蒔苗東護ノ介の屋敷でIDの書き換え、すなわち自分の社会的な称号を改竄したのち、"元"鉄華団メンバーは火星にとんぼ返りするためにアーブラウ領内の宇宙港へ向かっていた。アーブラウの実質的なトップである蒔苗の権力を使えば世界中の金持ちが自家用シャトルを飛ばすために共有しているプライベートの港を使うこともできたが、それではいくらIDを書き換えたからといって目立ちすぎるだろうとの判断で民間の定期航路を使うことにしたのだ。
それぞれが不自然ではない程度のカジュアルな服を一揃い用意してもらい、屋敷での着付けの時にさんざんはしゃぎまわった後、宇宙港での手続き(特に本人確認)に心臓をバクバクいわせながら、ひとまずはクーデリア嬢が用意してくれたアドモス商会内の働き口へ収まり、そこから各々が自分の道へ進めば良い、という算段だった。わざわざアドモス商会が新規開拓するいくつかの事業に子会社を割り当て、数名の商会職員を据えてその中に団員を受け入れようという大袈裟な計画を聞いたときにはチャドやユージンら年長組が驚きを隠せずにいたが(ほとんどの団員は訳も分からず「へぇ、すごいな」くらいの感想だったが)、横で蒔苗がくつくつと心底楽しそうに、この数年で見たことがないほど愉快そうに笑っているのを見ればあらかたの事情は見当がつくというものだ。「引退後は火星で暮らすのも悪くはないと思っていたのだよ」などと真偽のほどを図りかねる意味深な言葉は捨て置くとしても、将来的にアーブラウの企業が火星に進出する際の足掛かり、そのための出資とも捉えられるし、政治家の天下り先としても機能するだろう。クーデリアの気質がそれを許すかどうかは分からないが。
発足直後の資金難と人材不足に苦しんでいた弱小零細新参企業時代の鉄華団からは考えられないマトモな身の振り方を提示され、団員たちは改めてオルガや三日月たちが遺してくれた業績の大きさに涙を流すのだった。
分散して宇宙へ上がるために複数用意された、蒔苗の私邸から宇宙港までのルートをたどるべく短い別れを惜しみ複雑な表情を浮かべる団員たちの中に、ひとりだけの異質、とても分かりやすく強烈に単純な感情を表層に表した少年が混じっていた。
つい先刻、升牙・ライグライドという名を手に入れた、目の下にひどいクマをこしらえた、ボサボサだったオレンジ色の髪を整えてもらった、ずっと顔を伏せている少年。生まれ落ちた時にもらった名前を、ライド・マッスという。
数か月前、火星で行われたギャラルホルンとの最終決戦において敬愛する上司にして先輩にして兄貴分、オルガ・イツカを目の前で失った、ライド・マッスである。
「心中は察するが、若人よ。その男が遺してくれたから、お前は生きていけるのだ。オルガ・イツカだけではない。多くの者が命を賭して繋いだ道がお前をここへ導いたのだよ。今は亡き仲間のためにも、胸を張れ」
「お前はよくやったよ、ライド。オルガが死んだのはお前のせいじゃない、気に病むな。お前はお前の道を生きろ」
「ライド、言ってくれればできる限りのことはする。だからそんな、自殺志願みたいな顔はやめてくれよ」
あまりにも陰鬱な感情を隠そうともしない彼を心配して声をかけた人間は決して少なくなかったが、蒔苗の言葉もユージンの言葉もタカキの言葉も、ライドの心には全く響かなかった。
人間が死んでいく様を、身体で感じ取ったことがあるのか。自分に覆い被さった人間の血液を浴び、青白い顔で焦点も虚ろな目で「お前のせいじゃない」と慰められた絶望が分かるのか。モビルスーツやモビルワーカーを使って体温のない機械を撃つだけのシューティングゲームしか経験したことのない仲間たちの見当外れな慰めは、ただライドに無力感と後悔、そして激しい怒りを呼び起こす燃料にしかなり得なかった。
