血の滲むような努力は、ライドの心にいくらかの自信と余裕を与えてくれた。
馬子にも衣装、とはよく言ったもので、実際に着慣れないスーツ姿のライドは服に着られている感が拭えない印象はあったものの、これから会場に集まってくる大物政治家たちに見劣りしない程度の仕上がりにはなっていた。
どれもこれも、アルミリアのお陰である。
ネクタイの色からこういった場でのマナー、ボディーガードとしての立ち居振る舞いまで丁寧にレクチャーしてくれた彼女には頭が上がらない。この恩に比べれば、ロイヤーズとの戦闘の最中に勝手にモビルスーツに乗り込んで乱入してきたことなど不問にして構わない …… かどうかはともかく(少なくともウィリアムは許さないだろうし、あの戦闘の後にアルミリアは数時間に渡って説教されていた)。
いつも団員に見せる背中を気にして胸を張っていたライドが、誰かに頭を下げている。そういう光景は、副官として付き添ってきたウィリアムも久方ぶりに見た。
「何をにやついてるんですか、気持ち悪い」
唐突に横合いから暴言を吐かれた。ライドと同じようにスーツ姿、警備員に扮するウィリアムなのは見なくても分かる。
彼の持ち場は建物内、裏口の方だったはずなのだが。
「さっさと持ち場につけ」
「言われなくても、時間になったら行きますよ。貰った給料以上の仕事はしたくないたちなので」
悪びれる様子のないウィリアム。相変わらずの遠慮のない態度には好感が持てるが、あまりそういうことを公言するのはどうかと思う。
「そもそもあなた真面目過ぎやしませんか。『エインへリアル』のこと以外に趣味とかないんですか? 」
「あるわけないだろ。みんなをこんなことに巻き込んでおいて、そんな悠長にしてられるか」
一切わき目を振らず『エインへリアル』と『雷電隊』の仕事に没頭するライドの、嘘偽りない本音だろう。ウィリアムもそれが分かった上での質問だが、こうも真面目に返されてはからかい甲斐もない。
「配属場所、あなたのお姫様と同じなんですけど。何か伝えておくことあります? 」
「これ以上仕事を増やされたくなかったら黙ってろ」
「まあ、あの人は人妻ですしねぇ」
冗談とするには少々重たすぎる軽口を叩き、口を尖らせるウィリアムの真意が、鈍感極まるライドに伝わるはずもなく。
面倒な関係間に挟まれる自分の役回りを理解しているからこそ、多少の手助けはしてあげたいと思うこの気遣いは、からかっていて楽しい弟分への冷やかしから来るものではないと信じたい。
会話を続ける気もないと見える友人に、やれやれ、と肩をすくめるウィリアムを一瞥して、ライドは無線機に一声。
「こちら正面玄関前、異常ありません」
この一大イベントの警備を統括する、ノブリス名義の警備会社の現場監督に定時連絡。ノブリスの息がかかっている会社は事実上すべてライドたちの傘下になるのだが、それはまだ裏向きの話。それぞれの会社にノブリスを装ってマクギリスや新江たちが指示を出す形を取っているため、現場単位で横の連携を取ることはできない。万が一の際にボロが出ないようにと頭に入れておいた現場監督の顔と名前を思い浮かべ、ライドは自分の仕事、周囲の警戒に当たる。
まだ深夜と早朝の境にあるこの時間、街灯に照らされてはいても薄暗い都市中心部は隠れるところも多く気が抜けない。ここからは見えない都市郊外では既にギャラルホルン火星支部のモビルスーツ隊も展開を終え、アルミリアやリュウゴ、流仁たちもそれぞれ持ち場につき警備体制は完全に整ったといっても、だ。
本来の目的である情報収集のため、ライドたちは各国の主賓が到着してからはその引率兼SPとして動く予定なのだが、それはもう少し先、火星の夜が明けてからだ。
気付けば、ウィリアムの姿はなくなっていた。
微かな駆動音が耳を打つ。
こんなに早くの到着は聞いていない、とライドが向けた視線の先、リムジンから降りてきた一番乗りは火星の女王だった。付き添いは真っ黒のスーツにサングラス姿、そこにくすんだ金色の髪がよく映える。背格好を確認するまでもなく、見知った顔だった。
