真っ暗な闇の中、三枚のモニターが放つぼんやりとした光が、青年というには少し老けた男の裸体を照らし出す。はっきりと全体像を捉えられないそれは、むしろ照明の下で見るものより遥かに扇情的であると思えた。
男の正面、光源を背にして簡素な椅子に腰掛ける白衣の女性はそんなことを気にする風もなく、淡々と診察を終わらせた。
「限界が近付いているのは日々感じているが、存外長生きできそうだな」
映し出された診察結果に、シャツに袖を通しながら視線を走らせたマクギリスが満足げに言う。
「すぐに結果を出せる項目なんてこんなものよ、詳細はもう少し時間を貰わないと分からないわ。でも確かに、あなたは並み以上に活きがいいわね」
面と向かって会話しているように見えて、女の方はマクギリスの顔を一切見ていなかった。
当然、マクギリスはいちいちそんな些事に神経を割いたりはしない。
うなじに突き出た阿頼耶識のデバイスをひと撫でして、モニターと女に背を向ける。
「例の件、順調に進んでいるか? 」
部屋を出る直前、開いた扉から差し込む光に影を落としながら、いま思い出したかのように尋ねる。
「データの復元と検証も終わったし、理論上は何も問題ないわ。本人の説得ができれば、今すぐにでも施術可能よ」
「なるほど、それは先が長そうだ」
薄皮一枚下で他人を嘲笑っていそうな、表面に貼り付けただけの笑みを返すマクギリス。意趣返しのように、女がちくりとトゲを刺す。
「それはあなたの役割でしょう、『マッキー』? 」
「努力するさ、君の期待に応えられるようにな。よろしく頼むよ、アルダ・ハンティア」
ふっと息を吐いたマクギリスの真意が露になるのも、そう遠くはない。
※※
「火星自治議会は『鉄華団』残党勢力をテロリストと断定し、構成員の身柄拘束に向けてギャラルホルンとの連携を進めていくことを表明しました」
混沌を極め、混乱の極地にまで達した議会をものの数時間で手中に収めたマクマード・バリストンの手腕は流石の一言だった。
消息不明となったクーデリアの側近、元鉄華団員に関する詳細な情報を武器に、状況の説明を求める者らの怒りを鎮めつつ対『鉄華団』の気風を煽る。混乱の原因から目を反らさせ、かつ全員が同じ方向へ向くように導いたのだ。
結果、臨時議会の開場から半日と経たずにこうして決定事項が大々的に報じられている。
「間に合って良かったです」
クリュセ市街地に建つ、何の変哲もない民家。
差し迫った状況に流されて、言われるがままに付いてきたチャドは、その隠れ家と呼ぶには堂々としすぎている佇まいに驚く。
自身を取り巻く環境についてひとまずの説明を得て少しは落ち着いたように思えたが、いま逃走しているという事実は問題の先延ばしどころか問題の肥大化をもたらしていることに再び胃を締め付けられる思いだった。
「トロウ、お前、何をしてるんだ」
見覚えのあるかつての友、しかし八年の時を経てすっかり歴戦の雰囲気を漂わせる男たちに取り囲まれていることへの恐怖。そしてチャド生来の気質でもある、道を違えたとはいえ旧友である者らへの気遣い。それらが一挙手一投足に漏れ出して、いまこの場における上下関係をはっきりと視覚化している。
ユージンやダンテ、あるいは願うべくもないがシノやオルガならば威風堂々と単刀直入に核心を突く質問をするのだろうがチャドにそこまでの度胸はなかった。
口をついて出た問いも、論点をぼかした弱々しいものだ。彼らを狼に例えるなら、議場に居た高官たちの勢いなど死骸にたかる蟻のようなものだった。
「『隊長』の信念、そしてオレたち隊員の意思です。こうなることは、始めから分かっていましたから」
差し出されたタブレットの画面に、見知った顔が躍り出る。
ライド・マッスと、ラスタル・エリオン。
