曇らせフェチの曇らせフェチによる曇らせフェチのための女騎士 作:赤桃猫
どうにかこうにか時間を見つけ、チマチマ書いてたらなんとピッタリ一年経ってましたという。
こちらで頂いた感想・評価だけでなく、捜索やSNS等での感想やコメントも(エゴサしてて)とても励みになっておりました。この場を借りてお礼をば。
今後も不定期投稿になりますが、これからも変わらずド畜生変態女セレンちゃんを応援頂けますと幸いでございます。
「久しぶりだね、クーシャ。僕らの愛しい末妹」
……ワッツ? 妹? 誰が? クーシャちゃんが? それは、つまり──
「クーシャさんの、お兄、さん……?」
私は思わず呟いた。
突然の急展開。予想外の状況。あまりの動揺に変な汗が頬を伝う。
──ウェイトウェイトウェイト。まだ慌てるような時間じゃない。
私の脳内で、落ち着けと言わんばかりに『セレン』が神妙な顔で両手を前に掲げた。とてもシュールだ。ちょっと笑いそうになる。
……いや違う違う! 現実逃避するんじゃない!
ちょっと思考がぶっ飛び掛けた。
いきなり色々と起こりすぎてキャパオーバーしてしまったようだ。
首を振って変な方向に逸れた思考を引き戻し、目の前の状況をひとつひとつ整理していく。
貧民街で拷も──もとい聞き取り調査をしていたらいきなり襲撃者が来て。
咄嗟に仮面騎士たちが対処しようとしたけど、相手はそれなりに手強くて。
で、続いてクーシャちゃんも飛び出していったと思ったら──襲撃者の正体は推定クーシャちゃんのお兄さんでしたとさ。
うーん、なるほど。なるほど……
「……うん?」
──これ、曇らせの匂いがしない?
そう気付いた瞬間、私の思考が一瞬で澄み渡る。
私の眼前に立つのは、ほどよくダウナーな香りのする美青年。
私は主に可愛い子の曇り顔専門だが、それはそれとして彼も中々に曇らせ適性が高そうである。
元来の爽やかな印象を抱かせる顔立ち。それを一瞬で『幸が薄そう』という印象に塗り替えるほどの陰鬱な表情。
その顔は、彼がこれまで想像だにしない苦難を背負い続けてきたことの証のようで。
……たしか、クーシャちゃんは以前「兄や姉たちがいる」と私に教えてくれた。そしてある日、騎士に殺されてしまいみんな離れ離れになってしまったと。
聞いた感じ、彼女にはきょうだいが複数人いたっぽい。その中の誰かが騎士に殺害され、離別の切っ掛けとなったのだろうか。
もしかしなくとも、今ここにいる彼こそがまさに生き別れたはずの兄だったり?
もしくは殺されたと思っていた兄こそが彼本人で、実は生存していたパターンとか──やばい、考えればいくらでも
だがしかし。なんであれ今確かなことはひとつ。
クーシャちゃんとお兄さん、二人のただならぬ様子を見れば分かるとも。
少なくとも二人の再会は──純粋な喜劇という形にはならなかったのだと。
「まさかこんな形で会うことになるなんてね。……本当に、意外だよ。クーシャ」
「う、うぅ……」
頭を抱え、かわいい呻き声を上げながら兄に向き合う
そしてそんな彼女の姿を見て、痛みを堪えるような顔で苦笑を浮かべる兄。
具体的な事情は何も分からない。それでも二人の間で展開される空気は鉛のように重苦しく、一切の邪魔者を許さぬようで。
──まぁ、私はそこを敢えてぶった斬るワケですが。はい。
「……クーシャさん以外は外の見張りをお願いします。これ以上誰も、この場に入れないように」
張り詰めた静寂の中、私は堂々と仮面騎士たちへ命令する。
兄妹水入らず、積もる話だってあるだろう。他人が居ては久々の会話もし辛いだろう。
『セレン』なりの、部外者をここから退かしてあげようという優しさなわけだ。
勿論、私はしれっとこの場に残る気満々だけどね!