「少しだけ外す。しばらくここを頼んだ」
指揮車両には聞こえない一対一の無線で同僚に告げると、ライドは建物の裏手に回った。
クーデリア・藍那・バーンスタイン、そしてユージン・セブンスターク。
どちらにも昔世話になった、そして現在進行形で世話になり続けている大恩を抱えている身の上ながら、のこのこと顔を出して礼を言えるような厚顔無恥な真似もできない。ならば身を隠し、バレないようにやり過ごすのが最良だろう。思わず身を隠してしまったことに対する言い訳じみた言い様を自虐する余裕もない。
アジーといい彼女らといい、全く面倒な関係性になってしまったものである。覚悟の上とはいえど、過去の温かだった世界に戻りたい衝動に駈られてしまう。
「今さら戻れるもんか。進むしか、ないだろ」
自分に言い聞かせるように呟く。玄関をのぞいて、クーデリアたちが案内役のスーツ姿に連れられ中に入ったのを確認してから、ライドは自分の持ち場に戻った。
「すまなかった、ありがとう」
「構いませんよ」
礼を言う相手も『エインへリアル』から潜伏した、マクギリス肝いりの仲間である。にっと歯を見せる陽気さに少し気分が上向きになって、ライドも静かに微笑む。
すっかり人工の色に染まった地平線から太陽が昇り、空がうっすらと白んできた。オフィスビルの隙間や申し訳程度の街路樹で逞しく生きる小鳥たちのさえずりが聞こえる。
ライドの仕事が始まるのももうすぐだ。
※※
現地時間にして午前九時。
煩雑極まる打ち合わせや種々の手続きが一通り終了し、式典を控えた各国の来賓たちの会談が始まった。
出席者は七人。SAUの外務大臣、アフリカンユニオンの首相、アーブラウの与党幹部、オセアニア連邦議会の議長、ギャラルホルン本部から陸軍統括司令。そしてその傍らに補佐官兼護衛、仏頂面の『戦場の乙女』ことジュリエッタ・ジュリス。中央に座るのは『革命の乙女』、火星連合の代表クーデリア・藍那・バーンスタイン。
フェーク・メイクスの部下、火星支部の面々は既に式典の会場に入り、警備の指揮をとっている。
ジュリエッタが不機嫌な理由は数多いが、いくつか例を挙げてみるならば、まず生身で会談の場まで同行する事への不満があった。モビルスーツによる警護ならいざ知らず、ジュリエッタは自身の体術や射撃の腕を二流以下と断じている。実際、訓練は人並み以上に積んでいても所属する部隊の特性上白兵戦の経験はほとんどなく、かつて『ヒゲのおじさま』ことガラン・モッサを尊敬していたことからもわかるように、生身での打たれ弱さは彼女にとって一種のコンプレックスであるともいえる。汚れ仕事を請け負うラスタル肝いりの何でも屋、ガランの腕は相当なものだったのだから比べるだけ無駄だという理屈は、本人の前では通らない。
更に、そもそも火星での会談という部分が気に食わなかった。昨今の社会情勢が不安定だというのもあるが、クーデリアが同席するというのが一番大きい。ラスタルの言にもあった通りジュリエッタとクーデリアは一対の存在として世間一般に認識されており、その容姿や境遇も相まってアイドルさながらの注目度を誇っている。
個人の感情だから、とあまり口には出さないようにしていても、そうして他人と同列に並べられる、比較されるというのはあまり気持ちのいいものではない。
「この度は、多忙な日程の間を割いて遠方までご足労いただき、誠にありがとうございます。本日は私、クーデリア・バーンスタインが進行を務めさせていただきます。召集に応じていただいた身でありますので、ご要望などあればなんなりとお申し付けください」
自分とはさほど歳も変わらないはずのクーデリアが年老いた狡猾で高圧的な男どもをものともせずにすらすらと話す凛とした姿に、ジュリエッタは確かに常人ならざる気配、戦場で出会うエースパイロットと似たものを感じた。格の違いからくる恐怖と、磨き抜かれた技術に対する敬意、そして強者に挑む昂り。
話の内容など頭に入らず、周囲を窺うジュリエッタを蚊帳の外に置いて、会談は粛々と進んでいく。
「最初の議題ですが、『火星における我々地球経済圏の政治介入の権限について』でよろしかったかな」
