ウララの激戦が終わった後、その激戦を見たウマ娘ファン達がTwitterなどに動画を載せ、たちまちにウララとスマートファルコンの知名度は上がった。トレーナーの間でも、ウララをここまで育てた俺に対しての賞賛の声が度々上がっているようだ。俺は素直に、それらの変化を嬉しく思っている。ようやく、ウララの存在に周りが気がつき出した。
そして、ウララのレースから少し月日が経ち、ライスの皐月賞選考会があった。結果は4着、今注目のミホノブルボンが2着と3馬身もの差をつけてゴールを決めていた。
「ライスちゃんお疲れさまーー!」
控え室にウララと共に向かい、ライスの健闘をねぎらった。
「お疲れ、ライス。」
「あ、トレーナーさん....ありがと。」
俺の言葉にライスは少しだけ嬉しそうに微笑んでそう応えた。
ウララと同じように、ライスも敬語を外してもらいたかったらしく、俺はまあこの距離感もありかと感じ、喜んで了承した。
「はやかったねー!みほのぶりぼん!」
「ウララちゃん、ミホノブルボンさんだよ」
ウララが元気よく間違えたのをライスがすぐさま訂正した。
「まあ、俺も生で見てびびったが、確かにメディアで注目されまくってるだけあるわなあれは、クソほど速かったわ。」
ウララが興奮するのもわかる。それほどまでにミホノブルボンの走りは鋭く、速かった。まるで、群れることに意味はないと言わんばかりの、誰も寄せ付けないその逃げで、思わず鳥肌が立ってしまった。
だけど....
「ライスも、今日はベストタイムだったぞ。選考会も通ったしな。」
俺はそういってライスに今日のタイムラップを見せた。
1000メートルの通過から2000メートルまで、どれも練習の時より遥かに上のタイムで更新している。選考会では上位8人までが皐月賞本番に選出され、ライスは無事通過することができた。
タイムも予選も突破できたライスだが、その顔色は明るくはなかった。
「...不満か?勝てなかったことが。」
俺はそんなライスに、そう声をかけた。
「うん、不満だよ。ものすごく不満。でも、それ以上に」
そこでライスは言葉を区切って、羨むような目線を控え室のテレビに移した。そこには、何も映っていない。けれど、ライスの目には映っているのだろう。1番の輝きを纏った、彼女の姿が。
「羨ましかった。ブルボンさんの、輝きが。」
羨ましい。そう口にした彼女の感情は、きっとレースに出る彼女達にしかわからない。だから俺は何も言わずに、ただ頷いた。
「ライスも、あんな風に輝いてみたい。」
そう口にするライスの目はまっすぐで、これが、彼女が掴みたい景色なんだなと理解した。...だったら、俺がやることは一つ。
必ず、その景色をライスに掴ませる。
「つかむぞ、ライス。次の皐月賞、お前がとれ。」
その言葉にライスはうん!と大きく頷く。そんなライスを見て勝つゾォおおお!とウララが大きな声で叫んだ。
....あとで、お隣のトレーナーさんに謝っとかないと。
俺は心の中でそう呟いて、ライスの着替えを外で待つことにした。
ウララは着替えを手伝うとのことで更衣室にのこったため、俺は先に車に向かう。廊下をでて駐車場に向かう時、通りかかっていた控え室の出口が開いた。
.....ミホノブルボン。
異次元の逃げを見せた彼女が、今目の前にいる。
「....なんでしょう?」
しばらく俺が硬直していたことを怪訝に思ったのか、彼女はそう首を傾げた。
「あ、ああ!いや、なんでもないです。」
俺は少しだけ取り乱して、すぐにその場をさろうとした。
「あ、トレーナー発見!」
すると背後からウララの声が聞こえて小走りにかけてきた。
ライスも後ろから、ウララちゃん!走ったらダメだよーと小走りにかけてきた。
...ライスも走ってるんだよなぁー
この会場の廊下では、ウマ娘の移動方法は原則として早歩きまでと決まっているのだが、そのルールを、彼女達が他のウマ娘の前で堂々と破ってしまったことに、若干の羞恥心を感じた。
「あなたは、ハルウララさんのトレーナーさんなのですか?」
ウララたちがこっちにくる間、ミホノブルボンがそう聞いてきた。
「ええ。一応彼女のトレーナーやらせてもらってます。」
「...そうですか。」
それっきりミホノブルボンは何も言うことはなく、俺の方からウララ達の方に向かっていった。
「あ!?トレーナーの方から来てるの!ミホノブルボンだよ!ライスちゃん!」
