鉄血のオルフェンズ 残華   作:イング・ディライド

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笛の音が鳴る時は近く

 時を少し遡って、マクギリスたちがアーレスを強襲した少し後のこと。

 

 「私が火星に、ですか」

 

 ヴィーンゴールヴ。太平洋を臨む壁一面をガラス張りにしただだっ広い高級官僚の執務室で、現在ギャラルホルンの全権を握る男、ラスタル・エリオンが苦い顔をしている。オーク製の、簡素ながらも気品を感じさせるデスクの上に一枚置かれているのは、ギャラルホルン火星支部長の正式な印が捺された書類である。

 

「先日、アリアドネのネットワークが一時的に途切れたことがあっただろう。火星支部の方でも調査はしたが何も分からないらしくてな。念のため警備を増強しておきたい、との依頼だ」

 

 気だるげにその紙をつまみ上げ、ひらひらと振ってみせるラスタル。遠回しに「私の管轄外だから、どうしようもない」と言わんばかりの態度である。釈然としない様子のジュリエッタだったが、上官にこういうさまを見せられては抵抗することもできなかった。

 

「しかし、現在ここを手薄にするのは危険ではありませんか。各経済圏の軍隊も整備され、ギャラルホルンの優位性も崩れつつあります。特にアフリカンユニオンなどは経済発展と軍備増強が急速に進んだことで混乱が起こっている。平定のために派遣する予備兵力は残しておくべきかと」

「賢くなったな、ジュリエッタ。視野も広い」

「茶化さないでください」

 

 ぴしゃりと言い放つジュリエッタの剣幕に怯む様子もなく、ラスタルは椅子を回してジュリエッタに背を向けた。その視界に一面の海原をおさめ、ふっとため息。近頃のラスタルが、公には生き生きと振る舞っていても私には少しやつれたように見える、そう思うのはおそらくジュリエッタを含めて数人だけだろう。

 不用意に弱点を見せることはたとえ相手が誰であれ自分の死を一メートル近付けることなのだ、とはラスタル本人の弁。

 

「だが型に嵌まった立ち回りだけでは生き延びられん。お前も火星の姫と対をなす『戦場の乙女』、悪魔狩りの英雄として政治的な立場からは逃れられないのだから、しっかりと胸に刻んでおけ」

 

 いくぶんか小さく見える背中を睨むようにするジュリエッタに、咎めるような諫めるような口調で語るラスタル。以前は気が逸ってばかりのジュリエッタをこうやってラスタルが窘めるやり取りも多く見られたが、互いに歳を重ね、ジュリエッタも経験を積んだ今はそんなこともなくなった。

 それが嬉しくもあり、悲しくもあり。

 

「そうそう、忘れていた、火星での首脳会談の件。こちらから出席する者がいてな。彼らの護衛という名目も兼ねている。」

 

 ラスタルはデスクの引き出しの中から書類の束を取り出し、パラパラとめくる。ギャラルホルン所属兵のプロフィールらしい。

 

「それぞれの支部から優秀そうな者をピックアップさせておいた。代理の人選は任せる。心配するな、長くても半年もあれば戻ってこられるさ」

 

 それとも、あの男が同行しなければ不満か?

 ラスタルの古風な冷やかしに、ジュリエッタは冷ややかな視線で応える。悪びれる様子もなく肩をすくめる老人に暴言を吐くほど理性を失ってはおらず、

 

「では、代理はシーミア二尉を推薦します」

 

 ほう、と目を細めるラスタル。当然だろう。

 おそらく那弥木はラスタルに提出された推薦リストの中に名前のない、あまたいるギャラルホルン通常士官のひとりに過ぎない。今は確か地球外縁軌道統制統合艦隊所属のいち事務官として勤めているはずだ。

 

「以前、私が彼女の所属へ査察を行った際に世話になりました。世界情勢への知識や兵法への造詣も深く、ここへの配属に適していると考えます。かつては彼女自身も査察官として各地を巡っているため、更なる人材の発掘も期待できるかと」

「なるほど、それは興味深い」

 

 さほど感情のない相槌から話題を膨らませることもなく、ラスタルは会話を打ち切った。それは検討の余地があることを示しているのだと長年の付き合いから理解しつつも、最近は以前にも増して反応が薄い。言葉を交わしていても心ここにあらずといった感じか。

 セブンスターズの廃止によりラスタルへの負担が増えているのは理解しているつもりのジュリエッタだったが、心のなかに言い表しようのない不安が生まれつつあるのを否定できずにいた。

 

 

 

 そして、後日。

 地球、太平洋の海上に浮かぶメガフロート、火星から金星まですべてのギャラルホルンを統べる本拠地、ヴィーンゴールヴ。白を基調にした清潔感のあるカラーリングは、頭上の太陽と海面から照り返す日光を浴びて眩しく光る。迂闊に視界に捉えれば失明してしまうのではないかと思うほどに光輝く巨大構造物の中には、歳生と同様にそれ単体で街として機能しうるほどの設備が整えられている。

