曇らせフェチの曇らせフェチによる曇らせフェチのための女騎士   作:赤桃猫

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崩壊の足音

 多くの人々が行き交う表通り。モナちゃんとリゼリアちゃんが私の両隣を並び歩く。

 二人が私に歩調を合わせてくれているのか、その速度は明らかに緩やかだ。

 

「……こうして三人で並んで歩いていると、昔を思い出しますね」

 

「そうねぇ、バカやってたあの頃が懐かしいわ」

 

「本当に、時が経つのは早いものだな」

 

 今日の騎士としてのお仕事は、私たち三人で行う巡回任務。要するに警邏だ。

 普段から持ち回りで行われるのだが、今回はリゼリアちゃんが色々と手を回した様子。こうして皆で並び歩くのは、久しぶりのことになる。

 

「……どうだ。多少は気晴らしになっただろうか」

 

「もう、まだ見回りは始まったばかりですよ、リゼリアさん」

 

 それにしても、リゼリアちゃんは事あるごとに私を心配してくれる。

 言い方に違いはあれど、私の調子を確かめてくるのはこれで五回目だ。

 普段から表情が硬く、鋭い目つきのリゼリアちゃん。そんな彼女が不安そうに眉尻を下げて私の身を案じてくれる姿。

 うむ、中々にそそらせてくれる。

 

「リゼリアは気にしすぎなのよ。こういう時はパーっとしてればいいんだって! ほら、セレンも!」 

 

「ぱ、ぱー……ですか?」 

 

「……ふむ。そういうものか」 

 

 なんて言いつつ、モナちゃんだって私を気にしているのはバレバレなんだよねぇ。

 事あるごとにこちらをチラチラと見て、私が目を向ける度に慌てて顔を逸らすのだ。

 横目で観察していれば、その顔にはやはり私に対する心配が見て取れる。

 ううーん、いじらしい……。 

 

「ぱー……待て。二人とも、何故笑う」

 

「いや、あんたの口からそんな情けない声が──ぷふっ」

 

「す、すみません、私も……ふふ」

 

 二人して笑っていると、リゼリアちゃんは納得いかない顔をする。けれども、心なしか満更でもなさそうだった。

 

 こんな和やかな時間が、忘れかけていた日常の形。いつのまにか遠のいてしまった、輝かしい当たり前の日々。

 ああ、鮮血と死にまみれてしまった『セレン』にとっては、何よりも尊い時間じゃないか。ふふふ。

 

「……まぁいい。セレンも少しは元気を取り戻したようだからな。朝よりはまともな顔つきに戻っている」 

 

「あら、確かに。さっきはそりゃもう凄かったのよ? ホント死人みたいでビックリしたんだから!」

 

「……そうなのですか?」 

 

 最近になって、どうにも暗部での任務が増えてきている。

 今までは数日に一回という頻度だったものが、ここのところほぼ毎日に。表と裏で二足のわらじを履いている私には、かなりのハードスケジュールだ。

 おかげでかなり寝不足なのだが、実のところ精神的な疲労はほとんどない。

 

 自室で鏡を見て、「寝不足で衰弱してる『セレン』マジ可愛い、達する」とか興奮してたら疲れが全部吹っ飛ぶのである。

 やはり私は変態だったようだ。

 そこで調子に乗り、実際より何割か増しで衰弱したフリをして楽しんでいるのが今の私。客観的にはそれこそ死体のように見えるのだろう。

 みんなは私を見て曇り、私はそれを見て達する。うん、これぞウィンウィンというやつだ。

 

 ……おかげで最近の夜は()()しすぎて、より一層寝不足なのだけれどね。

 

「それは、その……ご心配をお掛けしたようで──おや」

 

 その時、私たちの下へと駆け寄ってくる影が見えた。

 二人も気付いたのだろう。私の視線に釣られるようにそちらの方を向く。

 

 近付いてきたのは、小さな女の子だ。

 彼女は「騎士さまだー!」と無邪気な歓声を上げ、私たちの前へと飛び込んできた。

 

「どうしたのかしら、おチビちゃん。あたしたちに何か用?」

 