「───」
私の命令を聞き、数人の仮面騎士が大人しく部屋から出ていこうとする。しかし一部の仮面騎士は、私とクーシャちゃん、そしてお兄さんを見比べ、きょろきょろと視線をさまよわせている。その様子が、仮面騎士にしては珍しく『迷っている』様子なのだと理解できた。
「ごめんなさい。どうか、彼に手は出さないでください」
明らかに敵対者であるお兄さんを前にして、『手を出すな』という命令。
流石に大人しく従ってはくれないかも──と思ったが、仮面騎士たちはやがて一人、また一人と部屋を出ていった。
そうして最後の一人が出ていき、音もなく扉が閉まって──
「そこのお前」
「──っ」
全身に、怖気が走った。
一瞬だった。氷が突き刺さるような悪寒が、身体中を虫が這い回ったような不快感が、ぞわりと私の背中に湧き上がる。
これは。この感覚は、随分と昔に忘れ去っていたはずの久しぶりのもの。
『恐怖』だ。
今この瞬間、私は本能的に何かを恐れた。
そして弾かれたように声を掛けた主──お兄さんへと顔を向ける。
「少しだけ、聞きたいことがあるんだ」
お兄さんが口を開く。穏やかに。朗らかに。ともすればその語調は、通りすがりの人に道を尋ねただけの好青年のようで。
けれどその声が空気を震わせ、私の耳へと届いた瞬間、肺を握り潰されるような圧迫感に支配される。
「なに。簡単なことだよ」
彼は、井戸の底のような目をしていた。
どこまでも昏く、絵具で塗り潰したような黒一色。
つい先程までクーシャちゃんを見ていたあの瞳とは正反対のそれ。慈愛ではなく、憎悪の瞳。
「まさかとは思うけど──お前が、この集団の指導者なのかい?」
「──ぁ」
その問いに、「はい」と答えれば即座に殺される。そう錯覚させるような有無を言わせぬ威圧感。
私はこれを知っている。この感覚を覚えている。命のやりとりをする中で、幾度か体験したことのある第六感。
これは──間違いない、『殺気』だ。
私は今、クーシャちゃんのお兄さんから尋常じゃない殺気を向けられている。
彼から滲み出る負の気配は、セレンの人生で一度も感じたこともないほどにドス黒く、濃い。
その密度はまるで結晶。ある種の美しささえ感じられるほどに純粋な
手の震えが全身に伝藩していき、肌が粟立つ。
視界の焦点がうまく合わない。それは無意識に流した涙によるものだと理解する。
「ぅ、ひぅっ──っ」
あ、ヤバイ。
これはヤバイ。ホントにヤバいヤツだ。
ふっと足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちてしまう。
だが、情けなくへたり込んだ私を前にしても、彼が殺気を収める様子は微塵もない。
まるで暴漢を前に震える憐れな女の子のよう。普段なら『生娘みたいに怯えるセレンちゃんマジペロペロ』とか考えるが──いや少なからずそれが理由でちょっと興奮してるが──今の『私』は、演技ではなく
十数年と被ってきた『セレン』という外殻。そこに深いヒビが入るほどの衝撃が私を貫く。
そう、私は今。私は、今──
「あ、ぁ──は、ふ、ふひっ」
率直に言って──新しい扉、開いちゃった……。
私はいま明確に殺意を受けて興奮している。
字面にするとマジの変態だろうが、紛れもない事実だった。
こんな感覚初めてだ。今までだって殺意なんて浴びるように受けてきたはずなのに。命のやり取りをする上で、幾度となく晒されてきたはずなのに。
でも、これは違う。根本的な
今の一瞬で理解した。分からせられた。これまで多くの人々に向けられた無数の殺意たちは、どうしようもないほど
考えてみれば当たり前のこと。私たちが今まで殺してきた人々は皆狩られる側、獲物だ。そこにあったのは「殺されてなるものか」という抵抗の殺意。
だが、彼はどうだ。あの目は狩るものの目だ。いや、殺すものの目だ。
言うなればそれは、魂の底から込み上げる恨み、悲しみ、怒り、呪い。そういうものからなるただ一点へ向けた純粋な「殺す」という意志、あるいは決意。
その絶対的な殺意が今、セレンというたった一人の少女を射抜いている。
そんなの、素晴らしいことこの上ない。
「あ、くっ、ふーっ……ふひっ」
この叩き付けるような負の意思を一身に受けるのが他ならぬ『セレン』なのだと思うと、理屈とかそういうのすっ飛ばして鳥肌が立ってくる。身体の奥が熱くなる。下が濡れてくる!
