鉄血のオルフェンズ 残華   作:イング・ディライド

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立ち昇る獄炎

 目を開いたときそこにあったのはブスブスと燻る火種だけ、であってくれればどれだけよかっただろうか。

 腹這いになったまま顔だけを上げたクーデリアは、その光景を知ってしまったことを後悔した。

 さすが超一流のホテルだけあって構造物は頑丈らしく、爆発の規模の割に壁や柱、天井などへの損傷は少ない。爆心に近い部分が破損しその他へは軽くすすがついた程度のもので、修繕費用は大した額にはなるまい。少なくとも今回の会談の警備に割かれた予算よりは圧倒的に安く済むはずだ。

 それよりも、床に散らばったものの方が問題である。

 かつて鉄華団に仕事を依頼し、弾丸が飛び交うその職場もとい戦場へも同行し血生臭い現場を知りそれなりの知見を培ってきたと自負するクーデリアをも陰鬱とした気分にさせる、惨憺たる状況が、広がっているのだ。彼女はそれを言葉にするすべを知らず、仮に知っていたとしてもこの真っ赤に染まった空間を言い表して誰かに伝えようという気にはなれなかった。

 

 遅れて部屋に入ってきた警備員二人も、おおよそ同じ感想を抱いたようだった。

 手際よく消火器で炎を消すと、しつこく絨毯にへばりつく火種を踏み消して生存者に駆け寄る。入り口付近にいたアフリカンユニオンの首相、オセアニア連邦議会議長は恐らく足下に散らばっている調度品の破片の中に混ざっているのだろう、判別などできたものではない。SAUの外務大臣は重傷を負ってはいるがかろうじて息があるようで、警備員が真っ先に駆け寄っている。ギャラルホルンの陸軍統括司令とジュリエッタ、そしてアーブラウ与党幹部は皆叩き上げらしく、各々が咄嗟に自己防衛に走っていた。

 

「大事ありません。それより、来賓の方々を早く」

 

 次々と入ってくる警備員にやんわりと告げて、改めて部屋を見渡す。

 火星連合代表に就任して以来一番の大仕事といえるこの日のために、どれだけの準備をしてきただろうか。ただでさえ多忙極まる仕事の合間を縫って会場スタッフの人選や設営などにも携わり、火星と地球の関係を少しでも良好にしようと心身を費やしてきたクーデリアの努力の結果がこれだった。

 もちろん、地球の人間を快く思わない者がいることも知ってはいる。最近になってその運動が活発になり、武力行使に発展する事案が数件、耳に届いてもいた。

 

「だからといって、こんなことでは……!! 」

 

 いっこうに、対立した両者の溝は埋まらない。よりいっそう、両者の乖離が深まるばかりなのだ。

 

「とにかく、今はあなたの身の安全が第一です。彼らのことは警備員に任せて、私たちも避難しましょう」

 

 いつの間にか室外待機させていたはずのユージンが傍らに立ち、周囲への警戒を担っていた。

 

「そんなことができると思っているのですか。私には主催者として果たすべき責務があります」

「そうですね、しかし連合の代表として火星の民へ果たすべき責務があります。そのためにも、ここに留まるわけにはいきません。さあ、早く」

 

 自分に向けられたクーデリアの不安げな眼差しに、ジュリエッタは短く「大丈夫です」とだけ応えた。実際、自分も自分が守るべき人間も傷は浅く、先導してくれる者もいる。渡り歩いてきた戦場に比べれば大したことはない。やはりこれだから生身での護衛など嫌だったのだ、という愚痴や文句や不平不満その他諸々は地球に帰ってからラスタルに三日三晩ぶちまけてやろうと心に決めたのはもちろん表には出さない。

 それでも後ろ髪を引かれるような足取りでおそるおそる会場を離れていくクーデリアの態度を見て、少しいら立ったジュリエッタは携帯電話でギャラルホルン火星支部の職員に電話をかけた。個人的なコネクションゆえプライベートなごく普通の電話回線であり、今どこにいるかも分からない相手ではあったし、そもそも勤務中なのか休暇中なのかどうかも賭けだったのだが、幸運にも数十秒の呼び出し音の後に聞き慣れた声がした。

