異能の天才。革命児。秋川の秘蔵っ子。今遜陽。天才発見器。時代の寵児。
特筆大書と言わんばかりに騒がれた二つ名の数々は、私、シンボリルドルフに言わせれば
ふふ、本人に言ったら「変なヨイショはやめろって」とでも言われるのだろうか。だが私は、きっと彼と一緒でなければ、今ほどの立場にはなれていなかっただろう。
あの日。デビューを控えた私は、スカウトしようと集まってくれた3人のトレーナーに課題を出した。
「三日後。君たちの気持ちを、形にして提出してくれ」
今にして思えば傲岸不遜とも言える行い。あの頃の私は必死で、余裕がなかった。
だが、幸いにもトレーナー達は応えてくれた。
一人は私を必ず強くすると言い、三年分のトレーニング計画表を製作してくれた。
もう一人は私と共に歩む覚悟があると言い、私の脚質やクセを徹底的に研究した上で、レースで勝つための戦術を提案してくれた。
そして――トレーナー君は。
「これは……スマホ?」
「動画にしたんだ。見てくれるか」
去年の日本ダービーだった。マルゼンスキー……「怪物」と呼ばれたウマ娘だけをカメラが追い続けている。GⅡ以上のレースには全て目を通しているが、これは初めて見るアングルだ。恐らく彼が独自に撮影していたものだろう。
マルゼンスキーはスタートから他者を圧倒、大逃げしたまま最終コーナーでさらに加速。最終的に2着と8バ身差をつけての圧勝だった。大外枠での出走でありながら、レコードタイム。
正直に言って、見とれていた。
しかし、良く撮れている。脚の動きからストライドの長さ、走行フォーム。マルゼンスキーの美しいそれが見事に映し出され、走りに関しては丸裸と言っていいくらいだ。
そういう観点での研究資料としても、かなりの値打ちもの。きっと門外不出の、極秘資料の類だろう。
「素晴らしい走りだ」
故に私は「こういう走りをさせてやる」という意思表示だと受け取った。
果たして、それは半分だけ当たっていた。
「ああ。
彼が示したのは、速さでも強さでも、勝ちでさえなく……もっと純粋な、楽しさだった。
「自慢のウマ娘だ」
スマホを回収してそう語るトレーナーは、眩しいほどに自信に満ちていて。
「……全てのウマ娘が幸せになれる世界。そう言ったよな。だったらまずは、
目から鱗が落ちる思いだった。
「最低でもこれ以上は、走りを楽しんでもらう。君の理屈を借りれば、まずは一番上が楽しんでみせなきゃ、下も付いてこないだろ」
マルゼンスキーの天衣無縫とでも言うべき走りに魅せられて、トレセンの門を叩く新入生は多い。
その理由は、こういうことだったんだと、この時漸く理解した。
「なーに、君ほどの才能なら、よほどの無能じゃない限り誰がトレーナーになろうがトップには立てる。……だから、
彼は、彼だけは、勝利が"目的"ではなく"手段"であると、理解してくれた。
「その上で、お願いだ。君の覇道……どこまで行けるか、俺に見せてくれ」
私を真っすぐに見つめるトレーナー君を見たあの時から、私はきっと彼に惚れてしまったのだろう。
……あれから、色々なことがあった。
無敗のクラシック三冠。有馬記念2連覇。春の天皇賞。ジャパンカップ。URAファイナルズ。
その全てに勝ってこられたのは、トレーナー君のお陰だ。
『何がしたい? 言ってみてくれ、サポートする』
私と彼との関係は、選手とトレーナーと言うには少し特殊だったように思う。
私が求める結果を言えば、彼が筋道を立ててくれる。その時の体調から気分に至るまで完璧に把握された上で、今の私に最適な方法を示してくれるのだ。打てば響くというのは、ああいうことを言うのだろう。
