曇らせフェチの曇らせフェチによる曇らせフェチのための女騎士   作:赤桃猫

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どんどんシリアスが濃くなりますが、「ああ、この変態今発情してるな……」と想像しながら読むと安定して楽しめるかと思いますん。

 それと今回はちょっと長いです。一万字いってますので、ゆっくりできる環境で読むことをお勧めします。

 


悪意の思惑

 

 

 フェネル先生、と。

 私は彼女のことを、多大な敬意を込めてそう呼んでいる。医者だからというのも理由のひとつだが、一番の理由は他にあった。

 

「早速だけれど、話をしましょうか。──楽しい楽しい、お仕事の話を、ね?」

 

 陰湿に吊り上がる頬。享楽に蕩ける瞳。

 彼女は、欲望に染まった顔で私を見下ろしていた。

 私はこの顔をよく知っている。

 他者の不幸が心地よくてたまらない、人の苦しむ様が好きでしょうがない。

 これはそんな、どうしようもない(サガ)を抱えた人種の顔だ。

 

 そう、要するに──フェネル先生、マジリスペクトということである。

 

 騎士団お抱えの医者、そして元騎士という経歴を持つフェネル先生。しかしてその正体は──なんと、暗部の『責任者』と呼ばれる存在なのだ。

 

 先生が私たちのように直接動くことは殆どない。

 普段は医者としての顔しか見せず、実際に多くの騎士を彼女が治療してきた。

 その実績と積み上げた信頼は確かだ。だがその裏では、暗部の長として私や他の仮面騎士たちの元締めを行っている。

 言ってみれば、そう、彼女は全ての黒幕のようなもの。うーん……格好いいです、先生。

 

 そして先生がこれ見よがしに掲げるのは、見慣れた黒い紙。暗部の人間へと秘密裏に届けられる指令書だ。

 本来、トップである彼女が私に直接渡すべきものではない。だが、この紙そのものが次の()()を示すものであるため、彼女は事あるごとに私の前でそれを見せびらかすのだ。

 それが、『セレン』の心をじっとりと傷付けてくれるのだと理解しているからこそ。

 流石フェネル先生。人を曇らせる方法をよく分かっていらっしゃる。

 

「……はい、フェネル先生」

 

 私はそれに対して、理想の反応を返すだけだ。

 虚ろな目に、感情を感じさせない声。この世の全てに絶望しているような雰囲気を滲ませて。

 そうして、傍から見れば愉悦に顔を歪める悪女と、その哀れな被害者という構図が出来上がるわけだ。

 私も先生も大満足。これぞウィンウィンというやつだね! 

 

「さて、今回の件に関してですが……少し、()()なことになっていますわ」

 

 フェネル先生は悪辣な顔を一旦潜め、こめかみに指を当てる。『厄介』というその言葉をわざとらしく強調すると、意味ありげな目で私を見た。

 

「襲撃があったのは例の地区の裏通り。犯人の顔はおろか、服装といった特徴まで誰も見ていない……」

 

 囮らしき窃盗犯というのも行方知れずですし、と眉を歪めて困ったような顔を浮かべる先生。その姿だけを切り取って見れば、まるで他愛もない悩み事を抱えているような、それくらいにありふれた表情だろう。

 無論、目の前に死んだ目で立ち尽くす少女(セレン)が居なければ、だが。

 

「ああ、それに。噂が広がっていますわ。さる騎士が白昼堂々と何者かに襲われた、と」

 

「それは……」

 

 そう言われ、事件があった時の事を思い返す。

 あの時、私たちの周りには多くの一般人がいた。負傷したモナちゃんをその目で見た者は、かなりの数になるだろう。

 その彼らを中心に、『騎士が襲われた』という噂が拡散されていたとしてもおかしくない。

 

「既に、隠しきれないほどの大事になっていますわ。民も、騎士たちも、一刻も早く下手人を白日の下に晒すことを望んでいる」

 

