降り注ぐは希望が砕いた流星群。満たすは無垢なる絶望と星の記憶。滅びの魔女へ捧ぐ背反の歌。 作:ソプラノ
補完が必要なのでね。
「確かに、土の魔女の結界ね。これを破ろうと思ったら一筋縄ではいかないわ」
「折角先に見つけたのに、ドロシー退屈」
「第九小隊が結界を壊すのを待つしかないってのか?」
「指揮者……」
ゴウラ火山での戦闘から数日。目覚めたエールの力によって全快とはいかないまでもドロシーの傷が癒えたため、ムジャバラール砂漠にやって来た福音使徒を迎えたのは青白い線が走った半透明の壁、魔女の結界だった。
ムジャバラール砂漠三年前の戦乱により王国に禁足地指定を受けてから、そこに住む者はおらず、当然町もない。
そのため、福音使徒はカシミスタンの大乱の後に一度、土の魔女のクオリアを捜索して以来、用事もないため近づくことはなかった。
この結界が具体的にいつから存在していたかは定かではないが、完全に裏をかかれ、そしてルドルフの裏切りという一度しかとれない方法でしか攻略できなかった鉄壁の布陣を再び取られてしまっていた。
結界をどうにかしようとするならば、後先考えずにヒルダが魔法を放つか、魔女と深い関わりのある指揮者、第九小隊のアルトの働きに期待する他ない。
結界があれば福音使徒は土の魔女に手を出せないが、第九小隊も祝歌のためには土の魔女が必要だ。
そのため、福音使徒の魔の手が延びる事を知っていても第九小隊は必ず結界を破壊する。
今福音使徒にできることは、結界の監視と、破壊されるまでの時間に砂漠より東側にある王国西端の町を堕歌に沈めることだけだった。
「エール、何か思い出せた?」
「……結界に干渉できるのは指揮者だけ。どうして俺は必要とする力を持たないんだ」
「待ってエール! 結界に触れてはダメ!」
砂漠を囲むように天高く延びる結界と、その奥に広がる広大な砂漠を眺めるエールに、何か記憶が刺激されないかとヒルダが問いかけた。
しかし、ゴウラ火山での戦闘から時折一人自分の世界に沈むようになったエールはヒルダの問いに答えず、結界に手を伸ばした。
土の魔女の結界はただ外部からの侵入を阻害するだけのものではなく、触れたものに危害を加える攻性防壁であることは、三年前、その攻略に頭を悩ませた福音使徒も、当時王国の中枢にいたルドルフもよく知っている事だ。
しかし、丁度カシミスタンの大乱以前の記憶が無いエールにとって、その情報は既知のものではなかった。
福音使徒内でも、既に終わったものとして土の魔女の結界の話がされることもなかったため、エールには知る機会がなかったのだ。
エールが結界に手を伸ばしたのを見て、その事に気づいたヒルダが制止の声をあげるが、その声は一歩届かず、エールの掌が結界に触れる。
「ダンテ、ヒルダを庇え!」
「クソッタレがっ!」
「エール!」
「ヒルダだめ! ヒルダの方が大事だよ!」
直後、結界から赤黒い閃光が走りバチバチと音をたて始めた。
それを侵入者排除のための機能だと察知したルドルフが、自分よりもヒルダに近い位置にいるダンテにヒルダを守るように指示を出しつつ、自らはドロシーの盾になる位置へと素早く移動する。
指示を受けたダンテがヒルダを背中に隠して防御体勢を取るが、守られる側であるヒルダは結界の真正面にいるエールに向けて駆け出そうする。
それを見たドロシーが無数のデクリンちゃんを放ってヒルダを押し倒し、ダンテの後方に拘束した。
「エール!!」
組み伏せられたまま前方に手を伸ばしたヒルダの叫びと同時に、結界から放たれた赤黒い閃光が辺り一体を覆い尽くした。
「なんともねぇぞ」
「デクリンちゃんも死んでない」
「面妖な……」
「エール、無事!?」
赤黒い閃光が消えると、そこに残されたのは傷ひとつ無い福音使徒の面々と、先程までよりも鮮明に見れるようになった砂漠だけだった。
ヒルダの声でこの状況を作り出したエールに視線が集まると、結界に一番近いところにいたエールも傷ひとつ無く、五体満足で立っていることが確認できた。
誰も傷ついていない事に不思議に思いながらも、不用意な行動をとったエールを叱るためにルドルフが歩いていくと、ダンテは安堵の息を漏らすヒルダに振り返った。
「いくらあいつが変えの利かない便利なカードだからって、あんたの方が重要なのは分かりきってることだろうが。あんたが死んだら全て終わりなんだ。今後は身を呈して誰かを守ろうなんて考えないでくれよ」