ああ。今
「……黙ってないで答えたらどうだい。君に怯える権利なんて──」
ストップ、返事したいのは山々だけど、ちょっと待って欲しい。
今だけは手放したくない。この多幸感、この快楽を。
だって、生まれて初めての新しい感覚だもの。
ひじょーにはしたない言い方をすれば、処女喪失的なやつである。
人生でたった一度しか味わえない『初めて』の痛み。未知の感覚に伴う恐怖が、一瞬で背徳と快楽に塗り替えられていく冒涜感。
自分が自分じゃなくなっていくような、過去の自分が音を立てて崩されていくような。けれどそれが決して不快ではなく、どこか嬉々として受け入れる自分がいて──
これもう実質
「はっ、はっ、ぁ──」
股下が疼く。けどこんな人前で、しかも『セレン』のキャラ的に
私にできることは、この快楽を少しでも誤魔化そうと太腿をこすり合わせるだけ。
そうやって迸る快楽に身悶えていると──突然、ぎゅっと身体を抱きしめられる感触がした。
「ま、待って、セレン、は、違うっ!」
クーシャちゃんだ。彼女はへたり込む私の背中に腕を回し、包み込むように抱きしめる。
そうして辿々しい言葉で声を上げると、より一層強く私を抱きしめた。まるで、お兄さんから私を庇うように。
だが、私を抱くクーシャちゃんの腕は震えている。
彼女自身、今この混沌とした状況に追いつけていないのだろう。
クーシャちゃんにとっての友人が、尋常ならざる殺気を向けられている──しかも、その相手は自分自身の兄ときた。
そんな状況でも、それでも確かに私を庇おうとしてくれるだなんて。ああ、本当にクーシャちゃんは健気でかわいい。余計に興奮しちゃうじゃないか。
「……それは何の真似だい、クーシャ」
お兄さんはお兄さんで、クーシャちゃんが私を庇うことが意外だったのだろう。僅かに目を見開いた彼は、やはり慈愛と悲哀が入り混じる目で──或いは憐れむような目で妹を見ていた。
「クーシャ。いい子だからそこを退いてくれないか。彼女には聞かなければならないことがある」
「違う! セレンは、セレンは関係、ない!」
「無関係の人間にあれほどのことをしておいて、関係ないって言うのかい?」
「あ、う、それは……ちがっ、セレンは、ほんとはそんなこと……!」
お兄さんは私たちの後ろを顎で示す。私もつられてチラッと視線を向けると、そこには全身を拘束され、口の端から泡を吹いて昏倒している男の姿が。
……あ、やっべ! 完全にこの人忘れてた! 後で始末しなきゃゲフンゲフン。
「さっきもそうだ。
「──違うのっ! セレン、は、あいつじゃない! ぜったい!」
二人の口論はますますヒートアップしていく。ともすれば、論点であったはずの私を差し置いて。
こうして会話を聞いていても、彼女らの事情は全く読めない。けれど、久々に再会したらしき兄妹がこうしていがみ合う様は……うん、とてもそそる。
特に、あのクーシャちゃんが声を荒げて取り乱す様がとても……もはや性的だよね。
「クーシャ! 君は彼女に騙されているんだ、今ならまだ──」
「──っ、セレンはッ!!」
一際大きいその叫びには、これまでの彼女からは想像も付かぬほど強い感情が込められていた。しんと部屋が静まり返り、クーシャちゃんの荒い息が耳に届く。そのあまりのエッチさに、私の背筋がゾクゾクする。
「セレンは、わたしの、大事な、ひと。わたしを、助けてくれた。だから、だから……」
彼女は消え入りそうな声で告げると、再び私をぎゅっと抱きしめる。
決して離すまいと、まるで大切な宝物を守るように。
「……おねがい」
掠れた声で呟くその様子が、まるで泣きじゃくる赤子のようで。クーシャちゃんから伝わる身体の熱が、そのまま私の芯にじくじくと入り込んできて……
「んぁっ」
あ、やべ、
え、セーフ? セーフだよね? ちょっと声が漏れちゃったけど、クーシャちゃんに聞かれてないよね?