 それも事実なのだろう。

 実際、今の騎士団は犯人を見つけ出すことに躍起になっているようだし。

 街の人々にしても、自分たちを守る存在が襲われたとなればその不安は計り知れない。

 護国の象徴たる『騎士』が襲われるということは、それくらいに深刻な問題なのだろう。

 

 そこまで考えて、彼女の言わんとすることを薄々察する。

 つまるところ──この件は秘密裏に『なかったこと』にはできない、ということ。

 

 色々と後ろ暗いことばかりやっている暗部だが、それでも私たちは『影の存在』だ。

 疑わしきを罰する。不利益な存在を誰にも知られることなく抹消する。それがモットー。

 つまり、そう。私たちの活動は人知れず行われなければならない。

 だからこそ逆に、私たちは()()()には不用意に関われないのだ。

 

「ですので、今回は少々特殊な事例になりますわ。あくまでも、『騎士団が解決した』という事実が必要なのですもの」

 

「では、私たちは──」

 

 暗部として何かをする必要はない、と微かな希望を抱く『セレン』の唇を、フェネル先生の細い人差し指が遮った。

 私が言葉尻を飲み込み黙るのを確認すると、先生は軽く頷き──花開くような笑みを浮かべた。

 

「それでは、あなたは満足できないでしょう?」

 

 甘く蕩けるような声で彼女は言う。

 そのあまりに蠱惑的な仕草に、私は思わず身震いした。

 一緒になって嗤いたいのは山々だけど、それはできない。熱を帯びていく下腹部から極力意識を反らしながら、『セレン()』は呆然と口を開く。

 その反応を、先生はお気に召したようだ。彼女の笑みはますます深っていき、唇が弧を描く。

 

「憎いのではなくて? あなたの大切なお友達を傷付けた、犯人が」

 

「そ、それは、当然……許せない、です」

 

 拳を握り締めて俯く。ほんの僅かに、怒りを含めるように喉に力を入れる。

 だがそれは、理性的な怒りだ。真面目なセレンらしい、私情を抑え付けた上での情動だ。

 

「絶対に見つけ出して、捕まえます。で、でも、それは『騎士』としてでも──」

 

「──違うでしょう?」

 

『セレン』の反論を、フェネル先生が遮る。悪辣な笑みはそのままに、しかしその瞳に絶対的な()をもって、彼女は断言した。

 間違っていると、そうではないと。反論を許さぬ強い声で。

 

「先ほど、あの矢に殺意はなかったと言いましたわね」

 

 黙り込む私を見ながら、フェネル先生は目を細める。

 そして、問題への答えを示すように指をピンと立て、

 

「ですがそれは、逆に言えば『どちらでも良かった』と捉えられますわ」

 

「──え?」

 

 堂々と、当たり前のように──先生は言い放った。

 

「生きていても、死んでいても結果は変わりない。……であれば、元よりそこに殺そうという意思は介在いたしませんもの」

 

 あまりにも無根拠な推測だ。冷静に考えれば、すぐに気付くであろう暴論。だが、先生の有無を言わせぬ語調は、まるでそれが真実だとでも言うようにするりと耳に入る。

 

「一歩間違えれば、あの子は死んでいた。それはあの場にいたあなたの方が理解しているのではなくて?」

 

「う、ぅ──」

 

 まるで毒だ。

 耳から入り込み、少しずつ精神を蝕む遅効毒。

 思わず『私』でさえも、それが真実なのだと錯覚してしまうほどの甘い声。

 それがじわじわと、紙にインクが染み渡るように心を侵食していくようで。

 これが『セレン』であったならば、きっと為す術なく侵されてしまいそうだと確信するほどだ。

 

「その上で、もう一度聞きますわ」

 

 先生は私の肩に手を置き、顔を近付ける。彼女の歪んだ笑顔が、私の視界いっぱいに広がる。その鈍く輝く瞳には、私以外を写さない。

 そして、先生の弧を描く唇が開かれる。熱く湿った吐息が漏れ出て、私の頬を擽った。

 

「あなたは──犯人が憎いでしょう?」

 

「───」

 