「ウララちゃん!呼び捨てしたらダメだよ!..って、え!?嘘!あ、ほんとだ!え、なんで!?どーしよ!」
突然のミホノブルボンの登場に、ライスは動揺を隠せず、ウララはわーいわーいと喜んでいた。
俺は先に車に行っていようと彼女達に背を向けて再び廊下を歩き出した。
「あんたが、ハルウララのトレーナーか?」
歩き出そうとしたその時、今度は低く、力強い男の声が聞こえた。声のする方を見ると、そこにはヤクザのような見た目の男が、ミホノブルボンの、控室の横にあるベンチに座っていた。
黒沼清二、ミホノブルボンのトレーナーだ。テレビの番組などに度々出ているため、俺はなんとなくその男をしっていた。
「少し、話さないか?」
続けて黒沼さんはそう俺に問い、横にあるベンチを指した。
なんのようだろうと怪訝に思いつつ、ウララ達とミホノブルボンが何やら話仕込んでいるためその待ち時間だけならと、彼の隣に腰を掛けた。
「....よく、あそこまで仕上げたな。」
なにを、とは聞くまでもなかった。だから俺は、素直に礼を言った。
「ありがとうございます。...そうですね、正直、ウララは、デビュー戦の時とは比較にならないほど、強くなりました。いまなら、多少力のあるウマ娘と走っても、互角に、もしくはそれ以上のスピードを発揮することができます。」
俺の返事に黒沼さんは無言で頷き、話を続けた。
「ブルボンは、はじめから強かった。だから俺は、その走りに磨きをかける形であいつの走りを進化させた。....だから、あんたには本当に驚いてるんだよ、何もないところから、鳥肌が立つほどの走りを生み出したんだからな。よく、その素質を見抜いた。」
黒沼さんはそういうと、俺の肩に手を乗せた。俺はその手を不快に思って身をよじろうとした。
「...だからこそ、不思議でならないんだよ。あの、ライスシャワーってやつの走りはよ。」
しかし、その言葉で動けなくなってしまった。
「あのウマ娘の走りからは、何も伝わらなかったんだ。ハルウララの走りを見た時のような、衝撃を、力強さを、何も感じなかったんだ。まるで、薄っぺらい紙のような走りだ。それは、ブルボンも感じていたらしい。あのハルウララと同じチームのウマ娘というだけあって少し期待していたようだがな、ガッカリだと口にしていた。」
俺はその言葉に、静かにこう返した。
「ライスは、今日初めてなんですよ、こうなりたいって口にしたの。」
控室での彼女の言葉。あんな風に、ライスも輝いてみたい、それはきっと、彼女が走る上で、欠かせない信念へと繋がるはずだ。
「ミホノブルボンは、確かに速い。誰も寄せ付けない走り、理想の逃げ。けれど、その理想が叶っていたのはあくまでついていけるウマ娘がいなかったから。....ライスは、どこまでも食らい付きます。それが、いつか黒沼さんもわかるはずです。」
ウララが信念を持つことで強くなったようにライスもきっと、今日の経験で持ったはずなのだ、輝きたいという信念を、見たい景色を。
俺は知っている、想いが、願いが、どれだけ、ウマ娘の走りを強くするのかということを。
それに、と俺は黒沼さんに続ける。
「俺は、ウララの素質なんてこれっぽっちも見抜いてませんよ。ただ、あいつが勝ちたいって気持ちで、今日まで真っ直ぐに走り続けただけの結果です。だから、俺は何も凄くない。」
俺はそういうと、静かに黒沼さんの手を肩からどけた。
「おいおい、お前さん、まさか想いがハルウララを強くした、なんて理想論をかますわけじゃないよな?ライスシャワーの件もそうだ、何か作戦あってのことなんだ...」
「そうですよ。想いが、ウララを強くしました。想いが、ライスを強くします。」
何をバカなことを言うんだと言う黒沼さんの言葉を遮り、俺は続けた。
「ウララの走りは、決して強くはない。それは、彼女自身が一番わかってる。なのに、彼女はあそこまでの走りを見せた。俺たちを感動させた。それは、ひとえに、信念があるからですよ。勝ちたいと言う信念、期待に応えたいと言う信念、そういった想いは、限界を、どこまでも引き伸ばしてくれる。それは、ライスにも言えることです。」
だから、と俺は黒沼さんの目を見て、宣言した。
「次の皐月賞、菊花賞、ともにライスがとります。」
その言葉に黒沼さんは一瞬だまり、そして、吹き出すようにして笑った。