 

「この度、第十三特務大隊に配属されました、那弥木・シーミアです。まだまだ未熟なところも多い若輩者ですので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」

「そういう堅苦しいの、好きではないんですけどね」

 

 ギャラルホルン司令部直属で主にヴィーンゴールヴの防衛、太平洋上の対空監視を行う特務隊。かつてはセブンスターズの近親者あるいはそれに準ずる血統を備えた者しか入隊を許されなかった、超一流のエリート部隊。それがここ、第十三特務大隊である。

 

「臨時で隊長をやってるジュリエッタ・ジュリスよ。私がここにいる間はビシバシ鍛えてやるから、覚悟しておきなさい」

「あの、伝説の『悪魔殺しの英雄』、なのですか。まさか本物に会えるとは、いえ、ヴィーンゴールヴに異動になったからって、少しは期待してましたけど、本当にこの目で拝める日がくるとは、思わなかったもので、えっと・・・」

「落ち着いてください、シーミア二尉」

 

 当然の事ながら地球上、それも太平洋の上でことを構えられるほどの戦力を有するギャラルホルンの敵対勢力は現状確認されてはいない。そもそもそれを可能にするなら最盛期の鉄華団の数倍の戦力と着地する場所のない洋上戦闘に精通したクルーたちが必要になるため事実上不可能ともいえるのだが、それゆえにこの特務隊はギャラルホルンいち安全な部隊である。その特別性と安全性からエリート御曹司のボンボンが着飾るためのポストとしての役割が強かったが、ラスタルによる部隊再編の影響でそういった事情も変わりつつある。

 出身地や経歴、家系などから配属先を振り分けていた風通しの悪い血統主義から一転、地球上の安全な場所で十分な訓練を終えた後に本人の希望を尊重したうえでそれぞれ前線に割り振られる、良心的なシステムが浸透していっている。そもそも訓練の足りない新兵を最前線に送り込めば人的損失、物的損失は馬鹿にできず、そして頻繁に人員の入れ替えが起これば教育にかかるコストも無視できない。

 ラスタルが掲げる『開かれた組織運営』の宣言のもとで行われた改革のひとつである。

 

「聞けば私の配属はジュリス特務三佐の推薦があったからこそとのことで、期待に応えられるよう精一杯の努力をしていく所存、どうかよろしくお願いいたします」

 

 末尾に向かうにつれ小さく細くなっていく声で、なんとか那弥木の自己紹介が終わる。いくらか緊張は解けたようにも見えるが、まだ堅苦しさは否めない。これが彼女生来の気質なのかどうかは、顔を合わせるのが初めてに等しいジュリエッタには判断がつきかねる。

 

「そう畏まらないでください、私も軍備再編計画の折りには世話になりました。あの時の仕事は見事なものでした。とにかく私は初対面だとは思っていませんので、分からないことがあれば気軽に聞いてください」

 

 そう言ってにっこりと微笑むジュリエッタ。八年も勤めていれば、後輩の面倒を見る余裕もいくらかは生まれてくるものだ。まだ若いとはいえ、ジュリエッタ自身も若手とは言い難い歳が近づいてきている。その事に多少のショックを抱きこそすれ、自分の立場が上がっていくことへの高揚感も確かにあった。

 それはともかく。

 

「では、お聞きしますが、ボードウィン中将とは、どういうご関係なのですか? 」

 

 新任教師がやってきた時の中学生のような質問に、不覚にも先刻のラスタルとのやり取りを想起してしまったジュリエッタは、いつ以来か自分でも分からないほどに激昂するのだった。

 

「少なくとも、あなたが想像しているものとはまったく違います」

 

 静かで穏やかな中にふつふつと滾るジュリエッタの怒気が爆発したとき、第十三特務大隊の面々は既にそれぞれの持ち場に戻っていた。わざとらしい口笛で誤魔化しながら。

 

 

 

※※

 

 

 

 

「君たちはこれから、誰にも教わらなかった苦しさや辛さ、悲しさを味わうかもしれない。それは仕方のないことだ、しかし悲観してはいけないし自分を責めるのも駄目だ。もちろん、他人のせいにするなんて絶対にいけない」

 

「何なんです、これは」

「ありがたいスピーチだよ、ぶつくさ言わずに聞いてろ」

 

 カガリビの中で最も広いスペース、メインブリッジ。

 そこに元ロイヤーズの子どもたちを集めて、伝えたいことがあると。かつてヒューマン・デブリ同然の身の上だった隊長、ライド・マッス直々のご高説である。自身の仕事を片付けてブリッジに来てみればこの状況、戸惑うのも当然のウィリアムにふんと鼻を鳴らしたのは、なぜか当たり前のようにここにいるラム・ラバナだった。