 その囁きが鼓膜を震わせた瞬間──脳の裏側が痺れた。

 そう錯覚するほどの絶頂と興奮が、一気に全神経を駆け巡る。

 声を上げることさえ叶わない。視界が明滅し、血管の熱が下腹部へと密集する。

 

 端的に言って、私はイった。

 

 質問の内容は先ほどと全く同じ。だが、彼女の口から発せられる『憎しみ』という言葉は、単純な意味を越えている。

 そう、これはもっと色濃く、醜く、どす黒い感情。

 つまるところ──()()だ。そう呼ぶべきものを、彼女は『セレン()』に問うている。

 

「な、にを──させるん、ですか」

 

 辛うじて喉を震わせ、声を絞り出す。

 ほとんど興奮のせいで上手く喋れないだけだが、先生から見れば恐怖で喉が引き攣っているように見えるだろう。

 ここまで勿体振った言い方をするのだ。どうにも、私に何かをさせようという意図を感じる。

 折角なので酷いヤツをお願いします! とお祈りしながら、『セレン』は縋るような目でフェネル先生の瞳を見つめ返した。

 

「ふふ、理解が早いのはいいことですわ。あなたには……とびっきりのお手伝いをして頂きます」

 

 先生は私の顔から離れると、最初に掲げた黒い紙をこちらへ差し出す。

 そこに、今回の任務が書いているのだろう。始めから、『仕事内容』は決まっていたということだ。

 震える手でそれを受け取り、恐る恐る(ワクワク)と内容に目を通す。

 少しづつ読み進めていく内に──私は、眼前の先生に対する認識が甘かったのだと、痛感した。

 

「こちらに手掛かりが無いのでしたら、頼れば良い」

 

 先生は朗々と語り出す。私はそれを聞きながら、指令書から目を離せずにいた。

 場所は貧民街。目的は情報の入手。対象は、不特定。

 

「表は騎士が。裏はあなたたちが。けれど、貧民街の方々はみな口が堅いようですから……」

 

 記された幾つかの単語や文章が、先生の声と入り混じって頭の中に渦巻く。

 先生がやろうとしていること。私にやらせようとしていること。

 その全てが、たったひとつの命令へと収束していく。

 

「──少し強引に、お話を伺って来てくださいませ」

 

 ()()

 先生の婉曲的な表現。それと対象に、一切の容赦なく記された『方法』。

 これが、フェネル先生。他人の不幸を愛する彼女の、私へ向けたプレゼント。

 ああ。なんと、素晴らしい……! 

 感謝、感激、歓喜、感涙──とにかく途方もない激情が、私の胸を跳ね回る。

 

「もし。それで重要な手掛かりが得られれば……そうですわね、直接犯人と(まみ)えることも可能かもしれません」

 

 指令書を握り締めたまま固まる私の手を、フェネル先生がいきなり掴む。

 ぱっと顔を上げると、昏く淀んだ彼女の瞳と目が合った。

 先生は笑うように目を細め、私の手を引く。

 

「こちら側からは手を出せない。ですが、あなたには『騎士』としての顔もある」

 

 引かれたその手がゆっくりと、先生の胸元へ押し付けられる。

 その場所が示すのは、彼女の心臓。どくどくと脈動する感触が手のひらに伝わり、そこに命の核があることを思い知らせているようで。

 その熱が、私の手から腕を伝い、そしてお腹の芯へじっとりと響く。

 

「であれば、あなた自身の手で──報復、というのも可能かもしれませんわよ?」

 

「ぁ、っ……」

 

 ありがとうございます! ありがとうございます! 

 感極まって叫びそうになるのを、寸でのところで我慢する。

 だが、どうしても堪えきれない。これは今までとは別のベクトルだ。そう、レベルが違う。桁が違う。

 ただひたすらに『セレンを曇らせる』ことを目的とした話術。

 これに、興奮せずにいられるワケがない! 