水と炎よりも相容れない二人が面と向かって話をしている。音声はついていなかった。代わりに、こちらも耳に覚えのある声。
「ギャラルホルンは、テロリストと手を組んだ。突如出現したモビルアーマー、タブリス。そしてその撃破は『鉄華団』残党の自作自演だ。それを見抜いていながら、ラスタル・エリオンは彼らの持つ暴力に屈したのだ」
両端をギャラルホルン兵が支える担架に乗せられ、四肢をだらりと力なく横たえながらも、心までは傷ついていないことを窺わせる引き結ばれた顔のライドに、ラスタルが何か告げた。ライドの力強い首肯を受けてラスタルは満足げに微笑んだ。
どんな会話が交わされたのか定かではないが、こうして映像だけを見ればいくらでも邪推のしようはあった。
「この七年で進められたラスタル政権の施策はどれも、外への対面を取り繕うためにギャラルホルンのあるべき力を削ぐ愚策だった。これ以上座して待つわけにはいかない、ギャラルホルンは世界の警察としての姿を取り戻し、毅然とした態度でテロリスト廃絶へ向けて先頭に立ち旗を振っていかなければならない。その必要性を痛感した我々は、再び立ち上がることを決めた。『エインへリアル』の名の下に、弱体化した現行ギャラルホルンは打ち崩す。市民の皆さまにおかれましては、多大な混乱をもたらすことにどうかご理解を頂きたい。政権奪取の暁には、我々がテロリスト、武装組織、その他あらゆるトラブルすべてに対して厳正に対処し、全責任を負うことを約束致します」
後半は、映像もマクギリス本人の演説のものに変わっていた。
気付けば、周囲の青年たちから放たれるオーラが剣呑としたものに変わっている。
警戒を強めるチャドの様子を見て取って、トロウが事情を話してくれた。
曰く、『鉄華団』残党は『雷電隊』を核として、ライドによって取りまとめられていること。
そして、そのライドは七年前からマクギリスたち反乱軍の生き残りと手を組んで打倒ギャラルホルンを掲げ活動していたこと。
今、ライドが率いる雷電隊はヴィーンゴールヴへ降下していること。
「そこから先、現場で何があったかは推測になりますが、恐らくあなたが考えている状況で間違いないと思います」
「必要がなくなり、切り捨てられたか」
「理解が早くて助かります」
かつての上下関係を思えば傲岸不遜も甚だしいものだが、そういうことに気を回さないことがむしろ実直さを感じさせる。
いや、不器用というべきか。
「この日が来ることは覚悟の上でした。そしてそうなれば、あなたやクーデリアさんたちに危険が及ぶことも、隊長は承知していました。だからオレたちは、事が始まればかつての関係者を全力で守り抜く、そのための部隊です」
「勝手な言い分だ …… というのも承知の上らしいな。言うまでもなく」
沈黙の肯定。
クーデリアやユージンと消息を辿っていた頃から九割九分そうだろうと思ってはいたが、いざ言葉にされるとようやく現実味が伴ってくる。
行方不明になった元鉄華団員は、マクギリス・ファリド事件当時の年少組を中心に二十名余り。それをまるまるライドが戦力としているなら、それなりの規模にはなる。
「この放送は、火星にしか流されていません」
「なんだと? 」
チャドがいくらか状況を飲み込み、落ち着いたことを確認してトロウは続ける。話の進め方というものを、主導権の握り方をよく理解している。チャドもクーデリアの交渉術や彼女の相手の老獪な話術をさんざん聞かされてきた身ではあるが、情けないことに門前の小僧レベル、かろうじて自分が手玉に取られていると自覚するのがせいぜいだった。
「少し前に隊長たちがノブリスを殺し、マクギリスがギャラルホルン火星支部を取り込み、『エインへリアル』は火星周辺の通信網を掌握しています。この放送が直接地球圏に届くことはありません」
「しかし、火星に拠点を持つ企業から各経済圏の耳に届くのはそう遠くないぞ」
