曇らせフェチの曇らせフェチによる曇らせフェチのための女騎士   作:赤桃猫

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少女騎士と仮面少女

「──んぅ」

 

 柔らかな朝日が瞼の裏に差し込み、意識が浮上していく。

 声にならない欠伸を漏らしながら、私はベッドから起き上がった。

 

「……あのまま寝ちゃったのか」

 

 寝ぼけ眼で見下ろせば、クシャクシャに乱れたベッドシーツ。そして、あられもなくはだけた部屋着姿のセレンの肢体。

 それらを確認して、ちょっとばかりの空白の後、昨夜私が何をしていたのかようやく思い出した。

 

「んんー……後できっちり掃除しておかないとなぁ」

 

 その、あれだ。なんというか、()が残ってしまっている。流石に調子に乗りすぎたみたいだ。

 ……でも、あの真面目な『セレン』が一人コッソリと自分を慰めていたのだと思うと、それはそれで背徳感があって興奮したりする。

 

「うん、我ながら変態だ……」

 

 とはいえ、自重する気は更々ないのだけどね! 

 私は欲望に従順なのだ。心の中でサムズアップしつつ、立ち上がって朝の支度を始める。

 支度といっても、そこまで大したものではない。髪を整え、騎士団の制服に着替え、鏡の前に立ち身だしなみをチェック。問題なし、と。

 

「よしっ」

 

 両手で頬を叩き、私は意識(スイッチ)を切り替えた。

 いちど目を伏せて、ふっと息を吐く。

 そして顔を上げれば、鏡に写るのは淀んだ瞳に浮かない顔をした美少女だ。

 そこから更に、もう一段階仮面を被る。

『セレン』としての演技だ。背筋をピシッと伸ばし、不自然でない程度に口角を押し上げる。

 沈んだ瞼を開き目に光を取り入れれば、そこに居るのは理想を信じる純朴な『少女騎士セレン』だ。

 

「大丈夫、みんな気付いてない。モナさんも誤魔化せたんだから……」

 

 よほど他人の表情に敏感な人間でければ、これが作り笑いであると気が付かないだろう。

 大丈夫、大丈夫と、鏡の前で自己暗示のように繰り返す。

 

 もう既に『セレン』は始まっているのだ。なんてね。

 さて、愛しのセレン・コニファー。今日も一日よろしくね。いい曇らせの種がありますように。

 

「……あ」

 

 気合を入れて、いざ行かんと玄関に向かうと気が付いた。

 扉の前に黒い紙が落ちている。

 

「これは……また、()()ですか」

 

 折角作った顔が、再び沈痛な顔へと巻き戻る。少しだけ躊躇った後、紙を拾い上げた。

 その表側には、見慣れたあの仮面を模したマークが。これこそが暗部の人間に送られる指令書なのだ。

 

 ひっくり返して裏を見れば、そこには任務の概要が簡潔に書かれている。対象、目的、場所など。そして、生死の是非。

 とはいえ、「殺してはならない」とわざわざ指定されることは稀だ。だって、私たちの活動目的は基本的に口封じなのだから。

 

「三人、指定書類の回収、北市街区……殺害、必須」

 

 何度も何度も読み上げた覚えのある、最後の一文を重苦しく声に出す。

 また、殺さなくてはならない。その苦痛と絶望が着実に、セレンの心を蝕んでいく。

 

「……ふひっ」

 

 ああ、今日もいい1日になりそうだ。

 軽やかな気分を胸にしまいながら、私は玄関の扉に手を伸ばす。

 

 生憎と、夜になるまでは表の騎士としてのお仕事がある。

 その間は『騎士セレン』として、真面目だがどこか陰のある少女を偽る。

 そして夜になったら……お楽しみの時間だ。

 

「──行ってきます」

 

 その時を憂鬱(楽しみ)に思いながら、『セレン()』は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 月光が緩やかに差し込む路地裏。そこで一人の男が疾走していた。

 

 脇に抱えた紙束を握り締め、我武者羅に走る姿は壮絶そのもの。

 彼の顔は恐怖に歪み、目元に溜まった雫は走る勢いによって今にも零れ落ちそうだ。

 だが、そんな走り方では体力が尽きるのも時間の問題。間もなく男は足を縺れさせ、勢いそのままに地面へと叩き付けられる。

 