 

「あらあら、震えているのですか? ふふっ、いじらしいですわね……」

 

 先生は目敏くそれを察したのだろう。ふいに私の顔へ手を伸ばし、頬をさする。その手がゆっくりと横に滑り、髪の毛へと触れる。

 わしゃわしゃ、わしゃわしゃと。くすぐったくなるくらいに優しく。まるで犬を愛でるかのような手つきで私の髪を弄ぶ先生。

 その目に宿る感情は、明らかに人間に対して向けるべきものとは違う。

 まさしく愛玩動物(ペット)

 先生の目に写っているのは、従順で可愛らしい小動物。或いは震えて縮こまってばかりいる、哀れで愚かな家畜。

 

 なんて、なんて──最高の気分なのだろう。

 先生に触れられた頭が、暖かな感覚に包まれる。茹だるような熱が脳を満たし、思考が蒸発してしまいそうになる。

 勿論、ここで喜んでいる姿を先生に見せるわけにはいかない。そんなの、興醒めもいいところだ。

 息を荒げ、目を見開き、両の眼を震わせる。半開きの口端から涎を溢せば、心が潰れる一歩手前の少女が完成だ。

 興奮と恐怖は表裏一体なのである。知らないけど。

 

「……ふふ、失礼しましたわ。あんまりにも健気なものでしたから、つい愛でてしまって」

 

 それから暫く先生の愛玩を堪能していると、私の頭から手が離れていく。

 見れば、先生は実に満足げだ。心なしか医務室で会った時よりも生気に満ちているというか。その目の輝きが、より一層強まっているというか。

 ちなみに私も大満足である。当然だよね! 

 

「そろそろわたくしはお暇いたします。──期待していますわよ、セレン」

 

 フェネル先生は再び私の顔に近付き、その額に口付けした。

 そこに愛情などあるわけがない。それはまるで、己の所有物なのだと示すような、偏執を感じさせるキス。

 そして最後に私の頭を一撫ですると、先生は背を向けて部屋を出た。

 

「……では、ごきげんよう、私の愛しいセレン?」

 

 先生は振り向き、優雅な一礼をするとゆっくりと扉を閉め始める。その間も、彼女は私から一切目を離すことはない。

 少しづつ閉まる扉の隙間から、じっと。紙一枚ほどの幅が埋まるその瞬間まで、先生の瞳が私を見詰め続けていた。

 

「───」

 

 完全に扉が閉まり、足音が遠く離れていく。

 長いようで短い対話。実に濃密で、有意義だった。

 興奮を最後まで隠し通せたのは、私が今まで築き上げてきた『セレン』という強固な仮面の賜物だろう。

 私は扉に鍵を掛けると、念のため扉に耳を当てる。一人分の足音が確かに反響し、フェネル先生が遠ざかっていくのを確認する。

 

「ふぅぅ……」

 

 それからさらに数秒。音は遠く霞んでいき、やがて静寂が満ちる。どうやら先生は行ったようだ。

 ここまで積みあがった全ての熱を口から吐き出し、私は振り向いた。

 ……それじゃあ、早速──

 

「ふひひゅっ」

 

 とりあえず、この興奮が冷めぬ内にベッドへとダイブした。

 ──せめて一発抜いとかないと、落ち着かないからね! 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 朽ちた家屋の一室。クーシャの目の前で、椅子に縛られた男が何事かを叫んでいた。

 

 泡を吹きながら捲し立てられるその言葉は、もう殆ど形を成していない。

 辛うじて聞き取れたのは、既に幾度も聞いた「知らない」、「助けてくれ」といった単語くらいのもの。

 だが、この場に居る誰もその言葉に耳を貸すことはない。

 当然だ。男を囲うのは、彼に苦痛を与え続ける張本人たちなのだから。

 

 男の側に立つ『影』が、彼の指先を押さえ付ける。暴れ回ろうとする腕をものともせず、『影』は指と爪の間にずるりと()を差し込んだ。

 絶叫が木霊する。これで都合三度目。

 果たしてこれらの行為がどれほど惨いのか、程度を知らないクーシャにとっては、計りかねる。

 ──拷問。その行為に立ち会うのは、クーシャにとって初めてのことなのだから。

 