 

「お疲れ様です、ジュリエッタ・ジュリス准将。こちらへは何のご用で? 」

「堅苦しいのはやめろと再三言っているはずです、セヴェナ・クジャン」

 

 軍人然としたくそ真面目な口調は稀少種の部類に入るが、それをからかいだとか冗談だとか思わせないのがセヴェナ・クジャンの尊敬を集めるところでもあり憎らしさを集めるところでもある。

 

「そちらへ会談会場の情報は回っていますか」

「それはもちろん、連絡が来ています。支部も大騒ぎですよ。何せ、あの『鉄華団』が復活したというんですから」

「なんです、それは」

 

 不穏な気配がした。

 それはラスタルにもセヴェナにもない、八年前に自ら先陣に立ってガンダムを討ち取り、組織壊滅を引き起こした張本人としての経験を持つジュリエッタ・ジュリスしか感じ得ないものだった。

 

「モビルスーツの手配をお願いします。どんな機体でもいい、とにかく早急に。三時間以内にクリュセへ受け取りに行きます」

「相変わらず無茶を仰る …… 了解しました、ご期待には添えると思います。貴女には兄の件でも大恩がある身ですし、出来る限り上等のものをお渡しします」

 

 ジュリエッタから見たセヴェナの欠点はただひとつ、いつまでも彼の兄にしてジュリエッタの同僚だった男、イオク・クジャンのことを話に上げてしまうことだった。

 

 

 

 

※※

 

 

 

「鉄華団、と言いましたね、彼らは」

「ええ」

 

 クーデリアと護衛のユージンが歩く廊下は来たときと何ら変わりなく、今回の騒動が各国首脳のみを狙い計画されたものであることを物語っている。煌々とした光に照らされる赤いカーペットが、どこか痛ましく感じる。

 

「私の知る限り、鉄華団にあのような人間はいませんでした。名前を借りただけのテロリストか、あるいは団員に近しい何者か。どちらにせよ、我々が関知するところではありません」

 

 あの外見から察するに十代後半、八年前といえば十歳に満たない頃合いだろう。当時の情勢を考えればまともに学校に行っているのは少数派だろうが、鉄華団がそんな人間すべての受け皿になっていたわけではない。

 むしろその頃にはそれなりに企業としての体裁が整い、採用条件もある程度絞っていた。副団長として少なからず人事にも携わったユージンが知らないというのなら、間違いはないだろう。

 

「まだあのような者が存在するくらいには火星の情勢も安定していないということでしょう。不甲斐ない限りです」

「何もかもを自分の責任と思うのはあなたの悪いところです。一人で変えられるほど、火星は狭い世界じゃない」

 

 なおも俯くクーデリアの説得を諦め、ユージンは警戒を強める。建物の外に出れば、既に手配したアドモス商会の装甲車が着いている。ひとまずの安全まで、あと少し。

 

「誰だ」

 

 階段に繋がる廊下の曲がり角で、視界の端に動くものを捉えた。数秒の沈黙。そして壁の向こうから姿を現したのは、両手を挙げた少年。

 

「ライドか …… !! 」

「お久しぶりです、副団長」

 

 八年ぶりの邂逅。それは互いに望まざる形で、唐突に訪れた。

 クーデリアと共に新しい世界を、『未来』を見据えて動き始めたユージン。

 マクギリスに利用されることを受け入れ昔の仲間の魂を弔うため、『過去』にとらわれて動くライド。

 両者の違いは決定的で、決別は必然。

 

「顔を見ないと思ったら随分とふざけたことやってるじゃねぇか。お仲間も増えたみたいで何よりだが、ここまでやっちゃあ冗談では済まないぞ」

「何か勘違いしてやいませんか副団長、オレは雇われの警備員ですよ。こんなことになっちまって、仕事が慌ただしくってかなわない。なんなら出口まで護衛につきましょうか」

 

