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7時にセットされた目覚ましが鳴るより、1時間は早く目を覚ます。昔から体内時計の正確さには自信がある方だ。
隣で寝ている妻子を起こさないようにそっと寝室から抜け出し、髭を剃るついでに軽くシャワーを浴びる。
俺は朝食を食べないタイプだったが、バレると葵が煩いのできちんと作ることにする(コーンフレークも不許可だった)。本人は自分が作ると言っていたが、まあ趣味みたいなものだ。今日は和食が食べたい気分なので、鮭でも焼くか。
アイランド型の無駄に豪華なキッチンで、手際よく調理を進めていく。流し台とコンロ以外の良く分からない機能の数々は未だに理解できていないので、俺にとっては普通のキッチンと変わらない。
紅鮭だけでは物足りないかと冷蔵庫から卵を取り出し、目玉焼きに。
家が変わってもぶつぶつと卵が焼ける音が食欲をそそるのは変わらない。あとはジップ〇ックに入れて冷凍している豆腐とえのきの味噌汁を雪平鍋に入れて温め、パックの納豆と刻んだネギを冷蔵庫から出せば朝食の完成だ。
息子用のうどんの用意も済ませた(また同じのがいいとか言い出さないといいが)頃、目覚ましの音と共に寝室から人の気配。
「おはよう」
――俺が「行方不明」になってから、そろそろ3年。
俺が桐生院家に婿入り……つまり、葵と結婚してから、2年半になる。
今の俺の住所は、桐生院家本邸……ではなく、一族の所有する分譲マンションの一室だ。ここ数年のごたごたで一気に資産が目減りし、あの大邸宅は手放さざるを得なくなったらしい。
3年前。葵に告白された俺は、違和感を覚えながらもその提案に乗ることにした。
それは、匿ってくれるという申し出が有難かったのもあるが……誠心誠意告白して来た葵を、邪険にできなかったからというのもある。
「ごはんたべる」
「そうだな。一人で食べられるか?」
「うん」
「よし。じゃあ見ててやる」
2歳にしては随分知恵づいている息子。俺と葵の子な訳だから、そりゃあどちら似だとしても頭が良いだろう。
……事前の契約通り桐生院家に匿われた俺は、本家の全面バックアップのもと、何故か葵と共に本邸の離れ(ワンルーム)に軟禁され、在宅で桐生院家の顧問業をすることになった。後はまあ、お察しの通りである。
それから数か月経つうちに、本家の人々の動きで朧気ながら状況が把握できてきた。
――俺はやはり、政治など何も知らない小童に過ぎなかった。
彼らこそ、世間の風評を操作して俺を辞職に追い込んだ元凶だった。
俺が、スズカが歯牙にもかけなかったハッピーミークは……桐生院家のノウハウ全てを注ぎ込んだ最高傑作であったようだ。
ジュニア級の頃は「白毛の勇者」とメディアがこぞって持ち上げていたのを思い出す。スズカを、アンタレスを倒し得る最有力候補だと。
確かに彼女は強かった。
世代では明らかに突出していた。スズカが居なければ彼女がレコードタイムを持っていたはずのレースがいくつもある。俺が覚えている限り、スズカを相手に「勝負」が出来ていたのは彼女だけだ。
だが、結果は結果。
彼女に与えられたのは、"スズカが怪我で居なくなって初めて有馬
多分だが彼女は……例えばトウカイテイオーやミホノブルボンになら、4割くらいの勝率を持てたんじゃなかろうか。スズカは、あれは一種のイレギュラーだ。恐らく再現は不可能だろう。
だが、それは俺しか知らないことだ。今ここにあるのは、現代のレース界が投入可能な技術とリソースを全て注ぎ込んでも俺に勝てなかったという結果だけ。
それを受けて桐生院家は……つまり、敗北宣言を出したのだ。
俺がいる限り、URAはアンタレスの天下であり続けると。
そして名家は……否、URAは。これから必ず訪れる「アンタレスなら出来たぞ」に耐えられないと結論付けられたのだろう。
その時点で、URAの将来的な衰退は約束された。
何せスズカは、レコ-ドを6つ持っている。出走したG1レースの数と同じだ。常に脚部不安状態だったので海外遠征はできなかったが、出走さえできれば凱旋門賞さえ余裕で勝てたのではと言われる別格の存在だった。
俺が死ぬまで現役を続けたとしても、スズカの出したレコードを更新できるかは怪しい……いや、多分無理だろう。
"あれ"以上になるというのは、そのまま種族の限界を超えるという意味だ。目指すのなら運動生理学ではなく遺伝子工学の領域になるだろう。1世代や2世代で何とかなる話ではない。「スピードの向こう側」というのは、そういう場所だ。
……俺はただ、彼女の望みに応えてより早く走れるようにと尽力したが。
スズカは、ウマ娘レースに「答え」を出してしまったのだろう。
天井が見えることは、底が知れるのと同じだ。
技術力が「限界」に到達した後に待っているのは、緩やかで、しかし確かに逃れえぬ滅びだけ。
だから、それに気づいた彼らは、自分たちが没落するのを承知の上で俺を、業界ごと潰しにかかったようだ。
