突然ですが、ちょっと強めの幻覚を見たので投稿します。
知る人は知る、鬼八の小説です。
どうぞお楽しみください。
黒い雲。
雨に落雷。
鼻につくのは血と硝煙の香り。
今目の前にあるこれは現実か、はたまた夢か幻か。
ただ、一つだけ分かる事は、心が徐々に漆黒に染まる感触だけ。
まるで壊れた心を歪に直し、治し、療しなおして、寧ろ真黒に染め上げられるこの感覚を、なんと形容したものだろう。
──私は声を上げる事なく慟哭した。
「……はっ? 取材の仕事? 私にか?」
雲ひとつなく晴れたその日、打ち合わせを終えたカフェのテラス席で、私は素っ頓狂な声を上げた。
「はい、私の編集部では、持ち回りで作家の先生を指名して特集を組むんです。なんでも普段は雲の上の先生方を、インタビューを通して身近な存在にしようという編集長の試みというものでして」
ニコリと穏やかに言い切ったのは、向かいに座る私の担当編集である。
彼は、私が現在連載している小説『願い星』の初期から関わっている編集であり、私の小説をあらゆる角度から読み込んでアドバイスをくれる有能な人物である。
有能ではあるのだが……しかし、困ったことが一つだけある。
「まっ……待ってくれ」
……っと、いけないいけない。こういう時、詳細を聞かずに突っ走るのは私の悪い癖だ。
一度落ち着いてから確認をしても遅くはない。
そう思いながらウィンナーコーヒーのカップに手をつける。
うむ、やはりここのカフェのウィンナーコーヒーはクリームとコーヒーの比率が絶妙である。美味い。
「その取材の仕事とやらは、私がインタビュアーとして、他の作家にインタビューするというものなのだろうな?」
「いえ違います。先生が、インタビューされる側なんです」
「却下」
一縷の望みを賭けて尋ねてみたのが間違いだった。更にいい笑顔でより強固な答えが帰ってくるだけだった。
席を立ち、彼の分も含めたお金を叩きつけて帰ろうとしたその時、見抜いていたのか瞬時に、しかしやんわりの私の手に彼の手が重なる。
「行かせませんよ。折角のこの機会を逃す訳には行きません」
「……強情なのはいい事だが、私は
「そうですか。それではこの報酬は渡す事は出来ませんね」
表情を崩さぬまま、彼は空いた方の手であるものを見せた。
チケットのような細長い紙。その正体を知った私は、あまりの驚きに目を見開く。
「そ、それは! 予約を取るのに数ヶ月はかかると言われる隣町のケーキバイキングチケット! いっ、一体どうやって!?」
「ちょっとしたツテを持ってましてね……どうします? 受けてくださるのなら、譲渡するのもやぶさかではないですよ?」
口調こそ穏やかだが、これはチケットを餌にした脅しだ。それも、私が受けてくれるという絶対的な前提を元としている。
要するに今、私は足元を見られている訳だ。
舐められたものである。この私がスイーツ如きで屈すると思っているのだろうか。
……あながちそうとも言い切れないのが辛い。
「……いくつか質問させてくれ」
「構いませんよ。まずは座りましょうか」
苦い顔の私とは対照的に終始笑顔のままの彼に促され、再び席に着き、落ち着けるようにコーヒーを口に含む。
「……まず、何故私なのだ? 私以外にも取材をすべき作家先生はこの出版社の中でもごまんといるだろう?」
事実、『野辺の煙』の銀城寺蓮先生や、『置き手紙』の月神充先生、更には『ヘブンズドア』の江野上熾織先生など、私よりも凄い技術をもち、私生活が謎に包まれている作家の方は沢山いる。そんな中でわざわざ私を選ぶメリットが見えない。
「そんなの簡単ですよ。先生ほどおもしろ……小説とプライベートとのギャップが激しい人はいないからです」
そんな疑問を一瞬で吹き飛ばすほど明瞭な答えが、笑顔の彼から返ってくる。明瞭過ぎて本音が見え隠れしてしまう程に。
「だってそうでしょう? 普段から白スーツに帽子、小説はこれでもかと細かく描写する武人みたいに真面目な先生が、実は甘い物好きのポンコツって知ったら、読者との距離は一気に近づきますよ」
「ポンコツは余計だポンコツは」
ここ最近本部でもやらかす事が多くて困っているのに、ここまで言われてしまうと流石の私でも泣きそうになる。
「何より先生はビジュアル的にも申し分ないんですよね。読者層的にまだまだ男性が多いですし、ここで写真に映って女性層も取り込んじゃえって思って」