 真っ先に応対したのはモナちゃんだ。

 彼女はその場で膝を折り、目線を女の子に合わせる。

 声も普段より高くしており、なんというか、面倒見のいいお姉さんのような雰囲気を醸し出している。

 うん、猫被ってるねコレは。

 

 こうして巡回の間に街の人々から声を掛けられるのは、そんなに珍しいことじゃない。

 騎士と住民たちの距離が近いことは良いことだ。こういった微笑ましい光景が見られるくらいには、この地域は平和だということなのだから。

 

 ……まぁ、私はその裏側にある汚さを知っているんだけどね!  

 

「あのね、騎士のみなさん、いつもごくろうさまですっ」

 

 女の子が笑顔と共に差し出したのは、三本の赤い花。

 街中でもよく見かけるありふれた品種だ。

 けれども、溢れんばかりの笑みと共に渡されたそれは、値段ではない価値を持っているだろう。

 

「あら、あたしたちにくれるの? ありがとう、いい子なのねぇ」

 

 モナちゃんはそれを受け取ると、彼女の頭を優しく撫でる。

 よほど嬉しかったのだろう。女の子の顔は喜色に染まり、あわあわと口を半開きにしていた。

 やだ、可愛い。

 

「あの、えっと……わ、わたしも、将来は騎士になりたいですっ!」

 

「あら、本当? あなたならきっとなれるわよ。……そうでしょ?」

 

 そう言って私たちへ振り向いたモナちゃんの顔は、まさしく『お姉さん』である。

 本性を知っている私とリゼリアちゃんからすれば、「ああ、子供の前だから年上ぶってるな」と察するのは早い。

 

 リゼリアちゃんと目を合わせ、苦笑交じりに頷く。そして二人で一緒にしゃがみ、女の子と向き合った。

 

「ああ。君のような未来ある子供であれば、きっと素晴らしい騎士になれるだろう」

 

「──! はいっ!」

 

 リゼリアちゃんの固い口調のおかげか。真剣味を帯びて語られる激励は、お世辞ではなく本気なのだと思わせてくれる。

 それを感じ取ったのだろう。女の子は感極まったように、満開の笑顔を見せてくれた。

 

 ……やばい、ちょっとその顔曇らせたい。

 

 お腹の奥からぞくぞくと欲望が湧き出てくる。

 いやいや、流石にこんな小さな子供に手を出すのは、私の米粒サイズの良心が……。

 でもさ、こんなキラキラした顔を見せつけたら……ねえ? やるしかないじゃん。なくない? 

 

 一人でこっそり悶々としていると、女の子はわくわくした顔で私の方を見る。

 これは、私からも何か言ってくれることを期待している……。

 ……まあいっか! 

 

 スッと表情に影を落とし、儚げな笑みを浮かべる。

 少しだけ口ごもった後、目を細め、女の子の瞳を覗き込んだ。

 

「……それなら、この二人のように優しい騎士を目指すんですよ」

 

 それとなく、私を除外して語る。

 

「……あれ、おねえさんは?」

 

 女の子の顔が、少しずつ不安に染まっていく。先ほどまでの歓喜が嘘のようだ。

 ふふ、やはり子供は察しがいい。

『セレン』の滲ませる薄幸オーラを察知したのだろう。

 私は曖昧な笑みだけを返して、誤魔化すように女の子の頭を撫でようとし──その手を止めた。

 

「どうした、セレン?」

 

 目を伏せて唇を噛み、伸ばした手を震わせる。

 すぐ傍で見ていたリゼリアちゃんには見えていただろう。私が浮かべる、苦むような悲痛な顔を。

 

『セレン』という存在は鮮血と死にまみれている。

 幾人もの命を摘み取りながら、のうのうと生きる殺人者だ。

 目の前に立つ、光の象徴のような子供とは正反対の、薄汚れた存在だ。

 

 そんな『セレン』が、子供に触れる? 

