曇らせフェチの曇らせフェチによる曇らせフェチのための女騎士 作:赤桃猫
ここまでが序章、みたいなところがありまする。
謎の襲撃によって負傷したモナちゃんを横目に、先ほど通った道を戻っていく。その間、私は神妙な顔つきをしながら周囲を警戒していた。
今のところ追撃はない。だが、いつまた襲われるかも分からない。少しでも油断したその瞬間、二の矢が飛んでくるかもしれないのだし。
まぁ、内心ではワクワクが止まらないんだけどね!
『セレン』は迫真の表情だけれど、実のところ私の意識は八割くらいモナちゃんへと注がれていた。
荒い呼吸。不確かな足取り。歯を食い縛って痛みに耐えるその表情。
なんというか、クるものがあるよね、うん。
私があちこちに視線を寄せているのも、警戒するフリをしながらさりげなくモナちゃんの様子を観察するためである。
……ホントに追撃を受けたりしたら、まぁその時はその時だ。
「っ、くぅ……」
うふふふ。閉鎖的な路地裏だからか、モナちゃんの呻き声がハッキリと私の耳へ届く。
さっと振り向けば、彼女は『心配いらない』とばかりに笑って首を振った。
けれどその顔面は蒼白だ。笑顔だって、明らかに無理をして作っている。
私を前に、心配させまいと気丈に振る舞おうとするその姿、ごちそうさまです……!
「モナさん、もう少しで表通りです。あとちょっとだけ頑張ってください」
私の言葉に対する返事はなかった。代わりに、抜けるような息の音が応える。どうやら喋るのも一苦労らしい。
安全な場所までの辛抱とはいえ、身体に掛かっている負担は相当なもののようだ。
……いやぁ、どうせなら私を狙ってくれちゃっても良かったのに。
そうしたら目一杯に叫んで、のたうち回って、これ見よがしに痛がってあげられたのになぁ……。
まぁ流石に、それで急所にでも当たって死んでしまっては元も子もないか。
『セレン』が可哀そうな目に遭うのは大歓迎だが、自殺願望とはまた違うのだ。
私がアッサリと死んで、みんながどんな顔をしてくれるのかもひじょーーに興味深いけど、それを私自身が見られなくては意味がない。
それに、『大事な友人が何者かに襲われた』というのも、十分に『セレン』を曇らせるシチュエーション足りえる。
心優しく友達思いの彼女にとっては、十分に心を痛める悲劇だろう。ふひひ。
「モナ、セレン!」
なんて風に考えながら涎を飲み込んでいると、ついに表通りが見えてくる。
私たちを迎え入れたのは、先ほど置いて行ってしまったリゼリアちゃんの叫び声だった。
「──っ、二人とも何があった!」
肩に矢の刺さったモナちゃんを見て、リゼリアちゃんは
ただならぬ状況だと理解したのだろう。一瞬、硬直した彼女は歯を食い縛り、慌ててこちらへと駆け寄ってきた。
「矢だと──いや、とにかく此方だ! まずはモナを座らせる!」
リゼリアちゃんはモナちゃんに近付き、傷口が開かぬよう恐る恐る彼女を支える。そんな彼女の真剣な表情に混じる、強い動揺。
ああ、リゼリアちゃんだって全然事態を飲み込めていないのだろうに。その混乱を押さえ付けて、必死にどうにかしようと頑張っている。だって、ほら。目が泳いでいるんだもの。
「一体何があったんだ、セレン!」
「何者かに襲撃されました。犯人は不明で、恐らくもう逃げられました。で、でもっ、今はとにかくモナさんを……!」
私も負けじと悲壮感たっぷりに、混乱したようにまくし立てる。リゼリアちゃんは苦み走った顔で頷くと、モナちゃんの補助に集中し始めた。
そうして表通りまで出た私たちは、近場の建物の壁際に彼女を座らせる。
すると、周囲がにわかに騒がしくなってくる。
近くにいた市井の人々だ。その多くは、女の子が突き飛ばされた先ほどの騒動から見ていた者たちだろう。
そして、戻ってきた私たちの様子を見て、ただ事じゃないと察したのだ。
「セレン、奥で何が……」
ざわめきは少しずつ伝染し、表通りはあっという間に不穏な空気に包まれていく。
ふと群衆の中に目を向けると、その中に件の女の子が混じっているのが見えた。
彼女は母親の影に隠れながら、恐る恐るこちらを覗き見ている。目は愕然と見開かれ、唇は震えている。そしてその表情は、怯えと恐怖に染まりきっていて──
「く、ふぶっ──」
あっぶな! あまりの興奮で口から欲望が漏れるところだった。
咄嗟に唇を噛んで堪えたが、喉が震えて止まらない。頬も勝手に緩んでしまう。
ヤバい。こんな短時間で立て続けにオイしいものを見すぎたせいで、キャパを越えそう。
耐えろ、耐えろ、流石にここで笑ったらマズい。
蕩けそうになる顔面を抑えるために、全力で顔の筋肉を力ませる。
なんか、傍から見たらとんでもない歪み方をしているかもしれない。
いや、まだワンチャン、涙を堪える顔に見えなくもない。いや見える筈。多分!
