トレーナー、仕事辞めるってよ   作:TE勢残党

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 日刊1位、新作1位、週刊2位、月間4位。お気に入り8900。
 投稿3日目の姿か? これが……

 故に感謝の番外編(深夜テンション)。応援ありがとうございます。


EX1 エリートトレーナー

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 XX年、菊花賞。

 

 "不敗"を負かしたウマがいる。

 

 ミホノブルボンの三冠を阻んだ、漆黒のステイヤー。

 

 結果が語る。"最強"は、"無敵"じゃない。

 

 そのウマ娘の名は――

 

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 そこで、思わずテレビを消した。

 

 批判一色のワイドショーに嫌気が差し、録画していたドラマでも見るかと再生してみれば、これだ。

 

「と、トレーナー」

 

 私、桐生院葵の座ったソファの後ろで、立ったままテレビを見ていたミークが怯えている。それでやっと、私が怒っているんだと自覚した。

 

 こんなんじゃトレーナー失格だ。白書にも、「ウマ娘は感情に敏感なので、不用意に露わにしてはいけない」と書いておかないと。

 

「ごめんね、なんでもないの」

 

 くしゃり、と頭を撫でて、ハンガーにかけていた上着を取る。

 

「ちょっと出かけて来るね」

 

 こんな状態でミークと触れ合うべきじゃない。

 

 行先は決めていないけれど、とりあえず頭を冷やそうと思った私を、ミークは何も言わずに見送ってくれた。初めての担当で、私は本当に良い子に巡り会えたと思う。

 

(……先輩)

 

 何処に行くでもなく歩いている間、頭にあったのは先輩のこと。

 

 2年前にトレーナーとしてデビューした私は、担当のハッピーミークがサイレンススズカの同期だったことをきっかけに、何かと先輩によくして貰っていた。

 

 先輩は、評判以上の天才だった。

 

『ストライド、あと3、いや5センチくらい広げられると化けそうだな……あ、すまん横から』

 

 ミークの走りを一目見て、その時の課題だったフォーム改善に一発で"正解"を出してしまった彼を見た時から、私はすっかり先輩の後ろをついて回るようになってしまった。

 

『トレーニングメニュー? 俺の放任ぶり知ってるだろ、聞く相手間違ってないか?』

 

 なんて茶化していたけれど、聞いたことには完璧に返してくれていたのを思い出す。

 

 名門・桐生院の出身だからと、それなりの自負はあったつもりだったけれど、先輩について行くうちに全部吹き飛んでしまった。

 

 見る目があると人は言うが。それ以前に知識量が全然違う。

 

 アメリカの最新の論文を当然のように検証したり(そもそも速読じみたペースで英語の論文を読み漁っている時点で何かおかしい)、海外含め数十年分のレース内容を全て暗記していたり、大昔に廃れた戦術を引っ張り出して改良したら使えるんじゃないかと議論したり。

 

 ゴールドシップと組んで海外のクイズ大会を総なめにしたなどと言う都市伝説じみた話すら伝わっている。

 

 一度訳あって手料理を振舞われた時なんて、フレンチのレストランみたいなのが出て来てなんだか負けた気分になった。本人は作ってやるより作ってもらう方が好きだとか言っていたけれど、あれを見た後だととてもじゃないが無理だ。

 

 ……実家でそんな話をすると、あなたじゃなくてあのトレーナーが桐生院を継いでくれれば、と言われるから口に出さないけれど。

 

 それでもへし折られなかったのは、その先輩が『期待してるぞ』と言ってくれたから。

 

 2年以上ついて行っていれば、先輩の人となりもなんとなく分かってくる。

 

 ああ見えて彼は不器用だ。気休めとか、社交辞令みたいな「思ってもいないこと」は言えないタイプ。

 

 担当のウマ娘に絶対の自信を持っている、という評判も、単に客観的な事実を言ってるだけ。勝てると思ったから勝つと言ってるんだ。そして予想通り勝つから、周りに傲慢だと思われてしまっている。

 

 つまり、私への期待は本心からのもの。少なくとも、私はそう思う事で、頑張りの原動力にしている。

 

 多分だが、私は先輩のことが好きなんだろう。トレーナーになるための勉強ばかりでそう言う事に無関心だったから、今も良く分かってないけれど。

 

 盆の宴席で、「彼を桐生院の入り婿にするのはどうだろう」……つまり私と彼の見合いを組んではどうかという親戚たちの話を聞いて、一瞬で彼との結婚生活が脳裏をよぎって……それがとても素晴らしいもののように思えたから、多分そういうことだ。

 

(……って! 何考えてるの私ぃ!?)

