モモンとナーベの冒険~10年前の世界で~ 作:kirishima13
「グオオオオオオオオオオオ!!」
闘技場で蘇った獣は死体置き場を囲っている牢の柵にその体を突撃させる。その衝撃でまるで紙のように柵が吹き飛んだ。
(ナンダコノ体ハ……)
獣は己の変化に気が付く。今までの体と全く違う。これまでにないほどの力が体の奥から湧き上がってくるとともに、全身を縛る呪印が締め付けるような痛みを与えてくる。
「グアアアアアアアアア」
獣は歓喜とも痛みとも分からない叫び声を上げる。
(渇ク……渇イテ渇イテ……)
痛みとともに感じる耐えがたいほどの渇き。獣は渇いていた。血肉を求めて……そして戦いを求めて。
(武王……武王武王武王!!ヤツニ勝ツタメニ血肉ヲ食ラワネバ!モット強者ヲ食ラッテ奴ヲ殺ス!モットモットモットモット!モット!)
「なんだかすごい音がしたぞ?」
「あっちは死体置き場の方だ。もしかしてゾンビでも湧いたか?」
「脅かすなよ……え……う、うわあああああああああ」
「どうし……ぎゃああああああああああ」
まず物音に気づいた闘技場の見張り達が犠牲になった。獣はそのまま門を飛び越え帝都の市民たちで腹を満たすと強者を求めて飛び出していくのだった。
♦
レイナースがそれに気が付いたのは深夜のことであった。ロックブルズ家の広大な屋敷の外から叫び声が聞こえたのだ。その声は恐怖を含んだ絶叫のようであり、ただ事ではないことを知らせてくれる。
「何があったの!?」
急いで自分の部屋を出るとそのまま階下へ降りていく。そこには既にランタンを持った父が立っていた。使用人とともに様子を見に行くところだと言う。
「お父様、
「そうか、では頼……」
父が何かを言いかけたその時、突如として玄関が周囲の壁ごと消え去っていた。いや、それだけではない。父や使用人がそれに巻き込まれて目の前から吹き飛んでいったのだ。
「お父様!!」
父たちの安否はとても心配だ。しかしもうレイナースには目の前に現れたそれから視線を逸らせない。そこにいたのは4つの目を持つ見たこともないほどの巨大な狼の化け物であった。
「け、剣を……」
思わず腰に手をやるがそこに剣はない。愛する婚約者のために剣を捨てることにしたレイナースは愛剣を戸棚の奥に仕舞ってしまっていた。
今から取りに行くため背を向けたりしては、目の前の獣は迷わずレイナースの背中を引き裂くだろう。迂闊に動くわけにはいかない。
「オマエ……ツヨイ!オマエ!クウ!」
「しゃべった……」
知能のある魔物は理性もない獣より強者であることが多く、ずっと厄介だ。
レイナースはジリジリと移動しながら突き破られた壁の先、食堂まで移動してそこにあったナイフを手に取る。
「失せなさい!獣!!」
ナイフを獣に向け大声で威嚇するが、そんな小さなナイフで相手が引き下がるわけもなかった。
「ガアアアアアアア!」
レイナースを丸飲みできるのではないかと思うほどの巨大な口を開けて噛みついてくる獣に、レイナースはナイフで応戦する。
ギィンという金属同士が立てるような音を立て、牙とナイフ、爪とナイフが交差する。
「こっちよ!こっちに来なさい!」
家の中で本気を出したらレイナース自身が家族を傷つけてしまうかもしれない。獣を家族たちから引きはがすために庭へと出る。
「武技<能力向上>!<戦気梱封>!」
十分に館から離れたことを確認するとレイナースは武技を発動する。
身体能力を向上させ、ナイフに魔力を纏わせた。戦力差は多少マシになったものの、それでも勝機は薄いだろう。何より武器や防具がないのが厳しい。
「オマエモットツヨクナッタ。オマエクウ。オレモットツヨクナル」
獣の言葉に相手の狙いがレイナース本人であると分かる。倒した相手の肉を食らうことでさらなる力を手に入れようというのだろう。
(こんなやつ放っておいたらお父様もお母さまもお兄さまも……領民たちもみんな食べられてしまう……)
こんな危険な獣を野放しにはできない、レイナースは覚悟を決める。武器は手持ちのナイフ一本。相手は全身凶器の化け物。玉砕覚悟で向かっていっても倒せるかどうかだろう。
「おおおおおおおおっ!いくわよ!」
ナイフの切っ先に戦気を纏わせながらレイナースは駆ける。
「武技<縮地>!」
獣の鋭い牙と爪がレイナースへと迫る。単純に避けても手にしたナイフは届かないだろう。そう判断したレイナースはギリギリまで引き付けたタイミングで武技を発動させた。
足を動かすことなくスライド移動する武技だ。予備動作なしの武技の動きに獣は対応できなかったのかレイナースは獣の横に回り込むことに成功し、両手で掴んだナイフをその4つある目の一つへ思い切り突き立てた。
「食らいなさい!!」
「グワアアアアアアアアアアアアアアアア!」
信じがたいほど怖気の走る絶叫を上げて獣が後ろへと跳ねる。その眼の一つにはしっかりと根元までナイフが突き立っており、そこからシューシューと蒸気のようなものが上がっていた。
「ヨクモヨクモヨクモヨクモオオオオオオオオ!」
「くっ!浅かったの!?」
さすがに食事用のナイフでは頭部の奥まで突き立てられなかった。レイナースが武器を失ったショックで戸惑った瞬間、獣の全身を縛る呪印が光り出す。
「オノレエエ!<
「!?」
獣の全身の呪印から魔力があふれ出し、レイナースの顔面へ直撃した。
「きゃあああああああああああああ!」
(痛い痛い痛いいいいいいいいいいい!顔が焼ける!!)