「……セレン? おい、大丈夫か!?」
あ、ちょ、待って、揺らさないで、肩掴まないでリゼリアちゃん!
今気を緩めたらダメ! 社会的に死ぬ! 『セレン』のイメージが粉微塵になるから!
「くっ……とにかく、私は応援を呼んでくる。君はその間にモナの応急措置を頼む。できるな?」
「は、はいっ」
顔を見せないように俯き、目だけをリゼリアちゃんへ向ける。彼女は神妙な顔で私に言い聞かせると、私の肩から手を離した。
うん、大丈夫、バレてないバレてない……。
「モナ。もう少しだけ耐えられるか」
「……遅かったら、承知しないわよ」
「ああ。全速力で行ってくる。──セレン、任せたぞ」
そう言って、リゼリアちゃんはあっという間に走り去っていく。近くの詰所まではそう遠くないし、すぐに戻ってくるだろう。
……あ。というか私も、言われたからにはモナちゃんの応急処置をしなくては。
どうにか歪む顔面を押さえ込み、常備しているハンカチを取り出す。大きめのサイズで、包帯代わりにも使える優れものだ。
とはいえ、私は専門の医者じゃない。できることと言えば、その場しのぎの止血くらいだ。
……いや、流石にね? ここで
「……ねぇ、セレン」
とりあえず処置をしながら苦しむモナちゃんの顔をチラチラウフフと観察していると、ふいにその目が私と合った。
「あんた、アイツの……顔、見てないわよね?」
「……え? は、はい」
モナちゃんの唐突な質問に、戸惑いながらも答える。
私はあの時、いきなりのモナちゃんの負傷にウキウキしすぎて殆ど周りを見てなかった。いや、見てる振りはしてたけど、モナちゃんばっかり見てました。はい。
だからまぁ、下手人の顔どころか影さえ見ていないのです。
うーん……これはしょうがないよネ!
「ごめんなさい、私がもっとしっかりしていれば……」
「そう、ね」
なんて正直に言えるわけもなく、とりあえず『辺りを見回したけど見つけられませんでした』的なニュアンスでお茶を濁す。
すると、モナちゃんは私の目をじっと見つめ始める。その瞳に冷たく、真剣な色が見えて、私は思わずドキッとした。
え、待って、バレた?
実はモナちゃんにご執心なのバレちゃった?
いやいやいや、それはないはず。私の演技力はそんじょそこらのものじゃない。
大丈夫。興奮で緩んだ顔も、今はどうにか抑えられている。……抑えられてる、よね? ちょっと手鏡を──いやいやそれは流石に怪しいし……。
とりあえず、天に誓って疚しいことなんてひとつもありません! とばかりに無言で見つめ返すこと数秒。モナちゃんははふっと目を反らした。
「……まぁ、いいわ」
モナちゃんはそれだけ言うと、視線を宙に泳がせる。どこか遠くを見ているその表情は、何かを考え込んでいるようだ。
…………セーフッ!
