテレビをつけた。
父は昔から寡黙な人で、それでも私と母にとても優しくしてくれていた。
『さあ!本日のダービーウマ娘はここまでとなります!最後に、細川さんの一押しのウマ娘の紹介で終わりましょう!』
テレビからはダービーウマ娘という次の有馬記念を取るであろウマ娘たちを紹介する番組がやっていた。
『そぉーですね、やはり私の一推しはサイレンススズカです。彼女の逃げについていけるウマ娘はそうそういませんよ。』
細川さんというおばさんが一推しのウマ娘について解説を入れたところで父親は番組を変えた。
次に父がうつしたのは高知県の地元の番組で、そこでは私が何度負けても諦めない、『勇気のもらえるウマ娘!』として紹介されていた。
「あ!これ私がこの前取材されやつだ!」
私はそう父に自慢してどんなことをしゃべったかを伝えた。でも父は何も言わずに、黙ってテレビを消してしまった。
「え!お父さん!何で消すの!?」
私は父に自分のインタビューされてるところを見てもらいたくて、もう一度テレビをつけようとリモコンに手を伸ばす
「まだ、レースに出てるのか。」
けれど、その一言で手が止まった。
「....うん、こ、今度のプロキオンステークスってレースにも出るんだよ!このレースの名前なかなか覚えれなくてさー!最近、なかなか勝てないけど毎日トレーナーと頑張ってるんだ!タイムもちょっとだけだけど上がってきてるし!うん!次はいけると思うの!」
何度も、何度も自分に言い聞かせた言葉を、父に伝えた。なぜか知らないが、変な汗がでてくる。
「そうか。」
それだけ父は言うと、キッチンに向かった。
何か飲むかと聞かれ、私はココア!と答えて、やっぱりお茶でいいと言った。
レースの為に今よりもあと3キロ、筋肉をつけながら落とさなくてはいけない。勝つ為に、少しでも削れるものは削りたい。
父は両手に自分用のコーヒーと私のために入れてくれた緑茶をもって、席に座った。
父が入れてくれた緑茶からはまだ入れたてだから熱い湯気がたっていた。
「よく、冷まして飲めよ。」
父はそう言うとコーヒーを一口、すすった。
私もふー、ふー、と緑茶をさまして、一口飲んだ。あったかい風味が、体に心地良い。
「...ウララ」
父は何も映っていないテレビ画面を見ながら、ふと口を開いた。
私は、なに?と返して父の言葉の続きをまった。
「走るのは、楽しいか?」
その質問が父の口からでたのは、何年ぶりだろう。私がトレセン学園に行くと言った時、父は反対した。レースでの結果が求められる学園に、お前を入れることなどできないと。あそこまで感情的な父を見たのは初めてで、少し怖かったのを覚えている。でも、最終的には認めてくれた。志願書に父がサインしている時、私に、走るのは好きか?、と唐突に聞いてきたのを覚えている。
あの時はすぐに答えることができた。自然とでた笑顔で、だって、走るのが楽しいなんて、当たり前のことだから。当たり前のはず...だった。なのに、
「....うん!楽しいよ!」
私は、すぐに答えることができなかった。
「あのね!トレーナーとね、今までとは違うメニューを最近やってるの!なんかねー、坂道をね、」
私は、それを誤魔化すかのように、必死に、笑顔で、走るのが好きだと、トレーナーとする練習が楽しくて仕方ないのだと、そう父に伝えた。
そう、楽しいんだ。走るのは楽しい。トレーナーと練習してく中で確かに成長はしてる。楽しいんだ。強くなってる。大丈夫、辛くなんてない。次は勝てる。大丈夫、大丈夫、、絶対に、大丈夫なんだ。
不意にでそうになった言葉を、逃げ出したい感情を、私は懸命に、心の中にのみこんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
俺はウララの出走登録を済ませ残った事務仕事を終え、プロキオンSに出るために東京に戻る準備をしていた。最終調整はトレセン学園内で行うことにし、その時間や詳細をウララにメールで送った。彼女からは了解!と言うふた文字とスタンプがすぐに返信され、その元気そうなスタンプに少しの安堵を覚えた。
荷物を整理していると、今日の練習中の彼女を思い出した。
残りの400メートル、最後の追い上げ、いつもなら全力で走りきる彼女は、明らかにいつもよりもペースダウンして走しりきった。
どこか体調が悪いのかと聞くと、平気平気と彼女は答え、タイム出せなかったからペナルティで走り込んでくる!といい何本か坂路を走りに行った。
もしかしたら、彼女はもう走りたくないのかもしれない。
そんな不安が、最近よく生まれる。何度も打ち砕かれ、きっと、普通のウマ娘ならここで平然とやめるはずだ。勝ちのない中でウマ娘としてレースに立ち続けることができるほど、この世界は甘くはない。そんな現状を、きっと彼女は分かった上で今もなお走り続けている。それは、きっと彼女がまだ自分の走りを信じているからだと、勝利を望んでいるからなのだと、そう信じて、俺は嫌な考えを捨てる。荷物をまとめ、忘れ物の確認をしていると、蹄鉄の雑誌を見つけた。
そう言えば、ウララは支給された蹄鉄をずっと使ってるな。
トレセン学園に入学すると同時に、ウマ娘達は必要なレース道具を必要とされる。その際、ウマ娘達は、彼女達の脚力を支えるのに必要不可欠な蹄鉄(靴のつま先あたりに入れる錘のようなもの)を支給されるのだが、それはあくまで支給用であり、彼女達の脚力などは一切考慮されていない。
俺は携帯を開き、ウララにメッセージを送る。
明日、東京に帰った後、練習終わりに
時間あるか?
