ウマ娘の専門医は、全員から好かれている。 作:室星奏
「先生、今日はありがとうございましたっ!」
「おう、お大事にな」
都内の総合病院、俺はそこに勤めている。
今日担当したウマ娘を見送ったのが最後、今日の業務はこれで終了だ。見えなくなってすぐ、俺は踵を返して自分の診察室に戻る。棚に置かれたカップにコーヒーを注ぎ、机に顔を突っ伏して疲れを癒す。今日は何時も以上に疲れた気がする。
その様子を後ろで見ていた看護師が、笑いながらお菓子のおすそ分けを置いてくる。
「先生、相変わらず人気ですね? あの子、帰りに顔を赤らめてましたよ?」
「揶揄うのはよしてくれ。俺はただの医者だ」
軽くあしらいながら、貰ったお菓子をかじる。ほんのりと聞いた醤油味が全身に染み渡る。やっぱ疲れた身体に、こういう少し辛味が効いた味は最高だと思う。
引き出しから今日診察したウマ娘たちのカルテを拝見しながら、今後の治療計画をサラサラと書き起こしていく。
「セイウンスカイは右足の捻挫、ギリギリ骨折は無しと。オグリキャップは~……うん、食べ過ぎの弊害だな」
「先生が担当した子たち、良く名前を聞く子ばかりじゃないですか!? さすがですね」
「もう数年くらいやってる上に、例の学園との付き合いも長いからな」
学園とは、都内に籍を置くトレセン学園の事。正式名称は『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』。
その名が示す通り、トゥインクル・シリーズで活躍するウマ娘たちを育成するための専門学園であり、その規模は国内、いや世界でもトップクラスを誇ると言われている。
当時から、ウマ娘の専門医というのは非常に貴重な存在であった為なのか、俺が就任してから今の今まで診察がない日等は1日とて無い。それこそ大変すぎて、身体が悲鳴をあげるほどに。
最も、この仕事はやりがいがあるし、自分から進んでやりたいと思っていたから、嫌だと思った事は一度たりともないのだが。
俺には昔、ウマ娘のトレーナーになりたいと思った時期があった。小さい頃に見た有マ記念に心を奪われ、いつか自分も彼女達を支える立場になりたいと思うようになった。
だが親は、俺に『医者となれ』と言って聞かなかった。他の兄弟がダメダメだった分、末っ子の俺に期待していたのだろう、余計なお世話でしかなかったが。
仕方なく俺はトレーナーの夢をあきらめ、医者になる為に勉強した。だが、勿論親の為に医者になろうとしたわけではない。
トレーナーになれないのなら、医者としてウマ娘を支えてやろう。そうすれば、親も文句言う事なんてないだろうと、当時の俺は思ったわけだ。
案の定、親は医者になった俺に文句を言う事なんてなかった。2年程前に『ウマ娘の担当医をすることになった』と言った時は、驚きつつも納得してくれたほどだ。『昔から好きだったものね』と。
そういう意味では、医者を進めてくれた親には感謝している。最も、トレーナーになれたならどういう道を歩んでいただろうか? と今でも考えてしまうのだが。
「信頼されている証拠ですよ、ふふ。じゃあ私、定時であがりますね。お疲れ様です~」
「おう、気を付けて帰れよ」
そのまま扉を開けて、その先の更衣室へと向かっていく。これでようやく、俺一人だけの時間となった。
先ほど取り出したカルテをまとめながら、録画しておいた今日のGⅠレースを再生する。それは、天皇賞・春という一年の幕開けともいえるレースだ。
当然ながら出バするウマ娘は有名どころしか揃っていない。のだが、なんと俺はここに出ている全員のウマ娘と会話したことがある。
何故なら、全員診察したことがある子たちだからだ。
『青空の広がる快晴の下、ここ京都競バ場にて、天皇賞・春の幕が上がります!』
『出バする子たちは全員GⅠレース優勝経験者。どうなるのか、結果が気になりますね』
画面越しからでも、彼女達の真剣な表情と姿勢が垣間見える。1週間前まで患者だった
だが出バしているからには、応援しなければならない。机のコーヒーをズズッとすすりながら、その光景をじっと見守る。
『さぁ各ウマ娘、ゲートに入りました。まもなくレースが開始します!』
そう。この瞬間だ。このレース開始直前の静寂。これこそが、レース観戦の醍醐味と言ってもいい。ウマ娘たちから発する緊張感が、自分たちにも伝わり、全身を震わせる。
さあ、もうすぐだ。もうすぐ……とと、資料の整理もしないといけないな。
刹那。
バンッ――!
ビリリリリリリリッ!
ゲートが開く音と共に、机の上に置いていた携帯が鳴り響く。何というタイミングだ、絶妙と言ってもいい。ビックリしてコーヒーを少しズボンにこぼしてしまったじゃないか。
はあ、とため息をついて、テレビをいったん停止させる。携帯電話を開くと、そこには名義に『サイレンススズカ』と書かれていた。アイツからか……なんなんだ、このタイミングに。
「俺だ。どうした? 診察は終わったぞ?」
「もしもし、先生? 先週までリハビリ付き合っていただき、ありがとうございます」
「何だ、そんな事か。別に、医者として当然の事をしたまでだが?」
「いえ、私にとっては有難い時間でした。あ、そうそう、見ましたか? 今日の天皇賞」
「ああ、今から見る所――」
「私、頑張って最後まで逃げ切ったんですよ? 怪我前よりもなんだか調子が良くなったみたいで……」
盛大なネタバレを喰らって、ガクッとへこむ。まあ嬉しい気持ちは分かるが、なんでよりにもよってこのタイミングなんだ。
しかし、彼女の嬉しそうに笑う声を聞くと、落ち込んだ気持ちもどこかへ吹き飛んでしまう。これだから『単純な男』と呼ばれてしまうんだろうな、と一人で苦笑する。だが俺は、いつしかそれでもいいと思うようになった。
彼女達と会話するのは、昔の俺には到底考えられなかったであろうからだ。例えどんな流れであれど、そのひとときは幸せ以外の何物でもない。だから今は、見てたと言って話を合わせる事にする。
「そうか。そう言ってくれると、俺も医者冥利に尽きるってものさ」
「……私も、先生にレースを見てもらえて嬉しいです。いい報告が出来ました」
「おいおい、そういうのはお前のトレーナーに言うべきだろ? 沖野トレーナーに」
「いえ、私は終始、先生の事だけを考えて走ってましたよ?」
携帯の持つ手が一瞬鳥肌立つ。彼女から放たれた言葉には、どこか重みみたいな何かが乗せられていた。こんな言葉、今まで聞いたことなかったのに?
俺は『スズカ?』と心配そうに呼ぶ。明らかに様子がおかしい。何か調子が悪いのならば、医者として相談に乗ってあげなければならない。
「……ぁ、すみません。忘れてください」
「本当に大丈夫か? さっき、少し口調が暗かったような気もするが」
「大丈夫です、このように元気ですから。……でも、また怪我したら、その時は宜しくお願いしますね?」
「まず怪我しない様に努めろよ~」
「当然です。では」
そこまで言って、電話が切れる。どうしたんだろう、一体。何事も無ければいいのだが。
気づけば時間も30分経過していた、どれだけ長話していたんだ俺は。一先ず机のカルテを仕舞い、俺も帰宅する準備をする。
明日も沢山診察するんだ、眠くならない様に、さっさと帰って寝るようにしよう。
医者って、絶対好かれそうですよね。
羨ましいです。