 数秒の沈黙。ライドの真意を図りかねるユージンは、迂闊なことを言うまいと慎重になっていた。

 気まずい静寂が数十秒続いた。鉄華団の、彼ら二人の問題だと理解したクーデリアも口を挟もうとはしない。結局、耐えかねて口を開いたのはライドだった。

 

「まあオレも似たような道を選びましたけど、彼らとは別の段取りをしています。自分勝手な物言いですいませんが、今回のことはオレたちにとっても予想外なんですよ。そこだけは信じてもらえませんか」

 

「信じましょう」

「お嬢さん、それはいくら何でも …… 」

「付き合いは浅いかもしれませんが、私も少なからず縁のある身です。仲間を信じる、というのを、私はオルガ団長から教わりました」

 

 その名前を出すことは卑怯だと感じたが、クーデリアは躊躇わなかった。そういう駆け引きも、少しずつ身についてはいるらしい。嬉しいとは到底思えないが、自分の目標のためには必要なことだ。

 少しばかり心が痛むのは、たぶん忘れてはならないことだと思うが。

 

 背後から複数人の足音が聞こえた。毛足が長い絨毯の上でこれだけの音を響かせるあたり相当慌てているらしい。ライドは一時的な同業者として同情を禁じ得なかった。

 しかし、せっかくクーデリアやユージンと話す機会を得られたのなら、余計な横槍が入る前に言っておかなければならないことがあった。

 

「すみませんクーデリアさん。あいつらとは違えど、オレもあなたの望む世界に仇をなし、あなたから受けた恩を仇で返す道を選びました。今さら許してくれなんて言いません、でも今を逃せば謝ることもできなくなる。チャドさんたちにも伝えておいてください、本当にごめんなさい」

「結局お前も大差ないってことだろ」

 

 ユージンが拳銃を構えた。対するライドはユージンではなくクーデリアに銃を向ける。しかしクーデリアは眉ひとつ動かさなかった。

 

「申し訳ないついでに、あとひとつだけ」

 

 乾いた音が廊下に反響する。ライドが撃った弾はユージンの左足を掠めていた。意地なのかプライドなのか、苦痛に悶えながらも決して膝は折らないが、動くことはできないらしい。

 同時に放たれたユージンの弾は、ライドの身体には当たらずに背後の壁に穴を空けた。

 二人の間の距離は五メートルもなく、まず外すことはあり得ないと思えた。

 

「やっぱりあなたは現場には向いてないですよ、ユージンさん。そのうち別の人たちが来るでしょうから、事情聴取されるようなら、テロリストが発砲したから応戦した、とでも言っておいてください。オレたちのせいであなたにまで迷惑をかけたくない。最後までエゴの押し付けですみません」

 

 まだオレのこと、仲間だと思ってくれるんですね。

 ふと胸をよぎった感傷は、絶対に口に出せるものではなかった。

 

「団長の、オルガの思いを!! てめぇは無駄にしてるんだぞ!! 」

 

 理解していることだが、承知の上での暴挙だが、改めて言葉にされると胸に刺さるものがある。

 これ以上話していると追っ手に捕まる。逃げ出す言い訳を作って自分を納得させて、ライドはその場を後にした。

 

「死者は二度と戻りません。ならば、振り返るにせよ前に進むにせよ、彼らに恥じない生き方を選ばなければならない。私もユージンさんも八年前に失った仲間のため、そう誓って生きています。ライドさん、あなたもそうなのですか」

 

 答えている余裕はなかった。

 時間的な問題ではなく、精神的に。

 追いかけてくる男たち、数分前までは同僚と呼べる立場だったスーツ姿たちを威嚇するように、銃弾を一発、男たちの背後の壁へ向けて発砲する。下手に動けば当たる程度の予測は立てて撃った弾の射線を理解し、動きを止めた彼らは確かに優秀な兵士たちだろうが、この場合は被弾覚悟で飛び込むべきだった。