 

 我に返り、人目もはばからずにぶるぶると頭を振って恥ずかしすぎる思考を追い出す。幸いなことに、周囲に人の姿はなかった。

 

 けれど、次に思考するのもやはり先輩のことだ。我ながら、大分重症じゃなかろうか。

 

 ……私は、先輩が"そこ"に至るまでにどれだけ努力したか知っている。彼の師匠である東条さんも、恐らくたづなさんや理事長もだ。

 

 彼の競争バを見る目は、恐らく日本一だ。ほぼ100%の精度で、その世代トップになるウマ娘を見出し、スカウトする。

 

 ――つまり。彼に声を掛けられなかったという時点で、ウマ娘たちは「1番ではない」ことを突きつけられる。それを乗り越えられるかどうかが、最初の関門となっていた。

 

 中央トレセンに入学を許されるようなウマ娘は、ほとんどが名家の血統であったり、突然変異的な天才であったりする。大体の場合、トレセンに入るまでは周囲より飛び抜けて足が速い。

 

 そんな子が「なぜ自分じゃないんだ」と、先輩に食ってかかる姿を何度も見た。見返してやる、と自らを追い込みリギルに入った者もいるが……ことごとく、大成しない。今やトレセンの、一種の洗礼みたいな扱いである。

 

 先輩の所に逃げウマが多いのは、彼女らが"アンタレス"の重みを知っているから。

 

 リギルとアンタレスの頂上決戦、と銘打ってはいるが、アンタレスをどうやって倒すか、が近年の主題だ。

 

 その名を冠するということは、世代最強の証であると同時に、出走する全てのウマ娘に徹底マークされるということ。

 

 リギルが、スピカが、カノープスが、あらゆる手段でもって彼女らを追い落とそうとする。

 

 それを振り切って勝つというのは――初めから先頭に立つ逃げウマでもないと難しい。

 

 いや……ミホノブルボンの時なんて、2人出走させ1人が勝ちを捨ててブルボンより前に出て無理矢理ペースを乱しに行き、脚を温存したもう1人が後半で垂れてきた所を追い抜く、なんて作戦をとったトレーナーすらいた。確か皐月賞の時だ。

 

 テレビゲームで言う所の、チーミング。流石に問題行為として処分されたが、それでもブルボンを差し切れなかったウマ娘の絶望に満ちた顔が効いたか、周囲はむしろ同情的だったことを思い出す。

 

 まあ、そのトレーナーは後に暴行傷害で捕まったので、つまりそういうことなのだが。あれだけやって勝てないのに、恥ずかしいと思わないのだろうか。

 

 そんな状態だから、学園内での先輩の立場は極めて微妙なもので、その扱いは大きく三つに分かれていた。

 

 一番真っ当なのは、不敗たる彼のチームを打倒すべくトレーニングに燃える者。東条さんを筆頭に、トップクラスのトレーナーは大体ここに入り、理事長もこれを推奨していた。

 

 次に、雲の上の存在として、なんとなく誉めそやしている者。中堅~下位のトレーナーやウマ娘の大半と、体感7割ほどのレースファンがここに属する。

 

 そして最後に、彼を疎む者。

 

 彼が現れてからレースがつまらなくなった。誰が勝つか分かってしまい退屈。"元"最強になったリギルの凋落を見ていられない。あるいは単に、彼の実力が妬ましい。

 

 理由は色々だが、先輩は色んな所に恨みを買っている。だからって、あんな報道の仕方はないだろう。

 

 先輩は、誰よりもウマ娘のことを考えている。いつもよりよいトレーニングを模索して、寝る間も惜しんで何やら研究を続けていた。

 

 ウマ娘の潜在能力を引き出す。それを命題にしていた先輩が、ドーピングなんてする訳がないのに。

 

 ただ、隔絶して強いというだけの選手たち。かけるべきは賞賛であって、疑念でも、批判でも、不当な検査でもない筈だ。

 

『どうしてそんなに頑張れるんですか? もう十分強いのに……』

 

 一度、本人に聞いてみたことがある。

 

『あー……頑張ってるってより、頑張らされてる、かな。俺は昔から要領が悪くてさ。目の前に"出来そうな仕事"を見つけちまうと、全部終わらせるまで落ち着かないんだ。後回し、ってのが出来ない質なんだよ』