「ぷ、はははは!皐月賞、菊花賞を、とるだと?あの走りのウマ娘が?....あまり、ブルボンを舐めない方がいいぞ?」
そしてその笑いは一瞬にして怒りのこもった声へと変わる。例えこの人は、冗談でもライスの走りにミホノブルボンが負けると言うことを口にすることが許せないのだろう。だからこそ、俺はもう一度口にした。
「舐めないのがいいのはそっちの方ですよ、黒沼さん。ライスは今日、こうなりたいって口にしたんです。その想いは、必ず彼女の走りに影響を与える。俺はそれを、何度も目にしてきた。....見せてやりますよ、奇跡ってやつを必然のものとして起こす...想いの力ってやつをね。」
しばらく、お互い無言で睨み合った。いや、黒沼さんはサングラスをかけているからどんな表情をしてたのかはわからないのだが。
「,...マスター、お取り組み中のところ申し訳ありません、私の用事はすみました。」
その静寂を、ミホノブルボンの言葉がくだいた。
「いや、俺もちょうど終わったところだ。...帰るぞ、ブルボン。」
黒沼さんはそう言うとミホノブルボンと共に外に出ていった。ベンチを立って一言、期待せずに待っている、そう言い残して。
「トレーナー、どしたの?」
彼らの背中を見つめていると、ウララとライスが、そんな俺を不思議そうに見ていた。俺は
「なんでもない。」
そう応え、俺たちも帰ろう、とライスとウララを連れて外に向かった。
帰りながら、ミホノブルボンとどんな話をしたのかを聞こうとして、やめた。いつになく真剣な表情のライスを見ると、なんだか聞かない方が良い気がしたのだ。
外に出た。まだ暑さを残す夏は、もうすぐ終わりを迎え秋になろうとしている。その季節の変化は、まるで彼女たちの走りを表現しているかのようで、俺は1人静かに、心を震わせた。
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ブルボンさんがこっちにきたとわかった時、私はひどく動揺してしまって、とてもあたふたしたのを覚えている。おまけにウララちゃんはブルボンさんを呼び捨てにしちゃうし、怒らせたかもしれないと思って本気で焦った。
「失礼します。私、ミホノブルボンと申します。」
私たちの前に現れた彼女はそう言うと一度、深くお辞儀をした。そのあまりにも機械地味た動きに、なんだかお人形みたいだなと言う印象を受けた。
「私、ハルウララさんのエルムステークス、拝見させて頂きました。
短期間であれほどの走りを手に入れたあなたには、脱帽します。本当に素晴らしい。感動しました。」
そう言うと、ブルボンさんは再び頭を下げた。ブルボンさんの言う通り、ウララちゃんの走りは凄くて、メディアとかでも扱われる頻度が増えるほどだった。そんなウララちゃんを、私は誇りに思っている。
「だつぼう?んー、よくわかんないけどありがと!私もね、ブルボンちゃんの走り凄いと思ったよ!びゅーんって!ファルコンちゃんみたいだった!」
ウララちゃんはそう言うとウララ〜♪と体を楽しそうに揺らしていた。
「ええ、ファルコンさんの走りも相当なものでした。私が尊敬するウマ娘の1人にここで会えたことに、まずは感謝します。そして、こうして言葉をかわせたことも、私の中で、一つの経験として糧にすることができます。」
そう言うとブルボンさんはウララちゃんに質問をひとつしていいかと聞いた。ウララちゃんもどうぞーっと即答し、ブルボンさんは少し考えたのち
「ここまで速くなった秘訣などを、聞いてもよろしいでしょうか。」
そう、ウララちゃんに聞いた。ウララちゃんはひけつー?と口にしてしばらく、うーんと悩んだのちに、わからない!と高らかに宣言した。
「....それは、秘密にする、と言うことですか?」
それを秘密にすることだと捉えたブルボンさんは、少しだけ残念そうにウララちゃんに聞いた。
「うーん、秘密にしたいとかじゃないんだけど、本当にわからなくて。
私、レースに出る時は、トレーナーと会う前から勝つぞーって気持ち出てたんだけどね、トレーナーと会ってから凄いたくさん練習もしだしたし、最近は、勝ちたい気持ちが強くなったと言うか....うん、いっぱい色んなレースにでて、その度に色んな人から言葉をもらって、勇気をもらって、トレーナーから、色んなものをもらって、だから、速くなれたのかな?....んー、やっぱり、わかんないや!」