「『ギャラルホルン本部に届かないこと』が重要なんです」
そこまで言われて、ようやく気付く。
マクギリスの言う通り、ラスタルの穏和政策はギャラルホルンの影響力を弱めた。これは各経済圏が『有事の際、ギャラルホルンが動くまで戦線を維持できるだけの力』という口実のもと軍事力の拡張を推し進め、それを後押しするようにラスタルが『癒着の根絶』を発言したための施策だったが、厄祭戦以降三百年続いたパワーバランスの崩壊でもある。
既に圧倒的な『力』として君臨してきたギャラルホルンをいかに利用するか策を巡らせてきた時代は終わり、自らが力を持って他の勢力への影響力を強める時代が訪れている。着々と力を着けていく経済圏にとって既にギャラルホルンは厄介者でしかなく、以前のように軍事力で脅される心配もない。いわばギャラルホルンと各経済圏は敵対しているようなものだ。
そこへ、ギャラルホルンにとって圧倒的に不利な状況を作り出して情報を流す。
「戦争が起こるぞ …… !! 」
「あのマクギリスなら躊躇いはしないでしょうね」
ことの重大さを受け入れるには、少し時間がかかった。
ゆっくりと咀嚼し、飲み下したチャドは、しかし続けられたトロウの言葉に再び思考が止まった。
「オレたちに、協力して頂けませんか」
あまりにも無茶苦茶な話だと思った。だがトロウの話を聞くうち、理解が追いついてくるとチャドの考えは変わった。
「分かったよ」
何の変哲もない町の片隅で交わされた、重大な口約束。
複雑に絡み合った各陣営の思惑が生み出す混乱は、マクギリス・ファリド事件の比ではない。
※※
実際、マクギリスの企みはそっくりそのまま実現された。
ヴィーンゴールヴの復旧に明け暮れていたラスタルのもとへマクギリスの演説内容が届く頃にはぴったり一か月が経っており、ようやくタブリスから受けた被害の影響がなくなろうかというタイミングである。
「さて、詳しく聞かせて貰おうか」
ガラン・モッサ一派のように世界に散らばっているギャラルホルン外部の部下から話を聞き、ラスタルが最初に訪れたのがライドの病室だった。
あの後精密検査を行った結果右腕の感覚は今後戻らないことがはっきりとし、さらに全身の打撲、内臓へのダメージも加味した上で最低でも三か月の安静を、と診断が下された。しかし言葉に従うつもりなどさらさらなかったライドは、ラスタルがジュリエッタを伴って訪ねると今にもベッドを抜け出しそうな勢いでトレーニングに励んでいた。
「下っ端のオレに伝えられてることなんざ、あんたが予測できる範囲内だと思うがな」
ラスタル自身が顔を見せたことに対しあからさまに不機嫌な態度を取るライドだが、素直に会話に応じるのは停戦を受け入れ治療をしてくれた対応への誠意である。やや偏った過激なものではあれど、鉄華団からテイワズへと続く組織の中で人として通すべき道は教わっていた。
「バエル奪取の目的が『アグニカ・レコード』だったってことは把握してるんだろ? 」
「恥ずかしながら、それに気付いたのは事件の後だったがな。長らく噂には伝えられていたが、都市伝説のようなものだと思っていた」
「それにしても、三百年もの間誰も探ろうとしないってのは異常に思えるがな」
「他のすべての家門を出し抜くというのは難しいものだからな。君たちが信頼で繋がっていたなら、私たちの関係は疑り合いだ。皆が誰もを信用していないからこそ均衡が保たれていた」
自虐的に語るラスタルの様子は実直な壮年を思わせるが、どこまでが本心なのかなど分からない。ライドは当然のこと、ジュリエッタも常々それを意識せずにはいられない。
情に流されまいと警戒するライドが話を戻す。
