モモンとナーベの冒険~10年前の世界で~   作:kirishima13

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第34話 ロックブルズ家の裏切り

 レイナースは部屋で服を着替えていた。

 それは朝起きたから寝巻から着替えるというものではない。硬い皮の胸当てをずれないようにきつく括り付け、鉄板入りのブーツの紐を一つ一つしっかりと結んでいく。

 最近のレイナースはずっと部屋に籠りっきりになっており、寝間着か部屋着のどちらかしか着ていない軟禁されているような生活を送っていたが……もう我慢の限界であった。

 

(神官様の治癒魔法でも治らないなんて……これは呪いに違いないわ)

 

 父はあらゆる伝手を使って高位の神官を呼んだり、治癒のポーションを手に入れたりしてくれたが、それらはレイナースの顔を侵す傷にはまったく効果がなかった。

 さらにあれから1か月……あの獣が討伐されたという話は聞こえて来ない。

 

(アレは私でさえ苦戦する獣……生半可な冒険者などでは倒せはしないでしょう。だとしたら犠牲者がすでに多く出ているはず……)

 

 もし倒すことが出来るとしてもミスリル級以上の冒険者チームが必要になるだろう。それでも依頼の危険度から言って断られる可能性もある。

 

(逃したのは私よ……家族を……領民を守らなくては……)

 

 レイナースは剣の稽古着に着替えるとスカーフで顔の半分を隠す。さすがにこの顔を人前に晒す気にはならない。

 最期に棚の奥から愛剣を引き出す。愛する婚約者のために封印した剣である。しかし今はそんなことを言っていられないと覚悟を決めて腰に括り付ける。

 

 準備完了、とドアに手をかけ出ていこうとノブを捻るが……いくらノブを捻ろうとドアが開くことはなかった。

 

(おかしいわね……開かないわ。壊れているのかしら?)

 

 何度やっても開かないドアにしびれを切らしたレイナースは2階の窓を開けるとそこから庭へとひらりと飛び降りる。剣を含めた重量は相当なものだが足腰のバネですべて受け流した。

 そして体が鈍ってはいないことを確認するように足腰を伸ばすと、そのまま塀を飛び越え屋敷の外へと飛び出していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 向った先は領内の冒険者組合である。小規模でいつもは銀級までの冒険者しかしないはずだが、それでもあの獣の情報は入っているかもしれない。

 期待しながら重い木製扉を押し開けると中には見知った冒険者たちがたむろしていた。

 

「あれ?ロックブルズのお嬢じゃないですかい?その顔の布はどうしたんで?」

「こんにちは、リック。ちょっと怪我をしただけよ。それよりキャサリンちょっといい?」

 

 予想通り顔の布のことを聞かれたが、わざわざ見せる必要もない。

 顔見知りの冒険者に軽く挨拶を交わしながら組合の受付へと向かう。いつもと違い少し落ち着きがないレイナースの様子に受付嬢は戸惑いがちだ。

 

「あ、あのロックブルズ様、今日はどのような御用でしょう?」

「そんなに怖がらないでちょうだい。ちょっと聞きたいことがあるの。大きな狼のような魔物の情報はない?」

「狼ですか!?それならそこに貼っておりますが……」

 

 掲示板に大きな張り紙がしてあり、そこには四つ目の狼の絵が描かれていた。よく見るとミスリル級冒険者募集とある。

 

(あいつだ!!)