最後にはわからないと締めくくった彼女は、笑顔でブルボンさんにそう応えた。ブルボンさんはやはりそれを秘密にしていると捉え、難しい質問をしてしまい申し訳ありませんと頭を下げていた。
「そちらの方は、ウララさんのチームメイトと拝見しているのですが、本当なのですか?」
次に、ブルボンさんは私にそう聞いてきた。なぜそんなことを聞くのかと疑問に思いながら、私はそうだよと応えた。
わたしの答えにブルボンさんは残念そうに
「そうですか...。」
そう、耳を垂らしながら応えた。
一瞬、何をこんなに残念がっているのか疑問に思った。けれど、次の一言で、全て理解した。
「残念です。ウララさんのチームの方でしたら、ウララさんのような力強い走りをされるのではないのかと期待してはいたのですが...。」
ウララちゃんのような走り。信念の走り。勝ちたいと言う想いを具現化したような走り。そんな走りを、私は今まで、したことがなかった。今日のレースも、もちろん勝ちたかったけど、それでも、そこまでの想いで走れてはいなかった。...だからこそ、ブルボンさんの言葉に、何も言い返せなかった。...悔しい。何も言い返せない自分が、彼女に馬鹿にされている自分が、悔しい、悔しい、でも、何も言えない。
「ライスちゃんはね、これからもっと速くなるよ。」
何も言えずにしたを向いている私の耳に、いつもの元気な、けれどとても真剣な時の、ウララちゃんの声が聞こえた。
「ライスちゃんはね、今日、あなたに負けて、私もブルボンさんみたいになりたいって、言ってたんだ。」
ウララちゃんは、ブルボンさんに少し近づいて、続ける。
「それはきっと、みんなが思ってることだと思うの。みんな、ライスちゃんみたいにブルボンちゃんに憧れて、努力していくんだと思う。」
だけどね、とウララちゃんはブルボンさんの目を真っ直ぐに見て、こう続けた。
「ライスちゃんは、そんなみんなの中で、一番、ブルボンちゃんに憧れてると思うの。私、そう言うのだけはわかっちゃうから....だからね、ライスちゃんは今よりももっと速くなるよ。...何かを想うことって、凄く力になるから。」
彼女はどこか嬉しそうにそう語った。想うことの強さ、それはきっと、彼女が一番理解している。だからこそ、私が速くなると、断言できるのだ。
「...では、ウララさんは、ライスさんがその想いだけで私に追いつける、そう言うんですか?」
そう聞いたブルボンさんに、うん!とウララちゃんは元気に返事をして、だから、残念がらなくてもいいよと返した。
ブルボンさんはそれに何も言わずに、今日は突然なのにもかかわらず、お話していただきありがとうございました。と言い残してトレーナーさん達が話してるところに向かっていった。
「....ライスちゃん、今悔しいよね?」
その背中を見つめながら、ウララちゃんが聞いてきた。
「うん、悔しい。悔しいよ。あんな風に言われて...でも、ライスじゃやっぱり」
「なら大丈夫!」
私が無理なんじゃないかとくちにしようとすると、ウララちゃんは元気な声と笑顔でその言葉を遮って
「私もね、たくさん悔しい思いしたからわかるの。悔しいって気持ちはね、ライスちゃんを強くするよ、それは、私が保証する。」
ウララちゃんは、そう優しく微笑んでくれた。なんの確証もない保証だ。彼女の自己満足、そんな一言で片付けれるような...なのに、その言葉には凄い説得力があって、凄く、勇気をもらえた。
だから私も、うん!と頷いて、
「絶対に、ブルボンさんに勝つ!」
そうウララちゃんに宣言したのだ。それに彼女も満足そうに微笑んで、2人で、トレーナーさんの元に向かった。
わたしは、その日初めて、誰かに勝つと宣言をすることができた。
きっとそれは、敗北が、悔しさが、そして、ウララちゃんがいてくれたから言えたことで、わたしはそのことが...とても嬉しかった。
私少し前を歩く、桃色の尻尾の揺れを見ながら、小さく
「ありがと」
そう呟いて、私は彼女の横に並んで、歩いたのだ。
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ライスの皐月賞まで残り二週間、ウララのJBCダートまでは残り2ヶ月ほどになっていた。JBCのシリーズのレースは本来なら12月に行われるのだが、今年は11月主催となっている。理由はおそらく運営側の問題なのではあろうが詳しいことは何も聞かされてはいない。しかし、こちらとしては都合が良い話だ。なぜなら、これで有馬記念に向けてウララの時間を作ることができるからだ。彼女は必ず、有馬記念に出走する。そのためには、G1であと二勝、最低でも勝ち星を上げなければならない。JBCとフェブラリーS、この二つのレースを、俺は必ず彼女が制すると信じている。