「素直に考えるなら、『マクギリスのギャラルホルン』と経済圏、火星、金星、その他人類すべてがあんたの敵ってことになる …… 切り捨てられたオレたちにとっても。奴の狙いは現政権を打倒した後に新生ギャラルホルンの指導者として君臨することだろうが、そうなると違和感がある」
「『強いギャラルホルン』の復権、か」
確かに今のギャラルホルンは存在そのものが目の上のたんこぶで、ラスタルの辣腕によって軍事力での恫喝こそないものの政治的に未だ大きな力を持っている。しかし三百年の呪縛から解かれた経済圏は、マクギリスの言うギャラルホルンの復権を良しとはしないだろう。この八年間でみるみる増えていった軍事費もそれを証明している。どちらが良いか、と言われればラスタルの方が御しやすいだろう。
となると、それを声高に唱えることはマクギリスにメリットがない。
ライドが言葉を切ったのと同時に訪れる沈黙、三人がそれぞれ必死に頭を巡らせる。
そこへ、再び病室の扉が開く。
「あの男は、権力になど興味はありませんよ」
ガエリオ・ボードウィンだった。車椅子を押すのはバドイ・ロウ。ラスタルの目が軽く開かれる。
「恐らく奴の目的は、次の時代を統治する新しい王の選別、といったところだろう。その基準は、常々口にしていた『純粋な力』。力のあるものがすべてを支配し、力なきものは淘汰される世界。それが実現されるのならその頂点に立つのが自分でなくとも構わない、そういう男だ」
「しかし、素人とはいえ各国の大臣も軽々しく軍を動かすほど無能ではあるまい」
「その辺も折り込み済みだ」
バドイ曰く、『バルコーナ・ヨーゼン』の首魁はマクギリスであり、反ギャラルホルンのテロリストを装って各国の対立を煽っているという。
盗聴を条件にヴィーンゴールヴから繋いだ通信で、捨て駒にしたことへの謝罪もなく、挙げ句いけしゃあしゃあと次の任務を言い渡されて離反を決めたというバドイの言い分はにわかには信じがたいものの、彼が嘘をつくメリットもなかった。
「ギャラルホルン対全世界の対立ではなく、全世界でのバトルロワイヤルってことか」
かなりオブラートに包んだライドの表現にジュリエッタが眉をしかめる。何かを言おうとした彼女を遮り、ガエリオが口を開く。
「それよりも、ライド・マッス、私の妹について聞きたいのだが」
「知らないな」
間髪入れない即答にガエリオの右手がぴくりと動いた。
「アルミリア・ボードウィンが火星会談の時に確認された話は上層部の間で広まっている。共に君がいたこともな」
「ひどく余裕がないみたいだが大丈夫か? 知らないって言ったはずだ、少なくとも今のアルミリア・ファリド・ボードウィンについてはな」
当てこすりのように言うライドを睨み、ガエリオが握り拳を作る。当人の意志がどうであれ、元貴族家ボードウィンの名にかけてもガエリオやガルスがあのような婚約を認めているはずもない。
努めて平静であろうとしていることが目に見えて分かる様子のガエリオと、せめてもの抵抗といった感じで煽り嘲るような口の利き方をするライドがさらに二言三言交わし、互いの沸点ぎりぎりに達したところでラスタルが制止に入った。
「仮にも病人だ、その辺にしておけ。ライドくんも身体を休めるといい、まだ話を聞く時間はたっぷりあるからな」
貫禄のある、腹の立つ笑みを浮かべ立ち去るラスタル。それに続いて背を向けたジュリエッタをライドが引き留める。
「狼の屍肉の味はどうだった、ハイエナさんよ」
振り向いたジュリエッタは、晩秋の夕暮れの空模様のような顔をしていた。それがどういう意味なのかに勘づく程、ライドは察しが良くない。
本当に書きたかったところ、筆者が思うところの本題はここら辺りからになります(遅ぇよ)。
オチの構想はけっこうしっかり固まってるんですが、どう話を繋いでいくかで迷走真っ最中。
はてさて、完結するのはいつになるやら。
どれだけの物好き(失礼)が、ついてきてくれますことやら。