しばらくして、あるよーと返信が来た。
蹄鉄を見に行く以外にも、何か彼女の疲れを癒せることをしようと考え、俺は久しぶりにデートプランのようなものを考えたのだった。
トレセン学園に戻るために、荷造りなどの準備をしているとトレーナーからメッセージがきた。
明日、東京に帰った後、練習終わりに
時間あるか?
なにするの?と聞こうと思ったが、楽しみにしていようと考えてあえて聞かなかった。
支度を終えて自室からリビングに出ると父が机に伏せて寝ていた。父は晩御飯の時に酒を飲んだ後は、大抵こうして机の上で寝てしまう。けれども、次の日には普通に起きて出社するから少し面白い。私は父にそっと毛布をかけて、今日父に言われたことを振り返る。
ー走るのは、楽しいか?ー
ずっと、考えないようにしてた。考えてしまうと、トレーナーとの約束が、守れなくなるから。トレーナーの言葉を、考えを、全て裏切ってしまうことになるから。でも、父の言葉を受けて、私は思ってしまったんだ。
ーーー楽しく、ない。ーー
わかってたことではあった。その覚悟もあったつもりだった。毎日ギリギリまで追い込んで、全力を出して、自分がやれる限りのことはしてきた。でも、何もでない。何も掴めない。なんで私はこんなに苦しいことをしているのだろう、なんでレースに出ているのだろう。何十回、私は涙を流したのだろう。何十回、私は自分のことが嫌になっただろう。本気になってるからこそわかる、悔しさを、あと何回味わえばいいんだろう。辛い、悲しい、何より...トレーナーの期待に応えられないことが、怖い。もし彼に、見放されたら私はどうしたらいんだろうか、彼の信頼が無くなった時、彼と走れなくなってしまった時、私はどうしたらいんだろう...彼は、私が勝てることを、あと何回待ってくれるのだろう。そんな恐怖が、辛さが、走る度に私を襲う。
「まだ、起きてたのか。」
自己嫌悪に押しつぶされそうになってる時、父の声が聞こえた。どうやら起きてしまったみたいだ。
「う、うん!明日にはね、もうトレセン学園に帰ることになったの、レースまでの最終調整あっちで行うんだって、いやー、寂しくなるねー。」
私は先程の思いを忘れるように、父に話を振り続けた。
「っというか、ごめんね、物音で起こしちゃったかな?でもダメだよお父さん!ちゃんとお布団の上で寝ないと、腰悪くしちゃうんだからね!お母さんもいってたよー、いつもいつもお父さんはーって」
「....それは、すまない。」
「ぷっ、そ、そんなに真剣に謝んなくても」
冗談交じりで怒っていたことを伝えると、父は本気で怒ってたと捉えたのかしょんぼりとして謝罪をしてきた。それが面白くて、それがなんだが今の私にはとても安心できて、笑いが止まらなかった。
「そんなに、笑う必要は、ないだろう。」
父はそんな私を見て少し不機嫌になる。
「ごめん、ごめん、なんだか、おかしくてさ...ねぇ、お父さん」
ひとしきり笑って、父の顔を見ると、父の言葉が再び蘇った。その言葉に、そして、今私の目を見る父の目に、私の言葉は、もう嘘をつけなかった。
「私ね、正直言って、今、走ることが、辛い。」
一度言葉にしてしまうと、今まで我慢してたのが嘘みたいに、気持ちが楽になった。
「何回も負けることが辛い。勝つために努力しても報われないことが辛い。レースに出るって、こんなに辛いことだって知らなかった。」
目頭が熱くなる。我慢しようにも、止められない。私は、自分の涙脆さを言い訳に、溢れ出る涙を止めようとしなかった。
「なんで私は勝てないんだろうって、なんで早く走れないんだろうって、だって、もう、次で結果出せなかったら何もかもが終わるもん!なんでなの!なんでこんなに私は遅いの!意味わからないないよ!私頑張ってるもん!ずっとずっと努力してるもん!キングちゃんにだってサクラちゃんにだって、誰よりも負けないぐらい、なのに..なんで。」
父は、私の言葉を、黙って聞いてくれている。
「私、嫌だよ。もう、結果が出ない自分を嫌いになるのも、努力するのも...35回もレースに出てるんだよ?それなのに、一回も勝てない。もう、辛いよ。」