 ああ、そんなの、許されることじゃないだろう。

 血に染まったこんな手で、彼女の頭を撫でようとするなんて。

 許されない。許せない。他ならぬ『セレン』自身が、それを赦せない。

 

 ふひっ、ひひひ……やばい、濡れる。というか濡れてる。多分。

 

「……ほら、ご両親が待っていますよ。お花、ありがとうございます」

 

 行き場を失った手を戻し、後ろを指し示す。そこには彼女の両親であろう男女が、微笑まし気に私たちを眺めていた。

 

「うん……その、あの」

 

 私と両親で視線を行き来させた女の子は、うつむいてしまう。まるで迷子のような顔だ。

 ああ、ふふふ、イイ顔だ……素質あるよ君ぃ……。

 

 今は仮面を付けてないので、必死に表情筋を押し留める。

 端から見たら、そこにいるのは曇り顔を浮かべた二人の少女。うん、最高だ。

 

「……えっと、おねえさん」

 

 暫くそうして観察していると、女の子はぽつりと呟く。そして、ぱっと顔を上げて──

 

「おねえさんも、やさしい騎士さまだよ」

 

「───」

 

「だから、その、わたしはおねえさんみたいな騎士になりますっ」

 

 むんっ、と可愛らしく拳を握った女の子の目には、強い意思があった。覚悟、決意、理想、様々なものが入り混じっている。

 だが、何よりもそこにあるのは──純粋無垢な優しさ。

 

 ……ああ、本当に、この子は察しがいい。

 

 ここまで的確に『セレン』の心を射抜く台詞を言ってくれるとは。

「じゃあね」と言って手を振りながら走り去っていく女の子を眺め、立ち上がる。

 

「ふふ、あの子にまで気を使われちゃったわね」

 

「子供は他人の感情に敏感だというからな」

 

「……モナさん、リゼリアさん」 

 

 二人がどこか諭すような言い方で、私の肩に手を置く。

 

「あの子は、いい騎士になりますよ。きっと……いいえ、必ず」

 

 私は眩しいものを見るように、両親の下へと駆けていく背中を見送り──

 

「──きゃっ!」

 

 その小さな身体を、妙な男が突き飛ばした。 

 

 いや、押し退けたというべきか。

 何処からか走って来た男は、女の子にぶつかろうとも全く足を緩める様子はない。

 彼は襤褸のような布を頭から被っていた。

 顔を隠したその男は、転ぶ女の子に目もくれず、そのまま通りを突っ切っていく。 

 

「なっ──ちょっとあんた! どこ見て走ってんのよ!」

 

 その背へ向けて、モナちゃんが叫んだ。

 けれど男は立ち止まらない。振り返ることもなく、近くの路地裏へと消えていく。

 その間にリゼリアちゃんは、倒れ込む女の子へと走り寄った。

 

「大丈夫か」

 

「うん……ちょっと擦りむいたけど、へいき」

 

「そうか、君は偉いな」

 

「……えへへ」

 

 あちらは大丈夫そうだ。

 だが、一連の騒動を見ていた周囲の人々は騒然としている。

 

「──財布だ! 財布を盗られた!」

 

 そんなどよめきの中、若い男の怒声が響き渡った。

 その言葉を聞き、状況を理解する。

 つまり、財布を盗んだ犯人が無我夢中で逃げ、女の子とぶつかった。ということだろうか。

 

 二人もそれを理解したのだろう。

 モナちゃんはいつになく真剣な顔付きへと変わる。

 リゼリアちゃんは路地裏に目を向け、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「ああ、もう! あたしが追うわ! セレンはじっとしてなさい!」

 

 私への忠告を残して、モナちゃんは駆け出していく。さっき男が入っていった路地裏へと飛び込んだ。

 

 ここで、『セレン』ならどうするか? 

 彼女の忠告に従い、素直にじっとしているか。それとも無視して、首を突っ込むか。

 まぁ、当然──首を突っ込むよね! 

 

「──おい、セレン!」

 

 リゼリアちゃんの制止に聞こえないふりをして、私はモナちゃんの後を追う。

 だって、そっちの方が厄介事に出会えるかもしれないんだから! 