アスリートと言えど一介の高校生に過ぎなかった私のトレーニングは、彼との丁々発止の議論によって磨き上げられ、飛躍的に効率を増した。
何より凄かったのは分析だ。正確無比どころか、走りを一目見ただけで大まかな脚質から筋肉の付き方、重心移動の偏りに、酷い時は潜在的な怪我のリスクまで見抜いてしまう。現に、そうやって怪我を未然に防いだチームメンバーが少なくとも2人いた。
有力な対抗バ相手では、レースの映像をコマ割り単位で解析してフォームのクセを割り出していたらしい。
タキオンが言うには「複数の平面を脳内で組み合わせて立体を作り出し、それを元に関節などの構造を予測している」らしいのだが……正直に言って、未だに理解できていない。
彼の指導の下でトレーニングをするのは心地よかった。何より、彼に走りを見てもらうのが好きだ。
他にも数名の担当がいる彼だが、走りを見る時はそのウマ娘だけを真剣な表情で見つめる。走っている私だけを、見てくれるんだ。
レースを引退してからも、何かにつけて相談に乗ってもらったり、走りを見て貰ったりしている。何のかんのと言いながらも、彼は必ず付き合ってくれた。
私が安心して全てをさらけ出せる相手など、両親の他には彼しかいない。
……生徒と、トレーナーだ。これ以上の関係になることはできない。
それでもあの日の約束通り、これからもトレーナーは私を見ていてくれる。
ならば、それでいい。心の中でそう決めた。
「い、ま。何と言ったんだ……?」
「トレーナーを廃業する、と言った」
今の今まで、何の根拠もなく、そう思っていた。
事故だってきっと、力強く乗り越えて、暫くしたらいつも通り飄々と笑ってくれると。
「こないだの秋天(秋の天皇賞)のことは知ってるだろう。その関係でまぁ、な」
「そん、な……っ!!」
あまりにも唐突で、事態を飲み込むのに数秒を要し……襲ってきた絶望感に身震いした。
ああ、いかん。二人とは言え生徒会室なのだから、威厳を……。
「見ていてくれると、言ったじゃないか」
無理だ。私には、手の震えを止められそうにない。
トレーナーが居なくなる。そう考えただけで、背筋をぞわりと何かが這い上がってくる。焦燥と喪失感に頭の中を掻きまわされるようだ。視界が霞み、口の中が乾く。
「見届けたさ。君は皇帝として、立派に学園を、業界を、ウマ娘を率いていたよ。俺が保証する」
「ぁ、ちがっ……」
過去形。
それが意味するところが、痛いほど理解できた。
そうじゃない。そうじゃないんだ。
「そ、そうだ。皆はどうなる。他の担当はっ」
「これから話して回る予定だ」
声が掠れる。きっと酷い顔をしているだろう。
「理事長の了解は、得たのか」
「さっき行ってきた。かなーり止められたけどな」
「だったらっ」
「もう決めたことなんだ。君だって賢いから、分かるはずだ。ここで消えるのが最善だって」
ああ、分かるさ。君が全ての責任を背負い込んで消えようとしているのは。
"沈黙の日曜日"の衝撃は……いや、その後の"疑惑"は、今はまだ、君にだけ向けられている。君を庇い続けるトレセン学園に矛先が向くのも時間の問題だ。
会長としての私は、それが"正解"だと判断している。
だからこれは、我儘だ。
「だが、辞めれば、認めたことになるんだぞ」
「覚悟の上さ。実際、間違ってはいないしな。まあ、俺にはお似合いの最後だろ」
平然とキャリアを捨ててのける彼への、情だ。
私達との時間は、惜しくないのか?