「よし!ライスはそのままのペースを意識してターフを10周だ!ウララはスプリント30本、10本の間に30秒のインターバルを作って行え!」
俺はそれぞれのトレーニングをみながら今考えられる最適の指示をした。ライスが出皐月賞、そして続く菊花賞はそれぞれ2000メートルと3000メートルの芝だ。ライスの伸びる足であれば菊花賞の方が有利なのは確実だが、今のライスの走りを見る限り、きっと彼女は皐月賞でも負ける気はない。であれば当然それに見合ったメニューをくむことになる。どちらにせよスタミナ勝負のなるのが中山レース場だ。中山レース場は、通常のレース場よりも明らかに直線が短い。それは、末脚で勝負をするウマ娘には致命的な問題である。直線が短いということは、本来加速する滑走路を失っているのと同じだからだ。しかし、ライスの伸びる脚質は、仕掛けるところさえ間違えなければ、どこからでも追い縋ることができる。その素質を最大限まで伸ばすためには、どんな距離からでも仕掛けられるスタミナと、相手の動きに反応するための集中力が必要となる。マイルや長距離向けのウマ娘のことをステイヤーと呼ぶが、彼女にはその中でも少し特殊なスタンスを取らせることにした。それは、レース展開に合わせて自分のスタイルを変えると言うもの。ステイヤーの多くは差しもしくは先行、追い込みを取るのだが、彼女にはその全てを行わせるつもりだ。つまるところ、先頭を最初から射程圏内に収めれるのであれば先行、集団のペースが乱れているのであれば差し、先頭も集団も動きがないのであれば追い込みで、だと言った風に、相手の動きをマークさせる走りをさせる。
一見無謀に見えるかもしれないが、彼女の素質があれば不可能ではない。もちろん、それ相応の負担はかかるが....
「はぁ、はぁ、はぁ、しっ!」
ペースを徐々に上げながらターフを駆け抜ける彼女の走りは、明らかに以前のものとは違う。集中力、闘争心、その全てが、体から滲み出ている。
無敗の三冠ウマ娘、ミホノブルボン
世間での期待は、今恐ろしいほどのものとなっている。だからこそ、楽しみでならないのだ。その常識ってやつが、覆る瞬間が。
「よーい、どん!」
ダート場の方に目をやると、ウララが元気に自分自身に声をかけてスプリントを行っていた。彼女の走るJBCも距離が1800といつもより少し長めのダートレースとなっているため、通常よりも倍スタミナトレーニングを入れている。かと言ってスプリントのメニューを楽にしているわけではないため、過去最大の負荷の練習が彼女にはかかっているはずだ。
それでも、彼女はそのメニューを一度もさぼらずにこなしている。
スマートファルコンの想い、自分に勝つために、自分の土俵を捨ててまで挑む姿勢、その全てに、彼女は全身全霊で応えようとしている。
それぞれに、それぞれの夢がある。憧れがある。責任がある。
それを、彼女達は今、全うしようと足掻いているんだ。
だったら俺は、それに全力で応えなくてはならない。
彼女達を、この身を削ってでもサポートしようと心に決め、俺はトレーニングを見続けたのだった。
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ライスのレースが、始まった。皐月賞は8着と言う結果に終わってしまったが、続く日本ダービーでは1馬身差で2着になった。皐月賞の時の敗因は、慣れていない戦略のせいであった。しかし、日本ダービーでそこをうまいこと調整して、持ち直すことができた。ウララのJBCの前にある菊花賞で、確実にミホノブルボンを捉えることができると、俺は確信している。
「....ごめんなさい、ライス、また負けちゃって。」
