このトレーナー、入学直後の乾いてたナリタブライアン(アプリ仕様)に声かけてたら絶対地獄が生まれるな、書き始める前に気づけばよかった……これが無課金の限界か……
あと、評価500人突破ありがとうございます。
「伊〇園のニンジンジュース、好きだったろ」
背後から、トレーナーの声がする。
それだけで、足の震えが止まった。
ああ、駄目だ。ここが分かってくれて嬉しいと思ってしまっている。構ってもらいたくて病院を抜け出したんじゃないのに。
「ここ、眺めいいもんな! スズカなら来てると思った! でもなあ、ここは夕焼けの方がいいじゃんか、前連れてきた時は時間計算して、ちょうど綺麗に見えるタイミングに合わせてたんだぜ?」
知っている。トレーナーさんは、意外とそういう所に気が回る人だ。
だから、思い出の場所になった。トレーナーさんとはじめてお出かけした時の最後に見せてくれたこの景色が、わたしにとって唯一、ターフ以外で大好きな場所。
「まあ折角来たんだし、とりあえずおやつでも食いながら日暮れを待たないか? 前使ったベンチも近くにあるしな」
がさ、という音。多分、コンビニの袋か何かだ。
答えられないし、振り向くこともしない。トレーナーさんに、今更どの面下げて会えばいいと言うのか。
それでも、心の中で問いかけずにはいられない。
……どうして、普通に声をかけられるんですか。
わたし今、崖際ギリギリに立ってるんですよ。
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――
――ただ、速く走れればそれでいい、と思っていた。
走るのは楽しいけれど。わたしは、"サイレンススズカ"は、レースがしたい、というよりは……ただ、思いっきり走りたかった。
それには、レースに出るのが一番効率が良かったというだけ。
ただ、スピードの向こう側へ。
『つまり、速く走りたいってだけ?』
『……はい』
アンタレスへの移籍話が来た時は、何の冗談かと思った。
一度、戦術とか何も考えずに2000mくらい走って見せてくれ、というオーダーにも驚いた。
周りの評判から、あそこはもっと貪欲な……絶対の勝利が義務付けられているチームだと思っていたから。
そして、大逃げとラストスパートで並走したウマ娘を圧倒したわたしは、アンタレスのトレーナーさんから正式なスカウトを受けた。その走りを突き詰めれば、君は少なくとも世代最速くらいにはなれると。
だから、トレーナーさんに直接、わたしの望みを伝えた。
ただ、速さだけが欲しいと。
リギルの時は、「勝つ方法」を教えられていたが。わたしが欲しいのはそういうのじゃなかった。
『……マルゼンスキーとミホノブルボンのあいの子って感じか』
『えっ?』
返ってきたのは、予想外の言葉。
『あーいや、君の先輩にも、割と似たようなのがいたってことだ。つまりウチに向いてる……ってことじゃないか?』
今ならわかる。好きこそものの上手なれを地で行っていたマルゼン先輩と、目標のために全てを注ぎ込むブルボン先輩。
好きなことを、走りを極めることだけが生きがいのわたしは……確かに、そのあいの子だ。
『最初に、ウチの方針を教える。たった一つだ』
――走りたいように走れ。
それを聞いた時。わたしには何か、直感があった。
きっとここでなら、スピードの向こう側が見られる。
同室のスペちゃんには「運命ってやつですね!!」と囃し立てられたけれど、この時はピンと来ていなかった。
ウマ娘は本能的に、速く走りたがる。
わたしほどそれが強く出ている子は珍しい、とトレーナーさんは笑っていたけど、皆多かれ少なかれ、走りたい気持ちを持っている。「走るために生まれてきた」という言い草は、決して嘘ではないのだ。
だからこそウマ娘達は、「速さ」を与えてくれる――つまり、自分を鍛えて速くしてくれる自分のトレーナーを、つい好きになってしまうものなのだ。
これは理屈であると同時に「だから仕方ない」という言い訳でもあると、赤い顔をした会長が教えてくれた。実際、男性トレーナーは大抵、(元)教え子と結婚するものだ。世間はトレーナーが手を出していると思っているが、実は逆らしい。
……何が言いたいかというと。
速さを求める本能が並外れて強かったわたしは、それを与えてくれるトレーナーさんのことも……まあ、その、そういうことだ。
わたしがチームに加入した時、トレーナーさんは「君をアンタレスというチームの集大成にする」と言った。
詳しい理論はよく理解できなかったけれど、これまで担当してきた6人分の研究データを「因子」という形に抽出して、わたしにフィードバックする? ということだった。えらく難しい言い方だったけれど、多分そういう概要だった……はずだ。
まだ粗削りの理論で、わたしが初の被験者だと興奮気味に言うタキオンさんはちょっと怖かったけれど……
『もっと速くなれますか?』
『なれる。そのためだけの調整を施した。スピードだけを狙って抽出できるはずだ』
そう答えてくれたトレーナーさんを信じることにした。
それからわたしは、みるみるうちに速くなった。
トレーニングはリギルに居た時より厳しくなったが、それ以上に楽しかった。一日ごとに、明らかに足が速くなるのが自覚できたから。
とにかく、速く走りたい。
ターフの一番前を、誰もいない、何の足跡もついていないそこを思うままに駆け回りたい。それが叶い続けて、わたしはこれ以上なく充実していた。
スピードに取りつかれている、という周りの評判は、多分正しい。本能的に速さを求めるウマ娘をしてそう言わしめるのだ。きっとわたしのは……異常、なんだと思う。