 

『……すごい』

 

 バツが悪そうに答える先輩を見て、素直にそう思った。

 

『んな訳あるか、お陰で何回徹夜する羽目になったかわかりゃしない。やらなきゃ気が済まないってだけで、疲れない訳じゃないんだぞ。社会的に問題ないってだけで、一種の病気だ、こんなもん。……すげえ目輝いてっけどマネするなよ? 冗談抜きで過労死するからな』

 

 先輩は自虐的に言っていたけれど、それはつまり、人並み外れて責任感が強いということ。

 

 先輩はミホノブルボンを「精神的怪物」と評していたけれど。きっとそれは、先輩自身にも当てはまる例えだろう。あれはきっと、類が友を呼んだんだ。

 

『このままの暮らししてたら40そこそこでぶっ倒れる気がするし、さっさと一生分稼いで過労生活ともおさらばしたいもんだ』

 

 そんな言葉で締めくくっていたが、その顔は「仕方ないな」という、どこか満足げなもので。

 

 きっと何だかんだ言いながら定年まで勤めあげてしまうんだろうな、なんて、憧れと、どこか微笑ましい気持ちと共にその横顔を見つめていた。

 

 もし、その背中をずっと追いかけ続けることができたら。そしていつか隣に並んで、同じ景色を見ることができたら。

 

 きっとそれは、とても幸せだろうと思ったのに。

 

「……あれ、ここ」

 

 思考に浸りながら歩いていたら、いつの間にか理事長室前の廊下にいた。

 

 あまり長居が歓迎される場所でもない。さっさと引き返そうとして――

 

「退職を願い出に来ました」

「慰留ッ! 君はこんなところで終わっていい才能ではない!」

 

 ――先輩と理事長の話を、聞いてしまった。

 

「ぇ、なん、で」

 

 バッシングされているのは知っていたが、慰めに行った時も彼は飄々として、まるで堪えていない風に見えた。

 

 それが、どうして。

 

 思考が停止し、後の話はほとんど聞き取れなかった。

 

 私のミークは、サイレンススズカに粉砕された。

 

 アンタレスのいるレースで2着なら優勝みたいなものだ、という慰めを貰ったことが2回ある。

 

 だからこそ、先輩に勝ちたかった。

 

 勝って、先輩の期待に応えて、あの慰めをしてきた奴等を見返してやろうと思った。私のミークなら、秋の天皇賞はダメでも有マ記念、望みはあると思った。

 

 もし駄目でも、次のウマ娘で。

 

 それでも駄目なら、その次のウマ娘で。

 

 今にして思えば、とっくに手段と目的が入れ替わっていたんだろう。

 

 ……最後のチャンスだなんて、思わなかった。

 

 思考がまとまらずに、ただ茫然と話を聞いていた気がする。

 

 居ても立っても居られずにその場を逃げ出した気もする。

 

 前後の記憶があいまいで、次に気が付いた時には夜が明けていた。

 

 あたりに散らばっている缶ビールと酒瓶から見て、どうやってか寮まで帰って深酒して、酔いつぶれていたらしい。

 

「先輩」

 

 二日酔いで頭が割れそうだ。だがその痛みのお陰で、どうにか現実から逃げずに済んだ。

 

 残ったのは、喪失感と、妙な納得感。

 

 トレーナーでなくなった彼は、一般家庭出身の只人に戻る。桐生院家がそんな相手との交際を認めるとはとても思えないし、駆け落ちして生きていける自信も能力も、私にはない。

 

「……あぁ、はは。わたし、失恋しちゃった」

 

 碌にアプローチもせず、告白もしないで、私の初恋……だったと思われる何かが終わってしまった。いや、昨日の取り乱しぶりでようやく確認できた。間違いなく私は先輩が好きだった。どうしてこういうものに限って終わってから気づくのか。

 

 言葉にすると、急に現実感が伴ってきて、いよいよ私は泣き出してしまった。

 

 ミークに連絡を取るのも忘れて、私は生まれて初めて迎え酒をした。




 ヒント①:桐生院のキャラが崩壊しているのは、二年ほどブルボン・タキオン・トレーナーの研究3バカに付き合っているうちに思考ルーチンが移ったから。

 ヒント②:トレーナーはマルゼンスキーに手料理を作ってもらった時「いいとこ見せたかった」と言われたのを覚えているので、意識している女の前では料理を作らないようにしている。

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