ライスは敗北するたびにナイーブになってはいたが、決して諦めたりはしなかった。菊花賞までの残り時間、ライスはウララとの連絡を経っていた。その理由は、集中力を上げるためだと言う。ブルボンさんに勝つためには、集中力が必要なのだと、レースの中で実感した、だから、ウララちゃんの優しさに甘えるわけにはいかないと、臆病な彼女が、初めて一人で練習を始めていた。俺はライスにコースの各所にビデオを設置してもらい、そのファイルをパソコンに転送してもらった。そして、常にそのフォームやトレーニング内容を確認して、メッセージを携帯で送った。本当はそばで見たいのだが、彼女の心理的面を考えてやめた。今は、彼女の言う通り集中力を高める時だ。俺が変に刺激して、それを阻害したくはない。
ウララもJBCに向けて着々と準備を進めていた。ライスの行動に思うところがあるのか、ウララのやる気もいつも以上に上がっていた。何もかも、この時までは順調だった。
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ブルボンさんに勝ちたい。その想いは私の中で日に日に大きくなっていった。あの人のように輝きたい、みんなに認められたい。そんな想いが、集中力をかきたてる。私はわがままだから、ウララちゃんみたいに誰かのために、なんて想いで走れたりはしない。だけど、根底にあるものは同じ。勝ちたい。その一心だけなら、今の私は誰にも負けたりはしない。トレーナーのメニューだけでは事足りずに、自分でメニューを加えて私はトレーニングを行った。
故障するまで追い込んでは元も子もないため適度なところでやめて、私は京都レース場の近くのホテルに戻った。トレーナーが提案する一週間前から私はすでに京都にいた。ホテル代は高くなるけど、レースで勝つためならなんとも思わなかった。レース場の感覚を掴むために、京都レース場にお金を払って何度も走り込んだ。足の調整もできている。気持ちも整った。あとは....あの人を、追い抜くだけ。
私は余分な荷物をホテルに置いて、最後に、ブルボンさんの走りをイメージをしながらレース場をダウンジョグした。暗い雲の隙間から、月灯が差し込んだ。綺麗だ。私の体に、その光が優しく差し込んだ。夜のレース場、私以外にもこのレース場を走っているウマ娘はいるのに、なぜか私を見ると慌てたように逃げていってしまう。なぜだろう?
なんだか声が聞こえたような気もする..気のせいかな?
...まあ、そんなことはどうでも良いや。極限まで、鍛えた。
もうすぐだ、あと少しで、私も...輝けるんだ!
ーーーーーーーーーーーーーー
その日は菊花賞が近いこともあって、私は京都レース場に来ていた。夜のレース場は月明かりに照らされていてとても綺麗で、なんだか明日は勝てるかもしれないと、そんな幻想を抱いたのを覚えている。
ホームストレッジからターフの上を歩いていると、暗くてよく見えないが、一人のウマ娘が見えた。とても綺麗な毛並みで、なのに、なんだか不気味なオーラを纏っていた。私はその姿が気になって、少しずつ近づいて...それを大いに後悔した。
「ひっ!?」
思わず、声にならない悲鳴が漏れた。
月明かりに照らされた彼女は、まるで獣だった。目が充血しているかのように開き、まるでどこか遠くを見ているかのようだった。毛はまるで威嚇をする時のように逆立ち、全身からはさっき感じたプレッシャーをより濃くしたものを放っていた。
...怖い。
肉食獣を見たときに思い出す、本能の記憶、恐怖が、私の体中を駆け巡る。彼女はまさに、本能をむき出しにした猛獣。そう例えるのが、相応しいほど恐怖した。私は思わずその場から立ち去り、更衣室に駆け込んだ。
足の震えが、止まらない。...あんなのが、菊花賞に、でるのか?
ミホノブルボンとは違う、圧倒的強者の前に、私は、逃げることしか出来なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
試合当日、俺とウララは共に京都に向かった。試合前に声をかけるかどうか迷ったが、そんな時にライスから連絡が来た。
控え室に来て欲しい。
俺とウララは急いでライスの控え室に向かった。
「ライスちゃん!今日のレース絶対...」
ウララが先に入って声をかけようとして、なぜか途中で声を区切ってしまった。俺はそれを怪訝に思いウララを見ると、ウララはまるで怯えるかのような目でライスを見ていた。そして、俺もライスを纏う異様なプレッシャーに、気がついた。部屋の奥にいる彼女は、明らかにいつもと様子が違った。ウララが集中している時とも違う、なにかを狩るかのようなその目、漆黒の毛並みは少し逆立っており、それは、まるで...