 

 間違いなくレイナースに呪いをかけた獣だろう。組合に依頼があったということはロックブルズ家からの依頼なのか、はたまた別に犠牲者がいたのかのどちらかだろう。

 

「討伐は私が引き受けるわ!どこで目撃されたの!?」

「えっ……お嬢様がですか?で、でもそれは……」

 

 冒険者組合ではレイナースが弱い魔物を狩っていることは知っているが、この依頼はミスリル級冒険者向けのものである。さすがに領主の令嬢に頼むわけにはいかなかった。

 

「いいから教えなさい!」

 

 なかなか口を開かない受付嬢にレイナースはカウンターを叩く。こうしている今も犠牲者が増え続けているかもしれないのだ。鬼気迫る表情のレイナースに受付嬢は引きつりながら助けを求めるように後ろを振り返る。

 

「いったい何事だ」

「あ、組合長!」

 

 大きな物音に出てきたのだろう。受付が振り向いた先には冒険者組合長と一緒にもう一人、レイナースの見知った顔があった。

 

「リチャード様?どうしてこちらに……」

 

 組合長とともにいたのはレイナースの婚約者、リチャードである。さすがにレイナースも居住まいを正すがリチャードは驚いた様子でレイナースの格好を見つめていた。

 

「レイナース……だよね?その格好はどうしたんだい?私は父の名代としてこちらの冒険者ギルトに魔物の情報共有をするために来たんだけど……。何でも恐ろしい魔物が現れたとか聞いてね。それにその顔の布はなんだい?」

「こ、これは……」

 

 レイナースはとっさに顔を隠そうとスカーフの布に手を当てようとした。

 

 しかし運命のいたずらか、それとも神の試練であるのか……。スカーフの結び目はハラリと解けてると布が床へと落てしまう。

 

「……ひっ!?」

 

 レイナースのあらわになった顔のそれを見た受付嬢が引きつったような声を出した。しかし、それは彼女だけではなかった。

 

「な、なんだそれは……」

「顔の半分が溶けてる?」

「呪いか何かか?」

「気持ち悪いな……」

 

 組合長や冒険者達がレイナースの顔を見て次々に驚きの声を上げ、レイナースを見つめてくる。その目は普段レイナースを見つめるものと違い、恐れと忌避が入り混じったもののように思えた。

 

『気持ち悪い』

 

 今まで言われたことがない言葉を投げかけられイナースは恥ずかしさのあまり顔を伏せる。今まで蝶よ花よと育てられてきた彼女とってその言葉はあまりにも非情であった。

 

 いまだボソボソと組合内で囁かれる言葉と視線に耐えられなくなったレイナースは唯一の望み重い婚約者に向き直る。彼ならば庇ってくれると信じて……。

 

「待ってください、リチャード様。これには理由が……」

 

(リチャード様なら分かってくださる。この方は私の容姿でなく心を愛してくださっている……)

 

 婚約者はレイナースの容姿でなく心を愛しているとずっと言い続けてくれていた。それが本当であればきっと大丈夫なはずだ。

 涙が出そうになるのを堪え、リチャードへと歩み寄ろうとすると……。

 

「ひぃーーー!ち、近寄るな!なんだその顔は!気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!顔が腐ってるじゃないか!ば、化け物!」

「ぇ……」

 

 レイナースは絶句する。彼と自分の家族だけはそんなことは言わないと思っていた。たとえ容姿がどうであれ愛してくれていると思っていた。それが……。

 

「お、おい!ここは冒険者組合だろう!この化け物を捕らえよ!」

 

 信じられないことに婚約者は、レイナースを討伐対象の魔物として捕らえるように命じる。

 

(うそ……こんなのうそです……。あ……ああ……あああああああああああああ!)

 

 信頼していた婚約者に化け物と呼ばれる。

 信じがたい事態にレイナースは冷静さを失う。頭の中は疑問と絶望のあまりめちゃくちゃだ。そして自分が何をしにここに来たのかさえ分からなくなりその場から逃げ出した。

 

(ど、どうして……どうしてどうしてどうして……)

 

 頭の中に『どうして』が木霊する。今でもレイナースには彼の言ったことが信じられなかった。

 

(顔?顔だけで私を化け物って言ったの!?顔……。治さないと!はやく……はやく治さないと!)