 良い気分はしない。だが、極度に不快感を覚えるわけでもない。

 クーシャ自身の胸にある感情を率直に表すならば、無関心。

 目の前の名も知れぬ男に対し、特に思うことがない。例え貧民街という同郷であっても、隣人ですらない他人に抱く感情などなかった。

 だって、そんなものよりも、今のクーシャにとって大事なのは──

 

「セレン、大丈夫?」

 

 自身の横に立つ、優しい友達なのだから。

 

「ええ、大丈夫……私は、大丈夫です」

 

 セレンはかくかくと首を揺らして頷く。その不安定な仕草は、とても『大丈夫』そうには見えない。

 クーシャの声に応える間もこちらには目を向けず。彼女はじっと、眼前で行われる行為を食い入るように見つめていた。

 まるで、己の眼にそれを焼き付けるかのように。

 

「ふ、くっ……」

 

 セレンの口から微かに漏れる、呻くような声。

 不規則な呼吸を何度も繰り返すその姿は、今にも倒れてしまいそうなほど危うい。

 それでも彼女は、決してこの光景から目を反らそうとはしなかった。

 どうして、そこまで苦しい思いをしながら立っているのだろうか。思わず口を開きかけ──その疑問の答えを聞く前に、クーシャは思い至った。

 

 なぜならば、この拷問を指揮しているのは他ならぬセレンなのだから。

 

 騎士を襲ったという『謎の人物』の手掛かり。それを得るための、貧民街での調査。

 それが、セレンから説明された今回の任務だ。

 なぜ調査対象として貧民街を狙うのか、その理由をクーシャは知っている。

 

 ──貧民街の人間は、独自の()で繋がっている。

 劣悪な境遇で生きる中、自然と育まれてきた同族意識。

 その密接な繋がりによって、彼らの間には世間話、噂、真実入り混じるあらゆる情報が常に交わされている。

 それは、決して表からは見えない共生関係の結果なのだろう。

 彼ら独自の網。他所者には決して明かすことのない巨大な情報源。

 その有用性は、きっと外側の人間からすればかなりのものになる。

 たとえクーシャ自身にその繋がりはなくとも、貧民街に生きていれば嫌でも『網』の存在を知るほどに。

 だが、そんなものを彼らが易々と外部に漏らすわけがない。

 暗部の人間は外様だ。そうなれば、取れる手段は自然と限られる。

 結果として行われているのが、その『網』を横合いから強引に掠め取るようなこの行為だった。

 

「──っ、──、───」

 

()()()。繰り返される一部始終から、やはりセレンは目を反らさない。

 彼女は男の絶叫に合わせるように、幾度も肩を震わせる。

 そして言葉にならない小さな悲鳴が、喉の奥から溢れ落ちていた。

 

 貧民街の人間を捕まえ、手掛かりを()()()()。そう告げたのもセレンだ。

 だがそれは明らかに彼女の意思ではない。誰か、セレンにそれを命令した人間がいる。

 でなければ、あれほどに苦痛に満ちた反応をするわけがないだろう。

 

 例え本意でなくとも、自分の指示した行為から目を反らさない。

 その優しさと責任感がセレン自身を傷付けようとも、決して彼女は逃げようとしない。

 そんなもの、あまりにも──報われないではないか。

 

「セレン、もういい。あなたは、休んでて」

 

「……いえ、これは大事なこと……ですから」

 

 感情のままに、セレンの腕を咄嗟に掴む。

 振り払おうとされるが、それでも離すまいと両手で彼女の腕を掴んだ。

 

「だめ。あとは、私たちがやる」

 

「ですが……」

 

 強い語調で告げるが、それでもセレンは従おうとしない。

 頑ななその姿勢に、クーシャはどうしたものかと頭を捻る。考えて、考えて──分からないので、とにかく口を開いた。

 

「騎士を襲った、犯人、捕まえる……だっけ」

 

「──っ」

 