 男は即座に起き上がろうと視線を上げて──その顔を絶望に染め上げた。

 黒いローブを着た人物がすぐ傍に立っている。

 仮面で顔は隠されており、正体は不明。握りしめた剣から滴る赤い雫が、ぽたりぽたりと男の鼓膜を撫でる。

 男には理解できていた。目の前の人物が、自分にとって死に直結する存在なのだと。

 

 ──まぁ、セレン()なのだけれど。

 

 任務の途中でうっかりと一人逃がしてしまったので、追跡していたのだ。

 だが、そこは荒事に慣れた暗部。即座に対象を捕捉し、こうして私が回り込むくらいの余裕はある。

 屋根の上を飛び移るのって楽しいよね。パルクールを好む人の気持ちが今なら分かる気がする。

 

 そんな他愛もないことを考えながら、私は一歩、男に近付いた。

 彼はびくりと肩を跳ねさせ、唇をわなわなと震わせている。

 ふと思いつきで剣を高らかに掲げてみれば、情けない悲鳴を上げて仰向けに転がってくれた。

 うん。私は可愛い子の不幸な姿が好きだけど、それはそれとしてこれも悪くない。もっと無様を晒してもいいのよ? 

 でも駄目だ。必要以上に怖がらせるのはセレンらしくない。やるならば、ひと思いに。

 慈悲と後悔を添えて。息を取り乱しながら、震える手で私は剣を振り下ろした。

 

「──っ」

 

 断末魔を上げることもなく、男は息絶える。

 だが、斬り方が悪かったのか、噴き出した血が私のローブへと飛び散ってしまった。

 この辺り、まだまだ私は未熟者だ。他の上手い人なら、返り血を一切浴びずにスマートにこなすのだろうから。

 けれど『セレン』としては、「殺す度に良心の呵責で剣が鈍る」と考えれば、それはそれで凄く美味しい。己の甘さの証を、文字通り()()()ことになるのだから。

 一人、一人と斬り伏せる度に、生暖かな感触が自覚させていくのだ。『セレン』はもう、血に塗れた殺人者なのだと。

 

「……また、洗わないと」

 

 赤く染まったローブの裾を眺めて、ぼそりと呟く。

 血液は、決して蔑ろにしてはならない命の源だ。それが少しずつ、単なる『汚れ』なのだという認識へと侵食されていく。

 そうだ、汚れは落とさなくてはならない。

 絶対に自身の正体はバレてはならないのだから。何が何でも、隠し通さなければならないのだから。

 でなければセレンは、正真正銘の『人殺し』として指を差される。大切な友人たちにも失望される。

 セレンは騎士だ。父のような騎士になるのだ。だから、だから──()()()()()、認められない。

 

「くひゅふっ」

 

 ああ、濡れるっ……! 

 最初に抱いた筈の純粋な夢が、自分でも気付かぬ内に形を変え、歪んでいく。そんな様を想像するだけで、お腹の奥がジンジンと熱くなる。

 これは妄想だ。抑えきれない欲望に任せた単なる空想だ。

 だが、それほど異常なことでもないだろう。

 誰だって想像したことくらいはあるはずだ。『自分』という人間を一人の登場人物として、「こんなことがあったらな」と思いを馳せる行為。

 その対象が、私にとっては『セレン』であるというだけのこと。

 

「ふひっ、ふー、ふー……」

 

 誰も見ていないことをいいことに、興奮に震える自身の身体を抱き締める。

 私の醜態を知りうるのは、すぐ傍で倒れる男の死体だけだ。

 ああ、早く自室に戻ってこの昂ぶりを放出したい。

 昨日も致したばかりだけど、私の欲望は留まるところを知らないのだから。

 そうと決まれば一刻も早く任務を終わらせて──

 

 

「───」

 

「……え?」

 

 

 気が付けば、仮面騎士たちが数人、私の横に立っていた。

 

「…………」

 

「───」

 

 彼らはいつも通りの無言で、何をするでもなくこちらを向いている。

 固まった私に対して一切の反応も見せず、ただ、じっと。

 

 ……もしかして、やらかした? 