「……わかっているわ」
ダンテの説教に、ヒルダは砂を払って立ち上がりながら一言返事をする。それを見たダンテは溜め息を吐くが、それ以上ヒルダに注意することはしなかった。
ヒルダは外見こそ十代の少女だが、その実千年を生きる魔女であり、五十年前までは帝国の女王だったのだ。
何度も注意が必要なその辺の子供とは違うのである。
「もうほんとサイアク。さっさとソイツ連れてきて! ギッタンギッタンにオシオキしてやる!」
「……気絶している。それに見ろ」
「なによ……」
最高に機嫌が悪いドロシーが、エールの肩を掴んだルドルフに向かって叫ぶと、ルドルフはエールを引き摺って戻って意識が無いことを告げる。
それでもお仕置きと称した暴行を加えようとするドロシーに、ルドルフはある方向を見るように示した。
「ウソ、結界が無くなってる!?」
「本人が理解していたとは思えん。怪我の功名だな」
「これでまたこいつの不思議が増えたってことか。ヒルダ」
「第九小隊よりも先に砂漠に入れるのは嬉しい誤算だわ。堕歌の予定はキャンセル。すぐに魔女の捜索を始めましょう」
赤黒い閃光の後、砂漠が鮮明に見えるようになったのは閃光に視界を埋め尽くされた反動ではなく、結界が破壊されたからだったのだ。
状況からして、エールの仕業であることは間違いない。気絶しているエールに変わって、何か知っていることは無いかとダンテがヒルダの名前を呼ぶと、ヒルダはこれからの行動について述べてスタスタと歩き始めた。
そうじゃないと頭を掻いたダンテだったが、それ以上追求することはなく、ドロシーに足首を捕まれて雑に運ばれているエールを担いで、三年前までの地理に詳しいルドルフの背中を追った。
#♭♪
「ん……。起きた」
「なら自分で歩きやがれ。オマエの服装は暑くて敵わん」
「ドロシーあつい。涼しくして」
「……砂漠? 結界はどうなったんだ?」
「壊れたわ」
「貴様が触れた途端、跡形もなくな」
「ドロシーあついんだけど!」
福音使徒たちが砂漠を歩き始めてしばらく。ダンテに背負われていたエールが目を覚まして申告すると、黒一色で熱を吸収する衣装のエールを煩わしそうにダンテがぼやいた。
それでも強制的に落とさないあたり、ダンテの性格の良さがわかる。
一方で、結界の件から機嫌がすこぶる悪いドロシーは、目覚めたばかりのエールに無理難題を吹っ掛けていた。
寝ぼけ眼でドロシーの言葉を無視したエールが砂漠を歩いているということに感じた疑問をそのまま口に出すと、ヒルダが簡潔にそれに答え、ルドルフが補足する。
直後、無視されたドロシーが自分が結界を壊したと言われてもピンと来ずにダンテの背中で首を捻っていたエールに飛び蹴りを放ち、吹き飛ばされたエールが砂の上を転がった。
「いてて……」
「あついんだけど!」
吹き飛ばしたエールの胸を踏みつけてドロシーがもう一度大きな声で宣言すると、足蹴にされたエールは申し訳なさそうに視線を反らした。
「ドロシー」
「っ……ごめんエール。ドロシー、あつくてイライラしてた」
「仕事してなかった俺が悪いから謝らないでいいよ」
ヒルダが一言ドロシーの名前を呼ぶと、シュンとしたように怒りをおさめたドロシーがエールに手をさしのべた。
その手を借りて起き上がったエールは、蹴り飛ばして踏みつけられたというのに欠片も怒りを感じていない顔で自分に問題があったと謝罪し、能力を行使した。
「助かるわ」
「砂漠の暑さすら和らげるとは……」
「あの寒さすら緩和出来てるんだからこれくらいなんとでもなるだろ」
エールの言葉ひとつで、砂漠の暑さが和らぎ、全員の顔色がすっとよくなる。
福音使徒は、全身黒一色のエールとダンテ、金属鎧と黒のインナーを着用したルドルフ。特大の手袋と、長袖で生地が厚いパーカーを着てフードを被ったドロシーに、露出が多く日差しが直接素肌に刺さるヒルダと、誰一人砂漠での行動に適した服装のメンバーが居ない。
そのため、全員が大なり小なり疲労していたのだ。
エールの能力の便利さもあるが、元々過酷な環境にあっただけに少しの変化ですら大袈裟に感じてしまう側面もあるのかもしれない。
「ヒルダ。今はどこに向かっているんだ?」
「カシミスタンの跡地よ。使い魔も放っているから、砂漠に人が居るのならそれを発見して目的地が変わる可能性が高いわ」