「一緒に、来てくれないかしら」
だからライドは、既にギャラルホルンによって封鎖されていたクリュセに忍び込んだときに遭遇した自分とさほど歳の変わらない女の誘いに、一瞬の葛藤も躊躇いもなく答えられたのだ。
「もちろんだ」
幸い、ついてきてくれる仲間は少なくなかった。鉄華団に受けた恩を思えば、たとえ自分の人生が多少いばらの道になったとしても構わない、そんな奴らも一定数いた。その多くはライドよりも年下、オルガの意向で前線には出されなかった年少組だったところを見れば「モビルスーツに乗りたい」、「戦いたい」という欲求、手の届くところにひどく面白そうな玩具があるというまだまだ幼稚な本能的かつ直感的な理由だったのだろうが、それでもライドは受け入れた。そしてクリュセで出会った少女、アルミリア・ファリドも快く承諾してくれた。少しでも、一人でも、一機でも多くの戦力が欲しいのだとアルミリアは言った。利害の一致した二者が取るべき道は、当然、結託のひとつだけだ。
アルミリアはライドが欲しかったもののほとんどを持っていた。モビルスーツや戦艦、たくさんの仲間、指揮系統、力、行き場のない怒りをぶつけるための目的。
「ラスタル・エリオン。虚実織り混ぜた上っ面でギャラルホルンを掌握し、私たちを迫害し、いままさに圧倒的な権力にものをいわせて世界を作り替えているすべての元凶、絶対悪。あなたたちに関わりのあるところでいえば、名瀬・タービンを殺したイオク・クジャンの飼い主であり、鉄華団地球支部に多大な損害と犠牲者をもたらしたSAUとアーブラウの紛争を仕組んだ張本人であり、三日月・オーガスと昭弘・アルトランドを殺しここを更地にするよう命令した男でもあり--オルガ・イツカを殺したノブリス・ゴルドンと組んでいた男。奴を倒し、かりそめの平和と虚構の民主主義と偽りの歴史に踊らされる民衆を救う。それが私たち『エインヘリアル』、神の名を騙る驕った人間とその野望を、共に打ち砕きましょう」
ライドにとってこんな話の大半はどうでも良かった。
世界を救う? 何のために。こんな世界、壊した方が早いじゃないか。表向きは人権の尊重だなんだと謳いながら、敵対すれば容赦なく嘲り、罵り、遮断し、切り離し、切り捨てて存在そのものをなかったことにする。名瀬も昭弘も三日月もオルガもアストンもビスケットも、みんなそうやって切り捨てられた。都合良く切り貼りされた情報をただ受け入れ、発信者の思惑通りに憎み蔑み唾を吐く、そんな民衆にも興味はない。だからこんな絵空事、途方もない理想、理解しがたいきれい事だった。
「分かっているさ、君は新しい世界に興味はないのだろう。だから君には『壊す』役をやって欲しい。理想に基づいて作り替えるにしても、ラスタルという色に染まったこの世界は一度リセットしてしまう必要がある。そのための戦士、兵士として戦って欲しい」
計画のすべてはこの男、マクギリス・ファリドから始まった。
かつての身売りの少年が夢見た、すべての人間が実力によって評価される正しく等しい世界、その実現のために集まったのが『エインヘリアル』。
「あの時のことは申し訳なく思っている。敗北することは計画済みだったとはいえ、鉄華団に被害を出すつもりはなかったのだが、しかしあれも必要な手順だった。ギャラルホルンを一枚岩にすれば倒すべき敵が明確かつシンプルになる。一度勝利した相手に対しては無意識のうちに慢心が生まれる。そしてギャラルホルンが所有するガンダム・フレームはすべて凍結され、開かれた政治を掲げるラスタルはもう禁止兵器も使えない。気休めにしかならないとしても、勝てる確率は少しでも上げておきたかったのだよ」
「そんなこと、どうだっていい」
思わず、声が荒くなる。理想で飯は食えない。夢で生きてはいけない。空想だけでは、世界に受け入れられない。