ここまで来るといっそ清々しいくらいの本音の一斉掃射である。
「……まぁいい。二つ目、ここ最近、妙にスイーツコラムの執筆オファーが増えたが、まさか……」
「えぇ、それも私の仕業です。全てはこの日の為の布石です」
やっぱりか……とため息を吐く。
彼は有能ではあるが、時折よくわからぬ事をする悪癖がある。
それこそスイーツコラムの執筆オファーもそうだ。当時は私の趣味を活かせるように手配してくれていたと思っていたが、今考えると私のプライベートの姿を読者に見せたかったのかもしれない。
……それをする意図というのは今も分からないが。
「三つ目。ここまで私を表舞台に立たせようとして、何かメリットがあるのか? 単なる宣伝や読者層の拡大なら、それこそ神楽坂みことという大きな広告塔がいるだろう?」
「それも一考しました。ですが、彼女は多忙です。しかもギャラが高くつきます。それなら作家本人が出張った方がいいと個人的には思いまして」
所謂費用対効果というものを比べた結果なのだろう。確かにみこと殿は色々な意味で多忙かつ高嶺の花であるから、それなら作家本人が直接宣伝した方が人となりが分かって著作物が身近に感じられる。
……私の勝手な考察だが、成る程理にはかなっている。
「いかがでしょう、受けてもらえませんか?」
最後の一押しとばかりに彼が尋ねる。
彼の言う事にも一理あるし、初期から私を支えて来た人物である。
出来る事なら協力してやりたい。
しかし、私自身にも事情がある。
「先に断っておくが、私は自分の事を語るのはあまり好かないんだ。個人的な問題もあるし、プライベートの事をペラペラ語るのは軽薄に思えてならない。誰しも隠しておきたい秘密の一つや二つはあるものだから、インタビューであったとしても自分の事を語るのは嫌なんだ」
「そうですか……」
断られると思ったのか、彼の眉尻が下がる。
「……報酬のチケットをもう一枚。それから顔出しはなしにさせてもらう。これを飲み込めるのであれば喜んで引き受けよう」
この答えを聞いた瞬間、パァッと彼の顔が喜びでいっぱいになった。
「ありがとうございます! えぇ、えぇ! その条件で問題ありません!」
そのまま私の手を掴んでブンブンと振るう。どれだけ嬉しかったのかは明白だ。
「わっ、分かった分かった。それで、インタビューはいつなのだ?」
「はい! 一週間後です!」
「ふむ……」
私は手帳を開き、予定を調べる。その日は丁度予定がない日であった。
「分かった。急な予定変更や忘れていた約束がない限りは大丈夫だ。何時間ほど行う?」
「そうですね……まだ不明ですが、写真撮影も含めて十四時から二時間半程と考えてます」
「よし、その時間は確実に空けておこう」
ニコリと私が承諾すると、彼は再度「ありがとうございます!」と頭を下げた。
「それでは来週の二時、こちらの施設に来てください!」
「……この施設は」
渡された施設を見て、私は驚く。
指定された施設は、うみきゅあの本部であった。
「それでは、私はこれで失礼します! 来週は改めてよろしくお願いしますね!」
ウキウキとした声を隠そうともせず、足早に去っていく彼を、私はぽかんとした表情で見送った
──変わったものだな。この八鬼裁、いや、
そう一人ごちながら。
私が、裁鬼八があまりプライベートの事を語らない理由は、数多くある。
怪人であるからとか、今まで散々人に言えない事をして来たからとか、それはそれは沢山ある。
このような身の上であるからして、他人に自分の事を語るのは危険行為以外の何者でもない。現に、本部に所属する前は裏社会の報復がいくつかあった。全て返り討ちにしてやったが。
だから、取材やインタビューに応じる事は金輪際ないと思っていた。
それでもインタビューの依頼を受けたのは、私の中で何か変わったからだと考える。
そうしてくれたのは……きっと、彼女のおかげなのかもしれない。
その後は早かった。
打ち合わせから三日後には質問の内容が送られ、その二日後には撮影の為のセットや道具が本部の一室に運ばれた。
事情を知らないドラゴンや観月殿は驚いていたが、たまたま居合わせたレイ殿や琥珀殿からは「なんでこの人を選んだんだろう」と、疑問の眼差しを向けられる事になったのは記憶に新しい。
そうして始まったインタビューは、個人的には悪くない経験となった。