 

 

 ◆

 

 

「くっ……ああもう、何処行ったのよ、さっきのヤツ」

 

 モナは淀んだ空気に顔をしかめながら、辺りを見回す。

 路地裏の奥は、日中だというのに薄暗かった。

 周囲を囲む家々が光を遮り、地面には古びた廃材が打ち捨てられている。

 表通りから一歩外れただけで、ここまで雰囲気が変わるとは。

 

「こんな入り組んでるなんてね……慣れないことするもんじゃないわ」

 

 追っていた窃盗犯の姿はない。

 いくつもの曲がり角に、細い隙間道。これではどこへ逃げ込まれたのか分からない。

 いっそ勘で行こうか、と再び走り出そうとしたモナの背に、聞き慣れた少女の息遣いが近付いてきた。

 

「い、いましたか、モナさん……!」

 

「セレン? あんたは待っててって言ったでしょ!」

 

「すみません、でも、じっとしていられなくて……」

 

 荒い息を整える様子からして、やはり調子が悪いのだろう。

 普段のセレンならばこの程度で息を切らすことはないはずだ。

 不調である彼女には来て欲しくなかった。けれど、やはりというべきか。セレンはそれで止まるような人間ではなかったようだ。

 

「あれ、リゼリアは?」

 

「あ、えっと……置いて行ってしまいました」

 

「……まぁ、あいつなら直ぐに追いついて来るか」 

 

 とにかく今は、窃盗犯だ。

 セレンが少々不安だが、そこは腐っても騎士。万が一でも、そこらの悪漢に後れを取るようなことはないだろう。

 

「というか、完全に見失っちゃったんだけどね……」

 

 こちらの方向まで逃げてきたことは確かだろう。途中までは一本道で、ここに至るまで他の逃げ道はなかったはずだ。

 だが、ここまで来て振り切られてしまった。

 情けない限りだ。モナだって、一応は騎士だというのに。

 

「顔も隠していましたし、手掛かりがほとんどありませんね……」

 

「はぁ、完っ全にやられたわね」

 

 犯人は襤褸を被っていたせいで、人相が分からない。

 これでは手配書をつくることも難しい。中々に小賢しい犯人だ。

 

「……あれ?」

 

「どうしました、モナさん」

 

 胸の奥で、何かがざわめいた。

 引っ掛かるような感触。気のせいではない。

 何か、何かが妙だ。湧き上がる違和感に従い、思考を巡らせる。

 

 犯人は顔を隠していた。恐らくは、初めから盗みを働くことが目的だったはず。

 そしてあの時、現場では女の子が突き飛ばされた後に、盗みが発覚した。

 つまり犯人は財布を盗み、気付かれるより前にその場を走り去ろうとしたということ。

 その考え自体は納得できる。 

 被害者が察知した時にはもう、犯人は遠い場所。そのような事例は、残念ながらありふれている。

 

 だが──なぜ騎士が近くに居る場で、一連の行為を? 

 

 気付かなかったわけではあるまい。

 騎士という存在は目立つ。というか、目立ってなければならない。

 そもそもモナたちは警邏として出向いたのだから、コソコソと動く理由はない。それが周囲に対する抑止と安心を生むからだ。

 

「まさか……」

 

 それでもなお、あの場で盗みを働いた。

 彼は顔を隠していた。こうしてモナを呆気なく撒いたことから、逃走経路もあらかじめ把握していたはず。

 そこまで周到にやっておいて、騎士のいる場で犯行を? 

 なぜ? 理由はあったのか? あったとしたら、それはなんだ? 