今めっちゃイイところなのに、流石にこの状況で絶頂するのは空気読めないことくらい分かるよ?
「クーシャ……さん」
痙攣する腰や震える息を気合いで押し留め、誤魔化すためにクーシャちゃんを抱きしめ返す。
よし、傍から見たら健気に友情を確かめ合う二人の少女である。
多分だけど今の私、トロ顔になっちゃってる。絶対に女の子がしちゃいけない顔してる。仮面がなきゃ死んでたね。社会的に。
「…………」
やばい、無言でめっちゃ見られてる。
いやいや大丈夫、どこからどう見てもなんら如何わしいことのない光景でしかない。片方が実は性的興奮を覚えてるだなんて、夢にも思わないだろう。
「……なんだい、その目は」
「──っ」
アーッ!? バレてる!?
いや確かに、仮面には目の部分にちっちゃく穴が空いてるけど! そんなところから分かる!? バレるなんて思わなかったから仮面の奥でニチャニチャしてたのに……!
「いえっ、わ、私はっ」
「ひとつだけ、聞かせて欲しい」
みっともなく言い訳しようとした私に、お兄さんが言葉を被せてくる。けど、その雰囲気は先ほどと明らかに違った。
今にも喉元に嚙みついてきそうな殺意ではなく、どこか、確かめるような落ち着きのある語調だ。
やばい、分からん。状況が分からない。今この場における最適な『セレン』としての振る舞いが見えてこない。
いやしかし、少なくとも『ええ……コイツこんなところで興奮してやがる……』みたいなドン引きしてる感じではない……と思いたい!
「君は、僕たちから“奪った者”か? この『証』に誓って答えろ」
心の奥で慌てる私を他所に、彼はそう言って赤い首飾りを掲げた。
装飾品というにはあまりにも安っぽい、ただの硝子片に紐を通しただけのような簡素なものだ。
私の耳元で、クーシャちゃんの息を呑む音が聞こえる。
彼女の様子と、お兄さんが示す『証』という言葉に、その首飾りが何か特別な意味を持つものなのだと理解できた。
……この会話の流れ。バレてない。
勝った。一体何になんだという話だが、とにかく私は勝った。
とにかく今は話を合わせよう。これ以上ボロが出たら、流石に言い訳しようがない。
「……私は、確かに沢山の命を奪ってきました。それは、言い訳のしようもない事実です」
さっさと意識を切り替え、『騎士セレン』へとチューニングしていく。
悲壮感たっぷりに、自分のこれまでの行いを紛れもない罪だと告白するように。
「でも。あなたが言うその“奪った者”は……恐らく、私では、ないと思います」
もしかしたら、
そんな不確かな、けれど否定という逃げを許さない可能性を認めるように、あえて言葉を詰まらせる。
「……うん。セレンは、関係ない。私は、そう、信じてる──ううん、
私の言葉に続けて、クーシャちゃんが援護する。
その絶対的な信頼に思わずゾクゾクしてしまうが、今はガマンだ。
私とクーシャちゃん、二人の言葉を聞いて、お兄さんは苦い顔をして俯いてしまう。その顔に映るのは、明らかな葛藤。
……よし、押しきれ! このまま私の醜態をなかったことにしてしまえ!