擦りガラス越しに尋ねられる質問は、主に私の小説の解説や、創作についての質問が殆どであった。私はそれに淀みなく、スラスラと語っていく。
中には本当に答えたらダメな質問も聞かれたが、それにはハッキリと答えられないと突っぱねて回避する。
そうして約二時間があっという間に過ぎて、そろそろインタビューも頃合いというところで、インタビュアーがこんな事を尋ねて来た。
「そういえば、鬼八さんはよく死別の描写を書く事が多いですが、過去にそうした出来事があったのですか?」
これを聞いた私は、ふむと顎を撫でる。
意識した事はなかったが、友人、弟子と師匠、恋人から戦友まで、確かに登場人物の幾つかはその死別を描くことが多い気がする。
「……まぁ、確かにあると言えばある。昔の話ではあるがな」
努めて落ち着いた声色で答えると、インタビュアーが露骨に不安そうな顔をしたので、すぐに言葉を繋いだ。
「あぁ、気にしないでくれ。私は大丈夫だから」
「ですが……」
「……確かに、あの日の事は今思い出しても心が痛む。忘れたくても忘れられまい。一時期怒りに支配されていたこともあった。だが、今こうして話せるのは……ひとえに彼女のおかげであると言えるな」
「彼女……ですか。それはどのような方なのでしょうか?」
インタビュアーのこの質問に、私はふぅと息を吐いて、答え始める。
「当時の私は……絶望していた。大切な人を亡くし、何も出来なかったら自分を責め続け、失意のままあちこちを彷徨い旅していた」
今でも鮮明に思い出せる。あれほど苛烈だった時期もそうはあるまい。
「いっそ、この世界全部壊してやろうかとも思っていた。そんな時だったよ……彼女に会ったのは」
擦りガラス越しにインタビュアーが身を乗り出して来た。余程興味が湧いたのだろう。
「その時の私は、仕事の為にある組織に身を置いていた。ところが……言い難いことだが私の勘違いやらが元で……上司と仲違いを起こしてしまってな……」
あれは今でも申し訳ない事をしたなと思っている。だが、あいつについて行った先に、果たして自分が望んでいた結末があったかと問われれば、恐らくないと答えるだろう。
今も昔も、私は青いままだ。
「それで……少々情報を得る必要があると感じた私は、独自に色々動き始めた」
彼女と出会ったのはその時だ。と、私は一度言葉を切り、用意されていたお茶で口を潤す。
「私の第一印象は……実に素晴らしい人であるという事だった。強く、気高く、優雅で実直。一目見て思った。この人を支えたいと」
「それほどまでに魅力的……だったと言うことですね?」
「あぁ、その言葉に相違ない」
勿論、今も魅力的だがなと、心の中で付け足す。
「それで私は、彼女の力になろうと、手となり足となり、様々な事を手伝った。それは束の間ではあったが、私の中にあった怒りの心を忘れさせてくれた」
……実際に役に立っていたのだろうかと問われれば甚だ疑問だが……
そういえばアイツに負けてヘンテコな装置を付けられたのも、トゥーリー殿の元へ居候させて貰ったのも、この時期だったはずだ。あの当時は顔がバレないように鉄の仮面をつけていたような気がする。
「それで……ある時、彼女が遊園地のチラシを見ているところにたまたま遭遇したのだが」
「遊園地……ですか?」
「あぁ、それも行きたそうな眼差しでな。だが、諸々の理由をつけて行こうとしなかった。から、私が強引に連れ出した。理由は分からぬが、多分強がっていたのだと私は解釈している」
チラシを見つめる目はかなり羨ましそうだったからな。あながち間違いではない……と思いたい。
「それから、彼女の事を側で見続けるうちに、彼女の中にある強さにしか目を向けていない自分に気がついた」
「強さ……ですか?」
「うむ、誰しもいい面と悪い面があるだろう? それと同じように、人にも強さと弱さがあるのだよ。話を戻すがこれはいかんと思い、改めて彼女の事を見つめ直した。ところが、少し違和感を覚えた」
「違和感?」
更にインタビュアーが尋ね返して来る。私は一度唇を濡らすと、更に彼女について語り始める。
「うむ、彼女には弱みがない……いや、弱みを精一杯隠しているように感じたのだ。いや、仮にも上に立つものであるし、他人に隙を晒すのは愚の骨頂である事は分かる。分かるのだが……私にはそれが酷く痛々しく見えてな」