 彼らは防弾チョッキを着ているのだし、数の差で押せばライドとて一人では何もできなかったのだから。

 次いでポケットから取り出した手榴弾のピンを抜き、これ見よがしに掲げてからひょいと投げ捨てる。クーデリアたちの安全を優先する男らは先に進むことができず、ライドは背後の爆風から逃げるように建物を出た。

 裏口に控えていたアルミリアとウィリアムがライドを出迎え、あらかじめ用意しておいた車で逃亡する。裏といえど外国の来賓をもてなすほどのホテルである、かなり幅が広く見通しの良い道に直結しているが、運転するウィリアムは裏道を一通り頭に入れている。あっという間に都市郊外までの脱出に成功していた。

 ここから『エインへリアル』事務所のあるクリュセまではモンターク商会名義の小型機を使い空路での移動となる。マクギリスが手配した機体とあれば多少の不安がライドの胸をよぎったが、気にしても仕方のないことだった。操縦桿を握るウィリアムに任せるしかない。

 

「そこの車、どこへ行く。今ここは重点警戒区域に指定されている、民間人は立ち入れんぞ」

 

 都市外縁でようやく仕事が巡ってきたギャラルホルンのモビルスーツパイロットには、無線機越しにまだホテルの中にいる流仁からの「特例許可を得ている、そいつらは通せ。その程度の融通は利かせろ」との怒鳴り声で一喝。あとはプライベートジェット専用の民間共用空港までの道のりを急ぐだけ、のはずだった。

 背後で、どしゃり、と砂地に巨体が倒れこむ様子が見えた。音と振動が伝わるより前にバックミラーでそれを確認したウィリアムが力一杯にアクセルを踏み込む。急加速と急ハンドルに脳が振り回される中、遅れてライドとアルミリアもその光景に気付く。

 身の丈十八メートルのグレイズが倒れたことで視界を塞ぐ障害物はなくなり、その影から姿を現したのはまた新たなモビルスーツ。しかしその容姿は、己をそこらに蔓延る量産品から独立卓越したものであると誇張していた。

 肉食獣を思わせる鋭い双眸、異常なまでにか細くアンバランスな四肢、重力の存在を忘れさせるゆったりとした挙動での浮遊。そしてモビルスーツの巨躯を浮かせる継続的な大出力を可能とする、胸部装甲の奥にのぞく二基の円盤形状。エイハブ・リアクター。

 

「ガンダム・フレームだと …… ? 」

 

 それもただのガンダムではない。八年前の騒動の渦中で多くのそれを直に目撃し、さらにはその後の七年間で数多の関連文献を読み漁ったライドですら知り得ない新たな機体。ギャラルホルンが管理する九機でもなく、『エインへリアル』で所有する二機とも違うガンダム。

 

「ガンダムフォカロル。それがヤツの固有コードです」

「神奈か」

 

 会談潜入メンバーから外れ、マクギリスらと共にアーレスで待機していたはずの神奈。

 その声は周囲を覆い尽くす影の元凶、長距離輸送ブースター「クタン」のスピーカーから発せられていた。

 

「あなたの機体をお届けに参りました。ご健闘をお祈り致します」

 

 がこん、と積み荷を固定していたアームが外れ、拘束が解除される。クタンが飛び去り日光の下にその身を晒したライドの愛機アガレスは、オートで姿勢制御を行い、ライドたちが乗る車の前にふわりと着地した。

 急ブレーキをかけた車から放り出されるように飛び出したライドは勢いそのまま、全力でアガレスに駆け寄ると慣れた足取りでコクピットまで駆け上がる。そしてアガレスの起動、ここまで三十秒とない早業である。

 

「得体の知れないガンダムとは恐れ入る。とにかく様子見だな。ウィリアム、アルミリアと二人で予定通りに離脱しろ。オレもすぐに追いつく」

「分かりました」

 

 アガレスの股をくぐり、ウィリアムたちが十分に距離を取ったのを確認してライドも臨戦態勢に入る。それを待っていたかのように対峙するフォカロルも明らかに雰囲気が変わった。

 