「私も……聞きたいことがあります」
咄嗟に思いついた策は、話題の転換である。
まだ迷いのある表情をしながらも、彼はこちらを見て話に耳を傾けているようだった。
「先日、路地裏で行われた騎士への襲撃事件。何か、心当たりはありますか」
話題としては順当だろう。そもそも私たちはその手掛かりを探すために
このまま『知らない』と返事を貰い、ハイ分かりましたということでお開き。うむ、完璧な作戦──
「──彼女を狙ったのは僕だ」
即答、だった。
嘘だと疑う余地さえ与えぬ潔い答え。
俯いたまま向けられたその瞳だけが、強い意思を込めて私を射抜く。
「……ああ、そうだ、まだ目的を果たせていない。予定外だけど、もう少し事を大きくする必要がある」
独り言のようにお兄さんは呟く。そして、自分の中で何かの答えを出したのだろう。彼は顔を上げ、私を強く睨み付けた。
「僕は必ず、お前たちを白日の下に晒す」
その目に宿る殺意は、先程よりも和らいでいるように思う。
けれど、言葉に込められた黒い覚悟だけは変わることなく。
「そのためには、犠牲が必要なんだ」
その犠牲が誰を指しているのか、『
だから──彼に向けて、決定的な問いを彼に投げ掛けた。
「殺すつもりは……なかったのですよね」
「……そんなこと」
頭上からの弓による狙撃。モナちゃんが受けたのは肩だったが、一歩間違えれば頭や首といった急所に矢が突き立つ可能性もあっただろう。
殺そうと思えば殺せた。フェネル先生から告げられた嘘偽りのない
お兄さんは、初めから急所を避けるつもりだったのか、それとも。
「奪ってきた命の数は、お前たちの方が遥かに上だろう」
「───」
その答えに含まれる意味を、寸分違わず理解する。
「そう、ですか」
『セレン』は、納得の声を発する。
冷たく、無機質に、そこに込められた感情に、一切の意味を持たせず。
「僕は、止まるわけにはいかない。次の手を考えなきゃいけない」
「──っ、兄、さん」
黙り込んだ私を見て会話は終わりと判断したのか、お兄さんは背を向けて歩き出す。
クーシャちゃんの呼び声にも耳を貸さず、一歩も止まることなく。
彼が部屋の扉を開けると、そこには見張りをしていたのか、一人の仮面騎士が立っていた。
一瞬お兄さんが剣を構えるものの、仮面騎士は私にちらりと顔を向け、無言で道を譲る。どうやら私のさっきの命令を律儀に守ってくれているらしい。
お兄さんは無抵抗の相手を害するつもりはないのか、警戒しながら目の前を素通りしていく。
その去り際、彼は振り返ることなく「クーシャ」と妹の名前を呼んだ。
「もし、僕たちの下へ戻ってくる気があるなら、
「……あの、場所、って」
「──僕は、クーシャを待っている」
一方的に告げて、お兄さんは立ち去っていく。
その背中を、私もクーシャちゃんも追い掛けることすらできず、ただ見送ることしかできなかった。
……まぁ、私は単純に足腰立たないからなのだけれど。
◆
現在、市井を大いに揺るがしている騎士襲撃事件。
顛末としては実に簡潔だ。警邏中のとある騎士が、日中から謎の襲撃を受けたというもの。
その単純さ故か、或いは不気味さからか、事件の噂は異様なほどに早く民衆に広まりつつあった。
そして、その重要参考人である
「──暇ね」
病床にて、退屈を謳歌していた。
厳密に言えば、彼女は現在療養中である。断じてサボりではない。
肩に受けた傷は幸いにもそこまで深くなく、復帰の目処も近いうちに立つだろう。
だが、負傷は負傷。『万全で以て職務に全うすべし』というありがたいお達しから、モナはゆっくりと身を休めていた。