事実、彼女は背負っていた。あの小さな体躯で、あの細い両腕で、抱えきれない程大きな使命を。
どれだけ長い時間、それを背負い続けて来たのだろう。
そう思った時には、体が動いていた。
「だから、支えようと思った。半分でもいい、彼女の背負うものが少しでも軽くなれば、それで充分。動機としては申し分ないものだった」
「なるほど……具体的には何をされたのですか?」
「色々やったよ。お茶会をしたり、一緒に仕事をしたり、話を聞いたり……まぁ、他の女性に優しくし過ぎて怒られたりした時もあったが……」
アレは今考えると私のせいとしか考えられない。私が女性の立場だったら、軽薄な男と思われても仕方ないが……
「……それでは、一度喧嘩したのではありませんか?」
それはインタビュアーも同じ想いだったらしく、苦笑気味な声色で尋ねて来る。
「あぁ、したよ。それも貴方の思っているよりも派手な喧嘩を……な」
苦い思い出である。尤も、その後にまた派手な喧嘩をするとは、この時思っても見なかったが。
「その時の私は、彼女が笑顔になれば、彼女の助けになれば良いと思っていた。彼女を失った人と重ねて、守れられればそれで良いと思っていた。だから、恋愛感情以上の何かというものは芽生えていなかった……と、当時の私は考えていた」
「と、言いますと?」
「有り体に言えば……鈍かったんだよ。私が全然彼女の気持ちに気付いていなかった」
「……」
暫しの沈黙の後、インタビュアーが更に尋ねてきた。
「えーっと、鈍いというのは……」
「あぁ、言いたい事は分かる。私もその答えを聞いたら頭が真っ白になる。だが、これは事実だ。紛れもない……な」
自嘲するようにため息を吐き、改めて説明を始める。
「その当時、私には今でも懐いている子が一人いてな。私はその子の事をとても可愛がった。だが、彼女にとってそれは嫉妬するには充分過ぎる火種だったのだよ。更にこの時の私は他の女性に優しくしていたのも痛かった」
お陰で一時期は絶縁も覚悟した程だったよ。と苦い笑みを浮かべる。
「この時の私は馬鹿だったよ。自分の鈍さを彼女のため、人のためとごまかし続けていよいよ嫌われる寸前となった時に、漸く彼女の本心や自分自身の感情に気づいたのだからな」
「……セッティングしてくれた方が意外とポンコツと言っていた理由が分かった気がします」
とうとうインタビュアーにまで苦笑気味にそう言われる始末であるが、身から出た錆であるので否定はしない。
「うむ。ともかく、その後、色々あって私達は漸く結ばれたわけなのだが……ここは長いし複雑な上、プライバシーにも関わってくるから省略させてもらう」
「ちょっと! ここまで語っていただいてそれは酷いですよ! 生殺しもいいところだ!」
インタビュアーが困惑の声を上げるが、私達が正式に付き合い始めた時期は、丁度トゥーリー殿の争奪戦がやっと終結しかけた時期と重なる。
迂闊に何か話したらそれこそ大多数の人物に影響を及ぼしかねない。
それに何より……あの屋敷での事は、私と彼女の二人だけの思い出にしておきたい。ウィイ殿には見られてしまったが、それでもあれは私にとっては印象に残る思い出である。
せめて自分の心のうちにだけしまって大事にしておきたい。
「まぁ兎に角、結論として、これが彼女の人となりと、出会った経緯だ。今じゃ私の方が彼女にゾッコンなのだから、分からないものだ」
「……なんでしょう、鬼八さんって、見た目以上にアレな人だったんですね……」
「ふむ、がっかりさせてしまったのなら済まないな。もっとカッコいいエピソードがお望みだったかな?」
「いっ、いえ! 決してそんなつもりでは……」
動揺してインタビュアーが口籠る。が、気持ちは分からない訳ではないので、すぐに言葉を繋げる。
「冗談だ。さっきも言ったが、私はプライベートの事を語るのはあまり好かないからな。この話もかなりぼかしている。期待通りの話が出来なくて申し訳ない」
そう言って私は頭を下げる。
「……顔を上げてください。確かに思った感じではありませんでしたが、鬼八さんのお話はとても引き込まれました。何よりその大切な方や、立ち直るきっかけを作ってくれた彼女さんの愛に溢れてました」
──とても良いお話だったと思います。
最後にインタビュアーはそう締めた。それだけでも充分である。
「……ありがとう。そう言ってもらえると話した甲斐がある」