 その言葉に何か思うことがあったのか、セレンの拒む力が和らぐ。

 どうやら効果があったようだ。

 彼女は暫く悩むような素振を見せ、ようやくクーシャの方を向いた。

 

「……クーシャさんにとっては、乗り気ではないですよね」

 

「うん、あんまり」

 

 元より自分たちが騎士団の駒であることに変わりはない。

 今まで行ってきたことは全て、間接的に騎士団の益となっているのだろう。

 だが、こうも直接的に騎士共を助けるような任務となれば、あまり良い気分がしないことは確かだった。

 

「あんなの、別にどうなっても、いいから」

 

「そう──ですか」

 

 一瞬、セレンは言葉に詰まる。

 騎士は嫌いだ。クーシャにとってその認識が変わることはない。だが、セレンはどうにもその限りではないらしい。

 何か事情があるのだろうか。しかし、これ以上踏み込むのは気が引ける。

 

 ──過去は人それぞれ。セレンが何者であっても関係ない。

 

 過去に自分が告げた言葉を思い起こす。

 思い詰めたように何かを言おうとしたセレンを、そう止めた。

 無理に明かす必要はないと言ったのは自分自身だ。だというのに、それを詮索するようなことはしたくない。

 だが、そうでもしないとセレンを動かせそうにない。

 

 聞くべきか、やめるべきか。踏み込むか、それとも、それとも──

 

「──っ、なに?」

 

 クーシャの葛藤を搔き消したのは、大きな物音だった。

 何か、重い物が落ちるような音だ。

 セレンも気が付いたのか、その肩がぴくりと跳ねる。

 

「今の音、何の……」

 

 音の出所は背後──部屋の入口。そこには念のため、見張りの『影』が立っていたはずだ。

 何かあったのだろうか。セレンと軽く目を合わせ、振り向く。

 

「───」

 

 そこに、人が立っていた。

 黒いローブに仮面の姿。一瞬、仲間だと思ったが──違う。

 ローブの種類、仮面の造形。その2つが、暗部のものと微妙に違う。

 まるで、狙って『影』を真似ているかのような装いだ。

 体格からして男だろう。彼は右手に、鞘に収まったままの剣を握り締めていた。

 

 その足元に転がるのは、見張りをしていたであろう『影』。

 こちらは正真正銘暗部の人間だ。辺りに血はなく、微かに動いている。

 先ほどの物音は、人間が崩れ落ちる音だったのだと理解して──、

 

「──敵襲ですっ!」

 

 セレンの鋭い声が空気を裂く。

 真横で告げられた号令に、クーシャも瞬時に意識を切り替えた。

『影』たちも彼女の声に反応し、拷問対象の口に布を詰めると剣を執り始める。

 

「───」

 

 まず一人。こちら側の『影』が音もなく駆け出した。

 謎の男に接近した『影』は、流れるような身のこなしで凶刃を振るう。

 決して素人の剣ではない。殺すことに一切の躊躇がない、迷いなき剣筋。

 胴体目掛けて放たれたそれに──男は即座に自身の剣を滑り込ませ、弾いた。

 

『影』は一瞬姿勢を崩すが、すぐに立ち直り距離を取る。同時に他の『影』たちが殺到し、各々の隙を埋めるように攻撃を行う。

 意識の薄い彼らだからこその芸当だ。たとえ仲間の剣が頬を掠めようと、『影』は動じない。同士討ち間際の連携だった。

 しかし、男はその全てを弾き、避け、受け流す。

 暗部の『影』たち──複数人の殺気を一身に受けるその対象は、まるで堪えた様子もなく自然体だった。

 

「セレン、下がってて」

 

「ま、待ってください! 私も──」

 

 セレンを無理やり後ろへと押しやり、自身の得物を構える。

 男は数人の『影』を同時に相手取りながらも、まだ余力を残しているように見える。

 まさかこの人数で負けることはないだろう。だが、このままではかなりの痛手を被ることになることも確かだ。

 故に──セレンを守るために、クーシャもまた飛び出した。

 