「とりあえず、応急手当は完了しました。あとは応援が来るのを──あっ」
どうにか危機を乗り越えて一息つく。そんな私へと近づいてくる姿があった。あの女の子だ。
息を切らして走り寄ってきた彼女は、胸の前で両手を彷徨わせ、口をぱくぱくと開く。
「えっと、あの、そのっ……」
「……ああ、ごめんね、おチビちゃん。情けないトコ見せちゃって」
思考に没頭していたモナちゃんも女の子に気が付き、弱々しく笑う。
この子は聡い。モナちゃんの笑顔が、無理をして作られているものだと分かったのだろう。
女の子は不安をその顔に浮かべ、縋るような目で私の方を向いた。
「おねえさん、助かるよねっ……?」
「そ、それは……」
折角なので口をつぐみ、女の子から視線をそっと逸らした。『残念ですが、モナさんはもう……』みたいな雰囲気を全力で醸し出す。
そうすると女の子は呆然と目を見開き、みるみるうちに顔が蒼褪めていく。目の端から涙が零れ落ち、彼女の頬を伝っていく。
うぇへへへへ……いい、いい。魂が抜けるような顔とはこのことだ。
顔を歪めて泣き腫らすのもいいけど、こうやって呆然と涙を流す姿も素晴らしい……。
「しんじゃう、の……?」
いやさ、致命傷とまではいかないだろうけどね。そこはホラ、あれですよ。ノリですよ。うん。
「ちょっと、セレン、あんたまでそんな顔しないでよ! 死にはしないわよ、こんぐらい──いづっ……!」
「も、モナさん! 動かないで、安静にしていて下さい!」
ヤバい、ちょっと楽しい。
倫理的に考えて外道だということに目を瞑れば、この『もう助かりませんオーラ』は結構イケるかもしれない。
……外道だということに目を瞑れば!
「──あ! 騎士さまだ! ほら、騎士さまがもどってきた!」
私が心の内にこびりつく良心と格闘していると、女の子が喜色に顔を染めて遠くを指差した。
そちらに目を向ければ、リゼリアちゃんと複数の騎士たちの姿が見える。
「おねえさん助かるよね! もう大丈夫だよね!」
女の子は先ほどの表情から一転、ぱっと顔を輝かせて笑う。けれどそれは、胸の中の恐怖を誤魔化すためだろう。
大仰な動きでリゼリアちゃんたちへと手を振る彼女。その横顔にはやはり、隠しきれない不安が入り混じっていて──。
「ふひゅっ」
あ、ヤバい。多分濡れた。
そう気付いた時にはもう遅かった。ここまでの度重なる
一瞬、顔面が欲望に耐えきれず崩れる。けれど、即座に顔を揉んで『セレン』としての仮面を被り直した。
息を整え、漏れ出る笑い声を噛み殺す。女の子はリゼリアちゃんたちの方を見ていて、私の痴態には気付いていないようだ。
「も、モナさん。もう大丈夫ですよ……モナさん?」
念のためにモナちゃんにも見られていなかったか、それとなく確認する。
だが、幸運というべきか。モナちゃんに目を向けると、彼女はこちらを一切見ていなかった。
「……ううん、なんでもないわ」
彼女は路地裏の奥を、じっと見つめていた。私が声を掛けると目線を戻したが、その表情は深刻そのものだ。
睨み付けるような、強い感情を込めた瞳。一瞬だけ見えたその顔に、私は少しずつ疑問が湧き上がってくるのを実感する。
……いったいどうして、可愛い女の子のシリアスな顔ってこんなに興奮をそそらせるんだろうか、と。
◆
何の変哲もない木の扉が、言い様のない圧迫感を放っている。
単なる錯覚だと理解している。だというのに、リゼリアは『医務室』と書かれたその扉から放たれる無機質な何かを確かに感じていた。
居たたまれなくなり、隣に視線を向ける。そこには床に座り込み、膝を抱えて踞るセレンの姿があった。
「───」
セレンはずっと、この調子だった。