私は顔を上げてニコリと笑った。恐らく向こうには見えてないだろうが、それでも良いと思った。
「さて、他にどんな事を聞きたい?」
「はい、そうですね……では、今付き合っているその彼女さんについて教えて頂ければと……」
「むっ、来るとは思っていたがそうだな……素性がバレないように話すとだな……」
その後、私が彼女の事について語り過ぎたため、結局取材が終わったのは予定時刻から一時間も経った後であった。
それから一ヶ月経った後、私はまた同じカフェに呼び出されていた。
インタビューを掲載した雑誌の反響の報告をしたいらしい。
「……それで、評判はどんな感じだったのだ?」
いつものようにウィンナーコーヒーを飲みながら尋ねると、彼は嬉しそうに話し始める。
「はい、とても好評なんです。顔こそ見せてないですが、硬派なイメージと違って鈍感なところがギャップ萌えを感じたという意見や、大切な人もそこから立ち直るきっかけになった人も、しっかりと感謝して愛されている様子が伝わったという意見もありました」
「そうかそうか、概ねいい印象を持ってもらえたなら何よりだ」
私はニコリと笑ってそう言うと、近くのウェイトレスにチョコレートケーキを注文する。
「実は、少し心配だったんだ。私の姿を見せて、幻滅した人が編集部に抗議してしまわないかをな」
「いえいえ、寧ろ普段知らない鬼八さんの意外な一面を知れたと言う事で、ファンの方たちとの距離は大変近くなったかと思います」
「なら、インタビューを受けた甲斐があるというものだな……おっと、忘れないうちに来月分の原稿を渡しておくよ」
そう言って私は鞄から原稿の入った封筒を取り出し、渡す。「相変わらず早いですね」と、彼は笑いながら受け取った。
「……それでですね、鬼八さん。また提案させて頂くんですが……恋愛小説を書いてみませんか?」
「……なに? 恋愛小説だと?」
突然の提案に首を傾げていると、彼は鞄から聞いた事のない島のガイドブックを取り出した。
「実はこの島には、ある男女二人の伝承が、今なお大切に伝えられていると言われています。しかも海だけでなく、山の方にも全く違う民話が伝えられているそうなのです。インタビューで彼女さんにデレデレな様子が伝わっている今なら、恋愛小説に挑戦してみても良いのではないかと思いまして」
「ふむ……恋愛小説か……」
苦手な分野である。堅物でかつ、生まれた時代が違いすぎる私には、現代男女の甘酸っぱい話など書けたものではない。
しかし、民間伝承を元にした話なら或いは……
「……今の時点ではなんとも言えん。しかし、取材はやってみよう。書くかどうかの判断はそこでさせてもらう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
インタビューを承諾した時と同じように、彼は私の手を握ってブンブンと縦に振り回した。
「流石鬼八先生! 露里美華さんが貴方に惚れるのも納得です!」
「いやいや、取材すると言っただけで書くとまでは……って、ちょっと待て。何故お主が彼女の名前を知っている?」
顔を顰めながら尋ねると、彼はニコリと笑って答えた。
「実は、前に原稿を取りに行った時に見ちゃったんですよ。机の上に置きっぱなしの……ラブレター? みたいなものを」
「……! ま、まさか……」
「えぇ、ばっちり書いてましたよ。彼女さんの名前がね。その時に思いました。いつかインタビューをして、鬼八さんの恋愛について語って貰おうと」
顔から血の気が引き始めた私とは裏腹に、彼は楽しげに言葉を続ける。
「いやぁ、それにしても、あんな歯が浮く台詞、鬼八さんも書くんですねー。例えば──」
「うわぁぁぁぁぁぁ! それ以上! それ以上は言ってくれるなぁぁぁぁぁぁ!」
恥も外聞もない私の羞恥の叫び声が、カフェテラスの空にこだました──
青い空。
雲に日輪。
照らされ佇む花は一輪。
そんな暖かい庭がある一軒の家。
書き物机に立てかけられた、一つの写真立てには、寄り添う男女の姿。
安らかに笑うその表情には、鬼気迫る修羅の表情も、後悔に呑まれる悔悟の表情も。
まるで溶けた砂糖のように存在していなかった。
こちらの小説はある程度時間が経ったら非公開にします。
理由は身内ネタでかつ、作者の主観が多く入っている為です。
オリジナルの小説も鋭意制作中ですのでお待ちください。