「オレはバドイ・ロウ。ライド・マッス、ガンダム同士での決闘、たっぷりと堪能させてもらうぞ」

 

 獣のような戦意と凪いだ水面のような敵意が、正面からぶつかった。

 

 

 

※※

 

 

 

 遥か上空の軌道上、アーレスで割り当てられた自室の窓から赤茶けた大地を見下ろすマクギリスの耳に、インターホンの呼び出し音が響く。感傷に浸る浮わついた気分を悟られぬように抑えて、努めて平坦な声で「どうした」と無愛想な返事をスピーカーに吹き込む。

 

「なに、大した用じゃない。ただ『エインへリアル』、神殺しを謳う組織の首魁がどんなものかを覗きにきた野次馬だよ」

 

 ラム・ラバナだった。

 彼はロイヤーズ解体後、マクギリスの意向で単身ここアーレスまで召集され、大した規則や拘束、罰則などが与えられることもなく自由に出歩くことのできる立場にあった。もちろんマクギリスがライドたちへ直々に頼み込んで身柄を譲渡してもらったほどの男だ、ただ者であるはずもなく、その召集と数項目の条件にラバナが快く同意したからこその例外扱いとなっている。

 

「物好きもいたものだな」

 

 ちくちくと刺のある言葉を挟みながら、マクギリスはロックを解除して扉を開ける。見知った顔が彼を出迎えた。

 

「八年前に死んだって話を聞いたときには肝が冷えたが、何にせよ元気そうで良かった。久しく会わないうちに、少し変わったか。角が取れた」

「あなたは変わった様子がない。豪胆で強靭でブレることがない。元バクラザン家所有艦隊旗艦モビルスーツ隊隊長、ラム・ラバナ」

「よせよ照れくさい。もう十年以上前の話だ」

 

 世に言うマクギリス・ファリド事件のさらに前、まだギャラルホルンが世襲制の貴族家セブンスターズによって運営されていた頃、その七家の一角バクラザン家に代々仕えていたラバナ家の長男、ラム・ラバナ。家系に関わらずラバナ本人も当主への忠誠心に厚く、並外れた操縦技術と指揮官として申し分ない戦略・戦術知識を持ちバクラザン以外の家からも一目置かれる超エリートパイロットの肩書きを欲しいままにしていたのが、本人の言葉にあるよう十年以上前の話。

 そんな有名人であればこそ、当時まだ三十にも届かない若さで退職し姿を消したことは多少の騒ぎにはなったものの、ギャラルホルン外部まで波及するほどのことではない。ライドが知らないのも当然といえる。

 

「あの頃は、本当に世話になりました。モビルスーツ操縦、戦略と戦術の知識、一般教養から白兵戦闘の心得まで、私の今はあなたのお陰で成り立っているといっても過言ではない」

「飲みこみが早くて教えがいのあるガキだったからな。文句も言わなかったし諦めて逃げ出すこともなかった。境遇がそうさせたとはいえ、憎たらしいやつだったよ」

 

 アングラな世界でも最底辺の立場、自分の身体を売って日銭を稼いでいたマクギリスがファリド家に拾われてまだ間もない頃、まともに口をきいてくれたのはラバナだけだった。マクギリスの生い立ちを知る者らはあることないこと噂を流して煙たがり、彼を拾った当のイズナリオすらも話をするのは夜伽の相手をするときだけ、それもイズナリオの欲を満たすための機械的な受け答えだけ。ヴィーンゴールヴ内のセブンスターズ邸宅が立ち並ぶ区画において、マクギリスは完全に孤立する身だった。

 そこへたまたま通りかかったのが、バクラザン家当主、ネモ・バクラザンと話をするために訪れたラム・ラバナである。

 当然ラバナもマクギリスの噂は聞いていたから、初めは少しからかってやるだけのつもりだった。並みの新兵では到底耐えられないようなメニューを組んで厳しくしごき、どこかで脱落するのを嘲笑ってやろうと楽しみにしていたのだが、いつになってもマクギリスが音を上げることはなかった。