喋ることもなく、泣くこともなく。微かに震えてさえいなければ、人形にさえ見えてしまうような沈黙。
何か、言葉を掛けるべきなのだろう。しかし口を開けども、息が詰まったように何も出てこない。
慰めるべきだろうか。それとも、関係ない話題で気を紛らわせるべきだろうか。
どちらにせよ、正しい選択とは思えない。結局、息苦しいようなもどかしさが喉の奥に引っ掛かり続けていた。
「私の、せいだ」
ようやく零れ落ちたその言葉が、静寂に満ちた廊下へと響き渡る。
自分でも情けなくなるようなか細い声。それでもセレンの耳には届いたようで、彼女の震えが止まった気がした。
「……私もあの場に居れば、何かが変わっていたかもしれない」
口にしたのは、浅ましい後悔だった。
あの時自分も二人を追い掛けていれば。言葉にしてしまえば、それだけのことだ。
だが、この背中に走る嫌な冷たさは、どれだけ悔いても収まることはない。
今更こんなことを言ったところで、何の意味もないというのに。
「リゼリアさんは、悪くありません」
「……すまない」
セレンは小さく、押し殺したような声で呟く。
そう言うと思っていた。彼女ならば、リゼリアを責めることなどないと。
だが、今だけはそれが余計に苦しかった。
『自分さえいれば』。あまりにも曖昧で、無根拠な言い訳だ。それでもなお、あの瞬間のことが頭から離れない。
路地裏の奥から二人が出てきた時、一瞬、頭が真っ白になった。
今まで殆ど見たことのない、必死な顔のセレン。そして、肩に矢が刺さり、苦悶の表情を浮かべるモナ。
二人の友人の姿を見て、リゼリアは自分でも驚くほどに動揺してしまった。
「騎士として生きる以上、負傷など珍しいものではない。……それは分かっているが」
リゼリアとて、そのような騎士など何度も見にしてきた。暴力沙汰に巻き込まれ、重傷を負った騎士だっている。
だから、こんなものは珍しいものではない。その筈なのに──。
「──友を傷付けられるというのは、辛いな」
「……はい」
胸の内に燻る熱が、ふつふつと込み上げてくる。
それは怒りとも、悲しみともつかない。ただひたすらに心を締め付けるような、痛みの熱だった。
それから、どちらともなく黙り込んでしまう。
どこか遠くで、他の騎士たちが駆け回る音が聞こえた気がした。
現在、騎士団はいつにも増して慌ただしい。巡回中の騎士が攻撃されたとなれば、当然ながら大問題だ。
それに加えて、あの場には多くの一般人がいた。もう、穏便に事を運ぶ──などという段階はとうに過ぎている。
騎士団の威信のためにも、迅速な解決を。それが今、彼らを突き動かしている使命なのだろう。
「──あらあら。お二人とも、ずっとこちらにいらしたのですか?」
聞き覚えのある声がして、知らず俯いていた顔を上げる。
眼前にはその声の主、白衣を着た長身の女性が立っていた。
「……フェネル殿」
名を呼ばれた女性──フェネルはこちらに優雅な笑みを返す。
彼女の背には開かれた医務室の扉。どうやら、リゼリアたちが気付かぬ間に出てきたらしい。
「あ……ふ、フェネル先生! モナさんは、モナさんは大丈夫なんですか!?」
ばっと立ち上がったセレンが、フェネルに縋るように詰め寄る。
フェネルはそっと彼女の頭を撫でると、薄く微笑んだ。
「ご安心下さいませ、セレン。彼女の治療は問題なく終わりましたわ」
「そう、ですか……良かったです」
安心したように深く息を吐くセレン。それと共に、リゼリアも内心胸を撫で下ろした。
フェネルは騎士団お抱えの医者だ。元騎士だったが、とある怪我を切っ掛けに身を引いたという。
彼女の医者としての腕は確かだ。それ故に、彼女自身の口から『問題ない』と聞かされたことで、ようやく心から安堵することができる。