「ええ、その通りです」
改めて確認している、というよりは半ば脅迫めいた念押しだろう。権限について、などとぼかしてはいるが実際のところは『政治介入をやめろ』という旨の話である。受け入れられないのも無理はない。
マクギリス・ファリド事件以降表立った揉め事は起こってはいないが、地球の経済圏が火星独立を快く思っていないことは疑うべくもない。火星が資本主義に則ったシステムを構築するにあたって、合法的、あるいは脱法的、時にはあからさまに違法な手段を使ってまでも火星の土地や企業、あらゆる資産を地球の管理下に置こうとする運動は根強い。ノブリスの新たなビジネスとして地球と火星の間での取引の仲介が業績を急激に伸ばしていたのがいい証拠だろう。
ギャラルホルンの圧力が弱まり、さらにエイハブ・リアクターの新規製造すなわちモビルスーツの自前供給が可能となったことで軍事力を拡大する各経済圏の傲慢さをひしひしと感じる。
資産と資本の流出、それを知りながらも手出しができないことを歯がゆく思っていたテイワズと火星連合が盛り込んだこの議題は、ある意味クーデリアにとって最重要のものといえた。ヒューマン・デブリから解放された多くの労働力(そのほとんどがまだ若い世代に属する)を活かそうにも地球企業の下請けでしか働けないのでは労働環境も経済状況も改善されず、『悲惨な境遇にある子どもを救いたい』とするクーデリアと『火星を地球と同等の経済圏に成長させたい』マクマード・バリストンとの利害の一致である。
「何か勘違いをされておりませんか、火星連合の代表よ。私たちはあくまでも行政の立場、民間企業がいくら火星に出資して会社を買収しようとそれを規制することはできませぬ。彼らは資本主義にしたがって商売をしているに過ぎず、そこに政府が干渉するのは自由の侵害にあたる。何よりまだ火星のシステムは経験不足だ、地球企業の融資と技術提供がなければ立ち行かないでしょう。そこのところを、しっかりと理解して貰いたい」
「確かに私たちには、あなた方の援助が必要です。人道的にも経済的にも、技術的にも何もかも。こうして私が火星連合の長を務めていられるのも元を正せばあなた方のお力添えがあってこそ、感謝の念を忘れたことはありません」
政治介入ではなく正当な経済活動と主張する、とはまさに詭弁でありただの論点のすり替えに過ぎない。こうしてのらりくらりとかわし続けて相手が諦めるのを待つ、それが最も懸命かつオーソドックスなやり方だろう。まして自分が優位に立っているという自覚はより攻撃的な理論を生み出す。
予想の範囲内とはいえ、臆面もなくそんなことばかりを口にする老人に憤慨せずにはいられないクーデリアだったが、その衝動を堪えるのも自身の職務のうちだと戒める。感情的になってはタヌキどもの思うつぼだ。
「それならば、私どもが気を回すことでもありますまい。これまで通り、法の秩序に反する経済活動の取り締まりを強化していく、ということでよろしいかな」
「もちろん、違法行為への処罰は厳重にしていただかなければ困ります。その辺りについて、取り決めの整備は互いの意志のすり合わせが必要ではないかと」
「無論、我々の意見だけを押し通すつもりはありませぬ。会談が終わり地球に戻れば本格的な議論が始まるでしょう、その際に文書をいただければ可能な限り対応いたします。それではご不満ですかな」
「それで火星の民たちが納得のできるルールが出来上がるのならば異存はございません。しかし、現状を見る限りではそれも難しいのではないかというのが私たちの総意です」
「民の声を聞き、不満を抑えるのはあなた方の仕事ではないのですか。それを我々になすりつけられても困りますな」
「ですから、こうして機会を設けて皆が納得できるものをつくりあげていこうと申しているのです。この度の会談は私たちの悲願、となれば民の声を届けるのも私たちの仕事の一部と考えます」
「納得、とはまた面白い表現を使いなさる。そこまで言う以上、そちらにも相応の譲歩をしていただけるという認識で構いませんかな? 」