『気にすんな。スズカがどうしたいかだろ』
……同期たちに引かれる中で一人だけ、いつもの調子でサポートしてくれるのが嬉しくて、走ること1色だった私の頭の中に、トレーナーさんに関することが半分くらい混ざるようになった。
先輩方も、走ることが楽しすぎて人付き合いをおろそかにしてきたわたしによくしてくれた。……タキオンさんやゴルシさんを筆頭にわたし以上に濃い人もいて、トレーナーさんが『ウチに向いている』と言った意味が分かった気がした。
会長と行った謎のTシャツ屋でやたらオススメされて買ったという「I♡三日月」Tシャツを着ないでくれと説得したり、タキオンさんと二人して不摂生な生活をしようとするのを止めたり、何かと理由を付けてトレーニングを見に来てはトレーナーさんと喋ってばかりいる理事長をそれとなく妨害したり。
……どうやら、わたしと同じ想いを秘めている人が大半だったみたいで、ライバルの多さに少し大変だなと思ったのも事実だけれど。
思い出が増えれば、見える景色も増えていく。
その中に、今はトレーナーさんの姿もある。
……いいえ、今は、トレーナーさんの姿が、いちばん鮮明に映っている。
私の目指した『スピードの向こう側』。
そこにたどり着いた時、きっとその先にトレーナーさんが待っていてくれて、わたしと一緒に喜んでくれる。
――そう、思っていた。
G1レースにも勝ち続けた。速度に自分の体すら追いつかない、破滅的な速度とさえ言われた。脚への負荷を最小限にするため調整期間は長めになったが、出たレースでは何者も寄せ付けなかった。
いや、1人だけ食らい付いて来るウマ娘がいた。無表情でおとなしい、綺麗な白毛の子だった。
走り終え、私の意識がゾーンから戻ってくると、だいたい着順表示で私のすぐ下にいた。いつも3着と5~6バ身は離していて……そして、わたしとはもっと離れていたので、特に対戦相手として意識したことはない。
ただ、走りを終えた時はいつも死んでしまいそうなくらい疲れ果てていて、いつも悔し泣きしていたのが印象に残っていた。
何度か、走り終えた途端に崩れ落ち、少し不安になるような濁った呼吸音と一緒に、血の混じった痰を吐き出しているのも見た。勝った身で慰めるわけにもいかず、思えば何もしてあげられなかったけれど。
それに、
トレーナーさんとタキオンさんがメニューを考え、会長が時々走りを見せてくれて、ふらりと現れるマルゼンさんがアドバイスをくれる。最高の環境だった。
訓練もした。後押しもしてもらった。出来得る限りの強化を施したと言ってくれた。
「…………」
だからわたしは、あの領域に届いた。
秋の天皇賞当日、ある種の確信があった。
今日のコンディションなら、スピードの向こう側に行ける。
その日はトレーナーさんも、事実上のサブトレーナーのようになっていたタキオンさんも、なんとなくそわそわしていた。
きっと私のコンディションに何かを感じとっているんだ。そう思った。
これ以上ないと思った。速度の出しすぎによる脚への負荷などから、年末の有馬は回避してこれが引退レースになるのが内々で決まっていたから、まさに有終の美を飾れる、最高の結末だと。
あの日のことは、もう忘れられそうにない。
いつも通り、ただ思うままに走った。前に誰もないターフを思いっきり、ただ自己ベストタイムとだけ戦った。
第三コーナーの前で、何か壁のようなものにぶつかった感触があった。
物理的なものじゃない。だが、何かに押しとどめられているかのように、余力はあったのにいくら力んでも加速しなくなった。
後で分かったことだが、押しとどめていたものの名は、「本能」だった。
あれ以上加速したら体が耐えられなくなると、体は分かっていたのだ。
速く走りたいという本能と体に危険が迫っているという本能が互角のせめぎ合いをして、だから判断はわたしの意志に委ねられた。
愚問だった。即決だった。この先こそが"向こう側"だと、わたしは確信していたから。
――そういえば、昔国語の教科書か何かで読んだことがある。ロウで作った羽根で懸命に空を飛び、太陽を目指す男の話。
太陽に近づきすぎた彼は、その熱で翼を溶かされ、堕ちた。
コーナーの終わり、直線を控えてわたしは思いっきり踏み込んで――その瞬間、自分の脚から出てはいけない音がした。
わたしは「スピードの向こう側」にたどり着いた。
そこは、ウマ娘という種族の限界の先だった。
そしてそこには、
わたしが勝手に期待していた嬉しさも、達成感も、すがすがしさも、もちろんトレーナーさんもなくて。
ただ、分不相応の領域に手を掛けた報いがあるだけだった。
その直後から、ほとんど記憶がない。痛みで意識を飛ばされていたようだ。「いざという時のために」と練習していた受け身が、無意識にでも使えていたお陰で、わたしは命を
病院で目を覚ましてからも、現実が受け止められなかった。
左足の感覚がない。1年で歩けるようになるかも、と言われたけれど、とてもそんな感じはしない。とりあえずくっついているだけの、肉の塊だ。
――でも、それだけならまだよかった。
きっと、それこそ1年くらいかけて、この脚が動くようになるころには何とか、折り合いをつけて先に進むことが出来たような気がする。
トレーナーさんに支えてもらいながら、なんとか。
けれど、そうはならなかった。
わたしが知らずに、のうのうと病院のベッドで寝ている間、トレーナーさんの身に何が起こっていたか。
それを知った時わたしは、わた、し、は――
そろそろ、例の仕掛けの準備に入ります。
その時が来たら、存分に殴り合ってください。
19:00追記:ハッピーミークの毛色を修正(葦毛→白毛)