「あと……そういえば言ってなかったな。事故の前から、スズカまでと決めてたんだよ」
必死に頭を回して、引き留める方法を考える。同時に、私の頭脳はあまりにも無情な結論を出していた。
初めから断定口調なのは、もう決まったことを通達するときだけだ。きっと説得には応じないだろう、と。
「……すまんな、ルナ。急に決めたみたいになって」
最後まで、私をルナと呼んでくれるのだな。
でもそれなら……それなら。私を置いて行かないでくれ。人に頼ることを覚えさせたのは君だろう。
「必要なら、他のトレーナーに話を付けるが」
「いらない」
私のトレーナーは、君だけだ。
「お、おう、そうか。まあトゥインクル終わってるし、そこは好きにしてくれ」
私が会長の重圧と常勝のプレッシャーに打ち克ってこられたのは、君がいたからなんだ。
「もう、すぐ出て行くのか」
「荷造りと引継ぎがあるから……早くても2日後だろうな。それまではトレセンで世話になるよ」
あと二日。急すぎる。
「……だ」
君の前でだけは、私は会長でも皇帝でもない、ただのルナでいられた。
ただ一人君だけが――
君だけが、私に
「やだ」
「は?」
「嫌だッ!! いやだいやだいやだ!! 行かないでくれトレーナー君!!」
構うものか。ルナでいい。我儘でもいい。
「わたしは君がいないとダメだ!! わたしが不器用なの知ってるだろう!? 今更君以外に甘えられるものか!」
恥も外聞もかなぐり捨てて、いやいやと首を振るわたしを、彼は優しく抱きしめてくれた。
「……ルナモードも久しぶりだな」
昔何度か、ストレスが爆発寸前になった時、こうして甘やかしてもらったことがある。最初の時に『二人の時はルナと呼んでくれ』と口走ったことから、彼曰くルナモード。
そうだ。いつも彼は、どんな"わたし"だって受け入れて……。
「ごめんな、ルナ」
そして今日初めて、我儘を聞いてもらえなかった。
「嫌だ、離さないぞ。君が残ると言うまでこうするからな! うぅ、一緒に居てくれるって言ったじゃないかぁ……」
トレーナー君に縋りついてぐずる私を、彼は何も言わずに受け止めて、頭を撫でてくれる。
けれど、私の望んだ言葉は最後まで出てこなかった。
分かっていたさ。君は、ごく稀に自分で何かを決めた時、それを譲ったことは一度としてないものな。案外この結末も、本人の言う通り初志貫徹、初めから決めていたのかもしれない。
これがきっと、最後の思い出になる。思いっきり甘えた後はいつもの「シンボリルドルフ」に戻って、そしたらきちんと、君を見送るから。
だから、今だけは――
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泣き疲れて眠ったルドルフ……ルナをソファに寝かせて、戸棚の奥に入っているブランケットを掛けてやる。
「参ったな……ここまでになるとは……」
たまに甘えてくることはあったし、ワーカホリック気味で休むのが下手なのも把握はしていたが……一応、俺の担当では上から二番目の世代である。もっとこう……カラっとしてるんじゃないかと思ったのだが。
「やっぱ、根っこがテイオーに似てるよなあ」
この俺が、担当ウマ娘のことを読み違えるとは。
「これ、俺が居なくなってから大丈夫か……?」
元々俺と彼女では不釣り合いが過ぎる。俺のことなんてさっさと忘れて進んでいってくれると思ったんだが……心配だ。しかしあんな啖呵を切った手前「やっぱり残ります」とも言えんし……。
考えても仕方がない。とりあえずこの件は先送りにして、次に伝えに行くウマ娘を決めよう。
(……ちょっと、重たいのが続いてるから小休止が欲しい)
正直しんどい。俺だって人の心がない訳じゃないんだ。予想外のボディブローをもう一発貰ったら気力がなくなりそうなので、ここは安牌から行こう。
「丁度、マルゼンの部屋をチェックしに行く時間だ」
マルゼンスキー。俺が最初に専属として受け持ったウマ娘。……特別な思い入れがないと言えば嘘になるが、一番大人だし、伝えるのは一番楽なはずだ。
そんなわけで、机にルナに充てた置手紙をしたためた俺は、マルゼンスキーの暮らすマンションへ向かうことにしたのだった。
ヒント①:史実のシンボリルドルフは、牧場だと我儘だったらしい。
ヒント②:父親なんだから、根っこがトウカイテイオーなのは当然。つまり湿度が高い。
ヒント③:会長のダジャレは普段のお堅い雰囲気を崩すための努力。真に甘えられる相手には使う必要がない。