これだけ不安を、わがままを口にしても、何も楽にならなかった。ただ、そうやって口に出して逃げようとする自分に対しての嫌悪感が強まるだけだった。
「父さんは...」
静まった空気のなか、寡黙な父がそう口にした
「お前が、笑顔で走る姿を見るのが、すきだった。」
そう言って、父は椅子から立ち上がり、私のもとにかがんだ、膝をおり、私の目からあふれる涙を、優しく拭き取ってくれた。
「母さんと父さんは、どんなに遅くても、楽しそうに走るお前が好きだったんだ、だから、今のお前を見るのは辛い。それはきっと、母さんもおんなじだと思う。」
父は立ち上がり、本棚を漁り出した。そして、アルバムのような白い、分厚いケースを取り出してきた。
「お前の母さんはな、昔、俺と出会う前、それはまあ負け続けの弱っちいウマ娘だったんだ。」
そう言いながら父はアルバムを開いた。中には、今の私に似てる母が、11着でゴールして、笑顔で観客席に手を張っている写真や最下位でゴールして倒れている写真からが山ほど出てきた。
「それでもな、母さんは、あの子は、契約の期限が切れるまで、必死に、最後まで走り続けたんだ。」
母と父は昔、ウマ娘とトレーナーの関係であったことは母から幼い時に聞かされていた。しかし、こんなにも愛おしいように父が語る姿は、予想もしてなかった。
「お前の母さんが、なんで、負け続けても、罵声を浴びせられても、最後まで走り続けれたか、わかるか?」
父は優しく、私に語りかけた。私には、それがわからなかった。何故母は、そうまでして走り続けられたのか、今の私よりも劣っていた彼女が、何故そこまでして走ることにこだわっていたのか、不思議に感じた。
無言で首を振る私に、父は優しく笑い
「それはな、走るのが好きだからなんだよ。」
今までで、1番優しい声音で、父はそう呟いた。
「どんなに負けても、苦しくても、恥ずかしくても、あの子は、最後まで走るのを楽しんでたんだ。走ることが大好きで仕方がなかったんだよ。」
父は写真に落としていた愛おしい目を、再び私に向けた。
「今、お前が逃げ出したくて仕方ないのなら、辛くて仕方ないのなら、父さんは、お前が走るのをやめることを、レースに出るのをやめることを....トレセン学園を、退学することを、絶対に止めたりはしない。むしろやめるべきだと、お前に声をかけるだろう。」
だけど、と父は続ける。
「お前は、そうじゃないんだろう?...好きなんだろ、走ることが、嫌いになったんじゃなくて、怖いだけなんだろ、お前が走って、誰かの期待に応えれないことが。」
その言葉は、私の全てを表現していた。
「お前は、トレーナーさんの信頼に応えれないことが、周りの期待に応えれないことが、自分の頑張りが認められない以上に、苦しくて、つらくて、怖くて仕方がないんだろ?」
涙が、また出てきた。私は父の言葉に、黙って、首を縦に振った。
「だったら、走りなさい。お前を信じてくれる人に、応えなさい。結果がどうなっても、お前を信じてくれる人が1人でもいる限り、絶対に逃げたらダメだ。そうして、信頼を失ったとしても、お前は走り続けないといけない。それが、レースに出ると決意した、ウマ娘の使命なんだよ....なにより、本当は、お前自身、その人から逃げることなんて、望んでいないだろう?」
本当に、父の言葉はすごいなと思った。私の言葉を聞かずとも、ここまでわかるのだから。私の気持ちを、ここまで楽にしてくれるんだから。
私は怖い、努力が報われないことよりも、結果が出ないことよりも、トレーナーの信頼を裏切ることが怖い。彼に見放されるのが、失望されるのが怖くて、辛くて仕方ない。だけど、、私から逃げたら、何も始まらない。
次のレースで勝てなかったら、私のレースはそこで終わってしまう。勝てる保証もない、トレーナーから、嫌われてしまうかもしれない。私の勝ちを、夢を、唯一笑わずにいたあの人の、信頼を裏切ってしまうかもしれない。でも、それでも..