 

「──逃げた男の処分は完了しました。この場の処理を行い、現場に待機している者と合流しましょう」

 

 とりあえず何事もなかったように、命令を下す。そう、何事もなかったのだ。うん。そういうことにしておこう。

 どうせ彼らは何も言わないし、感じているのかさえ定かではない。

 仮に私が変態的な姿を晒してしまっても、それを口にしなければセーフ。『セレン』の面目は保たれる。辛うじて。

 

「───」

 

 予想通り、仮面騎士たちは私の指示を受けて黙々と動き始めた。

 やはり、機械のような人々だ。

 私は彼らの中身が一体どのような人間なのか知らない。だが、これまで一度も彼らの中に自我を感じたことがないというのは確かだった。

 

「終わりましたね、ありがとうございます。では、現場まで戻りましょう」

 

 足早に次の指示を出し、去っていく彼らの姿を見届ける。

 焦りでいつもより駆け足気味に喋ってしまったが、『セレン』としての演技に綻びはない。

 感情を抑えた声色に隠された、本心からの労い。その絶妙な心情の操作は、お手の物だ。

 

 さて、私も行こう。そして手早く帰ろう。ちょっと水を差されたせいで興奮が冷めてしまったが、むしろ寸止めされた気分で余計に昂る気がしないでもない。

 

「──待って」

 

 その場を立ち去ろうとした私の背を、聞こえる筈のない他人の声が引き留めた。

 

 まさか目撃者? だとしたらマズい。今の私は血濡れ。そうでなくとも、ローブに仮面の集団など不審者以外のなにでもない。

 場合によっては、黙らせる必要がある。

 即座に結論を出し、剣を握る。ごめんよセレン()、貴女は無辜の一般人までもを手に掛ける必要があるみたいだ。ああ、理想の自分を守るため、どんどんと理想から離れていく。そんな泥沼に沈む姿はいいものだ。ふふっ。

 仮面の奥で笑いながら、相手の方へと振り向き──

 

「……暗部の、方?」

 

 だが、予想に反して、そこに立っていたのは──1人の仮面騎士。

 喋る筈のない存在が、喋っている。今までにない事態に私は驚き固まってしまった。

 

「あなたと、話、したい」

 

 それに、聞こえてくるこの声は少女のものだ。

 ひどく掠れた、まるで初めて口を開いたような、たどたどしい口調。仮面を通して響くその声は、今にも消え入りそうな弱々しさを孕んでいた。

 

「……良ければ、あとで」

 

 付け足したように続くその言葉を聞き、彼女の意図を理解する。

 この状況。この台詞。この展開。つまりこれは。

 

 今までセレンの孤独をより強くするだけだった存在が、初めて声を掛けてくれた。

 しかもその相手は、自身とそう年の離れていなさそうな女の子。

 そんなの、そんな淡い希望、目の前にぶら下げられたりしたら……

 

「……はいっ。任務のあとで、お話しましょう」

 

『セレン』が、縋り付かないワケがないじゃん──! 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 今宵は満月。

 空に浮かぶ青白い光が、王国の街並みを俯瞰している。

 寝静まる住民。明かりの点いた酒場。彷徨う何者か。

 いつも通りな夜の日常を、月はただ見下ろしていた。

 

 そんな夜空を見上げる影がふたつ。

 住宅街のとある廃墟。その屋根の上で、二人の仮面を被った少女は並び合う。

 

「私、は、クーシャ。よろしく」

 

 その片方。クーシャは、思い通りに回らない舌を酷使し、隣に座る同類へと自己紹介を行っていた。

 

「……セレンです」

 

 せれん、セレン、と、告げられた彼女の名前を口の中で転がす。

 良い名だ。なんとなくそう思った。

 

「じゃあ、セレン。聞きたい、ことが、ある」

 

「はい。なんでしょうか」

 

「……えっと。ちょっと、待って」

 

 早速とばかりに始まった会話が、停止する。

 どう言えば良いのだろう。どの言葉が適切なのだろう。

 雑多になった思考が頭の中で駆け巡る。

 これほどまでに頭を働かせたのは、クーシャにとって久しい感覚だった。

 

「うん……うん? 違う……むぅ……」

 

「ゆ、ゆっくりで構いませんよ……?」

 

 首を捻って思案していると、セレンから困惑の声が掛かる。

 ゆっくりと言われても、詰み上がっていく言葉の候補は煩雑としていて定まらない。

 結局、言いたいことが確かな形とならないまま、口を開いた。

 

「なんで、あなたは、優しいの」

 

 セレンは固まった。

 ……言葉を間違えたのだろうか。

 失敗した、と落ち込みかけたその時、彼女ははっとしたように動き出す。

 