 そもそも。自分たちの目の前で子供とぶつかるなどと、悪目立ちしすぎる。そんなの、あまりにも杜撰な失態なのでは。

 だとしたら、だとしたら。

 

 朧気だった疑念が少しずつ形を成していく。

 ふと──首筋を、寒気が撫でた。

 

「動いて、セレン!」

 

「え?」

 

 叫ぶ。この場でじっとしているのは不味いと、直感が告げた。

 大切な友人へ呼びかけるも──駄目だ、いつもより反応が鈍い。

 

 とにかくこの場を離れるために、彼女の手を取ろうとして──抉るような激痛が、左肩に突き刺さった。

 

「──ぎ、いッ……!」

 

 強い衝撃と共に、一瞬、肩が取れたのだと錯覚する。

 痛い。視界が明滅する。これは、マズい。

()()()()()

 

「モナさん!?」

 

「っ、屋根の上よ! 狙われてる……!」

 

「は、はいっ!」

 

 崩れそうになる身体を気合で押しとどめる。

 思わず痛みの元凶に目を向ければ、肩から木製らしき細い棒が生えていた。

 矢だ。防具の上から貫いて、肉体まで到達している。

 

「──くっ!」

 

 左腕は動かせない。だが右腕は使える。即座に剣を抜いて構える。

 セレンも僅かに遅れて剣を抜いたことを確認し、上を見上げた。

 

 刺さった時の体感からして、射手は上。どこだ、どこにいる。

 いつ二の矢が放たれてもおかしくない。次の狙いはセレンかもしれない。いや、確実にこちらのトドメを刺しにくるかもしれない。

 まだ攻撃は来ない。探せ、探せ、探せ。

 

 痛みと緊張で時間の感覚が曖昧になっていく。まだ攻撃は来ない。

 自分の荒い呼吸が、いやに耳の奥へ響く。まだ攻撃は、来ない。

 どれくらい経ったのかは分からない。ある建物の屋根へ視線を巡らせると──いた。

 

 弓を持った何者かが、こちらをじっと見下ろしている。

 何故か矢をつがえる様子はない。屋根の淵に立ち、何をするでもなく静観していた。

 しかし、なによりも不気味なのは──

 

「───」

 

 全身を覆う黒いローブ。顔を隠す仮面。

 およそ太陽の下にふさわしくない格好の人物が、そこに立っていた。

 

 だが、視界に入ったのはほんの一瞬。その人物はモナが目を向けるのを待っていたかのように、直後、身を翻した。

 あれは。今の人物は。あの仮面は──

 

「──モナさん、モナさん!」

 

 混乱する思考に没頭しかけたモナの耳に、セレンの声が届く。

 

「敵はっ、見つけましたか!?」

 

 ひどく焦燥している。目を向ければ、彼女はモナとは別の方向を忙しなく見回していた。

 必死な形相だ。負傷したのはモナだというのに──いや、だからこそというべきだろうか。

 その姿を見ていると、なぜだか少しだけ落ち着きを取り戻せた。

 

「……見失ったわ。逃げられたか……一度隠れて、また狙うのかも」

 

 警戒を保ちつつ、一度剣の構えを解く。

 だが、集中が切れてしまったのか、再び鈍い激痛が息を吹き返し始めた。

 

「いぎっ──つう……!」

 

「モナさん、とにかくここを離れましょう! 早く治療をしないと……!」

 

「え、ええっ、流石にこれはっ、マズいわねっ」

 

 泣きそうな顔をしながらセレンが駆け寄ってくる。

 支えようとしてくれたのだろう。伸ばされた手を、モナは右手で振り払った。

 

「あんたは、動けた方がいいわ」

 

「で、でも!」

 

「大丈夫、死にはしないんだから、このくらい平気よっ」

 

 ここでセレンの手も塞がってしまえば、二人揃って無防備になる。その方がよっぽど危険だ。

 それはセレンも理解しているのだろう。不本意だと言わんばかりに顔を歪めながら、周囲の警戒を始める。

 

 正直なところ、激痛が尾を引いて歩くのもやっとだ。

 だが「置いていけ」などと言っても、この優しい友人が頷くわけがない。

 

「…………」

 

 負担を掛けさせないためだろう。モナから付かず離れずの距離を保ちながら、セレンはひたすらに無言で全方位に視線を巡らせていく。

 ここまで張り詰めた空気を滲ませる彼女は、初めて見た。

 

 だが、結果的にその警戒は杞憂に終わる。

 幸いな、或いは不気味なことに。表通りの喧騒が耳に届くまで──二人分の足音だけが、路地裏に響き続けた。

 






(子供の目の前で発情する変態がいるらしい)

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