走ることが、私は好きなんだ。
誰よりも、何よりも、走ることが好きだ。
だから、誰のためでもない。
「私のために、走る。」
それは、自然に口をついてでた言葉で、きっと側から見たら自分よがりな言葉に聞こえただろう、結果を残さないウマ娘が、今更何をいうのかと、でも、きっとあの人はそんなこと言わない。あの人は、きっと笑って、そして、全力で背中を押してくれる。
私の言葉を聞いて、父は満足そうに頷いて、キッチンにむかった。
何か飲むかときかれ、わたしは緑茶がほしい!と出来るだけ声が涙声で震えないようにして答えた。その言葉に父は何も言わずに、黙って、私にお茶を入れてくれた。
けれど、お茶を淹れる父の背中は、私に、『頑張ってこい』、そう言ってる気がした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「わぁ!こんなに種類あるんだね!」
いつもの練習着の姿ではなく、青のスウェットに白のスカートをはいた私服姿のウララと、俺はスポーツスプリントという、短距離を専門とするウマ娘の蹄鉄や勝負服を専門とするお店に来ていた。プロキオンSまでの残り期間、約二週間、5月、6月の厳しい合宿やレースを終えた彼女は、勝利はいまだに掴めないものの、全シーズンとは比べ物にならないほどの脚力と、スタミナをつけている。そんな彼女に支給品の蹄鉄を履かせることで本来の素質を上げれるとは到底考えずらい。
「ウララ、店員さんに、いまの体重と脚力、スタミナをそれぞれデータで見せてもらえるか?」
「うん!いいよ!私はね!体重はー」
自分の体重を恥ずかしげもなく公表しようとする彼女を俺は静止し、データを取った資料を店員さんに渡した。
「この数値に適応した蹄鉄をいただきたいんですけど、、」
「かしこまりました、いただきましたデータの方と本店で取り扱っている蹄鉄を照らし合わせてきますので、少々お待ちください。」
俺とウララに対応してくれた20前ぐらいの定員さんは優しく俺に微笑むと、店の奥に消えていった。
「ねね!トレーナー!この蹄鉄ピンク色だよ!」
その間、俺とウララは蹄鉄を見て待っていることにした。彼女は珍しい色の蹄鉄を見つけてははしゃぎ、その軽さや重さに驚いていた。
「大変お待たせしました、こちらの商品などいかがでしょうか?」
そういうと先程はの店員は、ウララが持ってはしゃいでいるピンク色の蹄鉄の前に来た。
「彼女の今の脚力、そして体重をささえるにはある程度の重さと強度のある蹄鉄が必要になります。加えて、お客様はダートコースを走られるということなので蹄がより地面に深く食い込む仕組みのものをおすすめさせていただきます。」
一通りの説明をして、店員はウララの足のサイズにあったピンク色の蹄鉄を俺に差し出してきた。
「ウララ、これでいいか?」
いろんな蹄鉄を一通り見てきた彼女に俺は確認を取った。彼女は、うん!私もね、それが1番欲しかったんだー!と嬉しそうに語り、ウララ〜♪と体を左右に揺らしていた。嬉しい時や楽しい時、彼女はよくこの鼻歌を歌いながら身体を左右に揺らす癖がある。俺は楽しそうに体を揺らす彼女にペットのような保護欲を感じ、即座にこれにしてくださいと、ピンクの蹄鉄を差し出した。値段は正直言って安くはない、けれども、彼女にあげるのならなにも嫌な気分にはならなかった。
蹄鉄を彼女に購入するとき、彼女は、私が払うよ!だって、私お金持ちだし!と胸をはり、俺に一万円を差し出してしきた。しかし、この蹄鉄は5万を軽く超えていたため、そんなに払わなくても買えるから安心しなといい、丁寧にそれを断った。店員に蹄鉄を彼女のレースシューズに埋めてもらい、それをウララに手渡した。彼女は不満そうにそれを受け取っていたが、すぐに余った一万円で俺にプレゼントを買うんだーと気を取り直してウララ〜♪と楽しそうにからだを左右に揺らしていた。