話せば話すほど、自分にとって不利な状況になっている。
やはり力不足か。
無力感と絶望に打ちのめされ、視界がぐらつくほどのショックになんとか耐え、姿勢を崩さないことに成功する。
結局、力を借りるしかないのか。後ろ暗くとも後ろめたくともなんであっても、個人のプライドよりも優先すべき重大な事案があるのだ。
「確かにこちらにも譲歩の用意はある。しかし、それはそちらの出かた次第だろうな」
「誰です? 」
しゃがれた声が会談に話って入った。
クーデリアにとって最も頼りになるバックボーンにして最も頼りたくはない立場と肩書きをもつ男。その声を聞いて真っ先に反応したのはジュリエッタであり、次いで経済圏の首脳たちもその正体に思い当たり、戦慄する。
「マクマード・バリストンか……!! 」
※※
会談が始まってしばらく経った頃、本来の仕事を終えて再び正面玄関に戻ってきたライドの視界に、場違いなものが映り込む。
会場である火星屈指の高級ホテル、その前に伸びる、市街地を真っ直ぐに切り裂く片側五車線のメインストリート。
そこに、幼い男の子がいた。身に付けた衣服はぼろぼろ、ぼさぼさの髪の毛は泥や錆びや血に汚れて元の色も分からない。ふらふらと、上半身を丸めて、今にも倒れそうな足取りで、ゆっくりとこちらに向かってくる。
そして、大事そうに何かを抱えていた――それが何かに思い至ったライドは、咄嗟に子どもの方へ駆け出していた。
その時のことは、後になって考えてみても思い出せなかった。まさに脊髄反射、意識もなく、本当になぜあんなことをしたのか分からない。身も心もぼろぼろに見えたその子どもに、自分の幼かった頃を重ねてしまったのだろうか。ともかくひとつ確かなのは、その決断はまるっきり、とびっきりに間違っていたということだ。
十メートルほどまで近づいたところで、子どもが顔を上げた。そして、はっきりと視線が合った。光のない、意思のない、空虚な瞳。
己の職務も忘れ、声をかけることも躊躇われた。黙っているうちに、子どもが先に言葉を発する。
「『革命の英雄』、ライド・マッス……!! 」
聞いたことのない異名。それが自分のことを指しているのだと気付くまでに数秒を要した。
「あなたがここにいるってことは、『鉄華団』が動いてるんですね。ギャラルホルンを倒すんですね、たくさんの同志がいるんでしょう、そうなんですね!! 」
「俺は雇われの警備員だよ。升牙・ライグライド。『革命の英雄』なんて知らない」
「潜入中ですもんね、失礼しました。オレたちも鉄華団に世話になった身です、協力は惜しみません。オレはここで終わりですけど、『バルコーナ・ヨーゼン』ならきっとあなたの力になれます。必ず、鉄華団の無念を晴らしてください。オレたちが咲かせる最後の花、見ててくださいね」
ライドの話を聞くつもりもないようで、子どもは自分の言いたいことだけを早口でまくし立てる。無線の先に何も知らない警備会社の人間がいることを思い出してマイクを手のひらで覆う。そちらからも何やら怒鳴りつけるような声が聞こえたが、それどころではなかった。
よく見れば子どもの腕にはバンダナが巻かれており、そこには見慣れたあのマークが入っている。
もうライドに用はないのだというように背を向けた子どもは、よたよたと再び力なく歩いていく。不吉な予感は既に確信へと変わっていた。
「自爆する気か」
あの様子では建物まではたどり着けないだろう。しかし、彼は「オレたち」と言った。ならば、正面玄関から来るというあからさまな行動を取った彼は陽動と見るべきだ。本命はどこか、分かりきっている。
会談の会場、ホテル最上階の大広間だ。
そしてそこには当然、各経済圏の首脳が集まっているはずだった。
「鉄華団に、栄光あれーーっ!! 」
「やめろ、バカ野郎がぁっ!! 」
最近ようやく忘れかけていた、耳障りな電子音が響いた。
反射的に身を伏せたライドの目の前で、炎の球が生まれる。爆風と爆音に耐えかね、たまらず身を縮めた次の瞬間には立ち上がって走り出していた。当然、無線に怒鳴り付けることも忘れない。ただ焦りのあまり、今の自分の立場は忘れてしまっていたが。