とはいえ、騎士団内はいまだ物々しい様子のままだ。
聞くところによると、街中でも事件の噂が絶えず、『早く犯人を見つけて欲しい』という民衆からの不安が日に日に増しているのだという。
しかし、今のところ犯人の捜索は芳しくない。
手掛かりも、有益な目撃証言もなし。
無論、犯人の捜索にあたってモナには聞き取りが行われた。あの場にいたセレンやリゼリアも同様だ。
そして、路地裏にモナを誘い込んだ襤褸の男に関して──彼とぶつかったあの少女も含め、事件について一通り聞き出された。
だが、進展は無し。そもそも襤褸の男と襲撃者が本当に関係しているのか、或いは同一人物なのかさえも分からない。
肝心なモナ自身も『襲撃者は誰か分からなかった』と証言したことで、騎士団による捜査は難航している。
そのような日々が続き、渦中の人物であるモナを取り残して、姿の見えない『襲撃者』の話題はどんどん独り歩きし始めていた。
「……ほんと、何やってんだか。あたし」
胸の中の鬱屈とした感情を誤魔化すため、自嘲気味に呟く。
所詮、自分は不可解極まるこの事件の哀れな被害者に過ぎない。
今のモナにできることなど、何もないのだ。
溜息をひとつ付き、手元の資料をぱたりと閉じる。
寝台の上で乱雑に散らばる多数の紙束。本のように厚く綴られたそれらは全てモナが持ち込んだものだ。
こっそり病室を抜け出しては色々と持ち込んで時間を潰しているが、それも一通り終わってしまった。今読んでいた資料だって、既に何度も読み返したものだ。
──コンコンと、小気味よいノックの音。続いて聞き馴染んだ声が扉越しに響く。
「モナ、私だ。入るぞ」
「え、あっ、ちょっと待っ──きゃっ!」
慌てて寝台の上に広げた資料をまとめようとするが、滑り落ちた幾つかの紙束が床にバサバサと散らばる。
不味い、と思わず呻く。咄嗟に身を乗り出して掴もうとし──バランスを崩して寝台から転がり落ちてしまった。
掛け布が引っ掛かり、他の資料が雪崩のように巻き込まれる。
鈍い音と扉の開く音が鳴ったのは、ほぼ同時だった。
「……君は、一体何をやっているんだ」
「…………てへっ?」
無残にも床にへばりつくモナが見たのは、部屋の入口で呆れたようにこちらを見下ろす鋭い目。即ち、リゼリアだった。
「全く。君はいつも落ち着きがないな。今くらい少しはじっとしていたらどうだ?」
その言葉は咎めるような調子だったが、心なしか僅かに目尻が緩んでいる。(不本意だが)モナの元気な姿を見せられたことで、多少は安心したらしい。
そうして溜め息を吐いたリゼリアは、一歩横にずれる。
その後ろには、リゼリアと共に来ていたのだろう、セレンが立っていた。
だが、その表情は暗い。モナと目が合った彼女は、はっとして直ぐに微笑みへと表情を取り繕った。
「……モナさん。調子はお変わりないですか?」
彼女の気を遣うような言葉を受け、気怠さの残る身体に鞭を打ち、背筋を張って立ち上がる。その時、負傷した肩で突っ張るような痛みを覚えたが、知らないフリをした。
「この通り、ピンピンしてるわよ! なんなら元気が有り余ってしょうがないんだから!」
「実際、床に転がるだけの元気はあるようだな」
「ちょっと! 余計なこと言わない!」
久々に感じるリゼリアの軽口にも元気よく応える。そうしている内に身体の調子が追い付いてきたので、先ほど盛大に撒き散らした掛け布や資料を拾うべくしゃがみ込んだ。
「……あ、私も手伝いますっ」
「別にいいわよ、自分で拾うから」