「ごめんなさい、その、質問がよく分からなくてですね……」

 

「……むむむ」

 

 伝わらなかった。

 では、どう説明すれば良いのだろうか。

 再び思考の渦に飲まれるクーシャ。その肩へ、セレンが優しく手を置いた。

 

「難しく考えないで、思ったことをそのまま言ってみて下さい。私は、ちゃんと聞きますから」

 

 その穏やかな声色は、仮面越しでも分かるほどに暖かかった。

 深呼吸をひとつ。落ち着いて、頭の中に浮かんだ言葉をそのまま吐き出す。

 

「セレンはいつも、言っている。『お疲れ様』と」

 

「はい」

 

「さっきも、『ありがとう』って、言われた」

 

「……そうですね」

 

 要領を得ない話だろうに、セレンはひとつひとつに相槌を打ってくれる。

 ああ、やはり彼女は優しい。

 

「……言われる度に、なんだか、むずむずした。このへんが」

 

 クーシャは自分の胸の辺りを指差す。

 今もそうだ。どうにもこそばゆい感覚が、ずっと胸の奥でざわめいている。だが、不思議とそれを不快に思うことはなかった。

 

「ずっと考えるの、止めてた。──でも、あなたが来てから、こうなった」

 

「私、が……?」

 

 思考停止し、ただ望まれるがままに動く人形。

 無為に生き、無為に従い、無為に死ぬ。そうすることへの疑問さえも忘れていたというのに。

 彼女の言葉が聞こえたその時だけ、『感覚』というものを思い出したような気がするのだ。

 それはまるで微睡みから覚めるような、水面から顔を出すような、そんな柔らかな覚醒だった。

 

「それが、ひとつ」

 

 結論のないまま、話に区切りをつけてセレンの顔を見る。

 お互いに仮面を被っているのだから、表情は見えない。けれどクーシャには、彼女が真剣な目でこちらの話に耳を傾ける姿が想像できた。

 

「それで、もうひとつ。さっき、苦しそうだった」

 

「さっき、と言うと……」

 

「路地裏での、あなた」

 

「……ああ。やっぱり、見られていましたか」

 

 思い至ったのか、セレンは自嘲気味に呟いた。

 クーシャの脳裏に過るのは、路地裏での出来事。

 取り逃した殺害対象をセレンが先んじて対処し、クーシャ達が駆け付けた時のことだ。

 自らの身体を搔き抱いて、息を荒げるあの姿。誰も見ていないと思ったのだろう。今まで任務を共にしていたクーシャが初めて目にするほどの、強い感情の発露だった。

 

「すごく、すごく、辛そうだった」

 

 昔、あれと似たようなものを見たことがある。

 人を初めて殺した者だ。

 今は亡きクーシャの母。怒りに囚われ、父を刺したその後。

 自分の凶行が信じられないとばかりに泣き叫ぶ姿。

 懺悔と否定を繰り返し、自身の身体を掻き抱いた母の影が、セレンと重なった。

 だからこそ、なんとなく分かるような気がする。彼女が一体どれほどの苦痛に苛まれているのか。

 だというのに。

 

「どうして。そんなに、辛いのに──優しいの」

 

 言い切った。回りくどく長ったらしい、けれどクーシャが言いたかったこと全て。

 その問いの答えを求めて、セレンの言葉を待つ。

 長い長い沈黙。

 彼女はどこか遠くを眺め、何事かを考えている。

 それからしばらくして、意を決したようにこちらを向いた。

 

「私は、優しくなんかありませんよ」

 

 返答はクーシャの疑問を根本から否定するもの。

 何故、と聞くよりも先にセレンは語りだした。

 

「ただ、自分はまだ大丈夫なんだって、()()()かもしれないって……そう思い込むために演じているんです。きっと」

 

 彼女は両の掌を上げ、自身の顔に向ける。

 

「とっくにこの手は、沢山の血で穢れているのに。未だに私は、それを認めずにマトモな人間の振りをしているだけですよ」

 

 その手を握り締めて、自らの太腿へ向けて叩くように振り下ろした。何度も、何度も。まるで、自分を罰するように。

 

「……私は、どうしようもなく悪いひとです。優しくなんてありません」

 

 消え入りそうな声で、セレンは言う。

 自分を悪人だと、優しくなどないと断言するその姿は、悲痛に満ちていた。

 

「──そんなこと、ないっ」

 

「わっ」

 