「緊急事態だ、警戒体制を最大まで上げてくれ。敵の目標は会談の会場だ、手空きの人間は全員向かわせろ。手遅れになる前に、早く!! 」
鉄華団を騙るテロリストたちへの激高はある。何のために自分がその看板を、大義名分を自ら捨てたのか、その理由と覚悟を思い起こせば彼らの行動はライドにとって最も許せないものではあったが、今はそんな個人の感情を語っている場合ではない。
クーデリアさんが危ない。
※※
「そろそろ始まった頃でしょうか」
「藪から棒だな、なんの話だよ」
同刻、ヴィーンゴールヴ近海。
那弥木・シーミアの呟きに、第十三特務大隊の先輩、ドナーシュ・バンディットが怪訝そうな顔を向ける。
第十三特務大隊の面々の、いつも通りの訓練風景が繰り広げられている中での会話。
一部の特殊部隊にのみ配属される空戦仕様のレギンレイズ、その特徴的な操縦に那弥木が慣れるための慣熟飛行の面も兼ねている。
機体そのものは徹底した軽量化が図られる反面、大型化した腰まわりのフライトユニットが生み出す空気抵抗を抑えるためにユニットそのものを最適な配置に動かすことで抵抗を減らす設計のレギンレイズだが、それを自動操縦に任せていると急な動きに対応できないため、ある程度は手動操縦の技術を会得する必要がある。
用途は違えど設計思想の原型にあたるレギンレイズ・ジュリアの腰部ユニットをジュリエッタが乗りこなしてみせたことが実用化への流れを作ったのだが、彼女に比肩するほどのパイロットがそうそういるわけもない。使いこなせられれば優秀な機体、というのは全軍に配備する量産品にとって大きな欠陥ゆえに、こういった正規の編成に組み込まれない部隊への配備が多い。とはいえ、ここの特務部隊においては必要な性能でもある。
そもそも那弥木は元々事務仕事を担当していた文官ゆえ、いくら適性検査をパスしたといっても人並みの操縦技術を会得するには相応の時間を必要とするだろうが、それはともかくとして。
隊列を組んで海上を飛行する六機のレギンレイズが海面に波の尾を引く。順調に飛んでいた最後尾の那弥木が気を散らし、集団から離れていく。
注意散漫を咎める隊長、ヤーグル・ロアルスの声で体勢を立て直して隊列に復帰した那弥木。しかし一度回り始めた思考は、そう簡単に振り切れるものではなかった。
「恐らくは、既存のパワーバランスの崩壊。その一番最初の、きっかけです」
「物騒な話だな。地球と火星の全面戦争とでもいうのか? 」
「嬉しそうね、脳筋バカ」
「そういうシンプルな悪口はやめろ」
横から口を挟んだ先輩、カーバル・ミレイナとドナーシュの口喧嘩を気に留める素振りもなく、那弥木はさらにぼそぼそと続ける。
「こうなることを予測していたのは、三人といったところですかね。一人はこうならないように手を打っていたでしょうが、間に合わなかったようです。後の二人は、思惑は違えど恐らく …… こうなることを望んでいた」
「厄祭戦の再来ってか、腕が鳴るってもんだぜ。良かったなお前ら、こんな頼れる男が味方でよぉ」
「わあ、ほんとうにたのもしいですわ」
「ミレイナ二尉、『頼もしい』という言葉に『頼むから何もしないで欲しい』って意味はありません」
「なんでわざわざ解説するのよ、何も言わなければこの脳筋には分からないのに」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるカーバルとドナーシュにヤーグルの怒鳴り声が飛ぶ。
あの二人が噛んでいるのなら、『戦争』などという言葉で括れるようなものではないかもしれません。
野太い怒号にかき消された不穏当極まる那弥木の言葉を、はっきりと聞いている者はいなかった。
※※
「五時方向にモビルワーカーを確認。グレイズ三番機で対応にあたります」
「十一時方向、ロディ・タイプが一機。グレイズ十二番、十三番機で対応」
「二時方向、武装した民衆がいます。催涙弾の使用を許可」
「八時の方向、砲撃を受けています。グレイズ・シルトタイプ二機で防衛、シュヴァルベ・グレイズで発射地点の特定と鎮圧に向かいます」