そう断りつつも、セレンはこちらへと歩み寄る。資料を取ろうと座り込んだ彼女の顔が、モナの隣に並んだ。
ふと彼女の横顔を見て──思わず息を飲んだ。
「──セレン、あんた」
死化粧。
なぜかふと、その言葉が頭に浮かんだ。
死体に処置を施して、生者のような姿に見せるというもの。そういうものが存在することをモナは知っている。
目の前の彼女は当然生きている。だというのに、今のセレンと『死化粧』という単語が、線で結び付いてしまった。
「どうしましたか? モナさん」
「あんた──大丈夫、なの?」
「ああ……ちょっと別件で考える事がありまして。大したことではないので大丈夫ですよ」
そっとモナの後ろに立つリゼリアに視線を向ける。彼女はその意図を察したのか、目を伏せて首を横に振った。
やはり、リゼリアにも詳しい事情は教えてくれていない、ということか。
「ええと、そんなことより……これ、過去の事件記録ですか?」
随分古いですね、と。まるで自分のことなど関係ないとばかりにセレンはモナに問いかける。
そのあまりの
「……お勉強よお勉強。ちょっと暇だったから持ってきたのよ」
「まさかモナ、資料室から持ち出してきたのか?」
「ちょっと借りて来ただけだってば」
「……許可は?」
「…………取ってるわ」
リゼリアの鋭い眼光からスッと視線を逸らす。
資料の持ち出しには色々と手続きやら書類やらが必要なのだ。資料の重要度にもよるが、無許可で持ち出そうものなら──そこそこ
「……まあ信じよう。後でちゃんと返すんだぞ」
言いつつ、リゼリアの目はあまり信用しているように見えない。
若干気不味い思いをしつつ、セレンが拾ってくれた資料をまとめて、極力二人の視界に入らない位置に置いた。
「それで? 事件のこと、何か進展でもあった?」
「いいや。やはり手掛かりが全く存在しないことが難点でな。……警邏の数を増やす、決して単独行動しない、といった対応くらいしか取れないのが現状だ」
「捜査の方も……なにも、手掛かりは出ていないそうです」
どうやら本当に手詰まりに近い状態らしい。
ここまで徹底的に存在を掴ませないとは、やはり犯人はかなりの手練れなのだろう。
「ほんっと、ヤになるわね。良かれと思ってやったことが、全部裏目に出るんだから」
「……すまない、モナ。あの日三人で警邏に出たのは、私の──」
「いいのよ。あんたが悪いって話でもないわ。全部あの」
ふと脳裏に過るのは、あの忌まわしき事件の瞬間の光景。どうしても不快に顔が歪むのを抑えられず、二人から顔を背ける。
「……私を狙った、犯人とやらのせいだもの」
その言葉を最後に、三人揃って黙り込む。
嫌な空気になってしまった。いつもならそれを振り払うのは、モナ自身の役目だというのに。
「……フェネル殿の話の通りならば、これは我々への『挑発』だ」
沈黙を破ったのはリゼリアだった。
語り出したのは、以前あの医者が言っていた考察についてだ。
「だが、その意図があまりにも見えない」
単なる挑発と考えるには、もはや不自然だ。
騎士団への声明といったものはなく、自らの存在を誇示するような証も残されていない。
唯一の変動といえば、驚くべき速さで事件の噂が広まり続けていることくらいだろう。
「これで終わりだとは、私には思えない。一度限りのイタズラと考えるにはあまりにも悪質で周到だ。だから……」
それ以上先の言葉を、リゼリアは告げなかった。
だから、待つしかない。きっとそんな感じの内容だ。
できることは何もない。いくらここで考えを巡らせたところで、結論が変わることはない。
そう自分で口にするのを、認められないからだろう。