 意地になったラバナがどれだけハードな訓練を用意しようと、マクギリスはそれを達成するまで黙々と己を磨き続け、そう間も空けずにやり遂げてみせるのである。いつしかラバナはからかうためではなく、本気でマクギリスを育てるために稽古をつけるようになっていった。

 マクギリスが実力をつけて頭角を現すにつれ噂はより悪質なものに変わっていったが、もうそんなことは気にならなくなっていた。僻みや妬みを相手にする暇があれば、より己に磨きをかけていく。カルタ・イシューやガエリオ・ボードウィンと話をするようになったのもこの頃だった。

 ギャラルホルンの士官として、ファリド家の力を利用しながら異例のスピード出世を遂げられたのも、ラバナの協力があってこそのものだ。

 

 それはともかく。

 

「そんな昔話をするために来たのではないでしょう? 何を知りたいんです」

 

 滅多に見られないへりくだったマクギリスの姿は新江たちに見せれば半年は笑いものにされるかもしれない。その態度はマクギリスが心の底からラバナに敬服しているからこそのものだが、ラバナはそれを見てにやりと歪んだ笑みを浮かべる。

 

「話が早くて助かるな。まあ聞きたいことはたくさんあるが、とりあえずは二つ。『なぜお前が生きているのか』、それから『この組織を使ってこれから何をしていくつもりか』だ。手を貸す準備はとうにできあがっているが …… 場合によっては、ラスタルに付いてお前と戦う用意もできている。言葉は慎重に選べよ」

 

 ふっ、と息を吐いて、マクギリスは緩慢な動きで椅子に腰をかける。さらに数回、大きく呼吸を重ねてから紅茶を一口含んで、たっぷりと間を空けてから話し始める。

 

「ラバナ隊長は、アグニカ・カイエルの伝記を読んだことはありますか? 」

「隊長はよせと言っている。ギャラルホルンの士官なら読んだことがない者はいまい。厄祭戦終結の英雄にして組織創設の立役者、人類史最強のモビルスーツパイロット。まあ、いざ考えてみればそのくらいしか思い出せないな。そいつがどう関わってくるんだ」

「アグニカは、全ての始まりです。彼がいたから、この計画が立てられた。三百年前に残された彼の意志が、私たちを立ち上がらせてくれたのです」

 

 おもむろにデスクの引き出しに手をかけると、金属製のケースを取り出した。決して大きくはないマクギリスの手のひらに収まるほどの、火星で最近よく見るようになった交通系ICカードよりひとまわり大きいくらいのものだが、そこから感じる重たさ、威圧感のようなものは形容しがたい。おかしな奴だと笑われるのを承知で例えるなら、生身でモビルスーツを見上げた時のような圧迫感。それに似たものを、ラバナは感じ取った。

 表情から軽薄さが消えたラバナの様子を見て、マクギリスはギャラルホルンの紋章が刻まれたケースの蓋を開ける。鍵穴はあるが、鍵はかけていない。

 

「ここに収められているものを見て、驚かない人間はいないでしょう。アグニカが後世に託した、鋭い刃を見れば」

 

 ラバナの想像など及ぶ余地もない、突拍子がなく冗談みたいなそのデータは、二人の交渉を瞬時にまとめあげた。

 

「もう腹を探ることもないな。胸を張って、お前に力を貸せる」

「ありがとうございます」

 

 マクギリスの眼下、火星の大地は、徐々に集結し始めた鈍色の雨雲で見えなくなっていった。

 

 

 

※※

 

 

 

 始まった。

 火星連合が独立した時から、いずれこうなることは分かっていた。ならばそれを少しでも遅らせよう、少しでも小規模なものにしようと尽力してきたマクマード・バリストンは歳生の邸宅で一人、己の無力に絶望していた。