式典会場となる火星議会施設の駐車場で指揮を執る通信車の中に、次々と敵襲の報告が上がってくる。示し合わせた四方からの攻撃に指揮官が歯ぎしりする。報告を聞く限りでは旧式のものばかりのようだが、テロ行為において攻める側は守る側より圧倒的に優位なのが道理、対応には正確で迅速な判断が求められる。
なにせ、向こうは全滅覚悟の突撃だろうがこちらは一人の犠牲も出してはならない立場にある。万が一、一人でも来賓に犠牲が出ればすみませんでしたで済むはずもない。
「クリュセの駐屯地から増援を呼んでモビルスーツと工作部隊を全部出せ。防衛のことは考えなくていい、こっちが最優先だ。式典参加者全員に連絡を取れ。絶対に今いる場所から動くな、とな。」
恐らくはすべて無駄だろう。増援の到着までテロリストたちが待ってくれる道理はないし、ホテルの位置は特定され既に襲撃が始まっている。
それでも、いま現在ここを除けば最も警備体制が磐石なのは会談会場のホテルであり、男はそのメンバーを信頼していた。いくら指示を出そうと結局は現場の判断に任せるほかないのが指揮官のつらいところではあるのだが、そういった意味で彼は幸せなのかもしれない。
「任せたぞ」
ひとりごちる男を取り囲んで、状況は着々と悪化していく。
※※
「現在、少し事情を抱えていてな。まずは直接参列できないことについて謝罪する、申し訳ない」
傲岸不遜そのものといった態度での謝罪を終え、画面越しのマクマードはさらりと話に入り込んでくる。こういうことができてこそ他人を動かし、組織を動かせるのだろうがクーデリアには無理な話なのだろう。互いにそういった駆け引きを念頭において話すこういった場面では、なおさらだ。
「確かに私たちも譲歩すべきところはあろうが、それはあなた方の提示条件次第だろう。初めから相手を見下したような物言いはみっともないぞ、老公がた」
「滅相もありません。しかしそもそもあなたがここに参列するとは聞いていませんが」
「私もクーデリア嬢と共に圏外圏の行く末を憂う身、なんら問題はありますまい」
悪びれる様子もなかった、どころか咎められている認識すらないだろう。でなければ、ああもストレートな物言いはできるものではない。
あくまでも民間のオブザーバーという立場であるからこそのフラットな意見、と言えるかもしれない。
「火星の経済は火星で回す。あなた方が取り締まらなかった企業が法外な値段で取引することが常態化しているのは問題ですからな。我々のグループが総力を挙げて火星企業の復興に取り組みますので、一度静観してはいただけませんか」
相手の意見など意に介さない、半ば強引な話の進め方をして、いつまでも結論に辿り着きそうになかった会談をあっという間に一足飛ばしに終わりまで近づけた。やはりこの辺りは年の功、男・マクマード・バリストンがここまで積み上げてきた豊富な経験の賜物だろうか。
「しかし、あなたの立場を考えれば容易に認可できるものではないでしょう」
「そもそも誰が参列の許可を出したのです、このような者に」
「話になりませんな、クーデリア代表はどうお考えです? 」
反感を買ったマクマードに下らない野次が飛ぶのは自然な流れではあったが、一度老獪どものペースを崩せばクーデリアとて非凡な手腕を持つ政治屋であり話し手である。まるで逃げ道のように答えを求めるアフリカンユニオンの首相に対して、きっぱりと言い放った。
「火星の経済は、火星で回す。あなた方には、市場からの撤退を要請するものとします」
しん、と静まり返った部屋に。
「そいつを止めろ!! 」
「早く取り押さえるんだ、その先はっ……」
いくつかの怒号、それに続いて勢いよく部屋の扉が開け放たれる。
ホテルという場において最も自然といえるウェイター姿に身を包んでいたのは、まだ幼さを残した少女で。
抱えていたのは、確認するまでもなく。
「鉄華団、万歳!! 」
身を伏せたクーデリアの前で、火柱があがった。
視界が高級な絨毯に覆い尽くされる間際、何人かの老人が炎に吸い込まれるのが見えた。