「──大丈夫です」
「セレン?」
そう声を発したのは、先ほどから黙り込んでいたセレンだ。
小さな呟きではあったが、二人の耳にも届いた。
どうしたのかと名を呼ぶリゼリアを他所に、セレンは突然モナの手を握る。
「そのうち犯人は捕まりますから、大丈夫です」
「ちょっとセレン、何を根拠に……」
「大丈夫ですから。モナさんは安心して休んでいてください」
「そ、そう? でも治りかけだし──」
大丈夫、大丈夫と。セレンは幾度となく繰り返す。
「大丈夫──きっと、どうにかなりますから」
その無根拠な『大丈夫』の意味を、モナは終ぞ問い詰めることはできなかった。
◆
「──クーシャさん。私たち、友達ですよね」
夜半。貧民街のとある一角の屋根の上。
かつてクーシャがセレンと初めて言葉を交わした時と、似たような状況だった。
ひとつだけ違いがあるとすれば、今宵は月明り一つない夜空。新月であるということ。
遠くも見渡せない暗がりの中、クーシャと隣り合って座るのは、彼女の大切な友達であるセレンだ。
「うん。私と、セレンは、友達だよ」
恐る恐る、確認するようなセレンの問いかけに、クーシャは迷うことなく頷く。
「だから、この前の、こと、気にしないで」
あの兄のことは、いまだにクーシャ自身の中では心の整理ができていない。
いきなりのことだった。濁流のように記憶が流れ込み、それを飲み込む間もなく彼と対立し、立ち去ってしまった。
あれから、かつての
けれど、そうして埋まりつつある記憶の穴を、別の存在が代わりに埋めようとしていることも確かだった。
「……どうしましたか? クーシャさん」
不安そうに首を傾げる、顔も過去も何も知らない友達。けれどその優しさだけは本物なのだと、確かなものだと思えて。
なんでもないと首を振れば、セレンは安心したかのように息を吐いて居住まいを正す。
そうして彼女は少しだけ迷うような素振りを見せると、意を決したようにクーシャに向き合った。
「友達として、あなたにお願いがあります」
友達と。そう呼んでくれるたびに胸の奥が暖かな気持ちになる。
果たして今のクーシャにとって大事なものは、
「お二人が言っていた『あの場所』。それを教えて欲しいんです」
──だからこそ、彼女からのその頼みは、まるで後戻りのできない分かれ道のようで。
「お兄さんと、もう一度お話をさせてください」
決意を込めたセレンの声。痛みさえも感じる、悲痛と覚悟に満ちた声。
多分、これは“選ばなくちゃいけないもの”なのだろう。
教えるか否か。どちらを取るか。どちらを
──僕は、クーシャを待っている。
その言葉が延々と頭の中に反響する。
──友達に、なって頂けませんか……?
その言葉が延々と心の奥を締め付ける。
兄や姉たちがいた『過去』か。それとも唯一無二の友達といる『今』か。
クーシャは考える。上手く回らない頭で考える。
考えて、考えて。考えて──
「……分かった。いいよ」
そう口から零れ落ちた瞬間、どうしてか心臓が一際強く跳ねたような気がした。
──ああ。もう戻れないな、と。後悔でも喪失感でもなく、ただその自覚だけがあった。
セレンはクーシャの手を取り、両手で包み込む。その時彼女がどんな顔をしていたのか、クーシャには分からない。
けれど細かな仕草や雰囲気から、彼女の仮面の奥の表情がクーシャの脳裏に浮かび上がった。
「ありがとうございますっ、クーシャさん」
セレンは──多分笑っていた、のだと思う。
だからこれで良かったのだ。
クーシャはそう結論付けた。
(新たな性癖を獲得しました:殺意フェチ)