能力を使って全員に快適な砂漠での活動を提供したエールは、結界を前にしていた時とは打って変わって明るい調子でヒルダの隣に並ぶと、目的地について聞き出した。
目的地について詳しく答えたヒルダは、それよりも、と言葉を続けた。
「砂漠を見て、歩いて。何か思い出すことはない?」
「何もないかな。それよりも、砂漠でもいつも通りのヒルダの格好の方が気になる。前に着てくれたワンピースとかでも良いから着替えない? 日焼けが心配だ」
砂漠について直ぐにした質問をヒルダが繰り返すと、エールは何も思い出すものはないと簡単にいってのけた。
そして、記憶が戻らないことへの不安を一切感じさせない声でヒルダの服装を問題視した。
ヒルダの服装は、とてつもなく露出が多い。
鎖骨より下。なだらかな胸の谷間を通って臍下までのラインをスケスケの薄い布一枚で済ませており、しまいにはスカートすらも左右二枚の布に分割されている始末で、内腿の付け根を正面から拝むことができるほどである。
普段からこの格好のヒルダだが、今まで福音使徒たちは一度もこれについてコメントしたことがなかった。
そのため、一同にこのタイミングで突っ込みを入れるのかという戦慄と共に、エールの口から飛び出したヒルダが別の服を着たという言葉にも驚きが走った。
「仕方ないじゃない。この服装でなければ魔法の運用が難しいのだから」
「使い魔も使えなくなるんだったっけ」
「そうよ。別の服が見たいなら土の魔女を殺したあとに久しぶりに着替えてあげるわ」
今まで誰もヒルダの服装について言及しなかった理由。それは、ヒルダが魔女として力を振るう上でこの服装が最も力を発揮できるからである。
魔女はクオリアと融合することで歌を歌えるようになり、歌を通して感情エネルギーを出力、変換して魔法を行使する。
ヒルダの格好は、クオリアと融合して魔女になった際に身に纏っていたものであり、クオリアの力の具現化ともいえるものなのだ。
本人の意思で脱ぐことも着替えることも可能だが、その場合魔法の出力は大きく低下する。
福音使徒としての作戦行動中であり、使い魔を使った物量での捜索中の今、ヒルダが着替えることはあり得ないのだ。
「いつ? いつ見たの? ドロシーも見たかった!」
「この前の冬だな。クリスタル? のパーティの後に」
「クリスマスよ。例年、あの日には騎士団に動きがないから、少しぐらいならいいかと思って。二時間くらいだったかしら」
ドロシーがエールのローブの裾を引っ張って聞き出すと、二人は隠すことでもないとそのときの事を話した。
「クリスマスパーティの後っていうと、オレがドロシーの服を直してた時か? 確かにあの日は一日休憩していたが、だからってヒルダが服を着替えるのは以外だな」
「ヒルダも人の子。羽目を外したくなったとしても不思議ではあるまい。計画的に着替えていて襲撃に合う心配もないのならば、今後も休憩時間は確保するべきだろう」
ダンテがクリスマスを思いだし、素直な感想を述べると、ルドルフは福音使徒で最も重要な存在であるヒルダとはいえども、気を抜いて休む時間も必要だと自分の考えを口にした。
とはいえ、二人とも共通してヒルダの力が弱まる間は警戒に力を入れるために事前に報告してほしいという気持ちはありそうだったが。
「今後は事前に伝え——待って。使い魔が倒されたわ」
「魔女か?」
「ドロシーミンチの気分。早くいこうよ!」
「罠という可能性もある。一人で突っ込むのはやめておけ」
会話の途中にヒルダが使い魔が撃破された事を告げると、それを聞いたメンバーは目の色を変えて話だした。
それも仕方ないだろう。エールの能力でいくらか快適ではあったが、それでも暑い砂漠をずっと歩き続けていたのだから。
「とりあえず、使い魔と戦闘員を向かわせてみればいいんじゃないか? ここは土の魔女のホーム。罠の可能性は十分あると思う」
「いいえ。罠だとしても食い破るわ」
「さんせー! 折角全員いるんだし、様子見してる時間がもったいナイでしょ」
「第九小隊が来る前に一気にカタをつけてやるか。奴らの苦い顔が目に浮かぶぜ」
「カシミスタンでは乱戦故にクオリアを逃した。慎重を期すより第九小隊が参戦する前に片付ける方が賢いか」
ルドルフの言葉に同調して慎重な意見を出したエールだったが、リーダーであるヒルダが好戦的な言葉を口にすると、他のメンバーは揃って戦う気マンマンであったため、説得を瞬時に諦めてヒルダの言葉を待った。
「ポイントはここより北西。いくわよ」