 八年前に手を取り合ったラスタル・エリオンは遠からずこの状況が訪れることを予測していただろうし、それに際して何か予防線を張るようなことは絶対にしないだろうと分かっていた。だからこそ嫌われているのを承知のうえでクーデリアとも手を結んだし、大人のやることだと分かったうえで鉄華団のツテをたどってアーブラウの議員連中にも甘い汁を吸わせてやった。テイワズの頭を降りる覚悟で実務は子どもたちに引き渡し、火星の安全と発展のために全力を注いできた結果がこれである。

 たった八年、引き延ばしただけに過ぎなかった。政治的に見れば、歴史的に見ればほんの一瞬にも満たない時間稼ぎ。若い頃に感じた挫折とは違う、もうあの頃の気力はない。

 

「失礼します」

 

 そんなことばかり考えていたマクマードは、部屋の扉が開いたことにすら気付かなかった。そして、下部組織の中でも特に勢いのある運送会社、タービンズを率いるアジー・グルミンが入ってきたことにも。

 

「何をしているんですか。今、火星が大変なことになっているんですよ」

「ああ、そうだな」

 

 激しい剣幕で詰め寄られて初めてアジーの顔を見たマクマードは、気のない返事をよこしただけ。時おり焦点が合わない虚ろな目を動かし、呼吸が荒くなる以外にまともな反応がなかった。

 

「できることはあるはずでしょう。戦闘向きの者もいるし、事務処理に向いた者もいる。テイワズは何から何まで自己完結できる組織だってダーリンに自慢してたの、あなたでしょう。まだ遅くはないはずです」

「うるせぇな、まだ青いだけの小娘がよぉ……」

 

 そこでマクマードはようやく、アジーの言葉に答えた。まともな反応をよこした。しかしそれはかんしゃくを起こしたような、ひどく稚拙で見るに耐えない、無茶苦茶な理屈だった。

 

「こうなりゃラスタルは敵に回ったようなもんなんだよ!! 言うこと聞けねぇ鉄華団のガキどもは勝手にノブリスの野郎を殺しちまうし、挙げ句マクギリスなんて厄介極まりない若造までかんで来やがる。これ以上オレにできることがあるものかよ!! 」

 

 もう、疲れたんだ。休ませてくれ。

 言葉にならない叫びに、アジーは顔をしかめる。だん、と拳を痛めそうなほどの勢いでデスクを殴ると、息が触れあうほどの距離まで顔を近付けてマクマードをどやしつける。

 

「私はあんたとの付き合いが短いから詳しいことは知らないけどね、あんたの息子になれたことを誇りに思ってるダーリンとの付き合いは長いんだよ。御託を並べるのはよしてくれ、みっともない。それ以上、ダーリンが憧れたマクマード・バリストンの顔に傷を付けないでくれ …… !!」

 

 動き出せないでいるマクマードを最後に一瞥すると、アジーはそのまま部屋を出ていった。「あんたが動かないならあたしらは勝手に動く。盃を割っても構わない。あたしらは、あの悪ガキたちを助けに行く」言い捨てた顔はひどく悲しそうで、しかしその裏に強い決意を秘めた、青い若造の顔だった。

 

「そうか、そういうものか」

 

 ゆっくりと、気付けば無駄な肉が付いてしまった身体を起こす。まだ気力が戻ってきたわけではない。何かをやってやろうという気概もない。

 ただ、駆け出しの若者にはない、何かをやらねばならないという使命感を、思い出したのである。

 

「漢マクマード・バリストン、最後にひと花、上げてやらねぇとなぁ!! 」

 

 己を奮起させるための一言が、誰もいないだだっ広い室内に威勢よく響いた。

 まだ戦える。

 少しだけ、若さというものを思い出した気がした。




閃光のハサウェイ、遅ればせながら観てきました。
エヴァの感動に触れていた手前、どうせ大したことないだろ(失礼にもほどがある)と思っていたのですが、本当によくできてました。
透き通った海面、じっとりした感じが伝わってくる植物園、くどすぎず分かりやすすぎない適度にデフォルメされた富野節、刷新されたキャラクターデザイン、重厚感とスピード感を両立するバトルシーン。
明らかに「これまでにないタイプのガンダム」だったと思います。
次が本当に楽しみ。

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