彼女の蹄鉄を買い終えたあと、俺とウララは水族館に向かった。張り詰めた気持ちをリフレッシュするのにはいいとネットに書いてあったからだ。ウララは魚群のコーナーをみて、あそこで大きな口を開けてたらたくさんお魚さんたべれるね!と可愛く残酷なことを楽しそうに喋っていた。俺は、そんな楽しそうな彼女をみて、心からの安堵を感じた。彼女がもしかしたら走ることを嫌がっているのではないのかと、レースを嫌がっているのではないのかと、時折すごく心配になっていた、でも、彼女の楽しそうな様子を見る限り、そんなことはないと確信した。
水族館から帰る時、ふと、ウララが公園によりたいと思い出したかのように言い、俺たちはトレセン学園近くの公園に来ていた。
もう時刻が夜の20時を過ぎていることもあり、子供たちは誰もいなく、俺とウララはブランコにのりたわいもない話をしていた。
しかし、ウララにはトレセン学園の寮の門限があるため、そろそろ帰ろうと俺が言うと、もう少しこのままでいたいと彼女は呟いた。
そのいつになく真剣で、どこか寂しそうな表情に、俺は何も言えなくなり、黙って彼女の言葉の続きをまった。
ブランコの錆びた金属音が、公園に響きわたる。
7月の夜は暖かく、コオロギの鳴き声が心地いい。空を眺めてみたものの、星空が広がるようなロマンチックな光景は、東京の夜空には広がってはいなかった。
「ねぇ、トレーナー。トレーナーってさ、走るの好き?」
なんとなしに空を眺めていると、ウララが突然そんなことを聞いてきた。
俺は空から彼女に目線を移し、そこで目があった。なんとなく気まずくて、目を逸らして
「まあ、、普通かな。」
そう、当たりもさわりもない答えを返した。
「...そっか。」
その応えに彼女は満足そうに微笑み
「私はね、走るのが大好きなんだ。」
そう嬉しそうに語った。それは、俺が久しぶりに見た、彼女の純粋な笑顔な気がした。
「私、ずっと負けてるよね。」
彼女は、俯いて言葉を紡ぐ
「負けて負けて負け続けて、私がトレーナーと一緒に走るには次のレースで確実に勝たないといけなくて、でも、そんな保証はどこにもなくて...」
彼女はまだ、一回も勝ててはいなかった。ウマ娘とトレーナーの契約上、G3までに一勝もできていないウマ娘は契約を破棄する決まりとなっている。そうしなければ、予算や今後のレースの条件を満たせれないのだ。そして、同じトレーナーとの再契約は認められてはいない。
「私はね、それがすごく怖いんだ。」
彼女は、何も映らない星空を見つめてそう呟いた。俺は、そんな寂しそうな彼女の横顔になんて声をかけたらいいかわからなくて、ただ黙ることしかできなかった。
「もうトレーナーと、走れなくなるかもしれない、もう、一緒に笑ったり、泣いたりできないかもしれない。そんなのは...すごく、嫌なんだ。」
彼女は、空を見続けて続ける。
「トレーナーに失望されるのが怖い。トレーナーを悲しませるのが怖い。...トレーナーの隣に、いれない自分が怖い。」
でもね、と、彼女は何もなかった空を見ていた目を、俺の方に向けて
「それでも、私は、レースを走りたい。」
そう続けた。
「努力が報われないのが怖い。トレーナーに嫌われるのが怖い。失望されるのが怖い、結果がでなくて、終わってしまうのが怖い、こんなことなら、もう走りたくない。」
そう語る彼女は、今まで我慢していた不安を、弱さを語る、普通の少女の顔をしていた。僅かな月明かりが彼女の横顔を照らす。
ほんの少しだけ、涙のようなものが見えた気がした。
「でも、きっと、トレーナーは..あなたは、そんなことは望まない。」
そう言って彼女は立ち上がり、俺の前にきた。
「トレーナーは、きっと私が逃げる姿なんて、見たくない。それからね、私もそんな姿、トレーナーに見て欲しくない、例え、最後のレース、勝てなかったとしても、失望されたとしても、それでもね」
『私は、あなたに。全力のわたしを、最後まで見ててもらいたい。』
それは、彼女が語った言葉の中で1番凛と響いた言葉で、俺の中で綺麗に溶けていった。