 

 レイナースの思考はさらに支離滅裂となっていく。とにかく顔を何とかしないといけないということだけを頭の中で考えながら駆け出していく。

 

 

(とくかくあの獣を倒さないと……。倒せば……きっと倒せばなんとかなるはずよ……きっと……)

 

 倒せば呪いが消えるなどあるかどうかも分からないのに、冷静に考えるだけの余裕はまったくなかった。

 レイナースは動転のあまり顔も隠さず獣を探すために街中を駆けていく。その横顔を領民達に見られているとも知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 レイナースは有り余る体力で三日三晩領地の内外を駆け回った。しかしそれでもあの獣は見つからない。

 時間が経つにつれて次第に頭が冷静になる。そして自分がいかに自暴自棄になっていたことを思い知った。

 

(わたくし)一人で見つけられるわけないのに……)

 

 領地は広く、帝国はもっと広い。冒険者組合などの組織が目撃情報などを元に探すのならまだしも一人で闇雲に走り回って見つかるはずがない。

 

「うっ……。ううっ……」

 

 あれだけ愛していると言っていた婚約者の豹変。今更ながら婚約者に投げつけられた言葉が心に突き刺さり涙が出てくる。

 ひとしきり泣いた後、レイナースは決意する。

 

「帰ろう……」

 

 さすがに3日も走り回れば体は疲労するしお腹もすいた。家に帰ってしばらく休んだら家族に事情を説明して獣の捜索をしよう。

 そう思いトボトボとロックブルズ家の屋敷へと歩いて帰ってきたのだが……。

 

「お、お嬢様!?」

 

 門番がなぜか剣を構えてレイナースと対峙した。しかしレイナースは何かの間違いだろうと手を振って挨拶を返す。

 

「あ、ただいま帰りましたわ」

 

 それでも門番が警戒の姿勢を崩さないことに不思議に思いつつ門を潜ろうとすると、門番は首に下げた笛を吹く。

 ピィィと大きく響き渡った警笛音で集まってきた20人ほどの兵士にレイナースは囲まれた。

 

「な、なんですの?」

「……帰ってきたか」

 

 レイナースが突然の出来事に戸惑っていると兵達の間から父が現れる。見るとその隣には母と兄も立っていた。

 

「お父さま!これはいったいどうしたのですか?」

「黙れ化け物が!!」

「ぇ……」

 

 普段温厚で怒られたことなどない父の剣幕にレイナースは面食らう。いつもの父は優しく微笑みを絶やさず誰に対しても温厚だった。そんな父をレイナースの尊敬していた……はずだ。

 

「先日、婚約者殿がみえて話を聞いた……。お前との婚約は解消とのことだ……理由は分かるな?」

「そ、それは……」

 

 間違いなくレイナースの顔の呪いが原因だろう。

 勝手に家を飛び出して婚約者に顔を見られたのはレイナースの落ち度だ。婚約者の反応は予想外だったとはいえ、父の顔をつぶしてしまったのは間違いない。レイナースは申し訳なさに思わず顔を伏せる。

 

「まったく……ステュアート家との婚姻を台無しにしおって!何のためにお前を育てたと思っている!」

「ぇ……」

 

 貴族としての面目を潰されて叱責されることは分かる。

 しかしそれでも娘として愛しているから育ててくれたのではないだろうか。レイナースのそんな想いを父は無情にも切り裂いていく。

 

「まったく……容姿がいいからと公爵家へ嫁がせれば我が家も安泰だと思って期待していたものを!そんな顔になりおってこのごく潰しが!」

 

 そもそもこんな顔になったのは父たちを獣から守るためであった。家族を守るために戦って顔に呪いを受けた。しかしそんなレイナースの献身も想いを踏み潰すように罵倒は続く。

 

「せめて家の恥にならぬようにと部屋に閉じ込めておけば勝手に抜け出してその醜い顔を領地中に晒して恥を振りまきおって!」

「閉じ込めて……?じゃあ部屋の扉が開かなかったのはもしかして……」

「お前のような化け物を閉じ込めておくために決まっているだろう。まったく、おとなしくしていると思ったが、こんなことなら地下牢にでも閉じ込めておくべきだったな」

「そ、そんな……」

 

