トレーナー、仕事辞めるってよ   作:TE勢残党

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 全ルート見せるまではやります。


#15 GOOD END③

「モルモット君、23番のファイルを持って来てくれるかい?」

「そう来ると思ってもう用意しといたぞ」

「ふゥん、やるじゃないか」

 

 アグネスタキオンの研究室。怪しげな製薬機器が並んでいるような印象を持たれるだろうが、実際には紙の資料や参考書、実験レポートの類の方が多くある。

 

 来た時は広々としていたはずの研究室も、今では山と積み上がった資料やら何やらで辛うじて足の踏み場を確保するのが精いっぱいだ。

 

 俺の主な役目は、ワークステーションにかじりついているタキオンの世話と、適切な資料を書架から引っ張り出すことと、後は実験等の補佐。要するに研究助手だ。

 

 俺も浅学なりに勉強を続けているが、高等部以前から専門の研究を続けていたタキオンと、トレーナー資格のために浅く広い知識を付けていた俺ではどうしても知識量に差が出る。まだまだ研究の最先端に触れられるほどの能力は得られていない。

 

「次の学会、どれを提出するんだ? 正直発表した論文が多すぎてしっちゃかめっちゃかだぞ」

「クククいいことじゃないか。ウマ娘のさらなる発展には、必要な混乱だよ」

 

 視線をモニターに固定したまま、タキオンは不敵に笑っている。彼女なりに、あの業界への意趣返しも兼ねているのだろう。俺自身、次から次に新技術を叩き込まれて悲鳴を上げる業界を見て、胸がすくような気持ちなのは誤魔化せない。

 

「レースの平均速度が劇的に上がったのは否定しないが……」

「事故率は反比例するかのように減少しているのだろ? ならいいじゃないか」

 

 まあ、そういうことだ。

 

 少なくともタキオンの齎す理論も、発見も、技術も、全ては、ウマ娘の健康を第一に考えてのもの。

 

 "果て"を踏破するという彼女の夢は、まず"果て"に耐えられる身体づくりを、全員にいきわたらせるところからということになった。

 

 いつだったか、師匠が言った通り。夢は形を変えていく。

 

「勿論全部で行くとも。枠取りは任せたよ」

「また徹夜だなこりゃ……」

 

 言いながら、それが苦ではない自分を自覚する。

 

 我等が研究所のシニアフェロー様は、横暴だがそれに見合う以上の成果を齎してくれるのだ。

 

 

 ――あの日、トレーナー寮から出た俺の前に立っていたのは、黒服の集団を引き連れたタキオンだった。

 

『お話は伺っています、Mr.トレーナー。さあ、こちらへ』

『え?』

 

 達者な日本語で語りかけるMIBじみた白人男性に連れられ、有無を言わさず車に乗せられ、気づいた時には飛行機の中。

 

 約13時間の長旅を経て、送迎の車に乗り換えさらに暫く。

 

『……アメリカへようこそ、トレーナー君』

『え?』

 

 到着後、タキオンの第一声がこれだ。聞けば単身アメリカの研究機関に売り込みをかけ、自分ごとこちらに引き抜かせるよう交渉したとのこと。米国に繋ぎを取れるタキオンの行動力も相当なら、二つ返事でOKして即刻人を送って来る研究機関も大概だ。

 

 住所どころか偽の戸籍まで用立ててくれるという準備の良さにうすら寒いものを感じたが……どうやらタキオンの研究と俺の実績は、太平洋の向こう側でも通用するどころか、こんな亡命じみたことを許してしまうほどのものだったそうだ。

 

 その場で聞いた話だが、俺をここまで連れて来るためだけに、タキオンは米国のウマ娘協会に因子継承理論の雛型を売り渡したらしい。文字通り、自分のキャリアを全て賭けての「身売り」だ。

 

『タキオン女史の理論もそうだが……あなたはそれを、サイレンススズカという形で結実させた。我々のようなプラグマティストと呼ばれる人種は、実現可能な夢をこそ尊ぶ』

 

『実現可能な夢っていうのは、俺も共感します。出来ないことをうだうだ言ってる間に、出来ることを積み上げる方が有意義だ』

 

 そこで口を挟んだのは、単なる気まぐれみたいなものだ。

 

『分かって頂けますか! これが中々日本人には通用しない概念で』

『……でしょうね』

 

 ただ、スズカのことを"最新の研究成果"として扱う態度に腹が立って、カッコつけて反論しようとして……その評が、これ以上なく当てはまっていることに気づいて拳を下ろしたというだけ。

 

 ウマ娘の意思を最優先。俺の理念はそうだったかもしれないが、そこに「集大成」を求める俺のエゴが混ざっていないとは言えない。一面では、彼女は確かに研究成果だった。

 

 そういう意味では、タキオンの連れてきたこの場所は、俺に合っていたのかもしれないな。

 

 俺とタキオンをここまで護送したサングラスのナイスガイ(所属を明かしてはくれなかったが、相当高位の……下手したら政府の工作員じゃなかろうか)に聞いたところ、これまで他国からの引き抜き工作は、全てトレセン側がブロックしていたらしい。

 

 内側(生徒側)から売り込みをかけに行く例は流石に初めてだったらしく、トレセン側がマスコミへの対応に忙殺される隙を突いてまんまと俺を引き抜いてしまったという訳だ。

 

 俺の意志が全く介在しない所で、俺はすっかりアメリカの研究所で助手の仕事をすることが内定していた。

 

『……さて。突拍子もない行動をとってきた自覚はあるが、ここまでの大ごとは人生……ウマ生でも初めてだ。正直、今にも手が震え出しそうだよ』

 