 

「選択肢なんてなかった過去を必死で生き抜いた君たちの過去は、たくさんの大事なことを教えてくれたはずだ。自分だけでは生きていけない、しかし他人を信じれば騙される。だからって、絶望するだけが人生じゃないってことを、知ってほしい」

 

 カガリビは現在、歳生から一か月の航行を経て火星の民間共同宇宙港、『方舟』に入港していた。そして集められた元ロイヤーズの子どもたちは、明日からそれぞれの生き方を始めていく。ウィリアムとライドの人脈を伝い紹介された職場あるいは孤児施設、養父養母の元へと向かうのだ。

 

「たくさんの嬉しさや楽しさ、喜びが君たちを待っている。でも、どうしても苦しさが我慢できなくなったら、一度立ち止まって深呼吸するんだ。一人で考え込むのはよくない、だいたい最後は自分を責めて終わるから。そんな時に、ひとつ覚えておいてほしいことがある」

 

「俺だってそこそこ愛情は注いできたつもりなんだが、あのクソガキたちがここまで懐くとはな。嫉妬しちまうよ」

 

 ラバナの言葉にある通り、二十人からの子どもたちはおとなしくライドの言葉に聞き入っている。彼らがライドと話をしたのは歳生を行き来した二か月足らずの期間に過ぎないが、それだけの間で彼らの間に強固な信頼関係が結ばれたことは明らかだった。いかにライドが面倒見の良い兄貴分気質とはいえ、理由はそれだけではあるまい。

 

「周りの人たちが、とても頑張っている凄い人間に見えるかもしれない。でも、本当のところ、みんなそんなに苦労なんてしてないんだよ。そう見えるだけさ。君たちほど力強く、努力を重ねて生きてきた人なんてそういない。だから胸を張ってくれ。知識が足りていないならこれから勉強すれば良い。体力が足りていないならトレーニングを。もう君たちは命を危険に晒して戦うことはないし薄暗い部屋のなかで怯えて過ごすこともない。未来は、明日は絶対にやってくるんだ。なんだってできる。その心意気を、忘れてさえいなければな」

 

 ふとウィリアムが見やったラバナの横顔は、仏頂面ながらもどこか晴れやかな印象を与えるものだった。先の戦闘での用兵といい子どもたちへの教育といい、「圏外圏の宇宙海賊」と聞いて世間一般が思い浮かべるイメージとはかなり違う人間なのだろう。それをからかうような野暮な真似はさすがに気が引けたので(ライド相手なら躊躇わなかったろうが)、ウィリアムは黙って視線を反らしたのだった。

 

「そして縁があれば、また会おう。そのときに、君たちが生き生きとした笑顔で俺から大量に金をむしりとるビジネスを持ってきてくれるなら、それほど嬉しいことはない」

 

「自虐ネタですか。私たちにむしりとられるほどのお金なんてないんですけどね」

「まあ生きるにも商売するにも、逞しさは必要だからな。それを十分に仕込むことができたかどうかは、これからのあいつらを見なければ分からないが」

「随分と肩入れしてますね? 所詮は手駒に過ぎないでしょうに」

「駒が円滑に動くためには、将も兵も賢くなければならんってことだ。千兵は得やすいが教育は難しいからな」

 

 自分のかけたカマが不発に終わったウィリアムはそうですか、と気のない返事で応じた。

 初めて出会うタイプの指揮官だった。

 仲間との繋がりを重んじるライド、必要とあらば腹心の部下すら切り捨てるであろうマクギリス。

 面識はないが、一番近いと感じるのは噂に聞くラスタル・エリオンだろうか。情を注ぎ、手厚く育てながらも決断を鈍らせることはない。勝利のために犠牲を厭わないという点でマクギリスとは似ているようではあるが、初めから情などない彼とは比較にもなるまい。

 

「教養は自己肯定に繋がる。確かに、彼らに自身の境遇を悲観する者は少なかったようです」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 環境がどうであれ、思考をポジティブに回していける人間は強靭でいられる。裏を返せば、いくら育ちが良かろうと悲観的で自己否定的な者は弱い。

 自分はどうなのだろうか?

 

「絶対に忘れないでくれ。君たちが知るなかで、一番つらく苦しい日々を乗り越えてきたのは君だ。その忍耐は必ず報われる。……さようなら、また必ず会えるさ」

 

 わっと歓声が上がった。

 感涙に咽ぶ声、仲間との別れを惜しむ言葉、ライドへの尊敬の叫び、おとなしく清聴していた子どもたちの感情があらわになる。

 『方舟』のスタッフが書類手続きのために乗り込んでくるまで、ブリッジが満面の笑顔と最高の泣き顔に包まれて一切の仕事が進まなかったのはご愛敬、些末な問題に過ぎないだろう。

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