-日本共産党のスローガン
1970年2月4日。
東京を訪問したアマニ・ディオリ大統領は井野碩哉総理と会談。
西アフリカ防衛統一機構と大東亜共栄圏の間で友好条約が締結された。
これに伴い、アフリカ日本軍が結成され、南マリ連合を中心とした地域に駐留することとなった。
その2日後、西アフリカ防衛統一機構はドイツ植民地へ侵攻。
ドイツ国防軍は初期の戦闘では勝利を収めたが、大日本帝国空軍の新型ジェット戦略爆撃機<富嶽3型>の爆撃を受け、戦力が半減。
その頃、中国では、雲南国が貴州国と合併。
西安自治国が成立した。
舞台は戻り、中央アフリカではアフリカ自由解放軍(AFLA)が蜂起。
ナミビア大管区のクネネ県では大日本帝国陸軍第44朝鮮系隠密作戦師団の支援を受けているAFLAが駐屯部隊を追い出し、地域を掌握した。
その後、ウガンダ管区ではウガンダ解放義勇団が蜂起。
タンザニアでは東アフリカ解放戦線が蜂起した。
そして、チャドには旧フランス植民地軍の残党やベルギー軍残党を中心とするゲリラ組織「ブラックレインボー」が結成された。
また、スーダン北部でも反乱が発生していた。これらの動きに対し、ドイツ政府はギニア湾に艦隊を派遣し、治安維持を図ったものの、鎮圧には至らなかった。
こうして、アフリカ大陸におけるドイツ軍及び現地住民の対立は激化していった。
その頃、ロシアではブラックリーグが西シベリアを統一。
西シベリア暫定統治機構が成立した。
その国のリーダーであるドミトリー・ティモフェヴィッチ・ヤゾフは大規模な徴兵を開始。
ウラル連盟、カザフ人民委員会へ攻撃を開始。
さらに、西シベリア暫定統治機構はカザフ浄化軍、ロシア保護委員会との合併を決定。
その頃、極東ではRFP率いるロシア自由国にてニコライ・ペトリン率いる自由ロシア軍団が蜂起。
これに対し、満州国と大日本帝国がロシア自由国に侵攻。マトコフスキー軍は満州帝国軍によって撃破された。
その後、マガダン地域は大日本帝国の庇護の下、マガダン共和国として独立した。
一方、樺太ではロシア赤軍パルチザンによる独立運動が発生。
大日本帝国陸軍が出動し、3日ほどで鎮圧された。
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1971年2月2日。
大ゲルマン帝国ではアドルフヒトラー総統が死亡。
これを受け、ゲーリング、ハイドリヒ、ボルマン、シュペーアが蜂起。
ドイツ内戦が勃発した。
この混乱に乗じてポーランドでパルチザンが蜂起。
ワルシャワでは駐留ドイツ軍を殲滅した。
ベーメン・メーレン保護領でも反乱が起きたが、すぐに鎮圧された。
その頃、南アフリカ戦争はルアンダ陥落により、最後のセントラルアフリカ国家弁務官区が降伏。
南アフリカ連合はモザンビーク、ナミビア、ジンバブエを併合し、アンゴラ、コンゴ、ガボン、赤道ギニアは西アフリカ防衛統一機構、ケニア、ルワンダ、ブルンジ、タンザニア、ザンビア、マラウイは日本軍の軍政下に置かれた。これにより、ドイツのアフリカ植民地は消滅した。