...まるで、獣だった。
「あ、トレーナーさん、ウララちゃん、来てくれたんだね。」
俺たちに気がついたライスはそういうと、椅子から立ち上がって俺たちの方にゆっくりと歩いてくる。
「私、今日勝つよ。わかるの、私ね、今日は勝てる。」
そういうとライスはようやくいつものような優しい笑みを見せた。俺はそれを見て少し安堵し、
「ああ、信じてる。...勝ってこい。」
そう口にした。ウララも思い出したかのように、頑張れ!ライスちゃん!と声をかけ、ライスをレースに送り出した。
「うん!ライス、頑張るね!」
そう口にした彼女は、再びあの異様な空気感を纏い、レース場へと向かった。
控え室に残った俺とウララは、しばらく何も話せないでいた。
「ライスちゃん、なんだか怖かった。」
ふと、ウララが口にした。
「いつもの優しいライスちゃんじゃなくて、レース前に緊張してるライスちゃんじゃなくて...まるで、別人みたいだった。」
俺も、そのウララの言葉に静かに頷いた。今日のライスは明らかに、いつものライスとは違っていた。
「....凄いね、ライスちゃん。」
先程の怯えたようなウララはもういなくて、代わりにとても優しい声音をした、いつものウララがいた。
「あんなになるまで追い込んで、何もかもを絞り出して...ほんとに、凄いよ。」
そう繰り返す彼女は、力強く、興奮を抑えるように拳を握っていた。
きっと、ライスは限界まで追い込んだのだ。ウララとはまた違った方法で、己の集中力を、やる気を、能力値を、最大限に引き上げた。..たった一人の力で。きっと、俺のアドバイスなんかよりも、ずっと、あの子自身が考えて、努力をしてきた方の影響が大きいだろう。
「...これじゃ俺、トレーナー失格だな。」
思わず、そう口についていた。けれど
「ううん、失格じゃないよ。きっと、トレーナーだからライスちゃんはあそこまでなれたんだと思う。ライスちゃんの考えを尊重して、最後までライスちゃんを信じたトレーナーだからこそ、今のライスちゃんが生まれたんだよ。」
そう、ウララがすぐに否定した。俺はその言葉にありがとうと返して
「スタンドに行こう。」
そう彼女に声をかけて、二人で控え室を出た。
勝ちたいという想い、その力は、俺が思った以上に、人を強くするのだと、その時、強く感じた。
11月が近づいていることもあり、外の空気は夏の暑さを一変させて冷たい風が吹いていた。しかし、場内の熱気はとてつもなく、これがファルコンの言っていたターフの熱気なのだと肌を通して理解した。
『さぁ!始まりました菊花賞!無敗の三冠ウマ娘としての期待がかかる一番人気ミホノブルボン!本日は4番パドックからの出走です!2番人気は...』
続々と、ウマ娘達がパドックの中に入っていく。ライスは10番パドックからの出走。外目から出ることとなる。これは極めて不利なスタート位置であると言える。なぜなら、ライン取りが外めになればなるほどしれつとなるからだ。
「ライスちゃん、外目からのスタートだね。」
ウララが、心配そうにつぶやいた。ウマ娘であり、外枠からの出走が多い彼女なら、その難しさを十分に理解しているだろう、心配そうに見つめる彼女はそれでもすぐに、ううん、大丈夫だよね!と元気に言い直してレース場に目を戻した。
確かに、外枠からの出走、レベルの高いウマ娘達が内枠、これは難しい状況だとは思う。だが、ライスの走る菊花賞は長距離レースだ。レースが始まればじきに上手い位置につけるはずだ。それに....
今の彼女には、きっと内枠だろうが外枠だろうが関係ない。
あの獣のようなプレッシャー、種類こそ違えど、それはウララがあの時見せた本能と似たようなものを俺は感じた。つまり..,
「...これが、ライスの進化した姿。」
レースの開幕の音が鳴り響き、湧き上がるような場内は一斉に静まり返った。冷たい空気が、蘇る。
風が吹いた。強くて冷たい風だ...その瞬間、レースがはじまった。
皐月賞と菊花賞の時系列変えてます!
ウララちゃんのJBCの前にどうしてもこの話書きたくて、しばらくライスちゃんの話が続きます!最後になりますが読んでくれてありがとうがざいます!
感想おまちしてます!