「クーシャさん!」

 

 セレンの呼び止める声が、クーシャの背に圧し掛かる。だが立ち止まらない。

 男へと接近する最中、彼はセレンの叫びに反応したのかこちらを見る。

 仮面の向こう側で、目が合った。

 クーシャがそう直感した瞬間、男は先ほどまでの立ち回りが嘘のように、その身体を硬直させた。

 

「ふ──っ!」

 

「───」

 

 だが、その隙も一瞬。即座に復活した男は、弾かれるように後ろへ飛ぶ。

 振りかぶった剣が、直前まで男の首があった空間を切り裂く。

 急所寸前の回避。だが、ほんの僅かに捉えた。

 躱し損ねた彼のローブの胸元が、クーシャの剣先に引っ掛かる。千切れた布が舞い散り、留め具らしき金属の部品が飛ぶ。

 男のローブの前面部がはだけ、その首元から何かが飛び出した。

 

 小さな首飾りだ。紐を通して首に掛けられていたそれを、ローブの内側に入れていたのだろう。

 クーシャの視界の端できらきらと輝くそれは、赤色の硝子片。およそ粗末という他ない装飾品だ。

 その欠片をふいに目で追いかけ──視線が、釘付けになった。

 

「──っ!」

 

 心臓が跳ねた。凍えるような悪寒が背筋を走る。

 脳が最大限の異常を検出し、平衡感覚が失われていく。

 咄嗟に後ろに下がったクーシャの隙間を縫うように、再び『影』が男に殺到し──

 

「待ってッ!」

 

 あまりにも聞き馴染んだその声が、空間を支配した。 

 

 全てが制止する。『影』たちが。後ろに立つセレンが。そして謎の男さえもが固まって。

 息の詰まるような静寂を生んだ、その張本人を見ていた。

 即ち、悲鳴の主──クーシャを。

 

「あ、う……待って、待って──」

 

「クーシャ、さん……?」

 

 幾つもの目がこちらを向いているのが分かる。

 無感情な視線、困惑の視線、不透明の視線。

 それらの中心で、クーシャは混乱と共に自らの頭を掻き毟る。

 

「待って、まって、うぅ……」

 

 ──クーシャは、知っている。あの首飾りを。

 

 そしてそれは、持ち主の存在も知っているということで。

 頭が痛い。割れるような激痛が走る。その痛みの間を駆け抜ける、曖昧な記憶の欠片。

 それらが少しづつ像を為し、クーシャの頭に刻み込まれる。

 知っている。忘れていた。思い出した。記憶に蓋をしていた。その鍵が今、強引にこじ開けられている。

 思考という過程さえも捩じ伏せて。ただ本能が導き出した『結論』だけが、喉の奥から込み上げた。

 

「──兄、さん?」

 

「え?」

 

 自分の呟きが脳裏に反響する。

 そしてその答えが間違っていないのだと、他ならぬクーシャの心が納得していた。

 セレンの呆然とした声さえも聞き流し、クーシャは眼前に立つ男を霞む視界で捉える。

 男は暫くクーシャと見つめ合うと、やがて観念したかのように首を振った。

 

「……やっぱり、君なのか」

 

 この場の誰のものでもない声──謎の男が初めて声を上げる。

 若い声だ。彼は無造作に剣を降ろすと、自身の仮面に手を掛けた。

 そして露になったのは、青年の顔。端正な顔立ちに、それに似合わぬ深い眉間の皺が目立つ。しかしクーシャへと向けられたその瞳だけは、確かな慈愛を含んでいるように見える。

 その声を。その顔を。クーシャは知っている(思い出した)

 

「あの日以来か。久しぶりだね、クーシャ──僕らの愛しい末妹」

 

 青年は苦笑混じりに肩を竦め、穏やかな声で語り掛ける。

 あまりにもこの場にそぐわぬ気配を纏いながら、彼は──クーシャの『兄』は、『妹』へ向けひらひらと手を振った。

 

 

 







(後ろで棒立ちな宇宙猫状態の変態)

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