「……まずはお入り下さいませ。詳しい話は中で行いますわ」
フェネルに促され、セレンと共に医務室へ入る。
微かな薬品の匂い。幾つか並んだ治療用の寝台。その内の一つに、モナが腰掛けていた。
「セレン、リゼリア! なによ、来てたなら言ってくれれば良かったのに!」
肩周りに包帯を巻いた彼女は、すっかりいつもの調子で笑いかけてくる。
「モナさん、もう大丈夫なのですか?」
「ええ、当たりどころが良かったみたい。数日で動かせるようになるって」
その言葉に悲観的な感情はない。どうやら、本当に問題ないらしい。ニッと笑うその顔は、無理をしているようには見えない。
そんな彼女の普段通りの姿を見て、次第に目頭が熱くなっていく。
「……本当に、良かった」
「え、ちょっ、リゼリア! そんな泣くことじゃないでしょ!?」
慌てたようなモナの言葉に、リゼリアは目の端を拭う。全くもって、自分がこんなにも涙脆いとは思いもしなかった。
なんとなく気恥ずかしくなり、モナから目を逸らす。そこには、こちらを見て薄く笑うセレンの姿があった。
「その……あまり見ないで欲しい。セレン」
「あっ、ご、ごめんなさい。つい……」
きっと自分は今、顔が赤くなっているのだろう。そう自覚しながら、どちらともなく再び目を逸らす。そのやり取りが滑稽に映ったのだろう。モナは声を上げて笑っている。
だが、リゼリアにとっても悪い気はしなかった。自然と頬が緩んでいく。
「……ご安心なされたようで何よりですわ。それでは──」
それまでこちらを黙って見守っていたフェネルが手を叩き、リゼリアたちの意識を向けさせた。相変わらずの優雅な笑みはそのままに、声色を低くした彼女の様子に自然と背筋が伸びる。
「後で上にも報告いたしますが……まずはあなた方に、見ていただきたいものがありますの」
そう言ってフェネルが手を伸ばしたのは、治療台の傍に寄せられたワゴン。
幾つかの治療器具が並ぶ中、異彩を放つそれを彼女は持ち上げた。
「……これが、モナさんを?」
「ええ。そうですわ、セレン」
先端から赤黒く染まった矢──モナの肩に突き立っていたものだ。
つい先ほど取り除かれたばかりなのだろう。乾ききっていない血が反射し、生々しい光沢を放っている。
それが友人のものであると思うと、少しだけ言いようのない不快感が込み上げてくる。しかし、どうにか歯を食い縛って持ちこたえた。
「ただ、少しだけ気になる点がありますの」
フェネルは矢を目の前に掲げ、じっとりと舐めるように見る。
その視線の先を追い、リゼリアは気が付いた。
矢の先端に、返しや鏃が付いていない。これは、単純に先を削って尖らせただけの木の棒だ。
「刺さりやすく、抜けやすい。かといって毒も塗られていない。……人を害するという意味では、少々
血に濡れた先端を躊躇いなく触り、フェネルは言った。
「この矢には、殺意が足りていませんもの」
それは、確信しているかのような断言。
医者としての勘なのか、或いは騎士だった頃の直観か。どちらにせよ、その言葉には有無を言わせぬ重さがあった。
「それは、どういう……」
「言葉通りですわ、セレン。この矢には元より殺そうという意思がないのです。これではただの……」
「挑発、ってワケね」
黙って説明を聞いていたモナが、答えを口にする。フェネルは「ご明察」と頷くと、矢を置いて指を拭い始めた。
「多分、あの窃盗もあたしたちを誘き寄せるための罠ってことね。……ごめん、油断してた」
「そんな、モナさんは悪くありません! 私がもっとちゃんと……」
「頭を下げる必要はないさ。……それを言えば、私にも責任がある」
だが、それにしても。挑発とは一体どういうことなのだろうか。