特に感じるのは顔の右側への痛みだ。顔に焼きごてでも押し付けられたかのような激痛であった。
「オマエハコロシテヤル!必ズ殺シテヤルゾ!決闘ダ!ソレマデ苦シムガイイ!グオオオオオオ!」
獣は最後に一声吠えると壊した門を通って逃げていく。レイナースはしばらく痛みが治まるのを待った後フラフラと立ち上がった。命拾いしたようだ。
「はぁ……はぁ……逃げられた……」
いまだに焼け付くような痛みを顔に感じるが、それよりも家族のことが心配だった。
屋敷の一部は吹き飛ばされており、家を囲う塀にも巨大な穴が開いている。痛む体を何とか動かし父が吹き飛ばされただろう部屋へと向かう。
そこには父や使用人たちがうめき声を上げながら倒れていた。
「ううっ……」
「お父様!」
父に駆け寄り体を見回す。幸い命に別状はないようだ。ただ骨でも折れているのか立ち上がれないようである。レイナースはすぐに物置においてあったポーションを持ってきて父を抱えると少しずつそれを飲ませた。
ポーションの効果か、父はしばらくすると意識を取り戻す。
「ここは……あの化け物はどうした?」
「あれは逃げていきましたわ。それよりお父様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。助かったよレイナース……うわっ!お、お前……その顔はどうした……!?」
ポーションを飲ませていた父が突如レイナースを突き飛ばして少しでも離れようと後ずさった。
「ああ……これはあの獣に何かされたようで……」
「父さん!レイナース!何があったの!?」
「あなた……これはいったい……」
兄と母も騒ぎに気付いて起きてきたようだ。兄たちは父が無事なことに安堵した後、レイナースの顔を見てるとまるで能面のように表情をなくして後ずさった。
「な、なにその顔……おまえレイナースなのか?」
「ああ……何てこと!」
兄は嫌悪の表情で顔を歪め、母は顔を蒼白にして倒れてしまった。どういうことだろうか。
「私の顔……?私の顔に何が!?」
不安になったレイナースは姿見の前まで駆け出す。そして初めて自分の現状を把握した。
それは酷いありさまだった……。
顔の右半分にあの獣と同じような呪印が浮かび、その下の皮膚が膿のように溶け出して中の筋肉まで見えている。さらにまぶたも溶けてしまったのか左目は右目に比べて不自然に大きく見えてまるで化け物のようだ。
「わ、私の……私の顔が……」
自分の美しかった顔のあまりに無残な変わりようにレイナースは膝から崩れ落ちる。
「レイナース!おまえは部屋から出るな!教会の神官を呼んでくる!」
父は座り込んでしまったレイナースを立たせると部屋に連れて行きベッドに座らせた。そして真剣な顔をしてレイナースを見つめる。
「いいか、絶対に部屋から出るなよ。絶対だぞ!」
「は、はい……お父様。ですがあの獣を放っておくわけには……」
父のあまりの剣幕に思わず『はい』と返事をしてしまったが、あの獣がまだ生きたままなのを思い出した。放っていおいては犠牲者が増え続けるだろう。
「獣には兵を出す!だからお前はここで安静にしていろ。いいな」
(お父さま……私を心配して?)
きっと父は娘を心配して言ってくれているのだろう。そう思ったレイナースは父の優しさを感じ涙が頬を伝った。なんと娘想いの父なのだろう。
「分かりました。神父様が来るまでここで大人しくしていますわ」
レイナースはこんな顔になってしまったというのに心配してくれ、家族を守ろうとする父の姿に涙ながらに微笑むのだった。