 その日の晩。俺はここで初めて、何故だか同室にされたタキオンを問い詰めた。

 

 と言っても、怒りはなかった。

 

 ……女々しい話だと自分でも思うが、この時の追い込まれた俺にとって、タキオンの強引な行動には悪い気がしなかった。むしろ、俺が心のどこかでやりたがっていたことを、代わりにやってくれたような気さえしていた。

 

『いかなる言い訳も意味を成さないだろう。これは……言ってしまえば、無理心中だ』

 

 一方でタキオンは、こちらを真っすぐ見つめて、そう宣言した。

 

 ああ、あの目だ。ただ、自分の見据えたものを手に入れるため。それだけのために全てを捨てて進む、あの狂った目。

 

 長い付き合いだ、俺には分かる。タキオンは悪びれていない訳ではない。ただ、罪悪感も倫理観も道徳も全て、目的のために黙殺できるというだけだ。

 

『言っただろう。私は強引だからな、無理矢理にでも付いてきてもらうぞ、と』

 

 ――私には、君が必要なんだ。

 

 

『私は意思を示したぞ。君はどうなんだ』

 

 

 何もかもをぶち壊して、自分のやりたいことを求めて突っ走る。

 

 色々なしがらみに雁字搦めにされていた俺にとって、それは確かに、救いだった。

 

 

―――――――――

 

――――

 

――

 

 

 

 あれから数年経つ。タキオンと二人での研究所暮らしにも、すっかり慣れてきた。相変わらず生活力の無いタキオンだが、昔と比べると少しずつ家庭にも気をつかうようになっている……気がする。

 

 "アグネスタキオン"も、そのトレーナーだった"俺"も、既に公式には存在しない。表向きは、あの日からずっと行方不明のまま。彼女の正体を知り、彼女をタキオンと呼ぶのは、最早俺だけだ。

 

 あるのは、アメリカのとあるスポーツ医学研究機関。数年前に新設された研究チームの功績として、タキオンの成果はロンダリングされている。

 

 俺もタキオンも英語は話せるし、タキオンの齎す成果があるから給料の心配もない。

 

 ただ、俺達は二度と、表社会に出ることはない。そういう契約だ。

 

「なあ、モルモット君」

 

 あれから、俺は再びモルモットと呼ばれるようになった。今では俺で試さなくとも、合法違法を問わず実験台には事欠かないので、タキオンなりの特別な呼び方と言うくらいの意味しかなさそうだが。

 

「何だ?」

 

 研究所に泊まり込んで、タキオンと一緒に研究をして、タキオンと同じ夢を見る。これが今の俺の仕事で、生きがいで、全てになった。

 

 彼女は相変わらず、ウマ娘の"果て"を、あるいはその先を見ようと研究に勤しんでいる。その過程で得られた発見によって、ウマ娘レース業界は飛躍的な進歩を遂げた。

 

 アメリカで新技術が導入され、それまでのレコードが過去のものになり、それが国際基準となって、ジャパンカップなどを通して日本にももたらされる。そんな流れが常態化して、今やアメリカは世界のウマ娘レースを牽引する技術大国だ。

 

 サイレンススズカが打ち立てた6つのレコードも、「完全踏破」を掲げた元師匠――東条ハナの手によって肉薄されつつあり、塗り替えられるのも時間の問題だと聞いている。

 

 あの後日本のトレセンがどうなったか、俺は知らない。逃げ出して、姿を眩ませた手前、もう戻ることも、謝ることも、永久に出来ないだろう。

 

「君は、後悔しているかい?」

 

 時折、タキオンはそんなことを聞いてくる。

 

 この時だけは、彼女の、あの輝く狂気の瞳が揺らぐ。ひたすら進み続ける彼女に、一点の迷いが生じる。

 

 俺にタキオンしか残らなかったように、タキオンには俺しか残っていないのだろう。だからきっと、俺が居なくなってしまうのを、彼女なりに恐れているんだ。自惚れかもしれないが、そうだと嬉しい。

 

「そんな訳ないだろ」

 

 だから俺は、いつもの答えを返す。もう慣れたものだ。

 

「俺はタキオンのもので、タキオンは俺のものだ。今じゃ、俺達の正体を知ってるのはもう、お互いだけなんだから」

 

 一蓮托生、運命共同体、共犯者。

 

 だからタキオンは、迷っちゃいけない。

 

「俺は、タキオンといられて幸せだよ」

 

 あの日決まったんだ。

 

 タキオンの目指すところにしか、俺の行くべき場所はないのだから。

 

「……その目。つくづく私達は、似た者同士だよ」

 

 タキオンは俺の目を見つめると、ほぅ、と息を吐いて顔をそむけた。その頬は上気していて、しかし不安そのものは取り切れていないように見える。今日は寝かせてもらえなさそうだ。

 

 俺とタキオンはその後もずっと、「果ての先」を目指すための研究を続けた。

 

 その過程でもたらされた数々の発見により、ウマ娘レースは驚異的なペースで発展を遂げ、後にアメリカウマ娘レース界は長い長い黄金時代を迎える。

 

 それが"Age of Tachyon"――日本語では「超光速時代」と称されたのは、タキオンの尽力なしには語ることができない。

 

 今も俺たちは、遠くアメリカで研究を続けている。

 

 今はダメでも、いつか。

 

 俺達がダメでも、誰か。

 

 あの日見た「スピードの向こう側」を超えられると信じて。

 

 URAから逃げ出した今でも、俺達は夢を見続けている。




タキオンの夢女子と化したトレーナー。
彼ら二人がかりなら、数十年あれば進化の袋小路だって突破できるでしょう。
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