余人が気づかないように、問題を「ウマ娘という種族の限界」から「政治的内ゲバ」にすり替えた。
URAの人気は衰退する。だが、それは「困難だが、再生可能な」衰退の仕方だ。所詮は醜聞なのだから、十数年、あるいは数十年かけて地道に信用を回復すればいい。既に彼らは、今代を「捨てる」覚悟を決めている。
そして俺と、俺が残したノウハウと、俺の血を引く桐生院の子供がいれば。
再生後のレース界で再び覇権を取るのは、確実に「桐生院」である。
そんな予測に賭け、今の自分たちの全てを投げ捨ててこの計画を実行に移したのだ。
ふと、俺の作った食事を美味そうに食べる息子を見る。無邪気にうどんを啜っている。汚い大人に、どれだけの運命を背負わされたかも知らずに。
――俺がそれに気づいた時、葵は臨月だった。向こうの勝ちだ。
こんなのは、「騙された」なんて言える程度のものじゃない。ただ、俺がバカだったというだけのことだ。恨まないとは言わないが、そう折り合いが付く程度には、俺は自罰的だった。
方々にこれを報告した時、理事長が、ゴルシが、ルナが、悲しそうな顔で何かを言いかけたのは、そういうことだったのだろう。
息子が生まれた頃には、水面下で行われていた業界を真っ二つに割っての暗闘には決着が付いていた。恐らく痛み分け……というか、URAが衰退しすぎて争っている場合ではなくなった、という形で。
桐生院家は名門としての権威や地位を大きく失い、今や業界トップの名家からただの一般家庭になった。当主は騒動の責任を取って隠居。行われていた報道統制も即時解除され、最後に残った権力を全て使って事態の隠蔽工作が行われた。
桐生院だけではない。騒動に関わった名家の大半が、多かれ少なかれダメージを受け、家ごと没落した者もいる。
アンタレスなき今、レースのレベルは落ちた。
潰しただの政治工作で追い出したのという言い合いのせいでトレーナーとウマ娘の信頼関係にはヒビが入り、まともな活動拠点を探して海外に行った者も多くいる。
日本のレースは終わった。そういう風評も少なくない。
ウマ娘レース業界は、今や瓦礫の山である。
桐生院は「進化の袋小路」より、「焦土からの再興」を選んだのだ。
その役目を、俺と葵と、まだ2歳の息子に全て押し付けて。
とっくに賽は投げられた。振ったのは上の連中だが、振らせたのは俺だ。
ならば俺には。知らなかったとは言え桐生院家の策に乗った俺には、この瓦礫と化したウマ娘レース界を再興させる権利と義務がある。
「あ、あなた。どうかしましたか?」
葵がおずおずと問いかけて来る。顔に出ていたらしい。
3年も経つのに、あなた呼びには慣れていないようだ。
「いや、ちょっとトレーニングを考えてた」
「家では切り替えろって言ってましたよね……?」
ジト目。
こういう反応が増えてきたのは俺の影響だろう。いい意味で、お嬢様らしくなくなってきた。
「すまんすまん。今度の休みにケーキでも焼いてやるから、勘弁してくれ」
「うっ……も、モノで釣ってもダメですからね!」
――この家庭は、彼らの謀略によって作り出された、歪な虚像だ。
だが、息子は可愛いし、葵は愛しい。
3年一緒に居て、子供までこさえて……愛情がないなどと、口が裂けても俺は言えない。
虚構の中にしかないのなら、それでもいい。この「幸せな家庭」を、俺は守り続けよう。
それが、「行動に責任を取る」ということだと思うから。
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――――
――
鍵付きの引き出しから出て来た、メモ用紙の束。日記のようなものと思われるが、全て殴り書きで何枚かはくしゃくしゃに丸めた形跡があり、所々判別不能箇所がある。
「どうしても、書かないと、吐き出さないと我慢できない。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
私は、バカで、無知で、政治なんて何も知らない、ただの小娘だったんです。
すべてを話したつもりだったんです。
先輩の未来を潰したのが、辞めさせたのが、全部お父様だったなんて知らなかったんです。
私がそれを知った時には、もうお腹にあの人の子供がいて。
どうしてあんなに子供を急かされたのか、初めて知ったんです。後戻りできなくするためだったんだって。
償わせて
どうやって?
罪悪感で狂いそうになるのを必死にこらえて、私は笑顔で毎日を過ごして
だってあの人はきっと知らないから。
知ったら、どうするのかな
私を罵る? 殴る? ■■? 殺す?
何でもいい、何でも受け入れる。だからもうゆるして。
おねがいもういやなの誰にも罰してもらえないのがこんなに辛いなんてしらなかったの死なせてももらえない私が死んだらあの子がいやいやいやいや
(ここから数十行に渡って判別不能)
必死でマイルドにしてるけどそろそろ怒られそう……