 どうしてもそれを見ていられなくて、否定したくて。咄嗟にセレンの手を掴んだ。

 驚く彼女に詰め寄り、胸の中の感情を言葉に変換していく。

 

「私は、貧民街で、生きてた」

 

 上手い言い方なんて分からない。けれど、とにかくこの気持ちを伝えたい。

 回りくどくてもいい。彼女は必ず聞いてくれるのだから。

 

「兄や、姉たちと、一緒に暮らして、満たされてた」

 

 自分の話をするなんて初めてだ。慣れないことをしていると自覚しながら、喉に詰まった続く言葉を思い切って吐き出す。

 

「でも、殺された。騎士に」

 

「───」

 

 息を呑む音がした。

 

「みんな、離ればなれ。私は、ひとりぼっち。それで……あいつらに、捕まった」

 

 喋る内に、胸の奥で何かが燻る。

 これは、多分怒りだ。

 先ほどのどこか心地よい感覚とは違う。この不快な何かが『怒り』と呼ばれるものなのだと、クーシャは思い出した。

 

「ここのみんな、そんな感じ。貧民街の、ひと。騎士団の、奴隷。首輪、付けられて」

 

 暗部に身を置く人間は、殆どが騎士団に目を付けられた人々だ。

 どうせ消えても誰も気にしない。消耗品のように使い潰される定めの駒。それが自分たち。

 

「みんな、同じ。あなたも、そう」

 

 セレンも他の同類と同じ。普通の人間で、被害者だ。

 そうだ、だから。

 

「あなたは、悪いひとじゃ、ない。悪いのは、騎士団。あなたは、じゅうぶん、優しい。……うん。それが、言いたかった」

 

 あの屑共と比べれば、セレンという存在は十分に素晴らしい人間だ。

 だって、彼女のおかげでクーシャは『心』を思い出すことができたのだから。

 だから自分を優しくないだなんて、そんなことを言わないで欲しい。

 

「……けほっ。しゃべり、すぎた」

 

 言いたいことは言い切った。

 けれどふと、無性に気恥ずかしくなって、そっぽを向いて誤魔化す。

 どう思われるだろうか、変に思われないだろうか。

 悶々としながらちらりとセレンの方を見て──

 

「──どうしたの?」

 

「えっ、いえ、その」

 

 セレンはどこか呆然としていた。

 予想外の反応に、どうしたのだろうかと首を傾げる。彼女は少しだけ躊躇った後、震える声で言った。

 

「暗部の人間は、みな貧民街の方なのですか?」

 

「うん? そう、だよ?」

 

「騎士団が、皆さんを……」

 

「そう。悪いのは、あいつら」

 

「それ以外の、方は」

 

「……あ。たまに、表から、追いやられた人、いるのかも。セレンも、そっち、なのかな」

 

 要領を得ない質問に答えつつ、それとなく予想を立てていると、気が付いた。

 掴んだままだった彼女の手が、ひどく震えている。

 

「わた、私は……」

 

「セレン?」

 

 うわごとのように何事かを呟く姿を見て、急激に不安が込み上げてくる。

 背筋がさあっと冷たくなり、呼吸が浅くなっていく。

 セレンのこの状態が()()()()ということは分かる。けれど、どうすればいいのかクーシャには分からない。

 記憶の中を漁って、ひっくり返して、手あたり次第に探し出して。そうしてひとつ、記憶の片隅に眠るものを掘り起こした。

 

「──大丈夫」

 

 昔、自分が兄や姉にそうされたように。──セレンを、ぎゅっと抱き締めた。

 

「あ、うぅ……」

 

「大丈夫。だから、安心、して」

 

 背中と頭の後ろに手を回し、耳元で囁く。

 具体的なことなんて何もない。ただ、無根拠に『大丈夫』なのだと繰り返す。

 けれど、そうしてくれた時の温もりを、クーシャは思い出したから。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 やがて、絞り出すようなか細い声が聞こえた。

 苦しげな、今にも泣いてしまいそうな弱々しい声。

 どうにかしたい。しかしどうにもできない。クーシャには、これ以外の良い方法が思い付かない。

 だから、ひたすらに抱き締める。

 

 ──「ごめんなさい」と小さく呟く彼女を、強く、優しく、抱き締め続けた。

 

 

 

 

 





仮面の奥で『計画通り』みたいな顔をしているとかいないとか。
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