「自分勝手な理由で、トレーナーを最後まで付き合わせてごめんね!でも、私ぜったいに走るんだから!」
そう元気に彼女は宣言し、私、先に帰るね、付き合ってくれてありがと
そう言い残し、公園を後にした。
トレーナーに嫌われるのが怖い、終わってしまうのが怖い、、でも、逃げる事はあなたは望まない。
だから、あなたに、見てもらいたい
彼女は、怖くないわけではなかった。むしろ、ずっと怯えていたのだ。終わりが見える恐怖に、失ってしまう恐怖に、信頼という名の重圧に、彼女の心は、体は、とっくの昔に悲鳴を上げていたんだ。それでも、俺がそれらの不安から逃げた彼女を見たくないから、そんな姿を望んでいないと彼女は知っているから、最後まで、たとえどんな結果になっても、走る決意をしてくれた。
「...どこが、自分勝手なんだよ。」
きっと彼女の中では、十分に自分勝手な言い分なのだろう。自分の都合を他人に合わせることを、きっと彼女はどこまでも苦手としている、だからこそ、最後まで、人のために走る勇気をもてるのだ。
だったら、信じてやらなくてはならない。
ただの指導者、ただのサーポート役の俺が、彼女を、誰よりも弱くて、そして、強い彼女を、信じてやれなくてどうするんだ。
7月序盤の風にしてはやけに暖かく、心地の良い風が、少し冷めてきた肌に心地いい。そんな風を感じながら、俺は自然な笑みを浮かべて、
「何度だって、信じるさ。」
そう口にして、家路に着いたのだった。
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あれから、二週間がたった。
寮で同室のマチカネフクキタルちゃんからはよく聞くおまじないや占い、よく効く祈願がけとやらを今日の本番まで何度も何度もしてくれた。
効くといいんだけどなぁー
そんな淡い期待を持ちながら、わたしはレース場に向かう。夏が近いこともあり、熱い日差しがダート場の熱気をより上げていた。G3のレースということもあり、観客はわたしが体験したこともない人数が押し寄せていた。
けれども、わたしの緊張は、ここに来るまでと何も変わらなかった。周りの人のために勝ちたい。そんな一心で今まで走ってきた。でも、トレーナーと出会って、初めて勝ちを信じてくれる人と時間を共にして、その人の期待に応えたいと思った。その重圧は、ここに応援に来る人の人数でどうこうなるようなものではなかった。
ゲートが、私たちを招き入れるように開いて待っていた。
そこに入ってしまえば、トレーナーとの人生が終わるかもしれない。その恐怖は、今でもわたしの体に染み付いてる、だけど、もう決めてしまったんだ。どんな結果になっても、全力を出すのだということを、彼に、わたしの全力を最後まで見届けてもらうことを。だからわたしは
「よーし!勝つぞ!」
いつものように、笑顔で、ゲートに入ったのだ。
目の前の扉は閉まったまま、動かない。まるで牢獄だ。スタートが怖い。永遠にこの時が続けばいい。そんなことを思ってる自分がいた。足元に目を落とすと、ピンク色の蹄鉄が光に反射して目に入った。わたしの蹄鉄、トレーナーが、選んでくれた蹄鉄。
それは、何よりもわたしに力と勇気をくれた。どんな気持ちで、彼がこの蹄鉄をくれたのかは正直わからない、それでも今は、
ー君なら、勝てるー
そう思ってわたしにくれたのだと、心が、体が、自然とそう理解していた。だからこそ、勇気が溢れ出てくる。
第二コーナーの審判の旗が上がった。いよいよ始まる。ラッパの軽快な音とともに、各ウマ娘がスタートの体勢を取っていた。
わたしも姿勢を低くして、時を待つ。
いつもなら煩わしく思うダートの砂埃が、やけに心地よかった。レースの始まりが、こんなにも怖いのに、不思議と楽しみだった。
目の前のゲートが、開いた。
読んでくれてありがとうございました!コメントくれると嬉しいです!
設定間違えて、マチカネフクキタル同室にしちゃいましたごめんなさい。