何より、あまりにもキレイな絵空事を掲げればライドにとって本当に大切な事が切り捨てられる。
「全部、壊していいんだな。鉄華団を拒絶した、オルガ・イツカを排除した、オルフェンズを認めなかった、この世界すべてを」
「構わないよ」
そう、ノブリス・ゴルドンもラスタル・エリオンもテイワズもギャラルホルンも関係ない。そんなものはただの通過点だ。
自分たちを認めなかったこの世界すべて、自分たちのこの手でぶち壊す。後のことなんてどうでもいい、どうなろうと知ったことじゃない。
「頼もしいな」
言葉を重ねるごとに眼光が鋭くなるライドを見て、マクギリスが目を細める。
「君を見込んで、託したいものがある」
君の目的を果たすために必要な、絶対的な力だよ、と。
ライトアップされたドックの中に、一機のモビルスーツが立っていた。今は眠っている鋭い一対の眼、破損していても原形が容易に想像できる特徴的なV字のアンテナ。スマートな人形を踏襲しながらも右腕だけが異様なまでに肥大化した異形のフォルム。
「ガンダムアガレス。圏外圏で見つけたものだ。かつてはグシオンと共に運用されていた機体、我々のできる範囲で改修も行っている。君の、鉄華団の戦闘スタイルには似合いのものだと思うが」
「私たちが泥船じゃないって証明と、契約成立の証に。たった今から、これはあなたのものよ」
深紅の装甲に彩られたガンダム・フレーム、その隙間から漏れる鈍い光に睨まれているような錯覚すら覚える。三日月や昭弘、シノといった先輩が乗り込む後ろ姿を見送っていた頃とはまったく違う、とてつもないプレッシャーを機体から感じる。
「基本的にはずっとここに置いておくから、暇があれば身体を慣らしておいてもらいたい。機体データを見る限り、これはグレイズやユーゴーどころか並みのガンダム・フレームをも遥かに上回る出力を持つらしい。肝心な時に動けないのでは困るのでな」
あまりにもとんとん拍子に一方的に進められる話に置いていかれる形になったライドがあわてて口をはさむ。
「ちょっと待ってくれ。先に言っておくけど、俺らに崇高な理念や大層な志なんてもんはない。あんたたちの言うことだって理解はできるけど同調するつもりはない。あくまで『敵の敵は味方』ってだけ、昔の話も関係ない。俺らが望むのは、今の秩序の崩壊と今の世界の破滅だよ。そんなやさぐれ者の集まりで、本当にいいのか? 」
「そんな君たちだから、頼んでいる」
アガレスの装甲を叩く小気味良い音がドックに反響する。恍惚とした表情で目の前に佇む巨人を見上げて、マクギリスはふっと息を吐いた。
「純粋な力こそが、それのみが世界を変えうるというのが私の持論なんだ。しかしもう私はモビルスーツには乗れない身となってしまった。阿羅耶識システムを使い、いくつもの修羅場を潜り抜けた経験を用いてガンダム本来の力を引き出せるのは君だけだと思っている。事前準備も事後処理もこちらで引き受ける、だから君たちは何も考えず最高のパフォーマンスで暴れて壊して潰してくれればいい。これでは不満かな? 」
不満などあるわけがなかった。たとえ囮だろうと捨て駒だろうと構わないと思っていた矢先、後始末は全部やるから好きに暴れろなどと。
「契約、成立だ」
「共に戦おう、新たなる同志たちよ」
マクギリス率いる革命軍残党、ハーフビーク級戦艦二隻にモビルスーツ十五機。ライド率いる鉄華団残党、所持戦力はアガレスただ一機。
取るに足らない些末な戦力ながらも威勢のいい、唯一の反ギャラルホルン武装組織がここに活動を開始する。
鉄華団本社壊滅から、ちょうど一年が経っていた。
マクギリスやアルミリア、ライドたちの言葉遣いの表現が難しい……
定期的に確認しながら、このセリフ誰よ?みたいになってるところあったら修正致します。