騎士を誘い込み、負傷させる。フェネルの目が正しければ、そこに殺害という意図はなかったという。
騎士に危害を加えるなど、待っているのは重罪だ。たとえ死者が出なくとも、その罪は非常に重い。
それだけのことをして、目的は『挑発』だなどと。目的はいったい何なのか、まるで分からない。
「事件の概要は治療の際にこの子から聞いていますわ。じきに、本格的に調査が始まるでしょう」
調査の際にはリゼリアやセレンも駆り出されることになるだろう。
今ここで相手の思惑を考えても仕方がない。全ては、犯人を見つけ出して問い質す他ないのだ。
「ああ、それと、セレン。あなたからも話を聞かなくてはなりませんわね。あの場にいたようですから」
フェネルはセレンに歩み寄ると、その肩に手を置く。そして、いきなりセレンの耳元へと顔を寄せると、囁くように言葉を紡いだ。
「……後ほど、あなたの部屋に行きますわ。それまではゆっくりと心を休めて下さいませ」
「──っ、はい。分かりました」
一瞬、セレンの肩が跳ねた気がした。そのことに疑問を覚えたが、恐らく突然近付いてきたフェネルに驚いただけだろう。
「それでは。わたくしは片付けをしますので、これにて」
またもや優雅な笑みを浮かべ、上品に一礼するフェネル。どうにもその言動を見ていると、貴族のような立ち振る舞いを思わせる。
彼女は治療器具や凶器の乗ったワゴンを引き、医務室の奥へと去って行った。
「……セレン、リゼリア」
三人だけとなった空間で、ふいにモナが口を開く。
「あたしは暫く動けないけど。あんた達なら任せられるから」
それはきっと、捜査のことを言っているのだろう。いつになく真剣な顔のモナに、リゼリアは力強く頷く。
「言われるまでもないさ。モナ、君の分まで力を尽くそう。そうだろう、セレン。……セレン?」
リゼリアは隣に立つセレンに目を向ける。だが、どうにも心ここにあらずといった様子だった。
一体どうしたのかと再び声を掛けようとすると、彼女はハッと我に返ってリゼリアへ向き直る。
「あ、す、すみません。少し考え事をしていました」
セレンは軽く目を伏せると、深く息を吐いた。そして、どこか暗い顔を浮かべた彼女は胸の前で拳を握る。
「その……絶対に、犯人を見つけ出します。だから、モナさんは安心して休んでいて下さい」
「……ありがと、二人とも。それと……ゴメン」
そう感謝と謝罪を告げると、モナは申し訳なさそうに微笑んだ。
◆
深夜。薄暗い廊下に、仄かな照明の光が照り返す。
規則正しい靴音を奏で、フェネルは寄宿舎を慣れた足取りで進んでいた。
周囲には誰も居ない。そのような時間帯を選んだのだから、当然だ。
そうしてある部屋の前まで辿り着くと、優しく扉をノックする。
「……どうぞ」
奥から聞こえてきたのは、疲れ果てた少女の声。
自然と頬が吊り上がるのを自覚しながら、フェネルは勿体ぶるようにゆっくりと扉を開けた。
「ごきげんよう、セレン」
「……」
扉の前には、無言で立ち尽くす部屋の主。
フェネルは勝手知ったるとばかりに部屋に入り、後ろ手に鍵を掛ける。
それでもなお、彼女は黙ったままだ。
「さて、セレン。早速だけれど、話をしましょうか」
言いながら、懐を漁る。
手の平に慣れ親しんだ感触がして、それを取り出した。
──黒色の紙片。
その片面には、見慣れた仮面のマーク。これが自分達にとって何を意味するものか、お互いに説明するまでもないことだろう。
それを彼女の目の前に、ひらひらと掲げる。
「楽しい楽しい、お仕事の話を、ね?」
そしてフェネルは──悪辣に頬を歪めた。
人形のような瞳を浮かべ、従順に頷く憐れな少女を目にしながら。
??? (リゼリアちゃん泣いてんじゃーん! うぇへへへペロペロハスハス)