 傷心のレイナースを慮って気遣ってくれていた。そう思っていたのはレイナースだけで、父は醜くなったレイナースを外に出して人に見せたくなかっただけだったのだ。そこにはひとかけらの愛情も感じられない。

 あまりもの不条理にレイナースは怒りさえ忘れ呆然とする。

 

「せめてもの情けだ。その首を自ら掻き切って死ね!そうすればロックブルズ家の墓に入れてやる!」

 

 父がレイナースの足元にナイフを投げて寄こす。それを使って自害をしろということだろう。このまま生かしておいても貴族としての使い道などない。まして家名を汚すだけの邪魔存在だ。そう父の目が言っていた。

 

「い、いや……」

 

 レイナースは後ずさる。なぜ自分がそこまで言われなければならないのか、なぜ自分が死ななければならないのか。理解できずにレイナースは必死に首を振る。

 

「ならば今すぐこの地から出ていけ!化け物が!お前などロックブルズ家の令嬢ではない!」

「そんな……。お、お母さま……」

 

 父の隣にいるお母さまなら分かってくれるはず。自分のお腹を痛めて産んだ子供なのだ。きっと愛していてくれる。しかしその一縷の望みへの返事さえ無常であった。

 

「ひっ、近づかないで!化け物!」

「さっさと消えろよ。おまえはもうロックブルズ家に必要ないってことがまだ分からないのか。化け物」

 

 母の言葉に続いた兄の言葉がレイナースにトドメを刺す。家族からも化け物と呼ばれる。居場所などどこにもない。レイナースの心はもう壊れるしかなかった。

 

「いやああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 レイナースは周りの兵達を押しのけると駆け出した。走っているのか歩いているのかさえ自分でも分からない。目は涙で霞み、心臓は破裂しそうなほど高ぶり、昼間なのに視界は真っ暗だった。

 

(ひあああ!化け物)

(きゃあああ!)

(お、お化け!)

 

 領民たちから向けられる恐怖の悲鳴が聞こえるような気がした。それはレイナースの心の中にだけ響いていた声なのかもしれないし、そうでなかったかもしれない。しかしそれがますますレイナースの冷静さを失わせる。

 

(み、見つけなきゃ……はやく!はやくあの獣を見つけなきゃ!)

 

 もう帰る家はない。婚約者にも捨てられた。領民達も自分を見限っているだろう。そんな彼女に残されているのはあの獣との決闘の約束だけだ。

 あの獣はレイナースを殺すと、決闘すると言っていた。もはや何もかも失ってしまったレイナースにはそんな敵との約束だけが残されたものだった。

 

 

 

 

 

 

 どこをどう走ったのだろうか。とうの昔にロックブルズ領の境を越えてレイナースは遥か離れた王都が見下ろせる森の中まで来ていた。

 すでに周りには夜の帳がおり静寂が闇を満たしている。もう耳障りなあの悲鳴は聞こえない。そのことにレイナースはほっと安堵した。

 

(これからどうしようかしら……)

 

 多少冷静さを取り戻したレイナースは考える。こんな顔をしてまともに街で生きていくのは辛いだろう。顔は隠さなければならない。

 それならば傭兵やワーカー、冒険者はどうだろかと考える。強さには自信があるし自分には向いているかもしれない。

 

(でも父が許さないでしょうね……)

 

 父はあれでも大きな貴族派閥に属している。家を出奔した自分がのうのうと帝国で生きていることを見逃すとは思えない。

 

(他国にいくしかないかしらね……でもその前に……)

 

 今はあの獣のことが気になっていた。レイナースが家を出奔した原因にして元凶。獣は決闘を望んでいた。そして決着をつけなければおさまらないのはレイナースとて同じだ。

 そんなことをぼんやり考えていると静かな森の中から懐かしいような、そしてなぜか心が揺さぶられるような奇妙な気配がする。

 何だろうと木陰から森を覗き込むととそこには……。 

 

 

 

───月明かりの下、呪われた狼と踊るようにじゃれ合っている漆黒の鎧がいた。

 

 

 

 


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